2016/05/11 - 2016/05/11
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junemayさん
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2016年5月8日から6月10日までの1か月ちょっと、スペインとポルトガルを一人旅しました。もう2年以上経ってしまったけれど、思い出しながら綴っていこうと思います。
スペインは言わずもがなカトリックの国です。イタリアで教会の素晴らしさを知ってしまった私にとって、今回の旅の目的は、1.教会を訪れること、2.美術館で絵を眺めること そして最終目的地をサンチャゴ・デ・コンポステーラにすること でした。特定の宗教を信仰しているわけではありませんが、神を畏れ、神を敬うことによって、人間達が生み出した様々な創作物・文化を心より愛してやみません。
古来より何百万もの人々が時に命さえかけて目指したコンポステーラの町、そしてその道中(El Camino)は宗教観が異なる者にとっても大変魅力的でした。可能であれば長い巡礼の道を歩いて行きたかったのですが、体力的にバックパッカーは難しい。でも、徐々にコンポステーラに近づくことによって、巡礼者の気分を少しだけでも味わいたいという、無理難題、大変我儘な希望を叶えるために、作成したのが、な~んちゃって、コンポステーラ! 巡礼者の方には合わせる顔がないのですが、以下のようなプランが出来上がりました。
今回の旅はスペインの後、ポルトガルへと続いたのですが、私の頭の中では旅は一旦サンチャゴ・デ・コンポステーラでお終い。そこからまた新たな旅が始まったと思っています。こじつけ、そして自己満足の塊のような旅となりましたが、よろしければお付き合いください。
日程表 スペインの部
5月8日(日) 東京→マドリッド
5月9日(月) マドリッド
5月10日(火) マドリッド(セゴビア)
5月11日(水)★ マドリッド(アヴィラ)
5月12日(木) マドリッド(エル・エスコリアル)
5月13日(金) マドリッド(アルカラ・デ・エナーレス)
5月14日(土) マドリッド→ブルゴス→ビルバオ
5月15日(日) ビルバオ
5月16日(月) ビルバオ(サン・セバスチャン)
5月17日(火) ビルバオ(ヴィトリア)
5月18日(水) ビルバオ→オヴィエド
5月19日(木) オヴィエド
5月20日(金) オヴィエド→レオン
5月21日(土) レオン
5月22日(日) レオン→アストルガ→レオン→サンチャゴ・デ・コンポステーラ
5月23日(月) サンチャゴ・デ・コンポステーラ
5月24日(火) サンチャゴ・デ・コンポステーラ
5月25日(水) サンチャゴ・デ・コンポステーラ(→ポルトガル ポルト)
どこの町に行っても、大聖堂の見学なくしてその町を語れませんが、アヴィラの場合はまた格別。この大聖堂が見れただけで、アヴィラに来る価値があったと言い切れる素晴らしい場所でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ファサードは後回しにして、アヴィラの大聖堂に入場しました。入った途端、ご覧のようなミュージアムショップが現れて度肝を抜かれました。
司教さまだか大富豪だか存知ませんが、彼らのお墓のすぐ下にまで、ロザリオやガイドブック、お土産の類がずらりと並べられているんですよ。 -
堕天使ルシファーをやっつけている大天使聖ミカエルの絵は売り物なのかしら? 煤けたような骨董品まで揃っていますよ。古さを演出しているような、わざとらしさ満載のものまで、選り取り見取り。
どこからどこまでが大聖堂の所蔵品で、どれがお店の品物なのか、イマイチよく分からなかったなあ。流石にこんな展開のショップは初めてでした。
後で調べてみたら、ここは聖ミゲルつまり、大天使聖ミカエルの礼拝堂で、鐘楼の下の部分に当たるのだそうです。礼拝堂がミュージアムショップに転身してしまったんですね。
のっけからビックリです。 -
それでは改めて大聖堂に誘われます。ミュージアムショップ、いや、聖ミゲルの礼拝堂を抜けると、スペインで初のゴシック様式と言うのがなるほどとうなづけるアーチに出迎えられます。
大聖堂の建設がいつ始まったかははっきりとはわかっていませんが、1091年にAlvar Garcíaが救い主のキリスト(エルサルバドール)教会跡に建て始めたという説と12世紀にFruchelを師として Raimundo de Borgoñaが建築を開始したという2つの説が有力です。
工事はその後何世紀にもわたって続けられ、あるところはロマネスク、またあるところはゴシック、そしてルネサンスといういくつかの様式が混ざり合った独特のスタイルを持つようになるのです。 -
イチオシ
わあ、ここは完璧なゴシックの世界! 大聖堂の入り口部分に立ち、そそり立つ束柱と天井のヴォールトを見て思わず声を出してしまいました。
セゴヴィアの大聖堂にもあった「聖歌隊席の裏側」、通常レトロクワイア と呼ばれている祭壇がここにもありましたよ。白いアラバスターで作られていて、細かいレリーフで覆われている見事な祭壇が! 心臓バッコンバッコン、駆けだしたい気分けれど、ゆっくりと近づいて行きましょう。大人ですからね。 -
13世紀にまず身廊と最初の塔、つづいて、二本目の塔(一部まだ未完成)、回廊、ヴォールト天井、フライングバットレスと言う順番に建てられて、建物は15世紀初頭にはほぼ完成を迎えていました。
天井は最初はレンガかと思いましたが、どうやら石のようです。シンプルだけれど、ヴォールトのクロス部分の装飾が華やかさを演出しています。
身廊部分の天井は淡いサーモンピンク。 -
後陣に行くにしたがって色が濃くなり、赤みを増していくように見えます。古典的なグラデーションかしら?
