2018/03/11 - 2018/03/12
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カメちゃんさん
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昨日は楽しい1日でした。
足助の「中馬のひな祭り」に間に合ったのは、本当に幸運でした。お蔭でとても楽しませて頂きました。
夜には、素敵なフランス料理でサファイヤ婚を祝い楽しむことが出来ました。こうして、これからも頑張らなくてはと思ったものです!!
さて、きょうは家に直行で帰るのも良いけど、この機会にかねてより行ってみたいと思っていた松平の「高月院」へ行くことにしました。高月院は、徳川家康の祖先である松平家の菩提寺なのです。
高月院は、徳川家康を輩出した松平家の菩提寺なのです。
そういう点では、歴史に関心ある方々にとって、一見の価値あるお寺さんだと思います。
いやいや、どなたでもチョット立ち寄ってご覧になるのも、お勧めできるところかと思います。
近くには、「松平東照宮」もありますよ。
全国でも数少ない「東照宮」のひとつです(それでも、全国に19ヶ所の”東照宮”があります)。是非立ち寄ってみて下さいね。
高月院は足助から南の方へ道なりで約20kmほど。
朝の散歩を終えてから、例によってカミさんの運転で走ったようなわけです。
詳細は、本文にてご覧下さいね。
◆◆「2018年 ついに!!サファイヤ婚(^-^)に到達しました!(^^)! (その1)」は↓をクリックしてご覧下さい。
https://4travel.jp/travelogue/11341715
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
昨日は奥三河の町、足助で「中馬のおひなさん」を楽しんだ後、豪華で美味しいフランス料理を頂きながら「サファイヤ婚」迎えたことを二人で祝い、楽しんだのでした。
--------------
3月12日の朝を迎えました。
私より先に起床したカミさんが、天高く輝いていたお月さんを見て、一人感動していたとのことでした。
「お月さんも、私たちのサファイヤ婚を知っていたのかな?」
いやいや、それは考えすぎだよ。 -
朝の対岸風景です。
とても清々しい風景ですね。
杉や檜の多い山の眺めは独特のものがあって、私は好きです。
こちらには竹林がたくさん残っています。これも、田舎の風景を印象的なものにしてくれますね。
大都会の高層ビルのホテルからの眺めも良いけど、こういう田舎のホテルからの眺めも良いですね。 -
朝食は7時半から。
バイキングではありませんが、これだけは自由に 取ってこれるのです。
軽い塩味のお漬け物は、お味も良いですし歯ごたえも良いですね。当家のカミさんはお酢に漬けることもします。お酢も身体に良いですからね。 -
ちょっと横を見ましたら、食器棚のガラス戸越しに奇麗な奇麗なカップと受け皿(ソーサー)がたくさん見えました。これはその内の1つです。
コーヒーや紅茶を頂く時も、このような奇麗な受け皿と共にコーヒーなどが来ますと、なんとなく気分が良いですよね。 -
こちらは赤い色の花で、心ウキウキしてきますね(^^)
これで珈琲なんかを頂きますと(私はカプチーノを頂きますけど)、雰囲気も良いですね。 -
朝食が来ました。
魚やソーセージもあって、野菜もある。
良いじゃないですか!! -
ご飯のお代わり用の大きなお櫃もありますよ~(^^)
でも、今の私には「お代わり」するほどには食べられないのです(-_-;)
残念だよね~。 -
朝食が揃いました。
健康的な内容ですね。
お味噌汁も美味しかったですよ。 -
私たちが早くきたものですから、レストランはまだ空いています。
-
カミさんを撮りながら話をしている私たちに気づかれたのか、
「お写真をお撮りしましょうか」
と声をかけて下さったのです(^^)
二人で撮りたかったので、「渡りに船」とばかりにお願いしました。
目の前には足助川の清流を眺めながらの食事も乙なもんですね。 -
コーヒータイムになりました。
足助川の清流と竹林を背景に撮ってみました。 -
流れるお水がとっても綺麗ですよ!!
この時期には、どんな魚がいるのでしょうかね。 -
「おとうさん こっち向いて」
また俺を撮るの?
なんてね(^_^;) -
「おかあさんも撮るよ」
またもや撮影会になってしました(^o^) -
こういう風景を見ながら大好きなコーヒーをゆっくり頂けるも、足助ならではの良さですね。
-
チェックアウトまで余裕の時間がありましたので、散歩に出掛けました。
私たちのお部屋(2階)の前で、記念の写真を撮りました。
ベランダもあって、いいお部屋でしたよ。 -
私たちは川沿いの歩道を上流川に歩いて橋を渡り、川向こうから「百年草」を撮ってみました。
建物の右側の、三角屋根の付いている2階建て部分がホテルの客室になると思います。
私たちが泊まったお部屋は、2階の右端から5部屋目(2階部分の左端)です。 -
川沿いを歩いて下流川の橋にやってきました。
(先ほど、向こうの橋を渡ってきたのです)
その橋から見た、ホテル百年草周辺の光景です。 -
写真の中央から手前の建物の方に、「zizi工房」があるようです、
ちょっとした高齢者が、ハムとかソーセージなどのお肉を加工した製品を作っているようです。またいつか出掛けた時にはそれらを見てみたいと思っています。
そう言えば、昨日足助の街で「焼きソーセージ」を売っていたおじさんの胸には、「百年草 zizi工房 バーバラはうす」なんて書いてありましたね。
あのソーセージも美味しかったですから、他の製品もきっと美味しいと思いますよ。 -
県道33号線に出たところの交叉点の、向かい側のお宅のお庭で、奇麗に咲いている桜?が見えました。
カミさんは、この桜のことがしっかり思い出せないのです。ちょっと考えて「“はや桜”かも??」などと言っていましたけど、本当は何の花でしょうかね?
