2018/07/14 - 2018/07/14
6417位(同エリア9557件中)
みみさん
2018年7月14日(土)
上信越自動車道→北関東自動車道→東北自動車道→
仙台南部自動車道→仙台東部自動車道→三陸自動車道
を経由して松島に到着しました。
前日の午後8時30分に自宅を出発
翌日午前7時前に松島海岸到着
ながーい道のりでしたが楽しかった
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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仙台東部道路に入りました
-
三井アウトレットパーク仙台港の観覧車
この先の三陸自動車道の春日PAで身支度を整えて松島海岸ICへ
この春日PAですがトイレが綺麗でパウダーコーナーもあって
24時間営業のミニストップでは宮城県内のお土産品が品揃え豊富で
非常に便利でした。 -
町営無料駐車場
松島海岸のコンビニでトイレ借りたり朝食用におにぎり買ったりして
まったりして -
海岸までは徒歩15分くらいかな
(ゆっくり歩いて)
まだがらがらの駐車場でしたがお昼過ぎに戻ってきたら
満車状態でした -
鉄道好きなので思わず撮ってた
こっちは東北本線かな?
HB-E210系気動車 -
東北本線と仙石線が並行して走っているみたいですね
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神社があった
子供たちはあの階段を駆け上がって行きました
元気だねぇ -
日吉山王神社らしい
延福寺(瑞巌寺)創建のとき、慈覚大師が近江の山王社の分霊を
まつったものといわれています。
その後、雲居禅師が寛永十七年現在の地に移したもので、
別名山王神社とも呼ばれます。
サルに関係をもたせて信心することは、
稲荷神社とキツネにまつわる信仰に似ています。
素木造で舟肘木など簡素な和様の神社で、
県指定文化財になっています。 -
8時過ぎはまだ人もあんまり歩いていない
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これ可愛いですね
仙台・宮城観光PRキャラだそう
名前は「むすび丸」と言います -
観瀾亭
この建物は文禄年中に豊臣秀吉から伊達政宗が拝領した伏見桃山城の一棟で、
江戸品川の藩邸に移築したものを二代藩主忠宗が一木一石変えず
この地に移したものと伝えられています。 -
松島出身の青木存義氏作詞
どんぐりころころの碑 -
観瀾亭
見学したかったけど、まだ開館前で断念 -
9時出港です
俳人松尾芭蕉が通ったと言われる島々の間を航行し、
水深2mの浅瀬にある仙台藩主伊達政宗公が
月見の宴を開いた在城島の目の前まで行くコースにしました -
丸文松島汽船㈱の松島湾周遊コースに乗船しました
大人¥1,500 大学・高校・中学 ¥1,500 小学生 ¥750 -
船内の様子
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席に余裕がありゆったりと過ごせました
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伊勢島、小町島
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鐘島
松島湾の中央に位置し、断層の弱いところを波が打って破壌した
洞門が4つあり、自然との長い戦いの跡を物語っている -
小藻根島
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仁王島
幾千年の歳月にわたる風浪雨雪によって下部の集塊岩は
浸食が遅れ、頭部の泥板岩は横縞状に削れ、中間は柔らかい
擬灰岩なので甚だしく浸食され、あたかも仁王像を思わせる。 -
在城島
伊達政宗公が月見の宴を開いた島と伝えられているそうです -
五大堂
大同2年(807年)、坂上田村麻呂が東征のおり、
毘沙門堂を建立したのが最初。
後に、慈覚大師が延福寺(瑞巌寺の前身)を開いた際、
大聖不動明王を中心に、
左右降三世、軍荼利、大威徳、金剛夜叉の
五大明王像を安置したことから、五大堂と呼ばれています。
現在の建物は、伊達政宗が再建したもので
桃山式建築手法の粋をつくして完工したものです。
伝説では、慈覚大師が五大明王を安置したところ、
田村麻呂が祀った毘沙門天は光を発して沖合の小島に飛び去り、
その島は毘沙門島といわれるようになったそうです。 -
松島土産その1
いちご煮缶詰 1000円 -
松島土産 その2
焼きのり 10枚入り3パック 1000円 -
松島土産 その3
松島湾巡りパンフレット
500円 -
乗船証明書になってる
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松島土産 その4
絵葉書セットも買っちゃった
(紙もの好き)
300円 -
瑞巌寺は正式名称を「松島青龍山瑞巌円福禅寺」といい、
現在臨済宗妙心寺派に属す
