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亡くなった子猫の供養に猫のたくさんいるお寺、浄瑠璃寺に出かけて来ました<br />昨年4月オープンの道の駅お茶の京都みなみやましろ村は新茶フェアが始まりとても賑わっていました<br /><br />道の駅お茶の京都みなみやましろ村<br />京都府相楽郡南山城村北大河原殿田102<br />JR関西本線月ヶ瀬口駅近く<br /><br />新茶フェア2018.5月19日~27日<br /><br />施設について<br />営業時間 / 9:00~18:00<br />定休日 毎月第3水曜日<br />のもん市場(野菜、お土産) / 9:00~18:00<br />村民百貨店(生活用品)   / 9:00~18:00<br />つちのうぶ(レストラン)  / 11:00~16:00<br />村茶屋(ファストフード)  / 9:30~17:00<br /><br />浄瑠璃寺 P300円<br />木津川市加茂町西小札場40<br />秘仏・吉祥天女像公開2018.3/21-5/20、1/1-1/15、10/1-11/30<br />秘仏・薬師如来像公開毎月8日、彼岸の中日※1月のみ1/1,2,3,8,9,10<br />秘仏・大日如来像公開1/8,9,10<br /><br />■拝観時間:9:00~17:00 (12月~2月は10:00~16:00)<br />■拝観料:400円<br /><br />神童寺<br />木津川市山城町神童子<br />不晴谷112<br />■拝観料 500円、JAF割り有450円 <br />■駐車場:50台<br /><br />蟹満寺<br />木津川市山城町綺田浜36<br />■拝観時間:8:00~16:00<br />■拝観料:500円(一般/30人以上450円)・450円(高校生)・200円(小・中学生)、JAF割り有一般450円<br />■駐車場:普通車用駐車場有り<br />

道の駅お茶の京都みなみやましろ村・浄瑠璃寺・神童寺・蟹満寺2018

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2018/05/20 - 2018/05/20

183位(同エリア294件中)

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名古屋のmisako

名古屋のmisakoさん

亡くなった子猫の供養に猫のたくさんいるお寺、浄瑠璃寺に出かけて来ました
昨年4月オープンの道の駅お茶の京都みなみやましろ村は新茶フェアが始まりとても賑わっていました

道の駅お茶の京都みなみやましろ村
京都府相楽郡南山城村北大河原殿田102
JR関西本線月ヶ瀬口駅近く

新茶フェア2018.5月19日~27日

施設について
営業時間 / 9:00~18:00
定休日 毎月第3水曜日
のもん市場(野菜、お土産) / 9:00~18:00
村民百貨店(生活用品)   / 9:00~18:00
つちのうぶ(レストラン)  / 11:00~16:00
村茶屋(ファストフード)  / 9:30~17:00

浄瑠璃寺 P300円
木津川市加茂町西小札場40
秘仏・吉祥天女像公開2018.3/21-5/20、1/1-1/15、10/1-11/30
秘仏・薬師如来像公開毎月8日、彼岸の中日※1月のみ1/1,2,3,8,9,10
秘仏・大日如来像公開1/8,9,10

■拝観時間:9:00~17:00 (12月~2月は10:00~16:00)
■拝観料:400円

神童寺
木津川市山城町神童子
不晴谷112
■拝観料 500円、JAF割り有450円
■駐車場:50台

蟹満寺
木津川市山城町綺田浜36
■拝観時間:8:00~16:00
■拝観料:500円(一般/30人以上450円)・450円(高校生)・200円(小・中学生)、JAF割り有一般450円
■駐車場:普通車用駐車場有り

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
グルメ
4.0
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車
  • 道の駅お茶の京都みなみやましろ村

