2018/07/09 - 2018/07/13
4位(同エリア34件中)
鯨の味噌汁さん
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この旅行記のスケジュール
2018/07/09
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正午過ぎ、バスターミナル到着
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库车金色阳光宾馆(ジンソ―ヤングアンモーテル)チェックイン
2018/07/10
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終日ホテルで静養
2018/07/11
2018/07/13
-
シンジャン ヌアラン ホテル チェックイン
2018/07/14
-
15:25 カシュガル空港から烏魯木斉経由で成都へ
2018/07/15
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この旅行記スケジュールを元に
古来より、ウイグル族はこの土地を「東トルキスタン」と称した。
かつて司馬遼太郎がこの土地を訪ねたとき。
町の古老にそのことを問うと、西の方向を指さし
「彼ら(トルコ人)が、あっちに出て行ったのさ」
と、まるで最近出て行った親戚のことを語るように答えたそうな。
もともとここはウイグル族の天地なのだ。
であれば、1991年、旧ソ連のひとびとが民族ごとの国を建てたように、「東トルキスタン共和国」ができても不思議ではなかった。
そうならなかったのは、ひとえに、ここが「ソ連」ではなく「中国」だったからだ。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
7月9日、月曜。
ホータンを出発してから15時間後、バスはタクラマカン砂漠の北の町、クチャ(庫車)に到着した。
正午を過ぎ、日差しが厳しい。たちまちにして汗が噴き出る。それになんかクラクラする。喉も痛いぞ。
大通りをとぼとぼ歩き、なんとか予約したホテルを探し当てる。
フロントのお姉さんに、「スマホ談」でアーリーチェックインをお願いし、倒れこむようにベッドへ。
メシも食わず、そのままウトウトと寝てしまう。 -
7月10日、火曜。
目が覚めたら、外は快晴だった。
前日に比べるとだいぶラクにはなったが、今日くらいはおとなしくしていたほうがよかろう。
クチャには三泊の予定だから焦って観光することもない。
それでも午後から起き出し、30分だけ外を歩き、屋台でブドウをひとふさ、さらに追加の風邪薬を買う。
薬屋のオヤジに「頭痛・熱・喉痛」と書いた紙切れを示すと、大げさにうなずき、粉薬を渡される。
ホテルに帰り飲んでみたら、お子様シロップみたいにベタベタに甘かった。 -
次に目が覚めると、夕方だった。(といっても当地の夕方は午後9時くらいなのだが)
びっしょり汗をかいている。喉が痛くない、関節も痛くない。
驚くべし、シロップがバッチリ効いてる。ワシは赤ん坊かい。
しかし、中国の売薬って効く気がする。
もしかしたら薬事法とかがゆるゆるで「ガンガンぶち込んでも構いません、でもって死んだら自己責任」みたいな感じなのかもしれん。(知らんけど)
のそのそ起き出し、フロントへ降りていき、翌日からのクルマの手配を依頼する。
クチャは見所の多い町だが、そのほとんどは公共交通機関の使えない郊外にある。
それに、この体調ではそんなに歩き回れない。
料金は一日チャーターで400元だとゆう。泊まってるホテル代の倍だ。
だがしかし、バスもない、歩いて行ったら死亡確実だから、これはやむを得ないだろう。エイヤっと二日分リザーブ。
ホテル隣の漢族食堂で、汁なし担々麺とビール。(日本と変わらん) -
7月11日、水曜。
10時にツアー会社のクルマが迎えに来るとのことなので、ロビーで待っていると。
30代半ば、日焼けした漢族の女性が元気よく入ってきた。
白の上着、白のジーンズ。いかにも「現場仕切ってます」って感じのお姉さんだ。
