2018/04/28 - 2018/05/06
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dapuqiaoさん
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昨年(2018年)の五月の黄金週間に山西省を旅して来ました。
山西省は、東に太行山脈が連なり河北省と、西と南には黄河が流れ陝西省(西)と河南省(南)と、北には万里の長城が残り内蒙古自治区と接する地です。
中華文明の発祥の地の一つでもあり、三皇五帝の「堯」「舜」「禹」の都のあった所、また、春秋時代の「晋」があった所でもあります。
今回は、山西省を北から南へ(太原市~運城市)とそんな太古の歴史を辿る旅です。
おおまかな日程
4/28 上海→太原(晋陽古城遺跡,晋祠公園,蒙山大仏,双塔寺)
4/29 太原(楡次老城) → 平遥(平遥古城)
4/30 平遥(平遥古城) → 霊石
5/01 霊石、王家大院 → 臨汾(大雲寺,大鐘楼)
5/02 臨汾(壺口黄河瀑布)
5/03 臨汾(堯廟,華門) → 運城(解州関帝廟,常平関帝廟,池神廟)
5/04 運城(鸛雀楼,大鉄牛,蒲州老城,普救寺,万固寺)
5/05 運城(舜帝陵) → 謂南 →
5/06 → 上海
その⑩は、運城市永済の普救寺,万固寺などなど国道G沿いの名所旧跡。
5/04 PM
普救寺 → 万固寺 Taxi(Charter)
万固寺 → 柳園
柳園 → 扁鵲廟
扁鵲廟 → 条山街
写真は普救寺の鴛鴦塔。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
12:14 普救寺
昼食を終えて普救寺へ行きます。
普救寺は唐(正式には周)の武則天の時の創建。
武則天は中国史上唯一の女帝、唐の高宗の皇后となり、後に唐に代わり武周朝を建てた。 -
階段を登ると大鐘楼。
寺の元の名は西永清院。五代後漢の時代、節度使の反乱鎮圧に派遣された将軍が手間取り蒲津の民衆も苦難に。将軍はこの寺の僧に助けを求め無事鎮圧、この後普救寺に改称されたとの事です。 -
でかい鐘がありました。
こちらも唐代に造られたとの事。 -
更に登ると、
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舎利塔が見えて来ます。
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舎利塔
レンガ造りの塔、俗称は鴛鴦塔。
普救寺は元代の戯曲「西廂記」の舞台となった場所で「鴛鴦」はそのヒロインの名前。
マイペディアの解説 : 山西省の名寺を舞台に,遊学の書生と宰相の遺児の美しい恋愛を描く。封建礼教と自由恋愛の抗争を主題とし,元曲中最高の傑作といわれる。 -
大雄宝殿。
本尊様が鎮座しています。 -
梨花深院
こちらが、「西廂記」の舞台となった場所らしい。 -
中国では相当知られた小説らしいが、読んだことのない私には、ここがどこだと言われてもピンときません。
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池を配したちょっとした庭園(后花園)など見どころ有り。
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12:32 普救寺を後にします。
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12:49 蒲州老城へ
次は蒲州老城へ向かいますが、畑の中を進んで行きます。 -
蒲州老城
特に観光地化されている訳では無く田舎の通り道にありました。
なので車を降りて写真を撮ってスルーです。 -
蒲州老城
唐代に全国を十五に分けた道の一つ河東道の役所がこの辺りに置かれ、山西省一帯を管轄していた。その遺跡である城壁や城門だそうです。 -
13:12 万固寺に到着。
タクシーを降りて階段を登ります。 -
13:12 万固寺と多宝塔。
五胡十国の北魏代の創建、元の名は謡哉寺、隋代に改修、万固寺となる。 -
振り返ると遠く鸛雀楼まで望む事が出来ました。
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多宝塔に向かう階段を更に上がると、・・・
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入口=山門です。
山門の扁額に“中条第一禅林”とあるように中条山の山麓にあります。 -
多仏宝塔
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遊覧図。
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天王殿
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天王殿の左右の像。
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万固寺は禅寺ながら道教院もありました。
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薬王殿
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薬王堂の祠。鎮座されるのは、おそらく薬師如来さん。
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八角十三層の塔、522年創建。
中国のこのような楼塔の中でも最も早く建設されたものの一つだそうです。 -
水陸殿には横たわるお釈迦様(?)
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無量殿
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13:33 仏院のまわりは人も少なく、いや、誰も見当たらずたいへん静か。
この後は、百度地図でこれはと言う所を寄り道しながら運城へとR521を戻ります。 -
13:53 最初の寄り道は、柳園。
こちら柳園という公園の入り口。 -
柳宋元の像。
柳というのは柳宋元さん(唐代の詩人、官僚)の事。
柳宋元さん生まれは時の都長安、左遷されて湖南省(永州)にいた時代に多くの詩を残しましたが、この地とはどんな関係が?? -
柳宋元さんの本貫(=本籍地)がこちら(=河東郡解県)だそうで、彼は、「柳河東」「河東先生」とも呼ばれるそうです。
地図には柳宋元広場と記されている大きな公園でした。 -
14:04 柳園の対面は、やはり中条山にある神潭大峡谷とう景勝地。
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そっち方面行ってもらいましたが、
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神潭大峡谷はまだまだ先のようなので写真を撮って引き返します。
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14:40 神医扁鵲之廟
更にG521沿いにはこんな場所もありましたが、どちらさんの廟なのでしょう。 -
扁鵲さんは春秋戦国時代の名医だそうです。
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こちらが、扁鵲さん。
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15:26 運城市内まで戻ってきました。ロータリーにも関羽さん。
明日の舜帝陵が山西省の旅の最後の訪問地です。
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