あまりに奇麗でしたので、ちょっと失礼して写真を撮らせて頂きました。 -
百年草に向かってさらに歩きましたら、このような神社がありました。Google mapで見ますと「天伯神社」のようです。
-
↑の写真の左端にも移っていましたように、お稲荷さんも同居しておられます。
借地料はチャンと払っているのかな?
お正月なんかに、お稲荷さんと天伯神社の両方をお参り出来ますから、都合がよいですね。 御利益も両方から頂くことが出来ますしねぇ(^^)
神社さんの方には御利益と言っても、商売の神さんとかお百姓さんの神さんとか、鉱工業の神さんとかの受け持ち分野がありますので、ちょっと神様にお尋ねしてからお参りした方が良いかもね(^^) 山の神様に魚の大漁をお願いしても、神様も困っちゃうモンね(^o^)
でも、心配ご無用(^^) 天伯神社さんの御利益は「所願成就」ということのようですので、何でもお願いして下さいね。私はお賽銭をウッカリ忘れてしまったので、私のお願いは成就されないね。やっぱり5円玉か10円玉くらいはポケットに入れておきたいですね。 -
これをご覧下さい。
神様が同居しておられる関係で、おキツネさんと狛犬さんもお隣同士で頑張っています。
右の神社側には狛犬が厳しい顔をして頑張っていますね。
左のお稲荷さん側には、お狐さんが普通の表情でお座りしています。
ご苦労様と言いたいです。
このお二人の対象が面白いですね。 -
階段を上がってきて境内をちょっと歩いたら、疲れちゃったので休息しています。
年齢を重ねるって、こういうことになってくるんだねぇ(-_-;) -
天伯神社から降りて、直ぐ近くに椿のような花が咲いていました。
カミさんが
「これも侘助かも知れないね」
と言ってくれました。
椿と侘び助の違いを見分けるって、私には難しいです(-_-;) -
ホテルに帰ってお土産を選定中です(^^)
これは「もうたま卵(もうたまらん)」と言うのですよ。一度食べたら、「もうたまらん」と言うほど美味しいとか。昨年の6月中頃、テレビでも紹介されたとか。
これ、カミさんがお買い上げ!!してくれたんですよ(^_^)v -
それから、このお魚です。
ご覧の通り「虹ます」です。
普段では川魚を頂く機会が少ないので、是非頂きたいですね。
これも、カミさんが「お買い上げ」してくれたんでしよ!! カミさんには感謝・感謝 m(_ _)m だね~(^-^) -
チェックアウト時刻になりましたので、ホテルを出ますね。
その前に、記念写真を!!(^-^) -
「春祭り」があるようです。
「重範祭」とありますが、この人はどういう人?と思って調べてみると、戦国時代末期(14世紀前半)に足助を支配していた武将で、元弘の乱の際に後醍醐天皇について戦ったとか。足助の地からそういう偉人が出たということで、足助の人々には親しまれているとか。
★足助次郎重範の詳しいことは↓にて
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%8A%A9%E9%87%8D%E7%AF%84 -
「またイノシシの皮を見に来たの?」
そういうわけではありません。
昨日、井筒亀さんのメニュー写真を見て食べたくなった私ですが、当家のカミさんがそんな私の気持ちを忖度してくれて?(^_^)
「井筒亀さんの料理は食べられないけど、イノシシのお肉は買ってあげるね」
と言ってくれて、そのお肉を買いに来たんですよ。
そのお肉はい井筒亀さんのすぐ近くの、同名のお肉屋さんで売っているのを昨日見ていたので、そのお店に買いに来たんです。
イノシシのお肉は翌日カミさんが焼いてくれて頂きました。焼いたお肉の色は牛肉みたいで、そんなに硬くもなく、噛む時の感触もよく味もよかったです。 -
ただいま、豊田市の松平郷(まつだいらごう)にある「高月院」に向かっています。
左側の川はあの香嵐渓を含む川で、「巴川」です。
高月院のことは若い時から知っていたのですが、じっくり見たことがなかったのでお出掛けついでに行ってみることにしたのです。 -
このような石造りの標識の建っているところを左に(歩道橋のある方へ)曲がります。ここは、「九久平町簗場」という交叉点ですよ。
その道は国道301号線ですよ。 -
高月院の門前にたどり着きました。
三河山間部というほどのところではありませんが、少し山に入ったという感じのところです。
↑の写真の交叉点からおよそ5km弱のところに、「松平氏発祥の地」という道路標識があり路端にも「松平郷」と書いた立派な目印がありますので、そこを山側にハンドルを切りますと、850m前後で高月院の駐車場にたどり着きます。 -
高月院(こうげついん)の石碑です
-
高月院の説明板です。
高月院は1367年に寂静寺として建立されたようで、その10年後の1377年に「高月院」に変わり、現在に続いているようです。
詳しいことは、この説明板の通りです。
★高月院のことは下の記事の中に記載あり
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E9%83%B7 -
門を通過したところから見た高月院の正面です。
-
本堂への階段を上る手前左側に、こんな言葉が張ってありました。
ちょっと書いてみましょう
--------------
「あなたは あなたらしく そのままでいい」
「求めるものは、すでに自分の手の中にある」
では、自分の求めている物を知っているだろうか.
