2018/06/07 - 2018/06/07
111位(同エリア134件中)
ムラゴンさん
今年は少し早い梅雨入りの宣言があり、近くのアジサイ寺(頼光寺)を訪問。
そして川西市内にある清和源氏の系統の摂津源氏(多田源氏)の寺社「多田神社・満願寺・小童寺」を散策しました。
多田の名前は、源氏の系統でも有名ですが、一獲千金を夢みる方は、豊臣秀頼の隠し銀山でお馴染みでは?。兵庫県川西市にある地名です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
頼光寺の入口です。
入口の上は、能勢電鉄が走っています。
狭く車は入れません。幅は二人がすれ違い出来る程度です。 -
ここが入口の横の駐車場です。結構広いですが車で来られる際には、
道が狭いので十分に注意してください。 -
言い方は有るのでしょうが、寺名の標示です。
-
これが本堂です。
源満仲公の夫人で法如尼(頼光公の御母堂)の発願により御子源賢僧都(幼名美女丸)によって建てられたといわれています。
境内にはガクアジサイ、洋アジサイなど500株ものアジサイが色鮮やかに咲くそうです。
「来る時期が少し早かった・・・残念です。」
アジサイが植えられたのは、昭和49年に本堂を再建した時に、川西市観光協会から100株のあじさいを寄贈してもらったのが始まりですので歴史は浅い。 -
でもあちらこちらにアジサイは咲いていました。
ブルー系のアジサイ。 -
ピンク系のアジサイ。
-
細長くて白いアジサイ。
-
中はまだ蕾状態?のアジサイ。
-
もう少し日が経てば綺麗でしょうねぇ。
-
細長いアジサイを手前に、後ろに丸いアジサイを配置して撮りました。
-
他にもツリガネソウも満開です。
-
源満仲公の夫人である法如尼のお墓の墓標です。
-
これがお墓。
-
再度、本堂です。 鉢には蓮。
-
ここの朱塗りの橋を渡れば多田神社です。
-
階段を上って境内に入ります。
元々は、天禄元年(970)に創建され多田院という天台宗の寺院。
戦国時代の天正5年(1577年)に織田信澄によって社殿が焼失。
清和源氏を称した徳川家から崇敬され、将軍徳川家綱によって寛文7年(1667年)に、本殿、拝殿、随神門などが再建された。
さらに将軍徳川綱吉が満仲に贈正一位多田大権現の神号が送ると、
次第に多田院は寺から神社の色合いが強くなっていった。
多田大権現社・関西日光のとも言われる大社ある。
明治時代になると神仏分離令により、多田院は寺から源満仲、頼光、
頼信、頼義、義家公を祀る神社となった。
扁額には多田大権現とある。 -
ここが本社の随神門です。
-
本殿の拝殿の内部です。
-
提灯には、清和源氏の家紋(笹竜胆)と徳川家の家紋(三つ葉葵)が並んでいました。
-
奥が本殿です。
源満仲、頼光、頼信、頼義、義家公が祀られています。 -
本殿の横に鬼首洗池があります。
大江山鬼退治伝説にある源頼光公が丹波国の大江山の鬼を退治して
鬼の首を洗ったと言われている池です。 -
本殿のまわりには、珍しい椿(唐椿)が何本も植えられ、赤、ピンク、白などさまざまな花を咲かせますが、残念ながら撮影した時には花がありませんでした。
-
多田神社の境内の中にある稲荷神社です。
田尻稲荷大明神とあります。 -
惣社 六所宮です。
旧多田院の鎮守社として、また多田荘七十二ヶ村の惣社として
鎌倉時代に創建された。
現在の建物は室町時代後期に再建されたとのこと。
御祭神は、住吉大明神・稲荷大明神・天照光大神・賀茂大明神・
春日大明神・熊野権現の六神です。 -
次は多田源氏の祈願所の満願寺です。
-
三門は少し変わった建物です。
-
二王門には多田神社から移された金剛力士像が左右に二体立っています。
-
ここが満願寺の本坊の玄関です。
本坊には、サツキ、ツツジが美しい書院の庭園がありますが拝観出来ませんでした。 -
金堂です。
-
坂田金時の墓です。
坂田金時は、昔話・童話に登場する足柄山の金太郎のこと。
源頼光の四天王の一人で他に渡辺綱・卜部季武・碓井貞光がいる。 -
坂田金時の兜石。
-
源家の七塔。
源国房・光国・明国・仲政・国直・行国・国基も供養塔。 -
源仲光(源満仲の重臣)・美女丸(満仲の子)・幸寿丸(仲光の子)
の三廟。
源満仲公は戦などで血筋が途絶えないように末子の美女丸を僧侶にしようと考え、また、和歌や管弦等を習わせる為に中山寺に預けた。
しかし美女丸はそれを聞き入れず、武芸の真似事をして我儘な毎日を過ごしていた。
これを知った満仲は、烈火の如く怒り、重臣の藤原仲光に美女丸の首をはねるように命令した。
主君の御子の命を奪う事が出来ず、困り果てていたところ実子の幸寿丸は、「私が美女丸様の身代わりになります」と申し出ました。
仲光は、流れる涙を堪え幸寿丸の首を打ち、美女丸を密かに逃した。
後にそのことを知った美女丸は、今までの自分の行いを悔い改めて比叡山で修行に励んだ。
又、後に訪問した小童寺は、美女丸が出家して、やがて名僧となり、幸寿丸をとむらうため、建立した寺です。ここにも墓があります。 -
ここにもアジサイが咲いていました。
本来はここは、桜と紅葉の名所です。 -
小童寺の入口です。
小童寺の創建は平安時代の天延二年(974年)。
宗派は、元は天台宗。 現在は浄土宗。
開祖の源賢僧都は、源満仲の末っ子(三男)の幼名が美女丸。
前の写真で述べた理由で幸寿丸の菩提を弔う為にこの小童寺を
建立した。 -
小童寺の本堂。
-
幸寿丸・美女丸・仲光の墓。
-
これが源頼光の四天王の筆頭剛勇の渡辺綱(つな)の廟。
渡辺綱は、嵯峨天皇の第十八皇子・源融(とおる)の四代後で
正式な名は、源綱。 通称は渡辺源次綱。 渡辺氏の祖である。
大江山の酒呑童子・羅生門の鬼退治でも有名である。 -
そして、源頼光の他の四天王の卜部季武・碓井貞光・坂田金時の墓もありました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
川西・猪名川(兵庫) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
39