2018/08/01 - 2018/08/10
23位(同エリア342件中)
ママブー♪さん
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牡丹江から移動して吉林省の延吉に向かいます。
黒竜江省、吉林省、遼寧省は中国三大農業地域でトウモロコシや小麦、小豆、ジャガイモなどが主な栽培地域とのこと。もちろん米も栽培しています。
遼寧省の一部では遺伝子組み換えのものを作っているらしいが、黒竜江省は一切組み換えのものは使っていないと通訳から聞き、昨日まで食べた豆の美味しかったことを思い出しました。
日本で農業をされている方が参加していましたがバスの中から見える風景を観てこちらの農業は素晴らしいと観ていてわかると言っていました。
日本の地方の農業の方が恥ずかしいといい、よっぽど農薬などの使用などが怖いと言っていました。そのうち蓄積して害が出てくるだろうとも言っていました。
通訳は先入観を持たずに一つでも中国の楽しいことを見つけてくださいと言っていました。きっとトイレや食事、食器などで騒ぐ私に向かって言った言葉かもしれませんが、私はもうすでにこの不便さや劣悪な環境を工夫したりして楽しんでいる自分がいることにも気付き、私いけるじゃん!って思ってしまいました。
だけど毎日ビオフェルミンを飲んで暮らしていないと油断すると油の取りすぎやミネラルウォーターですら硬水のものなどもあり水質の変化でお腹がゆるくなりますので、出先でのトイレだけは勘弁なので気をつけていました。
ですが、公衆便所での対応や、料理が最初はおっかなびっくりで口にしなかったものも美味しいと箸をつけるようになったのでまだまだ旅は続きますからそのくらい馴染んで良かったと思ったりもしました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 交通手段
- 高速・路線バス
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ホテルを出て2時間くらいバスに乗ってようやく最初のトイレ休憩に。
高速道路の公衆便所は相変わらずですが、そろそろ水以外も飲んで見たい・・・という衝動に。
で、一応売店などが大抵入っているのでそこで冷たいものはないかと物色。本当はコーラが飲みたかったのですが、冷蔵庫が見つからず冷たくないコーラしか売っていないと思ってネスカフェを購入。確か4元だったかな。 約80円弱・・・まぁ高いけどありでしょう。
甘過ぎず、なんかお風呂屋さんで飲んだコーヒー牛乳の味がしました。 -
バスの車内で観光客向けの土産販売が通訳さんから案内されて売り出されました。
いい値段するけれど、観光じゃないし行く所がないからと皆注文していました。
私はこのお茶のビスケットを受け取ったけど結局食べることなく置いて来てしまいました。
北京の空港内のビジネスラウンジでお菓子を食べたとき、口の中の唾液を全部持って行かれるような?強烈に水分を奪われる菓子だらけだったのでそれ以来恐怖で手が出ません。
でも美味しいと皆さんは言っていました。 -
黒竜江省から吉林省に高速道路のインターが変わるときに検問があります。
抜けたところで公安がバスの中に入って来て脱北者とか怪しい人がいないかチェックをするそうです。 -
無事に検問を抜けてしばらくしてまたサービスエリアでトイレ休憩です。
明らかに黒竜江省から吉林省に移ったところで、道の状態が良くなりバスの車内で本を読んだりできるようになりました。
吉林省はインフラ整備ができていて綺麗なんだと言っていましたが、相変わらずの公衆便所です。
ドアはあるものの閉まらない、もちろん流れていない、紙は山積み片付いていない。。。大陸の人は手に紙を持っている人があまりいない事にも気付きました。
多分小の方は拭かない人がいるんじゃないかなぁ???
