
2017/12/23 - 2017/12/23
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アルプ・グリュムさん
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中山道板橋宿は江戸を出発して最初の宿場で「上宿」「仲宿」「平尾宿」の三つの宿の総称で、それぞれ名主が置かれていました。
私は板橋駅から志村一理塚までをその痕跡を求めて歩きました。
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散策は板橋駅手前の交差点からスタートします。
平尾一里塚と板橋刑場があったとされる場所あったですが碑も案内板もありません。
板橋観光センターの職員に確認したらこの場所は板橋ではなく北区滝野川になるので管轄外とのことでした。 -
馬頭観音
板橋刑場は近藤勇が処刑された場所を指すようですが、その場所には以前から馬捨場があったそうです。 -
馬頭観音
その捨てられた馬の供養と結び付いて信仰されるようになったものです。 -
馬頭観音
一般的には街道の道中にあるのですが屋根付きの祠で大事にされていました。 -
近藤勇の墓
ここは板橋駅のほぼ正面にありますが板橋区ではなく北区です。近藤勇の墓 名所・史跡
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左から永倉新八、土方歳三、近藤勇の絵
落書き防止ののためか金網が貼られていました。 -
近藤勇像
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新選組の生き残りである永倉新八の墓もあります。
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近藤勇と土方歳三義豊の墓
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板橋駅
丁度駅舎の工事中でしたが自由通路になれば有難いのですが迂回して板橋区側に出ました。板橋駅 駅
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駅前のロータリーにある板橋驛之碑
由緒ある中山道板橋宿の駅の名を負う板橋駅は明治十八年三月日本鉄道株式会社により品川・渋谷・目白・赤羽の各駅と共に開設され、同39年11月10より国有となる同42年12月26日より汽車電車の併用運転を実施し付近住民の利便を更に高め北域の発展と大きく促がす誰かその業績に対し賛辞を惜しむものがあるか星霜既に一世紀ここに板橋駅開業百年に当り碑を建て由来を刻し以って後世に伝うという。 -
駅前のロータリーには「むすびのけやき 中山道板橋宿」
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ケヤキの木が一対となっているので「むすびのけやき」です。
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巣鴨地蔵通りから注意して見てきたのですが板橋駅で初めて「旧中山道」を拝見しました。
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駅前を歩いて行くと高架の国道17号線が見え、平尾宿ののぼりが見えます。
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平尾宿ののぼりが見えます。
「いたばし縁むすび通り」とはこの先の縁切榎まで続くのでしょうか? -
平尾追分交差点で川越街道の分岐点となり、この先から板橋宿となります。
板橋宿は平尾宿、仲宿、上宿と続きます。 -
ここからが板橋宿の平尾宿の宿場内となります。
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観明寺
観明寺 寺・神社・教会
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観明寺
観明寺寛文元年庚申塔
貫文元年(1661)8月造立だそうで都内では一番古いそうです。 -
観明寺
加賀藩下屋敷から遷されたといわれる赤門 -
観明寺
加賀藩下屋敷から遷されたといわれる稲荷社 -
マンションの入り口には平尾脇本陣跡碑
クチコミにはありませんでしたがスマホの地図で平尾脇本陣跡の場所が分かりました。 -
平尾脇本陣跡碑と案内板
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平尾脇本陣跡碑
近藤勇は新政府軍に捕らえられ、板橋宿へ連行されてから、斬首される2日前までの約20日間この平尾脇本陣豊田家に幽閉されていました。 -
板橋平尾宿の脇本陣豊田家の屋敷跡、豊田家は代々市右衛門を世襲し、名主も兼ねました。近藤勇が処刑までの間監禁され、また、江戸時代に見世物となったペルシャ産のラクダが逗留したこともあります。
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いたばし観光センター
板橋区は板橋宿についても熱心で地図等を入手できました。いたばし観光センター 名所・史跡
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いたばし観光センター
いたばしの史跡観光案内の地図が掲示されてありました。 -
平尾宿から仲宿に進みます。
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旧中山道仲宿の交差点信号と仲宿商店街
仲宿商店街 市場・商店街
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道路標識の旧中山道と足元の中山道板橋宿の碑
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中山道板橋宿の碑
横には日本橋と蕨宿がそれぞれの方向に記されています。 -
その横には中仙道板橋宿
「これより仲宿商店街、、、、、木曽路に至る」
商店街が設置した手作りの木製なので心配です。 -
「うだつ」壁の民家
隣家からの火事が燃え移るのを防ぐための防火壁として造られたものです。 -
遍照寺
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遍照寺跡
江戸時代は、区内唯一の天台宗寺院だったが、明治4年に廃寺となった。昭和22年に真言宗寺院として復活し、現在は成田山新勝寺の末寺となっている。
