2018/02/07 - 2018/02/08
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Fluegelさん
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雨の中、レンタル自転車でロドス中世都市の城壁門を巡りました。
表紙写真:雄鹿 Elafos のブロンズ像。ダマジカDama dama または ファロージカ fallow deer は、ロドス島に住むと言われます。
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雨のため、リンドスから早くロドス市に戻ったので、宿の無料貸し自転車で、市内を回ることに。翌日には帰国の途に就くし、服が濡れてもいいか、という思いでした。まずは、新市街を回ります。
レリーフの美しい柱?は、昔は家畜の水飲み場だったのでは、と思わせます。 -
聖ニコラス要塞と、雌鹿 Elafina のブロンズ像。雄鹿 Elafos(表紙写真)と対になっています。一方、聖ニコラス((270年頃 - 350年頃)はギリシャ人主教で、サンタクロースのモデルとなった聖人。海運の守護聖人でもあります。
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トルコ風?に見える窓。
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美しい建物。
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Ekklisia Evaggelismos Ευαγγελισμός/ Church of the Annunciation 受胎告知教会。イタリア統治時代の1925年築。城郭内にあった聖ヨハネ騎士団教会がトルコ統治下の1856年に破壊され、その再建として建てられて、中世の城郭建物に合うようなデザイン。当初はカトリック教会で、1947年にロドス島がギリシャに統合されてから正教会になりました。
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Ελληνικά Ταχυδρομεία ΕΛΤΑ 郵便局。1927年、Florestano Di Fausto(1890ー1965)による建築。上の教会 Ekklisia Evaggelismos も、彼のデザイン。Fausto はファシズム時代、イタリアの植民地建築で名を馳せ、「地中海の建築士」とも言われました。古代ギリシャの仮面劇のレリーフがファサードにずらりと並び、郵便局というより劇場のような荘厳さです。ネオ・ルネッサンス様式。
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ダマジカDama dama は、ロドスのシンボル。今でも、島に鹿が住んでいるのでしょうか。
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Mercato nuovo / Νέα Αγορά (Nea Agora)/ New Market Building.こちらも、Di Fausto建築。オリエンタル調のデザインで、魚市場として建てられたのに、屋根がまるでモスク。新市街は、イタリア建築の宝庫でした。
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さて、城郭内に入りました。ドブロヴニクなどクロアチアの小さな城郭都市に比べて、ロドスの城郭都市は、歩いて隅々まで回るのはちょっと…という大きさ(42ヘクタール=東京ドーム9個分)。ところが、自転車なら、あっという間に城郭の突き当たり。
Εκκλησία Άγιος Παντελεήμονας/Agios Panteleimon教会。オスマン帝国の攻撃を1480年の7月27日(聖パンテレイモンの祝日=彼が殉教した日)、騎士団が防御した時に建てられたそうです。騎士団が城壁を完成させた1465年から、わずか15年後。 -
聖パンテレイモン(?ー305年頃)は、カールした髪、手に薬箱を持っています(医者でした)。古代ニコメディア(現イズミット)生まれ。305年5月、 ディオクレティアヌス帝はローマ皇帝(東方正帝)を退位し、スプリトに隠遁。同年7月に聖パンテレイモンを処刑したのは、その娘婿・ガレリウス帝ですね。ディオクレティアヌス帝がキリスト教徒を弾圧したのは、その狂信性や軍務放棄、官吏・統治への反抗に危機感を持ったためのようです。
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城壁には3つの大門と幾つかの通用門があります。Πύλη της Αγίας Αικατερίνης/Gate of St Catherineは、上の聖パンテレイモン教会のそば。3つの大門のうちの一つで、ロドスタウンの正門。1478年築。別名 Windmills Gate で、突堤にある粉挽き風車への出入口。オスマン帝国による包囲は、2年後の1480年。正門は海に近すぎて、上陸しにくいので、この門が襲われることはなかったようです。