バスの中でなんとなく臭うのは高齢者の残尿?とか思ったけれど(失礼なことを!)ある時、現地ガイド・・・なんにも持って入ってないなと気づきました。
それこそ参加された男性陣に前立腺は大丈夫ですかーー?とお酒を飲んだときにふざけて話をしたら、そういう関係はバッチリ!尿もれなし!と皆が太鼓判を押していました。 そうじゃなきゃこんな長距離の旅に来れないよ・・・とも。そういえばそうだなと納得。
バスの車内で通訳がウィチャットの普及がすごくて日本の方が遅れていると話してことを受け、確かにそうだけどじゃあなんであんなにトイレが汚いんですか?と1人が質問しました。
すると中国人はロバの糞という言葉があって見た目はテカテカしてるのになかはカスカス・・・いわゆる人目につくところばかり磨いてなかはほったらかしという考えがいまだに浸透しているという。
ましてや公衆便所など公共のものは国が何かしてくれるだろうという考えで残念なことだが自分さえ良ければという考えは昔から変わっていないとも言っていた。
しかしながらインターネットの普及は中国人の考え方に大きく影響を与え、いい面もたくさんでており、あるとき日本の朝の小学生の登校風景がアリババとかいうSNSに投稿されて、横断歩道を渡る小学生が止まってくれた運転手に頭を下げて一列になって渡る姿を見て、中国の人たちが日本の子供はこんな小さなうちからきちんと出来るんだと大反響になったそうです。
そうやって外国からの影響がちょっとずつ入って来て中国人の中には変化が少しあっていいと思うと言っていました。 -
吉林省は中国の北に位置し、朝鮮との国境線もあり中国の中に韓国の色も見え隠れする場所でした。
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街中近くになって今日の昼食はビビンパにしましょうと添乗員さんが案内してくれました。
そしてここで吉林省のガイドと待ち合わせして対面です。
若い男性の方でした。あまり存在感がなかったのですが物静かで中国人には見えないスマートな印象がありました。 -
まずは薬味が出て来ました。 これをご飯に混ぜても漬物として食べてもいい感じでした。
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オーダーしたキムチが、皆美味しい、美味しいと男性陣はビールを飲んでつまんでいました。
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ビビンパは本当に久しぶりに美味しかったです。辛い薬味を入れて食べたら最高でした。
高齢者にとってこういうものは初めて食べる人がほとんどで、皆どうやって食べるんだ?と解説を待って混ぜて食べていましたが、混ぜて食べる食べ方が行儀が悪いと思うのか?女性陣はうまく混ぜて食べられていませんでした。
だけど皆さん美味しいと完食してしまった人もいて驚きでした。
結構な量だったので私は無理でした。 -
このエリアは綺麗に整備されていて、黒竜江省とは明らかに街並みが違いました。
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延吉は本当に衝撃な話を聞いたのは、犬をいまだに食べるということです。結婚式やお祝いの席などに出されるそうで、その話を通訳がするのでエェ!!と叫ぶと「大丈夫ですよ、犬は犬でも食用に養殖していますから」と。
もう衝撃的で犬を食べるなんて・・・とすごく悲しかったのですが、母が青島に旅行に行ったとき、市場で檻に入った赤犬(柴犬の大きいような犬だったとのこと)が寂しそうな顔をしていたそうで、一回りして戻ったら頭をトンカチで叩かれてすでに血を流して死んでいて奥で皮を剥がれているところだったと言っていました。ですから中国のあちこちではまだ犬を食べる習慣はあるようです。
それなのにこの延吉ではなぜ?? ペットショップがあるんだけど・・・???
食べる犬とペットとしての犬は違うの??
ハルピン生まれの中国人の友達は犬が大好きで美味しいよと言っていました。
だけど小さなペット用の犬すら放し飼いなんてしてたらすぐに捕まえられて食べられちゃうとも言っていたので、なんだか怖いイメージしかなかったです。
当然、子供も連れ去られてしまうという話は本当のようで、通訳もそのことを話していました。 だから子供に対しては送り迎えは当然、おじいちゃん、おばあちゃんまで出動して守るんだって言っていました。
4年前に一人っ子政策は解除されて、今では2人目推進委員までできたそうですが、若い人たちは経済的なことや教育のことなどを考えてなかなか2人目には踏み切れない人が多いと話していました。
日本人も外国の人から見たら、一部では鯨も食べるしイルカも食べるんですから同じ事なのでしょう。 -
韓国語表示の看板などが多く見えました。本当に雰囲気が違います。
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病院なども多くあり・・・入院棟と外来?に分かれています
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問診と書いてあるところが最初の入り口でしょうかね?