ただしサングラスにマスクなので、表情は分からない。
だがしかし、ここが重要なのだが、いや重要じゃないかもしれないが、ほれぼれするような巨乳なのであった。
女性は、趙(チョン)さんとゆった。クルマに案内されると誰も乗っていない。
つまり巨乳を貸切とゆうことか。
・・・よかろう、どこからでもかかってきなさい。
ちなみに趙さん、英語も日本語もまるでダメ。
地図を指差して行きたい場所を確認するくらいしかできない。 -
クルマは郊外を北上、まずはキジル千仏洞をめざす。
でもってそこにたどり着くまでの景観がすごい。天山山塊につらなる奇岩のカタマリが次々に現れる。
趙さんはところどころでクルマを止め、
「ここは絶景スポットであるから、写真を撮りなさいー」
なんてことをゆう。
えーと、ワシ、カメラ持ってないです。
すると「マジ、ここまで何しに来たのよー」みたいな反応が返ってきたので、あわててスマホを取り出し、趙さんを撮ってしまう鯨である。 -
キジル千仏洞は唐代に掘られた石窟群であって、土漠地帯を越えた川ぞいに忽然とあらわれる。
かつてのクチャは交易で栄えたオアシス国家で、仏教の伝来ルート上にあったから、こんな石窟がいくつも残っているらしい。 -
千仏洞といっても、実際に見学できるのはそのうちの5つか6つでしかない。
5人ばかしお客さんが集まると、それにガイドさんがついて、石窟の部屋のカギを開けて、中をざっと説明してくれる。これはどこも同じシステムらしい。
ワシは漢族の若いお嬢さんたちと同じ組になった。皆さまなかなかキレイで、きゃあきゃあと元気がよろしい。学生さんと思われる。
さらに、ついたガイドはウイグル族の少女で、小柄ぽっちゃり、黒髪でまつげの長いカワイコちゃんであった。 -
お嬢さんに囲まれ、かつカワイコちゃんに案内されるとゆう、喜ばしいシチュエーションとなり、仏画も一層ありがたく感ぜられる。
さらにカワイコちゃんのガイド嬢は簡単な英語を解するので、ワシとの間にコミュニケーションが成立するのだった。これもすばらしい。 -
とゆっても、そのコミュニケーション、具体的には
「おーすげー、これ、奈良と同じ線刻画じゃね? 」
「・・・こらそこのハゲ、壁に触るな」
みたいな感じですが。 -
クルマはさらにどんどこ北上。クチャ川ぞいの赤茶けた台地をひた走り、天山山脈のふところに入って行く。
やがて道沿いに、ひときわ真っ赤な山塊があらわれる。 -
そこが「天山神秘大渓谷」とゆう景勝地だった。
日本では聞いたこともない場所だけど、いちおう「中国のグランドキャニオン」って自称してる。
山塊が真っ二つに割れて渓谷を成し、底に一筋の歩道ができている。
その歩道を、中国人観光客がぞろぞろと歩いていく。 -
新彊ウイグル自治区、観光客はほとんど中国国内からのようだ。
町を歩けばイスラムチックだし、ジモピーがウイグル族だから、お手軽に「海外気分」を味わえる場所なんだろうな。
そーいえばホータンのホテルの地下は、ウイグル娘を集めたクラブになっていた。
ワシには縁のない場所だけど、漢族の助平オヤジたちが鼻の下をびよよよよーーーーーん伸ばして遊んでるに違いない。
助平オヤジどもが呪われんことを心より祈念する鯨である。 -
7月12日、木曜。
体調回復したので、午前2時からのW杯準決勝「イングランド×クロアチア」を最後まで見てしまった。おもろかったけど、寝不足である。
きょうは21時半の夜行列車でクチャ駅からカシュガルへ出発することが決まっている。それまではマイペースで観光しよう。
前日に引き続き「偉大なる巨乳」趙さんがクルマで迎えに来てくれる。
本日のお召し物はTシャツにホットパンツであって、前日より露出度は拡大傾向を示し、太ももなどがキラキラ眩しく、さらにさらに素晴らしい。
なおかつ、昨日は硬かった表情が、なんとなくではあるが和らいでいる。
これは推測だけど、趙さん、外国人相手の観光案内は慣れていないのだろう。しかも怪しいハゲデブ凶相の日本人であり、お得意先のホテルの紹介なんでやむなく引き受けたんだろう。
たしかに出会い系の待ち合わせでワシが出てきたら、一発スルー間違いなしだ。(⇒やったことないけど)