天井を見上げながら、期待に胸がどんどん膨らんでいくのを感じます。 -
天国のカギを持つ聖ペドロ(聖ピエトロ)がお出迎え。皆に触られて、鼻、両手、両ひざから足先までピッカピカに光っていました。
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続いて確かカウンターファサードにあった洗礼盤です。
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16世紀に作られたアラバスター製の洗礼盤には、聖ヨハネから洗礼を受けるキリストの姿が浮き彫りで表現されていました。説明板には洗礼盤がゴシック様式だと書かれていましたが、どこでそう判断するのか、さっぱり分からん・・・
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北側から礼拝堂巡りスタートです。
まずは悲しみの聖母の礼拝堂、別名ピエタの礼拝堂はルネサンス様式、16世紀半ばの建造です。白いカラッラ大理石で作られたピエタ像は、フアン・バウティスタ・バスケス・エルダーによるもので、1560年頃の作品。明らかにミケランジェロのコピーですが、スパニッシュルネサンスの特徴が随所に表されていると言われています。
ピエタ像を中心に、左側に聖テレサ、右側には「慈善の聖母」像(人形みたい!!)が立っていました。慈善の聖母が身に着けている衣装は、2011年、ヨハネ・パウロ2世からの寄贈品なんですって。 -
レトロクワイアを見る前にもう一つ礼拝堂を回ります。コンセプシオン(受胎)の礼拝堂です。16世紀にエル・エスコリアル修道院でも仕事をした建築家ペドロ・デル・ヴッリエの制作。
眩く光り輝く銀の祭壇が目を惹きますが、この祭壇は元サン・ミゲルの礼拝堂にあったもので(例のミュージアムショップですよ!)奥に無原罪の御宿りの祭壇画がありました。 -
礼拝堂は格間に覆われたヴォールトが特徴的でした。
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なんとも幻想的な色と光が奥へ奥へと誘います
でも、この先に進む前に、レトロクワイアを見ていきましょう。うずうずしていた気持ちに逆らって、冷静に、冷静に!!! -
見とれている2名の方々が動こうとなさらないので、しびれを切らして1枚撮っちゃいました。1531年~36年にかけて作られたプラテレスコ風のレトロクワイアです。スペイン語ではトラスコーロと書かれていました。
わぉ~ やはり、凄い!という言葉しか出てきません。
彫刻家フアン・ロドリゲスとルーカス・ヒラルドが制作した祭壇屏で、正確にはプラテレスコ・ルネサンス様式と呼ぶのだそうです。ロドリゲスらの一番の傑作は、昨日ふられたセゴヴィアのサンタ・マリア・デル・パラル修道院にある主祭壇。セゴヴィアの項で、「アヴィラの彫刻家」と書いたのは、実は彼らの事だったんです。ぐやじい~!!!
セゴヴィアの旅行記はこちら
https://4travel.jp/travelogue/11411355
スペインでは聖歌隊席は中世の頃は礼拝堂の一つとして設置されてきましたが、スペインルネサンス期に身廊中央への移動が始まり、その結果として聖歌隊席左右のオルガンのための壁と後方の壁=レトロクワイアの制作が必要に迫られたという経緯がありました。
彫刻は三段になっていて、上段には父なる神と様々なポーズをとっている天使達、中段には預言者達、そして三段目にはキリスト(一部マリア)の生涯の物語からの場面が浮き彫りされています。 -
では詳細を見ていきましょう。
まず下段右側は、ヘロデ王による「幼児虐殺」。
キリストが生まれたと聞き、おびえたヘロデ王が2歳以下の幼児を虐殺したという、「マタイによる福音書」2章16~18節に見られる物語。 -
その横には、一回り小さなサイズで、上にマリアのエリザベート「訪問」、下に「エジプトへの逃避」がありました。
それぞれの場面を分けている両側の柱の装飾は、「カンデリエリ=燭台」 と呼ばれていて、オリジナルのルネサンス期イタリアでは、主にアカンサスの葉、植物、リボンなどが描かれていました。イベリア半島にこの装飾方法が伝わると、プラテレスコとバロック様式でさらに味付けされ、燭台と花、壺などに加え、作家の自由な発想で様々なモティーフが表現されるようになったそうです。 -
何故かこの1枚だけ、モノクロのように写っていますが、こちらが中央の「東方三博士の礼拝」Adoración de los Magos です。黒人博士の肌には、つやつやした黒い石をはめ込んで使っていますね。
中央にあるこの1枚が一番のお気に入りです。聖母子が座る台座の上に置かれた鋏は何に使うのかしら? 気になるなあ・・・ -
その横、ひどい撮り方ですねえ・・・
上には、マリアの両親ヨアキムとアンナの「金門の前の小橋の上での再会」。下には「博士たちと議論するキリスト」かな? -
一番左側の大きな1枚は、「キリストの神殿奉献」。幼子を抱いているのは救い主を待ち望んでいたシメオンです。
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レトロクワイアの角の部分は、面取りをするように削ってあり、ここにも聖人像を見ることが出来ました。カンデリエリに注目。装飾過多ですが、あまりの緻密さに目を見張ります。
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側面は、アカンサスの葉を中心に植物のレリーフで覆われていました。
舐めるように眺めまわして、ドキドキが収まるまで思う存分Trascoro=レトロクワイアを楽しませていただきましたよ。 -
こちらは、カルメル山の聖母の祭壇。
先ほど訪れた聖テレサ修道院にもありましたね。 -
アルコソリオと呼ばれる窪みは、墓と墓碑のためのスペース。こちらはゴシック様式の物。大聖堂中至る所にこの窪みがありました。
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1300年に西側に作られ、1475年に北側に移動させられたオリジナルのメイン扉へと進む廊下です。現在は北扉と呼ばれている扉は、閉ざされていて、表側からしか見ることが出来ません。後でじっくり拝見いたしましょう。
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右側に、身廊中央に聖歌隊席(クワイア)を作るために新たに設置されたオルガン用の壁がありました。いよいよ内陣です。
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思わず息を呑むような、美しい世界。暫く動くことが出来ませんでした。
身廊の中程に、このような壁があるのは珍しいですね。それもとても珍しい斑点のある石で作られていますよ。
壁のある理由は、後程判明します。 -
はあ~
溜息しか出ない! うっとりです。 -
気を取り直して次参りましょう。北側翼廊にある聖ペドロ(聖ピエトロ)の礼拝堂です。
ここのお宝その1は、サラマンカ出身の画家フェルナンド・ガリェゴ作のトリプテック。聖ペドロに捧げられた、フランドル地方の絵画の影響を受けた板絵です。15世紀。
中央をご覧ください。
こんな帽子と衣装を身に着けた聖ペドロを見るのは初めてですが、法服の一種であるようです。左右には、聖パブロ(聖パオロ)の殉教の場にいる聖ペドロと、ローマの牢獄から神の使いによって助け出された聖ペドロが描かれていました。 -
この礼拝堂にはもう1つ、聖ミゲル(大天使聖ミカエル)の祭壇画というお宝に出会うことが出来ました。16世紀の聖ミゲルに捧げられた祭壇画で、元は別の場所にありましたが、2004年にここに移動して来たとのこと。
下段中央の聖ミゲルは御馴染ルシファーを踏んづけていますね。上段中央の裸体の女性は一体どなたでしょう? 想像はつくんですけれどね。長い髪で全身を覆ってはいるものの、ちょっとどぎまぎするような姿です。 -
その隣にあったのは、聖ペドロ礼拝堂のパトロン ヌニョ・ゴンサレス・デル・アギラの墓です。大変美しいフォームを見せていますね。1467年に亡くなったとありますので、15世紀の作品です。
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聖ペドロ礼拝堂のお隣 翼廊の北端に位置している聖アントリン礼拝堂です。聖アントリンとは、日本語ではパミエルスのアントニヌス と言う名前になっていましたが、全く存じ上げないお方です。バスク地方の都市レケイティオの守護聖人で、ここで開かれる聖アントリンの祝日が有名だということです。
1551年にイシドロ・ヴィリョルドが制作した祭壇は、両端で柱を支えている兵士の姿が実にユニークですよ。
上段には十字架のキリストに聖母と福音記者聖ヨハネが、下段には聖アントリンが祠の中に立ち、サイドに聖ペドロと洗礼者聖ヨハネが彫られていました。 -
こちらは、上記の祭壇に向かって右側にあったもう一つの祭壇ですが、これに関しては何の説明も見つかりませんでした。
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説明はないけれど、この祭壇、大聖堂に入ってから何度も目にしているプラテレスコ様式であることがすぐにわかりますね。柱が全部で16本もあって、そのいずれもにカンデリエリの装飾が施されていてみているだけで楽しい?
