2017/05/08 - 2017/05/08
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bunbunさん
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山梨県南巨摩郡身延町にある日蓮宗総本山:身延山久遠寺に行ってきました。
身延山久遠寺について、付録に簡単に説明を加えましたので、お時間とご興味のある方はご覧ください。
本旅行記の説明には日蓮宗総本山オフィシャルホームページ「身延山久遠寺」
http://www.kuonji.jp/
http://www.kuonji.jp/okunoin/keidai/keidai.htm
および、久遠寺で頂いたパンフレットの説明を多用しております。
これらの著作権は久遠寺にありますが、本旅行記の著者は2017年12月27日、久遠寺より使用許可を得ております。
また、上記を含め他から引用した文章には「 」を付けております。
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国道300号線を久遠寺に向かいます。途中本栖湖の向こうに見えた富士山。風があって湖面に波が立ち、逆さ富士は見えませんが世界遺産の風景です。
この場所はすでに身延町ですが、ここから久遠寺まで約30 km あり、標高差約700 mです。この先数 km が特に急な下り坂で、ヘアピンカーブがいくつも続きます。 -
国道300号線、国道52号線、県道804号線を通り、三門に着きました。
「本堂の真正面に位置し空・無相・無願の三解脱門を経て涅槃に至る仏教の摂理に基づき、本堂を涅槃に擬し、その正面の門を三解脱門に例え三門と称しています。日本三大三門
のひとっに数えられる身延山の三門は、間口23m、奥行き9m、高さ21mの総けやき造り。楼上には、l6体の羅漢像が奉安されています。創建はl642年ですが、数度の火災で焼失し、現在の三門は明治40 (1907)年の再起です。」
-パンフレットより- -
常夜灯
日蓮聖人650年遠忌を記念して昭和4年(1929)に建立されました。 -
三門上部
寺院建築特有の組物(くみもの)という技術で深い軒を支えています。 -
三門上部組物ズームイン。
一番上の手前に飛び出しているたくさんの細い角材は、屋根の骨組みとなる垂木(たるき)です。その垂木を下から支える水平の太めの柱は桁(けた)です。この桁を下の梁から支えている部材の組み合わせが組物で、切ったかまぼこの形をした水平方向の部材を肘木(ひじき)、1つの肘木の上に3つあって上部を支える四角の斗のような形をした部材を巻斗(まきと)と呼びます。柱や梁の上にあって巻斗と似たような形と役割をする部材は大斗と呼びます。また、肘木と3つの巻斗の組み合わせが桁と平行なものを平三斗、直交するものを出三斗と呼びます。この組物のように、肘木と巻斗の組合わせが3段あり、段ごとに徐々に手前に飛び出す(出組)ものを三手先(みてさき)と呼びます。ちなみに1段は出組(でぐみ)、2段は二手先(ふたてさき)で、通常の寺院建築で用いられるのは3段までですので、三手先が最も深い軒を支えることができます。釘は一切使用しません。構造力学的に言えば、深い軒を支えるもっと簡単な方法がありますので、組物は実用的な役割に加え、軒下を美しく見せる装飾的な役割を併せ持つことになります。確かに美しいですよね。 -
三門の、向かって右側手前上部
写真一番上の構造をみると、梁の上に大斗、肘木、3つの巻斗が載ってその上の梁を支えてる平三斗の構造(出組にはなっていません)ですので、組物の技術が使われています。このように梁の上に直接大斗が置かれる様式を禅宗様(唐様)と呼びます。また写真のその下の左右を見ますと、上部柱上の梁の上には出三斗1段の出組が見られます。さらに最初に説明した梁は左右の太い柱から飛び出した肘木と巻斗に支えられています。このように柱に直接取り付けられた肘木をさし肘木と呼び、この建築様式を大仏様(だいぶつよう)(天竺様(てんじくよう))と呼びます。 -
三門手前上部
多分照明器具と思われます。これを2重に取り囲むものは仏教のシンボルである蓮の花弁でしょう。 -
三門の、向かって左側手前上部
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梁のレリーフ
仏花のひとつ、菊ですね。 -
梁のレリーフ
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三門を通して見た参道
