2015/05/01 - 2015/05/06
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アントニオさん
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ソビエト時代には何度も訪れたウズベキスタンですが、ソビエト崩壊後に独立したウズベキスタンの今の状況が見たくて訪問してみました。特にシルクロード時代に栄えたサマルカンド・ブハラが楽しみです。マルコポーロの気分になって行ってきました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- 大韓航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
[2015/5/1]
飛行機は19:18にタシケント空港・ターミナル2に到着。
日本・韓国と時差は4時間あります。
タシケント国際空港・ターミナル2は、長方形を横にした形で、左右からカニの手のようにブリッジが延びている感じでした。ブリッジを通ってターミナル内へ。 -
[2015/5/1]
長い通路を歩いていき、ターミナルの中央辺りに来ると階段で1階へ下りていきました。
空港の見取り図は、こちらを参照。
https://www.uzairways.com/en/flights/international-airport-tashkent -
[2015/5/1]
階段を下りると、すぐ入国審査場です。ま~この場所が狭いこと狭いこと。通常のコンビニの店内に100人以上が押し寄せるって感じです。もちろん入れない人も出てきますので、審査場の入口の前にある椅子に座ったり、すぐ脇にあるトイレに行ったりしてひたすら待ちます。
入口を入ると、すぐ左手に小さなサーモグラフィーの器械を設置した机がありましたが、誰もいませんでした。検疫の態勢には疑問があります。 -
[2015/5/1]
審査場の列が半分以上減ったので中に入って待つと、右手側の壁際に両替場を発見。両替できることを確認し、とりあえず50ドルをお願いした。その瞬間、窓口の女性は「そんなに替えるのか!」と言いながら不機嫌な顔をしていた。 -
[2015/5/1]
窓口には1ドル=2523Cym(スム)と表示されていた。
渡された両替証明書と紙幣が、こんな感じです。
全部で127650スムです。ウズベキスタンでは1番の高額紙幣が1000スムだから、50ドル両替しても127枚の 1000スムが着ちゃうんだよね~!日本で言う100万円札の束と同じになります。最初は100ドル両替しようと思ったけど、50ドルにして良かった~! -
[2015/5/1]
さ~これから入国手続きです。ここではウズベキスタン・ビザの付いた旅券を提示するだけでした。特に指紋認証やカメラの登録などは一切ありませんでした。 -
[2015/5/1]
旅券に押されたスタンプ。写真は出国後に撮影したので入国スタンプと出国スタンプの両方があります。 -
[2015/5/1]
入国後、右手側へ。前方には細長いホールがあり、右手側の壁際には荷物のターンベルトがあります。 -
[2015/5/1]
ホールの真ん中では小さな丸テーブル3つ程あり、ウズベキスタン人がロシア語の税関申告書を書いていました。大韓航空の機内では英語版が多く配られたため、記入に苦労していたウズベク人が多かったです。帰路の機内で、ロシア語版の韓国入国カードと税関申告書がないか尋ねていたウズベク人もいましたからね。公用語はロシア語なのはわかるけど、これから日本や欧米とビジネスをするなら学校教育で英語も必要なんじゃないかな~と思いました。 -
[2015/5/1]
税関申告書の記入が終わると、ホールの左手側にある税関へ。 -
[2015/5/1]
税関で審査を受けている人がいるのに、次の人が何やら荷物を置き始めていた。何しているんだろうと思っていたら -
[2015/5/1]
