2018/07/03 - 2018/07/11
22位(同エリア41件中)
アーサーさん
最近日本発着のクルーズ船が増えているように思える。利用客も増えているのだろう。
私も日本周遊のクルーズにもっと年老いたら 乗る日が来るかなと思っていた。機会があり 今回試験的に乗船したその9日間の記録。
71歳の私の結論は やっぱりまだ早いだった。
写真は 横浜大桟橋の ダイヤモンド・プリンセス号。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 2.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 船
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
PR
-
(1)7月3日(火)
1)
1月の始め 恒例の各社お年玉セールメールの中に 「プレミアムクラス外国船日本発着【初夢フェア2018】7月出発限定横浜発着クルーズ9日間どこへ行くかはお楽み!クルーズ福袋!」
があった。
キャンセルが可能だったので取りあえず申し込む。
もっと年取ったら 日本周辺のクルーズ位しか行けなくなくなるか と思っていたので経験してみても良いかの気分。
写真は 出航当日の みなとみらい線の「日本大通り」の改札。ここから大桟橋まで歩く。 -
2)
1月の末頃 クルーズ・プラネット社から「7月3日出発 ダイヤモンド・プリンセス ぐるり北海道周遊とサハリン9日間。海側バルコニー(前方・後方)」で確定の案内が届く。税金等を入れて一人約20万円。
ちょっと迷ったが 今年の避暑旅行をかねて サハリンを見てみようかと 行く方向で考えた。
写真は 当日の横浜大桟橋。このスロープを自力で登れなくなったら その時は もうお終いにしようと思った。 -
3)
サハリンのことを調べる気持ちはあったが 旅行に行く準備を 私は殆どしなかった。友人に函館に行くので 会いたいと連絡をしただけ。
エクスカーションは ビザの関係からサハリンのみ申し込み。
妻は 天候情報を集め 服装の判断にかなり迷っていた。
乗船手続きは日本人同士なので何の支障もなく終了。ブリッジを渡り乗船。
-
4)
まず部屋に行き、諸設備の確認をする。問題なし。ちょっと窓の開閉が重たかったが。
心なしか 部屋も広い気がした。(ただ 滞在中テレビ台の出っ張りで 頭を軽くぶつけることが 数度あった。) -
5)
棚も多く収納に便利そう。バスローブ、スリッパも揃っていた。お茶のセットも完備。(さすが、) -
6)
ベランダ(14階)から 横浜のいつもの風景が広がる。
今日は30度近い。確かにこの暑さでは 防寒服を持ってくることは考えにくい。 -
7)
スーツケースが届くまで 時間が有ったので 同じ14階のホライゾン・コートのビッフェに行き 遅い昼食を取る。普通に美味しい。ただ食堂は予想していたより狭い。 -
8)
時間になって 恒例の「避難訓練」日本語の説明が有り、緊張感皆無。乗船客は圧倒的に日本人のように思われる。
後日 クルーズ・プラネット通信によれば 日本1200名、アメリカ600名、オーストラリア550名、英国90名。その他460名 合計2900名だそうです。(私が会った方には 台湾人、香港人、メキシコ人の方がいました。) -
9)
デッキにでれば 船は5時頃 離岸し、大桟橋から多くの見送りの人。 -
10)
まもなく 横浜ベイブリッジを越え 東京湾に。
ベイブリッジとダイヤモンド・プリンセスの高さの差が2メートルとか 分かってはいるがちょっと心配。 -
11)
私の夕食の時間は遅い方の7時45分から 5階のサボイレストランで。
案内された席は2人席。隣の席は同年代の御夫婦。良い方達だった。
原則として 夕食はこの席で食べた。
