2018/07/20 - 2018/07/27
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ポポポさん
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今回の旅行はドイツ、オーストリアアルプスの最高峰と登山列車、ザルツカンマーグートを訪ねる旅です。
阪急交通社福岡支店では初めて催行するツアーでした。数年前に一度催行された「サウンドオブミュージックを訪ねる旅」の一部にドイツ・オーストリアアルプスを加えた旅だと思っていただけると想像しやすいのではないでしょうか。
中でも南ドイツのベルヒテスガーデンにあるケールシュタインハウスはヒトラーの山荘又は「鷹の巣」と呼ばれ、映像の世紀などで目にした方もいらっしゃるのではないでしょうか。
これは初めてのコースなのでモニターツアーだと思うんですがそうじゃなかったんです。そのため費用は若干御高めでした。
現在ロシアの旅行記を作成中ですが、最近頓に記憶が悪くなっているため忘れないうちにと思い、ケールシュタインハウスの旅行記を先に作成することにしました。
とはいえ今回の旅行は最悪のコンデションで参加することになりました。
6月に畑の草取りをするためにしゃがんだ際、右膝に「グシャッ」という鈍い音が2度、3度して痛みが走りました。これは軟骨がすり減る音、それ以降しゃがむ事ができなくなりました。幸い歩く時には痛みがないため、ウォーキングで筋力を付ければ痛みは無くなるとの事。旅行前に歩き込んで筋力をつけましたが旅行一週間前に右手の人差し指を打撲、さらに腰痛がぶり返して旅行2日前から消化不良と散々な状態で出発日を迎えました。
さらに旅行2日目からは欧州の異常気象で雨、雷雨に追い打ちをかけられ今までで最悪の旅行になりました。
いままでこんなにコンデションが悪くなったことはありません。
旅行に行ってはいけないという暗示かとも思ましたが、ヒトラーの山荘は是非訪れたい場所だったので行くことにしました。
ヒトラーの山荘とはどのようなものだったのか、本編をどうぞ。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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7月23日、旅行4日目。
本日の観光は今回のツアーの目玉の一つバイエルン州のベルヒテスガーデンにあるケールシュタインハウス(ヒトラーの山荘)です。
ケールシュタインハウスは地球の歩き方などガイドブックにも載っていない観光地で、オーストリアとの国境近くにあるオーバーザルツベルクのすぐ近くの標高1834mのケールシュタイン山上にあるヒトラーの山荘です
周囲にはドイツで3番目に高いヴァッツマン山やドイツで最も美しい湖といわれているケーニヒ湖がある風光明媚な所です。
山荘からの景色はとても素晴らしく旅行前から期待していた場所ですが、本日の天気予報は雨または雷雨。山上からの景色は望むべくも無さそうです。
昨日のハルシュタットやザンクト・ヴォルフガングはザーザー降りでテンションは下がるばかりです。いつになったらこの雨は止むのでしょうか?
今朝はホテルの隣にある大型スーパーで購入する品の下調べをしておくことにしました。連泊なので買うのは明日の朝にしましょう。
という事で8時半にザルツブルグのホテル「トレンドミッテ」を出発。45分でオーバーザルツベルクに到着する予定です。Four Points Flex by Sheraton Salzburg Messe ホテル
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ザルツブルクからドイツバイエルン州のオーバーザルツベルクに到着。山に上る分かれ道で一旦トイレ休憩。ここで現地のガイドさんを待ちました。
トイレはこの店のトイレをお借りしました。無料でいいよとの話でしたが一人50セント支払いました。 -
店の前に咲いていた高山植物。道路沿いには点々と高山植物が咲いていました。
この店で待つこと約20分、ドイツ人の女性ガイドさんが歩いて来られました。
このガイドさんは日本人ツアー客のガイドは久し振りとのことで気合が入っていました(笑)。また日本語が堪能だったので説明が理解しやすかったです。
さてここでバスに乗車しケールシュタインハウスを目指して出発です。
ここからオーバーザルツベルクのバス乗り場までは時間が少々かかるのでその間にガイドさんからオーバーザルツベルクの説明がありました。
ナチスやドイツ第三帝国の歴史に詳しい方でしたら、オーバーザルツベルクと聞くとピンとくるものがあるのではないでしょうか。
私はケールシュタインハウス(ヒトラーの山荘)しか知らなくて、オーバーザルツベルクという地名とナチスとの関わりは今回初めて知りました。 -
オーバーザルツベルクはドイツバイエル州にある風光明媚な所で避暑地としても有名なオーストリアとの国境の村です。
