2017/05/12 - 2017/05/13
4位(同エリア30件中)
Giorgio Bianchiさん
- Giorgio BianchiさんTOP
- 旅行記79冊
- クチコミ44件
- Q&A回答0件
- 118,725アクセス
- フォロワー15人
ガルダ湖畔の町、サロとガルドーネ・リヴィエラの旅行記です。サロは第二次世界大戦時終盤に建国された「RSI政権」「サロ政権」こと、「イタリア社会共和国」の首府が置かれた町で、現在は静かな湖畔の避暑地。ガルドーネ・リヴィエラはその隣町で、詩人ガブリエーレ・ダンヌンツィオが邸宅を置いていた町。現在、ダンヌンツィオの邸宅は巨大な博物館「ヴィットリアーレ」になっています。邸宅とは思えない広大な敷地はさながら一種のテーマパークになっています。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ベルガモからトレヴィーリョ経由でガルダ湖畔の玄関口デゼンツァーノに到着!
駅前にあるバスターミナルからサロ行きのバスに乗り、ガルダ湖畔を沿ってサロに向かいます。 -
ガルダ湖畔は非常に美しい!
ガルダ湖畔は浜辺もあり、海水浴ならぬ湖水浴が楽しめるリゾート地として知られています。ガルダ湖 滝・河川・湖
-
サロの町に到着。
ホテルに向かいます。サロ 散歩・街歩き
-
こちらがサロでの滞在先、"Hotel Eden"(三ツ星)です。
Hotel Eden ホテル
-
値段が安いのに立地がとても良い(湖畔とバスターミナルがすぐ)し、アメニティグッズが豊富でサービスも最高でした!良いホテルだった....!
また利用したい素晴らしさ。Hotel Eden ホテル
-
サロのガルダ湖畔。この日は天候が微妙です。
RSI政権期のサロを舞台にしたパゾリーニの映画、「ソドムの市(原題:Salò o le 120 giornate di Sodoma)」で見た事がある人も多いはず。 -
サロのドゥオーモ。
1453年に着工した後期ゴシック様式の教会。
サロの町のランドマークで、湖からも見る事が出来ます。
ファザードは未完成。 -
-
-
内部の厳かな美しさは圧巻...!
-
サロのモニュメント。
第一次世界大戦と第二次世界大戦時のサロの戦没者の名が刻まれている。 -
サロの町にあった地図。
RSI時代に官庁として使われていた建物の場所が載っています。
ここがかつてRSIの首都だった事がわかる数少ない証拠。
あ、ちなみにRSI政権期は事実上の首都となっただけで、法令上の首都はローマのままでした。しかし、ローマは「前線に近いから」という理由で首都は置かれず、ドイツ軍の占領下に置かれました。
サロも全ての首都機能が置かれたわけではなく、首都機能は分散していました。サロに置かれたのは外務省や人民文化相など一部の官庁で、国家元首である統帥ムッソリーニの官邸や内閣はガルニャーノに置かれ、その他ミラノ、ヴェネツィア、ヴェローナなど北部各地の都市に官庁が分散していました。 -
ヴィッラ・アマデイ。
RSI政権時代にはフェルディナンド・メッツァソマ大臣の人民文化省の本部が置かれた建物。
人民文化省はファシスト政権期に設置された省庁で、前進は宣伝省。1937年に人民文化相として改められ、プロパガンダ宣伝、新聞やラジオなどの報道ジャーナリズム、観光、芸術文化などを担当しました。
RSI政権成立後も継続され、王国政府の人民文化省はボノーミ政権期に廃止されています。 -
オテル・ラウリン。
RSI政権時代はセラフィーノ・マッツォリーニ次官の外務省本部が置かれた建物で、元々は20世紀初頭に建てられたシモニーニ家の私邸。
戦後に所有者のロッシ家によって、四つ星ホテルに改装されました。 -
サロのイタリア赤十字宮殿。
ここもRSI政権時代に政府機関のビルとして使われていました。 -
突然のにわか雨でジェラテリアに避難。
-
ジェラテリアでジェラートを食べながら雨宿り。美味しい!
