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18年4月17日の火曜日、JICA着任後オリエンテーションの最終日、最後の語学試験を終えて、お昼前から全員でキングストンでも有数の観光地のデボン・ハウスを訪れた。ここは1881年にジョージ・スティーベル(George Stiebel)が建てた豪邸。<br /><br />ジャマイカ初の黒人百万長者と云われるスティーベルは1821年、ユダヤ系ドイツ人商人の父とジャマイカ人のお手伝いの間にキングストンで生まれた。ジャマイカの歴史を辿ると必ずと云っていいほど、こういう話に出くわす。ある意味、悲しい歴史。この頃は白人と黒人の混血は虐められる存在で、さして裕福でもなかった家に育った彼は学校に馴染めず、14歳で大工の徒弟として働き始めた。彼には大工の才能があり、19歳の時には、キングストンとスパニッシュタウンの間にあるFerry Innと云う有名な旅籠屋の改築の責任者にまでなった。<br /><br />しかし、彼はそんな状況に満足せず。20歳を過ぎた頃、父親の出資を得て船を買い、北南米間での輸送業に進出する。1840年代はキューバで独立への機運が高まり始めた頃で、キューバへの武器の輸送でかなり潤ったようだが、拘束されて手を引く。そんな彼に大きな転機が訪れたのが1856年。彼の乗った船が嵐で難破。彼はベネズエラに漂流したのだが、ここでまた才能を発揮する。先見の明で手持ちの金をベルトに入れており一文無しにならなかった彼は、その金で行商人を始める。そして、金(ゴールド)が高値で取り引きされることを知った彼は、友人を呼びよせて金鉱を探し、1858年に見事掘り当てた。<br /><br />それから15年、莫大な利益を得ていた彼を不幸が襲う。愛息の死。1873年、彼はジャマイカに戻ることにした。帰国後の彼は次々と不動産を購入する。最大99軒の不動産を所有した(100軒以上持つことが当時は許されていなかったため)。そして、1881年、家族と住むため53エーカーの広大な土地を購入し、この豪邸を建てた。元々この辺りは1667年にジャマイカに派遣されたジョン・ツェラーズ(John Zellers)牧師にイギリス国王チャールズ2世(Charles II)から与えられた600エーカーの土地の一部で、デボン・ペン(Devon Penn)と呼ばれた牧場があったところで、名前はそこから来ている。なお、スティーベルは慈善家でもあり、社会貢献も多く行い、ヴィクトリア女王(Queen Victoria)より聖マイケル・聖ジョージ勲章(C.M.G.)を授与されている。この間、彼は家族とともにこの屋敷に住んでいた。1896年、彼は75歳で亡くなった。<br /><br />彼の死後、娘が彼女が亡くなる1922年まで住んでいたが、その後は売却され、2人のオーナーを経て、67年に国の管理となり、82年に博物館として一般公開された。邸宅内は当時のままの豪華な部屋が残され、植民地時代のアンティークなインテリアが配されている。デボン・ハウスのあるトラファルガー・ロード(Trafalgar Road)とホープ・ロード(Hope Road)の交差点はかつてはミリオネアーズ・コーナー(Millionaire&#39;s Corner)と呼ばれ、この屋敷の他にもThe Verley Family&#39;s Abbey CourtとDaniel Finzi&#39;s Reka Domと云う二つの屋敷が建っていた。しかし、60年代に入り、取り壊されたり、YMCAの建物となったりしたので、政府が国家遺産として購入し、保存することにしたものである。現在は11エーカーの敷地が残り、邸宅内は有料のガイドツアーでのみ見学できるが、庭園は無料で公開されており、市民のくつろぎの場所となっている。<br /><br />ガイドツアーはホープ・ロード側から始まるが、邸宅と道の間の庭園には巨大なヤシが立ち並び、ヨーロッパの宮殿にあるかのような噴水が見事。中に入るとまずは市松模様のタイルの床のエントランスでスティーベルの肖像画が迎えてくれる。右手はリビングルームで、150年以上前の鏡がありカリビアンソファーが置かれている。左手はダイニングルーム。家族ゆかりの肖像画などが配置され、貴族的な雰囲気。椅子やティーセットには、当時ヨーロッパで流行していたシノワズリ(chinoiserie:中国趣味)が用いられている。肖像画のひとつはどの角度から見てもつま先が自分の方を向くだまし絵になっている。1階には他にパームルームと呼ばれるヤシの木の絵が掛かった部屋やゲーム盤が置かれたゲーム室もある。<br /><br />最高級の木材を使った階段を上がる。メインベッドルームには天蓋付きベッド。ベッドの上には布団を温める器具(湯たんぽ)が置いてあり、鏡台や子供が飲んでしまわないように隠し棚の付いた薬箱も置かれている。板張りのバスルーム(トイレもある)も併設。子供部屋として再現した寝室のシャンデリアはマイセン。ベッドの脇には人形を寝かせる小さなベッドが置かれており、お気に入りのお人形を寝かせてキスする小さな女の子の姿が目に浮かぶようだ。ゲームテーブルが置かれたサロンにはイタリアムラノガラス製のシャンデリア。ボールルームはかなり広い。ロワイヤルカラーの王道とも云うべきブルーとイエローの組み合わせの配色。木製の鍵盤のピアノが置かれているが、ここで舞踏会や音楽会が開かれたそうだ。その他、古いミシンや紬器が置かれ、屋根裏の賭博部屋への階段(使わないときには天井に引き上げられて分からなくできる)がある小部屋や、ボールルームの庭側にはベランダに出られる広い階段室もある。全体的にインテリアはコロニアル様式(もともと、植民地在住の欧米人の社交の場を提供したり、植民地にバカンスに訪れる欧米人をもてなすために出来たスタイル)。<br /><br />なかなか説明がうまくていいツアーだった。ツアーが終わると、今度は裏庭に。ここは自由に出入りできるところで、南国情緒のある庭にベンチが置かれ、かつて邸宅の使用人たちが住んでいた平屋を利用して、いろいろなショップが入っている。その中の一つのベーカリーショップでジャマイカ名物のパティ(パイ包み焼き)を購入。さらに、一番裏の駐車場側にあるアイスクリーム屋(I-Scream)へ。ナショナル・ジオグラフィック誌の「世界で食べたいアイスクリームの店」で3位になったことがあるそうだ。20種類以上あるフレーバーの中で2番人気と云われるラムアンドレーズンのシングルコーンを食す。うまい! 前にカーニバルの時に来て、マンゴーとストロベリーのダブルにしたら、美味しかったけど、量が多く、どんどん溶けて困った。シングルで十分だな。後日談だが、その後1番人気と云われる黒ビールベースのデボン・スタウトも食べた。しかし、制覇はとても無理。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.2034651956604818.1073743722.100001801017376&amp;type=1&amp;l=5e2c0c72ad<br /><br />1時間半頃、観光終了。<br /><br />以上