だがしかし昨日一日付き合って、この凶相日本人が、見た目はヒドイが中身はそれほどではないと判断したらしい。
それもあってのホットパンツだろう。
まことに喜ばしい。 -
ウイグル人の村を通り過ぎ、涸れ川を渡り、クルマはスバシ故城へ向かう。
ここは唐時代の大寺院跡だそうで、河原沿いにずーーーーと向こうまで、朽ち果て系の遺跡・遺跡・遺跡がつらなる。
背景は褐色の天山山塊、そのふもとに広がる大伽藍跡。まこと、凄まじい眺めである。
木組みの遊歩道が整備されていて「歩道以外歩くなよ」てな看板が立ってるけど、全面的に貸し切りなので、ゴミ拾いなども兼ね(見つかった時の言いわけ)、遺跡に最接近する。(⇒ペットボトルなんぞけっこう落ちてる)
近寄ってしげしげ眺めると、たしかにレンガの積み跡があるから、かろうじて建造物だったってわかる。日本じゃ木造だから、遺構しか残らない。
そういえば、奈良の大仏の開眼式には、インドからエライ坊さんが参列したんだったな。
仏教もインド人も、よくまぁあんな辺境まで来てくれたもんだ。ありがたやありがたや。
キリストなんて1000年も遅れてきたし、マホメットは来なかったのに。
…なーんてことをぼんやりと考えながら、広い構内を歩き回る。 -
仏塔跡らしい高台によじ登って風に吹かれてると、パラパラとお客さんがやってきて、賑やかに記念撮影を始めた。
そのまま座ってると、彼らの写真の背景には、サル山のボスみたいなデブが写り込んでしまい、中国奥地にナゾの原人か、なんて後日ナショナル・ジオグラフィックで特集されても困るので、そそくさと塔を降りる。
団体さんは5人ほどのツアーで、北京・上海・深センからとのこと。
深センからとゆうオヤジが、英語ペラペラだった。
ワシが日本人だと知ると、なんか話しかけてきた。ややうっとおしい。(⇒オヤジには冷たい)
「マイドウターはジャパンで学生をやってる」
ふーん、そらよござんした。(⇒あくまでオヤジには冷たい)
オヤジ、さらに得意そうにゆう。
「×▽??大学である」
知らんがな。大学なんて売るほどあるし。
ワシがテキトーにいなしてると、オヤジはややムッとして、ボールペンでパンフレットの端っこに
「早稲田」
はいワシ落ちましたー。(ひれふす)
さらにオヤジはドヤ顔で「住所・氏名・電話番号」をサラサラと書き
「深センに来たら、いつでも連絡くれ」
鉄板で行く予定ないです!
…とはいえ親日派らしいのでムゲにもできず、いやいやメアドなど交換する鯨である。 -
それから世界遺産にもなってるクズルガハ烽火台へ向かう。
烽火台って、敵が攻めて来たらノロシで知らせるアレですね。
クチャの町からは意外に近く、天山山脈の南、河岸段丘の高台にある。 -
茫漠の乾いた台地に、烽火台は巨神兵の残骸みたいにたたずんでいた。
こんなさみしいとこで1年365日、何世代にもわたって、いつやってくるかも知れない敵をひたすら待ったわけか。
でもって数百年に一度、ノロシを上げたらその後は、必死でクチャまで逃げたんだろうな。逃げ切れなかっただろうけど。
辺境警備って、いつの時代もかなしい。 -
市内に戻り、ウイグル人街にあるクチャ王府にクルマを向ける。
ここらへんからワシは本格的に睡魔に襲われ、クルマの中で何回かオチかける。
クチャ王府には亀茲国博物館が併設されている。
日向を歩くと倒れそうになるので、博物館の中で涼む。
烽火台は貸切だったけど、ここは観光客がちらほら歩いている。みなさま漢族だ。 -
期待しないで入った博物館だけど、展示内容は、なかなかにヨイ。
「白人の仏画」なんて、現代から見るとちょっと不思議な感じの絵もある。
そうだよな。イスラムが来る前、この地の人々は敬虔な仏教徒だったんだ。 -
観光を終えると、15時だった。
歩き回ったこともあり、ひたすら眠い。これはもう、時間まで駅のベンチで寝るしかないな。
「駅まで送ってくれ、21時の列車に乗りたい」
趙さんに伝えると、手まねでマクラを作り、まだ早い、事務所で休んで行け、ベッドもあるよ、なんてことをゆう。(⇒なんとなーくわかる)
「趙さんの会社で? 」
そうだ、とうなずき、名刺をくれた。旅行会社の総経理だった。小さいながらも会社の経営者だ。
と、ゆうことはですよ。