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三門を通りぬけました。
振り返って見た三門。 -
竹之坊入口門
参道の左側にあります。 -
竹之坊入口左側柱の上の彫刻
狛犬ですね。 -
竹之坊本堂
竹之坊は六老僧の中でも給仕第一と尊崇される日朗上人が開かれたとされています。日蓮聖人が身延山へ入山された文永11年(1274)、随従された日朗上人が現在の御草庵近くに庵を結ばれたことにはじまります。外に出ればすぐそこに久遠寺本堂へ続く287の石段、庭園には季節の花が咲き乱れ、身延山の霊気と融合し神秘的な雰囲気が広がっています。
現在は参拝者だけではなく、観光の方など誰でも気軽に宿泊利用できる宿泊施設として開放されています。
二手先の組物、本瓦葺で、軒唐破風(のきからはふ)を備えた入母屋造です。 -
参道
先に見える階段は菩提梯 -
菩提梯
「二十六世日暹(にっせん)上人の寛永九年(1932)に、佐渡の住人仁蔵(にぞう)の発願によって、完成したものです。高さ104 m で、三門と本堂を一文字に結ぶ287段の石段は、南無妙法蓮華経になぞらえて7区画に分かれています。菩提梯とは覚(さと)りにいたる梯(きざはし)のことで、この石段を登り切れば、涅槃(ねはん)の本堂に至ることが出来ることから、覚りの悦びが生ずることを意味しています。」
-説明板より- -
南部實長(さねなが)公銅像 山崎朝雲作
「日蓮聖人は文永十一年(1274)5月17日、領主南部實長(波木井)公のお招きにより、この身延のお山にお入りになられました。實長公は「今生は實長に及ばん程は見つぎた奉るべし、後生をば聖人助け給へ」とお約束どおり、日蓮聖人ご在山の9年間一族をあげてご給仕されました。また、公は「十三里の四方の堺を立て今、日蓮聖人に之を寄附す」との置文をして、身延山を中心とした十三里四方を日蓮聖人にご寄附され、子々孫々に亘り身延山を護ることを戒められ、永仁五年(1297)9月25日、76歳でお亡くなりになりました。」
-説明板より- -
男坂
菩提梯より緩やかな上り坂で本堂前に出られます。 -
女坂
男坂より緩やかな上り坂で本堂の高さにある甘露門の下に出られます。 -
今回は上記3ルートのいずれも通らず、駐車場に戻って車で本堂下のせいしん駐車場に移動します。
途中にあったシャガ。 -
シャガ
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せいしん駐車場に車を置き、斜行エレベーター(後で写真を示します)で本堂のある境内にやって来ました。
エレベーターを降りた所から見たせいしん駐車場と、奥の院へ行くロープウェイ。 -
身延山久遠寺の案内図
下の赤い点が現在地です。
この後図の上(東)に移動していきます。 -
五重塔
「このたび、元和5(1619)年身延山に初めて建立された五重塔が復元されました。総高l26尺(38.2m・国内第2位)、第一層の総間はl8尺6寸(5.6m)という壮大な塔の心柱には、身延山の峰より切り出した樹齢500年の霊木が納められています。この塔の完成により、全山ことごとく烏有に帰した明治8(1875)年の大火災以来の復興も、ようやく終焉を迎えました。」
-パンフレットより-
軒下にはやはり三手先の組物が使われています。
綺麗な朱塗ですね。 -
手水舎
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本堂
「総坪数970坪、間口32m、奥行51m。壮厳なる天蓋、憧幡、吊灯篭に飾られた、身延山独特の佇まいに、9mに及ぶ須弥壇上の本尊一格両尊四士を始め、ほぼ等身大の仏像15体が奉安されています。天井画は、日本画壇の重鎮加山又造画伯による勇壮な姿の墨龍です。地階の宝物館では、身延文庫が所蔵する国宝、重要文化財、指定文化財の展示に加え、企画展も開催されます。」
-パンフレットより-
千鳥破風(据破風(すえはふ))を備えた入母屋造といったところですかね。
当然のことながら、屋根は7種類の瓦を用いた本瓦葺です。*)
*) 通常の民家は4種類の瓦を用いた浅瓦葺です。 -
大鐘
三手先の組物、本瓦葺の本格的な寺院建築です。 -
棲神閣祖師堂(せいしんかくそしどう)
「日蓮大聖人が奉られている祖師堂は、菩提梯を登って右手の一際鮮やかな朱塗りの建物,大聖人の「今生より未来際までも心は身延山に棲むべく候」との御言葉から、祖師の神霊
の棲む御堂として棲神閣とも呼ばれています"由夫厨子内に祖師の尊儀、その左右に祖師の両親の霊牌と直弟子六老僧の像が奉られています。」
