2018/01/03 - 2018/01/03
168位(同エリア261件中)
むしころさん
岡崎から電車で大垣へ
大垣のホテルで自転車を借りて垂井まで行きました
で、半兵衛さまのお墓のあるお寺や、関が原の合戦の陣跡など見てまわりました
関ヶ原に向かうにつれて天気が悪くなって雪が舞ってきて、ちょっと不安になったけど、
沢山は振らなかったのでなんとかなりました
念願だった『お寺にいくらか寄付する』が達成できてよかった
- 旅行の満足度
- 4.5
-
1月3日 9:00
ホテルで自転車を借りて出発
(このサービスがあったのでクインテッサ大垣に宿泊したのだった)
杭瀬川を越える
杭瀬川といえば「杭瀬川の戦い」
どの辺りで戦いがあったのかなあ???
草ぼーぼーだけど当時もこんなだったのかなあ??? -
・・・・・
関ヶ原方面がやたら怪しい雲行き
朝ウェザーニュースみたら垂井の人が「雪がちょっとちらついている」ってコメントしていたけどまあなんとかなるでしょう!(どきどき) -
垂井にきたぞ
-
10:24
駅まで来た
半兵衛様の像があった -
これが駅
隣にトイレがあったのでお借りしてきた(きれいだった) -
乗ってるときはなんとも思わないけど・・・
みんなにこれに乗っている姿を見られていると思うと・・いや言うまい
観光案内所はお休みです
平日ならばこの観光案内所で自転車を借りることができる -
とりあえず色々陣跡みて北西の禅幢寺へ行く予定
・・・この地図は上が南だな -
駅から西へ行くと平塚為広居城跡ってのがあった
あと
垂井の泉 -
これか??
って思いきやこれは垂井の泉ではなかった -
垂井の大ケヤキって書いてあるけど大きいケヤキなんか無いぞ
-
これが垂井の泉か
-
大ケヤキは平成27年9月11日に命を終えた模様
一足遅かった~~!!
そしてこの木は文化財のやつに刺さってるし
かつて樹齢800年の大ケヤキがあった -
音声ガイドがある
ポチっ(ボタン押下)
・・・し~ん
使えないらしい
案内板によると垂井の泉は垂井の地名の起源
11世紀に美濃国司だった藤原隆経が「昔見したる井の水はかはらねど うつれる影ぞ 年をへにける」と詠っている -
城跡は今お寺になっていました
垂井城は西軍武将の平塚為広の居城
1万2千石の垂井城主だった
関ヶ原合戦で討死
辞世の句 「名の為に捨つる命はおしからじ ついにとまらぬ浮世と思えば」
昔の人の句って何でこんなにカッコいいのだろうか・・・って思う
恵まれた環境で平和ぼけして暢気に生きている自分には到底むり -
ここが城跡
まあ城跡の形跡は・・・ないかな -
時々雪が舞ってくるようになった
これ以上降らないでくださ~い -
さらに西へ行くと池田輝政陣跡
-
そのなかに
春王・安王の墓 というのがあった
嘉吉元年(1441)関東管領足利持氏の遺児である春王丸(13歳)安王丸(11歳)が結城合戦に捕らえられ
京都へ護送中に将軍足利義教の命により垂井の金蓮寺で斬られてこの場所に葬られたとのこと -
さらに西へ行くと垂井一里塚と浅野幸長陣跡があった
浅野幸長(よしなが)は甲斐国府中16万石の領主
三成と確執があって東軍に属した
南宮山の毛利に備えてこのあたりに布陣 -
次は北西の禅幢寺を目指す
途中
岩手のヤマモモってのがあった
ヤマモモは四国や九州など温暖なところに生息しているのですが
この岩手地区に限って際立って多く自生しているので町の天然記念物に指定されたそうです -
根に根瘤菌というバクテリアが共生していてやせた土地であってもこのバクテリアのおかげで成長するんだって
-
五明稲荷
有岡城の荒木村重を説得に行った黒田官兵衛は幽閉されてしまい信長が寝返ったと勘違いして人質となっていた嫡男松寿丸を殺すように命令したのですが半兵衛さまはここに彼を匿っていました
後で官兵衛が有岡から救出され誤解が解けて松寿丸もここを去りました
松寿丸はここを去るときに銀杏の木を植えたそうです -
銀杏の木
-
北上して
-
もうちょっとだ
・・・・・菩提山城跡・・・・いいなあ行きたいなあ
でも今回自転車で帰るし雪舞ってるから次の機会だな -
ハイキングコース確認
次は平日に電車で来てレンタサイクル借りて城跡にいこう!