キングストン デボン・ハウス(Devon House, Kingston)

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2018/04/17 - 2018/04/17

51位(同エリア75件中)

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ちふゆ

ちふゆさん

18年4月17日の火曜日、JICA着任後オリエンテーションの最終日、最後の語学試験を終えて、お昼前から全員でキングストンでも有数の観光地のデボン・ハウスを訪れた。ここは1881年にジョージ・スティーベル(George Stiebel)が建てた豪邸。

ジャマイカ初の黒人百万長者と云われるスティーベルは1821年、ユダヤ系ドイツ人商人の父とジャマイカ人のお手伝いの間にキングストンで生まれた。ジャマイカの歴史を辿ると必ずと云っていいほど、こういう話に出くわす。ある意味、悲しい歴史。この頃は白人と黒人の混血は虐められる存在で、さして裕福でもなかった家に育った彼は学校に馴染めず、14歳で大工の徒弟として働き始めた。彼には大工の才能があり、19歳の時には、キングストンとスパニッシュタウンの間にあるFerry Innと云う有名な旅籠屋の改築の責任者にまでなった。

しかし、彼はそんな状況に満足せず。20歳を過ぎた頃、父親の出資を得て船を買い、北南米間での輸送業に進出する。1840年代はキューバで独立への機運が高まり始めた頃で、キューバへの武器の輸送でかなり潤ったようだが、拘束されて手を引く。そんな彼に大きな転機が訪れたのが1856年。彼の乗った船が嵐で難破。彼はベネズエラに漂流したのだが、ここでまた才能を発揮する。先見の明で手持ちの金をベルトに入れており一文無しにならなかった彼は、その金で行商人を始める。そして、金(ゴールド)が高値で取り引きされることを知った彼は、友人を呼びよせて金鉱を探し、1858年に見事掘り当てた。

それから15年、莫大な利益を得ていた彼を不幸が襲う。愛息の死。1873年、彼はジャマイカに戻ることにした。帰国後の彼は次々と不動産を購入する。最大99軒の不動産を所有した(100軒以上持つことが当時は許されていなかったため)。そして、1881年、家族と住むため53エーカーの広大な土地を購入し、この豪邸を建てた。元々この辺りは1667年にジャマイカに派遣されたジョン・ツェラーズ(John Zellers)牧師にイギリス国王チャールズ2世(Charles II)から与えられた600エーカーの土地の一部で、デボン・ペン(Devon Penn)と呼ばれた牧場があったところで、名前はそこから来ている。なお、スティーベルは慈善家でもあり、社会貢献も多く行い、ヴィクトリア女王(Queen Victoria)より聖マイケル・聖ジョージ勲章(C.M.G.)を授与されている。この間、彼は家族とともにこの屋敷に住んでいた。1896年、彼は75歳で亡くなった。