自分の人生、残りの時間をかけて、これを見つけた人は、
少ないかも知れないし、本当に見つけた人は、幸福と言えるのではないか.
「私」は、本来どういう人間なんでしょうか
そこがハッキリしなければ、「私」が曖昧になります。
自分は、自分らしくと言ったって、そもそも、その自分とは、
何物なのか??
私たちの生きている時間は、限りがあります.
「私」の本来の姿をクッキリと見たいものです.
死んだら見えませんから
見えるかな?
合掌
--------------
う~ん、言いたいことは分かるけど、人々にどう伝わるでしょうかね~。
箇条書きでもいいですから、要点をまとめて書いて頂くと、私でも分かるんですけどね。
例えば、インド独立の父、マハトマ・ガンジーは次のように言っています。
★★七つの社会的罪
△理念なき政治 △労働なき富 △良心なき快楽
△人格なき学識 △道徳なき商業 △人間性なき科学
△献身なき信仰
★★レオナルド・ダ・ヴィンチもこんなこと言っていたね(一部のみ。《》は、私の追加)
△幸運は自ら努力する人のみに宿る
△愛《人を大切にする姿勢》は知識の母である
△苦悩なくして才能の完成はない。金は火によって精錬されるのだ
△無知や迷妄は、我らを誤りに導く。哀れな人間たちよ、己が目を開け
△経験に裏付けられない、偉人の理論は避けよ《後略》。
△手早さより勤勉を旨とするよう先ず心がけること
△ちっぽけな確実さは大きな嘘に勝る -
遊行転法論
石段の左側に「佛足跡」という石碑がありました。
左下の説明板によりますと「仏足石」と言うのですね。
この説明は、知らない言葉もあってなかなか難しいです。「遊行転法論」って何ですか?
まぁ、お釈迦さんが各地を回ってお説教をして、人々の迷いを解く努力をしていたんですね。だから、仏様が歩いた「足跡」が大事なんだよね
お釈迦様の足跡に手を合わせて、階段を上っていきましょう。 -
右上の崖の上にたくさんの仏像のあるのが見えました。
どういうところでしょうかね? -
階段を上って本堂敷地内に入りました。
右側に、こんなに太い木がありました。「元信君(徳川家康)お手植え」と書いた立て札がありました。この桜は、別の表示によれば「枝垂れ桜」です。
ということは、家康が「元信」を名乗っていた時に植えたのですから、少なく見積もっても440年以上もの樹齢があるということになりますね。樹齢440年以上もある枝垂れ桜って初めて見ました。
桜の開花期に是非来て見たいものですね。
家康が植えた桜と言うことで、大事に育てられてきたのですね。 -
本堂の前に、こんな掲示がありましたよ(^^)
「怒らないことで 怒ることにかとう」
いやぁ~、ホント、立派なお言葉ですね~(^-^)
なんか、カミさんに言いたくるような言葉ですね。
「おかあさん 怒らないで!!」
ホント、大きい声で言ってみたいです!!
これはお釈迦様のお言葉だったんですね。
ホントにね、怒っちゃダメ~~!!(^^) -
「おかあさん、そこに立って!(^^)。これは絶対に写真を撮っておきたいね」
こんなに意味ある教えには、初めて接しました。
こういう記念写真も、滅多に撮れないと思うよ!!
皆さんもそう思われませんか?
「おかあさん 撮るよ!!(^-^)」
怒っちゃダメ!!威張っちゃダメ!!オレをいじめちゃダメ!!
カミさんの心に通じたかな??(^_^;) -
本堂前の賽銭箱には、「三つ葉葵」の紋様が掲げられています。
私たちも当家の「家紋」を作りたいですね。
可愛い猫ちゃんの顔を「家紋」の模様にしたいですけど、如何でしょうか?? -
本堂の様子です。
立派な本堂ですね。
特に目立つのが、「三つ葉葵」の紋です。
ドラマの「水戸黄門」で、助さんが「これを見よ」!と言って悪者どもに見せつけたやつですね。
ところで、(高月院は寺院なので別問題かと思いますが)松平郷の松平家は「三つ葉葵」の紋を持ち続けたのでしょうか。広く展開している松平家の中には、「三つ葉葵」の使用を許されていたようですが、本家本元の松平郷の松平家は「三つ葉葵」の紋を使用できたかどうか? 私にはちょっと分からないのです。
それというのも、徳川家康が松平家に対して、「三つ葉葵」の紋の使用を控えるように言い渡したという話があるのです。こんなことに関心を持ちますと、そもそも「三つ葉葵」派どこから始まったのかと言うことまで、気になって来ます(^_^;)
★「三つ葉葵」の詳しいことは↓にて
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E3%81%A4%E8%91%89%E8%91%B5 -
正面から左に移動して、こちらの祭壇も拝見しました。
祭壇の右端には女性の人形らしき姿が見えますが、この人は徳川家康の実母である「於大の方(晩年は“傳通院”と称した)」です。この時代の支配層に属する女性は、政略結婚を繰り返されることが度々あったようで、「於大の方」も数度の結婚されたようで苦労したようですね。
それを思いますと、当家のカミさんは、か弱い亭主を相手に一生威張って生きていけるんですから、幸せなモンですよ!!
「於大の方」の左の縦長の黒い建物風のものには「徳川家康公のお位牌です」」と書いててあります。恐らくこの中に位牌が収められていると思います。
家康の位牌は全国の何ヶ所かにありますが、大きいものには等身大のものもあるとか。こちらの位牌もだいぶ大きいような感じがしますが、如何でしょうか?