-
雨上がりのガルダ湖畔。
そろそろ日没。 -
-
-
サロの町はとてもRSI政権期に首都機能が置かれたとは思えません。
湖畔にある普通の静かな避暑地という感じでした。 -
夕食を食べに、湖畔のピッツェリアに来ました。
ピッツァ・カルボナーラとモスカート・ダスティをいただきます。
う~ん最高!ピッツァもボリューム満点! -
食事中にカモさんがメシを求めてじりじり近づいてきて驚き。かわいい。
-
-
食事を終えるとすっかり暗くなりました。
-
夜の時計塔。
-
-
翌日の朝。晴れて良かった!
雨のせいでベランダはびしょびしょです。 -
ホテルの朝食。
-
朝のサロ市街をお散歩。
-
-
朝のガルダ湖畔。非常に美しいです。
-
-
朝のガルダ湖畔にいたカモの親子!
かわいい!もっふもふ! -
というわけで、サロを出発して隣町のガルドーネ・リヴィエラに向かいます。ガルドーネまではサロからバスが出ています。
ガルドーネは、サロ同様ガルダ湖畔のリゾート地で、ダンヌンツィオの邸宅があったことで知られています。
また、RSI政権時代には日本大使館がこの町にありました。
ガルドーネのバス停に到着。ここからダンヌンツィオの邸宅「ヴィットリアーレ」に向かいます。ガルドーネ リビエラ 散歩・街歩き
-
-
ガルドーネの町。
なんとプレダッピオのようにムッソリーニグッズ売ってます。
RSI政権ゆかりの地だからですかね(なら何故サロに無いんだ)ガルドーネ リビエラ 散歩・街歩き
-
ガルドーネのバス停からしばらく丘を登ると、「ヴィットリアーレ・デッリ・イタリアーニ」(以後ヴィットリアーレ)に到着!
ヴィットリアーレはダンヌンツィオの邸宅を改装して博物館にしたもので、ダンヌンツィオ自身が生前に構想したものです。
邸宅とは思えないほど広く、もはやテーマパーク!ヴィットリアーレ 建造物
-
入っていきます。
ヴィットリアーレ 建造物
-
ダンヌンツィオのお洋服コーナー。
ヴィットリアーレ 建造物
-
ヴィットリアーレ 建造物
-
-
劇場もあります。邸宅内に劇場があるのか...貴族かな。
ガルダ湖が一望できる素晴らしいロケーション。 -
ダンヌンツィオの邸宅。内部は別料金で、ガイドが付くツアー形式です。内部の殆どは撮影禁止になっています。残念。
その辺はブックショップで売ってるパンフレットの写真で記憶を補うしか無いですね。ヴィットリアーレ 建造物
-
砲とか置いてあります。
-
ヴィットリアーレ内に展示されている「MAS 96艇」。
第一次世界大戦時の「ブッカーリ奇襲」の大勝利で知られる武勲艦で、コスタンツォ・チャーノ中佐の指揮のもと、「プレムダ沖海戦」の英雄として知られるリッツォ少佐とダンヌンツィオが搭乗していました。
ブッカーリ奇襲は、当時オーストリア海軍の軍港であったクロアチアのバカル(イタリア語名ブッカーリ)に対して、チャーノ中佐率いるMAS艇部隊が奇襲攻撃を仕掛けた作戦。
この敵の軍港に直接小型艇で攻撃を仕掛ける大胆な作戦は無事に成功し、オーストリア海軍は哨戒の甘さを晒す事になりました。
なお、この作戦を指揮したコスタンツォ・チャーノは、後にファシスト党の領袖となる人物。日本では「チアノ外相」として知られるガレアッツォ・チャーノ外相の父親です。リヴォルノの旅行記にはファシスト政権期に造られていた彼の廟の廃墟の写真を載せています。ヴィットリアーレ 建造物
-
巡洋艦プッリャの艦首。
展示されているのが丘の斜面であるため、艦の全体図を上手く撮る事は不可能です。 -
防護巡洋艦「プッリャ」甲板上。