食事は MSCの船より美味しかった。日本人に合わせているように思えた。
写真の果物ベースの冷スープも美味しかった。 -
12)
特にデザートが美味しく チョコレートの繊細さに満足した。
コーヒーか紅茶のサービスも嬉しかった。
(デザートの一品に二人でカットフルーツをいつも付け加えていたが ウエイターさんからは少し嫌われていたかもしれない。)
安心して 早めに眠る。 -
(2)7月4日(水)
1)
朝早く目覚め、7時オープンの6階「インターナショナル・ダイニング」へ行く。朝食も昼食も原則として給仕して貰いたかったので このレストランを使用した。
10人位で大テーブルを囲んでの食事となったが 日本人同士の情報交換も出来て 満足。
私は朝食は「和定食」に卵料理とフルーツヨーグルトを追加して頂いた。時には納豆も。充分過ぎる。(二日目からご飯の量を半分にして貰った。) -
2)
本日は終日航海日。
食後 運動も兼ねて 船内探索。船は福島沖位を航行しているのか 曇りで少し寒い。
写真は16階からネプチューンズ・プール方向を写す。 -
3)
余り プール周辺には人は見当たらなかった。
写真は船後方を写す。 -
4)
写真は船後方 18階のスポーツ・コートから右舷側を写す。巨大な船。 -
5)
船室や図書室で持参した本を読んで過ごす。無料のWI-FIは入らない。
午後3時になり、6階「インターナショナル・ダイニング」での「アフタヌーンティー」に参加。暇をもてあました客で一杯。
本日から ガラの日につき 夕食の前にシャワーを浴びる習慣に変更。 -
6)
船長主催の歓迎パーティだとかで 5階のアトリウムは華やいでいる。日本人も礼装の方々が多い。中央ではシャンパンタワーの準備が進められている。
どうもシャンパンのサービスは有るみたいだったが ジュース類のサービスを見つけられずに しょぼくれて図書室で夕食の待機をする。 -
7)
ガラの日夕食は 更に豪華だった。
デザートも手が込んでいた。 -
8)
写真は 夕食後 プリンセスシアターのショーを見るときに少し時間があったので いつも利用した6階の「シガー・ラウンジ」。注文も聞かれなくて 気持ち良く煙草を楽しめられた。
私は船内では2カ所しか喫煙可能場所を見つけられなかった。(もう一カ所は15階前方トレードウィンズ・バー) -
9)
プリンセスシアターのショーは原則として毎夕楽しんだ。ちょっと上品すぎる所もあったが これも有りかなと思った。 -
(3)7月5日(木)
1)
朝7時頃 ダイヤモンド・プリンセス号は釧路西港の外れに着岸した。気温10度位で寒い。小雨模様。昔 北海道に梅雨はないと聞いていたけれど 今はそうでもないみたいだった。
埠頭には多くの迎えのバス。 -
2)
釧路観光については 完全に無計画だったが 接岸付近には歩いて行けそうな所が全く無さそうだので シャトルバスでとりあえず「フィッシャーマンズワーフ(MOO)」へ行く。
バスから眺める釧路の街は 雨も降って寂しそう。流行っているのはパチンコ屋だけ。 -
3)
「フィッシャーマンズワーフ(MOO)」から釧路川を渡り 散策してみようとしたが 寒くて引き返す。
3年前の冬にも 突然の飛行機の欠航で釧路に一泊し、この(MOO)でラーメンを食べたことを思い出す。 -
4)
(Moo)の隣のEGG『いつも緑の園:エバー・グリーン・ガーデン』で北海道釧路商業高等学校の皆さん等が「おもてなし」の催しをやって下さっていて それを見学。「習字」や「風呂敷包み」等 外国人観光客の方も楽しんでいるようだった。 -
5)
地元の婦人会らしき人達が郷土芸能の踊りも披露してくれる。
世界約20カ国をクルーズで立ち寄ったが こんなに盛大に迎えてくれたところは珍しい。心温かい交流に感謝する。 -
6)
それで MOOのほうにも周り、散策する。外国人の方が着物の着付けをされていた。
