2018/10/21 - 2018/10/21
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lion3さん
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サラエボは第一次世界大戦の契機となったサラエボ事件、また旧ユーゴからの独立でのボスニア紛争とあまりいい歴史のイメージはありません。ただそれを含めての見ていくことがサラエボの観光のように思います。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
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サラエボの南の郊外には
ボスニア紛争で破壊された鉄道橋の跡が残っています。
本来は撤去などの何らかな対応がされるはずですが、
そのまま放置されています。 -
このようなボスニア紛争の傷跡が各地に残っています。
-
ボスニア・ヘルツエゴビナの国旗などです。
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サラエボの市街地を東西に走るメイン通りです。
片道3車線で、中央部にはトラムも走る道です。
この通りはスナイパー通りと呼ばれています。 -
ボスニア紛争時にサラエボの街を支配したセルビア軍が
建物上などから通りを歩く人や通りを走る車に対して
無差別にライフル狙撃をおこなったという場所です。
多くの死傷者が出たということです。 -
現在は多くの車が走るメインの通りですが、
スナイパー通りという
冗談のように思える歴史があることに驚きがあります。 -
通りからはサラエボ中央駅前に建つ
サラエボで最も高い高層ビルが見えます。 -
時期的に紅葉も見られます。
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黄色い外観のよく目立つ建物ですが、
ホリディインホテルサラエボです。
ボスニア紛争時には
このホテルに各国のジャーナリストが宿泊し、集まり、
報道していた場所です。 -
横にはショッピングモールもあり平和な感じです。
現在のサラエボの人口は50万人ほどです。
地図を見るとサラエボの町はずれや住宅地などに
不思議な線があります。
ボスニア紛争の停戦後、
セルビア人勢力とクロアチア人、イスラム教の2つの勢力は
それぞれ別の自治区を形成し、国境の線引きがされています。
サラエボは2つの勢力、居住地が複雑にかみ合っているので、
複雑な線引きになっています。 -
教会もあります。
都会では複雑な線引きがされていますが、
地方ではここはセルビア人自治区、
ここはイスラム教、クロアチア人自治区という風に分かれています。
おもにボスニアヘルツェゴビナの
北部、東部はセルビア人共和国の自治区になっています。
面積的にはセルビアが49%、クロアチア、ムスリムが51%の割合です。 -
ボスニア紛争での銃撃跡が残されているビルがあります。
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旧市街のすぐ東側にある
オーストリア統治時代には市庁舎であった建物です。
その後は図書館として使われていましたが、
ボスニア紛争で徹底的に砲撃されて蔵書は消失しています。 -
旧図書館のすぐ前にはミリャツカ川です。
この橋のひとつ下流側にある橋がラテン橋です。 -
フェルデイナント大公はここからラテン橋へと
進んでいって撃たれています。
ラテン橋まで距離は100mほどです。 -
サラエボの最初の街(旧市街)であるパシチャルシアです。
ミリャツカ川沿いにある街で、
横幅300mほど、縦が100mほどの街です。 -
サラエボはオスマン帝国が
ボスニア地方を支配するために築いた街です。
1463年にボスニア地方はオスマン帝国の領土になっています。
1461年にほぼ何もないところに
オスマン帝国はサラエボの街を造っています。
ボスニアの地はオスマン帝国の一番西にあたり、
神聖ローマ帝国とも接する前哨地になります。 -
サラエボはサライ(宮殿、邸宅)が多くある街ということで、
サラエボと呼ばれています。
サラエボは周りを山に囲まれた盆地にあり、
少ない平坦地に街は造られています。
街を造るにはミリャツカ川の水運は魅力があったと思われます。 -
トルコらしい水飲み場(セビリ)があります。
19世紀頃までのサラエボの人口は1万人ほどで、
当時の人口の半分はユダヤ人であったようです。
1492年のスペイン追放で
ここに入植してきています。
トルコ人にとり、周りはスラブ人(セルビア人)ばかりなので、
ユダヤ人を受け入れやすかったのでしょう。 -
旧市街(パシチャルシャ)はトルコらしい
雰囲気が味わえるサラエボの最大の観光スポットです。 -
旧市街にはモスク、メドレセ、ハマム、バザールなどの
トルコらしいものが多くあります。
写真はハマムです。 -
旧市街最大のモスクのカジフースレイベイモスクです。
ミナレットは周りからよく見えます。 -
1530年に建設されたバルカン半島で最大級のモスクです。
敷地内へと入ります。 -
モスクには2つの霊廟、横には時計塔もあります。
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モスクに入る前や祈りの前に使う水清め場所です。
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モスクの近くのレストランです。
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ボスニア風の餃子という感じで、中には羊肉のミンチ
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こちらは牛のミンチ
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見上げると時計塔とミナレットが見えます。
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時計塔です。
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バザールです。トルコにでもいるような雰囲気です。
