2018/01/01 - 2018/01/02
546位(同エリア752件中)
むしころさん
岡崎城は二度目。
前回は日帰りだったのであんまりじっくり見る時間が無かったので今回は満喫できたと思います
岡崎市が作っているガイドマップが色んなテーマでお守りサイズでできていて面白いなって思いました。
八丁味噌の工場も見たかったのですがお城見て、北上しながらお寺など見ていたら一日終わってしまった・・・
夜のライトアップされた岡崎城もすてきでした。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
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-
17時くらいに岡崎に着いた。
駅に着いて、お城は近くでないことに気づいた!!!
おお、よく調べてなかった~~!!
ホテルにとりあえず行って、観光案内色々入手
どうやら電車で中岡崎まで行けばよいらしい。
いまイルミネーションやっているみたいだったので、見に行ってみることにしました。
見えてきた~~!!!
かっこいい!!!!! -
写真だと緑になっちゃうのですが本当は白く光っていた
-
家康公も一緒に撮ってみた
-
竹千代も一緒に撮ってみた
-
うむうむ
天守カッコいい
満足してホテルへ帰る・・・ -
ホテルの朝ごはん
八丁味噌のお味噌汁
今までで一番具沢山だったと思う。とっても美味しかったです。 -
お正月ってことで
おせちがいくつかあった。
ありがたいな~
豆と栗きんとんが好きです。 -
只今の時刻 9:13
また中岡崎へ。
・・・おかざえもんだ・・
いつ見てもシュールだ。
今日はお城見て、あと観光案内のビスタラインコースっていうのに従って歩いてみようと思います。 -
カクキュー八丁味噌の郷
今日はお休みかな? -
そしてお城へ
ここは、板谷曲輪
えな塚というのがありました。
家康のえな(胞衣)を埋めた塚だそうです
本丸南にあったものを移転したとのこと。 -
で、つぎに家康公産湯井戸
天文11年(1542)12月26日に岡崎城内で誕生。 -
中は見えない
-
板谷曲輪から坂を登って二の丸へ
家康の銅像があった
それから三河武士のやかた家康館を見学。
天守の資料館との共通券で510円。
前に来たとき「徳川四天王が乗ってます」ってやつが気になっていたのに買わなくてちょっと後悔していたので今回は買った!前は吸盤タイプだったのにマグネットになっていた。
家康館のほうは松平一族初代からの歴史や家臣についての展示がすごく勉強になった! -
二の丸の北東にあるのが大手門
-
大手門から出ると27曲りをやたら推す石碑(というのかなこれは)が・・・
そしてここを境に東西岡崎領に分かれている模様 -
再び大手門から二の丸へ、本丸に向かいます。
これは天守の廊下橋跡
脱出の際に敵から狙われないように堀に橋を架けて上に櫓などを建てたそうです
岡崎城の廊下橋は天守と外側の曲輪が直接つながっていて、日本唯一らしい。
現在の橋は明治から大正時代に造られた石橋とのこと -
きれいだな
岡崎城は別名 竜城・竜ヶ城
15世紀中ごろ(室町時代)に西郷弾正左衛門頼嗣がこの場所にお城を築いて、その後家康の祖父・松平清康が入城して本格的にお城を構えたそうです。
最後の城主は本多忠直さん
明治時代に城郭の大部分は取り壊されたそうです。
今の建物は昭和34年に造られた鉄筋コンクリート3層5階の復興天守閣 -
お城の資料館を見学。
歴代城主などについて知ることができました
一番上からの展望
北側。
ここから先に大樹寺があってお城とお寺を結ぶ約3kmの直線を歴史的眺望、ビスタラインと呼んでいるそうです。
よお~~くみるとお寺が見えた! -
南側
正面の川が乙川(菅宇川)右側は伊賀川 -
天守台の石垣
最初の天守は豊臣家臣の田中吉政が城主のとき(1590~1600)に建てられたそうです。 -
天守のそばには龍城神社という神社があった
初詣で賑わっておりました -
本丸小口の立派な石垣
-
隠居曲輪のほうへ行ってみる
-
広場になっちゃった。
正面に東曲輪のやぐらが見えた
あっちに行ってみよう -
近づくとこんなかんじ
-
東隅櫓のほうへ行って階段を登っていくと
浄瑠璃姫の供養塔というのがあった