きっと忘れられない写真になるだろうと思う。 -
7)
17時頃船は離岸しコルサコフに向う。スマフォのニュースだと岡山・広島に水害発生中だとか。 気になる。(NHKのBSテレビは入るがスポーツ番組ばかり。)
写真は離れていく釧路の街。 -
8)
夕食のメインは魚料理を頼んだが ちょっと物足りなかった。
でも 大抵の場合 ボリュームは日本人好み。 -
(4)7月6日(金)
1)
本日は 国後島と択捉島の間を通過後 オホーツク海をコルサコフに向けて終日航海の予定。気温7度
朝7時頃 ベランダから眺めた空は晴れていた。寒いけれど。 -
2)
朝食のレストランから戻ってくる時、見えてきた択捉島はすっきり晴れて全容を現していたが、部屋からカメラを持ち出して再度眺めたら 雲がわいてきて 一部しか見えなくなっていた。散布山(1,582m)の頂辺りのみ?残念。
北方四島は依然として雲の中? -
3)
毎夕部屋に「PRINCESS PATTER」のクルーズ新聞が届く。時系列表示だけれど 盛り沢山で読むのが面倒。スーパーの売り出しチラシを眺めているよう。一応目を通すが 記事を見て参加したい気分になれない。
そこで マイペースで出来る 15階のフィットネス・ジムに行き 自転車漕ぎとランニング等を行う。
(朝9時位までは デッキでラジオ体操を第1・第2を流してくれていた。) -
4)
写真は5階の図書室。日本語の本もあり、貸し出し自由で妻はよく利用していた。
ここで待ち合わせ場所としても利用。
船内の売店でダウンを購入する日本人客を見掛ける。更に船は北に向っているからやむを得ないのだろう。 -
5)
本日は終日航海日でプリンセスシアターのショーのオープン時間が早まり 夕食前に見ることが可能になる、そちらに参加する。
いつも シアターは満席近い状況なので 開演20分前には席に着くようにしていた。
本日は舞台前方の袖席から観劇。 -
6)
舞台には古いアメ車が登場して 60年代のアメリカの良き時代を表現。年寄りの私でも遙か昔の まだアメリカが輝いていた時代。遠くになってしまった。 -
7)
そして 美味しい夕食のデザートを食べ、 -
8)
本日はもう一つ 午後9時半から7階エクスフローラーズ・ラウンジでの 英国人落語家「ダイアン吉日」(女性)さんの噺を聞きに行く。満席で立ち見の客も続出。
結構面白かった。英語が凄く身近なものに感じた。日本文化の国際化に多大な貢献をされていると思った。 -
(5)7月7日(土)
1)本日は晴れ。樺太が見えてきて コルサコフ(大泊)の沖に朝6時 投錨。
予想していたより暖かい。10度。 -
2)
テンダーボートの乗船順位は随分遅く、10時過ぎ。(ロシア入国管理官の手続きのため?) -
3)
テンダーボートに乗船していると 早速 ロシア海軍の特殊艇を見掛ける。ロシアにとって宗谷海峡防衛の最前線なのだろう。我々には平和な海としか見えないが。 -
4)
コルサコフ(大泊)の埠頭が見えてきた。サハリン(樺太)の玄関となる港湾都市(人口約34千人)だそうだが 港湾設備は新しくは見えなかった。岸壁は保全されず、沈船は放置されたまま。 -
5)
埠頭の横断幕は「歓迎」の意を表しているが 旅客用の施設は見当たらなかった。 -
6)
迎えのバスに分乗して それぞれのコースに出発。
ロシアではビザ制度の制約で 自由な個人行動は難しいそう。
殆どの乗船客は 船のエクスカーションに申し込みグループ行動。
(実際タクシーなどは見掛けなかった。) -
7)
コルサコフ(大泊)には日本統治時代の遺構がいくつか残っているそうだが バスは無視して 一路ユジノサハリンスク(豊原)に向う。
路傍に古い建物(倉庫?)を見て 写真に撮るが日本統治時代は今から70年以上前。もう残っていなくて当たり前。 -
8)