描かれている絵はキリストの生涯の物語ですが、下段中央の緑の山は、どこの山だろう?とちょっと考えてしまいました。 -
北翼廊を出て、いよいよ心臓部へ。
背後に主祭壇が見えていますが、あえて見ないふりをして進みます。がしかし、あちこちにプラテレスコ様式の特徴を持つ祭壇や説教壇があって、きょろきょろしないではいられませんでした。
何と細かい装飾なんでしょう! -
光が入ってしまい見苦しいですが、聖歌隊席です。前述した通り、大聖堂の聖歌隊席(クワイア)は16世紀になってから、この場所に移動してきました。オランダのコルネリウスの設計を元に、レトロクワイアの制作に携わった彫刻家フアン・ロドリゲスとルーカス・ヒラルド、そして後のアヴィラ派の先駆者となるヴァスコ・デ・ラ・サルサ等が制作に加わっています。
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イチオシ
聖歌隊席から主祭壇と反対側を見上げた空間です。左右にオルガンが見えますね。そしてオレンジ色に輝き、光の加減により絶えず色を変えるヴォールトがそこにありました。
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聖歌隊席にも、びっしりとレリーフが刻まれていました。
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お待たせしました! 主祭壇です。
主祭壇は金ぴかですが、その黄金色を越える色とりどりの石のパワーに圧倒されました! 脱帽です。祭壇を除けば、殆ど石だけの空間なのに、神々しさに溢れています。いっそ祭壇なんぞ無くしてしまった方が、もっと神の境地に近づけそうな気がします。 -
先ほどから気になっていた主祭壇に一番近い左右の柱にある小さな祭壇をやっとまともに見ることが出来ました。これらは、お馴染みフアン・ロドリゲスとルーカス・ヒラルドにイシドロ・デ・ヴィリョルドが加わり、制作されたものでした。1522年頃の作品です。
主祭壇に向かって左側は、アレキサンドリアの聖カタリナに捧げられています。 -
そして、右側には、聖ペテロと聖パブロによってスペインへと伝道のため送られた7人の使徒のひとりで、アヴィラの最初の司教と伝えられている聖セグンドに捧げられた祭壇がありました。彼はアヴィラの守護聖人です。
小祭壇の傍には、どちらの側にも説教壇(1枚上の写真参照)がありましたが、様式が異なっているので、おそらく作られた年代が違うのではないかなあ・・・双方とも良い味出していますが、個人的な好みは、今見えている方です。 -
主祭壇にアップで迫ります。アヴィラの絵画史上でも傑作の一つとされている三段組の祭壇画がありました。
皮切りは1499年にバレンシアの画家ペドロ・ベルゲーテが描いた絵からでした。ペルゲーテはスペインにルネサンスをもたらし、イタリア本土からもお呼びがかかるほどの画家として知られています。彼の才能は、ウルビーノに滞在中に描いたフェデリコ・ダ・モンテフェルトロの肖像画が残っている位ですから、イタリアでも評判となったようです。ウィキペディアでその絵が見つかったので、興味のある方はご覧ください。
https://en.wikipedia.org/wiki/Portrait_of_Federico_da_Montefeltro_with_His_Son_Guidobaldo -
イチオシ
彼が描いたのは、まずは下段の4人の教会博士と4人の福音記者たち。左からグレゴリウス1世、ヒエロニムス、ルカ、ヨハネ、マタイ、マルコ、アンブロージョ、アウグスティヌスの8名。
そして、左側上段の「キリストの受難」シリーズの2枚、「ゲツセマネの祈り」と「キリストの鞭打ち」を1503年に完成させました。1504年にペルゲーテが亡くなった後は、サンタ・クルス、そしてファン・デ・ボルゴーニャらによって製作が続けられ、全ての絵が仕上がったのは1512年の事。
金メッキされた木製フレームは、絵と同時進行で製作されましたが、完成させたのは前述の、後期ゴシックとルネサンスの要素を取り入れたヴァスコ・デ・ラ・サルサでした。 -
イチオシ
主祭壇中央下段にあるアラバスターの幕屋もサルサの制作したもの。優雅で美しいです。
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ここでもう一度全体像をどうぞ。
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ヴォールトを見上げると、確かに身廊より赤い石が多くなってきていますね。奥に行く程グラデーションで色が濃くなっていることがこの目で確認できました。
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後陣をアップした1枚。当然注目されるのはステンドグラスですが、私はその周りの装飾を施された石にすっかり心を奪われてしまいました。全ての石がステンドグラス越しの光を受けて、その装飾を誇らしげに見せているように思いました。
アヴィラ大聖堂のステンドグラスは、14世紀から15世紀にかけて、他の工事と並行して制作が行われました。後陣奥回廊部分上段中央のステンドグラスは、1497年に作られた聖母子像ですが、このへぼな写真じゃあよく判別できませんね。ファン・デ・ヴァルデヴィエソとディエゴ・デ・サンティリャーナ作。 -
続いてこちらは南翼廊のステンドグラスです。同じく15世紀の作。
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その上のバラ窓はシンプルな1枚。
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反対側の翼廊には4つ並んだ細長いグラスの上に、小さな丸いステンドグラスが設けられていました。
こちらは、後陣奥のステンドグラスを手掛けたガラス職人が制作したもので、左からサンタ・イネス(聖アグネス)、サンタ・アグエド(シチリアの聖アガタ)、サンタ・マルタ(マリアの姉)、サンタ・カタリナ(アレキサンドリアの聖カタリナ)です。ズラリ、女性聖人が揃いました。 -
その上のバラ窓が綺麗でしたよ。
1755年に起こったリスボン大地震は、遠いアヴィラの町にまで影響を及ぼし多くのステンドグラスが壊れたり、傷ついたりしたのだそうです。この地震後に、身廊の途中に壁が新たに設けられたことが分かりました。な~るほど! そうだったんだぁ!