源義経と別れた浄瑠璃姫が恋慕の余り菅宇川に身投げしてしまったそうな。。。
義経、、、女泣かせだな・・・ -
北へ進み
大林寺
1943年に岡崎城主の松平信貞が創立
松平氏の時代はこのお寺が岡崎城の守りの拠点とされていたそうです -
松平清康(松平7代目・岡崎城主5代目・家康の祖父)のお墓
と
妻の於波留(春姫)のお墓 -
反対側には
松平広忠(岡崎城6代目城主・家康の父)のお墓 -
獅子頭の石
家康が8歳のときに広忠公のお墓参りに来た際
納めたとされているそうです -
岡崎城四代城主 西郷弾正左衛門信貞の墓
春姫の妻の父親なんだって -
再び北へ向かって歩く
松應寺
1549年に松平広忠が岡崎城で家臣に刺殺され、なきがらを密葬したのがこの場所といわれているそうです
1560年桶狭間の戦いのあと家康は岡崎城主となり父のために墓の近くにお寺を建てました
自分で植えた松が茂ったことと、人質の身から独立して三河に戻れたことを喜び、お寺の名前を松應寺と名づけたと伝えられています -
梵鐘
寛永12年(1635)に家康の9男で尾張徳川家の始祖である
徳川義直が鋳造・寄進
銘は林羅山! -
文字が薄~~~く見えるぞ。
-
広忠公の墓所
土塀がぼろぼろ・・・ -
ここの御廟所は慶長10年(1605)広忠の57回忌に本堂などと一緒に造営整備されたそうです
-
おまいり
-
それから北上して今度は伊賀八幡宮
社伝によると文明年間(1469~87)松平4代親忠が伊賀国から勧請したとのこと
その後慶長16年(1611)家康の造営で規模が整って
寛永13年(1636)家光の造営で現在の社殿になった
本殿は慶長16年建立と推定されているとのこと
初詣の人たちで賑わってました -
さらに北上
歩道橋を渡って緑道を歩いていくと右側に井田城跡がありました -
ゴミ絶対捨てるな!!
が哀れな姿に・・・
誰か直してあげて・・・ -
井田城跡の上に来てみた
公園になっていた
城跡感全く無し! -
碑があった
-
さらに北上
鴨田天満宮
ここを左折してしばらく行くと・・・ -
大樹寺到着!
15:04
岡崎城から歩き出して2時間くらいかかった(途中ローソンでアイス買い食いしたりしたのでパンフレットの所要時間目安より15分多くかかった) -
相向かいに小学校があってそこの奥にある門(総門)の先に岡崎城が見えた!
家光公が家康公17回忌のときに大樹寺の伽藍を整備して本堂から山門、総門を通して岡崎城が見えるようにしたそうだ -
大樹寺の立派な山門
大樹寺 名所・史跡
-
鼓楼
修復中 -
本殿
1475年松平親忠が勢誉愚底上人を開山として建立
松平八代のお墓と歴代将軍の位牌と家康73歳のときの木造などがあるらしい -
松平家のお墓
-
手前から
初代 親氏(ちかうじ・生没年不詳)
二代 泰親(やすちか・生没年不詳)
三代 信光(1404~1488)
四代 親忠(1431~1501)
五代 長親(1473~1544)
六代 信忠(1486~1531)
七代 清康(1511~1535)
八代 広忠(1526~1549)
でその隣に家康公の墓碑まであった 昭和に造ったらしい -
松平八代のお墓のそばにひっそりと岩津松平家の供養塔があった
-
この山門から総門そして岡崎城が見えます
すばらしい眺め!!
ところで大樹寺の沿革をみてみると
応仁元年(1467)井田野の合戦で多数の戦死者と悪疫が流行したため松平親忠公がのちの大樹寺住職の愚底上人に帰依して念仏会をし千人塚をつくって葬り、その後親忠公が熱心な念仏者となって、大樹寺を建立したのが始まり
その後桶狭間の合戦で義元が信長公に討たれると今川方についていた家康は大高城から大樹寺に逃げ帰り先祖の墓前で自害しようとして住職の登誉天室上人に止められたのであった -
お寺の前の道も綺麗になっている
-
多宝塔は松平清康の建立
次は西に向かって大門駅へ行きます
お寺のある場所は小高い丘になっていたらしく
坂を下ってどんどん歩いていくと駅が見えてきた -
無人駅だった
こ、この発券ボタンを押せばいいのかな???どきどき -
ちょうどあと5分くらいでくるみたいだ
今の時刻15:43
これにて岡崎観光は終了!
ホテルで荷物受け取って次の目的地大垣へ!!!
~~~続く~~~
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