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延吉は丘陵地帯が広がっている場所ということで緩やかな坂が結構あります。
この旅の前に藤原ていさんの著書『流れる星は生きている』を読んだばかりだったので、満州引き上げの大変だった事を書かれたあの本の内容を思い出して泣きそうになりました。 -
延吉市内では収容所跡を何箇所か回りました。
バスの車内からしか見れない場所もありました。軍の施設になっているからとのこと。写真も外から撮ったりできないということでこそっと撮りました。 -
この場所に収容所があったということで、ここでお父上を亡くされたと言う方が1人で降りて奥の方までガイドといっていました。
周りの目を気にして、軍の施設になっている事もあり、あまり皆でウロウロしないほうがいいと団長さんが心配されていました。 87歳で参加され、この旅で眠れない日が続いたようできつそうでした。 ですがしっかりとされた流石はリーダーになるだけの事はあるなと言う昔の男尊女卑の世界に生きてきた男性?にしてはとても紳士的で、飛行機のトランジットの際にバスで移動した時、後から乗ってきた女性陣に席を譲り、それこそ私にまで座るように促してくださいました。
「いやいや、私は皆さんより若いので」と遠慮すると「いいから座んなさい」と押し戻されてニコニコと優しい眼差しを送ってくださいました。
遠い昔に亡くなった明治生まれの祖父のことが思い出されてとてもこの旅で私は祖父の思い出と重ねながら幸せな時を過ごしました。 -
延吉と書いたゴミ箱があり・・・こう言うものからこの場所がどこだって言う思い出に皆で写真を撮ったりしてバスに乗り込みました。
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ここも収容所跡だったそうです。
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朝8時に牡丹江を出て、夕方16時過ぎに本日の滞在先に到着です。
Daewoo ホテル
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部屋にチェックインした後に外にふらっと出てみました。
ホテル内に売店がなく、コーラがどうしても飲みたかったのでコンビニとか何か商店がないかな?と思いながら通りまで行きました。
ホテルの前には多分宿泊者だと思うのですが、意味不明な井戸端会議のように大陸の方が数人出て話をしていました。 子供がちょろちょろ遊んでいたのでそのための見張り??と思ってしまいました。 -
なかなかゴージャスなホテルで今回の旅の中では一番いい5つ星ホテルだと言っていましたが・・・
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ロビーもきらびやかで
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広々としています。
夕方になるとチマチョゴリを着た美女が入り口に立っているのですが、何のために立っているのか意味不明。
写真を撮っていいか?とカメラを向けたらダメだと言われました。
見世物な割には写真はダメなんだ・・・とお客さんはいっていました。 -
フロント前です。
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部屋は最上階ハイフロアでしたが・・・
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旧館の方なのかな?正面に見える高層階の方ではありませんでした。
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そして部屋は・・・
案外広々としていていい感じです。 -
お!ここはキングサイズのベッド一台の部屋
しかもシーツは洗濯済み。誰かが寝た跡はなし。綺麗です。 -
椅子もシミなどなく綺麗
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一丁前にスリッパある!が・・・持参したのでこちらでのスリッパは一切使用しませんでした。
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タオルも選択されていて白い!
だが!!!!
便座の蓋をあげると・・・ 何で~ 便座にう●●付いてるし・・涙
ここでも掃除からスタート!もう・・・何なんでしょうねぇ・・・ベッドが綺麗でも便座汚れてちゃダメじゃん!掃除の人使ったの!?だったら綺麗にしていってよ。。。とプンプン! -
今夜は移動距離が長かったので皆さんがお疲れでしょう・・・ということでホテル内のレストランで食事を摂ることにしましたと案内があり、集合です。
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完全なる韓国料理です!