この位牌は、家康の死後35年の慶安4年(家光から家綱に変わった頃)に作成されたものとのことです。
位牌がここにあると言うことは、家康はここに埋葬されている?と思ったりしますが、
家康の遺言では「遺骸は久能山に埋葬すること」となっていたようで、高月院にも岡崎市の大樹寺にも埋葬されていないですね。実は遺体は久能山東照宮から日光東照宮に改葬されたという話もあるのですが、確かな話は分からないみたいですね。
写真上を見ますと、多くの方々からの御香料と書いたお札がたくさん並んでいます。
良く見ますと、公爵・侯爵・伯爵ほかの爵位を与えられた徳川家の方々からの御香料です。
爵位ある方々からということは、明治になってから献納されたご香料ですね。
まぁ、家康が大変な人であることは分かりますが・・。
★於大の方の詳しいことは↓にて
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%BC%E5%A4%A7%E3%81%AE%E6%96%B9
★徳川家康の詳しいことは↓にて
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%B6%E5%BA%B7 -
カミさんが本堂右の高いところに登って行って、撮影した様子です。
お地蔵さんの周りには、小さなお地蔵さんがたくさんおられます。
もしかして「水子地蔵」さんかも知れませんね。
極楽では、元気いっぱいに楽しんで下さいね!! -
上から見た本堂周辺です。
立派なお寺さんですね。 -
こちらの鬼瓦にも、徳川家の「三つ葉葵」彫り込まれています。
-
本堂の左側に回って見ましたら、たくさんのお墓が見えて来ました。
写真は墓地の中程にあるお墓で、何か特別のお墓のようです。 -
↑の写真の左手に写っている説明板です。
この説明板によれば、一段高い石垣上には、松平氏の始祖である親氏の墓塔が、その左右には二代・泰親、四代・親忠の夫人の墓塔があるとのこと。
徳川家のそもそもの始点なった松平家の墓があるなら、見に行きましょう。 -
これが、その墓だと思います。
-
近づいてみて見ましょう。
中央が親氏(ちかうじ)、右が二代・泰親、左が四代・親忠夫人ということです。戒名のような表示だけでは、ちょっと分かりにくいですね。
親氏は松平郷の領主・松平信重の婿養子となって松平家を引き継ぎ、近隣の領主たちを滅ぼして戦国大名の松平氏の基礎を築いたと言われる人です。
親氏は文武両道にすぐれ、信仰心も厚く、この高月院ほか多くの神社仏閣を建立したようです。
泰親は、近隣の領主たちを平定する親氏を助けて活躍したとのこと。親氏の死後も戦い続け、領地を松平から山を越えて三河平野部まで拡大したのです。
親忠の母は、一説によると三河湾沿岸部の現在の西尾市一色町出身の女性だったとか。一色町には私たちの親戚縁者がたくさんいますので、とても親しみを感じます。また、松平氏菩提寺の大樹寺を創建した人でもあるのです。
これらの三人の話には、不明確なところもあるようです。徳川家康が権力を握ってからは、その血筋の松平家のことは美化されやすく、分かりにくい部分も生じると思います。
話は元に戻って・・(^_^;)
↑の説明では、この3つの墓は室町時代中期から後期に建立された墓とのことですから、墓石の表面もかなり浸食されて傷んできていますね。1818年には将軍徳川家斉が補修しているとのことです。右端の墓では、最上部に縦型の塔のような石があったかと察せられますね。
★松平親氏の詳しいことは↓にて
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E8%A6%AA%E6%B0%8F
★松平泰親の詳しいことは↓にて
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E6%B3%B0%E8%A6%AA
松平親忠の詳しいことは↓にて
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E8%A6%AA%E5%BF%A0 -
墓の右側に回って、文字の書いてある塔を大きく撮ってみました。
それぞれの右側面を見ますと、先の説明板にあった通り中央が親氏(ちかうじ)、右(手前側)が二代・泰親、左(向こう側)が四代・親忠夫人(代五代・長親の母も)の墓であることが分かりました。 -
松平家の墓地から一段下がったところの右側の墓地ですが、あの説明にあった歴代住職の墓でしょうか。
-
これは昔の住職の墓だと思います。
上の字は分かりづらいのですが、下の二文字は「上人」となっていますから、恐らく住職の墓だと思います。文字の読めない墓が殆どですが、もし分かれば高月院の歴史を見る感じがしますね。 -
↑の墓地の少し南側の墓地には、墓の前にこのような説明がありました。
左は、
「松平太郎左衛門家中興の祖
松平太郎左衛門
第九代尚栄 承応三年(1654)二月二十四日没 八十四歳
右を見ますと、
「松平太郎左衛門
第十代重和(しげふさ)
寛文4年(1664)正月十五日没 五十八歳
二人共江戸時代の旗本で、松平郷の松平家の当主であった人です。
尚栄は関ヶ原の合戦で戦功を挙げ家康から恩賞を受けたとか。家康没後3年の1619年に松平郷に松平東照宮を創建したそうです。
重和は1631年に将軍家光に会い、以後隔年ごとに江戸に上り家光と会っていたようです。高月院の修復もやったそうです。
★松平尚栄(まつだいら なおよし)のことは↓にて
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E5%B0%9A%E6%A0%84
