2018/02/03 - 2018/02/03
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mochimochi_kingdomさん
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40代後半となる今年、バースディトリップでマカオに行ってきました。
マカオのイメージ。。。『狭い地域に、人々・世界遺産・カジノがギュッと詰まった場所』
時期的に旧正月直前なので、ヨーロッパ的要素と中華的要素の混ざった街並みも楽しみです。
マカオ2日目は、マカオ半島の中心であるセナド広場から北半分を散策します。
■日程
2018/2/1
東京(成田)→マカオ
2018/2/2
マカオ半島南部散策
2018/2/3
マカオ半島北部散策
2018/2/4
コロアン・タイパ・コタイ散策
2018/2/5
マカオ→東京(成田)
■1パタカ(MOP)≒14円
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おはようございます。2018年2月3日(土)曇り 北風が強くて寒い!
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朝ご飯はホテル近くのちょっとこ洒落た感じの食堂で。
白湯風味の牛肉ラーメンとミルクティー。確かセットでMOP45位だった。 -
今日もセナド広場からスタート。
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大堂と大堂広場
大堂(カテドラル)と言うにはシンプルな教会。セナド広場から少ししか離れていないのに観光客の姿も少ない。かつて、ポルトガル人マカオ総監は就任するとこの教会で祝福を受ける事が慣わしだった。
教会内ではミサの最中。内部の見学は自粛。 -
三街会館(関帝廟)
「えっ、ここ?」ってくらい周りの建物に埋もれた小さな廟。
立地する榮寧坊地区は、かつてマカオでもっとも繁栄していた商業地区で、当初は商人たちの集会所として利用されていた。 -
商人たちの集会所としての機能は失われたけれど、関羽や招財爺が祀られている。
地味だけど、お参りする地元の方々が多い。世界遺産が日常生活にあるって、なんだか贅沢。 -
セナド広場から続く商店街も10:00前はまだまだひっそり。
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聖ポール天主堂跡
マカオのシンボル。ここは外せない。 -
建設当時(1602年~1644年)は、聖母教会・聖ポール大学と隣接するモンテの砦はすべてイエズス会により建てられ、マカオのアクロポリス的な存在だったと考えられている。また、聖ポール大学は東洋初の西洋式大学であったと言われている。
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イエズス会の印。
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「MATER DEI」
ラテン語で聖母を意味する。 -
聖ポール天主堂跡は、1835年に火事で焼失した聖母教会と教会の隣に建てられた聖ポール大学跡の総称。焼け残ったファサード(正面壁)の裏側はこんな感じ。
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地下納骨堂には、日本人とベトナム人殉教者の遺骨が安置されている。
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一部、教会の遺構が残っている。
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マテオ リッチ
超~懐かしい。世界史の授業以来の出会いかも。西洋顔に儒者服。違和感ありあり。
中世の布教活動は支配と表裏一体の関係だけど、西洋から東洋への?一方的な押し付けではなく、中国式の生活・中国文化の研究に励み、西洋へ中国文化を紹介。東西の架け橋となった。 -
モンテの砦
1617年~1626年にイエズス会の修道士によって築かれた要塞。正式名称は「聖パウロ要塞」。 -
グランド・リスボアを狙っているように見えるけど、もちろんグランド・リスボアが後からできたので関係なし。でも、見事に照準が合っている。
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大砲は北側(大陸側)にはなし。このことから、対海側をイメージしていたことがわかる。実際、このマカオをめぐっては、オランダも狙っていた。1622年のオランダとの戦いでは、この大砲から放たれた一発がオランダ軍の火薬庫に命中。結果、オランダはマカオから撤退。この後、オランダはマカオをあきらめ台湾を目指すことになる。
この日(1622年6月22日)は、中国返還の1999年まで「マカオの日」として休日だった。 -
モンテの砦から望む聖ポール天主堂跡
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旧城壁
ポルトガル人居住エリアを守るために築かれた城壁。1569年には築かれていたと考えられている。
ナーチャ廟
ナーチャは漢字だと哪?。道教で子供の姿をした悪魔を退治する戦闘神。孫悟空にも登場するらしい。場所は、聖ポール天主堂跡すぐ裏手。東西文化の共存っぷりがマカオらしいね。 -