20世紀に入ってからステンドグラスの修復作業は急速に進み、多くはオリジナルのデザインに復元されています。 -
もう一度、主祭壇を見てから、今度は主祭壇裏の回廊部分(ambulatory)の散策に出掛けましょう。
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おっと その前に、デザインが気に入った説教壇をじっくり眺めてからね。
こんなに細い心棒で支えられていたんですね。驚き! -
二卵性双生児のように、それぞれ個性は異なるけれど、どこか似ている2つの説教壇でした。
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アヴィラ大聖堂が他の大聖堂には見られないものが、このアンブラトリー(回廊)部分で、この半円形をした建物の外側は直接城壁、通称「大聖堂のシモロ壁」になっているのです。アンブラトリー自体はスペインの大聖堂では珍しくありませんが、その外壁が城壁を兼ねているというのはアヴィラだけだと思います。
ここは大聖堂で一番古い部分で、町の城壁と同じ1160年から1180年にかけて建てられました。半円形部分には礼拝堂が9つ並んでいます。
その北側回廊の最初の地点にあるのが、こちらのサン・ラファエル(旧サン・ヴィダル)礼拝堂です。 -
現在の聖ラファエル礼拝堂は、18世紀に聖ヴィダルと聖アンナに捧げられた礼拝堂の移転に伴い、空っぽになった壁を埋めるために作られたって、説明書きには書いてありましたが、これって聖ラファエルに失礼じゃないかしら?
細かい彫刻が施された木の祭壇は、装飾過多ではありますが、落ち着いた色合い故、ごてごてにはなっていません。聖ラファエルも居心地が良さそうでした。 -
美しい鋳鉄のフェンスは、旧聖ヴィダル礼拝堂時代の16世紀からの物です。
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この黒い説明板に「秘密の通路」と書いてあったので、好奇心を掻き立てられました。
実は聖ニコラス、ヴェラダ、聖ラファエル、聖アントリンの各礼拝堂の下に13mにも及ぶ秘密の通路があるのが発見されたんですって! 17世紀に至るまで城壁と要塞を兼ねていた大聖堂の事ですから、これまでにも次から次へと秘密の隠れ場所や通路が見つかっていますが、こちらはその最新の発見だそうですよ。 -
お隣の「聖心の礼拝堂」の入口は、通せんぼがしてあったので、諦めます。
ここは旧ヴェラダ礼拝堂と呼ばれていた場所で、フロアーマップで見ると、後で増築されたことがわかる、回廊部分から突き出した造りになっていました。19世紀まで完成しなかったと説明には書かれていました。 -
そのお隣のバーリの聖ニコラス礼拝堂です。中央にはルネサンス期に制作されたニコラスの大きな祭壇画が捧げられていました。
-
この礼拝堂の見ものは、祭壇に向かって右隣りにあるこちらの墓碑。1292年に亡くなった司教エルナンドの墓には、天使に導かれて、死者の魂が天へと上って行ったことを示す彫刻が彫り込まれていました。
これは大変珍しい! 写真小さいからわかるかなあ・・・司教はまるでさなぎのようになって、天へと導かれたようですよ。 -
祭壇に向かって左側の墓碑です。アーチを支える柱が途中で切れているデザインはお初だわ!
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次の聖ヤコブ(サンティアゴ)の礼拝堂は、祭壇がどちらかと言うと苦手な「磔図」だったため写さず、一つ飛ばして大聖堂の最深部 主祭壇の真後ろにある「恵みの礼拝堂」にやって参りましたよ。
性能が悪いカメラなので、「聖母子」のステンドグラスを主にしてと頑張りましたが、この程度にしか写りませんでした。がっかり・・・
1496年にアヴィラのマスターによって作られた、イスパノーフラメンコ・スタイル(スペインとフランドル地方の芸術が融合した様式)の祭壇です。アヴィラのマスターは画家ガルシア・デル・バルコと同一人物ではないかと言われています。 -
祭壇中央に古くから多くの祈りが捧げられてきた祭壇画「恵みの聖母」がありました。宗教は異なりますが、慈悲深い観音様のように見える聖母の姿です。
祭壇は全部で5枚の絵から成り立っていて、「恵みの聖母」の左右には、「受胎告知」、「聖誕」が描かれていました。観音開きの扉の中には何が収められているのでしょうね。
ここには、大聖堂で最も古い墓があります。碑文によれば、司教ドン・サンチョ2世は1181年に亡くなっています。 -
イチオシ
主祭壇の周りをぐるっと一周できるアンブラトリー(回廊)は、こんな感じに続いています。天井の斑点のある石と、それを支えるヴォールトと林立する柱が迷宮のような雰囲気を醸し出しています。とても素晴らしい。
この辺りでは、斑点のある石は一層赤みを増して、怪しい色を放つのです。 -
前述の、恵みの聖母がいらっしゃる礼拝堂と向き合うあたり、主祭壇の真裏部分に、アロンソ・フェルナンデス・デ・マドリガルまたはエル・トスタードとして知られる15世紀の司教アロンソ・トスタード・イ・リベラの巨大な墓碑があります。
ここは大聖堂で最も古い部分で、これはトラサルタールtrasaltarと呼ばれていました。
5つのパネルから構成されるこのモニュメントは、この大聖堂ではクワイア、主祭壇に続いて三度目の登場となるおなじみの彫刻家ヴァスコ・デ・ラ・サルサの作品で、スペインルネサンス彫刻の壮大な作品の一つとされています。
ビックリが連続のアヴィラ大聖堂ですが、期待を上回るモニュメントのオンパレードに興奮冷めやらずと言ったところ。 -
イチオシ
正面に見えるのが、司教アロンソ・トスタード・イ・リベラ自身の肖像がある墓碑。その背後には「東方三博士の礼拝」のトンド、そして上方には「聖誕」のレリーフがありました。
司教は身をややかがめて、目を閉じ、瞑想をしているように見えます。 -
そのほかの4面には、下段に4人の福音記者たちのレリーフが彫られていました。
こちらは左側がマルコ 右側がルカ。 -
左側マタイ 右側ヨハネです。
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少し大きなサイズで一人ずつもう一度。
マタイ アトリビュート(その神格や人物を表すのに不可欠とされる特徴や持物)は人、あるいは天使です。ここでは天使ですね。
トンドの中の絵は聖ジョージのドラゴン退治かなあ。彩色が施されていますよ。 -
ヨハネ。アトリビュートは鷲。
トンドの絵はサンチャゴ・マタモロスと呼ばれています。848年、天から白馬に乗った聖ヤコブが飛び出してきて、イスラム軍と戦い、マタモロス=ムーア人殺しと呼ばれるようになったエピソードが描かれています。
聖ヨハネの姿、あまりに初々しいので、更にズームしちゃいました。 -
イチオシ
じゃ~ん!