ももももしかして「巨乳女社長・白昼禁断・ホテルの鍵貸します」なんて展開、ないこともないのではないか。
てか、ひょっとしてモテてるのではないか。
どーする鯨の味噌汁、待て次号。 -
…てなことはまったく、全然なく。
趙さんの会社は、従業員は彼女を含め3人。
ゲストハウスも経営しており、そのうちの一室に案内されたのだった。
「19時に起こすネ」
と時計を指し、趙さん、にっこりと部屋を出て行った。
助手席で、だいぶウトウトしてたからな。なんだかかたじけない。
モテたわけでないものの、少なくとも嫌われてはいないらしい、とベッドに潜り込む鯨である。
ちなみに趙さんのゲストハウスは、外国人は泊まれないことになっている。
だからここに名前も書けないけど、旅の情けを感じた日だった。
19時、駅まで送ってもらい、メアドを交換し別れた。
深センのオヤジから連絡は来なくていいが、趙さんからは是非是非、来て欲しいものである。 -
21時30分、夜行列車がホームに入ってくる。
カシュガルまでは9時間。
このたびは下段のベッドなので、すんなり眠りに落ちた。
あけて7月13日、金曜。
6時過ぎ、払暁のカシュガル駅に到着。
この町が旅のスタートだったから、タクラマカン砂漠を1週間かかって半周したわけだ。
そのままホテルにたどりつくと、9時前にもかかわらず、追加料金なしでのアーリーチェックインOKだった。ありがたい。 -
一眠りして、午後遅くに起き出す。
カシュガルの古道具屋街をぶらぶら歩いてたら、ガラスケースに古銭が何枚か並んでいた。
どれどれ、と覗き込むと、一文銭に混じって、見たこともないコインがある。
一円玉くらいの大きさで、厚みのある銅貨。表には馬やラクダの図柄。裏には漢字。「六銖銭」と読める。五銖銭は見たことあるけど、六銖銭って知らないなぁ。
その場でスマホを取り出し、
「シルクロード 六銖銭」
で検索をかけてみる。(つくづく便利な時代だ)
すると、このコインは2世紀頃に作られた「馬銭」なるもので、ホンモノはごく少なく、だいたいが後世の工芸品、とある。
本物は世界に400枚しかなくて、最低でも10万元はするそうな。本物なら160マンエンか、それもすげーな。
店主のオヤジに、その「馬銭」をより分けて示し、価格を問う。
店主、少し考え、重々しくワシに告げる。
「二つで500元だ(⇒約8000円)」
お、初手からオミヤゲの値付けだ。だったら遠慮なく値切ろう(笑)。
「二つで100だね」
「ダメダメ、400」
あっさり下げるなぁ。
400元あったら、かーちゃんにいいスカートが一枚買える。
その場から首を振りつつ離れる。店はここだけじゃない。付近一帯、ウイグルの古道具屋だ。
「待て待て」
オヤジが声をかける。
「200にしよう」
ニセモノに200はない。100だ。
するとオヤジ、手真似でゆう。
「こっちの小さいのは、ホータンの土から出たヤツだ!」
ウソこくな。出土品ってガチャガチャに錆びてるもんだ。(⇒昔、古銭コレクターだった)
「二つで150」
オヤジ、ようやくうなずく。
「袋に入れて、価格を書いて入れてくれ。店の名前も書いてくれ」
中国は歴史的遺物の国外持ち出しに厳しい。古道具屋でオミヤゲとして買った証明がないと、出国時に没収されることがあるそうな。150元のニセモノに難癖をつけられるのはイヤである。 -
東トルキスタン最後の夜。
1週間前と同じ店に行き、羊肉を頼み、ひとりでビール。
今回、ウイグル族弾圧の現場に、何も知らずに来てしまった。
だから乾杯の気分にはなれないけど。
無事に旅を終えることに感謝せねばならぬ。
相席になったウイグル族の少年が、ヘン顔でワシを笑わせようとする。
ワシが笑うと、嬉しそうにピースサインを出した。 -
その日の夜、夢を見た。
誰かと旅をする夢。それが誰かはわからない。
行先は遥か遠くにある設定で、息苦しくなったところで目が覚めた。
暗いベッドの中で、前にもこんなことあったな、と思い出す。
むかしむかし、30年以上むかし、バルセロナの蚤の市で、古いドクロの指輪を買ったら、その日の夜に、悪夢を見た。内容もハッキリ覚えてる。
…あの時は「こらあかん」と思って、指輪をホテルに置いてきたのだった。
ってことは、このコイン、どちらかがホンモノかもしれん。