北上しても 路端に余り農地に出会せない。気候の所為か、土質の所為か、ロシア人の気質の所為か分からないが、数年前に見たロシアの大地と同じ。荒れ地の連続。 -
9)
偶に見掛ける 耕作地らしき所も ロシアでよく見掛ける「ダーチャ」の規模。 -
10)
広い農場のような所で ガイドさん(40歳ぐらいの女性、朝鮮族の人から日本語を習ったと言われていた。)の説明に寄れば ソフホーズ(国営農場)の跡で、今は牧草地になっているとか。
ロシア民族は狩猟民族の血は引いているが 農耕民族の血は余り引いていないと思った。(北海道の農地の開拓を行ってきた日本民族との差を思い起こした。) -
11)
乗車約1時間で ユジノサハリンスク(豊原)が見えてくる。
ガイドさんの説明に寄れば ユジノサハリンスク(豊原)の南部は近年開発が進んでいるとか。確かに大規模の複合商業施設も見受けられ、様変わりしているようだった。
日本の自動車メーカーの販売所も散見された。 -
12)
個人の新しい住宅の建設も 富裕層には進んでいるようであった。
殆どの市民はソ連時代の共同住宅(中層アパート)に住んでいるようだったが。 -
13)ユジノサハリンスク(豊原)(人口約19万4千人)の中心部にバスは進む。
道は広く整備されていた。それなりの自動車の通行量。
日本の「福山通運」のロゴの残ったままトラックも走っていて ご愛敬。 -
14)
「勝利広場」にバスは停車し、写真タイム。
勝利とは ソ連が日本に戦争で勝ったことを意味し、其れを讃える諸施設。
ガイドさんが 言いにくそうに(「ヤルタ協定」により 対日戦争に参加し、勝利した。)と教科書通り 説明していたが、心のどこかで やましい思いもあるのかなぁと思った。
私は8月15日ポツダム宣言受諾後、8月の末までソ連が戦闘を停止しなかったことを知っている。また 旧日本国民の朝鮮族約2万人が この地に残ったことも覚えておかなければならないことと思っている。また 我々日本人が土着のアイヌの地を奪ったことも歴史的事実。 -
15)
「勝利広場」から西方向を見下ろす。パビェードウイ通り。
昔 旭が丘を背に 旧豊原駅方向を見下ろせばこんな地形だったのかと往時を偲ぶ。
風が爽やかに吹いていた。 -
16)
バスの中でガイドさんから 旧豊原市役所庁舎建物と言われて指差した方の建物の写真を撮ったが自信が無い。新しすぎる。
またサハリン州郷土博物館(旧樺太庁博物館の建物)も教えて貰ったが私には見つけられなかった。残念。 -
17)
レーニン広場のレーニン像。 -
18)
レーニン広場からユジノサハリンスク(豊原)の駅方向を写す。サハリン州の州都の雰囲気。余り 底が浅い感じでヨーロッパの臭いはしない。 -
19)
レーニン広場の直ぐ傍の「カルチャーセンター」に案内され トイレと売店を紹介される。
カルチャーセンターの建物は古くて貧弱。仮設の売店をちょっと覗いたが 買う気がしない。(写真の通り テーブル三本位のスペースに商品が置かれている。) -
20)
カルチャーセンターの出し物には 歌と若干の踊り。演ずる人たちは素人ぽい方々。 -
21)
ロシア民謡の カチューシャは久方振りに聞いて懐かしかった。歌は世界を一つにする。 -
22)
現在のユジノサハリンスクの駅舎。
二つある表示の駅時計の一つがモスクワ時間を指していた。現地の人達にとってモスクワは特殊な思いの籠る場所なのだろうか?(駅舎にモスクワ時間を表示するのは彼等の習慣みたいだった。) -
23)
レーニン広場の片隅の花壇に花が咲いていた。ここでも花を守り 育てる人達がいる。 -
24)
バスは 12時ごろ どこにも寄らずにコルサコフ(大泊)に向かう。
商業施設や飲食店の施設も有るはずなのに そして我々もお金を使う準備をしているのに 時間優先の感じでバスは出発する。