うっとりでしょう。少年のように愛らしい!!! 一心不乱に福音書を作成中です。 -
マルコ。ご存知ヴェネツィアの守護聖人。アトリビュートはライオン。
トンドの中は聖エウスタキオ。異教の信者だったローマ人プラチドは、ある日森の中で狩猟中に、1頭の鹿に会い、人生を変えることになります。鹿は彼にこう言ったのです。「私はキリストである」と。 -
そして最後ルカ。アトリビュートは牛です。
トンドの中は、寒さに震えていた物乞い(この物乞い、実はキリストだった)にマントの半分を引き裂いて渡したトゥールの聖マルティヌスでした。 -
トラサルタールのヴォールトを見上げます。暫し言葉が出てこない位感動。
そして天の父なる神の姿発見! どこにいらっしゃるかわかります? -
礼拝堂巡りに戻ります。恵みの礼拝堂のお隣は、福音記者聖ヨハネに捧げられた礼拝堂でした。ここにはかつてヨハネの祭壇があったのですが、1966年に撤去されたそうで、今はご覧の通り、二つの墓のみが残されていました。
14世紀にアヴィラの司教だったドミンゴ・スアレスと、その家族の墓です。 -
祭壇替わりなのがこちらのヨハネに捧げられたステンドグラスです。どう見ても新しい感じがしますが、窓は13世紀のものだそう。
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福音書を執筆する聖ヨハネの姿。先ほどの少年とは大違いのおじいちゃんでした。
製作者によって、こんなにイメージが異なる人も珍しいのでは? -
墓だけの礼拝堂を再びすっ飛ばして、次なるは聖母被昇天の礼拝堂です。ここにも祭壇に向かって左側には司教の、右側には騎士の墓がありました。甲冑を付けたまま眠りについている騎士の姿がとてもリアル。彼の足元には、兜に頬杖をついて眠りこけている人が!
中央にはフランドル地方の影響を受けた絵画9枚で構成される祭壇が置かれていて、聖ミカエルに捧げられています。
あ~ 高いところにお立ちの司教様の名前は、調べましたがわかりませんでした。 -
中央の1枚に聖ミゲル(ミカエル)が剣を振り上げている姿がありました。いつもの藍てルシファーではなく、怪物のようですよ。
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アンブラトリー最後は、洗礼者聖ヨハネの礼拝堂でした。ここは、見るからにアラブの影響を受けた装飾のある大きな門が中央にぽっかり穴を開けていて、礼拝堂と言うより通路のような印象を受けました。
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左側の祭壇に右手を高く上げている洗礼者聖ヨハネの姿がありましたが、彼のいる祭壇以外は、キリスト教の教会と言うよりもモスクの雰囲気。壁面は絨毯のような幾何学模様の装飾で覆われていますよ。
門の奥は、果たして・・・ -
ロマネスク時代には聖具室だったところだそうですよ。現在は壁に絵が1枚、少しの調度品と、木で作られた大聖堂の模型が置かれていました。この模型を見て、今どこにいるのかが確認できました。
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壁にはグイド・レーニの「ゴリアテの首を持つダヴィデ」がかかっていました。レーニは好きな画家の一人です。本物はルーブルにありますので、これは勿論複製。
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この先、右側のプラテレスコ様式の扉をくぐると、今度は宝物室、またの名「幕屋の礼拝堂」へと導かれます。扉の上には、ヘロデ王に捕えられ、二重の鎖でつながれた聖ペドロを、神の使いが解放する場面のレリーフが描かれていましたが、これは初めて見る構図で、興味深かったです。
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宝物室には、ロマネスク時代の狭い窓が一つ。そして・・・
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反対側の壁にはでーんと金ぴかのアルマリオロと呼ばれる戸棚? が置かれていました。これは16世紀にオランダのコルネリアス(クワイアを設計した人)によって作られたもので、中央の扉部分にはマルコス・ピニーリャによる聖ペドロの「牢獄からの解放」に関わる4枚の絵を、棚の上にはアヴィラのマスターによる聖ペドロ像を見ることが出来ます。
宝物室は聖ペドロの庇護のもとにあったようですねえ。
それで、宝物はこの中に収められていたのかしら? -
金ぴかの戸棚の横にあったのは、う~ん、どう見ても、あの蛇口から出てくるのは、「聖なるキリストの血」ですね!