翌朝箱を購入し、きちんとその中へ格納して日本へ持ち帰った。
めでたいことに何も起こらず、今でも、ワシの手元にある。
売るつもりはないし、おそらく売れるものでもない。
このままワシの机の引き出しにひっそり収まって、忘れた頃に取り出して、眺めることにしよう。
うろうろ歩いたカシュガルの、町の気配がそこにある。
でもって、ときどきはヘンな夢ではなく、楽しい夢を見せてほしいものである。
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この旅行記へのコメント (7)
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- willyさん 2023/01/27 16:29:08
- ワタクシも
- 鯨さん
わたしもほいみさんみたいに、また読みたくなってやってきました。ここまでもずっと読み返してきましたが、やはり良いですなぁ。心に染み入る。くじらさんの文章。とくにこの1篇の収めのくだりが、大好きな團伊玖磨さんの筆を思わせてノックアウトされました。
不詳ワタクシもいつかは行きたい憧れの西
- 鯨の味噌汁さん からの返信 2023/01/28 16:31:20
- また行きたいけど…
- 古い日記に暖かいコメントありがとうございます。
新疆ウイグル自治区、いつかまた行きたいけど、たぶんもう無理なんだろうなと思ってます。日本人の個人が自由に歩ける状況ではなさそう。4Tの旅行記もいくつかチェックしてますが公安関係がキツくなっているようですし。ワシの個人名も特定されちゃったみたいだし。(こわいよー)
今度行くときは国境超えてキルギスやタジキスタンを歩けたらなぁ、なんて思ってますの。
- willyさん からの返信 2023/01/28 20:38:54
- 無理ですかぁ…
- こ、こ、個人名が…
ビビりますね…
この日記のトップの写真は、ペルセポリスのあと訪れたキュロス大王の墓の風景とそっくりで、羽根のような軽やかな雲も、同じです。
イランもきっとこの先ますますす行きづらくなるでしょうね。
-
- ほいみさん 2022/02/13 10:32:02
- 再読しました
- 今になって読み返すと、2018年時点でかなりヤバいですね・・・弾圧。
この情報化時代なのに「共産党下でウィグル族は平和に暮らしてる」なんていう誰にでも分かる嘘が表面化されていないというか、大国同士の都合でお互いに「やってることも、知ってることも」隠蔽してるというか。ましてや日本の政治家先生なんて「そんなものフタしとけ」みたいな。
クジラさんが安全な老後を過ごせる様に祈ってます!
ほいみ
- 鯨の味噌汁さん からの返信 2022/02/13 13:02:25
- やばいやばい(震え声)
- そーなんです。
監視社会。バザールもがらがら。
世界一ヒマなカナダ人、世界一旅行好きなドイツ人も来ない。
観光地にいたのは漢族ばかりでしたもの。
中国はまだ行きたいところがいっぱいあるんだけど、今の政体が変わらないと行けないなぁと。
-
- mistralさん 2018/08/20 22:23:47
- 遥か昔の旅。
- 鯨さん
無事に旅を終えることができて、一安心です。
ところで古そうなコイン?
購入された夜に見た夢ですが
遥か昔、遥か彼方の地を
誰かと旅していた!
三蔵法師さまだったのかも、
と思いました。
mistral
- 鯨の味噌汁さん からの返信 2018/08/21 10:33:11
- そうかも知れんです
- mistralさま、
お手紙ありがとうございますー。
三蔵法師…たしかにそうかも知れんです。ワシは3人の従者の一人…沙悟浄かしらん。あーでもデブってことを考慮すれば猪八戒になるのか。
旅の続きは夢に出てきません。どうやら現地に行かないと続編は見られないもようです。
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旅行記グループ 厳戒・新疆ウイグル自治区
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