    道の駅お茶の京都みなみやましろ村

  • 道の駅前にはお茶畑

    道の駅前にはお茶畑

  • 土日限定販売の村楽弁当1000円<br />

    土日限定販売の村楽弁当1000円

  • 小田原山 浄瑠璃寺(じょうるりじ) 真言律宗<br />寺号は、三重塔の内陣に安置されている薬師如来の浄土「浄瑠璃世界」からきています。梵字の阿字をかたどったと言われる池を中心にして、東に薬師仏、西に阿弥陀仏を配した庭園は極楽世界をこの世に表わしたもので、本堂は横に長く九体の阿弥陀如来を安置しています。平安時代には京都を中心にこのような堂も 30 以上あったと云われますがすべて失われ、当時のまま現存するのはここ浄瑠璃寺だけです。 <br /><br />・国宝<br /> 本堂(阿弥陀堂)、三重塔、九体阿弥陀如来像、四天王像<br />・重要文化財<br /> 薬師如来坐像、地蔵菩薩立像(子安地蔵、延命地蔵)、吉祥天女像<br /> 本堂前の石灯篭<br />・史跡・特別名勝<br /> 浄瑠璃寺庭園 <br />(木津川市観光協会HPより)

    小田原山 浄瑠璃寺(じょうるりじ) 真言律宗
    寺号は、三重塔の内陣に安置されている薬師如来の浄土「浄瑠璃世界」からきています。梵字の阿字をかたどったと言われる池を中心にして、東に薬師仏、西に阿弥陀仏を配した庭園は極楽世界をこの世に表わしたもので、本堂は横に長く九体の阿弥陀如来を安置しています。平安時代には京都を中心にこのような堂も 30 以上あったと云われますがすべて失われ、当時のまま現存するのはここ浄瑠璃寺だけです。

    ・国宝
     本堂(阿弥陀堂)、三重塔、九体阿弥陀如来像、四天王像
    ・重要文化財
     薬師如来坐像、地蔵菩薩立像(子安地蔵、延命地蔵)、吉祥天女像
     本堂前の石灯篭
    ・史跡・特別名勝
     浄瑠璃寺庭園
    (木津川市観光協会HPより)

  • 浄瑠璃寺の参道は馬酔木ともくれんが4月は見事だそうです<br />5月は新緑ですね

    浄瑠璃寺の参道は馬酔木ともくれんが4月は見事だそうです
    5月は新緑ですね

  • 浄瑠璃寺の始まり<br />738年(天平11年)行基によって開かれたといわれる説もありますが、    <br />浄瑠璃寺の記録は少なく、浄瑠璃寺流記事によると、1047年(永承二年)<br />義明という上人が、薬師如来を本尊とし、一日で屋根を葺けたというほどの小さな堂を建てたのが始まりで、阿知山大夫重頼という豪族が、檀那となったそうです。<br />60年後、1107年(嘉承二年)本尊の薬師如来像などを西堂へ移したといわれます。<br />ところが、1157年(保元二年)にも、本堂を西岸の辺へ移したと書かれてあります。これが現在の本堂だとすれば嘉承二年の西堂はいったい境内のどこにあったのか?今尚明らかではないそうです。<br /><br />ただ、1166年(永万二年)興福寺の文書に「西小田原九体阿弥陀堂」と書かれているので、現在の本堂は1157年(保元二年)のものであることはまちがいないらしいです。<br /><br />1157年(久安6年)興福寺権別当をつとめた興福寺一条院の門跡恵信(藤原忠道の子)は、浄瑠璃寺を一条院の御祈所とし、坊舎などをまとめ、庭園を整備していきました。<br /><br />1178年(治承二年)京都の一条大宮から現在の位置に三重塔を移され、薬師如来をまつりました。<br /><br />1212年 吉祥天女像安置<br />1241年 馬頭観音像造<br />1296年 弁財天像勧請<br />1311年 不動三尊を迎える<br />1350年 浄瑠璃寺流記事書写<br />1366年 塔前石灯籠造 <br />(浄瑠璃寺HPより)

