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パワースポット若狭彦神社・姫神社、奈良東大寺二月堂へお水送りの寺で知られる神宮寺、若狭の秘仏特別公開中の萬徳寺、明通寺も参拝しました<br />”若狭は朝鮮語ワカソ(行き来)が訛って宛字した地名で、奈良も朝鮮語ナラ(都)が訛って宛字されている。この地方は若狭の中心で白鳳以前からひらけ、この谷は上陸した半島大陸の文化が大和(朝鮮語でナラともいう)へはこばれた最も近い道であった。それは対馬海流にのってきて着岸した若狭浦の古津から国府のある遠敷(おにふ=朝鮮語ウォンフー「遠くにやる」が訛った)や根来(ねごり=朝鮮語ネ、コーリ「汝の古里」が訛った)と京都や奈良が百キロほどの直線上にあることである。<br />この地方を拓き国造りした祖先が、遠敷明神(若狭彦命)で、その発祥が根来の白石で、都へ近道の起点に良地をえらび、遠敷明神の直孫和朝臣赤磨公が八世紀初め山岳信仰で、紀元前銅鐸をもった先住のナガ族の王を金鈴に表わし地主の長尾明神として山上に祀り、その下に神願寺を創建され、翌年勅願寺となったその秋には、紀元一世紀頃唐服を着て白馬に乗り影向し、すでに根来白石に祀られていた遠敷明神を神願寺に迎え神仏両道の道場にされた。これが若狭神願寺の起源で鎌倉時代初め若狭彦神社の別当寺となって神宮寺と改称したのである。<br />又、神願寺の開山赤磨(和氏)公は白石の長者の神童(幼児)を大和に伴い当時名僧、義淵僧正(大樹)に托され、後東大寺開山良弁僧正となられ、神願寺へ渡来した印度僧実忠和尚が良弁僧正を助けて東大寺を完成し、さらに二月堂を建て、お水取り行法を始められた。その若狭井の水源が白石の鵜之瀬であるから、白石神社で行ったのを伝え根来八幡宮では毎年3月2日、山八神事を行い同日夜、神宮寺から神人と寺僧で鵜之瀬へお水送り神事がある。”<br />(若狭神宮寺パンフレットより)<br /><br /><br />若狭彦神社<br />P少ない<br /><br />若狭姫神社 P少ない<br />御朱印あり、若狭彦神社の御朱印もこちらでいただけます<br /><br />みほとけの里若狭の秘仏特別公開2017.9.16~11.26<br />ライトアップ:萬徳寺・明通寺11/18,19 神宮寺11/22,23<br /><br />神宮寺 御朱印あり<br />住所 神宮寺30-4 P無料<br />拝観料400円 <br />アクセスJR「東小浜駅」 3Km<br />駅にレンタサイクル有り<br />文化財<br />・本堂(国指定) : 室町時代末期 <br />・仁王門(北門)(国指定) : 鎌倉時代末期<br /><br />萬徳寺 御朱印あり<br />住所 金屋74-23 P無料<br />拝観料400円<br />アクセス<br />JR「東小浜駅」 1.5Km<br />駅にレンタサイクル有り<br />文化財<br />・庭園(国指定名勝)江戸初期の作庭。<br />・木造阿弥陀如来坐像(国指定)<br />   像高141.5cm 平安初期<br /><br />明通寺 御朱印あり<br />名称 <br />明通寺 (みょうつうじ) <br />山号 <br />棡山 (ゆずりざん) <br />宗派 <br />真言宗御室派 (しんごんしゅうおむろは) ※本山仁和寺 <br />拝観 <br />年中無休 9:00~17:00 (12月~2月は16:30まで) 本堂内で10分ほどの案内付 <br />料金 <br />個人拝観500円 ※団体・学生・障害者割引あり <br />住所 <br />〒917-0237 福井県小浜市門前5-21 <br />駐車 <br />専用無料駐車場 (大型車可)

