2018/05/18 - 2018/05/20
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Dwind_999さん
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物見遊山のお伊勢参りを終え、精進落としよろしく、お上りさんには目が回るくらいに賑やかな大都市、大阪の街にやって来ました。
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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5月18日(金)、伊勢市駅から9時16分発の近鉄に乗って大阪の鶴橋駅で下車。乗り換えなしで所要2時間31分。運賃は\1,800。
鶴橋駅の高架を下りてくると、そこはもう有名な焼肉街。
ちょうどお昼時、腹ごしらえをすることにしました。鶴橋駅 駅
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鼻腔をくすぐる焼肉の匂いに包まれた狭い通りを歩くと、呼び込みのお兄さんやお姉さんから声がかかります。
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焼肉ランチ千円、生ビール290円の安さにつられて、鶴橋ホルモン本舗という店に入りました。
生ビールで喉を潤しながら、赤身・ホルモンミックスランチ(300g)をいただきましたが、まあ値段なりの肉質で満足度が低いのは仕方のないところ。 -
焼肉のあと、鶴橋駅そばの鶴橋商店街に足を踏み入れると、ハッピーアワーの広告が目に飛び込んできて、吸い込まれるようにして串焼きの店に入りました。
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90円のハイボールのメガジョッキと焼き鳥3本(しろ、かしら、砂ずり)。
全部で\705の昼呑みせんべろです。 -
韓国料理店やコリアンショップが軒を連ねる鶴橋商店街。
商店街を少しぶらついたあと、鶴橋駅から地下鉄に乗って日本橋駅で乗り換え、長堀橋駅へ移動。歩いて数分の所にある3泊予約しているゲストハウス「THE DORM HOSTEL OSAKA」に向かいました。鶴橋商店街 市場・商店街
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入室時間前なのでゲストハウスに荷物を預け、また地下鉄に乗って鶴橋駅に戻ってきました。
焼肉街もすぐそばにある鶴橋駅高架下の商店街辺りは、昭和の残り香漂うB級的な猥雑さに包まれ、B級的な私によく似合う。 -
狭い通りの鶴橋商店街を抜けていきます。
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鶴橋市場商店街あたりをうろついていたら、千日前通沿いに「おはぎの丹波屋 鶴橋店」を偶然見つけました。
これは素通りできないな。
おはぎ2つと桜餅1つを、店の前の小さな椅子に座っていただきました。 -
鶴橋市場商店街から南へ進み、鶴橋本通商店街を歩いて行く。
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さらに鶴橋本通商店街を南へ歩いて行きます。
コリアンな雰囲気が濃厚な鶴橋地区。
おばさんのイラスト看板を出しているこの店、店名の「アズマ」は韓国語でおばさんを意味するアジュンマからきてるのかな。 -
鶴橋本通商店街を抜け、さらに南へ歩いて、生野コリアタウンと呼ばれている「御幸通商店街」に来ました。
御幸通り(コリアタウン) 市場・商店街
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韓国にいるのかと錯覚する、東西約500mに延びる商店街。
週末ともなるとかなりの賑わいをみせるそうです。
コリアタウン散策を目的に鶴橋に戻ってきましたが、買い物はほとんどしないし、これといって食指の動くものもなかったので、ただ通りを往復するだけで終わりました。 -
生野コリアタウンからさらに桃谷商店街(ガイドブックに紹介されていたので)もちょっとのぞいて、鶴橋駅に戻ってきました。
呑み助おじさんにはたまらないガード下の酒場。
お酒はあまり強くない私ですが、夕方5時から営業する串焼きの大門に入りました。 -
口コミではかなり人気のある串焼き屋。
ハラミ、赤セン、腸の串焼きを1本ずつ注文しましたが、1本2百円とけっして安くはないし思っていたよりも小ぶりの串焼き。生ビール中も\530。
美味しかったけどコスパはよくないので、私にはちょっと・・・。 -
18時過ぎ、心斎橋にあるゲストハウス「THE DORM HOSTEL OSAKA」に戻り、ドミトリー3泊分の\8,200をカードで支払い。
2,000冊を超えるライブラリーを備えているという、図書館の一角でもあるかのような錯覚をおぼえる、共用スペース。
外国人利用者が多かったです。THE DORM HOSTEL OSAKA 宿・ホテル
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ベッドはわりと広く、枕元には小さ目のダイヤルロック式のセキュリティボックスもあるので、ちょっとした貴重品入れに便利。