1928年この地に避暑に訪れたアドルフ・ヒトラーは見晴らし亭と呼ばれていた別荘に宿泊しました。ヒトラーはオーバーザルツベルクの景観とこの山荘を非常に気に入り、賃貸契約を結んで借り受けました。ヒトラーは姉と姉の娘をここに住まわせて管理を行わせ、翌年この山荘を購入し「ベルクホーフ」と改名しました。
ヒトラーが政権を獲得するとオーバーザルツベルクの一帯はナチス党により買収されて行きました。買収が完了するとオーバーザルツベルクとベルクホーフの大改造が行われました。
オーバーザルツベルクにはナチス党高官の別荘が新たに建てられ、ベルクホーフの裏手にあった既存のホテル「ツム・テュルケン」は親衛隊の本部や通信基地として、そして「ペンション・モリーツェ」は警備隊の宿舎や来客用の宿舎として使用されました。
さらに武装親衛隊の宿舎や発電所、弾薬庫、燃料庫、ボルマンの地下金庫、ゴルフ場、地下基地などがあり、これらを結ぶ地下トンネルが多数掘られていました。
ケールシュタインハウスに向かうバスの乗り換え駅「Kehlstein Busabfahrt」に行くまで、これらの場所を案内したいとガイドさんから有難い申し出がありました。通常の観光ガイドではオーバーザルツベルクの観光までは含まれていません。
ガイドさんのご厚意に皆感謝でした。
さて、そういう事でバスはオーバーザルツベルクにあるナチスの根拠地に向かって進みました。
ナチスの根拠地と言っても地下トンネルや地下基地以外はすべて破壊されて残骸しかありません。僅かに発電所の建物が形をいくらか残している程度でした。ヒトラーの山荘「ベルクホーフ」は大本営でもあったため、ここでは歴史的作戦が立案され作戦行動が命じられた建物ですが、イギリスの戦略爆撃機隊の爆撃を受けて大破しました。その後撤退するナチス親衛隊によって火をかけられ、連合軍によって略奪が行われて廃墟になったそうです。
なお、連合軍の略奪は「ベルクホーフ」に限らずこの地域の別荘や山荘などの建物に対して行われたそうです。戦後この山荘および周囲の土地は米軍からバイエルン州に返還されましたが、ネオナチの聖地となるのを恐れた州政府は廃墟を爆破解体し残骸を撤去したため、「ベルクホーク」の痕跡はわずかな石組みの瓦礫のみだそうです。
ここでアドバイス、ザルツブルグからオーバーザルツベルクおよびナチスの残存建物などを見るにはバスの右側の席にすわるべし。
右座席の方では発電所、ホテル「ツム・テュンケル」(再建された建物)、武装親衛隊宿舎跡、地下道入口が見れます。これらはいずれも写真が撮れませんでした。
左座席からはボルマンが造らせたゴルフ場、ボルマンの地下金庫入口(地下道入口)、ゲーリングおよびボルマンの別荘入口でした。
これらの内特にガイドさんが詳しく説明されたのがホテル「ツム・テュンケル」。
このホテルはナチスに接取され、オーナーはオーバーザルツベルクを退去させられました。
オーナーは自分のホテルに戻ることもできず失意のうちに他の地域で亡くなりました。大戦後この地にオーナーの妻と娘は戻って来ましたが、「ツム・テュンケル」は見るも無残な姿に変わり果てていました。このホテルは大戦中に親衛隊の本部や通信基地になっていたため、英国の戦略爆撃機隊から5トン爆弾「トールボーイ」の直撃を受けてほぼ全壊していたのです。
妻は1949年、米軍からホテルの敷地を取り戻して再びホテルを新築し歴史あるホテルとして現在も営業されています。
バスから見た限りでは小さなホテルなので別荘としか見えません。ガイドさんの説明が無いと見逃してしまいそうでした。
Wikipediaによるとこのホテルの裏に「ベルクホーク」があり、現在は木が生い茂っていると書かれていましたが、車窓からは分かりませんでした。
写真はゲーリングの別荘の入口です。この道の先に建物があったそうですが、現在は何も無いそうです。「ベルクホーフ」からこの辺りの道路沿いににナチスの主要な建物が立ち並んでいて幼稚園まであったそうです。 -
マルティン・ボルマンの防空壕跡。(Wikipediaから借用しました。)
Wikipediaではボルマンの防空壕として紹介されていますが、ガイドさんが「ボルマンの地下金庫の入口」として紹介された場所だと思います。
説明の途中で車窓から目を向けた時に見たのがこんな感じの地下室入口でした。
私の見間違いかもしれませんが、コンクリートで固められたこのような地下入口があちこちに残っているそうです。
さて、ここオーバーザルツベルクではボルマンの名前がよく出てくるのですが、ここでボルマンを紹介しておきましょう。
マルティン・ボルマンは総統アドルフ・ヒトラーの側近です。
ルドルフ・ヘスが失脚した後は党官房長となり、ナンバー2にのし上がりました。ヒトラーの秘書でもあり、ヒトラー亡き後はヒトラー遺言執行人、党担当大臣に指名されました。最終的な階級は親衛隊大将。オーバーザルツベルクの土地と別荘の買収にあたったのがボルマンです。さらにケールシュタインハウス(ヒトラーの山荘)をヒトラーにプレゼントしたのもボルマンでした。そしてオーバーザルツベルクの金庫番はボルマンだったそうです。 -
ここはボルマンの別荘の跡地だそうです。
バスは資料館「Dokumentation Obersalzberg」の側を通ってバスの乗り換え駅であるKehlstein Busabfahrtへ。