若狭彦神社姫神社・神宮寺・萬徳寺・明通寺2017

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2017/11/23 - 2017/11/23

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名古屋のmisako

名古屋のmisakoさん

パワースポット若狭彦神社・姫神社、奈良東大寺二月堂へお水送りの寺で知られる神宮寺、若狭の秘仏特別公開中の萬徳寺、明通寺も参拝しました
”若狭は朝鮮語ワカソ(行き来)が訛って宛字した地名で、奈良も朝鮮語ナラ(都)が訛って宛字されている。この地方は若狭の中心で白鳳以前からひらけ、この谷は上陸した半島大陸の文化が大和(朝鮮語でナラともいう)へはこばれた最も近い道であった。それは対馬海流にのってきて着岸した若狭浦の古津から国府のある遠敷(おにふ=朝鮮語ウォンフー「遠くにやる」が訛った)や根来(ねごり=朝鮮語ネ、コーリ「汝の古里」が訛った)と京都や奈良が百キロほどの直線上にあることである。
この地方を拓き国造りした祖先が、遠敷明神(若狭彦命)で、その発祥が根来の白石で、都へ近道の起点に良地をえらび、遠敷明神の直孫和朝臣赤磨公が八世紀初め山岳信仰で、紀元前銅鐸をもった先住のナガ族の王を金鈴に表わし地主の長尾明神として山上に祀り、その下に神願寺を創建され、翌年勅願寺となったその秋には、紀元一世紀頃唐服を着て白馬に乗り影向し、すでに根来白石に祀られていた遠敷明神を神願寺に迎え神仏両道の道場にされた。これが若狭神願寺の起源で鎌倉時代初め若狭彦神社の別当寺となって神宮寺と改称したのである。
又、神願寺の開山赤磨(和氏)公は白石の長者の神童(幼児)を大和に伴い当時名僧、義淵僧正(大樹)に托され、後東大寺開山良弁僧正となられ、神願寺へ渡来した印度僧実忠和尚が良弁僧正を助けて東大寺を完成し、さらに二月堂を建て、お水取り行法を始められた。その若狭井の水源が白石の鵜之瀬であるから、白石神社で行ったのを伝え根来八幡宮では毎年3月2日、山八神事を行い同日夜、神宮寺から神人と寺僧で鵜之瀬へお水送り神事がある。”
(若狭神宮寺パンフレットより)


若狭彦神社
P少ない

若狭姫神社 P少ない
御朱印あり、若狭彦神社の御朱印もこちらでいただけます

みほとけの里若狭の秘仏特別公開2017.9.16~11.26
ライトアップ:萬徳寺・明通寺11/18,19 神宮寺11/22,23

神宮寺 御朱印あり
住所 神宮寺30-4 P無料
拝観料400円 
アクセスJR「東小浜駅」 3Km
駅にレンタサイクル有り
文化財
・本堂(国指定) : 室町時代末期 
・仁王門(北門)(国指定) : 鎌倉時代末期

萬徳寺 御朱印あり
住所 金屋74-23 P無料
拝観料400円
アクセス
JR「東小浜駅」 1.5Km
駅にレンタサイクル有り
文化財
・庭園(国指定名勝)江戸初期の作庭。
・木造阿弥陀如来坐像(国指定)
   像高141.5cm 平安初期

明通寺 御朱印あり
名称
明通寺 (みょうつうじ)
山号
棡山 (ゆずりざん)
宗派
真言宗御室派 (しんごんしゅうおむろは) ※本山仁和寺
拝観
年中無休 9:00~17:00 (12月~2月は16:30まで) 本堂内で10分ほどの案内付
料金
個人拝観500円 ※団体・学生・障害者割引あり
住所
〒917-0237 福井県小浜市門前5-21
駐車
専用無料駐車場 (大型車可)

