2018/02/10 - 2018/02/10
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belleduneさん
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雪の三内丸山遺跡へ行きました。今まで遺跡にはそれほど興味がありませんでしたので、間近でじっくり見たのは恐らく初めてです。
この三内丸山遺跡は、縄文時代前期から中期(約5500年前~4000年前)の大規模な集落です。竪穴建物跡や掘立柱建物跡、盛土、お墓、多くの土器、石器、木製品、骨角製品などが出土しています。平成6年になって遺跡の保存を決定したそうです。その後、平成12年に特別史跡にしてされています。
- 旅行の満足度
- 4.5
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駐車場前にはサークルに造られた縄文時遊館があります。地元の梓建設の施工ということです。
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雪がない時期は、この中庭広場は色んなことに使われているのでしょうか。
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右手に北彩館(お土産店)、レストラン(五千年の星)、体験工房、さんまるミュージアム、遺跡に向かうトンネル、縄文シアター、と周って左手の入口へ出てきます。
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内部は木材を多く使った天井やコンクリートを支える梁が目立ちます。
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こんな風になっています。
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なるほど楕円形ですね。
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全景のモデルです。
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この辺りがそうなんですが、雪が深くて分かりません。
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これから行く建物群が向こうに見えています。
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大型竪穴建物跡に復元された建物です。
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看板にあった写真です。
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大型竪穴住居跡の写真です。
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入ってみます。
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内部は長さ32mでかなり広く、集会所、共同作業所、冬の共同家屋などの説があります。
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大型掘立柱建物です。6本の柱で作られた長方形の高床建物らしい。柱穴は直径、深さが約2mでm穴の間隔は全て4,2mだったそうです。高さは約15mとして復元されています。
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説明看板にあった図。
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子供の墓
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子供のお墓の埋設土器
土器の中に握り拳ほどの丸い石が1~2個入れてあるものもあったそうです。今までに800基以上見つかっているそうです。 -
北盛土で、多くの土器、石器が土と一緒に捨てられていたそうです。
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これから掘立柱建物へ向かいます。
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地面に穴を掘り、柱を立てた建物跡で、遺跡中央部分でまとまって見つかったそうです。高床式の建物と考えられたため、それに基づいて、復元されています。
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これは倉庫として使われていたものたしい。
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屋根は傾斜で、雪、雨が滑り落ちるようにいて、その葺いた筒状の茎部分から水分が落ちていました。復元なので、綺麗に出来上がっていますが、当時はどんな風だったのでしょう。
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こちらは竪穴建物です。地面に彫り込んで作ってあります。中央に炉があり、これまでに550棟異常が見つかっているという。その内、15棟が復元されています。
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かなり狭いので、3、4人の家族向き。
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こちらの住居は、もう少し大きくて、2家族でも何とか生活できそうです。
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天井に煙を出す明かり取りのような隙間がありました。
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