ひとテーブル4人ずつの席で私は男性陣の席に同席させていただきました。 -
キムチなど美味しい、今までとは比べ物にならないくらい知っているような味で落ち着きます。
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グツグツと煮立った豆腐の上に豆を潰した味噌と玉ねぎ?などが刻まれている甘辛いタレのかかった料理・・・美味しかったです。豆腐が嫌いだけどこの旅ですっかり豆腐が食べられるようになりました。
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ゼンマイの煮たようなもの。。。少しピリ辛です。
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大好きなプルコギ!めっちゃ美味しかったです!ここのが最高で残さず皿ごと綺麗に平らげてしまいました。
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チャプチェ!これも美味しかった
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チヂミも美味しかったです。粉がもちもちしている感じでサクサクもしていました。
だけどとにかくお腹が一杯
中国の料理はたくさん頼んで残して帰るのが有りなマナーらしくて数が多いのはありがたいのですがちょっとここでももったいない病が出て美味しかったものだからだいぶ平らげました。 -
それに米をもらっている人もいましたが、流石に無理・・・
と思ったら最後に1人一人前ずつ何と冷麺!
それも平壌冷麺という朝鮮料理の冷麺です。麺にそば粉が混ざっているので黒い麺なんだと聞きました。
お腹が空いていたら最高だったんだろうなぁ・・・と。でもたべました。
おかげで翌日からちょっと胃痛が。。。笑 -
それなのに夕飯が終わって解散となったら部屋に戻るときにコーヒーでも飲みますか?と延吉でお父様を亡くされた方からお誘いがあり、お腹は一杯だったのですがコーヒーを飲んでいなかったなぁ・・・と飲みたかったのでお言葉に甘えてロビーラウンジでご馳走になりました。
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ホテルのビールが一本30元に対し、コーヒーは58元・・・かなり高級です。
たっぷりな量でお腹が一杯だったけれど美味しくいただけました。
彼は話がしたかったようです。収容所跡を見て当時のことを想像すると辛いと話され、またその頃新京(長春)に住んでいた自分は満州引き上げの辛さを知らずに1歳半で日本に戻ってきたことで、皆さんに申し訳ないと苦労をされた方々の話を聞いてそう感じてしまったのだと話していました。
私には戦争も、戦後の辛さも知らない者が言うのはおこがましいとは思いましたが、皆、それぞれに辛いこと、きっとあってそれが引き上げの苦労じゃなかったとしても戦後、母子家庭で苦労をされたお母様を見てきたと言う話を聞いていたので、皆さん人に言えない辛さや苦労を背負って来られたのではないでしょうか?だから誰に申し訳ないなんて事は思わなくて良いのだと思いますよ、と話しました。
笑顔で明日の夜は《会議》だから追悼文を書かなければ・・・とお部屋に戻って行かれました。
翌日の会議の前に隣の部屋で追悼文を声を出して読み直している声が漏れてきました。苦手なんだ、とか色々と言っておられましたがお父上に捧げる手紙ですから、一生懸命に書かれたんだなと隣から漏れ聞こえる声を聞きながら、私も家族のことを思い出しました。 -
翌朝はホテルのバフェは前のホテルとはだいぶ違い、美味しそうなものもたくさんありました。
しかし胃痛で目覚めてしまったので優しいものを・・・とワンタンスープのみで終了
美味しくいただきました。 -
この日も車で3時間近くかけて途中トイレ休憩を交えながら小沙河という場所に向かいます。
この日のトイレが一番強烈でした! -
なんだか韓国の田舎に来たみたいな雰囲気の場所で、野生なのか?鶏が歩いていました。
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トイレはなんとドアこそあれ・・・横の仕切りが子供サイズ並み!