ナーチャ廟の前では色々準備中。
何が始まるのかな?ちょっと待ってみよう。 -
中国風音楽が奏でられ。。。
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正装した人がぞろぞろ現れた。
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意味は全く分からなかったけど、いい体験ができました。
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戀愛巷(恋愛通り)から望む聖ポール天主堂跡
通りのポルトガル語名「Travessa da Paixão」の「Paixão」は、元々ポルトガル語のカトリックの神に対する情熱を意味していたが、誤訳で「恋愛」になったとか。 -
聖アントニオ教会
マカオで最も古いカトリック教会の一つ。創建は1560年以前。現在の建物は1875年に建てられた物。 -
この教会はかつてポルトガル人お気に入りの婚礼場所で、信者の方々は白い服を身にまとい、花を手にしていたことから別名「花王堂」の名で呼ばれる。
なかなかファンシーな感じの内装。 -
カモエンス公園
元はイギリス東インド会社会長の邸宅の一部だった。 -
ベンガル菩提樹が生い茂る公園はマカオで最初の西洋式庭園と云われている。
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カーザ庭園
1770年にポルトガル人商人の別荘として建てられる。後、イギリス東インド会社の所有を経て東方基金会が所有。 -
現在はギャラリーとして活用されている。
コンテンポラリーアート中心の展示内容?チンプンカンプンなので、サラッと一周して退散。 -
プロテスタント墓地
もとの名を「イギリス東インド会社墓地」。
1821年、宣教師であり、イギリス東インド会社メンバーでもあった、ロバート・モリソンがその妻が亡くなったため、イギリス東インド会社に対してマカオ政府に墓地として土地を提供してもらえるよう依頼。結果、この場所がマカオで初めてのプロテスタント墓地となる。 -
モリソン礼拝堂はマカオ最初のプロテスタント教会。現在の建物は1922年に建てられた木造の礼拝堂。この裏手に、マカオや中国で亡くなったプロテスタントの方々が眠る墓地が広がる。
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買い食い
街角のパン屋さんで。
店員さんは英語不可。色々やり取りしてポークチョップバーガーでは無い事はわかった。まぁ美味しかったから"無問題"(←広東風?)。 -
孫文(孫中山)像(鏡湖醫院)
台湾でも大陸でも「国父」と尊敬される孫文ですが、若い時は香港で西洋医療を修め、マカオで最初の民間病院である鏡湖醫院で、中国人初の西洋医療の医師として勤務。
両岸で尊敬されるのもすごいけど、そういう人はやはり頭の出来が違う! -
中国との国境が近づくにつれ雑然とした下町感が強く感じられるのは気のせい?
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味のある古い映画館
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義字街
食品・衣類・日用雑貨を扱う露天・商店が連なるエリア。アメ横や黒門市場のようなところかな? -
意外と雑然とした感じは皆無。土曜日の午前中なのに人通りも少なめ。
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紅街市
赤レンガが印象的な建物は1930年代に建てられた物。
3階建てで、上から肉・魚・野菜とその他色々といったフロア構成。 -
肉フロアは色々と生々しかったので割愛。
乾物コーナーは日本と同じ匂い。魚が生簀というには浅すぎる水槽で暴れている。 -
モンハの砦
1866年完成。
モンテの砦が海からの侵入に備えていたのに対して、モンハの砦は第一次アヘン戦争後の中国側からの侵入に備えて築かれたと云われている。 -
なので、大砲は中国側を向いている。
ここ、復元とか修復じゃないよね。整備され過ぎちゃってなんか綺麗。 -
蓮峯廟
創建は明朝末期と云われる。廟内には天后と観音が祀られている。 -
蓮峯廟は、信仰の場としてだけではなく、同時にマカオを訪れる中国官史達の宿舎としても利用されていた。
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最も有名なのは林則徐。1839年、アヘン禁輸の密命を受けマカオを訪れた林則徐はここでポルトガル人官史と会談を行った。
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囲碁に夢中なオヤジ達@三角花園
週末のお昼時だから許してあげて・・・・・。奥さん! -
足つぼ健康歩道とマカオキッズ
「なんか気持ちいいな~」っと思ったら足つぼ健康歩道(名称が合っているかな?)だった。完全防寒のマカオキッズもご満悦。 -
關閘(出入境ゲート)
中国との国境に到着。
すごい人の流れ。朝のラッシュの様。「世界一忙しい国境」と言われるのも納得。旧正月飾りに隠れちゃっているけど、1871年にポルトガル人によって建てられた欧風スタイルの關閘(出入境ゲート)も健在。 -
ここからソフィテルへの無料送迎バスに乗ってホテルへ帰ろうと企んでいたけれど・・・・・。