しかし、カーテンを閉めた狭いベッドの中は蒸し暑い。トラベルクロックの温度計表示は25度から26度。
京都のカプセルホテルでもそうだったが、肌かけ布団ならいくらかましだけど中厚の掛布団では暑苦しくて、暑がりの私にはとても使えない。
それでいつも旅行に持参している、寝袋タイプの薄手のシルクシーツにくるまって寝ました。 -
5月19日(土)、地下鉄・長堀橋駅から堺筋本町駅を経由して谷町四丁目駅で降り、大阪歴史博物館の前を通って大阪城の表玄関・大手口から入り、大手門へと向かいました。
午前8時頃の大手門前。
今回大阪に寄ったのは大坂城見学が一番の目的です。 -
大阪城の正門にあたる、大手門。
大手門正面には「大手口枡形の巨石」と呼ばれる3つの巨石があり、中でも大手見付石(高さ5.1m,長さ11m)は大阪城中で4番目の巨石だとか。
巨石の前にある説明書きには「採石地は瀬戸内海の小豆島産と推定され、1620年(元和6年)から10年にわたった徳川幕府再築工事による」とのこと。大阪城 名所・史跡
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大手口枡形の敷地内から大手門を振り返ったところ。
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大手口枡形の石垣の上に建つ櫓、「多聞櫓」をくぐっていきます。
「渡櫓内部には70畳敷を最大とする部屋が4室、続櫓内部には廊下のほか9畳・12畳・15畳の部屋が計6室あって多数の兵や武器を蓄えることができ、枡形の内側に多くの窓があり、敵を真上から攻撃する「槍落とし」の装置が設けられるなど、高い防御能力を備えていた」(説明書きより) -
空堀を横目に見て太鼓櫓跡(南仕切門跡)を抜け、二の丸南側に建つ修道館の横を通って本丸の方へ向かいました。
時おりジョギングする人たちが走っていきます。 -
桜門入口のそばに来ました。
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桜門入口の前には豊臣秀吉を祀る神社・豊国神社があり、鳥居の前には豊臣秀吉の銅像が建つ。
農民の小倅から天下統一を果たし、豊国大明神という神にまでなってしまった豊臣秀吉。 -
いよいよ本丸へ入っていきます。
本丸への正面入り口がこの桜門。
土橋の左右は水のない空堀。 -
豊臣秀吉の時代、門の前に桜が植えられていたために「桜門」と呼ばれ、その名がそのまま継承されたとのこと。
門の向こうに天守閣が見えてきました。大阪城 名所・史跡
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桜門をくぐると正面に「桜門枡形の巨石」という巨大な石があり、かつては大手門の多聞櫓と同じように石垣の上に櫓がのっていたが幕末の戊辰戦争の戦火で消失。
石の表面の模様がタコに見える部分があることから、蛸石(高さ5.5m,長さ11.7m)と呼ばれる城内第1位の巨石で、備前・犬島(瀬戸内海)で採石されたという花崗岩の推定重量は108トン。 -
蛸石を前にして、ガイドさんの説明を聞く韓国人ツアーの一団。
多くの巨石が使われている大坂城、そのスケールの大きさに圧倒されます。 -
いよいよ、高さ54.8mの大阪城天守閣の全容が目の前に現れました。
現在の天守閣は大阪市民の寄付により1931年(昭和6年)に建造されたもので、内部にエレベーターを備える鉄骨鉄筋コンクリート造りで、徳川時代の天守台の上に豊臣時代の天守を模して築かれたそうです。 -
慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で徳川方に攻めこまれ、築城から31年目にして大阪城天守閣は落城し、21歳の豊臣秀頼とその母淀殿(茶々)や重臣たちは自刃して豊臣家は滅亡。
その後、徳川幕府の二代将軍・徳川秀忠の命によって着手された新たな築城。
元和6年(1620年)から約10年をかけ、消失した豊臣時代の大坂城の遺構の上に盛り土をして、その上に豊臣大坂城の1.5倍の高さを誇る天守閣を建造。 -
徳川の築城工事は諸大名65家を動員する天下普請で、秀吉の城を完全に埋めてしまい、その上に新たな城を造り上げるという徹底ぶりで、豊臣家の威光を消し去り、徳川時代の権威を世に示すものとして行われました。
しかしそれもわずか30数年後の寛文5年(1665年)の落雷により天守が消失してしまい、その後再建されることはなく、昭和の復興まで天守を欠いた天守台だけの大阪城となっていたそうです。
さらには1868年の戊辰戦争の時、城内の建物の大半が消失したとされる大阪城。 -
チケット売り場で、大阪城天守閣と大阪歴史博物館のセット券(\900)を買い、午前9時のオープンとともに小雨のぱらつく中、天守閣へと上がっていきました。
大阪城 名所・史跡
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入口では、エレベーター用と階段用に並ぶ列が分かれていて、エレベーターで上がる人が圧倒的に多いようですが、もちろん私は階段で8階まで登りました。