★松平 重和(まつだいら しげふさ)のことは↓にて
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E9%87%8D%E5%92%8C -
高月院の墓地には、まだまだ色々な墓があります。
旧日本軍の高級将校などの墓もあります。しかし、まだ見るところがありますので、高月院から帰ることにしました。
この次は、松平東照宮に寄ってみようと思います。 -
東照宮に異動する際に、川を越えて山裾の田んぼの側道を下がっていきました。
その途中、段々畑状になっている小さな田んぼに、こんな札がありました。
「氷池跡」です。 ちょっと書き出してみますね。
「氷づくりは、明治10年から始められ昭和16年の太平洋戦争が始まって中止された。池に天然の氷を張らせ、1月から2月末までに3回ほど切り取りができた。切り取った氷は山陰の氷室(ひむろ)に保存し、夏岡崎方面に出荷していた。氷池は他に真垣内と東宮口にもあった」
松平家が活躍した時代の話かと思えば、意外にも明治から太平洋戦争の時期までの近代~現代の話です。
冬場には太陽は南に下がるために、山の北側では夏場に日の当たるところでも、冬場に陽の当たらないところが山地では多いですね。そんなところで、氷を食って出荷してたなんて人々の生活の智恵と苦労が察せられれますね。 -
その田んぼの側道から振り返ってみた、高月院です。
写真右端下に見える舗装路は、高月院の駐車場にまで延びています。 -
「氷池跡」からさらに降りてくると、こんな説明板がありました。
なんとなく、作文的に感じてしまう文章です。歴史上の出来事・言い伝えを文章にしたものと思いますが、歴史上の出来事・伝説として出所を明確に示して、書く人の感情を交えずに書いて欲しいと思いますね。 -
田んぼの側道から、車道側に出ました。
この道を鳥居の見える方に下がってきます。
道路左側の屋根付きの塀は、「室町塀」と言うそうです。
松平氏が戦国大名になったのは室町時代でしたから、そのように名付けられたのかも知れませんね。 -
駐車場に掲示してあった地図です。
この地図の一番下の駐車場から上が松平郷の史跡地区とでも言えるところでしょうか。
私たちは高月院駐車場まで来るまで直行してしまいましたので、途中にあるものは瓦屋根付きの塀を見た程度でした。高月院から降りてくる時氷池跡を通って冠木門へ出る時には、天下茶屋を横から見て何も知らずに通り過ぎてしまいました。
展望テラスや松平太郎左衛門家墓所なども、行ってみたいです。まぁ、何時でもそうですが下調べをせずに行きますから、後になってから気付いている私です(-_-;)
武家屋敷風の天下茶でコーヒーでも飲んでみたいですね。
★松平郷の詳しいことは↓にて
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E9%83%B7 -
道路から見えたのですけど、石柱の並ぶ奥の方に人の像が立っています。
誰でしょうかね?
初めて見る私には分かるはずもないですね。
ちょっと見に行きましょうか。 -
その前に、右側の石に何かが描いてありますので、これも見てみましょう。
これって何が書いてあるんでしょうかね?
「松平親氏公願文」なのですが、こういう感じばかりの文が全く読めない私には、お手上げです。分かるところを書き出すにしても、自信ないです(-_-;) ちょっと書いてみますね。
「天下和順 日(かな?)月清明 風雨以時 災?不起 国豊民安 兵戈無用 崇徳興仁 務修礼讓」でしょうかね。?の文字が分かりません(T_T) この文章、気持ちは分かるけど、読み方が全く分からないです(-_-;)(T_T)
それで、ネットで調べますと、各地のお寺さんでこの言葉が用いられ、語られているんですね。それらによりますと、
「天下和順 日月清明 風雨以時 災不起 国豊民安 兵戈無用 崇徳興仁 務修礼讓」となるようです。「災」は「災害と疫病」を意味し、「兵戈」の“戈”は武器を意味するようです。最後の「崇徳興仁 務修礼讓」という言葉、今風に言えば『人々は互いに他人を尊び助け合い、礼儀と譲り合う心を持つ』が、いいですね。
この言葉の中には、明治以降の軍人・国民に教え込まれた「忠義、忠誠」などという考え方が無いです。だからこそ、松平親氏のこの言葉は今も大切な教えとして、寺院などを中心に人々の教えられたいるのですね。
親氏が描いた平和な社会は、あの時代に於いては、指導者の手に委ねられざるを得なかったのですが、今の時代に於いては、私たち国民一人一人の自覚と行動に委ねられていると思います。 -
あの像に向かう途中、こんな立て札がありました。
字が消えているところがあって、詳細は分かりません。
読めないところの間違いを承知で、書いてみますね。
「その昔、雨が降らず農民は飢饉に苦しんでいました。
ある時、心なき人が草むらにいた長さ数寸で息も絶えだえの小蛇を、踏んずけようとしていました。 親氏公は、これを諫め蛇を救って小池に逃がしてやりました。蛇は一夜で元気を取り戻し 龍となって天に昇り、ついに雲と雷光を起こし雨を降らせ、天下の田畑を豊作にしました。人々は、その蛇を神龍としてあがめ、池を「龍池」と呼びました。「龍池」は現在の「天下池」のあたりにあったと言われています」
再度申しますが、これは正確かどうかは分かりません。
これも、「誰が書いたのか」とか、「いつ頃からどのような人たちの間でで言われていたか」などの“出所”と当時の“状況”を書いて欲しいですね。
こういう掲示そのものは、歴史遺産ではないのですから、消えた部分を書き直してくれるいいのにねぇ。 -
像の前にやってきました。
正面の名前を見ますと、「松平太郎左衛門親氏(ちかうじ)像」とあります。
