2018/09/10 - 2018/09/12
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Weiwojingさん
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久し振りに奈良県を訪れた。今回は天理から橿原そして奈良へ行った。奈良県で奈良市以外を訪ねたのは初めてで、天理や橿原周辺には数多くの寺院と古墳があり、かねがねいずれ訪れてみたいと思っていた。いざ、あちこち移動してみると、動き回るのに十分な時間がなくなってしまい、実際にあれもこれも見て回るのは不可能であった。
そこで今回は本来の目的としていた「歴史的建造物群」に指定されている橿原市の今井町と八木町を見学するだけにとどめ、それ以外は次回に回すことにした。どちらも観光客はほとんどおらず、ごく普通の日常生活の営みを見ながら、古い街並みを歩き回ることが出来た。
今井町は天文年間 (1532~1555)の戦国の世に、この地に一向宗本願寺坊主の今井兵部卿豊寿によって町が建設されたことに発する。一向宗の門徒が今井に御坊(稱念寺)を開き、自衛上武力を養い、濠をめぐらし、都市計画を実施した。永禄11年(1568)織田信長が足利義昭を擁して上京以来、本願寺も反信長の旗を立て、寺を中心とした城塞都市の形態を整え抵抗したが、天正3年(1575)今井宗久、津田宗及、明智光秀を通じて信長に降伏し、事なきを得た。
かくして、大阪や堺などととも交流が盛んになり商業都市都市としての変貌を遂げ、江戸時代には南大和最大の都市となって大いに栄えた。また堺とならび自治的特権が認められ、惣年寄・街年寄を置き町政に当たった。今井町の街並みは東600m、南北310 m、周囲に環濠土居を築いた城塞都市で、内部の道路も見通市のきくものはなく、ほとんどが一度屈折させてある。これは軍事目的で造られたが、江戸時代には今井の商人の生命と財産を守ることに役立った。
- 旅行の満足度
- 5.0
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まず最初に訪れたのは天理である。ここは天理教の大本山があるところで、街全体が天理教の門前町みたいな様相を呈している。その雰囲気が異常なほどまでに感じた。
天理へ行ったのは天理大学付属の博物館「天理参考館」を訪れるためで、ここでで学芸員をしている知人に会い、現在展示公開されている「華麗なるササン王朝―正倉院宝物の源流ー」を見るのが目的であった。 -
大学に行くために天理駅前から歩いて商店街を通って大学に着いた。駅を出る時に雨が降り出したので、アーケードのあるところを歩いて行くことが出来、大いに助かった。
横断幕に「道の学生ひのきしんDAY」と書かれている。天理教との関わりを示すものだと思うが、何のことなのか分からない。 -
天理大学の校舎の一部。キャンパス内にはこのような建物がいくつもあり、まるで巨大な軍艦とでも表現出来そうな光景である。
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天理大学の本部前には学生たちの姿が見え、これはどこの大学でも変わらない光景だ。
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今回の天理大学を訪れた目的は、この天理参考館の今展示されている「華麗なるササン王朝 ー 正倉院宝物の源流 ー」を見ることであった。
参考館は、海外に渡り、天理教を広めようとする人々が諸外国の生活や歴史などの知識を深めるために、中山正善天理教二代真柱によつて、1930年 (昭和5)に創設された博物館である。
外国で教えを広めるには、その土地の言葉を習得するだけでなく、その背景にある人々の考えや生活文化をへの理解が必要である。同時にある日本の文化に対する知識も必要である。このような考えで国内外から集めた収蔵品は、民俗資料と考古資料に分かれていて、その一部を「世界の生活文化」と「世界の考古美術」というテーマで展示されている。 -
参考館に入ると、先ず巨大な顔の彫像が置かれている。
「オルメカ石頭像 サン・ロレンソ1号}(レプリカ)
今から約3000年前に栄えたオルメカ文明はメキシコ最古の文明であり、その後の歴史を方向付ける役割を果たしたことから、メキシコの「母文化」と呼ばれる。 -
1階は「世界の生活文化」というテーマで、
① 北の大地が育む手芸 ー アイヌ
② 伝統社会の道しる ー 朝鮮半島
③ 福禄寿 ー 中国・台湾
のような部門ごとに紹介されている。
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韓国の仮面劇で使われていたヒョウタン(パがジ)仮面。
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台湾の街には廟が数多くあり、日常生活の中で重要な役割を果たしている。これは廟の入口の門扉で、明・清時代の文官が描かれている。右側の人物は手に「冠」、左の人は「鹿」を盆にのせている。
冠には官位の昇進、鹿には禄、すなわち金持ちになるとの意味があり、吉祥図柄の文人にあやかりたいとする願いが込められている。 -
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台湾20世紀初めの「帆掛け筏(いかだ)」(テッパイ)。かって台湾西部沿岸で沖合いに停泊する船と波止場との間を船荷を積んで往来していた。竹の筏は吃水線が浅く、遠浅の波止場での航行に便利であった。
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「白陶加彩神将」( 中国唐 7~8世紀)
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日本の戦前 (あるいは戦後間もないころ)のごく一般的な民家の造りが再現されていて、微かに記憶にあるような生活用具を見ることが出来た。
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囲炉裏のある居間。
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中央に火鉢が置かれ、そのほかにも様々な生活用具が置かれている部屋が再現されていて、昭和の面影が濃厚な生活ぶりを見ることが出来る。
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天理参考館の目玉のひとつとも言うべきブラジル移民に関する展示が充実していた。全部を紹介することは出来ないが、その一端を見てみたい。
1908年 (明治41)に笠戸丸で初めて791名の移民がブラジルに渡った。この時期アメリカやカナダへの移民が困難になり、その代わりにブラジルへ活路をみいだした。以来、太平洋戦争が始まるまでに約20万人が移住した。
この移民の中に天理教信仰者が数多く存在し、当初から伝道を目的に移住した者もいれば、移住後に伝道者になったものもいた。労働者を必要としていたブラジルには、伝道を目的とする宗教家の入国は許されていなったが、目的を偽って入国した宗教家が多くいた。農業労働者として入国した彼らは、過酷な労働の傍ら伝道を行い、すこしづつその基盤を築いていった。 -