資料館はバスの乗り換え駅の隣にあり、ナチスやオーバーザルツベルクの資料が展示されており、資料館から地下に降りると地下道と地下の基地が見学できるそうです。 -
ここがKehlstein Busabfahrt。ここから先は一般車も観光バスも入れないため、赤色の専用バスに乗り換えてケールシュタインハウスまで行きました。
一般観光客はバスの横の建物で専用バスのチケットを買うのですが、チケットには乗車するバスの番号が印字されているので指定されたバスに乗車します。
ケールシュタインハウスまでは上り坂の狭いカーブの道が続きますが、ここでも右座席を確保すべし。
絶景の山岳風景は右座席でしか見れません。私は生憎左座席に座ったので車窓の景色は岩壁ばかりでした。但し当日は天候が悪く行きは雲の中、右車窓は白い雲しか見えませんでした。
車内ではケールシュタインの音声ガイドが流れました。音声はドイツ語と英語と日本語です。ガイドさんが日本語の音声を流すように交渉してくださったそうですが、通常はドイツ語と英語のみ。中国語とかあるのだろうか?
そういえばケールシュタインでは中国人観光客に一人も出会わなかった。ここはドイツで唯一中国人観光客に荒らされていない所なのかな。Dokumentation Obersalzberg 博物館・美術館・ギャラリー
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Kehlsteinparkplatzに到着しました。いよいよこれからケールシュタインハウスを観光します。
このトンネルはケールシュタインハウスの入口。トンエルの先にあるエレベーターに乗って山荘に入るのです。
トンネルの上に書いてある「1938」は1938年ヒトラー50歳の年です。ケールシュタインハウスはヒトラー50歳の誕生日を記念してボルマンがヒトラーに進呈した山荘です。
この山荘は第二次世界大戦後米軍に接取され、「イーグルズ・ネスト(鷲の巣)」と呼ばれるようになりました。。Eagle's nest 山・渓谷
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トンネルに入りましょう。このトンネルは建設当時のままです。我々はエレベーターまで歩いて進みましたが、ヒトラーはメルセデスベンツに乗ったままトンネル内を進んだそうです。
Eagle's nest 山・渓谷
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トンネル入り口の扉は2重になっていました。
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トンネルの扉には鷲の取手が取り付けてありましたが、アメリカ軍によって取り外され、本国に持ち去られたそうです。
そのため扉には取り付けられた跡のみ残っていました。。 -
ケールシュタインハウスに上がるエレベーターは黄金のエレベーターと呼ばれており、エレベーター内部は写真撮影禁止。そのため写真は諦めていましたが、エレベーターの入口の所にいた係官はエレベーターの外からなら写真を撮っても良いと言ってくれたので、エレベーターの扉が開いた時に写したのがこの写真です。
エレベーターの中は金色に輝いていたものの外からの写真では鏡のように写っていました。エレベーターの内部は黄金と呼ばれていますが実際は真鍮の壁で覆われていました。Eagle's nest 山・渓谷
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真鍮は磨き込まれているため黄金のように輝き、天井には人の姿が映り込んでいました。
エレベーターが到着したところはケールシュタインハウスの内部。エレベーターの出口右の部屋がレストランで左に進めば山荘のバルコニーに出ます。写真には撮っていませんが、真っ直ぐ進んで突き当り右の部屋がヒトラーの執務室で、現在はレストランの調理場になっているそうです。執務室の隣には護衛の武装親衛隊員の部屋があったそうです。 -
ヒトラーの執務室。ガイドさんのタブレットの画像を写しました。
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ここがケールシュタインハウスのレストラン。
ケールシュタインは現在民営のレストランとして使用されています。ケールシュタインハウス 建造物
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上記レストランのケールシュタインハウス時代の写真。当時は食堂として使用されていました。
ガイドさんのタブレットに映し出された写真を撮らせてもらいました。 -
ケールシュタインハウスの談話室兼会議室。現在はここもレストランの客席として使用されています。
部屋の中央には大きな暖炉が・・・。そして床には昭和天皇から送られた緋色の絨毯が敷かれていたそうですが、絨毯は連合国兵士に引き裂かれてしまい今はありませんでした。ケールシュタインハウス 建造物