大陸からの皆さんの勢いに負ける。奥の紫色のテントがソフィテルへの無料送迎バス乗り場なんだけど、そこまで列(と言うよりは"群")が半端ない。路線バスで帰る事にする。で、その前に・・・・・。 -
エネルギーチャージ
雪菜肉絲飯(MOP32)、奶茶(MOP12)
たぶん、新城市美食中心という食堂にて。満足々。 -
現在、關閘前のバスターミナルは工事中で街中に臨時のバス亭が分散している状態。本当は3番のバスに乗ってセナド広場に戻りたかったんだけど、偶然見つけた1番のバスでセナド広場まで戻る。
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開館時間等の都合で見学できなかったセナド広場周辺を散策。
仁慈堂博物館
仁慈堂は、慈善活動を目的にマカオ初代司教によって1569年に設立。中国における最初の西洋式病院を開設した。 -
18世紀中頃のセナド広場と仁慈堂
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現在ある本館は18世紀中頃に建てられた物。
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東洋と西洋の出会い
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聖ドミニコ教会
1587年、ドミニコ修道会によって中国初のドミニコ会の教会として建てられた。
朝からずっと何かの行事をやっていて関係者以外立ち入りが不可だった。残念。 -
盧家屋敷
広東省出身の豪商・盧華紹が1889年に建てた邸宅。
ぱっと見た感じでは地味目な灰色の建物だけど・・・・・。 -
そこは中国の豪商。
風水を取り入れた中庭のあるリビングや、 -
要所々を飾る、細かい装飾はさすがです。
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おやつタイム
牛乳プリン@保健牛奶公司
普通に美味しい。美味しいんだけどMOP30≒¥420ってどうなのよ。 -
清平戯院跡
ホテルへ帰る時に偶然見つけた。
1875年にマカオで初めて建設された劇場で、地元の観客に広東オペラを上演。名前の「清平」は平和と繁栄を意味しているんだとか。その後、映画館・倉庫として利用され、現在修復工事中。
これにて昼の部は終了。 -
19:00 夜の部開始。
"火船頭街"から1番のバスに乗ろうとしたら、満員で3台スルー。30分以上経過。 -
なので、少し歩いて"内港/停車場"まで移動。
33番のバスが1分と待たず来た。しかもガラガラ。 -
逸園賽狗場
ギャンブルは一切やりませんが、アジア・太平洋地域では唯一存続しているドッグレースということで来てみたかったんだよね。 -
ドッグレース場は一周400メートル。真ん中はサッカー場になっている。
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犬の場合もパドックって言うのかな?
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レースに向かう犬(グレイハウンド)達。
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レースはウサギに見立てた人形を機械仕掛けで走らせ、それを犬たちが追いかける仕組み。
スタート地点はスタンドの反対側。馬じゃないからね、小さくて見えない。 -
小さくて走るのが早いから、写真に撮っても何が何だかよく分からず。
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マカオでは、ドッグレースもカジノと同様公認ギャンブルなんだけど、その売り上げは、カジノがMOP2308億4000万(≒¥3兆705億)に対して、ドッグレースがMOP1億4500億(≒¥19億2999万)(ともに2016年)。動物愛護の観点からも廃止が検討されている。
実際、日本の競馬場のイメージで来ると閑散。廃止も致し方ないかも。 -
ドッグレースの後は17番のバスに乗って移動。
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夜の聖ポール天主堂跡
夜だったら空くだろうと思ったら大間違い。 -
でもね、ライトアップされた姿は美しい。
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21:00を過ぎても大賑わい。
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戀愛巷(恋愛通り)から望む聖ポール天主堂跡 夜バージョン
「ヨーロッパに行ってきたんだ!」って言っても絶対バレない気がする。 -
おやつ
やっぱりエッグタルトは食べないとね。ホカホカで美味しい。MOP10。 -
今日はなかなか中身の濃い日でした。ぐったり。
ちょくちょく買い食いもしたから夕飯はパス。路地裏を散歩しながらホテルに戻りました。おやすみなさい。
【2018年マカオ】バースディトリップ2/3 マカオ半島世界遺産&下町歩き。Part2/2 終了です。
【2018年マカオ】バースディトリップ3/3 古今澳門。コロアン・タイパ・コタイ散策。 に続く。
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