プッリャは1901年に就役したイタリア海軍の巡洋艦。植民地での長期戦や熱帯の海域での長期間の航海に耐えられる構造になっています。
就役後は天津の極東艦隊に所属して、太平洋での航海をした後、伊土戦争時には紅海にてオスマン帝国海軍と交戦、勝利に貢献しました。
WW1でもアドリア海でオーストリア海軍と戦い、戦後にはクロアチア人の暴動によって艦長らが殺害される事件(スプリト事件)が起こりました。
1923年の退役後、海軍はダンヌンツィオにこの艦を寄贈し、邸宅の敷地の斜面に半分を埋め込む形で保存しました。ヴィットリアーレ 建造物
-
-
艦橋。
-
-
巡洋艦プッリャの副砲。
しっかし、あれだけ大きい軍艦をこんな内陸部の丘に持ってくるってやる事が凄い。当時の写真も展示されていたけど、やはり凄い。 -
-
巡洋艦の艦内は艦艇の模型が展示された博物館になっています。
-
巡洋艦プッリャ艦内の軽巡洋艦「エウジェニオ・ディ・サヴォイア」の模型。
エマヌエーレ・フィリベルト・ドゥーカ・ダオスタ級軽巡洋艦の2番艦。
戦後は賠償艦としてギリシャ海軍に引き渡され、「エリ」として就任。1973年に解体されました。 -
巡洋艦プッリャ艦内の重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」の模型。
何故か一隻だけイタリア艦ではなく、ドイツ艦。
言わずと知れたアドミラル・ヒッパー級の3番艦で、戦後はアメリカの賠償艦となりクロスロード作戦の標的艦として使われた。 -
戦艦「レジナ・マルゲリータ」の模型。
1904年竣工のイタリア海軍の戦艦で、レジナ・マルゲリータ級戦艦のネームシップ。就任後は1910年までイタリア海軍の旗艦を務め、伊土戦争や第一次世界大戦にも参加するが、1916年にオーストリア海軍の潜水艦の攻撃を受けて撃沈。 -
軽巡洋艦「ルイージ・ディ・サヴォイア・ドゥーカ・デッリ・アブルッツィ」の模型。
同級のネームシップ。通常はドゥーカ・デッリ・アブルッツィと呼ばれる。
第二次世界大戦時はプンタ・スティーロ沖海戦、マタパン岬沖海戦などに参加。戦後も長い間現役であり続け、王政廃止後に王族らをポルトガルまで運んだ。1961年に退役。 -
潜水艦「シィレー」の模型。
アドゥア級潜水艦の一隻で、アレクサンドリア港攻撃でボルゲーゼ中佐が指揮したことで有名な潜水艦。1942年に艦長がゼリク少佐に交代になった後、ハイファ攻撃時に英軍によって撃沈された。
残骸が現在もローマのヴィットリアーノに残っている。 -
-
-
-
先述した模型の他にも、MAS艇、バルキーノなどの模型も展示されていました。
-
-
巡洋艦プッリャの船体後部の展示室。
こうやって埋まってるよって感じがわかりやすく図で書いてあり、その当時の写真も展示されている。 -
巡洋艦プッリャの船体後方の展示室内部。
記念艦保存に携わった人と思われる名前が記されて紹介されている。タオン・ディ・レヴェル海軍元帥の名前もある。 -
巡洋艦プッリャ艦内後部にある謎の一室....。
闇の中にダンヌンツィオのゾンビみたいなのと餓えた犬の死骸みたいなのがある。 -
-
ガブリエーレ・ダンヌンツィオ廟。
中央のダンヌンツィオの墓所の他、周辺の棺にはフィウーメ占領時の同志らが眠っています。
場所がヴィットリアーレの最上部にあたる場所なので、非常に眺めが良い。 -
-
-
ヴィットリアーレの庭園。
もはや規模が凄い。広すぎる。 -
ダンヌンツィオの愛車でしょうか。
-
ダンヌンツィオ邸ガイドツアーへ。英語でのイヤホンガイド有り。