見ると、この像は新しいですね。何時の時代に造られたのでしょうか? -
斜め横から見た像です。
男らしいですね。
私もこんな立派な男になっていたら、上座をカミさんに取られることなくキッチリと確保して、亭主関白を実践していると思います。そして、カミさんに向かって「オイ!カカァ!!ニワトリのステーキを食べに行くぞ!!」と言っていたかも知れないですね。
私が末っ子で、母に甘えながら成長したのが、カミさんに上座を取られるスキをつくってしまったかも知れませんね。 -
松平親氏(松平太郎左衛門親氏)像の説明です。
昔の時代に建立されたものは、歴史の遺産として保存しなければなりませんが、この像が平成の代になって建立されたことにはビックリしました。
松平親氏は、あの時代に於いては確かに良いことを言いましたが、周辺地域に兵を出して支配地を拡大することもしました。
その彼の像を今になって建立するとは、ちょっと時代が違うんじゃないの?と思いましたね。思うに観光目的その他の行政の姿勢もあったことかと想像してしまいます。 -
東照宮へやってきました。
日光東照宮や久能山東照宮にも行ってみたいけど、体調を考えるとチョットね~(-_-;)という感じですので、こちらの東照宮をお参りすることで我慢することにしました。
この東照宮って、徳川家康が没してから建てられたのかと思ったんですが、このお宮自体はあの像になっていた松平親氏が、この地に若宮八幡を勧請したのが始まりだったようです。元和5年(1619年・家康没後3年)に久能山東照宮より徳川家康の分霊を勧請し、祀ったようです。
若宮八幡から東照宮に名称が変わった年代は分かりません。ご存知の方がおられましたら教えて下さいね。 -
右手の方を見ますと、チャンと「東照宮」になっていますね。そのまた右には何かを書いた石碑がありました。
ちょっと行ってみますね。 -
こんな石碑でした。
上には、「作曲家松平信博碑」とあり、中央には西条八十のが作詞した文章があります。
作曲家松平信博は、松平郷松平家の第20代当主だったこともあって、このような碑が建てられたんだと思います。
石碑か書かれた詩を、ちょっと書き出してみましょうかね。
「さむらいにっぽんの歌
人を斬るのが 侍ならば
恋の未練が なぜ切れぬ
のびたさかやき 寂しく撫でて
新納鶴千代 にがわらひ」
西条八十誌
「人は斬れても恋の未練は断ち切れない」
面白い歌ですね。恋をしたことのない私には、その実感までは分かりません。
この歌の詩は、郡司次郎正の小説をもとに西条八十が作ったもので、松平信博が昭和31年に作曲したとのことです。歌の歌詞は4番まであります。この小説は5回も映画化されたようで、私にとっても懐かしい大河内伝次郎とか阪東妻三郎、東千代之介ほかが主役を演じていたようです。それらの映画の中でこの歌が唄われたかも知れませんね。
★「Yuotube侍ニッポン」で検索されますと、この歌を聴くことができますよ。 -
この石碑についての説明板です。
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鳥居の左側をみますと、このような石碑がありました。
この石碑は、昭和33年に建立されたと言うことです。
なんか、現代になってから松平氏関連の「史跡??」みたいなものが建立れている。
観光客誘致の目的も含まれるかも知れませんが、なんかちょっと変な感じがします。
説明板でよいのでは??と思いますね。 -
鳥居をくぐってすぐ右手方向にあった説明板です
長い文章ですので、読んでいると頭がおかしくなってしまいます^^;
↓に文字部分のみ大きくしたのを出しますので、ご覧下さいね。 -
やっぱり、読みづらいですね~(-_-;)
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これは↑の文章に左側に続いて描かれていた地図です
こういう地図を作成するに当たって、北方向を指す矢印マークを描いて欲しいですね。
それから、巴川沿いの道から、松平郷方面への道(国道301号線)の交叉点名程度は描いて欲しいです。 また、巴川から301線方向へ曲がった地点からのおおよその距離及び、301号線から松平郷へ曲がる際の案内表示の存在なども描いて欲しいのです。
カタログでも説明書でも、解説書でも、書いている人は分かっているんだけど、見る側ととか読む側に分かりにくい書き方や表現が非常に多いですね。それと、ここにはありませんが、説明書などにはカタカナ語や外国語表現が多くて、なかなか理解できなくてウンザリする図や書き物が多いですね~。
描く・書くと言うことには、100人の人が見て50人の人が分かればよいのではなく、100人の人々が見たら、100人に理解されるように配慮して書くことが求められるのです。テレビでも、ホントにカタカナ語やアルファベット文字が増えましたね。 -
松平東照宮に寄進された団体や個人のお名前ですね。
場所が場所ですから、豊田市内とその周辺地域の企業が多いですね。 -
松平東照宮本殿正面です。
立派な造りですね~。
流石に、徳川家康の本家・始祖の松平家を祀っている神社ですね。
当家の始祖はカミさんですけど、こんなに立派な神社を建てることなんて、出来るのでしょうか(-_-;) そう思って宝くじを買っているのですけど、300円なやつしか当たらないのですよ(T_T) -
本殿正面に近づいて見ました。
中に入ってみたのですけど、撮影禁止とのことで本殿内部のことはご紹介できません。 -
↑の写真で見えていた説明書です。
ご覧下さいね。 -
「産湯の井戸 家康公の産湯に使用」
こんな表示を見れば、そりゃもう、行くしかないですよね!
