2018/02/04 - 2018/02/05
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xiaomaiさん
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小学生のときに迷子になって、現地で母親に頭を何度も打たれたという思い出のある美濃の岐阜城、それから、尾張の犬山城と名古屋城へ行ってきた。題して、「美濃尾張2018冬の陣」。
ちなみに、子供が迷子になったことに対する責任は、子供よりむしろ親にあるのではないかと感じている。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
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梅田で文楽と宝塚星組公演『ドクトル・ジバゴ』を楽しんだ後、岐阜へ向かった。
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よく大雪が降ることで有名な関ヶ原。このときも関ヶ原近辺では吹雪いていて、駅員さんがホームの雪かきをしていた。岐阜に到着したのは21時。
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宿泊したのは、姫路でも泊まったことがあるコンフォートホテル。その名の通り、なかなかコンフォート。
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寒い日だったから、浴槽でゆっくり温まれてよかった。
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枕も一工夫したもの。
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ベッドマットも普通のものではない。
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翌朝、カーテンを開けて外を見る。今にも雪が降りそうな感じだった。
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遠くに岐阜城。
朝食会場に行ってみると、3分の2が中国人。東京や大阪では見慣れた風景だけど、岐阜でも同じような状況があるとは思わなかった。 -
まずは駅のバスターミナルへ。金色に輝く信長公。
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バスに乗り数分で岐阜公園に到着。見上げると、攻め落とすべき城。
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岐阜公園内に「板垣死すとも自由は死せず」という言葉で有名な板垣退助の像。なぜ岐阜にこの像が?実は、板垣が遭難したのがこの地だったのだ。明治15年4月6日、自由党総裁板垣退助が中教院で演説を終え、玄関から出たとき、相原尚?(小学校教員)が板垣の胸を刺した(岐阜事件)。遭難したのが岐阜であることは意外と知られていない。
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現在、岐阜公園となっているところには、もともと織田信長の居館があり、岐阜市により研究が進められている。ルイス・フロイスによると、「入口に劇場のような家」があって、「長い石段」を上ると、「宮殿の広間」があったらしい。
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中央を流れる谷川とその左右に段々に配置された平坦地からなっていたようだ。谷状の地形や周囲の岩盤を巧みに利用して、見せることを意識した立体的な空間を生み出していたことが市の研究で明らかにされた。
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岐阜と魯迅にはどのような関係があるのだろうか。仙台医学校に学び、後に東京で雑誌の出版業を始めたのは知っているけど......。まあ、頑張って登りなさいということかな。
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岐阜城のある金華山はロープウェイで行くことができる。しかし!城は攻める気分で訪れるもの。今回も当然自身の足で登る。
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天守への山道はいくつかあり、「瞑想の小道」と呼ばれる、景観が楽しめるコースで登ることにした。この道は、東軍の池田輝政が当時の岐阜城主織田秀信(信長嫡孫)を攻めるべく登ったもので、岐阜城方の守りを撃破して、城に一番乗りの旗印を立てた。後に、信秀は高野山で26歳の若さでこの世を去り、織田家は3代34年で滅んだ。
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登山口へ向かう道。
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舗装された平坦な道はすぐ終わり、山道へ。
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イノシシに注意!
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金華山の地質はチャート(ガラス質の殻を持つ放散虫の遺骸が深海艇に堆積してできた硬い岩石)でできている。つまり大昔の海底が隆起したもの。
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断崖は続く。
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瞑想の小道の途中にある馬の背道への分岐点に到着。「老人・幼児には無理です」と赤い大きな字で書かれていた。今にも雪が降りそうだったし、寒かったから、もともと瞑想の小道で登ろうと思っていた。しかし、城攻めの魂に火がつき、急遽、金華山の登山道でもっとも険しいと言われる馬の背道に変更した。
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まもなくして、このような断崖が現れた。確かに高齢者には無理そうだ。
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しばらく登っていると、熟年層の女性が下りてきた。この道は登っていくのより、下っていく方が危ないような気がした。下手に転んだりしたら、骨折どころでは済まないかもしれない。
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画像にははっきり写っていないけど、雪がぱらつく中を上へ上へと進んだ。
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感動を覚える木の根。強い生命力を感じた。
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登ってきた断崖を見下ろす。
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本当はいけないのだろうけど、木の根につかまり、足をかけ、前進する。体が火照ってきて、厚めのコートを脱いで登っていた。
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雪の中、一番乗りを目指して断崖を登っていく。
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急に階段が現れ、もうすぐゴールであることを予感させる。馬の背道は攻城の気分が味わえるものの、景色が眺められるところがほとんどない。しかし、それゆえに......