税関のカウンターの下部はⅩ線検査装置が内臓していて、ターンベルトに荷物を置いていたんですね。面白かったです。
日本の税関にもあったらいいかも。(金の密輸の摘発に!) -
[2015/5/1]
カウンターで旅券と税関申告書を2枚渡しました。
税関のカウンターにも入国カウンターのような旅券のバーコードを読み取る装置があり、まず身分照会のチェック。次に税関申告書のチェックをして、問題がなければ1枚を回収し、もう1枚にはサインとスタンプをして旅券と一緒に返してくれました。最後にカウンターの手前に置いたリュックをⅩ線に通していました。 -
[2015/5/1]
僕は特に何も言われなかったので、Ⅹ線から出てきたリュックを受け取り、通関して左手へ歩いていきました。 -
[2015/5/1]
次は広いホールになっていていました。多分、以前なら出迎えの人がいた場所だと思います。出口とは反対側の壁に両替所がありました。でも閉まっていました。よかった~先に両替しといて。今度は両替所を背にして反対側を見ると、 -
[2015/5/1]
出口です。ここを恐る恐る出て行くと、 -
[2015/5/1] (写真はイメージです)
空港前の敷地は芝生が敷き詰められていました。出口から続く歩道に沿って歩いていくと出迎えの人達がいる場所に合流します。出迎えの人達がいる場所には鉄製のフェンスがあり、ここを抜けて空港の敷地へ入っていけないことになっています。
フェンスと平行してアーケードのような屋根が左右に延びていました。 -
[2015/5/1] (写真はイメージです)
写真は出迎えの人達がいる場所から、空港から出てきている人を見ています。そうこうしているとハイエナのようなタクシーの運ちゃんがやってきました。「どこまで行くの?」と尋ねてきました。「ウズベキスタンホテルまでいくら?」と聞き返すと、「10ドルだ!」と言ってきました。「高い~!」と言って無視していると、また違う運ちゃんが次から次からやってくる。出迎えの人がいるアーケードの反対側にはタクシー乗り場、さらに反対側には駐車場があります。 -
[2015/5/1] (写真はイメージです)
西側のようにタクシーが1列に並んで次々とお客さんを乗せて出発と言う感じじゃないです。タクシー運ちゃんが個々にお客さんと交渉する感じで、も~大変。何が大変かと言うと、どの運ちゃんも胡散臭いからです。「俺は5ドルでOKだよ。」と言ってきたドライバーに付いていくと、駐車場にあった白タクだったり。両替を迫ってきたりする。例えば、「1ドル4000ソムで両替してやるし、両替してくれたらホテルまで無料にしてやるよ!」って言ってくる。「も~空港で両替しちゃったから5ドルでホテルまで行ってよ!」と返事をすると、 -
[2015/5/1] (写真はイメージです)
タクシーに乗っているのに乗車を断られてしまうことも。特に30分近く僕に付いてきた運ちゃん2人組には参った。こいつらは絶対車内で豹変しそうだと思い、逃げ回っていたら、違うタクシーの運ちゃんが声をかけてきたので、5ドルで行ってくれるか確認してすぐお願いしてタクシーに乗った。それに屋根の上には黄色のタクシーのマークがあったから。しかしこのタクシーの運ちゃんも、しきりに「1ドル4000スムで両替するよ!」って言ってたな~。あと嫌だな~と思ったのは、必ず運ちゃんの隣に運ちゃん仲間が座っていることだった。ホテルへ行く途中で襲われるんじゃないかと冷や冷やしました。 -
[2015/5/1]
21:20に空港を出発。市内を走っていると、ソビエト時代と明らかに雰囲気が違い、道路も良く整備され、町並みも西側っぽくなったたみたいです。 -
[2015/5/1] (写真はイメージです)
10分程して車窓右手側にライトアップした国際会議場が見えたな~と思ったら -
[2015/5/1] (写真はイメージです)
すぐウズベキスタンホテルです。21:32にホテル到着。いや~懐かしい。このホテルに来たのはソビエト時代以来ですからね。外観はそれほど変わりないかも。タクシーの運ちゃんに5ドルを払い、階段を少し上がってホテル前へ。 -