旅行の満足度
4.5
観光
4.0
グルメ
4.5
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車
  • 若狭彦神社<br />若狭一の宮は神社の記録によれば、奈良時代初期にあたる養老5年(721)に創建されたといわれています。若狭一の宮は上社と下社の総称ですが、ふつう上社を「若狭彦神社」、下社を「若狭姫神社」と呼んでいます。彦神社は和銅7年(714)遠敷郡下根来村白石に創られましたが、霊亀元年(715)現在の地に遷社したとされています。<br /><br /> 祭神は、彦神社は彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと・山幸彦)、姫神社は豊玉姫命(とよたまひめみこと・乙姫)です。共に、海上安全、海幸大漁の守護神として信仰されています。<br /><br /> 彦神社の本殿は、文化10年(1813)造営で正面、側面、向拝が3間の三間社流造桧皮葺の建物で、山を背景に建てられています。神門(中門)は天保元年(1830)の造営で、 四脚門形式の切妻造桧皮葺、随神門は江戸時代後期の造営、八脚門形式の入母屋造桧皮葺です。<br />姫神社は、本殿は享和2年(1802)造営の正面3間、側面3間、向拝1間の流造桧皮葺の建物です。本殿を囲む瑞垣(透塀)の内部には千年杉で有名な神樹が聳(そび)え、千古の神域を一層森厳にしています。神門(中門)は、享和3年(1803)の造営、随神門は寛保3年(1743)の造営で、ほぼ上社と同じつくりとなっています。<br /><br /> この二つの神社で共通する点は、境内に、本殿・神門・随神門といわれる3つが一直線に配置されていることです。全体的には、彦神社は本殿の前面屋根が短く簡潔なところから厳粛な神殿といわれるのに対し、姫神社は本殿の屋根が流れるように伸びていますので、やさしく美しい感じを受けます。<br /><br /> 姫神社の社叢はカゴノキ、ムクノキなど暖地性広葉樹林で、県の天然記念物に指定されています。<br />(ええやん!若狭の國若狭おばま観光協会HPより)

    若狭彦神社
    若狭一の宮は神社の記録によれば、奈良時代初期にあたる養老5年(721)に創建されたといわれています。若狭一の宮は上社と下社の総称ですが、ふつう上社を「若狭彦神社」、下社を「若狭姫神社」と呼んでいます。彦神社は和銅7年(714)遠敷郡下根来村白石に創られましたが、霊亀元年(715)現在の地に遷社したとされています。

     祭神は、彦神社は彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと・山幸彦)、姫神社は豊玉姫命(とよたまひめみこと・乙姫)です。共に、海上安全、海幸大漁の守護神として信仰されています。

     彦神社の本殿は、文化10年(1813)造営で正面、側面、向拝が3間の三間社流造桧皮葺の建物で、山を背景に建てられています。神門(中門)は天保元年(1830)の造営で、 四脚門形式の切妻造桧皮葺、随神門は江戸時代後期の造営、八脚門形式の入母屋造桧皮葺です。
    姫神社は、本殿は享和2年(1802)造営の正面3間、側面3間、向拝1間の流造桧皮葺の建物です。本殿を囲む瑞垣(透塀)の内部には千年杉で有名な神樹が聳(そび)え、千古の神域を一層森厳にしています。神門(中門)は、享和3年(1803)の造営、随神門は寛保3年(1743)の造営で、ほぼ上社と同じつくりとなっています。

     この二つの神社で共通する点は、境内に、本殿・神門・随神門といわれる3つが一直線に配置されていることです。全体的には、彦神社は本殿の前面屋根が短く簡潔なところから厳粛な神殿といわれるのに対し、姫神社は本殿の屋根が流れるように伸びていますので、やさしく美しい感じを受けます。

     姫神社の社叢はカゴノキ、ムクノキなど暖地性広葉樹林で、県の天然記念物に指定されています。
    (ええやん!若狭の國若狭おばま観光協会HPより)