ブラジルでの原始林を開拓する写真があり、相当な苦難の状況を見てとることが出来る。
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移民の中には一定期間の契約労働を終えた後、独立して自作農を行う者も現れた。彼らの中には日本から妻を求めて、家族を築き、成功していく者もいた。
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彼らは砂糖を作るためこのような「サトウキビ圧搾機」を作った。
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船でブラジルに渡った天理教の指導者や信者の船内での集合写真がある。
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アメリカやカナダでは日本人移民の入国に際しては厳しい制限を加えてきたが、宗教家には特例として入国を認めてきた。天理教でもその特例を背景に、昭和初期から太平洋戦争が始まるまでのわずか15年程の間に70名近くの布教師がハワイやアメリカ本土、カナダに渡った。この写真のような布教所を各所に建てた。
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布教所で信者たちが集合した際の写真。
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長崎県古賀の土人形。古賀は江戸時代から始まる古い伝統を有する土人形の生産地で、開港地らしい異国情緒あふれた色彩の人形が作られた。
左側は「阿茶さん」で、”あちらの人” という意味だが、中国の商人を指す。腕に軍鶏を抱いている姿をしているが、これは江戸時代春と秋の年2回長崎に来た商人たちが唐人屋敷から外に出ることを許されず、慰めに軍鶏を飼っていたことを表しているそうだ。
右側は「阿蘭陀さん」で、出島のオランダ商人のキャピタンのことで、銃を手にして狩猟に行く姿を現している。 -
朝鮮三国 (新羅) 時代の人物?茨。天を仰いだ沈鬱な表情、筒袖に通した両手は交互に組み、足にはだぶついたズボンをはいている。恐らく葬列に参加した人物を表現したものと思われる。
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弥生時代、静岡県春日市で発見された「甕棺」。
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今回、「華麗なるサザン王朝 ー 正倉院宝物の源流ー」という特別展示があり、これを見るために参考館に来たのである。
この閃縁岩製グデア(シュメールの都市国家の一つ)頭像はイラク・テロ―で発掘された像で、司祭的性格を持った実質的支配者の地位いた実在の人物であった。 -
これは 色石などを立方体状に切った小片( テッセン )を構図に合わせて配置して、文様を描いたモザイクで、漆喰で敷き詰め、固まらないうちにテッセンを埋め込んで絵柄を描くものである。
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ひげを生やした男性の顔を、アカンサスの葉が囲んでいるモザイク画。
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魚を描いたモザイク画。
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「閃縁岩製婦人頭像」(イラク、前22世紀頃)
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「鍍金銀人物文八曲長杯」(イラン、6~7世紀頃)
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イランの牛形注口土器(前4~前2世紀頃)
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「注口把手付瓶」(シリア、4~5世紀頃)
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「スフィンクス」(エジプト、プトレマイオス王朝)
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ホルス神像(エギプト、末期王朝)
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見学を終えて、知人とも別れ、駅に向かった。お昼近かかったので、途中目に付いたレストランで昼食をとった。
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ランチメニューを選ぶと、どの料理にもサラダが付いてきたが、下のトマトはサービスだと提供された。と言うのは、最初注文した料理がもうなくなってしまったので、お詫びのしるしですと持ってこられた。
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メインに注文したのは「あさりと菜の花のぺぺロチィ―ノ」で、やや癖のあるような味であったが、満足のいくパスタであった。
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天理から橿原へ移動した。ここでⅠ泊した。橿原では今井町と八木町の2つを訪ねたが、この日は先ず八木町をた訪ねてみた。どちらも「歴史的重要建造物群」としてされていて、江戸時代の街並みがそのまま残されている。
ここは八木町の中心で、「八木礼の辻」と言われるところである。 -
この建物は今では「八木礼の辻交流館」という施設になっているが、かって江戸時代は旅籠であった。
訪ねた日は休館日で閉まっていたが、改めて翌日訪れてみた。 -
屋根の上を見ると、立派な鬼瓦がのっていて、その見事な作りに感心させられた。
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交流館の中を見させていただいた。ここは2階であるが、いくつかの部屋が襖で区切られている。客室であったところである。
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ここは一番立派の客室のようで、床の間がついている。
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2階から見た表の通リである。昔の街並みがそのまま残されている。
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屋内には今なお水をたたえる井戸があり、水まきや掃除用に使われているそうだ。
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小さいながらも中庭があり、よく手入れされている。
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交流館を出て、街中を歩いてみた。
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路地裏の佇まいも雰囲気が良い。