彼の死後、娘が彼女が亡くなる1922年まで住んでいたが、その後は売却され、2人のオーナーを経て、67年に国の管理となり、82年に博物館として一般公開された。邸宅内は当時のままの豪華な部屋が残され、植民地時代のアンティークなインテリアが配されている。デボン・ハウスのあるトラファルガー・ロード(Trafalgar Road)とホープ・ロード(Hope Road)の交差点はかつてはミリオネアーズ・コーナー(Millionaire's Corner)と呼ばれ、この屋敷の他にもThe Verley Family's Abbey CourtとDaniel Finzi's Reka Domと云う二つの屋敷が建っていた。しかし、60年代に入り、取り壊されたり、YMCAの建物となったりしたので、政府が国家遺産として購入し、保存することにしたものである。現在は11エーカーの敷地が残り、邸宅内は有料のガイドツアーでのみ見学できるが、庭園は無料で公開されており、市民のくつろぎの場所となっている。

ガイドツアーはホープ・ロード側から始まるが、邸宅と道の間の庭園には巨大なヤシが立ち並び、ヨーロッパの宮殿にあるかのような噴水が見事。中に入るとまずは市松模様のタイルの床のエントランスでスティーベルの肖像画が迎えてくれる。右手はリビングルームで、150年以上前の鏡がありカリビアンソファーが置かれている。左手はダイニングルーム。家族ゆかりの肖像画などが配置され、貴族的な雰囲気。椅子やティーセットには、当時ヨーロッパで流行していたシノワズリ(chinoiserie:中国趣味)が用いられている。肖像画のひとつはどの角度から見てもつま先が自分の方を向くだまし絵になっている。1階には他にパームルームと呼ばれるヤシの木の絵が掛かった部屋やゲーム盤が置かれたゲーム室もある。

最高級の木材を使った階段を上がる。メインベッドルームには天蓋付きベッド。ベッドの上には布団を温める器具(湯たんぽ)が置いてあり、鏡台や子供が飲んでしまわないように隠し棚の付いた薬箱も置かれている。板張りのバスルーム(トイレもある)も併設。子供部屋として再現した寝室のシャンデリアはマイセン。ベッドの脇には人形を寝かせる小さなベッドが置かれており、お気に入りのお人形を寝かせてキスする小さな女の子の姿が目に浮かぶようだ。ゲームテーブルが置かれたサロンにはイタリアムラノガラス製のシャンデリア。ボールルームはかなり広い。ロワイヤルカラーの王道とも云うべきブルーとイエローの組み合わせの配色。木製の鍵盤のピアノが置かれているが、ここで舞踏会や音楽会が開かれたそうだ。その他、古いミシンや紬器が置かれ、屋根裏の賭博部屋への階段(使わないときには天井に引き上げられて分からなくできる)がある小部屋や、ボールルームの庭側にはベランダに出られる広い階段室もある。全体的にインテリアはコロニアル様式(もともと、植民地在住の欧米人の社交の場を提供したり、植民地にバカンスに訪れる欧米人をもてなすために出来たスタイル)。

なかなか説明がうまくていいツアーだった。ツアーが終わると、今度は裏庭に。ここは自由に出入りできるところで、南国情緒のある庭にベンチが置かれ、かつて邸宅の使用人たちが住んでいた平屋を利用して、いろいろなショップが入っている。その中の一つのベーカリーショップでジャマイカ名物のパティ(パイ包み焼き)を購入。さらに、一番裏の駐車場側にあるアイスクリーム屋(I-Scream)へ。ナショナル・ジオグラフィック誌の「世界で食べたいアイスクリームの店」で3位になったことがあるそうだ。20種類以上あるフレーバーの中で2番人気と云われるラムアンドレーズンのシングルコーンを食す。うまい! 前にカーニバルの時に来て、マンゴーとストロベリーのダブルにしたら、美味しかったけど、量が多く、どんどん溶けて困った。シングルで十分だな。後日談だが、その後1番人気と云われる黒ビールベースのデボン・スタウトも食べた。しかし、制覇はとても無理。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.2034651956604818.1073743722.100001801017376&type=1&l=5e2c0c72ad

1時間半頃、観光終了。

以上

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