    浄瑠璃寺の始まり
    738年(天平11年)行基によって開かれたといわれる説もありますが、    
    浄瑠璃寺の記録は少なく、浄瑠璃寺流記事によると、1047年(永承二年)
    義明という上人が、薬師如来を本尊とし、一日で屋根を葺けたというほどの小さな堂を建てたのが始まりで、阿知山大夫重頼という豪族が、檀那となったそうです。
    60年後、1107年(嘉承二年)本尊の薬師如来像などを西堂へ移したといわれます。
    ところが、1157年(保元二年)にも、本堂を西岸の辺へ移したと書かれてあります。これが現在の本堂だとすれば嘉承二年の西堂はいったい境内のどこにあったのか?今尚明らかではないそうです。

    ただ、1166年(永万二年)興福寺の文書に「西小田原九体阿弥陀堂」と書かれているので、現在の本堂は1157年(保元二年)のものであることはまちがいないらしいです。

    1157年(久安6年)興福寺権別当をつとめた興福寺一条院の門跡恵信(藤原忠道の子)は、浄瑠璃寺を一条院の御祈所とし、坊舎などをまとめ、庭園を整備していきました。

    1178年(治承二年)京都の一条大宮から現在の位置に三重塔を移され、薬師如来をまつりました。

    1212年 吉祥天女像安置
    1241年 馬頭観音像造
    1296年 弁財天像勧請
    1311年 不動三尊を迎える
    1350年 浄瑠璃寺流記事書写
    1366年 塔前石灯籠造 
    (浄瑠璃寺HPより)

  • 浄瑠璃寺さんからのお知らせ<br /> <br />「九体阿弥陀仏」の修理・修復<br /><br /> 当寺の本尊、平安後期の九体阿弥陀如来像は往時の姿をほぼそのまま残している貴重な作例として国宝に指定されています。<br /> 数年前、各像を調査していただいたところ傷んでいたり破損している箇所が見られたため明治期以来約百年振りの修理・修復を実施するこになりました。平成二十九年度より五カ年計画で、年一体か二体が寺を留守にされます。修理の開始時期は未定ですが始まりますと五年間は揃った姿を拝んでいただけなくなります。<br />(浄瑠璃寺HPより)<br />

    浄瑠璃寺さんからのお知らせ
     
    「九体阿弥陀仏」の修理・修復

     当寺の本尊、平安後期の九体阿弥陀如来像は往時の姿をほぼそのまま残している貴重な作例として国宝に指定されています。
     数年前、各像を調査していただいたところ傷んでいたり破損している箇所が見られたため明治期以来約百年振りの修理・修復を実施するこになりました。平成二十九年度より五カ年計画で、年一体か二体が寺を留守にされます。修理の開始時期は未定ですが始まりますと五年間は揃った姿を拝んでいただけなくなります。
    (浄瑠璃寺HPより)

  • 浄土式庭園<br />瑠璃寺庭園(境内)(特別名勝及史跡)<br />               藤原時代<br /><br />池を中心としたこの庭園は、伊豆僧正恵信が久安6年に伽藍や坊舎の整備、結界を正すなどしたときに始まる。<br />阿弥陀堂を東に向け、その前に苑池を置き、東に薬師仏をまつって浄土式庭園とした。<br />鎌倉のはじめの元久2年、小納言法眼がそれを補強する。<br />(浄瑠璃寺HPより)

    浄土式庭園
    瑠璃寺庭園(境内)(特別名勝及史跡)
                   藤原時代

    池を中心としたこの庭園は、伊豆僧正恵信が久安6年に伽藍や坊舎の整備、結界を正すなどしたときに始まる。
    阿弥陀堂を東に向け、その前に苑池を置き、東に薬師仏をまつって浄土式庭園とした。
    鎌倉のはじめの元久2年、小納言法眼がそれを補強する。
    (浄瑠璃寺HPより)

  • 浄瑠璃寺本堂 九体阿弥陀堂(国宝)<br />                 藤原時代<br /> <br />九体阿弥陀仏をまつるための堂で、現存する唯一のもの。(正面十一間、側面4間)<br />太陽の沈む西方浄土へ迎えてくれる阿弥陀仏を西に向って拝めるよう東向きにし前に浄土の池をおき、その対岸から文字通り彼岸に来迎仏を拝ませる形にしたものである。<br /> 一体一体の如来が堂前に板扉を持つ。<br />(浄瑠璃寺HPより)<br />