家康の産湯はどこの井戸で汲まれたものなのか?興味津々です。 -
こんなところを行きます。
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ここが、家康の産湯に使った水を汲んだ井戸のあったところです。
屋根付きの狭い感じがしますけど、後世になって屋根を付けたのでしょうか。 -
正面川から見た様子です。
井戸と言えば、昔も滑車を使っていたかと思いますが、それもない時代で縄を付けた手桶を投げ込んでいたのでしょうか?? -
分からないことは、説明を読みましょう(^o^)
関係あるところだけ、書きだしてみますね。
「天文11年12月26日に岡崎城において松平家康(徳川と改姓)が生誕されたとき、太郎左衛門家七代当主親長が竹筒へ詰めて早馬でこの水を運んで産湯に用いた記録がある。境内地には七ッの井戸があったが、(中略)石畳で囲い石段を下りて水を汲むように出来ている」
今から考えると、松平から岡崎城まで産湯を運ぶなんて大変な話ですね。
この地から、家康が生まれた岡崎城までは、現在の道路でも19km前後もあります。しかも、家康が生まれた時刻はWikipediaによれば午前4時頃。
前日に陣痛の知らせを受けて水を運んだと思いますが、一年で一番日の短いこの時期では日暮れ後に馬を飛ばしたかも?。暗い道ではよほどの者でも馬を飛ばすのは簡単ではないと思います。竹筒の水筒に水を詰めて運んだというのですけど、どれほどの竹筒を使ったのか?、馬は一頭だけでなく家来と一緒に2~3頭の馬を飛ばしたのか?なんてことを思います。
水を汲むのも、狭く囲われた石段を下りていって汲んだようですが、どんな井戸だったかは分かりません。縄を付けた手桶を投げ込んで汲んだ井戸だったのでしょうか?ここは、予想図でもいいですから、井戸水をどのようにして汲んだのか図を示して欲しいですね。
それと、水を運んだ理由は何だったのか?ですね。
岡崎城の水も産湯に使用したようですので、それでも充分だと思います。 それなのに、松平から運んだのは松平宗家の重み・血統・プライドを重視したのかも?なんて勘ぐってしまいました(^o^)
★徳川家康の詳しいことは↓にて(再)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%B6%E5%BA%B7
★徳川家康の産湯のことは、「家康の産湯」にて検索されてみて下さい。 -
産八幡の宮
こんなお宮まで建てられたのですね。
このお宮のあるところは、松平家の屋敷でもあったわけですから、松平家で代々生まれてきて赤ちゃんにも、あの井戸からの産湯が使われたと理解していいのかな?
それとも、徳川家康のお産に供した産湯のこと記念してるのか?ちょっと悩みますね。
★松平東照宮のことは、「松平東照宮」にて検索されてみて下さい。松平東照宮本殿内部や「産湯の井戸」の様子も少しご覧になれるかと思います。 -
私たちは気づかなかったのですけど、松平東照宮には「松平郷亭」という無料休憩所があるようです。
私も疲れ易くなったので、どこへ行っても椅子を探すのですが案外無いですね。
そんな時、休憩所がありますととっても助かりますね。
この他には、「松平郷館」というのがあって、松平家と徳川家に関する資料を見られるのですけど、それらの撮影は禁止でしたので、残念ながらそれらの資料ここでご紹介することができません。
内部の資料を公開しているのですから、撮影も許して社会のより多くに人々に見てもらえるようにすれば?と思うのです。そうすれば、松平郷を訪れる人も増えてくと思います。それがね、日本の資料館・美術館・博物館というのは、なぜか逆の立場をとるのですね~。
ヨーロッパの美術館・博物館を訪れて、撮影禁止のところって、未だ出会ったことがないですからね。何が違うのでしょうか?? -
さて、お土産です(^^)
左上は「虹ます」です。
虹ますと言えば北海道かと思いますが、三河の川である「矢作川」上流域でも釣れるそうです。百年草と連携している「JIJI工房」では、愛知県産の食材をよく利用していますので、ヒョッとして三河産の「虹ます」かも知れませんね。
「もうたま卵」
これはまだ冷蔵庫で「だいじ大事」にされています。
「もうたま卵」なんて言える日はいつ来るかな~?と、楽しみにしています。
おはじきは、T君と室内キャッチボール用です。
GWの時に、楽しめるかな? -
左は豊田市の有名な「松平まんじゅう」です。
ホテルとかでも扱っていますよ。黒砂糖を使った味と色が、とっても良いですね。中の「あんこ」が、また美味しいのです。
私たちは、松平の方へ行きますとかならず買ってきますよ。
右の「生姜甘納豆」は私の大好物。
鋏で小さく切って、少しずつ頂くのですよ、
甘い物は血糖値を上げるので、一度にたくさん食べてはイケマセン(^o^)
お茶や砂糖のないコーヒーなどと一緒に少しずつ頂きましょう。 -
最後は、「みやげ」じゃないけど、今回の旅の主題です。
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サファイヤ婚記念の豪華ディナーを足助の「百年草」で楽しんだついでに、昨日は「中馬のおひなさん」を楽しみました。赤い絨毯の上に並ぶお雛様やお人形はとっても華やかで、私は大好きです!!
そして、きょうは松平郷の高月院と親氏肖像及び松平東照宮を見学し、今まで殆ど知らなかった松平家のことに触れることが出来て、とても印象に残る結婚記念日となりました。
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結婚して45周年。
私にとっては1つの峠を
全てはカミさんのお蔭です!。カカア天下のお陰です!!
出来れば、5年後の金婚式をやりたいです!!
何時までもカミさんの傍に寄り添って、マッサージを頑張りますね。これが、私に残された勤めかも知れませんね(^o^)!(^^)!
