2018/01/18 - 2018/01/18
298位(同エリア842件中)
naoさん
和歌山県和歌山市里は、古くは上方街道(熊野古道)と淡島街道の交差点にある「山口の宿」と呼ばれる宿場町で、鎌倉時代には熊野街道九十九王子社の一つ「山口王子」が設けられていました。
江戸時代に紀州藩徳川家が成立すると、上方街道は紀州街道と呼ばれるようになり、里の集落には和歌山城下から最初の伝馬所が置かれました。
一方の淡島街道は、粉河町で大和街道から分岐したあと、紀和山脈南麓の根来を経て加太へ至ることから根来街道とも呼ばれていて、有数の港町である加太と、粉河寺の門前町だった粉河、そして上方街道と淡島街道が交差する山口のみに宿場町が形成されていました。
明治維新を境に宿場町機能が廃止され、交通体系の著しい変化のあおりを受けて旧街道筋の様相が一変するなか、里の町並みには今も宿場町時代を偲ばせる伝統的な様式の建物が連なり、周辺の集落とは明らかに一線を画す景観を見せています。
集落の外れには、ベニヤ板に手書きの何とも暖かみのある一里塚跡の案内板が立てられていて、『紀州徳川藩の参勤交代の道筋だった山口の也計橋(やけばし)詰に、和歌山城から三つ目の一里塚があり、樹齢数百年の松の大木が立っていた』ことが記されています。
しかし、昭和25年(1950年)のジェーン台風で松は倒木してしまい、さらに道路拡幅や雄ノ山川の改修工事などで一里塚は無くなったそうです。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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和歌山市里へやって来ました。
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この辺りは熊野古道の一部にあたるようで・・・
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上方街道(熊野古道)と淡島街道が交差する交通の要衝に形成された、宿場町になります。
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こちらの町家は、一応表札が掛かっていますが・・・
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空き家のように見受けられます。
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春日燈篭が顔をのぞかせるこちらの町家も・・・
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空き家のようです。
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町角に佇むお地蔵様。
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城郭のように重なる屋根が重厚な表情を与える町家です。
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格子のある厨子2階建ての町家です。
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くぐり戸の付いた門構えのある町家です。
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里の町並みです。
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格子窓に屋根付きの戸袋を備えた町家です。
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本葺瓦の下屋が掛かった町家です。
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こちらのお屋敷の主屋にも、城郭のような重層の屋根が掛けられています。
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瓦を塗籠んで造られた土塀。
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割れた、いろんな種類の瓦がリサイクルされています。
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塀と塀の間を抜けて延びる路地。
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黒漆喰塗の町家。
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こちらは今様の町家ですが、町並みにしっくり溶け込んでいます。
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立派な門構えのあるお屋敷です。
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門扉には欅の一枚板が使われています。
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白漆喰塗の土蔵のある町並みです。
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虫籠窓のある町家です。
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木部に塗られたベンガラが・・・
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色濃く残る町家です。
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こちらの町家は、格子の上に銅板葺の庇が掛けられています。
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風情ある町家が連なる・・・
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里の町並みです。
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味のあるこの小さな町家が、町並みに「ピリッ!」とアクセントを利かせています。
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町並みの外れに立てられている一里塚跡の案内板。
ベニヤ板に手書きとは、地元の方の暖かい人柄が感じられます。
では、ここで引き返します。 -
町並みに戻ってきました。
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先ほど見た、銅板葺の庇が掛けられている町家では・・・
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厄除けの鍾馗様がにらみを利かせています。
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銅板葺の庇を支える持ち送り。
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欅の一枚板の門扉に落ちる影。
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柿の実もそろそろ終わりですね・・・。
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釣り上げた鯛を小脇に抱え、「どや顔」の夷様。
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思わず引き込まれた水路沿いの光景。
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こんな窓が開けられていました。
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里の町並みには、周辺の農村集落とは明らかに一線を画す光景が広がっていました。
では、家路につきます。
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