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近くの民家の軒先にある○に〒の付いた瓦に注目してほしい。これはここが元郵便局があった印だそうで、今は郵便局とは全区関係はないが、そのまま残されたものである。
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芭蕉の句碑
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次の日は今井町へ移動した。飛鳥川にかかる蘇武橋を渡ると、ここから今井町になる。
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「夢甍 (今井まちなみ交流センター)」
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「寺内町」
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「河合家」
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「稱念寺」
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「寺内町」は今井町の中で、最もよく昔の姿を残している地区である。
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家の前に丸い器具があちこちについている。最初何なのか分からなったが、これは馬を繋ぐための器具であった。
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銀行までが古い街並みに合わせて造られている。
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個人のお宅も玄関先は花や植木が置かれ、見ているだけで気持ち良い。
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今井町でどこか食事をしたいと思ったが、なかなか見つからず困っていたところ、町家茶屋「古伊」が見つかり、ここで昼食をとった。
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これは「かきの葉寿司」で、奈良名物である。
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屋外の席で食べることも出来たが、この日はかなり暑かったので、室内で食べることにした。
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街の中を見て回っていると、いくつか面白いものを見っけた。これは「珈琲 さとう」と書かれた看板であるが、ヨーロッパの古い街ではよく見かけるものである。
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こちらは「わ」と書かれているが、店は閉じられていてここは何の店か分からない。
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創業明治11年の団子屋「だんご庄」の店先。
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「八木基督教会」
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教会の庭先に咲いていた花は「テッポウユリ」なのだろうか。
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昭和3年 (1928)に建設された旧六十八銀行八木支店の建物で、現在はレストランとして使われている。この日は残念ながら臨時休業で閉まっていた。
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元奈良県技師・船橋俊一の設計で、イオニア式円柱を配するルネッサンス風の造りが特徴である。奈良県南部に現存する最古の鉄筋コンクリート造りの一つである。
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よく保存された街並みの一角にこのような朽ちさびれた家屋があった。
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この店は酒屋で、中を見させていただいた。
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酒屋の内部。
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ある民家の中に何やら仏像が祀られていて、ガラス越しに見ることが出来た。
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奈良に行くためにJR万葉まほろば線 (桜井線)畝傍駅に向かった。畝傍駅は無人駅で、この時利用者はわずかに数人いるだけであった。
畝傍駅は明治26年(1893)に開設されたが、駅舎はその後何度か建て直されたようである。皇紀2600年に当たる1940年(昭和15)に昭和天皇の橿原神宮行幸に際して新たに建設された。昭和34年 (1959)に平成天皇ご夫妻も利用されている。 -
駅前に「橿原神宮」と刻まれた石碑がある。
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駅舎は昔のままの姿を見せていて、昭和15年(1940)に建てられた重厚な寺社風の木造建築である。
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駅の改札(無人駅なので誰もいないし、機械も置かれていない)を通ってホームに向かう。
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ホームに向かう階段や手すりも寺社風である。
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ホームの様子。
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こちらは駅に付属した建物 (貴賓室)で、この姿からこれが駅の施設だとはとても想像できない。なぜこのような建物があるのか不思議に思ったが、それはこの駅が皇室との関わりがあるからであった。近隣には橿原神宮や天皇陵があるため、皇室関係者がそれらを訪れるためにこの駅を利用したことによる。
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JR万葉まほろば線を利用して畝傍駅から奈良に向かった。電車に乗ると、座席に長々と体を伸ばして寝ている外国人旅行者がいた。外国人の姿が多く、あまり地元の乗客がいなかったせいもあるかもしれないが、それにしても堂々としていて、感心した。
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