道路沿いに 建築年数を経たアパ-ト群が見えてくる。一部の部屋は外装など手が入れられそのアンバランスが 貧富の差を表現しているように思われる。戦争が終わって70年余、ソ連が崩壊して30年弱。この地でも色々とあったのだろうと想像できる。 -
25)
日本風の揚げピロシキ2個とボトルの水を頂き、バスの中で昼飯代わりに食べる。
これで 一人159ドルのエクスカーション代はぶった繰りの範疇。誰がどこの利ざやを抜いているのか知らないが 信用を失っているのは事実。 -
26)
車窓からはソ連のダーチャの名残が見える。ロシアも隣国と もっと交わり、文化の交流を進めるべき。略奪的な狩猟文化から 自然を育て 付加価値を創出する農耕文化を学んでほしい。お互いに豊かになるために 隣国日本も協力できると思う。 -
27)
約3時間のエクスカーションは終わり、コルサコフ(大泊)に戻ってきた。沖にはダイヤモンド・プリンセス号が見える。 -
28)
迎えのテンダーボートに乗り込み船に帰る。 -
29)
ダイヤモンド・プリンセス号の巨船が見えてくる。 -
30)
テンダーボートがフル回転中。午後2時頃 船に帰り ランチを14階のホライゾン・コートのビッフェに行き 軽く昼食を取る。 -
31)
18時ごろ 船は錨を上げ小樽に向けて出港。小樽は気温17度位で 明日朝8時到着予定とか。思っていたより随分近い。
今夜も美味しいデザートを頂き眠る。 -
(6)7月8日(日)
1)
朝8時ごろ石狩湾に船は入っていき 小樽の高崎岬の辺りがはっきり見える。
大げさだが 日本に帰ってきたと思う。ホッとする。やっぱり日本の風景は慣れ親しんで 美しい。 -
2)
小樽の勝納ふ頭に接岸。歓迎の人たちもいる。
朝食後、本日は自由行動で 朝9時過ぎ歩いて約15分の小樽築港駅に向かう。 -
3)
それで とりあえず小樽駅に向かった。小樽には何度か来ているが 小樽寿司を食べた記憶がなく リベンジの意味も含めて 小樽駅の観光案内所で寿司屋通りを教えてもらう。 -
4)
通りかかった「小樽都通り商店街」日曜の朝11時ごろ、人がいない。唖然。開いている店が数軒。努力はされているのだろうけれど これが日本の地方都市の現実。
帰り12時過ぎには 店が開き、観光客らしき人が歩いてはいたが。 -
5)
寿司屋通りの 店頭の値段表を見て これでは入れないなと 諦めていたら 比較的東京値段位のお店(鮨まるやま)があり、その店に入る。「おすすめセット、1980円」(海鮮丼、茶わん蒸し、てっぽう汁、小鉢)と にぎりのセット で二人で約3000円だった。さすがに それなりに美味しかった。リベンジを果たし 良い思い出になった。 -
6)
帰り道「旧手宮線跡」の遊歩道を散策する。別にどうと言うことはないが 廃線の後を歩くのは楽しい。 -
7)
傍らの緑地も繊細に手入れされていて 嬉しい。 -
8)
それから小樽築港駅まで戻り、隣接したイオンモールを通って 船に戻る。
写真は巨大なテナント部分、スペースを持て余している。 -
9)
イオンモールの駐車場を出たところで 妻と別れて 私は『小樽温泉 オスパ』の湯へ行く。船のシャワースペースは狭く、広いところで ゆっくり体を伸ばしたかった。
健康ランドの一種だろうけれど、一応露天風呂もあり 気分は清々した。冷たい飲料を飲んでんでいたら、クルーズの客の方ともお会いした。同じ思いの方で 日本人は温泉が好きだなぁと共感した。(貸しタオルを含めて約1000円。)
写真は船から『小樽温泉 オスパ』を写す。倉庫棟の上側 ニチレイの看板の並び。船から徒歩約10分。 -
10)
船に戻り、軽くラーメンを食べてみる。インスタントラーメンよりは美味しかった。でも スイカのほうがもっと美味しかった。 -
11)
18時頃 船は出航し函館に向う。高崎岬の向こうに夕日が落ちる。 -
12)
今夕は最後のフォーマルの日。アトリウムの吹き抜けも華やいだ人で一杯。 -