開創は平安の初めにさかのぼり
天長5年(828)比叡山延暦寺第三代座主慈覚大師円仁が
淳和天皇の詔勅を奉じ、3000の学生・堂衆とともに
松島に来て寺を建立した。
この寺は延暦寺と比肩すべき意を持って延福寺と命名され、
平泉・藤原氏の外護を受けた。
藤原氏滅亡の後は鎌倉幕府が替わって大檀越となった。
北条政子は当時学徳一世に高かった見仏上人に仏舎利を寄進し、
夫の菩提を弔わせている。
その仏舎利・寄進状は今に伝わっている。
この天台宗延福寺は鎌倉時代中期、
開創以来28代約400年の歴史をもって滅した。
天台宗延福寺にとって替わった寺は、
法身禅師が開山とされ円福寺と命名されたが、
正確な開創年はわかっていない。
歴代住持の経営努力によってその勢力を
岩手県南部にまで伸長していき、
寺格も五山十刹に次ぐ諸山から、
やがて十刹の高位に昇った。
しかし、戦国時代を経て次第に衰退し、
妙心寺派に属するようになった。
慶長5年(1600)関ヶ原の戦いが終了した後、
仙台に治府を定めた伊達政宗は、
仙台城の造営と併せて神社仏閣の造営も行い、
塩竃神社・仙台大崎八幡宮・陸奥国分寺薬師堂を
相次いで完成させた。
当寺の造営は特に心血を注いだ事業だった。
用材を紀州(和歌山県)熊野山中から伐り出し、
海上を筏に組んで運んだ。
大工は梅村彦左衛門家次一家や、
刑部(鶴)左衛門国次ら
名工130名を招き寄せてた。
工事は慶長9年(1604)、政宗自ら縄張りを行って始まった。
丸4年の歳月をかけ、
慶長14年(1609)に完成した。
伊達家の厚い庇護を受け、
瑞巌寺は110余りの末寺を有し、
領内随一の規模格式を誇った。
しかし、明治維新を迎え王政復古の政策は廃仏毀釈を惹起し、
さらに伊達家の版籍奉還による寺領の撤廃が
瑞巌寺を始め松島の諸寺院を直撃し、
零落・廃絶・焼亡等の憂き目を見ることになった。
瑞巌寺はそれでも時の住持太陽東潮の努力により、
ようやく維持されていたが、
明治9年(1876)天皇の行在所となり、
内帑金千円が下賜され、復興の契機となった。
現存する本堂・御成玄関、庫裡・回廊は国宝に、
御成門・中門・太鼓塀は国の重要文化財に指定されている。 -
洞窟遺跡群
松島を形成している第三紀凝灰岩層を掘った洞窟は
松島のいたるところに見られる。
地上の洞窟群は地下の洞窟より先行する事は考えにくく、
天台宗徒が掘ったと言われているが、
江戸時代以降の供養塔しかない事から
江戸期に掘られた洞窟群と考えられる。
洞窟内は塔婆・五輪塔・戒名等が無数に刻まれ、
供養場として使用されていたことがわかる。
墓所ではないので、納骨はなく(例外有り)、
供養者には県外(岩手、山形等)の人物も認められる。
洞窟内で最も古い供養塔は、寛永13年(1636)、
政宗公に殉死した佐藤内膳吉信(法得紹隆禅定門)のものである。
古来松島は「奥州の高野」と呼ばれ、
亡き人の供養が営まれた場所であった。 -
このような供養塔が並んでいます
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国宝の庫裡(庫裏)です
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御朱印頂きました
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絵葉書も頂いた
拝観料
大人:700円 小人(中学・小学校)400円
拝観時間(7月)開門午前8時 閉門午後5時 -
暑かったから甘いもの休憩
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麦ジュースの人もいる・・・
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洗心庵さん
かき氷 800円
ジェラート 450円
冷やし甘酒(抹茶) 600円
一番搾り 600円 -
クッキー買ったよ
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緑がいい感じです
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昼食は松島海岸駅前の
赤間精肉店で! -
自分で焼いて食べれます
牛タン定食 1800円
美味しすぎて幸せでした -
仙石線 松島海岸駅が目の前です
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約6時間滞在
大満足で仙台市内に向かうことにしました。 -
仙台PIT
エレファントカシマシ TOUR2018 WAKE UP
開場17時 開演18時
宮城県仙台市太白区あすと長町2丁目2番地50号 -
終演後家族の待つザモール仙台長町へ移動
仙台南部道路長町ICから山形自動車道山形蔵王ICへ
リッチモンドホテル山形駅前に宿泊 -
移動途中山形自動車道古関PAで休憩
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