サファイヤ婚の写真などを見ていましたら、そんな気持ちにな手なってきました!(^^)!
取り敢えずは、来年の結婚46周年に向けて頑張ります!!!(^_^)v
(終わり)
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この旅行記へのコメント (4)
-
- norisaさん 2018/07/14 17:20:17
- おめでとうございます!
- カメちゃんさん、
こんばんわ。
拙い旅行記にご訪問やご投票ありがとうございました!
さて、サファイア婚ですか!
気の遠くなるような(笑)長い年月ですね。
仲睦まじい様子!おめでとうございます!
金婚式まであとわずか(笑)ですね!
今後もお元気でご夫婦で旅を続けてください。
昨日今日明日と全国的に猛暑ですからいよいよご自愛くださいませ!
今後ともよろしくお願いいたします。
norisa
- カメちゃんさん からの返信 2018/07/16 10:41:27
- RE: 兼六園・五箇山・奄美大島が懐かしかったです。
- norisaさん こんにちは(^^)
嬉しいコメントを頂いたのに、返信が遅くなって申し訳ありませんm(_ _)m
今年は例年より梅雨明けが早く、暑い日が続くようになりましたね。
norisaさんにはお変わりありませんか。
ちょっとご無沙汰してしまいましたが、norisaさんには兼六園・五箇山・奄美大島などをお訪ねになったんですね。
私たちが兼六園へ行ったのは35ほど前のことで、ホントに懐かしく拝見しました。奄美大島は昨年秋に行きましたが、とても良いところでした。また行ってみたいな〜と思いました。
懐かしい光景を拝見させていただいて、嬉しかったです。
私たちのサファイヤ婚の旅行記をご覧いただいて、ありがとう御座いました。
体に問題を抱えながらも、サファイヤ婚まで到達できたことは幸せなことでした。金婚式まで頑張りたいですが、どうなるのでしょうか?? これは神のみぞ知ること!!
先ずは、来年の「数え年」での「喜寿」を迎えられたらと願っているのです!!
皆さんも応援して下さっているので、頑張りますね。
暑さの続く時節柄、norisaさんにはお身体を大事にされて下さいね。
嬉しいコメントをありがとう御座いましたm(_ _)m
カメちゃん
-
- くろまめさん 2018/04/08 14:11:54
- 祝☆サファイヤ婚 おめでとうございます!
- カメちゃん!お久しぶりです。
ご結婚45周年♪おめでとうございます。
久々にパソコンを開いたら、相変わらずラブラブのお二人が登場!
こちらまでうれしくなってしまいました。45年は長かったですか?それともあっという間でしたか?
30周年過ぎたばかりの私でもあっという間でしたから、きっともっともっとあっという間なんでしょうね。長くなればなるほど、楽しければ楽しいほど短く感じますものね。
楽しいサファイヤ婚旅行♪「怒らないことで怒ることにかとう」にっこり笑った奥様!!
そうだよなぁ~っと笑ってしまいました。簡単そうで難しいような気がしますが、35周年の珊瑚婚目指してがんばります。
カメちゃんご夫妻が新潟に寄って下さってから、まもなく一年になりますね。あの日から、我々はクルーズに目覚め日夜研究の日々(?笑)
いつか、船でご一緒できることを願っております。
くろまめ
- カメちゃんさん からの返信 2018/04/08 15:49:07
- RE: 私たちのサファイヤ婚をお祝い下さって、ありがとう御座います!!
- くろまめさん こんにちは
遊びに来て下さって嬉しいです!!
私たちには健康に心配があったものの、ついにサファイヤ婚に到達することが出来ました。嬉しいことです!!
結婚して45年は、思い出せばいろいろな事がありましたけど、それでも過ぎてみれば長いようで短かったですね。ホントにアッと言う間ですよ。
「カカア天下」も、元来が甘えん坊の私には結果として良かったようにも思います。亭主関白をやれ!!と言われてもやれなかったかもね〜(^^;)
その間に、いろいろな事がやれて、私たちは幸せだったかな〜〜??と思いながらも、幸せだったように思います。
だってね、くろまめさんをはじめ、たくさんの友達がいて下さるんですから、そう思えば、超幸せな人生だったと思います(^_^)v
> 「怒らないことで怒ることにかとう」
これ、大事ですよね〜(^o^)
当家のカミさんによ〜く分かってもらいたいんですけどね(^_^;) そうすれば、「カカア天下」も、もっと楽しくなるよね〜(*^_^*)
そうですね。
くろまめさんとお会いしてから、もうじき一年になりますね。
またお会いしたいものと常に思っているのですけど、なかなか機会を作れずにいます。もしお出掛けの時がありましたら、名古屋にお寄り下さいね!!
何時か是非!!お会いできることを実現しましょう!!
今はクルーズのことをお調べになっておられるご様子。
私たちはいつも知らずに行ってしまうのですけど、下調べがしてあると何かと都合がよいですからね(^^)
そして、船員には気楽に声を掛けてやって下さいね。彼らはきっと喜んでくれて、
くろまめさんのことをしっかり胸に覚えてくれますよ!!
また、是非ショートクルーズでご一緒したいですね。
きょうは、あと一時間で伊豆旅行に出掛けます(名古屋で前泊)。
お友達ご夫妻と、沼津市内になる三津浜と下田を2泊3日で見て回る予定です!!体調はナントカ^^;行けますので、頑張って来ますね!!
きょうは、くろまめさんと嬉しいお話が出来て嬉しかったです!!(^_^)v
ありがとう御座いましたm(_ _)m
カメちゃん
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