13)
ディナーも豪華でメインに肉を選択、柔らかくて美味しかった。 -
14)
隣席の御夫婦も タクシーの運転手の方に紹介され 小樽寿司を楽しんだようだった。
今宵もデザートが美味しい。 -
15)
プリンセスシアターのショーを袖席から楽しむ。迫力がある。 -
(7)7月8日(月)
1)
函館は気温15度、小雨模様だった。朝8時頃 船は港町埠頭に接岸する。既に多くの送迎のバスなどが待機中。
私は 函館は友人と夕方から合う約束をしていたが、それ以外は無計画。雨次第の気分。 -
2)
函館の朝市でも覗こうかと 10時半ごろシャトルバスで駅に向う。
函館駅は青函連絡船時代の駅舎のイメージが私の中に残るが 函館空港経由のルートになってからは駅の記憶は無い。新しい函館駅は初めて。随分変わった。
雨も降り続くので 隣接する朝市に駆け込む。 -
3)
市場は観光客目当ての売り場に変わっていた。お客は一杯いたが 価格を見れば手を出す気になれない。ネット販売の手軽さに慣れてしまうと こういう商売は難しいのだろう。その場で食べる 飲食関係のみ盛業中。
別棟のおばさんが細々と販売していた 出汁昆布などを 少し見切ってくれたので求める。
それから 周辺をうろつく。雨が激しくなる。 -
4)
それから 市場の向かいの道路沿いで開いていた 小さなラーメン屋さん「函館らーめんかもめ」に客が入っていたので 私もカウンターに潜り込む。塩ラーメンを食べたが あっさりして普通に美味かった。 -
5)
ラーメン店を出て 駅前の地元百貨店にでも行こうかと思ったが、雨も降り止まないので 気が変わり 喫茶店にでも入って新聞を読んで時間を過ごそうかと 喫茶店を探したがその手の喫茶店は見当たらなかった。それで駅のキオスクに行って新聞を買おうとしたら キオスクはセブンイレブンに変わっていた。店の人に教えて貰ったスタンドにはスポーツ新聞だけ。(西日本の大雨のことが気になっていたので 読みたいと思っていた。)どうも現代の動きに私は付いていけれていない。
一旦 船に帰ることにする。 -
6)
夕刻 雨も止み 友人との待ち合わせの場所に行き、夕食を一緒に食べる。刺身料理が 安くて美味しかった。久しぶりで楽しかった。
船に帰ると 「江差追分のショー」をやっていて 後ろの席でそれを楽しむ。
22時過ぎ船室に戻り 暫くすると サイレンの音が聞こえてくる。窓を開けて下を見れば 赤色灯をつけた 救急車ともう一台の車両が来ていた。更にもう一台の救急車も加わる。入退口の辺りでは人の動き。
窓を閉め 無責任に日本国内で良かったなぁと思い、眠る。 -
(8)7月9日(火)
1)
朝 船長から船内放送で 急病の患者が出たため、船は進路変更し、釜石に向け航行中との案内がある。横浜到着は約6時間遅れの予定とか。
まぁ人命優先の船長判断は正しいのだろう。ただ それなりの影響は出るだろうと思う。私は実害は無いが。
私も71歳で若くは無い。船の中でのお話しで 私よりも高齢の方々とお会いする。確かに 船はそれなりに快適な老人介護施設の側面も持っている。(生活援助サービス)だとしたら 一方で救急医療の必要な年齢層にもなっている。船の生活は緊急医療体制としては やっぱり不十分だと思う。そのことは知っておかねばならないと思った。 -
2)
船は釜石沖で停船し、何かを行っているようだった。船長からの連絡で 患者のプライバシーを守るため バルコニーに出ないように注意があった。
東日本大震災の地で船は静かに停まっていた。そしてゆっくり動き始め、速度を速めて南に向った。 -
3)
昼食後 少し暖かくなり、時間的余裕も出来たので 船前方の15階ロータスプールに行き、泳ぐ。水は冷たかったが 中に入るとそうでも無い。
ジャクジーでメキシコの50台ぐらいの男性と片言英語のおしゃべりをする。裸でお湯に入ると お互いに饒舌になる。日本のことを褒めてくれて嬉しかった。 -