-パンフレットより-
三手先の組物、本瓦葺で、千鳥破風と軒唐破風(のきからはふ)を備えた入母屋造です。
破風上部の懸魚(げぎょ)*)も立派です。
*) もともとは魚を屋根に懸けることに、「水をかける」という意味を込めた、火よけのおまじないで、この名がついていますが、現在では単なる装飾となっています。ルーツは中国で仏教と共に日本に入ってきました。 -
棲神閣祖師堂正面
色彩豊かな見事な彫刻です。 -
棲神閣祖師堂正面の上部
彫刻は上から、鳳凰、獅子、竜です。 -
しだれ桜の大木
花の時期は綺麗でしょうね。 -
白いツツジが満開だ。
池があるねえ。 -
池の鯉と錦鯉
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また、身延山久遠寺の案内図だ。
さっきの図と方向が90°回転しています。
中央やや上の赤い点が現在地です。 -
拝殿
軒唐破風(のきからはふ)を備えた入母屋造です。 -
全国の信徒の先祖の遺骨を安置する納牌堂(手前)と、朝、昼、夕方の勤行と特別法要を営む仏殿(奥)
「昭和六年(1931)に竣工したこのお堂は、日蓮聖人第六百五十遠忌を記念して、八十一世日布上人のとき全国寺院檀信徒の丹精にて出来たものです。全国信徒の御納骨・御納牌・追善法要が毎日ここでおこなわれています。」
-説明板より- -
身延山ロープウェイに乗って奥の院に向かいます。
下に見える久遠寺駅とさいしん駐車場 -
ロープウェイから見た久遠寺
中央下はさいしん駐車場、その右端から五重塔方向に延びる2本のレールは斜行エレベーター、その左側は本堂です。 -
奥之院駅に着きました。
駅からでると、左手に東側展望台*)、右手に南側展望台があります。
東側展望台です。
*) という名前がついていますが、山頂駅からの方向は南西です。 -
東側展望台から東を望む。
遠くに富士山、下を流れる川は富士川です。 -
富士山、ズームイン。
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東側展望台から南東を望む。
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北東に進んで、裏参道からの奥之院思親閣入口です。
奥之院の頂上は海抜1247メートルで標高1153メートル。
山頂は、日蓮聖人が身延御在山の折にしばしば登詣され、両親の追善を祈った場所といわれています。麓からロープウェイで約7分で頂上に到着しますが、これが敷かれるまでは、本堂裏から歩いて約2~3時間かかりました。奥之院へは、本堂裏手から上の山を経る表参道、主に妙石坊から追分を経る裏参道の2つがあります。
ちなみに表参道は、徒歩で身延山に上る道で、この写真前方にあります。 -
門をくぐって中に入りました。
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1つ上の写真の左側にある身延山奥之院思親閣の説明板
お読みいただければわかると思いますが、最初の部分だけ書き写します。
「このお山は身延の嶺と称し、蓮華の峰ともよばれる。この地こそ身延山の頂であり日蓮大聖人在山の間、弟子たちと節々として登山せられ、はるか遠く故郷房州の方を拝され御両親を慕い、恩師に思いをはせられた霊地であります。
思親閣とは親を思う御堂ということでありますが、日蓮大聖人は九ヶ年に亘る身延山での御生活の間、常にこの峰まで登られて、両親はじめ師匠の追善供養を祈られたところから名付けられたものでものであります。」 -
少し進むと左側に石段がありその先に仁王門が見えます。
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石段を上ります。
石段の右側の「御父妙日尊儀菩提の杉」
先ほどの説明板にあった
「御手植の杉・七百年の歳月を経過した四本の老杉」
の一本です。
根元にまた説明があり、
「御手植の杉の由来
この思親閣は親を思ふと云ふ霊地で宗祖大上人は九ヶ年身延御隠棲の間常にこの身延山にこ身延山の峰に登り、東方遙か故郷房州の空を望んで両親と恩師道善房を慕はれた。そして御両親並び恩師道善房の御墓へ追善亭々と聳へ立つ姿また颯々と枝を渡る風の音は未法萬年限りなくいつの世の人にも孝の重さを教へているのである。」 -
石段を上る途中、右側の「御母妙蓮尊尼菩提の杉」
「御手植の杉・七百年の歳月を経過した四本の老杉」
の一本です。 -
仁王門