今年中にできるかな? -
竹中氏陣屋跡
中は幼稚園だったから門から先は入ってはいけない -
ここです
前も来たけど心残りだったお寺 -
明応三年(1494)薩州金幢寺の僧正碩和尚が開基した曹洞宗のお寺
ここのお寺にある半兵衛様のお墓は天正15年(1587)に長男重門公が三木から移葬したもの
現在の本堂は半兵衛重治公の孫重常公が寛文三年(1663)建立 -
前にこれを見てずっと心配だった
おだんさんが少ないので本堂の修繕がとても大変ですって
今日こそ寄付していくんだ! -
先にお墓参り
ささやかな案内 -
またおまいりに来ました
半兵衛さま
右側は父親の竹中重元公のお墓です -
こんなところに竹中久作(重矩)公のお墓(重治公の弟)
半兵衛さまといい派手なお墓じゃなくてひっそりとしていてこういうの好き -
お寺のおりじなるてぬぐいも買いたいのだが前回同様誰も居らず
曹洞宗のお寺だからこれを鳴らせばよさそうだな
コンッ
・・・・・し~ん
でも明らかに住まいのほうからテレビの音はするんだよな
コンッ(強め)
・・・・し~~~ん
玄関行ってみるか・・・
ぴんぽ~ん・・・・し~~~ん
どうしようかとうろうろしていたら
ようやく「は~い?」って声が!!!
で、おばあちゃんが出て来た「なんでしょうか??」
「あの、半兵衛さんの手ぬぐい二つください」
で購入して寄付もそのときお渡ししたらおばあちゃんがたいそう喜んでくださって自分で作ったっていう梅干(売り物らしい一袋200円ってかいてあった)くれた
これでずっと思い残していたお土産てぬぐい購入と寄付達成!!ああ今日はこれだけでもう満足だ -
今度は南下して南宮山付近の陣跡へ
こちらは吉川広家陣跡
彼は西軍だけど東軍の黒田長政とかと内通してた
だからこの場所に布陣してこの上にいる安国寺恵瓊と毛利秀元を押しとどめる役割をしていたといわれています -
南宮神社が初詣で混雑のため付近にくると車が渋滞していた
自転車押して歩道を歩いていたら隣を歩いてる人に「自転車で大垣から来たの?!すごいですね」って言われ「いやあでもちょっとこれ恥ずかしいです」って言ったらそんなことはないそれに乗ってるのを見たらよく来てくれたなってみんなおもうって言ってくださった やさしいな~うれしいな~
で神社の駐輪所に自転車置いて安国寺恵瓊陣跡探しに山登り -
神社の裏を歩いて稲荷神社とか通り過ぎてさらに進むとあった
ちょうどハイキングコースのスタート地点のようだ -
陣跡こんなかんじ
何にも見えないけど本当にここだったのか?
何にも見えないよ?!
ちょっとはなれたところに見張り小屋でも建てて下の様子見たのかな -
大垣にもどる
大垣方面になるとこの空模様
関ヶ原まで行ったらもっと雪だったのかな?
おそるべし関ヶ原(←勝手におそれを抱く)
今の時刻14:43です
~~つづく~~ -
ちなみにこれが禅幢寺おりじなるてぬぐいです
500円
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
関ヶ原・垂井(岐阜) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
40