隣の人と目が合ってしまいます。
下の便器は繋がってはいませんでしたがこれがまぁ強烈なスタイルで女性皆で入って立ち上がって顔を見合わせて大笑い。
もう臭いなんてそっちのけで可笑しくて笑ってしまいました。
昔を知っている方々なのでへっちゃらと言っていましたが、流石に懐かしいくらいのトイレ達?に、笑いが止まらない様子で暗くて涙する日もあるけれど、皆で思い切り笑いました。
そして女性最高齢の方が、しゃがむと立ち上がるのが辛いとおっしゃっていましたが、頑張らないとこの汚い便器で汚すことになるから必死に立っているのよ・・・と。
あまり辛ければ一緒に入っても良いのでと話すとご迷惑をおかけするから頑張るわ・・・と。
皆さん高齢なのに本当に頑張っておられて素晴らしいと思いました。そんな苦しい時代を生き抜いて来た方々ですから、見習わなければいけないなと思い尊敬しました。 -
山は結構高く、箱根の山を越えるようなくねくね道を通り私は少し乗り物酔いになってしまいました。眠ってしまおうと思って目を閉じてウトウトし出した頃、小高い丘陵地になりカーブが緩やかになった頃、そこは小沙河という場所に着きました。
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本当にここは綺麗な丘陵地帯で、まるで北海道の美瑛とか富良野の景色に似ていました。
ここに軍の基地があり、夜中の警備の時にソ連兵にやられたんだと言っていました。
北海道から来られたからだったのですが「似たような景色の中で死んだんだからせめてもだ。」と言っていたのが印象的でした。
終戦直前の事だったそうです。 -
確かに戦地だったのだとわかるのが中国軍が日本軍と一緒に戦って亡くなった戦没記念碑が建っていたのでわかります。
結局不可侵条約を結んだって、日露戦争からの恨み辛みが根底にはあったから、米が原爆を落としたのを機に自分達も手柄を立てようとソ連が攻めて来たんだろうとどなたかが話していました。
あと数日で戦争は終わったのに・・・と終戦間近の悲しい出来事だったそうです。
それにしてもこんな山間部を歩いて来た歩兵部隊。。。皆で手を合わせすぐにバスに戻ると偶然なのか?丁度パトカーが通り過ぎ、間一髪でした。 -
気持ちは沈むも腹は減る・・・皆、バスに揺られるだけなのに何故かお腹は減るんだよな・・・と誰もお腹が一杯とは一度も言いませんでした。
それこそ今度のご飯はなんだろな?と男性陣がバスの中で話しているのを前の席で聞いていて可笑しかったです。 -
今日のお昼はここです・・・と案内された場所
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小ぎれいな韓国料理のお店のようでした。
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チマチョゴリを着ている女性のポスターも貼ってあり・・・
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おぉ!ニラ玉ならぬニラねぎ!美味しい!けど少し塩辛い
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切り干し大根の酢の物系
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ナスがここでも美味しい!
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ここの麻婆豆腐は味噌味が効いていました。米が欲しくなる辛さでした。
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キノコの炒め物
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木耳万歳!な料理
それにしても少しメニューのアレンジ変えればいいのに・・・と思うくらい同じようなものばかり選ぶガイドと通訳
もう少し食材の工夫はないのか?と思ったりしましたが、それでも同じメニューなのに美味しく食べれてしまうという嬉しいんだか悲しいんだかわからない毎日。
帰国してまであの味が食べたいな・・・と厚揚げ豆腐を買って真似て作ってみたり、生の木耳が売っていたので炒め物をしたり・・・本当に野菜生活でOKな毎日になってしまいました。 -
チャーハンも美味しいとみなさん喜んでいました。
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店のトイレば外にありました。
ドアは辛うじて鍵がかかるけど広いトイレの中は便器がぽつん・・・と。
中国の和式トイレはとにかく中腰にならないと自分のお釣りが返ってくるくらい浅くできており、初回自分のお釣りを受け、泣きそうになりました。
男性陣もどういう便器なのかはわかりませんが、バスに乗っている時にその話が出て、気をつけないと逆噴射してしまうんだよ・・・とキジ打ちが難しいと言っていました。