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手水舎
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祖師堂
思親閣祖師堂は“親を思うお堂”という意味で名付けられており、身延町指定文化財です。現在3年任期の別当制が敷かれており、七面山敬慎院とともに久遠寺法主が任命します。 -
鐘楼
延宝5年(1677)30世日通上人代に建立されました。鐘銘は29世日莚上人の撰です。70世祥上人代に甲州南条講が寄進しました。 -
「御手植の杉・七百年の歳月を経過した四本の老杉」の一本です。
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開基堂
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南側展望台から東南東を望む。
右下は身延町の中心街です。 -
南側展望台から南南東を望む。
下方の谷間の街は久遠寺の門前町、その左が久遠寺です。 -
門前町と久遠寺、ズームイン。
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久遠寺、ズームイン。
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林道を通って北側展望台に向かいます。
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釈迦像
昭和45年(1970)4月、岡山県小野哲敬氏が奉納したものです。 -
北側展望台にやって来ました。
北西側の風景。右手前の山は富士見山
遠くに雪を被った山々がかろうじて見えますが、南アルプス連峰です。 -
北側展望台から見た北側の風景
右側の低地は甲府盆地です。 -
甲府盆地の左の山をズームイン。
かろうじて見えました。八ヶ岳です。 -
帰りに南側展望台に寄ったら、かすみが取れていたのでパチリ。
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富士山をズームインしてもう一枚。
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ロープウェイで下に下りました。また少しだけ久遠寺に寄ります。
傍らにあったシャガ。 -
五重塔
太陽も西に移動しているし、さっきよりましですかねえ。 -
棲神閣祖師堂に上がりました。
色鮮やかな彫刻で一杯の廊下の天井。 -
棲神閣祖師堂から見た境内
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棲神閣祖師堂
廊下天井の彫刻
色鮮やかさに目を奪われて単なる装飾と見誤りがちですが、部材一つ一つをよく見ると、組物と同じように構造上の強度確保の機能も併せ持っています。
今は焦げ茶色の木肌をそのまま出している、飛鳥時代から平安時代に造られた、法隆寺、薬師寺、東大寺、唐招提寺等の古代建築も、創建当時は耐性に優れた岩絵具でこのように鮮やかに塗装されたいたそうです。しかし、年月と共に塗装がはげ落ちて質素な色になり、ここから日本人の美意識の一つである「侘び・寂び」が生まれと昔聞いたことがあります。 -
棲神閣祖師堂
廊下天井の色鮮やかな彫刻 -
棲神閣祖師堂
廊下天井の色鮮やかな彫刻
この後、内部に入りましたが豪華絢爛です。
残念ながら写真撮影は禁止でした。 -
これで帰ります。
帰り道の道路脇はシャガが満開です。 -
満開のシャガ
付録
身延山久遠寺について
「歴史と信仰が息づく心の聖地
錦倉時代、疫病や天災が相次ぐ末法の世にあって、「法華経」をもってすべての人々を救おうとした日蓮聖人は、3度にわたって幕府に進言するも受け入れられず、信者であった領主南部実長公の招きに応じ、文永2(1274)年当地に入山されました。以来この地を生涯の住処とされ、旅の途上で入滅された折も「いづくにて死に候とも墓をば身延山に立てさせ給へ」のご遺言により遺骨は身延山に奉ぜられ、心霊とともに祀られたと伝えられます。
日蓮聖人入滅より700有余年。その間、落雷・火災と2度にわたる焼失を経てもなお、法灯は連綿と絶えることなく、総本山として広く門徒の信仰を集めるはもとより、年間を通じて全国各地から参拝者や観光客が訪れる、心の聖地となっております。」
-パンフレットより-
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