残念ながら撮影は禁止ですが、ダンヌンツィオの私生活がよくわかって非常に面白く、一見の価値ありです。 -
この辺りからは写真撮影の許可が下ります。
-
機銃とかもあります。
-
カルナーロ・イタリア臨時政府(フィウーメ政府)の国旗。
-
勲章。
-
-
ダンヌンツィオの軍服コレクション。
-
アンサルド SVA 10。
第一次世界大戦時にイタリアのアンサルド社が開発した偵察機・爆撃機。
ダンヌンツィオのウィーン「空襲」で知られています。 -
ダンヌンツィオのウィーン「空襲」時の降伏勧告ビラ。
-
とまぁこんな感じでした。ヴィットリアーレは非常に広く、見ごたえがたっぷりあります。ゆっくり見てると一日たっぷり掛かります。
-
バスでサロの町に戻ります。
-
サロの町に戻ってきました。
サロ 散歩・街歩き
-
サロの博物館「MUSA」に行ってみました。
-
イタロ・バルボ空軍元帥の直筆サイン入り写真。
バルボはファシスト党終身最高幹部である「クォドルンヴィリ」の一人で、「イタリア空軍の父」として二度の大西洋横断飛行を成功させた人物として有名です。 -
エミーリオ・デ・ボーノ陸軍元帥。
ファシスト党終身最高幹部である「クォドルンヴィリ」の一人で、エチオピア侵攻では遠征軍の総司令官を務めた人物として知られています。 -
エットレ・ムーティ党書記長。
ファシスト党の政治家であり、「翼のエル・シッド」と呼ばれる優秀な飛行士でした。後に党書記長を務めますが、政治家としては無能だったとされています。 -
ルイージ・フェデルツォーニ。
ファシスト党の政治家で、内相時代には秘密警察「OVRA」を創設するなど、国家機構の強化に努め、同じくナショナリスト出身のロッコ法相と共にファシズム国家体制の確立に中心的な役割を果たしました。 -
ムッソリーニの腕章。
-
アルバニア王国国旗。
アルバニア戦争時にイタリア軍が奪ったものでしょうか。 -
-
イタリア軍の小銃とか拳銃とか。
-
多分カルカノM1938。
-
イタリア軍の手榴弾。
-
MUSA博物館で見つけたヴィルヘルム2世の風刺画。
めっちゃかわいい。すき。 -
若きスターリンの絵。
多分東部戦線でソ連兵が持っていたものなのかな。 -
ブリクシア Mod.35 迫撃砲。
エチオピア戦争やスペイン内戦、第二次世界大戦時に使用された。 -
カミッチャ・ロッサ(赤シャツ隊)の赤シャツ。
-
第一次エチオピア戦争時の伝統的なエチオピア戦士の装備。
-
左は第二次世界大戦時のイタリア空軍将官の制服、右は第一次世界大戦時のイタリアのパイロットジャケット。
-
第二次世界大戦時のアルピーニ兵の軍服。
-
RSI軍の衛生兵の軍服。
-
MOTO BIANCHI MT 61。
-
RSI軍、デチマ・マス小艦隊やサン・マルコ海兵師団のもの。
-
これ以外にも多くの展示品があり、軍事・歴史関係以外にも美術品なども展示、美術館としての側面もあります。
この時はゴヤ展をやっていました。
想像以上に見どころが満載です。じっくり見るには時間がたっぷりあったほうが良いかも。 -
MUSAの見学を終え、サロを出発。
デゼンツァーノから一旦ミラノに戻り、コモを目指します。サロ 散歩・街歩き
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
Giorgio Bianchiさんの関連旅行記
この旅行で行ったホテル
-
Hotel Eden
3.2
この旅行で行ったスポット
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
108