  • 若狭彦神社(上社)の祭神である山幸彦「彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)」は兄、海幸彦の道具で釣りをしている時、誤って針を無くしました。針の行方を聞くため海神のいる竜宮城へ行った山幸彦は若狭姫神社(下社)の祭神である豊玉姫と出会い、そのまま結婚してしまいました。<br /> 何年か経ち、やはり海幸彦の針が気になってしようがない山幸彦が海神に相談したところ。のどにその針が刺さった鯛が見つかり、無事針が見つかりました。<br />竜宮城から戻り、海幸彦に針を返した山幸彦は豊玉姫と幸せに暮らしたそうです。<br /><br />若狭彦神社(上社)<br />若狭姫神社(下社)<br />(ええやん!若狭の國若狭おばま観光協会HPより)

    若狭彦神社(上社)の祭神である山幸彦「彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)」は兄、海幸彦の道具で釣りをしている時、誤って針を無くしました。針の行方を聞くため海神のいる竜宮城へ行った山幸彦は若狭姫神社(下社)の祭神である豊玉姫と出会い、そのまま結婚してしまいました。
     何年か経ち、やはり海幸彦の針が気になってしようがない山幸彦が海神に相談したところ。のどにその針が刺さった鯛が見つかり、無事針が見つかりました。
    竜宮城から戻り、海幸彦に針を返した山幸彦は豊玉姫と幸せに暮らしたそうです。

    若狭彦神社(上社)
    若狭姫神社(下社)
    (ええやん!若狭の國若狭おばま観光協会HPより)

  • 道の駅若狭おばまの鯖サンドハーフ400円

    道の駅若狭おばまの鯖サンドハーフ400円

  • 鯖うどん500円

    鯖うどん500円

  • 鯖醤油干しセット550円

    鯖醤油干しセット550円

  • 鯖サンドハーフ400円

    鯖サンドハーフ400円

  • イモリ

    イモリ

  • 神宮寺

    神宮寺

  • 神宮寺<br />山号霊応山。天台宗。<br /> 若狭一の宮の神願寺として成立、縁起によれば元正天皇の勅命により和銅7年(714)に泰澄大師の弟子沙門滑元の創建したといわれています。鎌倉初期、若狭彦神社別当寺神宮寺と改名、七堂伽藍二十五坊を誇りましたが、豊臣時代に寺領を没収され、さらに明治初期の廃仏毀釈によって衰微しました。<br /> 本堂は、室町時代末期、天文22年(1553)越前守護朝倉義景が再建しました。大きさは間口14.34m、奥行き16.60mです。建築様式は、和様を主体にしたなかに、木鼻に天竺様繰形、唐用束梁などの大陸の技法が用いられており、妻飾も軒隅の反転とともに華麗な姿を表しています。<br /> 仁王門は、神宮寺北の玄関口で、間口6.37m、奥行き3.64m、棟高5.5mで8本の柱の上にこけらぶきの屋根がのっていました。構造や規模は簡素ですが、珍しい形をした蓑束などの様式は室町建築の先駆とさえいわれています。両端に安置されている木造金剛力士像には、至徳2年(1385)の墨書がみえます。<br /> 毎年3月2日、奈良東大寺二月堂に香水を送る「お水送り」神事を行っています。若狭では、お水送りが終わると春が訪れるといわれています。<br /> 神宮寺所蔵の木造男神・女神坐像は、国の重要文化財に指定されています。室町初期の作で、男神像は衣冠束帯(像高49.1cm)、女神像は小袿姿(像高50.9cm)、若狭一の宮の神宮寺奥の院に伝えられたの神像です。<br />(小浜市HPより)