    浄瑠璃寺本堂 九体阿弥陀堂(国宝)
                     藤原時代
     
    九体阿弥陀仏をまつるための堂で、現存する唯一のもの。(正面十一間、側面4間)
    太陽の沈む西方浄土へ迎えてくれる阿弥陀仏を西に向って拝めるよう東向きにし前に浄土の池をおき、その対岸から文字通り彼岸に来迎仏を拝ませる形にしたものである。
     一体一体の如来が堂前に板扉を持つ。
    (浄瑠璃寺HPより)

  • 浄瑠璃寺三重塔 (国宝)藤原時代<br /><br />平安時代、京都一条大宮から移されてきたもの。初層内は扉の釈迦八相、四隅の十六羅漢図など、装飾文様と共に壁面で埋められている。元は仏舎利を納めていただろう。この寺へ来てからは東方本尊の薬師物を安置している。<br />(浄瑠璃寺HPより)

    浄瑠璃寺三重塔 (国宝)藤原時代

    平安時代、京都一条大宮から移されてきたもの。初層内は扉の釈迦八相、四隅の十六羅漢図など、装飾文様と共に壁面で埋められている。元は仏舎利を納めていただろう。この寺へ来てからは東方本尊の薬師物を安置している。
    (浄瑠璃寺HPより)

  • 参道にある”あ志び乃店”のしそジュース320円

    参道にある”あ志び乃店”のしそジュース320円

  • 北吉野山 神童寺(じんどうじ)<br />古来山岳仏教が栄えていたこの地に金峰山を拠点とする修験者集団の勢力や宗教的影響が及びました。「神童寺縁起」によると、 この寺は聖徳太子の創建で本尊の蔵王権現像は役行者(えんのぎょうじゃ)がこの山で修行した時二人の神童の助力を得て刻んだと伝えられています。 大和の吉野山に対して北吉野山と号し、一時は付近の山一帯に二十六坊のお堂が存在したことが所蔵の絵図から伺えますが全山焼失し、現在の本堂は応永13年(1406年)に再建されました。 <br /><br />○本堂及び仏像の多くが重要文化財です。<br />本尊「蔵王権現像」・役行者像および前鬼・後鬼像・鬼瓦(重文)・修理棟札(重文)・白不動明王(重文)・阿弥陀如来像(重文)・愛染明王(重文)・毘沙門天像(重文)・日光菩薩像(重文)・月光菩薩像(重文)<br />○花情報<br />桜とミツバツツジ(4月)及び黄と赤のモミジ<br /><br />棚倉駅からは徒歩40分(茶畑の風景を楽しみつつ歩きます)春4月、鐘楼の脇の山上から眺める桜とミツバツツジはみごとです!<br />(木津川市観光協会HPより)<br /><br />白鳳4年、役の行者が当山に登り行法していると、突然童子が現れて「汝の傍らに石楠花の樹あり、誠に霊木なり。これにて仏像を刻み衆生を済度せよ。吾らは子守、勝手、金精(こんせい)、佐抛(さなげ・当村社末社祭神)の四神、常にこの樹を守護す。」と言い終って空へ飛び去りました。・・・石楠花の樹を以て蔵王権現の像を彫刻し始めると、南方から神童二人現われ、これを助けたので像は忽ち成りました。神童は「吾等は天八百日尊(あめのやおひのみこと)、天三下尊(あめのみさがりのみこと・当村社の祭神)なり、永く伽藍を擁護せん。」と言い終って去ってしまいました。役行者は、そこで別に蔵王堂を建てて権現像をを安置し、天八百日尊(あめのやおひのみこと)、天三下尊(あめのみさがりのみこと・当村社の祭神)、子守、勝手、金精(こんせい)、佐抛(さなげ・当村社末社祭神)の六神を勧請して伽藍の守護神とし、また、永く神徳を顕わすため、ここに改めて神童寺と称することになりました。次に、役行者は自らの像を彫刻して、開山堂に置きました。養老6年722年泰澄大師が当山に登り、鷲峯山(じゅぶさん)を北上、当山を北吉野山と名づけました(パンフレットより)