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この暖炉はイタリアのムッソリーニからヒトラー50歳の誕生日に贈られたもの。
イタリア産の大理石を使用して作られているそうです。
この山荘はアメリカ第101空挺師団によって占領され、その後連合軍兵士が駐在していたため内部には連合軍兵士の落書きが残っているそうですが、私は落書きには気が付きませんでした。ケールシュタインハウス 建造物
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ケールシュタイン当時の談話室・会議室の様子。(ケールシュタインハウス内の写真より)
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当時の会議の様子。
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会議室の隣の部屋がエヴァ・ブラウンの部屋(エヴァ・ブラウンのティールーム)です。
エヴァ・ブラウンはヒトラーの妻。ヒトラーの愛人でしたが死の直前に結婚し、その後地下壕でヒトラーとともに自殺しました。
ヒトラーは独身でいる方が婦人票を得やすいと考えていたので、エヴァの存在は国民の目には隠されていました。
エヴァの存在を知っていたのはごく少数のヒトラーの側近に限られていました。
ケールシュタインハウスとヒトラーやエヴァの映像は8ミリの記録フィルムで残さされています。
これはエヴァの趣味が8ミリ撮影や写真だったためで、ヒトラーが撮影したケールシュタインハウスとエヴァ・ブラウンの映像やエヴァが撮影したヒトラーの映像は「映像の世紀」でも放映されました。
これらの映像は学生の頃映画やTVで見ていたため、山荘ベルホークの名前は知りませんでしたがケールシュタインハウスは山上のヒトラーの山荘として知っていました。
学生の頃見た映画でタイトルは忘れましたが、ムッソリーニ救出作戦の作戦会議がケールシュタインハウスで行われたとの設定で、ケールシュタインハウスやヒトラー、エヴァの映像が記録映像として挿入されていました。
そのため今回ケールシュタインハウスを観光するまではケールシュタインハウスが総統大本営だとばかり思っていました。
ベルホークという山荘が総統大本営だったは、今まで全く知らずお恥ずかしい次第です。ケールシュタインハウス 建造物
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ケールシュタイン当時のエヴァ・ブラウンの部屋。
応接椅子やテーブルは取り払われ、壁に架けられた絵も今はありませんが天井や内装の壁板などは当時のままです。 -
エヴァ・ブラウンの部屋の説明パネル。
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天気が良ければこの窓からバッツマン山や近郊の山並みが見えるのですが、生憎の天気で山荘は真っ白な雲に覆われて何も見えませんでした。
天気予報は雨だったので、雨が降らないだけでも儲けものでした。ケールシュタインハウス 建造物
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エヴァ・ブラウンの部屋。
ケールシュタインハウス 建造物
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エヴァ・ブラウンの部屋。
上記写真の窓の右下隅部分。ここが下の写真でヒトラーが写っている場所です。 -
この山荘は1940年、ヒトラー50歳の誕生日のプレゼントとして側近のマルティン・ボルマンがケールシュタイン山頂近くに建てた建物です。
風光明媚な場所に造られた山荘ですが、ヒトラーはここに8回しか滞在しませんでした。ヒトラーが高所恐怖症だったからという説もありますが、真相は暗殺や刺客を恐れての事。そのため執務室の隣の部屋には信頼できる屈強な武装親衛隊の隊員が詰めていましたし、エレベーター入口やトンネル入口での入場者の検査は厳しかったそうです。
さらに、この山荘はケールシュタイン山の山頂付近の端にあり断崖絶壁の上に建てられています。襲われたら逃げ場のない場所であるためヒトラーはよほどのことが無い限りはこの山荘を訪れなかったそうです。
ヒトラーは権謀術数の限りを尽くしてのし上がった人物だけに命を狙われる危険も多く、危機管理能力は大変優れていました。
ヒトラーの暗殺は40回以上も計画され、そのことごとくが失敗に終わっています。特に独ソ戦の旗色が悪くなった1943年以降暗殺未遂事件が増加しており、特に1944年7月20日に総統大本営で行われた爆弾暗殺未遂事件は国防軍の一部の者により行われ、大本営にいた佐官や将官が4名死亡しましたがヒトラーは軽傷を負った程度で死を免れました。これらの暗殺事件からことごとく無傷で逃れることができたのはヒトラーの強運もさることながら、平素からの危機意識の強さがなせる業だったのかもしれません。
余談ですが、ワイマール共和国以降ドイツ第三帝国と言われるようにドイツを強国にしたのはヒトラーですが、滅ぼしたのもヒトラーです。