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雑貨類が多いです。
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旧市街(パシュチャルシャ)のすぐ西側には
1900年前後に建てられた重厚な西洋的な建物が並んでいます。
これは1877年の露土戦争でのオスマン帝国の敗戦で、
ボスニアヘルツェゴビナが
オーストリアハンガリー帝国の支配下に置かれ、
1908年に併合されます。 -
オ―ストリアハンガリー帝国の時代の街になります。
線を区切ったように突然街並みが
トルコ風から西ヨーロッパ風に変わります。 -
イエスの聖心大聖堂です。
対の鐘楼の塔をもつロマネスク様式の教会です。
ここはもちろんオーストリアハンガリーの時代に
建てられたカトリックの教会です。 -
イエスの聖心大聖堂。
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教会前の道化師。
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1900年前後の建物は並んでいます。
オーストリアハンガリー帝国時代の建物を見て歩いていると、
1908年のボスニアヘルツェゴビナ併合が
セルビア青年のフェルデイナント大公狙撃へと結びつきそうです。 -
ホテルの建設中に地下から
キャラバンサライ(隊商宿)の遺跡が見つかった場所です。 -
遺跡のためにホテルは端によって建てられています。
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ラテン橋へと向かいます。
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観光案内所。
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ラテン橋です。
1914年にラテン橋のたもとでセルビア人青年の銃が
オーストリアハンガリー帝国の皇太子フェルデイナント大公夫妻を
狙撃しています。
これを契機としてオーストリアハンガリー帝国は
セルビア王国へと宣戦布告します。
第一次世界大戦の端緒となった事件です。 -
橋の袂にサラエボ博物館があります。
サラエボ事件の資料、写真、映像が展示されています。 -
実際この場に立つと
ラテン橋があまりにも小さな橋であることに驚きがあります。
またセルビア人青年の狙撃はほんの2,3mの近距離からの
狙撃でした。 -
また幾多の偶然でおこった事件のようです。
いくらでも狙撃を免れる機会はあったようです。 -
世界史的な事件ですが、この青年はセルビアでは英雄でしょうが、
ボスニアではすでに過去の人のようです。
事件後にセルビア人青年の足型が
モニュメントとして造られていましたが、
ボスニア紛争の時に
セルビア人との紛争もあり、撤去されています。 -
旧市街の周りを歩いてみます。
旧市街(パシュチャルシャ)は中世は城壁で囲まれた街でした。
城壁内にはモスク、メドレセなどが存在しますが、
シナゴーグ、セルビア正教会は城壁外にあります。
これは治安などを考えると当然のことなのでしょう。 -
この通りが城壁があった場所です。
城壁外すぐにセルビア正教会の教会があります。 -
やはりこれも城壁外すぐにあるシナゴーグです。
建物の壁にはダビデの星が描かれています。 -
シナゴーグは現在はユダヤ博物館となっています。
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かつてはサラエボの人口の半分を占めたユダヤ人ですが、
第二次世界大戦中にナチスドイツの傀儡政権であった
クロアチア独立国がボスニアを支配し、
ナチスと同じようにセルビア人、ユダヤ人への迫害、民族浄化などで
強制収容所へ送り込んでいます。 -
セルビア正教会の新しい建物です。
カトリック大聖堂から西へ100mほどの離れた場所です。 -
ハマムです。
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カフェの入口
-
土産物店が並んでいます。
ちょうど、この日の夕方に
ボスニアとアイルランドのサッカーの国際試合があり
緑の服を着たアイルランドから来たサポーターをたくさん見かけました。
昼からビールを飲み盛り上がっていました。 -
1984年にサラエボは冬季オリンピックが開催されています。
旧ユーゴスラビアでは初めての開催です。
旧市街から数キロほどでオリンピックスタジアムがあります。 -
オリンピックスタジアムです。
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市街地が見えますが、
非常に近いです。
盆地という限られた地形のために山の斜面にも家並が見られます。 -
オリムピックの塔にマクドナルドのマークがついていました。
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ボスニア紛争で亡くなった人たちの墓地です。
数万人の人が亡くなり、墓地が不足して
土地に余裕があったオリムピックスタジアム周辺に
墓地が造られています。
真新しい白い墓標が集まっている様子は何か考えるものがあります。 -
旧議会ビル。
ボスニア紛争の時は銃撃、砲弾の標的のようになり
破壊されていましたが、
すっかり修復されています。
当時TVの映像でよく流されていたようです。 -
サラエボのトラムは面白いです。
小さな車両なのですが、新しいものから古いものまで
2つとないカラーリングの車両が走っています。
全部車両の色、デザインが違います。 -
ホテルです。
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フロントです。
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サエエボは盆地にある街ですが、
街はとてもコンパクトで
中央駅、旧市街地、空港、オリムピックスタジアムなどの
主要地点が半径5km以内に入ってしまいます。
コンパクトシテイです。
住んでいる人は住みやすそうに思います。
またトラムもレトロ感がありいいです。
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