2018/11/04 - 2018/11/04
41位(同エリア392件中)
吉備津彦さん
石垣マニアには堪らない天空の山城です。石垣を造ったのは千姫事件で有名な坂崎出羽守。彼は宇喜多秀家嫌いの家康の命令で改名させられましたが彼は宇喜多秀家の従兄弟で宇喜多詮家なんです。出羽守は津和野城を大幅に改築して近世の城郭にしました。城下町に堀を巡らしたため蚊が発生するのを防ぐ目的で鯉を放流することを奨励したのも出羽守です。殿町の鯉の恩人とも言えますね。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.0
- 交通手段
- 自家用車
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リフト利用者専用駐車場
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熊が出没するそうです。
注意して下さい。 -
リフト
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津和野町城跡観光リフト券
往復450円 -
リフトの説明板
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リフト
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リフトに乗って城跡を目指します。
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イチオシ
荒々しい石段
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石垣がある城跡までリフトを降りてから15分ほどです。
城の最高所「三十間台」から城下町津和野を一望でき、眺望が素晴らしいです。 by 吉備津彦さん津和野城跡 名所・史跡
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石垣の一部が崩落してシートが被せられていました。
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石垣
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イチオシ
高く組まれた石垣
城の最高所「三十間台」から城下町津和野を一望でき、眺望が素晴らしいです。 by 吉備津彦さん津和野城跡 名所・史跡
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坂崎出羽守が関ヶ原の合戦後津和野に封じられた後大幅に城を改築しました。
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坂崎直盛が3万石(後に加増され4万3468石)で入城し、城の大改修を行いました。大手門の位置を吉見氏時代の搦手側に改め、出丸や織部丸を築きました。この時、二の丸に天守を築きました。直盛は元和2(1616)年に千姫事件で自害(または家臣に殺されたとも)し、坂崎氏は改易となりました。この事件によって、悲恋の人として語られているようです。坂崎氏は、新田開発や灌漑用水路の建設など、津和野の町の基礎をつくった名君だったそうです。
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元和3(1617)年因幡国鹿野藩より亀井政矩が4万3千石で入城。以後、明治維新まで11代にわたり亀井氏の居城となりました。貞享3(1686)年、城は落雷にあい火災が発生し、この際に天守も焼失し、以後再建されることはありませんでした
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西側の張り出し部、馬をつなぎ止めていた「馬立(うまたて)」、石列の排水機構跡が残る「台所」がある。また、台所の奥(西側)には「海老櫓」があり、搦手側を見張っていた。
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天守台下の石垣
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イチオシ
頂上に当たる三十間櫓からの眺望
津和野の城下町が眼下に広がります。城の最高所「三十間台」から城下町津和野を一望でき、眺望が素晴らしいです。 by 吉備津彦さん津和野城跡 名所・史跡
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頂上に当たる三十間櫓から「南門櫓」方面を望む
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リフトを使わずに訪問しようとすると急峻な登り坂で40分くらいかかるそうです。
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柵ぎりぎりから取った1枚
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下の線路はSLが通る山口線です。
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頂上に当たる三十間櫓
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「太鼓丸」の石垣
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頂上に当たる三十間櫓の石垣
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「太鼓丸」の石垣
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重厚な石垣
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石垣マニア垂涎の石垣が続きます。
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天守へ向かう急坂道 上から撮影
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下から撮影
城の最高所「三十間台」から城下町津和野を一望でき、眺望が素晴らしいです。 by 吉備津彦さん津和野城跡 名所・史跡
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三十間台の西側には、坂崎氏時代に三重天守が建てられた「天守台」がある。
ここが天守台です。 -
津和野城の本城(本曲輪)は比高200メートルの山頂に築かれた。坂崎氏時代に山頂が削平され、石垣や天守を備えた近世城郭となった。
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銀杏のが黄色くなっていました。
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「南門」
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「南門櫓」から観た本丸石垣
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イチオシ
「南門櫓」から観た本丸石垣アップ 家族連れの観光客がいました。
城の最高所「三十間台」から城下町津和野を一望でき、眺望が素晴らしいです。 by 吉備津彦さん津和野城跡 名所・史跡
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麓から眺めた石垣
まさに天空の城跡です。
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