第二次世界大戦初期に連戦連勝のドイツにあって決定的大勝利をいくつも逸した局面がありますが、その全てがヒトラーの口出しによるものです。
国防軍の将官や元帥たちがその口出しを制することができなかったのも緒戦の戦闘におけるヒトラーの提案がズバリ的中し続けたからでした。
ヒトラーはフランス侵攻作戦に関してはマンシュタイン中将が進言した機甲師団でベルギーのアルデンヌの森を突破するという作戦を強く推し実行に移しました。
国防軍高級将官らが反対した作戦でしたが、いざ実施して見ると機動力に優れた機甲師団は北フランスで国境沿いに布陣していた英仏軍の背後に回り込み、兵站を分断しました。このため英仏連合軍は補給を絶たれて包囲されダンケルクに追い詰められました。
ダンケルクに追い詰められた連合軍32万人の将兵は風前の灯でしたが、あろうことかヒトラーは機甲師団に突然進撃停止を命じました。このため32万人の将兵はほぼ無傷で英国に撤退することができたのです。もしここで32万人の将兵がドイツ軍に殲滅されていたなら、以後のドイツ軍の展開は史実より異なったものになったでしょう。
この事は後々ヒトラーに禍根を残すことになりますが、何故停止を命じたのか理由が分かっていないため色々な憶測がなされています。
これと同じことが独ソ戦でも行われました。バルバロッサ作戦が発動されたドイツ軍は連戦連勝、ソ連軍を各所で包囲殲滅し機甲師団はモスクワの手前10数キロまで進撃してきました。明日はモスクワに突入するというその時、またもやヒトラーから進撃停止命令が発せられました。これも理由がはっきりしません。
ヒトラーから再びモスクワ進軍の命令が発せられた時にはすでに時期を逸していました。ドイツ軍が進撃を停止している間にソ連軍は対日のためソ満国境に展開していた最精鋭の戦車師団がジューコフ将軍とともに到着して防御態勢を整え、加えて冬将軍が到来。ドイツ軍は冬装備が間に合わず、道路がぬかるんで遅々として進撃は進まなくなりました。
こうして戦線は膠着し、ついにドイツ軍はモスクワを攻略出来ませんでした。
スターリングラードの戦いではスターリングラードを包囲していたドイツ軍が撤退を認められずにソ連軍に再包囲され10万の将兵が降伏しました。
すでにヒトラーは陸軍総参謀長を兼任していたため、口出しではなくヒトラーの考えが作戦として実行されるようになりました。
こうして後年将官らから「ヒトラーの思い付き」として揶揄された作戦によりドイツは崩壊の道を辿ることになります。 -
ヒトラーの話で脱線したので、元に戻しましょう。
この写真はエヴァ・ブラウンの妹グレーテルとグレーテルの結婚相手である親衛隊将校のヘルマン・フェーゲライン。
2人の結婚披露宴がケールシュタインハウスで行われた時の写真で、場所は暖炉がある会議室です。
余談ですがヘルマン・フェーゲラインはベルリン陥落直前にドイツを見限り、妻以外の別の女性とデンマークに亡命しようとしていました。その時総統地下壕のヒトラーから呼び出しを受け親衛隊員に連行されました。一緒に逃亡しようとした女性は親衛隊の姿を確認するや直ちに逃亡しましたが、その手際の良さに連合軍のスパイではないかと言われています。
ヘルマン・フェーゲラインはドイツの裏切り者として国家反逆罪で銃殺されました。 -
エヴァ・ブラウンの部屋。この壁に絵が飾ってありましたが、現在は板壁のみ。
ケールシュタインハウス 建造物
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正面の階段を上がると暖炉のある会議室(現在はレストラン)、右のドアを進むとバルコニーに続く回廊に出ます。
ケールシュタインハウス 建造物
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こちらが回廊。天気が良ければ右の窓からバッツマン山やドイツアルプスの山々が眺められるそうですが、本日は雲の中。
左の壁にはオーバーザルツベルクやケールシュタインハウス、ヒトラーや親衛隊高官、エヴァや家族の写真とドイツ語と英語の説明パネルが並んでいます。ケールシュタインハウス 建造物
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回廊の椅子に一人座っているのはアドルフ・ヒトラー。
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外はご覧のように雲で真っ白、景色は何も見えません。
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ケールシュタインハウスを建設した技師たち。
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オーバーザルツベルクの地図。建物の配置がこの地図で分かります。
地図中央のやや下、森に囲まれている建物がヒトラーの山荘「ベルクホーフ」、その左「SS Wache」と書かれたある建物がホテル「ツム・テュンケル」(親衛隊警備本部及び通信室)、ホテルの北に幼稚園、そのさらに北には親衛隊宿舎にがあります。