先にトイレを済ませ外で待っていたらなかなか戻ってこない女性陣に心配になり見に戻ると、1人がトイレの鍵が開けられずに閉じ込められて大騒ぎしていました。
私は店の人が通りかかったので声をかけてジェスチャーで伝えると向こうは中国語で何やら言っているのですがわかりません。
急いで通訳さんを呼びに戻り来てもらうと鍵が引っかかって開けられないと言っていましたが、引くのを押していたらしいことが後でわかり、高齢と言うことはこう言うことも起きるんだなと鍵のあるときは気をつけなければと学びました。
それにしてもこんなところで閉じ込められたらと思うとパニックになったと後でバスの中で女性陣で大笑いしました。 -
途中トイレ休憩により、ようやく冷蔵庫に入っているコーラを見つけて購入500mlのペットボトルが3元でした。
もう1人コーラ好きな男性がいたのですが、彼は冷えていないのを購入したらしく「ヤラレター!」と笑っていました。
冷えたのを飲みますか?と渡そうとするとお腹が痛くなるといけないからあったかいコーラでいい・・・と笑っていました。 -
ホテルに戻り、この日は会議の日でしたから皆で黙祷を捧げ、練習をしていたあの男性と北海道のご兄弟が追悼文を読み上げました。
泣かない、泣かない・・・となんども心に思いながら静かに聞いていたのですが、どうしても涙が溢れてしまい恥ずかしいくらい鼻を垂らしました。
鹿児島の知覧に行った時、特攻隊で散って行った青年達の手紙を読む語り部の声に泣いたあの頃を思い出し、20代前半で訪れた場所でものすごい衝撃を受けました。それが語り部どころか本人達の言葉ですから・・・根性のない私は泣かずにはいられなくて我慢ができませんでした。
献花を捧げ、皆で歌を歌い、黙祷を捧げました。
延吉最後の夜なので会議を終えた私たちはお供物を持ってレストランに向かいました。 -
郊外の立派な朝鮮料理のお店でした。
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中庭?などがあり素晴らしい作りで驚きました。
お母さんの味噌汁という中国と韓国の合作映画の撮影に使われた場所だと言っていました。
なんかそれ日本であった話じゃない?と題名だけですがふとパクリ?と思ってしまいました。 -
韓国料理らしいレイアウトです。
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朝鮮人参風のものや野菜の蒸し物、ニンニクの醤油漬けなどが先に出され・・・
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参鶏湯の水に入っていないバージョン?のもの・・・
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韓牛の焼肉も出ましたが、餃子なども。中に発酵したキムチが入っていて少し酸っぱかったです。
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チャプチェ?プルコギ?どっちがどっちかわからないけどこれも美味しかった
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北朝鮮の海で取れた鱈に似た魚だと言っていましたがピリ辛で美味しかったです。
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スンデも出ましたが、やはりこれはNG
これを食べて次の日お腹の調子が・・・と言っていた女性がいましたが定かではありませんが、私も一口食べてOUTでした。 次の日お腹が緩かったのはこれのせいでしょうか???
旅も中盤に差し掛かってきました。
無理をせず体調を崩さずに最後まで乗り切ってくださいと、美味しい料理に皆さん寂しくも楽しい思い出を作り献杯しました。 -
翌日は延吉を後にする前に、農園に立ち寄り、日中友好訪問なので植樹をします。
皆で杉の木を植えましたがここでいいの???っていうカボチャの畑の横に植樹しました。 -
犬が飼われていてここは人里から少し離れていたので放し飼いです。
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コスモスも綺麗な場所でした。
そういえばあちこちの田舎で綺麗に花を植えられている場所を見かけ整備こそされていない場所も多々ありましたが、吉林省は確かに綺麗だったなという印象です。 -
なんの犬種なのか可愛らしい犬で、プードルみたいなこういう茶色い犬を散歩させている人をバスの中から時々見かけました。
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なんだか農園というか観光農園?のような賑やかな場所で、最後にここの人たちが写真を撮ってくれというので皆で集合写真を撮りました。
スイカを農園で購入して次の目的地、長春に向かいます。
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