2018/11/07 - 2018/11/07
226位(同エリア248件中)
ジバゴさん
木村茶道美術館2018年後期(平成18年7月31日~11月30日)展示
鉢・皿・向付展を鑑賞してきました。
各コメントは美術館の解説書をコピーであります。
- 旅行の満足度
- 5.0
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呉須赤絵魁鉢 明末17世紀
魁とはもともと大きな柄杓のことを意味し、転じてカシラとかさきがけの意味となっています。また北斗七星の第一の星の意味もあり文運を司る縁起の良い文字として喜ばれました。 -
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古染付蓮弁文鉢 明時代 万歴年製
日本の茶人が好んだ古染付とは、景徳鎮の民謡で焼かれた技術的に低い作品という定義ではありますが、この作品と同様な作品は虫食いのない完品として上海博物館と台湾の故宮博物院に展示されていました。同じ釜で焼かれても完品は中華の国に残し、蛮地に輸出するものは B 級品ということと思われます。 -
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青磁白黒象嵌文鉢 高麗 13世紀
高麗青磁の特徴である象嵌技法を取り入れた鉢です。 地に模様を削り込み、そこに白や黒の土を埋め込み青磁釉をかけ焼成しました。 -
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三島暦手鉢
李朝前期の民窯で焼かれた陶器で高麗象嵌青磁の技法が変化したものです 三嶋暦手の名の由来は伊豆三嶋神社が発行していた暦の字の配列が陶器の模様と似ていたためにそう呼ばれました -
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草花文皿 河井寛次郎作 明治23年(1890)~昭和41年(1966) 77歳没
河井寛次郎は島根県安来の生まれ。 バーナードリーチや浜田庄司らと親交を持ち、柳宗悦の民芸運動に参加しました。 独特な形とインパクトの強さは感じる寛次郎の独壇場です。 -
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黄瀬戸鉦鉢 北大路魯山人作 明治16年(1883)~昭和34年(1959) 77歳沒
魯山人の黄瀬戸作品は少ないと言われていますが、少ない中にもこのような作品を残しています。桃山を習いアヤメを釘彫りし銅釉を打って大変洒落た作品に仕上げています。 -
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桐一葉鉢 仁阿弥道八作 天明3年(1708)~安政2年(1855) 73歳没
陶土に本物の桐の葉を押し付け型取りしたものに、呉須と鉄絵でぼかしをかけた様に塗り、葉脈に金彩を落として枯葉の雰囲気を表した秀作です。 -
山田順一 茶会記
山田順一は柏崎市新道の豪農飯塚家の生まれ。山田家を継ぐ。実業・政界で活躍しました。 また当館の長次郎茶碗は裏千家又玅斎より山田家に渡り、後、寒香庵に伝わったものです。 -
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色鍋島絵草紙文皿 江戸時代 18世紀
我が国色絵磁器の最高峰は色絵鍋島です。姿は木盃形に取り、図柄は余白を生かした絵草紙本を酒脱に配しています。 -
南京赤絵桃蝶文皿
中国では桃は神聖な果物とされており、画材として桃の花や桃の実がよく取り上げられています。 -
染付辰砂柳花文皿 明17世紀
皿の水墨画の中に赤い花やブドウを印象的に入れた作品です。辰砂は酸化銅釉を還元焼成他することにより発色させますが、銅は気化しやすく高度な焼成技術が必要となります。 -
伊万里くわいもん皿
器体を可能な限り薄く削り出し、上等な呉須で精緻にクワイの花と葉を描いた上手の中皿です。 -
色絵紅白梅半月皿 番浦史郎作 昭和16年(1941) ~平成13年(2001) 61歳没
漆芸家番浦省吾の四男として京都に生まれ、師は河村熹太郎。昭和43年伊賀上野に築窯。義兄の日本画家加山又造との共同制作作品も多くあり、琳派風の絵付けを施した使える食器を目指しました。 -
備前角皿 藤原雄 作 昭和7年(1932)~平成13年(2001) 70歳没
備前焼人間国宝の藤原啓の長男。明治大学文学部卒。昭和30年父が病を得てそれを契機に作陶を始めました。 平成8年、父に続いて重要無形文化財(人間国宝)に認定されました。 -
色絵向付(古九谷皿) 17世紀
型で整形した器体に色々な模様を書き込んだ替の向付です。初期の色絵磁器は貴重なものであったと思われます。裏面を見ていただくと皿は素焼きの時に山キズができ為、緑釉で穴を埋め、つなぎとめています。松の皿は山キズを幹に見立て、色絵の釉薬でカムフラージュしています。 -
色絵魚網文皿
仙桃を正面に見ると上限に魚文がくる皿が3枚、網が来るのが2枚あります。1枚だけ違うと間違えたと思われることを嫌ったためか、ちょっと不思議な皿です。 -
高取割山椒向付 江戸時代 18世紀
福岡県で焼かれた陶器です。文禄・慶長の役の時、朝鮮より連れ帰った朝鮮人陶工たちを福岡黒田藩窯として保護してきた窯であり、小堀遠州の指導により遠州七窯の一つとなり、もっぱら茶陶を作りました。 -
色絵替色紙皿 永楽保全作 寛政7年(1795)~嘉永7年生(1854) 60歳没
金銀彩を使い梅・松・牡丹・扇面・柳に橘を、皿を色紙に見立てて光琳風の絵を画き上げました。 -
織部写蓋茶碗 十二代弘入作 安政四年(1817)~昭和7年(1932) 76歳没
弘入が活躍した明治の初期は茶碗の需要が極端に落ち込み、色々な道具を焼いたようです。 -
織部角皿 北大路魯山人作
書家からデビューしたが古美術に通じるに及んで、昭和11年にはもっぱら作陶を行いました。 その作風は桃山古陶の復活であり、荒川豊蔵を指示し、志野焼きの謎を解明しました。 -
黄瀬戸深向付 豊場惺也 昭和17年(1942)
筒型の深いものを深向・のぞき向と呼び、懐石料理では最初から最後まで客前に置かれる事から面白い形をしたものが多く使われます。 -
南京赤絵皿 明17世紀
菱形に型で作られた皿に半裸の羅漢さんが松の下で修行を行っている図です。 -
南京赤絵松に鳥文皿 明末17世紀
皿面左下の猛禽が松越しに小鳥を見上げていますが、真ん中の皿では絵師が小鳥を書き忘れたようです。 -
古染付寄向付 明末17世紀
中国人明朝末期、景徳鎮の民窯で焼かれた型物向付の数々を遊び心で寄せたものです。ザクロ・山水・ビワ・ウサギ・鳳・カッパ?酒席をなごます器達です。 -
古染付鮑型向付 明末17世紀
絵柄を見ると寄せたもののようにも見えますが、形や縁の様子を見ると同じ作りであり民窯の大らかさが色々な絵を書かせているのかなと思わせる作品です。 -
色絵人物文皿 清18世紀
浜辺の漁師を画いた、緑釉が印象的な絵柄です。
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