ホテル「ツム・テュンケル」の前の道路の左側(地図では西)、下からボルマンの別荘、温室、ゲーリングの別荘、ゲーリングの副官の宿舎などがあります。
ここはナチス親衛隊の町と化しています。 -
ケールシュタインハウスの写真。
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エヴァ・ブラウンの家族と思われる写真。
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ヒトラーとハインリヒ・ヒムラー。
ハインリヒ・ヒムラーはヒトラーの側近で親衛隊やゲシュタポ(国家秘密警察)を統率しホロコーストを組織的に実行した人物。 -
米軍によって占領された後のケールシュタインハウス入口のトンネル。扉に取り付けてあった鷲の取手はすでに取り外されていました。
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ケールシュタインハウスは米軍によって占領され「イーグルズ・ネスト」と命名されました。
写真はオーバーザルツベルクのイーグルズ・ネスト入口の様子。 -
左はアイゼンハワー連合国軍最高司令官。右は誰だろう?説明文に目を通していないので分からない。たぶん目を通しても英語は苦手なので分からなかったでしょう。
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再び回廊の様子。写真を撮っている場所からバルコニーに出られます。
ケールシュタインハウス 建造物
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バルコニーの様子。山荘はいまだに雲の中で視界が極めて悪い。
雨が降らないだけでも儲けものといった感じ。
バルコニーの右はレストランのテラス席になっています。このテラス席を作るために山荘のバルコニーの壁が一部取り壊されました。
写真の部分が壊されて取り払われた跡。中央で写真を撮っている黒服の女性の左のバルコニーの所から真っすぐ手前までがとり払われました。
取り壊される前のケールシュタインハウスの写真と比べると、改装されていることが一目瞭然です。ケールシュタインハウス 建造物
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ここから先のバルコニーの壁が取り払われました。
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ここから先は建設当初のバルコニーの壁部分。
ケールシュタインハウス 建造物
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山荘の壁には「ケールシュタインハウス」の看板が取り付けられていました。
1934年はこの山荘が建てられた年です。ケールシュタインハウス 建造物
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ケールシュタインハウスの看板。別方向からの写真です。
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エヴァ・ブラウンが腰かけたバルコニーの場所がここ。
ケールシュタインハウス 建造物
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この角の所に腰かけて景色を楽しむエヴァの写真がありましたが、どういう訳かこの写真は撮っていませんでした。写したとばかり思っていたのは別の場所での写真。
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回廊を上がった所のバルコニーに腰かけるエヴァ・ブラウン。このバルコニーの壁は撤去されています。
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バルコニーで妹グレーテルと二人で写った写真。左がエヴァ・ブラウンで右がグレーテル・ブラウン。
この二人は顔がとてもよく似ていたそうです。確かにこの写真ではどちらがエヴァ・ブラウンか判断がつきにくいです。 -
山荘を出て周囲を散策しました。山荘の側の道を北に進むと眼下にオーバーザルツベルクを眺めることができます。ガイドさんは山上から主だった建物の所在地を説明しようと我々を導いてくださったのですが生憎の天気で山荘は雲の中、周囲は白い雲に覆われたままでした。
ケールシュタインハウス 建造物
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先を歩いている人の姿も靄にかき消されてしまう。
視界はほんの数メートル程度です。Eagle's nest 山・渓谷
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ケールシュタイン山の崖っぷちから下を除くとオーバーザルツベルクの町が薄っすらと見えていた。