    神宮寺
    山号霊応山。天台宗。
     若狭一の宮の神願寺として成立、縁起によれば元正天皇の勅命により和銅7年(714)に泰澄大師の弟子沙門滑元の創建したといわれています。鎌倉初期、若狭彦神社別当寺神宮寺と改名、七堂伽藍二十五坊を誇りましたが、豊臣時代に寺領を没収され、さらに明治初期の廃仏毀釈によって衰微しました。
     本堂は、室町時代末期、天文22年(1553)越前守護朝倉義景が再建しました。大きさは間口14.34m、奥行き16.60mです。建築様式は、和様を主体にしたなかに、木鼻に天竺様繰形、唐用束梁などの大陸の技法が用いられており、妻飾も軒隅の反転とともに華麗な姿を表しています。
     仁王門は、神宮寺北の玄関口で、間口6.37m、奥行き3.64m、棟高5.5mで8本の柱の上にこけらぶきの屋根がのっていました。構造や規模は簡素ですが、珍しい形をした蓑束などの様式は室町建築の先駆とさえいわれています。両端に安置されている木造金剛力士像には、至徳2年(1385)の墨書がみえます。
     毎年3月2日、奈良東大寺二月堂に香水を送る「お水送り」神事を行っています。若狭では、お水送りが終わると春が訪れるといわれています。
     神宮寺所蔵の木造男神・女神坐像は、国の重要文化財に指定されています。室町初期の作で、男神像は衣冠束帯(像高49.1cm)、女神像は小袿姿(像高50.9cm)、若狭一の宮の神宮寺奥の院に伝えられたの神像です。
    (小浜市HPより)

  • 神宮寺<br />毎年3月2日に行われる、奈良・東大寺二月堂への「お水送り」神事が有名な古刹です。室町時代建立の本堂(国指定重要文化財)は、神体山を借景に、若狭随一といわれる華麗な姿です。<br /> さらに、力強い金剛力士像を安置した鎌倉時代末期建立の仁王門(国指定重要文化財)、南北朝時代の木造男神や女神坐像(国指定重要文化財)などがあります。<br /> 神事が行われることからもわかるように、神仏習合の寺院であり、参拝者は柏手を打つ非常に珍しい寺院です。<br /> 拝観時に寺院の者からのご説明が必要な場合は、事前にご予約ください。<br /><br />拝観料 400円<br />※注)お水送り準備等のため2月15日から3月5日まで拝観はできません<br /><br /><br />天台宗<br />(ええやん!若狭の國若狭おばま観光協会HPより)

    神宮寺
    毎年3月2日に行われる、奈良・東大寺二月堂への「お水送り」神事が有名な古刹です。室町時代建立の本堂(国指定重要文化財)は、神体山を借景に、若狭随一といわれる華麗な姿です。
     さらに、力強い金剛力士像を安置した鎌倉時代末期建立の仁王門(国指定重要文化財)、南北朝時代の木造男神や女神坐像(国指定重要文化財)などがあります。
     神事が行われることからもわかるように、神仏習合の寺院であり、参拝者は柏手を打つ非常に珍しい寺院です。
     拝観時に寺院の者からのご説明が必要な場合は、事前にご予約ください。

    拝観料 400円
    ※注)お水送り準備等のため2月15日から3月5日まで拝観はできません


    天台宗
    (ええやん!若狭の國若狭おばま観光協会HPより)

  • 萬徳寺<br />山号延宝山。高野山真言宗。<br /> 応安年中(1368~1374)安芸円明寺の覚応法印が各地を廻り、この地にあった天台宗極楽寺を正照寺と改め真言宗を広めました。天文13年(1544)、祈願所となり、罪人は入寺すれば助かるという若狭唯一の「駆け込み寺」となりました。慶長7年(1602)寺号を萬徳寺と改めました。<br /> 本尊阿弥陀如来坐像は、極楽寺の本尊でした。偏袒右肩の衲衣をまとい上品下生の来迎印を結び、長方形の裳懸座上に結跏趺坐した像です。<br /> 本堂の南西方の斜面を利用した埋石式枯山水庭園は、主要部は1,800㎡、白砂敷き部分は約240㎡、斜面中段の中心部に2.2mの本尊石を配しています。庭園は、5月~6月にはつつじ、10月下旬~11月中旬にはもみじが、白い砂と山の緑と見事な調和を作り出しています。<br /> 国指定の重要文化財、絵画・藤原末期の絹本著色不動明王三童子像、鎌倉中期の絹本著色弥勒菩薩像などを所有しています。<br />(小浜市HPより)