[2015/5/1]
入口はこんな感じです。入口の真中は回転ドアになっています。面倒くさいから、右手側から入る人が多いです。入ってすぐ右手にはホテルのポーターやセキュリティーがたむろしています。 -
[2015/5/1] (写真はイメージです)
ホールへ入り、右手側の奥にフロントがあります。
フロント手前にはソファーがたくさんあります。 -
[2015/5/1]
フロントで、旅券と(株)プロコ・エアサービスさんから送ってもらったホテルバウチャーを渡すと、すぐ旅券を開いてコンピューターで予約のチェックをし、確認が済むとホテルバウチャーはそのまま返してきました。旅券は滞在登録(レギストラーツィア)のためフロントが預かる形になりました。 -
[2015/5/1]
こちらがホテル・カードです。カードの裏側には部屋の鍵がありました。部屋へ行く際に、フロントで明日の朝食はどうするか尋ねられた。「明日は早朝便でブハラへ向かうため朝6:00にはチェックアウトするけど。」と答えると、「朝早くでも朝食取れるよ!」とフロントが言うので、朝5:30に朝食をお願いした。 -
[2015/5/1]
実は(株)プロコ・エアサービスさんで予約してもらったブハラ行きのウズベキスタン航空1339便・タシケント発11:25が日本出発前にウズベキスタン航空1321便・タシケント発07:30にスケジュールが変更されたことをプロコさんから連絡受けたんですよね。朝食をあきらめていたのでラッキー~♪ -
[2015/5/1]
ホテルの入口を入ると、すぐ前方に「BALL ROOM 」(宴会場)の入口があります。 -
[2015/5/1]
BALL ROOM 」(宴会場)の入口の左右にはエレベーターが2基づつあります。 -
[2015/5/1]
右手側のエレベーターの右手側には「CAFE BAR」がありました。パンやミネラルウォーターを買って部屋へ持ち帰ることもできます。ミネラルウォーターにはガス入りとガス無しがあるので注意!「CAFE BAR」の奥にトイレがありますが、手前にお土産品を扱う売店やATMなどがあります。 -
[2015/5/1]
「BALL ROOM 」(宴会場)の左手のエレベーターの左手奥まった所に両替所がありました。 -
[2015/5/1]
ソビエト時代には、エレベーターで上の階へ上がると、フロアー担当の鍵番のおばちゃんがいたり、サロンがあったりしたけど閉まってました。直接部屋へ。 -
[2015/5/1]
カードを差し込んで部屋を開け、すぐ壁際にはカードを差し込む場所がありました。 -
[2015/5/1]
シングルの部屋は狭いけど、コンパクトに整っている感じでした。 -
[2015/5/1]
こちらが洗面台とトイレ。 -
[2015/5/1]
洗面台の横にはシャワー室がありました。お湯もちゃんと出ました。 -
[2015/5/2]
こちらは部屋のベランダから見るタシケントの朝です。朝5:00過ぎで、反対の建物は「レ・グランド・プラザ」ホテルです。
タシケントの町は山に囲まれているみたいで、以外と朝は涼しかったです。 -
[2015/5/2]
5:30に1階のロビーへ下りていき、フロントで食堂がどこか尋ねると、宴会所の中へ入っていくように言われた。 -
[2015/5/2]
通常は07:00~10:00に開く朝食会場です。そのため火をかけて作る料理以外が並んでいるようです。
でもトースト、ハム・サラミ・トマト・コーンフレークスやジュース・コーヒー・紅茶などがありました。も~十分満足できる朝食が取れました。 -
[2015/5/2]
朝食後に部屋に戻り、荷物の整理。そして1階のフロントへ。
フロントで鍵とカードを返却し、旅券を返してもらう。
その際にフロントの女性は、宿泊している日本人の旅券の束を僕に渡してきた。心の中で「あ~雑だな~」と思ったけど、 -
[2015/5/2]