肉眼ではもう少しはっきり見えた気がしたが、実際はこんなものだったのか。真ん中で見えているのはkehlstein Busabfahrtnのバス乗り場。この北にはホテル「ツム・テュンケル」、東(右側)には資料館があるのですがいずれも雲に隠れて見えません。 -
山荘から東南の方向にある山(雲に隠れている山)は映画「サウンド・オブ・ミュージック」のラストシーン、「Climb Every Mountin」の舞台となった山です。
自由を求めてスイスへ亡命するためアルプスの山を越えていくフォン・トラップ一家。この映画では感動のラストシーンの場面です。
学生時代にはこの曲を混声合唱と男声合唱で歌ったので今でも歌詞とパートの旋律はしっかり記憶しています。その山が雲に隠れて見えない・・・。うう、涙がでるーっ。
ここで30分の自由行動、再集合はエレベーターの前です。
という事で一旦全員で山荘まで戻りました。 -
山荘に戻る途中でガスが止み視界が開けてきました。
これはいいぞ、山荘の裏側はケールシュタイン山の山頂で、エーデルワイスの十字架がある展望所からは絶景がみられるとか。空が晴れることは無いだろが雲の切れ間からあるいは周囲の山塊が見れるかもしれない。
とりあえず十字架のところまで行ってみよう。ケールシュタインハウス 建造物
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山荘から眺めたケールシュタイン広場の様子。
トンネル入口のバス停にはバスが停車していたが周囲はガスが煙って何も見えない。
山荘付近もまたガスに覆われてきた。Eagle's nest 山・渓谷
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遊歩道沿いで見つけた高山植物「悪魔の爪」です。
今回は綺麗に写真が撮れたよ。 -
山頂にある十字架に登る途中の景色。写真の方向に山荘があるのですが何も見えません。見えるのはガスのみ。山道を下る観光客の姿も朧気にしか見えませんでした。
ガスが晴れるどころか益々視界が悪くなってきた。Eagle's nest 山・渓谷
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山道沿いの高山植物。これはイタリアのドロミテでも見た花です。
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高山植物。
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ケールシュタイン山頂に上る山道沿いは高山植物が沢山さいています。
お花畑と言うほどの規模ではないけれど、晴れていたら綺麗でしょうに。 -
高山植物です。
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十字架の所まで登っても雲に覆われて何も見えません。
視界が悪いので途中で様子を見ることにしました。Eagle's nest 山・渓谷
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十字架の方向はこの有様。何も見えません。登山道を行きかう人も今はいませんでした。私のようにガスが晴れるのを待っているのでしょう。
ツアーのメンバーさんも周囲に何人かいらして、ガスが晴れるのを待ちました。
但し集合時間が近づいてくるのでいつまでもここに留まる訳にもいきません。
ギリギリまで待って天候が回復しなければ、山荘に引き返すことにしました。Eagle's nest 山・渓谷
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そうするうちに東南方向の雲が薄くなり「サウンド・オブ・ミュージック」のロケ地の山が見えてきました。
こちらの方面は回復しそうなのでしばらく待ちました。 -
暫く待ったもののこれ以上天候は回復しそうもないので山荘に戻ることにしました。
映画「サウンド・オブ・ミュージック」のラストシーンのロケ地の山が見れてよかった。 -
山荘の方角は一面雲に覆われ何も見えませんでしたが、少し雲が薄くなって山荘の形が朧気ながら見えてきました。
ケールシュタインハウス 建造物
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しばらくすると山頂の登り口付近(レストランのテラス席の端)が見えるようになりました。
この時登山道の中腹でもう少し待てば良かったのですが、どういう訳か山荘の所まで下りてしまいました。
これ以上天候は回復せず、雲の切れ間も無いだろうとの判断でした。ケールシュタインハウス 建造物
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天気が良ければこんな風に見えるんです。写真は晴れた日のケールシュタインハウスと周囲の山々の景色。
登山道の中腹から写した写真と思われます。
(HPより拝借。)ケールシュタインハウス 建造物