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この部屋で注目すべきもう一つの点は天井です。美しいリブ・ヴォールトの1本1本が金メッキされていました。いまだに光を放っています。一面金ぴかよりずっとこちらの方がオシャレですねえ・・・とまた日本人的発言をしてしまいます。15世紀の制作だそうですよ。
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この宝物室(幕屋の礼拝堂)の先にもう一つ礼拝堂がありました。こんな奥まったところに何故? と言うようなロケーション。
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「聖ベルナベの礼拝堂 聖具室」と書かれていた、正方形の大きな礼拝堂です。
ここには、1555年頃、イシドロ・デ・ヴィリョルドの制作による大きなアラバスター製祭壇がありました。 -
イチオシ
「キリストの鞭打ち」、「この人を見よ(エッコ・ホモ)」の場面の他、聖ベルナベ、聖アンドレ、聖パブロ、寓意像等が隙間なく彫られています。背景の部分にもトレドの象嵌細工を思わせる精巧な幾何学模様が彫りこまれていました。
一番てっぺんにある「キリストの復活」は、最初祭壇の一部かと思いましたが、質感が異なるのでよく見たら、全くの別物でした。こちらは釉を塗った木像です。
全ての柱、そしてリブのトラスにもびっしりと細かい紋様が刻まれているのを見て、口あんぐり、再びです。 -
礼拝堂並びに聖具室 とも書かれているので、ご覧の通り祭壇の周りは18世紀の豪華な箪笥が並びます。右側のアーチ型の扉の奥にも、お宝が眠っていそうですよ。
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ここで行き止まりと思いきや、左へと進む道があって、Libreria del Cabildo カビルドの図書室と書かれたムセオ(博物館)になっていました。15世紀末に建てられた長方形の部屋で、二つのセクションに分かれています。16世紀末には本来の機能を失い、全ての本は売られ、17世紀には礼拝堂として使用されていたようです。
ここでまず目にしたのはこちらのレリーフ。キリストの洗礼です。 -
沢山の宝物が展示されていましたが、一番役に立ったのは、またしてもこちらにある木の模型です。大聖堂とその外側に突き出した半円形をしたシモロ壁、左手前の大回廊(クラウストロ) などがこれを見て良く分かりました。
今いるのは、クラウストロの右側、手前に伸びてきている少しカーブした屋根辺りです。 -
カビルドの図書室の全体像です。中央にひときわ目立つ銀色に輝く聖遺物容器は、祭礼に使われるものかしら? 1571年にファン・デ・アルフェによって作られたもので、典型的なルネサンス期の特徴がみられるそうですよ。
ここにある展示品を全部見ていくときりがないので、ほんの一部だけ紹介しますね。 -
まずは、聖ベルナベ礼拝堂からの出口のところにあった、こちらの石の扉です。こちらもヴァスコ・デ・ラ・サルサの作品とされています。周りが赤い幕で覆われているので、え~? なんでここに? と言う感じ。ちょっと違和感ありますねえ。
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大好きな「受胎告知」も入れてしまおう・・・これにも、イスパノ・フラメンコ、つまりフランドル地方の影響がみられるそうです。
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17世紀にここを自分と家族のための礼拝堂とした、ドン・ディエゴ・デ・ブラカモンテの墓碑と・・・
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その弟で枢機卿のフランシスコ・ダヴィラ イ・グスマンの墓碑です。
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18世紀の祭礼用の法服コレクション
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無原罪の御宿りの豪華な金メッキの祭壇。
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ペドロ・デ・サラマンカの手による十字架、聖母、聖ヨハネは1550年の作。
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ゴシック様式のレリーフ3点。イギリスを起源とするアラバスター製のレリーフだそうです。初めて見ました。
サクサクっと回って(これでも? って言わないで!)、お次のクラウストロ=回廊 へと進みました。サクサクっとですよ。サクサクっと! -
現在の回廊は、18世紀にアーチの間を漆喰でふさいでしまったのを1980年代に元の姿に復元し、更に全面ガラス張りを施したもので、半透明のブラインドのようなものまでぶら下がっていました。
クラウストロが造られ始めたのは14世紀ですが、ペドロ・デ・ヴィニェーグラやヴァスコ・デ・サルサらによるプラテレスコ様式の装飾が完成したのは16世紀の事でした。 -
クラウストロの一部も博物館仕様になっていました。奥に見えるのはクラウストロに三つある礼拝堂の一つ、「洞窟の礼拝堂」です。大司教ドン・ペドロ・ダサにより、1520年から20年かけて建設されました。
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フェンスの中の洞窟の礼拝堂です。洞窟らしきものは見当たりませんねえ・・・
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この礼拝堂も、天井に斑点のある石が使われていて、大変綺麗でした。リブヴォールトの装飾も手が込んでいます。
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実は、何を隠そう、一つ前の旅行記で大聖堂にたどり着くために通った小道に面していたのが、こちらの礼拝堂でした。
これが外観です。私見上げながら外壁にあるレリーフの像について、何か呟いていましたよね。これらが、生と死の寓意像だということを、ついさっき知りました! -
回廊から見た大聖堂の身廊南側部分。ファサードの一部にもなっていた塔が少しだけ見えていますね。
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途中にあった聖人像。傍らにいるのは犬かしら?
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これは南翼廊部分かな・・・
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このお墓、綺麗に修復されていて、下に真新しい墓碑があるので、読んで見たら、なんと2001年と2014年に亡くなったアドルフォ・スアレス・ゴンサレス夫妻のお墓でした。現代の世の中でも、大聖堂内に葬られたいと願う人々がいるとそれが叶えられるんだと分かり、衝撃を受けました。
クラウストロの他の二つの礼拝堂はどうやらすっ飛ばした模様。 -
壮大なる主祭壇前に戻って参りました。まだ見ていない南翼廊の礼拝堂巡りを続けましょう。あともう少し!
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ここは先ほど見た、アンブラトリーの南端にある聖母被昇天と洗礼者聖ヨハネの礼拝堂の間ですね。
今回は礼拝堂を仕切る束ね柱に注目。スパイラルと蛇のような柄が金メッキされていました。ここから礼拝堂巡り再スタートです。 -
旧聖ブラシウス礼拝堂は1964年からアヴィラの聖テレサ礼拝堂と名前が変わっています。テレサ像を設置した際に、祭壇奥の壁に何世紀も隠されて来たフレスコ画が見つかったという話です。
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聖テレサ像は多色遣いの木像です。こうやって写すと、少しだけフレスコ画のフラグメントが浮かび上がって見えてきますね。
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この礼拝堂には、ご覧のような墓のくぼみ(アルコソリオ)が3つ並んでいました。
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こちらが3つ目の墓。前の2つと異なり、ここには横たわる人物像が置かれていませんが、一説によると15世紀にこの大聖堂の工事を指揮した司教サンチョ・ブラスケス・ダヴィラの墓ではないかと言われています。
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お隣の聖イルデフォンソの礼拝堂にやって参りましたよ。
祭壇は、14世紀イタリアの影響を受けたゴシック様式で、二段三面構造になっていました。上段中央はキリスト磔図。その左右は聖誕とマリアの母聖アンナ。下段は中央が聖セバスチャン。左右には聖ペドロ、聖パブロの姿がありました。 -
ここにも立派なアルコソリオが並んでいました。こちらは祭壇のすぐ右側にあったもの。自身の紋章と蔓性の植物模様を合わせたデザインで、非常に丁寧に細工されています。
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こちらは、この礼拝堂のパトロンでファン2世の側近だったペドロ・ゴンサレス・デ・ヴァルデラバノの墓。彼は1465年に亡くなっていて、この墓は1468年頃の制作。
興味深かったのは、前面に見えるトレド産の黒い石を使った部分。中央に大急ぎで走っているようにアダムとイヴの?姿がありますよ。エデンの園から追い出される姿かしら? でもなぜ墓碑に?