裏を返せば日本人に対する信用だと思い、丁寧に僕の旅券を抜き取り、顔写真のあるページを開いて見せて確認させ、残りの旅券を返した。写真は旅券と、挟んであった滞在登録(レギストラーツィア)の証明書です。 -
[2015/5/2]
次にタシケントに戻ってきた時は違うホテルに泊まる予定のため記念の写真を1枚。 -
[2015/5/2]
階段を下りたところにタクシーが駐車していました。
空港までいくらと?尋ねると、「10ドル!」と返ってきました。「高いよ~!すぐ空港へ向かうから5ドルにしてよ。」とお願いして5ドルにさせた。
06:20にホテルを出発。 -
[2015/5/2]
こちらは地下鉄の入口です。階段を下りてタクシーを前にし、右手を見ると入口です。早朝でも警察が入口の脇で警備していますから写真には注意してください。
こちらは地下鉄で鉄道駅へ行って、サマルカンド・ブハラ方面の列車に乗る時に便利だと思います。 -
[2015/5/2]
06:33に第3ターミナルに到着。フェンスの前に広い芝地があり、そしてロータリーがあります。タクシーは正面左寄りで下ろしてくれた。ここから空港へ通じる歩道を歩いていくことに。国際線のターミナルみたいに、タクシーはフェンス前までいけません。 -
[2015/5/2]
フェンスまで来ると、白い建物のチェックポイントがあり、そこでチケットや身分証明書をチェックしていました。
僕はチェックポイントを通らず、そのままフェンス沿いを歩いていきました。 -
[2015/5/2]
今度は右手側から空港を見てみました。わかったことは右手側の先に駐車場があり、路線バスのようなバスが駐車していました。フェンスから空港内へ入るチェックポイントは左右2ヶ所あり、写真から見えるチェックポイントは右手にあるチェックポイントです。一般の乗客は左手側にあるチェックポイントを通ります。 -
[2015/5/2]
チェックポイントで旅券とチケットのチェックを受け、空港の入口へ。 -
[2015/5/2]
入口を入ると、すぐセキュリティーチェックです。
手荷物はⅩ線検査へ、人は金属探知機のゲートをくぐります。 -
[2015/5/2]
入口の反対側にチェックインカウンターがありました。
国内線の便数が少ない関係か、それほど混雑はありませんでした。カウンターで旅券とチケットを提出すると、係員は旅券から予約のチェックをしていて、チケットを見ることはなかったですね。 -
[2015/5/2]
こちらが頂いた搭乗券です。座席が窓際だったので通路側に変更してもらいました。 -
[2015/5/2]
チェックインカウンターを正面にすると、右手側に出発ホールへの入口があります。この入口の手前には待合席がいくつか並んでいました。
出発の時間が近づくと、係員が「ブハラ~ブハラ~」と声を掛けます。入口を入り、左手へ行くと -
[2015/5/2]
旅券(身分証明書)と搭乗券のチェックポイントがあります。
チェックが済むと、搭乗券にスタンプが押されます。 -
[2015/5/2]
そして、すぐセキュリティーチェックです。
手荷物はX線検査へ。人は金属探知機のゲートをくぐります。
しかし今さっき入口で受けたセキュリティーチェックは何だったんでしょう? -
[2015/5/2]
ゲートは1ヶ所のみ利用していました。乗客がどんどん搭乗券のチェックを受けてバスへ乗っていくので、急いでいったらフェルガナ行きのお客さんでした。
僕以外のブハラ行きのお客さんは困惑していましたね。「ブハラ~ブハラ~」と急かされてきたのに違っていた。ほとんどの人は搭乗口の回りにいました。 -
[2015/5/2]
しばらくすると音もなく搭乗手続き開始に。僕は係員に「ブハラ?」と尋ねると、係員は「ブハラ!」と返事した。このやり取りで僕は確信しました。またタシケントに戻り、日本へ向かうまでは、絶えずアンテナを張り、自分のほうから進んでいかないと途方にくれてしまう!特に今回のように短期間の旅行では。 -
[2015/5/2]