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8階展望台から見る、金箔が張られた大阪城の金の鯱。
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地上約50mの高さから見る大阪城公園と大阪の街並みはなかなか壮観。
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8階から下の階へ下りて行きながら見学しました。
じっくり見ればかなり時間がかかるでしょうが1時間半ほどで天守閣を出ました。 -
10時半を過ぎ、多くの観光客で賑わいをみせる、天守閣前の本丸広場。
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西の丸庭園にいくために大手門の方へ戻り、「大手門謎の柱継ぎ」といわれるのを見逃していたので、また入口に戻りました。
写真では左の大手門控えの門がそれで、柱の木材が傷んできたので、昔の匠が柱を継いで補修したそうですが、その継ぎ方が謎とされていたというもの。
X線による解析でその構造が明らかになったとされていますが、私など、謎の柱継ぎを見てもただふ~んで終わってしまいます。
年配のおじさんが門の前で待ち構え、外国人を引きとめては謎の柱継ぎの説明をしていました。
ボランティア的に楽しみでやっているのでしょうが、英語ができるからたいしたものです。 -
200円払って西の丸庭園に入りました。
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春には桜の名所としても賑わうそうですが、芝生に覆われた敷地が広がる広場といった感じで庭園のイメージとはずいぶん違います。
庭園の角っこにはいくつかの櫓がありました。大阪城西の丸庭園 公園・植物園
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六番櫓付近から上がって、南外堀の石垣沿いを歩いてみました。
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二の丸の南側部分の石垣から水をたたえた堀を見る。
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ほとんど人もいない、草が生い茂る石垣沿いの小道。
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大阪城の石垣の総延長は約12kmもあるといわれ、水をたたえたお堀を眼下に見ながら歩いていると、その城郭の壮大さを実感し驚嘆します。
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さらに石垣の縁を歩いて一番櫓の方へ向かい、玉造口へ行きました。
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日本一の高石垣といわれる、大阪城本丸東面の石垣の高さは水中部分も含めて32m。
石垣の石は生駒山系や六甲山系などから、巨石は瀬戸内海の小豆島や犬島などから運ばれてきたそうですが、トラックやクレーンのない時代にこんな巨大な城を築いてしまうとは、その途方もない労力を思うとほんとに気の遠くなるような話です。
巨石の陸上輸送は、通り道に木の丸太を敷いてその上に修羅と呼ばれる木ぞりを乗せ、綱で引いて滑らせながら運んだとか。 -
糒櫓跡付近から眼下に見る青屋門。
向こうには丸屋根の大阪城ホール。 -
天守下仕切門跡付近から見上げる天守閣。
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山里丸から極楽橋へ来ました。
山里丸と二の丸を結ぶ、内堀に架かる極楽橋は幕末の戦火の中で消失し、現在の橋は昭和40年に再建されたものだそうです。大阪城 名所・史跡
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極楽橋を渡って振り返ったところ。
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極楽橋から内堀沿いを、左に天守閣を眺めながら京橋口の方へ歩いて行きました。
内堀を優雅に進む、観光客を乗せた大阪城御座船。
石垣の高さと天守閣の威容をさらに実感することでしょうね。 -
それこそ無数にある大阪城の見どころ、その一端に触れただけの見学でしたが、大阪城全体の壮大さをあらためて実感しながら、内堀沿いを京橋口へと歩きました。
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5時間半ほどの大阪城見学を終え、大阪歴史博物館は翌日に行くことにして、地下鉄に乗って本町駅へ移動しました。
本町駅の近く、せんば心斎橋筋商店街にお気に入りの「おはぎの丹波屋」があったので4つ購入して近くの公園でいただきました。
私の街歩きには欠かせないスイーツなひと時。 -
さらにせんば心斎橋筋商店街を南下して、「串かつだるま 心斎橋店」に入り、串カツ9本とどて焼きの新世界セット(\1,400)とビール大瓶(\680)を注文。
