2018/07/15 - 2018/07/15
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かつのすけさん
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ちょっと気になるB級グルメ「唐揚げそば」を食べに我孫子へ行きました。
駅構内(改札内)にある「弥生軒」さんの、いわゆる立ち食いそば屋なので、大回り乗車で成田の方から帰ってくれば初乗り運賃でも済んだんですが、折角なので我孫子の街をぶらぶらしてみました。
【表紙の写真】我孫子駅構内(改札内)弥生軒の「唐揚げそば」
- 旅行の満足度
- 4.0
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル
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08:20 日暮里駅から常磐線で向かうのは我孫子。
この日は朝食抜きでやって来ました。日暮里駅 駅
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09:00 我孫子駅に到着しました。
日暮里から30分、思ったよりも遠かった・・・。我孫子駅 駅
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乗って来た電車に別れを告げて…
JR常磐線 乗り物
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本日の目的地・弥生軒さん(8号店)
駅のホームにある立ち食いそば屋さんです。弥生軒 6号店 グルメ・レストラン
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この弥生軒さんは、唐揚げそばが人気なんですが、もう一つ有名なのが「裸の大将」の山下清さんが働いていた会社ということです。
弥生軒さんもそのことを最大限利用してお店をアピールしています。 -
いただいたのは弥生軒さんの名物「唐揚げそば」
唐揚げはかなり大きく丼いっぱいの大きさです。
今回は唐揚げ1個ですが、この大きさの唐揚げが2つ入った唐揚げ2個の唐揚げそばが本当は人気のよう(というか、インパクトがあって写真映えするからかなぁ~?)
もちろん結構ヴォリュームあります!食べるのに10分以上かかってしまいました。
その間にも次から次へとお客さんが入ってきます。
わざわざこれを食べに我孫子に来る人もいるんだそうですよ。 -
今日は朝食に唐揚げそばを食べに我孫子まで来たので、このまま帰っても良いんですが…ここから大回り乗車で成田・千葉経由で東京方面へと戻れば合法的に初乗り運賃で戻れるし・・・
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などとも思いましたが、腹ごなしに我孫子の街をぶらぶらと歩いてみます。
我孫子に何があるのか全く調べていないので、どこに行ったらよいものか…
しかもスマホ最近調子悪くて接続不良…ということで、駅前の観光案内所っぽいところに行ってアビシルベ (我孫子インフォメーションセンター) 名所・史跡
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街歩きマップ頂きました。
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ここ、我孫子は「白樺派」に属する人たちが住んでいたそう。
武者小路実篤や志賀直哉が住んでいたみたいなので、本日はいただいた『我孫子の「大正・昭和文化遺産」マップ』に沿って歩いてみましょう(歩き始めてから矢印と反対に進んでいたことに気づいてしまいました(笑)) -
国道に出たところに八幡神社があります。
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どうやらこの日はお祭りのようで、境内にはお神輿が準備されています。
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国道を西へと…途中で国道は右に折れていますが、道なりに進んで行くと気付いてみればかなり道が細くなっています。突き当りを右に進んで、暫く進んでから今度は左に進みます。
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ここから急に鬱蒼とした「船戸の森」となります。地域の方々の手によって自然が保存されているそうですが、ここからちょっと右の方に進んで行った突き当りにあるのが…
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武者小路実篤が住んでいたお邸の跡。中は非公開なので、門の中に入る事はできませんが…
旧武者小路実篤邸跡 名所・史跡
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門から覗くと敷地は結構広いようです。
武者小路実篤は元お公家さんの武者小路家の御子息。志賀直哉も旧相馬藩藩士(祖父が相馬家家令)という学習院のお坊ちゃま作家集団なので、そこそこ裕福なんでしょう。 -
船戸の森を過ぎてしばらく歩いて行くと手賀沼が見えてきました。
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階段を登り、高台に来ると手賀沼もこんな風に見ることができます。
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暫く歩いて行くと「嘉納行楽農園跡」の説明板があります。
講道館柔道の創始者・教育家の嘉納治五郎がこの周辺の土地を購入し、開いた農園の跡だそうですが、昭和13年に嘉納没後に農園が売却されて我孫子の初期の分譲地となったそうで、現在は周囲は住宅街となっています。 -
手賀沼公園に来ました。
手賀沼公園 公園・植物園
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平和の記念碑があります。
広島の爆心地近くの旧市庁舎の側壁と敷石。 -
この池に飛び出た所、「リーチ岬」というそうです。
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岬から手賀沼を見渡します。
結構広い沼ですが、水深は1~2mと全体的に浅いそうです。手賀沼 自然・景勝地
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公園内にはミニ鉄道が走る。
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公園脇には血脇守之助先生謝恩の碑
歯科医師制度の確立をした方のようです。 -
バーナード・リーチ碑
氏は六代尾形乾山に師事し奥伝を授けられ、大正5年我孫子の白樺派同人柳宗悦邸に窯を作り、作陶を始めたそう。 -
白樺文学館
白樺文学館 美術館・博物館
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のすぐ前にあるのが志賀直哉邸跡
志賀直哉邸跡 名所・史跡
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現在は書斎のみが再移築されています。
志賀直哉はここで「城崎にて」「暗夜行路」(前編)などを執筆しました。 -
その書斎がこちら
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更に東へ進んで行くとあるのが旧村川別荘
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親子二代にわたる西洋古代史学者村川堅固・堅太郎の別荘です。
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奥に入って行きます
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途中の草むらが時々「ガサガサ」と…
こんなのも生息(*_*) -
母屋は大正10年に我孫子塾本陣の離れを移築したものだそうです。
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「大正・昭和文化遺産」MAPに沿って進んで行きます。
こちらは「瀧井孝作仮寓跡」
志賀直哉を師と仰いだ小説家瀧井孝作は妻が亡くなった際に志賀直哉に誘われてここに仮寓したそうです。
この場所には子の神四・五号墳があったそうで、現在は寿古墳公園となっています。 -
手賀沼公園の前から駅の方へと進みます・
こちら、天神坂。坂の上にある文人たちが集まっていた三樹荘から沼へと下るこの坂を、文人たちはこよなく愛したそうです。 -
その三樹荘。柳宗悦の住居跡で、現在はありません。
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そのすぐそばにあるのが嘉納治五郎別邸跡。
柳宗悦は嘉納治五郎の甥だそうで、柳宗悦は嘉納の招きにより我孫子に住み、これにより我孫子に文人たちが集うようになったそうです。 -
現在は天神山緑地になっています。
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ここからの眺め。
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更に進んで杉村楚人冠記念館
明治から昭和にかけて活躍した国際的ジャーナリストの邸を記念館として公開しています。杉村楚人冠記念館 名所・史跡
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関東大震災の後、ここに移住して亡くなるまで住んだそうです。
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駅に向かう途中、さきほどの八幡神社の祭礼のお神輿に遭遇しました。
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我孫子宿の説明板。
江戸時代は水戸街道の宿場町として繁栄したそうです。 -
12:00我孫子駅に到着(-_-;)
我孫子駅 駅
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まだお昼ですが、ここ最近の暑さはハンパねぇ~
「生命の危機を伴う暑さ」とも言われているので、熱中症になる前に引き上げます!
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