バスに乗って飛行機へ。目の前にあるのはIL(イリューシン)140-100でした。いや~久しぶり。機内は2列/2列の座席配列でした。座席番号は頭上になく、座席の裏側にあります。座席は 13列あるので全部で52人乗りです。でも半分しか乗客はおらず。やっぱり当初予定の機体とスケジュールが変更になるはず。ソビエト時代と同様、現在も国営航空1社で運行されていますからね。採算が合わないと減便したり機種を変えたり出発時間を変えたりできますから。 -
[2015/5/2]
内装は良い感じでした。ソビエト時代は空軍の輸送機のような飛行機ばっかりでしたからね~、以前の国内線は。
今は、薄いカーペットが床に引かれ、座席は綺麗な青色の生地でカバーされていました。やっぱりIL(イリューシン)だな~と実感させられたのは、ブハラに到着した瞬間、人がいない座席がバタバタと前に倒れたことですね。(昔と同じ。)
飛行中はドリンクのサービスがありました。 -
[2015/5/2]
タシケントを07:38に出発し、08:53にブハラに到着。やっぱりプロペラ機と言へど早いな~と思いました。小さなタラップを下りると前方にはブハラ空港の建物が! -
[2015/5/2]
この後、乗客は右手の方へ歩いていき -
[2015/5/2]
建物の右端の入口から空港内へ。 -
[2015/5/2]
入ると、すぐ入国審査カウンターがありました。ここは国際線の便も到着するみたいです。今日は国内線で来ているので、ここは素通りでした。 -
[2015/5/2]
カウンターの反対には荷物受け取りのターンベルトがあり、
左手へ歩いていくと、すぐ税関のⅩ線検査台がありましたが、そこも素通りして -
[2015/5/2]
建物の外へ。簡単でコンパクトな空港でした。
ブハラ空港から国際線を利用する乗客のほとんどが、ロシア諸都市(モスクワ等)への出稼ぎ労働又は親類訪問だそうです。
http://www2.jica.go.jp/ja/evaluation/pdf/2008_UZB-P3_5_f.pdf#search='%E3%82%A6%E3%82%BA%E3%83%99%E3%82%AD%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%2C%E3%83%96%E3%83%8F%E3%83%A9%E7%A9%BA%E6%B8%AF' -
[2015/5/2] (写真はイメージです)
出口から少し前に出て左手を見ると空港は、こんな感じです。
タシケントの第3ターミナルといい、同じような色合いの建物って感じです。 -
[2015/5/2]
空港の前にフェンスがあり、フェンス沿いに右手へ歩いていくとチェックポイントです。も~出口でタクシーの運ちゃんが待っていました。チェックポイントを出て左手へ歩いていくと、歩道が空港前の通りに続いていました。途中、白い屋根付のバス停みたいなのがありましたが、マルシュルートカ乗り場なのか出迎えの人達のベンチなのか定かではなかったです。ここでなければ駐車場の脇か、空港前の通りの脇で100番のマルシュルートカが乗れるはず。 -
[2015/5/2] (写真はイメージです)
歩道を歩きながら左手後方を見るとこんな感じ。空港前の敷地は公園のようになっている感じです。 -
[2015/5/2]
も~運ちゃん達がうるさくて大変。歩道の右手側に駐車場があり、僕は一人指名して車まで案内させた。白タクだけど車種は日産でした。珍しい!!現在、ウズベキスタンでは「GMウズベキスタン」が生産するシボレーブランド車が多く走っていて、たまにロシア製のボルガやモスコヴィッチを見かけますが、日本車・韓国車を見るのはまれですね。ドイツ車は皆無!カザフスタンやキルギスでは日本車がたくさん走っているはずなのに。不思議です!09:12に空港を出発。
運ちゃんに尋ねると、日産の車は3万ドル位したそうです。 -
[2015/5/2]