    萬徳寺
    山号延宝山。高野山真言宗。
     応安年中(1368~1374)安芸円明寺の覚応法印が各地を廻り、この地にあった天台宗極楽寺を正照寺と改め真言宗を広めました。天文13年(1544)、祈願所となり、罪人は入寺すれば助かるという若狭唯一の「駆け込み寺」となりました。慶長7年(1602)寺号を萬徳寺と改めました。
     本尊阿弥陀如来坐像は、極楽寺の本尊でした。偏袒右肩の衲衣をまとい上品下生の来迎印を結び、長方形の裳懸座上に結跏趺坐した像です。
     本堂の南西方の斜面を利用した埋石式枯山水庭園は、主要部は1,800㎡、白砂敷き部分は約240㎡、斜面中段の中心部に2.2mの本尊石を配しています。庭園は、5月~6月にはつつじ、10月下旬~11月中旬にはもみじが、白い砂と山の緑と見事な調和を作り出しています。
     国指定の重要文化財、絵画・藤原末期の絹本著色不動明王三童子像、鎌倉中期の絹本著色弥勒菩薩像などを所有しています。
    (小浜市HPより)

  • 萬徳寺<br />八ヶ寺の中で唯一、国指定名勝の庭園を持つ寺院。花の名所として知られています。春はツツジ、初夏は新緑、秋はモミジが、白砂を敷き詰めた枯山水庭園を彩ります。<br /> 四季折々にさまざまな表情を見せてくれる花と自然が魅力です。<br /><br />・木造阿弥陀如来坐像(国指定重要文化財、平安後期、像高141.5㎝)<br />  ヒノキ材で平安期末の12世紀作と推測されます。一見、やや伏目の<br /> 穏やかな両眼、小さな目の唇、まるく温雅な肉どり、やや彫りの浅い<br /> 衣文の線などのほぼすべてにおいて、平安期末の特色が顕著ですが、<br /> 平安待つには珍しく、台座に仏像の裳先が垂れかかる裳懸座の上に坐<br /> している古式風の阿弥陀如来です。<br /><br />拝観料 400円(※障がい者手帳の提示で半額)<br />     200円(小学生)<br /><br />真言宗高野山派<br />(ええやん!若狭の國若狭おばま観光協会HPより)<br />

    萬徳寺
    八ヶ寺の中で唯一、国指定名勝の庭園を持つ寺院。花の名所として知られています。春はツツジ、初夏は新緑、秋はモミジが、白砂を敷き詰めた枯山水庭園を彩ります。
     四季折々にさまざまな表情を見せてくれる花と自然が魅力です。

    ・木造阿弥陀如来坐像(国指定重要文化財、平安後期、像高141.5㎝)
      ヒノキ材で平安期末の12世紀作と推測されます。一見、やや伏目の
     穏やかな両眼、小さな目の唇、まるく温雅な肉どり、やや彫りの浅い
     衣文の線などのほぼすべてにおいて、平安期末の特色が顕著ですが、
     平安待つには珍しく、台座に仏像の裳先が垂れかかる裳懸座の上に坐
     している古式風の阿弥陀如来です。

    拝観料 400円(※障がい者手帳の提示で半額)
         200円(小学生)

    真言宗高野山派
    (ええやん!若狭の國若狭おばま観光協会HPより)

  • 若狭姫神社<br />(わかさひめじんじゃ)<br />若狭彦神社(上社)の祭神である山幸彦「彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)」は兄、海幸彦の道具で釣りをしている時、誤って針を無くしました。針の行方を聞くため海神のいる竜宮城へ行った山幸彦は若狭姫神社(下社)の祭神である豊玉姫と出会い、そのまま結婚してしまいました。<br /> 何年か経ち、やはり海幸彦の針が気になってしようがない山幸彦が海神に相談したところ。のどにその針が刺さった鯛が見つかり、無事針が見つかりました。<br />竜宮城から戻り、海幸彦に針を返した山幸彦は豊玉姫と幸せに暮らしたそうです。<br /><br />若狭彦神社(上社)<br />若狭姫神社(下社)<br />(ええやん!若狭の國若狭おばま観光協会HPより)