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十字架がある展望所からの景色は本当に素晴らしい、絶景です。晴れていればこのような絶景が見れたはずなのに、天気が悪く残念でなりません。
私が希望した7月8日の出発なら快晴だったのに・・。催行日が7月20日になった事が不運の始まりでした。晴れ男の神通力もここでは効果がなかったな。
(Webサイトより借用)Eagle's nest 山・渓谷
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私がレストランのテラス席の側まで降りた所で一瞬ですが雲が切れてきました。
振り返ると山頂付近の十字架の所では雲が晴れて山肌がはっきり見えます。テラス席周辺の雲も無くなり山荘の姿が見えるようになりました。十字架の所まで登って待っていたならあるいは山荘の全景が撮れたかもしれません。
本当に微妙なタイミングで十字架が姿を現したのです。しかし山荘の方はまだ左半分が雲の中。山荘の方にカメラを構えて待つこと暫し、ほぼ建物が姿を現したところでシャッターを切ったのに、後で確認したらなぜか写真が撮れていない。カメラの故障かそれともヒトラーの怨念か。こんなこと確か前にもあったよね。
いつもの癖で写した写真をその場で確認していなかったのです。
泣くに泣けないとはこの事です。山荘が姿を現したのはほんの1~2分のことでしたから・・・。Eagle's nest 山・渓谷
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山荘の写真を撮ったので(実際は撮ったつもりですが)、再び山頂の方を振り返るとさらに十字架がはっきりと見えました。さらに背後の山もうっすらと見えていました。
Eagle's nest 山・渓谷
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横構図で写した十字架がある展望所の写真。でも何故かアップで写していない。
折角十字架が姿を現したんだからアップで撮っておけばよかったのにね。
この時は天候が急に変わるので、そんな気持ちの余裕はなかったと思います。Eagle's nest 山・渓谷
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再び十字架付近は雲に隠れ始めました。山荘はすでに雲に覆われてしまいましたがこの間ほんの数分の出来事でした。
運よく外に出ていた者のみがこの幸運に出くわしたんです。Eagle's nest 山・渓谷
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山上にあるエーデルワイスの十字架。晴れていればここまで上ったでしょうに。
ここから景色は360度のパノラマでドイツ3番目の標高を誇るバッツマン山やケーニヒス湖が見れます。(HPより借用)Eagle's nest 山・渓谷
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エレベーター前に再び集合し下まで降りました。
ここはエレベーターに向かうために作られたトンネルです。ここをボルマンやゲーリング、ヒムラーなどのSS幹部やルンドシュテット元帥などの国防軍高級将官が出入りしていたんですね。 -
トンネルの出口です。
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朝は雲に隠れていたケールシュタインハウスも、トンネルを出た時にはKehlstein parkplatzから見えました。
Eagle's nest 山・渓谷
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崖の上のケールシュタインハウス。今なら建物の全景が見れます。もう少し早く雲が切れてくれたらよかったのに。
Eagle's nest 山・渓谷
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Kehlstein parkplatzから眺めた景色。雲で覆いつくされていましたが少しずつ雲間が切れてきました。
眼下に見える町はベルヒテスガーデンです。 -
再び専用バスでオーバーザルツベルクへ戻ります。
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オーバーザルツベルクのバス停で観光バスに乗り換えベルヒテスガーデンへ。
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ここは既にベルヒテスガーデンです。オーバーザルツベルクと同じような山村の景色が道路沿いに続いていました。
午後は岩塩鉱のレストランで昼食の後、ドイツで最も美しいと言われるケーニヒス湖を観光しました。
アップまでしばらくお待ちください。
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