ここにも死者の足元に頬杖をついている人発見! -
一寸ズームしてみました。
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そしてこちらは1478年に亡くなった大聖堂主任司祭 アロンソ・ゴンサレス・デ・ヴァルデラバノの墓。豊かな装飾が目を惹きます。ヴァルデラバノが横たわるアルコソリオの背景にはピエタのフレスコ画。
こちらもやはり注目は、前面の黒い石の部分です。ヴァルデラバノ家の紋章を抱えている2人の人物は、全身毛むくじゃらです!! ギリシャ神話かいな? それともうろこ?
この謎は、後程大聖堂ファサードを見た後で解決します。 -
墓の傍らには、番犬?
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反対側にも!
永久にご主人の傍を離れません。 -
再び身廊の中程、三廊式の側廊部分にある障壁に注目してみました。こちらが、初めに見た北側の障壁。壁は90度の角度で身廊側に続いています。間違っていたらごめんなさい。1755年のリスボン大地震後に作られた壁と言うのは、この障壁のことですよね?!
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そして、こちらが反対側、南側の障壁です。微妙にアーチの幅が違っていることに気が付きました。
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南側障壁のステンドグラスです。ここは確か、1930年にステンドグラスでは定評のあるフランスのモーメジャンMauméjean社がオリジナルへの復旧を行った窓だと思います。素晴らしいですね!
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お次は、行きも気になって撮ったのですが、聖マルシャルの礼拝堂というだけで、何の説明もない、ぽつんとあった祭壇の写真をどうぞ。ゴシック・ルネサンス様式で、プラデッラを含めて中々良く描けていると思うのですが、如何でしょう?
中央の人物が聖マルシャルでしょうか? もし、それで間違っていないのなら、彼は3世紀の人で、「ガウルの使徒」または「アキテーヌの使徒」と呼ばれ、フランスはリモージュの最初の司教だった方です 。 -
大聖堂内に入って、最初の方に写した場所に戻って参りました。このアーチの先にはクラウストロがあるので、ここが、最後の最後、聖アンデレの礼拝堂となります。
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ここは通路と言った方が良い場所で、通常の礼拝堂にように仕切られてはいません。クラウストロに出るアーチに向かって右側に祭壇と絵が掛けられていました。
描かれている人が聖アンデレかどうかは分かりませんが、殉教者である証、ヤシの葉を携えていました。手前にずらりと並んでいるのは、ローマ建築の屋根の内側によくある花の装飾に見えるのですが、残念ながらこれについても何の説明もありませんでした。
これでようやく主要な礼拝堂巡り終了。驚きと喜びに満ちた、有意義な時間を過ごせましたよ。なんと1時間40分もここにいた計算になります。 -
ということで、大聖堂の外に出たとたんにご対面! 先ほど見たばかりの、1478年に亡くなった大聖堂主任司祭 アロンソ・ゴンサレス・デ・ヴァルデラバノの墓に彫られていた、あの毛むくじゃら(あるいはうろこ)男たち。ここにいたんだ!
と言うわけで調べてみましたよ。
で、この二人は、ゴグとマゴグと呼ばれる神に逆らう勢力(イスラエルを攻撃する野蛮人)で、黙示録の20:7-8、エゼキエル38-39、そしてコーランにも登場するのだそうです。どうしてそんな人達が大聖堂の入口でガードマンのような役目をしているのでしょう?
二人を設置した建築家フアン・グアスの意図は定かではありませんが、20世紀になってからのスペイン王立アカデミーの見解によれば、「彼らは寺院、神聖な場所を守護し、保護する機能を果たすとされる。ここを訪れるすべての人々の本能に基づく破壊、憎しみ、裏切りなどの行動や心を取り除き、敬意、寛容と慈悲の心を持たせてこの扉を潜らせるのが、彼らの役割」なのだそう。
うう~ん 分かったような、分からないようなですね・・・
そう言えば、一つ前の旅行記で訪れたペドロ・ダヴィラ広場にあったダヴィラ宮殿覚えていますか? ゴグとマゴグってあのファサードにあった2人の鎖で繋がれた奴隷にも似ているような気がするんですだけれど・・・気のせい? -
オリジナルの扉は、13世紀末から14世紀初頭にかけて作られ、建築家フアン・グアスが1470年頃北側に移築し、現在は北扉と呼ばれていることは前述しました。ゴグとマゴグが1478年に亡くなったヴァルデラバノの墓に浮き彫りにされているということは、1470年から10年位の間に、この扉が完成したことになります。
グアスは後期ゴシックを主とした様式で建造しましたが、18世紀に様々な様式を用いて大々的に改修が行われた結果、彼のオリジナルの範囲がどこからどこまでだったのか、分からなくなってしまったようです。
半円形のアーチの上のティンパヌムにはアヴィラの町の守護聖人聖セグンドの殉教の場面が描かれています。これは一寸小さすぎて、分かりにくいかもねえ・・・ -
その上の部分をズームしてみました。8本の細い柱の柱頭部分と、柱と柱の間には、沢山の「顔」が並んでいますよ。
上段で目立つのは、中央の大天使聖ミゲル(ミカエル)ですね。 -
「ファサードは2本の塔に挟まれている」と言う説明を読んだ時に、よく理解できなかったのですが、実はこの右側に見える塔は未完成なのだそう。
せめて、左側と同じ高さまで完成していてくれたら、こんなにアンバランスなファサードにはならなかったのですがね。中途半端な高さで工事が中止になってしまい、ちょっと残念なファサードと言う印象をぬぐえません。 -
大聖堂西側扉と広場を挟んでいたのは、こちらのヴァルデラバノ宮殿。聞き覚えあるでしょう。そう、例のゴグとマゴグが彫られた墓に眠っていた方が住んでいた14世紀の建物です。1971年以降は四つ星ホテルに変身中。
ファサード扉の上には、中央に騎士、周りに毛皮のついたヘルメットや紋章、碑文の書かれたリボンなどが置かれているレリーフが彫られていました。 -
さて、大聖堂と言えば、ライオン像がつきものですが、アヴィラの大聖堂の場合、ご覧のように、正面扉以外にも、広場には立派な土台付ライオン像が沢山見られました。
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右か左を向いているライオン像が殆ど。大聖堂の周りをぐるっとガードするように配置されていましたが、不思議なことに、このライオン像に言及している解説を見つけることが出来ませんでした。意外と新しいのかもねえ・・・
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ライオンたちに誘われて、西側ファサードから北側へと歩いて行きます。
ほーら、ライオン君達大聖堂のガードマンみたい。 -
あらあら!