    若狭姫神社
    (わかさひめじんじゃ)
    若狭彦神社(上社)の祭神である山幸彦「彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)」は兄、海幸彦の道具で釣りをしている時、誤って針を無くしました。針の行方を聞くため海神のいる竜宮城へ行った山幸彦は若狭姫神社(下社)の祭神である豊玉姫と出会い、そのまま結婚してしまいました。
     何年か経ち、やはり海幸彦の針が気になってしようがない山幸彦が海神に相談したところ。のどにその針が刺さった鯛が見つかり、無事針が見つかりました。
    竜宮城から戻り、海幸彦に針を返した山幸彦は豊玉姫と幸せに暮らしたそうです。

    若狭彦神社(上社)
    若狭姫神社(下社)
    (ええやん!若狭の國若狭おばま観光協会HPより)

  • 千年杉

    千年杉

  • 明通寺<br />京都の清水寺も創建した坂上田村麻呂公が、大同元年(806)創建したと伝えられています。<br /><br /> 鎌倉時代建立の本堂と総高約22mの三重塔はいずれも国宝です。幾星霜を経て存在する荘厳な佇まいに畏敬の念さえ覚えます。<br /><br /> また、仏像四体が国指定重要文化財となっています。<br /><br />・木造薬師如来座像 (平安後期、像高144.5㎝)<br />   平安時代末から鎌倉時代初頭にかけての過渡期的な作風の一例と<br />  推測されます。寺伝では、平安初頭、勅命をたまわって北陸巡行の<br />  途にあった坂の上田村麻呂将軍が、霊夢の導きによって、老翁の命<br />  ずるままに棡の老樹から老翁が掘りだした霊像が、即ち当寺本尊の<br />  薬師如来、その両側に待立する降三世明王、深沙大将の3体である<br />  と伝えられています。その度、3度に及ぶ火災によってすべてを焼<br />  失し、現存する本尊の薬師如来も、その後の造像にかかわるもので<br />  す。  <br />・木造深沙大将立像 (平安後期、像高256.6㎝)<br />   国の重要文化財として指定されている深沙大将は、この明通寺を<br />   含め4体しかありません。(他は京都府舞鶴の金剛院、岐阜県揖<br />   斐郡の横蔵寺、和歌山県高野山のみ。)<br />・木造降三世明王立像(平安後期、像高252.4㎝)<br />・木造不動明王立像 (平安後期、像高161.8㎝)<br /><br />拝観料 大人500円、小人250円<br /><br />真言宗御室派<br /><br />(ええやん!若狭の國観光スポット若狭おばま観光協会HPより)

    明通寺
    京都の清水寺も創建した坂上田村麻呂公が、大同元年(806)創建したと伝えられています。

     鎌倉時代建立の本堂と総高約22mの三重塔はいずれも国宝です。幾星霜を経て存在する荘厳な佇まいに畏敬の念さえ覚えます。

     また、仏像四体が国指定重要文化財となっています。

    ・木造薬師如来座像 (平安後期、像高144.5㎝)
       平安時代末から鎌倉時代初頭にかけての過渡期的な作風の一例と
      推測されます。寺伝では、平安初頭、勅命をたまわって北陸巡行の
      途にあった坂の上田村麻呂将軍が、霊夢の導きによって、老翁の命
      ずるままに棡の老樹から老翁が掘りだした霊像が、即ち当寺本尊の
      薬師如来、その両側に待立する降三世明王、深沙大将の3体である
      と伝えられています。その度、3度に及ぶ火災によってすべてを焼
      失し、現存する本尊の薬師如来も、その後の造像にかかわるもので
      す。  
    ・木造深沙大将立像 (平安後期、像高256.6㎝)
       国の重要文化財として指定されている深沙大将は、この明通寺を
       含め4体しかありません。(他は京都府舞鶴の金剛院、岐阜県揖
       斐郡の横蔵寺、和歌山県高野山のみ。)
    ・木造降三世明王立像(平安後期、像高252.4㎝)
    ・木造不動明王立像 (平安後期、像高161.8㎝)