だいたいシボレー「MATIZ」タイプが100万円で、「LACETTI」タイプが200万円だから結構いくかも。明日は列車でサマルカンドへ向かうため、運ちゃんに駅へ行ってもらいました。路線バスで市内へ行き、それから駅へ向かうのは面倒なため。運ちゃんに5ドル払うけど、ソムだったらいくら?と尋ねると、「20000ソム」って返事が。あれっ!計算が違うと思ったけど、すぐ運ちゃん達は1ドル=4000ソムで計算していることに気づいた。
http://www.olx.uz/en/search?source=all&query=Chevrolet -
[2015/5/2]
つまり正規の両替をしたソムで払えば払うほど損をすることになるので、これからは市中で闇レートの両替をするしかない。
9:27頃に駅に到着。駅は帝政ロシア時代に創られた外観をしていました。 -
[2015/5/2]
タクシーは駅の手前で止まりました。さ~ここから駅へ歩いていこうとしたら、運ちゃんが正面のチェックポイントへ向かわず、斜め左手方向へ歩いていった。 -
[2015/5/2]
駅の左側に、このような白い建物があった。中へ入ってみると -
[2015/5/2]
このような窓口が3つあった。
ここで思ったことは、事前に日本で列車時刻を調べておくと便利だと思いました。
http://www.orexca.com/uzb_rail.shtml
http://uztima.web.fc2.com/timetable.pdf
http://www.advantour.com/uzbekistan/trains.htm
https://rasp.yandex.ru/search/train/?toName=%D0%A1%D0%B0%D0%BC%D0%B0%D1%80%D0%BA%D0%B0%D0%BD%D0%B4&fromName=%D0%A2%D0%B0%D1%88%D0%BA%D0%B5%D0%BD%D1%82 -
[2015/5/2]
窓口の脇の壁にある時刻表は、全然わかりにくいです。
基本的にはロシア語で切符を購入することになりますが、ほ~んの少し英語が通じるかも。事前にメモ用紙に書いておくと良いかも。①日付、②列車番号、③ブハラ/サマルカンド、④出発時間 など。(もちろん英語で!)
また注意して欲しいのは、窓口で旅券の提示を求められます。発券後に券面を見たら名前が印刷されていました。
支払いは46000ソムでした。ここで僕がタクシーなどにドル払いにこだわったかわかります。公共機関の支払いにはドル払いはできないんですよね。 -
[2015/5/2]
こちらが切符です。真中から8行ほどの印刷があります。ここで重要なのは2ヶ所です。1行目の左端から①列車番号、②日付、③発車時間、④車両番号と、3行目の左端に「MECTA」(座席番号)と番号が印刷されています。これだけ確認できれば、まず十分です。
09:40に駅を出発。タクシーは駅を背にして西へ向かっていった。まるで駅とブハラ市内は1本の国道で繫がっている感じでした。 -
[2015/5/2]
地球の歩き方の地図によると、タクシーは町の東側から「バハウッディン・ナクシュバンディ」通りへ入り、ニュームーン・ホテルの前でUターンした。僕はアルク城の前にある「キャラバン・ホテル」へ行けるか尋ねると、旧市街の反対側だから駄目と言われた。確かに、他にもタクシーが客待ちしていたので、このあたりは運ちゃん達の拠点みたいでした。だいたい20分ほどで駅から到着。空港/駅で5ドル、駅/ブハラで10ドル支払いました。 -
[2015/5/2]
回りにも中級ホテルがありましたが、ニュームーン・ホテルは
(株)プロコ・エアサービスさんのHPでも紹介されていたので、こちらを利用することに決めました。昔からあるホテルですが、地球の歩き方ではチャイハナのマークが付いているところです。2013年に改装を済ませた小型ホテルです。ロケーションは、ラビハウズの北側と南側の道が東で交差する所にあります。 -
[2015/5/2]
