2018/03/15 - 2018/03/15
232位(同エリア769件中)
愛吉さん
歩きま専科の仲間達と大山道を歩いています、江戸時代に流行った大山詣の街道歩きです。
今回は3回目、区間は宮前平から江田迄の約6KM。
赤坂見附を出発、多摩川を渡り、川崎を過ぎ、今日の終点は横浜市青葉区になります。
1966年街道に沿って東急田園都市線が走り、周囲は多摩ニュータウン、港北ニュータウン等新しい街造りが進行、風景が一変しています。
丘陵は削られて大きなマンションが林立、新しい道路も出来、旧道は切断、片や古寺や竹藪も僅かに残りますが、何時まで維持出来ますか。
昔の風情が無くなるのは寂しい事です、でも開発発展にはやむを得ない事なのでしょうか。
昔のよしみを探して歩きます,では出発。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 私鉄
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スタート地点、東急田園都市線宮前平駅。
人口の増加に伴い、駅ビル改修中。 -
ニュータウンなので駅前を離れると、こんな風景も散見。
地図を見ながら旧街道を探して歩きます。 -
旧街道目標物の一つ、国土地理院の三角点、家に囲まれた1坪程の荒れ地に隠れていました。
設置当時は見晴らしの良い丘の上だった筈、今は住宅地の裏側、路地の奥です。
普段なら絶対に見付けられません、私達は偶々犬を散歩中の人に訪ねた処、それはその人の家の裏にあるというので案内してもらいました。 -
丘陵なのでアップダウンが続きます。
ある丘の上、住宅地の一角に石碑が在るので近付くと、川崎考古学研究所とあり、足元に素焼きの土器が置かれています。
開発中に発見された古墳の研究所なのでしょう、石碑は立派でも建物は5坪程のバラック、人の気配はありません、きっと現地事務所で着換えや物置用なのでしょう。
でもそれだけこの土地は古墳が多く、古代人にとっても住みやすい土地だった証明になります。 -
ようやく旧街道の遺物らしきものを発見。
小さな祠に入った阿弥陀様です、地元では阿弥陀堂と呼び大山道の道標を兼ねました。
地蔵像の裏に元禄元年12月の文字があるそうです。 -
次の丘陵を登ると、そこは植木の育苗処。
皆川園という造園業者で、江戸時代から続く地元の有力者だそうです。 -
目を転じると、丘の下には高層マンションが林立です。
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丘を下るとこんな場所が残っています。
滝不動です。 -
案内板。
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それでは改めてアップしましょう。
お不動様が新旧2ッあります、最近新調したのでしょう。 -
滝不動横の細い石段を登ります。
写真は下りに写したもの。 -
丘の上には、老馬鍛冶山不動尊と看板を掲げた小社があります。
昔、街道筋で活躍した老馬の為に不動尊を祀たのでしょう。
馬頭観音はよく目にしますが、老馬不動は初めてです、間違っていたら御免なさい。 -
不動堂の横に供養塔と記した石柱が立って居ます。
旅行中に行倒れた方々の供養塔なのでしょうか?
それにしても、字の刻まれた方が供養塔なのか、丸石の置かれた方なのか(建替中?)判然としません。 -
川べり(早淵川)に降りて来ました、住民達の憩いの場所なのでしょう。
江戸時代には草が生い茂る土手道で、旅人達は腰を下ろし一服したであろう場所です、しかし現在は護岸工事が施され、腰を下ろす場所もありません、目の前にあるマンションの住民達もそぞろ歩くだけのようです。 -
でも岸部は春爛漫。
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荏田宿に入ります。
朝赤坂御門を出発した旅人が七里歩いて、第一夜の宿を求める宿場。
昔の人は健脚なのです。 -
表側に回ると、宿場の概略図が記されています。
上宿、中宿、下宿に別れていました。 -
傍に庚申塔を納めた小さな祠があります。
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隙間から中を覗いて見ました。
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庚申塔の由来を書いた案内板も設置されています。
それによると1793年、下宿の婦人たちにより建てられたもので、大山街道の道標をも兼ねていました。
祠は平成6年、下宿庚申講による再建です。 -
荏田の真福寺に到着。
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1789年地元の観音堂として建てられたのが最初。
県重文の仏像を持っています。 -
石段の横に地蔵堂と上宿の庚申塔。
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真福寺本堂
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旅の安全を祈願します。
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案内書によると旧来の大山道は荏田城址の麓を通る風情ある道と書かれています、確かに道らしきものがありますが、歩き始めると住人から、個人の土地だから通らないで呉れと拒否されます。
仕方なく自動車の通る表通りへ回ります。
確かにこの道は風情があるので写真を残します。 -
同上。
この一画は、前に自動車道、後ろは城址の小山、間に住居、城址との間の小道が旧道で昔の風情を残しますが、今は個人の庭。
考えるに前の自動車道路拡張時に、裏の道と交換したのかも知れません。 -
表通りをしばらく進み、横浜市営地下鉄のガードの手前を旧道に戻ります。
案内書によると、ここら辺りに庚申の石仏がある筈。
探すとありました、地下鉄のガードの麓、フェンスに囲まれた土手下に鎮座します。
街道華やかなりし頃は、多くの旅人を見守って来た石仏ですが、今は鉄道用地のフェンスの中、植栽に囲まれて気付く人とてありません、その内忘れ去られ、失われてしまうのでしょう、淋しい限りです。 -
暫く歩くと道の脇に小黒谷の地蔵堂。
ここを過ぎると本日の終点、江田駅はもう直ぐです。 -
荏田駅に到着しました、今日の終点です。
時間は1時過ぎ、遅い昼食を執り解散します。
では又。
終
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