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この景観を見た時の感動は大きい。
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そして、ついに天守。
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天守の中は資料館になっている。
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信長像
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天守最上階からの眺め。岐阜城が濃尾平野を見渡せる位置にあることがよくわかる。
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天守のそばにある岐阜城資料館
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本気(「マジ」と読む)岐阜展開催中
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多くの本気で撮った岐阜城の写真のほか、甲冑が展示されていた。
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金華山御嶽神社
この社の真後ろに木曽御嶽山があるらしい。 -
天守の近くにあった貯水用の井戸跡
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その井戸跡の上方には立派な石垣
城郭が残っていたら、岐阜城もさぞや壮観なものだったはずだ。 -
もっとも天守が美しく見えるスポット
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帰りはルイス・フロイスも歩いた大手道である七曲がり登山道で下山。間違えないように「リス村の左の道、リス村の左の道......」。
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昭和11年に躍進日本大博覧会が岐阜公園を中心に催され、そのとき、珍しいタイワンリスが見せ物として持ち込まれ、後にそのリスが金華山に逃れ野生化した。リスを調教し、昭和40年に開園した日本初のリス園。
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では、下山。
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こんなゴツゴツした道が大手道?若い男性が息を切らして登ってきていた。
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まあ、チャート地質に建てられた難攻の岐阜城だからさもありなんと思いながら、滑り落ちないように下っていく。
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でも、本当にこれが大手道なのかという疑問は払拭できずにいた。
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やがて、この看板。「リス村の左の道」と間違えないように心の中で思っていたのに、なんと右の道を進んでしまっていたことに気付く。しかし、時既に遅し。険しい急勾配の道を戻って、大手道を通って下りて行く気にはまったくならなかった。
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そのまま、激しい山道を下っていく。結局、金華山にいくつかある山道のうち、もっとも険しい馬の背道で上り、2番目に険しい百曲がり道で下山したことになる。
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そして、平地到着。
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百曲がり登山道のすぐ脇にある禅林寺。ここをお参りするには覚悟がいそうだ。
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バスで市街地へ戻り、浄土真宗本願寺派の円徳寺へ。この門前に開かれたのが楽市楽座。
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でも、当時円徳寺があったのは現在地ではなかった。
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お肉屋さんのそばに金神社の碑。古地図と同じ場所に神社があったことの証明。
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その神社の向かいにあるこの細い道は、古くからある道。
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住所で言うと、吉津町1丁目。
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これは織田塚。古地図によると、円徳寺は織田塚のそばにあったとされる。
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のぞかせていただいた。
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木の枝が邪魔で見づらい。
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織田塚があるのは飛騨や尾張へ続く街道が交わるところ。したがって、現在このスーパーがあるところに楽市楽座があったと、NHKのプラタモリでは紹介されていた。
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徒歩で岐阜城へ向かう途中で偶然通りかかった金神社。そう、もともと肉屋さんのところにあったあの神社。金色の鳥居はここだけかもしれない。
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せっかくなので、お参りをし、「金守」を授けていただいた。
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金神社の前にある金公園。そこに以前走っていた路面電車が展示されている。
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岐阜での観光を終え、遅い昼食をとることにした。岐阜駅近くの岐阜シティータワー43内にある農協が経営する飛騨牛のレストラン。食材は岐阜産にこだわっている。
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まずは大きな皿で提供されたサラダ
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お一人様焼き肉、岐阜にてデビュー。
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飛騨牛だよ!
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火が通るのに時間がかかる野菜から焼く。
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焼ける音、色の変化、立ち上る煙......
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富有柿のアイスとコーヒー
ごちそうさまでした。 -
食後は、名鉄に乗って、犬山へ向かった。
(続)
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