2018/01/27 - 2018/01/27
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ちびのぱぱさん
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レンタカーで奈良から伊賀上野を訪れました。
忍者にはあまり関心はなく、どちらかといえば松尾芭蕉のほうが興味があります。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
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ならまちの古民家ゲストハウスほど近くに100円レンタカーがあったので、朝9時から8時間ほど借りました。
地図で見ていると、三重県の伊賀上野まで高速道路の無料区間を1時間ほどです。
午前10時到着。
伊賀上野城の駐車場で500円払いました。伊賀上野城 名所・史跡
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近くに役場があるので、そちらに駐めれば無料で済んだだろうか(結論から言えば役場に駐めてもお金を取られるみたいです)、などと駐車場で払った500円に未練たらたら、坂道もたらたら登ると立派なお城が見えてきました。
石垣との組み合わせがなかなか良い。 -
江戸初期にここの領主となった藤堂高虎は、加藤清正や黒田勘兵衛と共に築城の名手と詠われておりましたが、実は天守を完成させることができませんでした。
作っている最中に災害に襲われて倒壊し、そのうち江戸幕府の意向で新たな天守を建てるのが難しくなった。
そういえば黒田勘兵衛の福岡城なども、天守を作りませんでしたね。
じゃあ、どうして今建っているのか。 -
明治生まれの地元出身の政治家、川崎克という方が、私財をなげうってこの天守台にあるべき天守閣を作り上げたと言うことです。
しかも彼は、あくまでも木造での築城にこだわりました。
完成したのは昭和10年。 -
明治維新の際に廃城令で壊されたり、空襲で焼けたりして再建された城の多くは鉄筋コンクリート造りです。
何年か前に行った福知山城も外見は木造ですが、内部は鉄筋。
この伊賀上野城は、藤堂高虎もなしえなかった天守を造ってしまったという意味で再建ではなく築城ですから、それはそれで凄い。
そういう訳で、日本最後の木造天守と呼ばれているのでしょう。
渡辺虎一という方が設計をされたようですが、どのような方なのだろう。
内部も見てみたいですが、すでに駐車場で500円支払っているから追加で一人500円はあきらめました。
我ながら、けちな旅だなあ。 -
藤堂高虎が築いたとされる高垣。
高さは日本一だそうで、ここから落ちて死んだ人もいるらしい。 -
伊賀上野は市街地も面白そう。
駐車場のおじさんに入交家(いりまじりけ)という武家屋敷について訪ねたら、首をかしげている。
すると、「なになに」と強面のご婦人がおじさんをかき分けて乱入。
その剣幕に早々に退散しようと思ったら、市街地のマップを片手にわかりやすく見所を教えて下さいました。
「車はここに置いて歩いていった方が良いよ」ととても親切でした。 -
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寺町の辺りは独特な雰囲気。
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長屋門を備えている入交家の武家屋敷が保存されています。
入交家住宅 名所・史跡
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入交と言う方のお住まいだったところ。
珍しいお名前です。
どうやら土佐出身の家柄らしい。
藤堂高虎はこちらに来る以前、四国は伊予今治藩でしたからそのころからの家来でしょうか。 -
例によってお金を払うのがいやで門から覗くだけ。
茅葺きですね。
藩が造った屋敷に家格に合わせて藩士を住まわせたと言います。
ぱっと見、農家ですね。 -
こちらの栄楽館というのは江戸時代後期の建物で、明治時代は料亭だったそうです。
見学無料で一般公開されています。 -
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町並を散策し、桔梗屋のでっち羊羹を買って食べてみました。
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食べた感じは水ようかんですが、本州の水ようかんのイメージと違い冬場に作るものらしい。
こたつで温まりながらみんなで冬場の乾燥するノドを潤したのだとか。 -
「でっち羊羹」をほおばりながら、お城の駐車場でもらったマップを眺めていると芭蕉ゆかりの「蓑虫庵」とう場所が目に留まりました。
車で5分くらいの処にありました。 -
芭蕉の弟子、服部土芳(はっとりとほう)という方が建てたようです。
俳句の世界に生きるため30才で藩職を辞して、この庵で俳句に励んだようです。
入口で男性が、案内は必用ですかと尋ねて下さったので時計を見ると、伊賀での予定時間が過ぎようとしていました。
時間があまりないので結構ですと丁寧にお断りすると、じゃあ、ちょっとだけ掻い摘んでご説明します、と先に立って歩き出しました。
それからみっちりとこの庵に関するあれこれを詳しく説明して下さいました。
なんなら閉館の5時までいらっしゃっても結構です、今日のお客さんはあなたたちだけでしょうから、ということでした。蓑虫庵 名所・史跡
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古池や、の句に因んで歌碑が建てられています。
下の方にカエルの絵が刻まれている。
古池に飛び込んだカエルは一匹だったのか、それとも連鎖的に複数のカエルが飛び込んだのか。
それによって句のイメージも変わってくるという話をして下さいました。
上の丸く穿たれた穴は、悟りを表しているとか。
そのまるい穴に、蝉のさなぎが留まった時の写真をスマホで見せて下さいました。
空蝉を探しましたが、今はすでに1月です。 -
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芭蕉は帰省の折、弟子たちの庵に滞在することも多かったとか。
現存するのはこの蓑虫庵のみ。
ここを開く時に芭蕉が送った「みのむし乃おとを聞きにこよ草の庵」に因んで庵の名が付けられたそうです。
それにしても、みのむしの音というのはなんでしょう。
蓑虫は鳴くのか。
清少納言の枕草子には「ちちよ、ちちよ」と鳴いてお父さんを呼んでいるというくだりがあるのだとか。
鳴いたのは蓑虫ではなく、近くにいたカネタタキだとか。
芭蕉はそのくだりを引用したと言います。
子供の頃、蓑虫の抜け殻をたくさん捕ってきて広げて遊んだのを思い出しました。 -
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ツバキとサザンカの違いは分かりますか、と案内の男性。
こちらの返事を待たずに、ツバキは花ごとぽとりと落ちますが、サザンカは花びらが散ります、と説明して下さいました。 -
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芭蕉がこちらを訪れた時は、この門からのことでした、といって通り側にあった戸のかんぬきを開けて下さいました。
この景色がもっとも芭蕉の世界を表していると思います、ということです。 -
服部、といえば、伊賀ですね、と話を向けると、ちらりとこちらを見て、服部姓の方は伊賀にはたくさんいますよ、とするりとかわされました。
最近は、忍者だったのは芭蕉ではなく曽良の方だという説がもっぱらです、と付け加えて下さいました。 -
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庭の隅に柚の木が実を生らせています。
どうぞお取り下さい、えっ良いんですか、どうぞどうぞ。
我が家でしばらく芳香を放っていました。
気がつくと、伊賀に滞在する予定の時間をとうの昔に過ぎていました。
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