    北吉野山 神童寺(じんどうじ)
    古来山岳仏教が栄えていたこの地に金峰山を拠点とする修験者集団の勢力や宗教的影響が及びました。「神童寺縁起」によると、 この寺は聖徳太子の創建で本尊の蔵王権現像は役行者(えんのぎょうじゃ)がこの山で修行した時二人の神童の助力を得て刻んだと伝えられています。 大和の吉野山に対して北吉野山と号し、一時は付近の山一帯に二十六坊のお堂が存在したことが所蔵の絵図から伺えますが全山焼失し、現在の本堂は応永13年(1406年)に再建されました。

    ○本堂及び仏像の多くが重要文化財です。
    本尊「蔵王権現像」・役行者像および前鬼・後鬼像・鬼瓦(重文)・修理棟札(重文)・白不動明王(重文)・阿弥陀如来像(重文)・愛染明王(重文)・毘沙門天像(重文)・日光菩薩像(重文)・月光菩薩像(重文)
    ○花情報
    桜とミツバツツジ(4月)及び黄と赤のモミジ

    棚倉駅からは徒歩40分(茶畑の風景を楽しみつつ歩きます)春4月、鐘楼の脇の山上から眺める桜とミツバツツジはみごとです!
    (木津川市観光協会HPより)

    白鳳4年、役の行者が当山に登り行法していると、突然童子が現れて「汝の傍らに石楠花の樹あり、誠に霊木なり。これにて仏像を刻み衆生を済度せよ。吾らは子守、勝手、金精(こんせい)、佐抛(さなげ・当村社末社祭神)の四神、常にこの樹を守護す。」と言い終って空へ飛び去りました。・・・石楠花の樹を以て蔵王権現の像を彫刻し始めると、南方から神童二人現われ、これを助けたので像は忽ち成りました。神童は「吾等は天八百日尊(あめのやおひのみこと)、天三下尊(あめのみさがりのみこと・当村社の祭神)なり、永く伽藍を擁護せん。」と言い終って去ってしまいました。役行者は、そこで別に蔵王堂を建てて権現像をを安置し、天八百日尊(あめのやおひのみこと)、天三下尊(あめのみさがりのみこと・当村社の祭神)、子守、勝手、金精(こんせい)、佐抛(さなげ・当村社末社祭神)の六神を勧請して伽藍の守護神とし、また、永く神徳を顕わすため、ここに改めて神童寺と称することになりました。次に、役行者は自らの像を彫刻して、開山堂に置きました。養老6年722年泰澄大師が当山に登り、鷲峯山(じゅぶさん)を北上、当山を北吉野山と名づけました(パンフレットより)

  • 収納庫<br />蔵王権現の本誓が災を除き福を授け、白不動が災難を身に代わり、毘沙門天が立身出世せしめ、愛染明王が子を授け、日光月光菩薩が眼病を癒すのも、皆これ、仏の大慈悲であります。<br />(パンフレットより)<br /><br />白い不動明王は全国でも珍しくこちらにしかありません<br />(寺のガイドさんの話より)

    収納庫
    蔵王権現の本誓が災を除き福を授け、白不動が災難を身に代わり、毘沙門天が立身出世せしめ、愛染明王が子を授け、日光月光菩薩が眼病を癒すのも、皆これ、仏の大慈悲であります。
    (パンフレットより)

    白い不動明王は全国でも珍しくこちらにしかありません
    (寺のガイドさんの話より)