    拝観料 大人500円、小人250円

    真言宗御室派

    (ええやん!若狭の國観光スポット若狭おばま観光協会HPより)

  • 本堂 <br />? <br />国宝建造物 <br />正嘉2年(1258)鎌倉時代中期 再建 <br />単層入母屋造 檜皮葺 <br />大正12年解体修理 <br /><br />威風堂々<br />桧皮を葺いた落ち着いた傾斜の屋根をのせた純粋な和様建築で、中世密教寺院の本堂として典型的な五間堂の姿を伝えています。 <br />(ええやん!若狭の國若狭おばま観光協会HPより)

    本堂
    ?
    国宝建造物
    正嘉2年(1258)鎌倉時代中期 再建
    単層入母屋造 檜皮葺
    大正12年解体修理

    威風堂々
    桧皮を葺いた落ち着いた傾斜の屋根をのせた純粋な和様建築で、中世密教寺院の本堂として典型的な五間堂の姿を伝えています。
    (ええやん!若狭の國若狭おばま観光協会HPより)

  • 三重塔 <br />? <br />国宝建造物 <br />文永7年(1270)鎌倉時代中期 再建 <br />三間三層 檜皮葺 総高22.26m <br />昭和32年解体修理 <br /><br />英姿颯爽<br />上層へ行くにしたがって寸法を減らす均衡のとれた構成が優美な姿を造り出し、純和様の三重塔としてより整った美しい姿で知られています。<br />(ええやん!若狭の國若狭おばま観光協会HPより)

    三重塔
    ?
    国宝建造物
    文永7年(1270)鎌倉時代中期 再建
    三間三層 檜皮葺 総高22.26m
    昭和32年解体修理

    英姿颯爽
    上層へ行くにしたがって寸法を減らす均衡のとれた構成が優美な姿を造り出し、純和様の三重塔としてより整った美しい姿で知られています。
    (ええやん!若狭の國若狭おばま観光協会HPより)

  • 延暦のむかし、この山中に一大棡樹(ゆずり木)あり、その下に世人に異なる不思議な老居士が住んでいた。たまたま坂上田村麻呂公、ある夜、霊夢を感じ老居士の命ずるままに天下泰平、諸人安穏のため、大同元年(806)このところに堂塔を創建し、居士また棡の木をきって、薬師如来、降三世明王、深沙大将の3体を彫って安置したと伝う。 <br />?(ええやん!若狭の国若狭おばま観光協会HPより) <br />※蝦夷征討に功のあった征夷大将軍・坂上田村麻呂が若狭国明通寺の開創に願ったことは、それは戦勝祈願ではなく「多年征戮するところの狐魂窮鬼を救う(長年戦ってきた蝦夷たちの浮かばれない魂を弔う)」ためとされています。 <br />?

    延暦のむかし、この山中に一大棡樹(ゆずり木)あり、その下に世人に異なる不思議な老居士が住んでいた。たまたま坂上田村麻呂公、ある夜、霊夢を感じ老居士の命ずるままに天下泰平、諸人安穏のため、大同元年(806)このところに堂塔を創建し、居士また棡の木をきって、薬師如来、降三世明王、深沙大将の3体を彫って安置したと伝う。
    ?(ええやん!若狭の国若狭おばま観光協会HPより)
    ※蝦夷征討に功のあった征夷大将軍・坂上田村麻呂が若狭国明通寺の開創に願ったことは、それは戦勝祈願ではなく「多年征戮するところの狐魂窮鬼を救う(長年戦ってきた蝦夷たちの浮かばれない魂を弔う)」ためとされています。
    ?

  • 道の駅若狭おばまで買った小鯛ささ漬1080円、梅干400g500円

    道の駅若狭おばまで買った小鯛ささ漬1080円、梅干400g500円

  • 羽二重餅8個よもぎ詰合せ486円

    羽二重餅8個よもぎ詰合せ486円

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