境内は、宿場時代の馬つなぎ場で、幕府公用の伝馬に使う囲馬、公文書伝達用の立馬、普通継立馬などがつながれていた。 -
遍照寺
無造作に置かれてありますが馬頭観音等は皆記貴重な歴史的遺産のものばかりです。 -
遍照寺
墓誌でしょうか、年号が安永5年と読めますが調べると西暦1777年となります。 -
板橋町役場跡
今は仲宿ふれあい広場となっています。 -
板橋町役場跡
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駅からは多少は練れていますが大変活気が感じられる商店街です。
仲宿商店街 市場・商店街
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江戸時代と変わらない道幅のスーパーのライフ右下には
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板橋本陣跡と碑と案内板が設置されてあります。
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板橋宿本陣飯田新左衛門家
代々新左衛門を世襲した本陣飯田家の屋敷跡です。参勤交代で通行した大名や幕府の公用の武士、僧や公家などが休憩しました。 -
板橋宿本陣跡ですが板橋宿本陣飯田新左衛門家
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文殊院山門
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文殊院本堂
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旧中山道の道標とスーパーのライフ
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板橋仲宿の脇本陣がこの突き当りにあります。
この場所もスマホの地図で分かりました。 -
中宿脇本陣跡
案内板と碑
板橋エリア
史跡
中宿脇本陣跡
代々宇(卯)兵衛を世襲し、板橋宿中宿の名主を務めた脇本陣飯田家の屋敷跡。幕末には14代将軍家茂へ降嫁する和宮が宿泊し、また明治初年に大宮氷川神社に行幸する明治天皇が休憩しました。 -
中宿脇本陣跡
代々宇(卯)兵衛を世襲し、板橋宿中宿の名主を務めた脇本陣飯田家の屋敷跡。幕末には14代将軍家茂へ降嫁する和宮が宿泊し、また明治初年に大宮氷川神社に行幸する明治天皇が休憩しました。 -
中宿脇本陣跡の碑
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板橋
地名、駅名にもなった元祖の橋です。板橋(橋) 名所・史跡
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仲宿本町商店街
先には板橋が見えます。板橋本町商店街 市場・商店街
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板橋
コンクリートの橋ですが木目のデザインとなっています。 -
板橋
鎌倉時代にはその名が記されている、板橋という地名の由来になった橋。
江戸時代には太鼓状の木製の橋であったが、昭和7年には、自動車の普及に対応するために早くもコンクリートの橋に架け替えられたが、その名は現在では、区の名前にも採用されている。板橋(橋) 名所・史跡
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板橋十景の一つの板橋
板橋区は、区制施行70周年を記念して、平成15年2月、板橋ならではの自然景観、都市景観、名所・旧跡、イベントを「板橋十景」として選定いたしました。 -
板橋本町交番の前には中山道板橋宿上宿の碑と案内板が設置されてあります。
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中山道板橋宿上宿の案内板と碑
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中山道板橋宿上宿
板橋宿は、中山道の第一番目の宿場であり、その長さは十五町四十九間(約1.7km)でした。 -
縁切榎
縁切榎 名所・史跡
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縁切榎
碑と案内板 -
縁切榎
男女の悪縁を切りたい時や断酒を願う時に、この榎の樹皮を削ぎとって煎じ、ひそかに飲ませるとその願いが成就するとされた神木。皇女和宮降嫁の際には、榎を避けるための迂回路が作られた上、榎を薦(こも)で覆ったといわれている。 -
縁切榎内の神社
たくさんの絵馬がありました。 -
板橋宿からは外れますが国の史跡にも指定されある志村一里塚を訪れました。
志村一里塚 名所・史跡
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志村一里塚
徳川家康は、関東に封ぜられて(天正十八年1590)以来街道の整備を進めてきたが、慶長九年(1604)秀忠に命じて、江戸を中心とした五街道に榎を植えた一里塚を築かせ、これを全国におよぼした。
江戸日本橋を基点とし、一里を三十六町(四キロメートル弱)に統一し、中山道では、本郷森川宿、板橋宿平尾につぎ、志村一里塚は第三番目の塚である。
塚は道の両側に向かいあって五間(約九メートル)四方、高さ一丈(約三メートル)の定めによって築かれ、旅人にとっては、里程や乗物の支払いの目安になり、またその木陰はかっこうの休所にもなった。
一里塚が完全な姿で残るのはまれで、都内では北区西ヶ原のそれと二ヶ所のみであり、交通史上の重要な遺跡として、国および板橋区の史跡に指定・登録された文化財である。 -
志村一里塚の碑
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志村一里塚
国道17号線の両側にあります。 -
志村一里塚
植えられている木は手入れはされてありますが雰囲気は江戸時代と同じです。 -
志村一里塚
国道ぎりぎりにあるので歩道は志村一里塚の裏を迂回しなければなりません。 -
国道は志村一里塚を上手に避けて設計されています。。
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一対の志村一里塚
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散策の後は志村坂上駅から都営地下鉄三田線電車に乗って帰途に着きます。
横浜市内まで直通で行けるのは最高です。志村坂上駅 駅
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