この先もずっと、ライオンたちは一定間隔でにらみを利かせているようですよ。 -
スペインらしい街路灯と、なかなかセクシーなお尻が並びます。
通りの左側にある建物はヴェラダ宮殿。15世紀末から16世紀初頭に建てられた建物で、コーナーに紋章がついた塔が特徴的です。こちらもホテルになっていました。通りを挟んだ向かい側は現在郵便局となっていますが、壁の色が異なる左端部分は、かつて司教が住まいとしたレイ・ニーニョ宮殿の名残だそうですよ。 -
最後はやはり顔を写してあげないとね。
いかがですか? 大聖堂を護っている、誇り高きライオンと言う面構えしてますかね? -
最後にたどり着いたのが、こちらの北側扉です。思いっきりゴシックですねえ。作られたのは1300年頃。左右に12使徒が並んでいるので、別名「使徒の扉」とも呼ばれています。
この扉は西側にかつて存在していたポルティコの内部にあったそうですが、現在の扉口は移設元より幅が狭かったため、ファン・グアスが苦労して移設したと思われます。弓なりになっている扉上のアーチボルトは5本分のスペースしかなく、2人分の使徒の居場所の確保が困難だったからです。
しかし、なんとか移設に成功。それから700年の風雪に耐え、非常に良い状態で保存されていました。 -
イチオシ
アーチボルトの内側のティンパヌムは三段に分かれています。
上段には「聖母戴冠」の場面、中段には「最後の審判」、下段には「キリストの受難」のレリーフが彫られていました。とっても細かい! このうちオリジナルは上段と中段中央にある審判を行うキリスト像のみだそうです。
左右のスパンドレルには「受胎告知」の像がありましたが、経年劣化によって、後で写真を拡大するまで確認できませんでした。 -
丁度この北扉の真向かいには、道を挟んで、またまた味わい深い門が立っていました。12世紀に作られたレイ・ニーニョ宮殿のオリジナルの門だそうです。この門は大聖堂門とサン・ヴィセンテ門の間のアヴィラ城壁の延長線上にあって、その開閉については、宮殿の所有者、つまり大聖堂の司教に託されていました。
前述の通り現在宮殿は郵便局の一部となっていて、この門のみが残っています。右側は公立図書館です。 -
そして、図書館のすぐ先に城壁が見えていました。アヴィラの城壁内が本当に狭いことを実感しました。
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大聖堂門を出て見に行ったのは・・・
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大聖堂のシモロ壁です。
本当に半円形に壁の外側に突き出していましたよ! -
中央に見えるアヴィラ城壁に9つある門の一つ大聖堂門からほんの数mの距離です。蛇足ですが、この門はオリジナルではなく、16世紀に開かれた門とのことです。
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アヴィラ城壁は1090年頃から建設が始まっていましたが、大聖堂が最初に作られた1160年~80年頃にも、同時並行で建設が続けられていたようです。シモロ壁の部分は特に強固で頑丈な造り。14世紀には更に外側部分に今見えている縦の補強柱工事を行い、戦争にも耐えうる強度にしました。
シモロ壁の先に見えているのが、大聖堂で訪れなかった唯一訪れなかった聖セグンド礼拝堂です。 -
大聖堂の回廊アンブラトリーの礼拝堂巡りの際、福音記者聖ヨハネ礼拝堂の次にあった聖エステバンの礼拝堂を通って、1596年になって新しく建てられた聖セグンド礼拝堂に行く通路があったのですが、私は全く気付かずに素通りしたようなのです。ここまで来てそれに気づいて愕然としましたが後の祭り・・・トホホです。
聖セグンドの聖遺物は長い間、アダハ川沿いの小さな礼拝堂に安置されていましたが、時のアヴィラ司教ヘロニモ・マンリケ・デ・ララは聖人のための新しい礼拝堂を建て、聖遺物を大聖堂へと移したいと考えました。 -
依頼を受けた建築家フランシスコ・デ・モラは、城壁外からアクセスできる礼拝堂を建設し、1615年に完成。それがこの聖セグンド礼拝堂です。
階段の上に見えているのが、礼拝堂の小さなファサードです。シモロ壁の前の通りは、この礼拝堂のあることからサン・セグンド通りと名付けられていました。 -
サン・セグンド通りで、アヴィラの美味しい名物を見つけましたよ!
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Yemas de santa Teresa 聖テレサのジェマス という、甘くて卵の黄身とシナモンがふんだんに使われたお菓子で、聖テレサを敬うために考案されました。お土産にと思ったけれど、1つ試しに買って食べてみたら、私的には甘すぎ! なので、店にあったアーモンドとピスタチオのクッキーをお買い上げ。これはバッチリ! サクサクで美味でした。
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甘いものを食べて一服したら、なんだか急に疲れがどっと出てしまい、寒さのせいもあって、マドリッドに戻りたくなりました。まだ4時半なのに、根性なかったね。
サン・セグンド通り沿いのカフェも、寒いのでお客さん一人も座っていないわ。 -
上の写真のカフェの先から急に折れ曲がる城壁と、それに続くサン・ヴィセンテ庭園です。
ほれぼれするほど美しい城壁ですねえ! -
熱い湯や油を敵に振りかけるバルコニーも完備していますよ。
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帰りのバスはサン・ヴィセンテ教会前のバス停から駅に向かいます。
そうそう、サン・ヴィセンテ教会に寄ろうとしたのですが、すぐにバスがやって来て見損なってしまいました。いずれにしても外観だけで、開いている形跡は全くなしでした。時間があればぐるっと一周したかったな。 -
1番のバスでアヴィラ駅までスムーズに移動。
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帰りはマドリッドまで1時間40分と、行きの普通列車(2時間)とあまり変わらないのに、一応「急行」と銘打ってあって、運賃も結構高くつく列車でした。列車の座席や内装が幾分綺麗だったような記憶。
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おお~ チャマルティンに近いトーレ・クワトロ・ビジネス・エリアのビル群が見えて来たぞ~
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と言うわけで、今日も無事に終了。アヴィラ大聖堂にゆったりまったりな1日でした。この続きは、な~んちゃって、コンポステーラへの道 その7エル・エスコリアル&マドリッドで。
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