  • 蟹満寺(かにまんじ)駐車場横の黄菖蒲<br />

    蟹満寺(かにまんじ)駐車場横の黄菖蒲

  • 普門山 蟹満寺 真言宗智山派<br />寺の名前は蟹幡(かむはた)郷という美称である「神(カム)」と織物を意味する「幡(ハタ)」からなる地名に由来し、この地は古代には渡来系民族で織物にたずさわる人が多く住んでいたようで、白鳳時代末期に国家かそれに準ずる豪族によって建てられたと考えられています。平安時代以降は、今昔物語集に出てくる「蟹の恩返し」縁起で有名になりました。本堂は宝暦9年(1759年)に建て替えられ以降そのまま250年間経ち、このたび改築されて平成22年4月落慶法要が営まれました。<br />本堂中央の釈迦如来像(国宝)は創建当時より不動であることが調査の結果解りました。 <br /><br />国宝の釈迦如来坐像(像高2.403m、重さ2tの金銅製)の造立は奈良時代以前と考えられ、同様の初期の丈六金銅仏は飛鳥大仏、現興福寺仏頭、薬師如来坐像のみです。<br />(木津川市観光協会HPより)

    普門山 蟹満寺 真言宗智山派
    寺の名前は蟹幡(かむはた)郷という美称である「神(カム)」と織物を意味する「幡(ハタ)」からなる地名に由来し、この地は古代には渡来系民族で織物にたずさわる人が多く住んでいたようで、白鳳時代末期に国家かそれに準ずる豪族によって建てられたと考えられています。平安時代以降は、今昔物語集に出てくる「蟹の恩返し」縁起で有名になりました。本堂は宝暦9年(1759年)に建て替えられ以降そのまま250年間経ち、このたび改築されて平成22年4月落慶法要が営まれました。
    本堂中央の釈迦如来像(国宝)は創建当時より不動であることが調査の結果解りました。 

    国宝の釈迦如来坐像(像高2.403m、重さ2tの金銅製)の造立は奈良時代以前と考えられ、同様の初期の丈六金銅仏は飛鳥大仏、現興福寺仏頭、薬師如来坐像のみです。
    (木津川市観光協会HPより)

  • 蟹の文様があちらこちらに

    蟹の文様があちらこちらに

  • 道の駅お茶の京都みなみやましろ村で買った抹茶ぼーるちょこ200g1,080円、むらおこし事業組合抹茶昆布飴350円

    道の駅お茶の京都みなみやましろ村で買った抹茶ぼーるちょこ200g1,080円、むらおこし事業組合抹茶昆布飴350円

  • 道の駅お茶の京都みなみやましろ村で買った伊賀漬中袋324円、加寿漬奈良漬け756円、梅酢たくあん432円

    道の駅お茶の京都みなみやましろ村で買った伊賀漬中袋324円、加寿漬奈良漬け756円、梅酢たくあん432円

  • 道の駅お茶の京都みなみやましろ村で買った新茶4 500円、ほうじ茶650円

    道の駅お茶の京都みなみやましろ村で買った新茶4 500円、ほうじ茶650円

  • 道の駅お茶の京都みなみやましろ村で買った日野菜漬220円、梅干し390円、ブロッコリー100円

    道の駅お茶の京都みなみやましろ村で買った日野菜漬220円、梅干し390円、ブロッコリー100円

  • 東名阪自動車道亀山PA下り線ハイウェイショップで買った黒缶お線香648円、黒缶キャンドル735円、伊勢茶500PET155円

    東名阪自動車道亀山PA下り線ハイウェイショップで買った黒缶お線香648円、黒缶キャンドル735円、伊勢茶500PET155円

  • 浄瑠璃寺の参道のわらじやで買った吉祥天1000円、まねきねこ300円

    浄瑠璃寺の参道のわらじやで買った吉祥天1000円、まねきねこ300円

  • 浄瑠璃寺の絵葉書10枚400円、蟹満寺の絵葉書3枚300円、神童寺のマグネット300円

    浄瑠璃寺の絵葉書10枚400円、蟹満寺の絵葉書3枚300円、神童寺のマグネット300円

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