期待したほどではなく、おはぎを食べたせいか少し胸やけ気味になりました。 -
16時にゲストハウスに戻りました。
いつでも飲めるフリードリンクがあるので、コーヒーを飲みながら例によって動画鑑賞したりして、あんがい居心地良く過ごせました。 -
5月20日(日)。
600円の土、日限定のエンジョイエコカード(1日乗車券)を自販機で買って、大阪歴史博物館に向かいました。
その前に、また大坂城内を見学。
六番櫓が建つ、高石垣の反り具合も見事な、南外堀の屏風折(びょうぶおれ)の石垣。 -
午前8時過ぎの本丸広場。
ガイドに引率されたツアーのみなさんがもう押しかけています。 -
天守下仕切門跡の少し坂の下から見上げる天守閣は、まことに堂々たる姿。
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1時間半ほどの大阪城見学を終え、NHKビルの横に建つ細長い建物の大阪歴史博物館に行きました。
大阪歴史博物館のそばには、国指定史跡の「法円坂遺跡」として古墳時代の高床式倉庫が復元展示されています。 -
大阪歴史博物館は6階から10階までが博物館として公開され、まずエレベーターで一気に10階に上がり、歴史の古い時代から見ていき、6階へと下りていくにしたがって現代へ近づいてくるというのが一般的な見学コースとなっています。
10階のガラス窓を通して望む大阪城。
大手門を中心とした城郭の南と西側部分が見渡せ、そのスケールの大きさに目を見張ります。大阪歴史博物館 美術館・博物館
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9階フロアでは江戸時代の大阪、7階では大正・昭和時代の街角風景を再現。
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大正・昭和時代の街角にタイムスリップさせてくれる、7階フロア。
じっくり見ていくとかなり時間を要する、歴史好きな人には見応えのある大阪歴史博物館、私は適当にサラリ、1時間半ちょっとで終わってしまいました。 -
地下鉄で谷町四丁目駅から天神橋筋六丁目駅に移動し、日本一長い商店街といわれる「天神橋筋商店街」を歩いてみました。
おお、ここにも丹波屋がある。天神橋筋商店街 名所・史跡
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お昼の12時頃、天満駅にも近い天神橋4丁目にある立ち飲み「銀座屋」に入りました。
マグロ脳天(\250)、鳥肝煮付(\130)、大瓶ビール(\380)。
全部で760円のせんべろで、能天気なオジンもご満悦。 -
銀座屋を出てさらに商店街を南へ下っていくと、「芭蕉堂」という和菓子屋があったのでつい手を出してしまった。
近くの公園のベンチに座っていただきました。 -
特に当てもなく、さらに天神橋3丁目から2丁目、最後の1丁目まで歩いてみました。
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天神橋筋商店街をあとにして、地下鉄堺筋線の南森駅から乗って恵美須町駅で下車。
新世界に来ました。
通天閣の展望台に上がってみようかと思ったけど、日曜日ということもあって大賑わい。行列ができていたのでやめました。新世界 名所・史跡
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スマートボールの「ニュースター」に入って、ちょっとだけ遊んでみました。
ゲーム台に100円玉を入れる、ガラス玉が25個落ちてきて、適当にレバーをはじいて穴をねらいますが、1度15のところに入って玉が15個出てきただけであっけなく終了。 -
15時過ぎに宿に戻って洗濯などすませ、すぐ近くの焼肉屋に営業開始の18時頃に入りました。
店の前を通った時、カウンターの上に炭火の七輪を置いて焼くという珍しい焼き肉光景が見え、ちょっと気になっていました。
オガ炭を入れた汚れた七輪の上に、座りの悪い曲がった金網、これもまた無煙ロースターの清潔な焼肉屋とは違った味わいをみせてくれます。
年老いたおばちゃんと若いお兄さんの二人で切り盛りする人気の店で、狭い店内はすぐ満席になりました。
塩タン(\1,200)、テッチャン(\680)、ツラミ(\650)を1人前ずつ。それにビール大瓶で\3,280。評判通り厚切りの塩タンは美味しかったけど、全体に量が少なくて物足りなかったです。 -
期待外れだった焼肉のあと、法善寺横丁にあるかつ丼専門店の「喝鈍」で、とんかつとご飯が分かれて出てくるというちょっと変わったカツ丼を食べました。
お箸とスプーンが添えられたセパレートのカツ丼、650円と安いので肉質はそれなりのもの。法善寺横丁 名所・史跡
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法善寺の水掛不動さんにお参りして、やはり最後に見ておこうと道頓堀のグリコに来ました。
相変わらずの賑わいをみせる20時頃の道頓堀。
大阪城観光がメインで、あとは適当に街歩きを楽しんだ大阪滞在でした。グリコのネオン 名所・史跡
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