4)
暫し バスローブを羽織り 寝椅子で寝っ転がる。プールサイドの石灯籠や釣鐘が私には「変」。
妻は次の旅行を考え、船内で予約金1万円を払ったが、私はどうももう一つ乗り気になれない。旅の「発見」「出会い」の要素がこの旅では ちょっと違いすぎる。私はまだ「異国」の経験をしてみたい。日本どっぷりの 安直な日本周遊のクルーズは早すぎると思った。
夕方「ダイアン吉日」さんの「笑いヨガ」の公演を聞きに行く。期待していたが ヨガの要素が強く、数日前にオウム真理教の死刑執行のニュースを聞いたばかりだったので あまり楽しめなかった。 -
5)
最後の晩餐、美味しく戴き、隣席の御夫婦にもお礼を述べ、恒例らしい「ベイクドアラスカパレード」を迎える。
レストランの関係者の方も胸を張っている感じ。
心から「美味しかった。有り難う。」と言えた。
(荷物の集荷が 明日朝10時までに変更になり、前日のバタバタから解放されて気分的に楽。WI-FIの無料開放もされ、接続して情報入手。) -
(9)7月10日(水)
1)
本日も「PRINCESS PATTER」のクルーズ新聞も届けられ、12時迄のプログラムが記載されている。立派。賞賛に値する。ただ 部屋の退去・明け渡し時間が明示されていないのは残念。私は部屋担当の方が いつものように「あとで。」と言ってくれたことに甘えて 12時頃まで使用させて貰った。
もう一つ残念なことは 請求明細にWI-FI接続料が含まれていたこと。レセプションで簡単に訂正してくれたが お詫びの言葉は無かった。
ランチをいつものように6階「インターナショナル・ダイニング」で食べ、居合わせ方々と歓談し、(皆さんもクルーズの旅に満足していらっしゃる様子。)部屋に戻り、部屋を明け渡す。 -
2)
それから デッキで船の入港シーンを眺め 12時頃船は着岸。横浜は暑かった。空調の効いた14階のホライゾン・コートでコーヒを戴きながら 14時迄下船の順番が来るのをゆっくり待つ。余韻を楽しむ気分。
そして 下船時間が来て14時過ぎ船を降りる。
15時半頃 家に着き、体重計に載れば やっぱり2キロ太っていた。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- バカボンさん 2018/07/21 13:27:50
- 奇遇です
- 初めまして。私も全く同じ日、同じコースのダイヤモンドプリンセスに乗りました。雨はないと思っていた北海道が天候不順で生憎でしたが、まあこれも経験ですね。昨年は5月に沖縄、石垣、台湾と同じ船で巡りましたが天候にも恵まれて最高の旅でした。
アーサーさんが言われるようにサハリンのツアーはひどかったですね。期待していただけに失望感が残りました。
今年でクルーズは卒業して来年は違うところへ行くつもりです。
- アーサーさん からの返信 2018/07/22 10:05:14
- RE: 奇遇です
- > 初めまして。私も全く同じ日、同じコースのダイヤモンドプリンセスに乗りました。雨はないと思っていた北海道が天候不順で生憎でしたが、まあこれも経験ですね。昨年は5月に沖縄、石垣、台湾と同じ船で巡りましたが天候にも恵まれて最高の旅でした。
> アーサーさんが言われるようにサハリンのツアーはひどかったですね。期待していただけに失望感が残りました。
> 今年でクルーズは卒業して来年は違うところへ行くつもりです。
バカボンさん
コメントありがとうございます。
私は もう少し クルーズの旅を捜してみようと思っています。またどこかで「奇遇」に出合うかもしれません。そのときはよろしくお願いします。それでは。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
2
96