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そこから南へ。Πύλη Αγίου Ιωάννου/Gate of St John。3つの大門の一つ。リンドスなど島内の東海岸へ抜ける道への出入口。別名 Πόρτα Κόκκινη=Porta Kokkini=red door.1522年、オスマン帝国の大軍に攻囲された時、多くの兵がここで倒されたため、敷石が赤く染まったのだとか。この時、ロドスは陥落し、トルコ支配下となりました。
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Πύλη Παναγίας/Gate of the Virginは、聖Aikaterini門の西隣。ロドスがギリシャに復帰後の1955年、車を通すために開けられた現代の門。Church of Saint-Marie-du-Bourgの前にあることから命名。
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こちらが、その教会 Panagia tou Bourgou。14世紀築。第二次大戦中に爆撃され、廃墟です。「ブルジョア(騎士に対して、商工業者)のための教会」という名前から、この辺りには14世紀から庶民が住んでいたことが窺えます。
乗っていた自転車が、こちら。初めてのマウンテンバイクで、どんなデコボコ道でも走れるので、びっくり。 -
タツノオトシゴの噴水前にある建物。木製の張出し窓(sachnisi)が、トルコ風。
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Πύλη Αρνάλδου/Arnaldo Gate.聖ヨハネ騎士団病院(現在のロドス考古学博物館)に行くための小さな門。門と海との間が、ほとんど上陸できる陸地がないほど狭いため、海側からの攻撃が未だかつてなく、防衛を考えない簡素な通用門。乗っていた自転車と共に。この自転車は自立しないので、壁に立て掛けるしかなかったのでした。
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Πύλη ντ’Αμπουάζ/Gate d’Amboise。騎士団長 D 'アンボワーズ(1503-1512)にちなんで命名。城塞の北西、騎士団長の館の脇にあります。1480年オスマン帝国による初包囲後の、1512年築。3つの大門の一つ。chemins de ronde=watch path, トルコ軍の大砲に耐えるための2つの丸い塔、木製ドア付き入り口、と3重に防御された門です。
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Gate of St Anthonyは古い門で、上のd’Amboise門ができたため、その内門という位置。d’Amboise門を敵が攻略・侵入しても、このAnthony門を突破しないと、ロドスタウンに入れないのでした。向かって右に小さなドアがあり、そこから空堀に降りられるようでした。
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緑地帯より、St Mary's Tower(1441年築)と空堀を見渡します。この塔は、隣接するSt Athanasius' Gateを見張るために建てられましたが、この門は脆弱だったようで1501年に閉鎖されました。ところが、1522年にロドスを攻略したオスマン帝国のスルタンが、この門より入場。そして、自身と同じように侵略者が来ないよう、再閉鎖。その後、1922年のイタリアによる開門まで、400年間、開かずの門だったようです。
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緑地帯に咲くブーゲンビリア。2月初旬です、念のため(笑)。日没頃、自転車で宿に帰りました。ライトの付いていない自転車で、夜道を走ることは想定されていないのでしょう。
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翌朝、9時15分ロドスタウン発の路線バスで、空港へ。10時35分ロドスを離陸、アテネへ。チェックイン時、預託荷物はスルーで行かないと言われ、アテネで一旦受け取り、預けなおし。ターンテーブルの前で、中国人旅行者と遭遇。同じ便に乗っていたようです。ロドス空港で初めて出会い、騎士団長の館、リンドスのアクロポリスに続き、四度目はアテネ空港で。全く同じ行程だったのですね。交通の便の少ない島ならでは。その昔、NZで、何度か同じフランス人男性と遭遇し、帰国後、文通に発展。今は、中国人男性に連絡先を聞かれる程、若くはなくなりました(笑)。これでお別れです。
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アテネ発17時55分、翌日帰国。2週間の旅は、しんどかったけれど、クロアチアからギリシャまで、東ローマ帝国の領域と、ヴェネツィア・イタリアの領域、そして城塞都市を、2つの国で見比べることができ、両国が歴史的に繋がっていたと感じられる旅となりました。最後までお読みくださり、ありがとうございました(完)。
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