入口はいつも閉まっているので勝手に入っていくと、右手側にフロントがありました。朝10時過ぎだったけど、ホテルに1泊したいと言うと、2階へ上がって部屋を見せてくれた。僕が「ここでお願いします。」と言うと、またフロントに戻り、それから旅券を渡すことに。料金は1泊35ドル(朝食込み)でした。 -
[2015/5/2]
2階の部屋のドアは全部中庭に面しています。 -
[2015/5/2]
お部屋は壁がきれいだし、ベットカバーもいい感じです。 -
[2015/5/2]
こちらがトイレ・シャワー室です。若干水圧が弱いかな~と思えるけど、お湯も出るし十分でした。 -
[2015/5/2]
部屋の前の廊下から中庭の写真を撮って見ました。ここは宿泊客だけの空間で、部屋でも中庭でもくつろげそうです。 -
[2015/5/2] (写真はイメージです)
さ~これからブハラの散策です。ホテルを出て、ラビハウズの北側へ行く道を歩いていくと、すぐクカリダシュ・メドレセです。80m×60mの広さを持ち、ブハラでもっとも大きなメドレセです。メドレセとはモスクではなく、神学校です。160のフジュラ(学生宿舎)があるそうです。 -
[2015/5/2]
ラビハウズの東側は公園のようになっていて、木々が生い茂っています。この公園の東側にはナディール・ディヴァンベギ・メドレセがあります。1622年に、大臣であったナディール・ディヴァンベギによって建てられた神学校です。特徴として、イスラムの教義に反する顔が描かれていることですね。正面入口の上には鮮やかなタイルで、2羽の鳳凰が爪で白いシカをつかんで、太陽に向かって飛んでいますが、太陽の真ん中にはには顔が描かれています。ここは夜19:00からコンサートが行われていました。 -
[2015/5/2]
ナディール・ディヴァンベギ・メドレセのコンサートの様子 http://blog.goo.ne.jp/roko-almaty/e/f73236e1e1a3df61e12c39a753ab14d5 こちらはフッジャ・ナスレッディンの像です。ロバにまたがって手を挙げ、ふざけているような男性ですが、彼にまつわるとんち話が多くあり、本にもなっています。本当は神学者だったそうで、ユーモアに富んだ授業をして学生に好かれていたそうです。いつも子供達が集まっていました。人気者~! -
[2015/5/2]
オアシスの池であるラビハウズの周りにはチャイハナやアイスクリームの露店などがありました。池の南側にはラクダのモニュメントが並んでいました。池の周りには水道管が張り巡らされていて、暑い昼下がりの15:00~16:00頃に噴水が上がっていました。 -
[2015/5/2]
こちらはラビハウズの西側にあり、1619年に建てられたナディール・ディヴァンベギ・ハナカです。ハナカは巡礼宿という意味です。これを踏まえると、東側にあるナディール・ディヴァンベギ・メドレセは当初キャラバンサライとして建て始めていたのは納得。でもハーン(君主)が「素晴らしいメドレセ」と賞賛したのでメドレセにしたらしいとのこと。また、鳳凰(フェニックス)はウズベキスタンの国章にも描かれている鳥なので、この地の人たちには伝統的な絵柄といえるのかも。 -
[2015/5/2]
古い伝説によると、アブドゥールアジズ・ハーンの大臣ナディール・ディヴァンベギは、ここに住んでいたユダヤ人女性に土地を売ってくれるように頼みましたが、女性は頑として断りました。そこで大臣は彼女の 家の下に運河を通し、家を流してしまったので、彼女は土地を手放さざるを得ませんでした。そのため、このハウズは「力ずくのハウズ」と呼ばれていたといいます。 -
[2015/5/2] (写真はイメージです)
次にバザールのあるタキ・サラファンへ。
ラビハウズの南側にある水路沿いの道を西へ向かいます。ちなみに、この道を東へ行けばニュームーン・ホテルの前に行きます。この通りは歩行者天国のようになっていて車が通ることはなかったですね。 -
[2015/5/2] (写真はイメージです)
タキ・サラフォンへ近づくに従って、通りの左手は商店街のようになっていました。ミネラルウォーターや食料が手に入るミニ・マーケット、ファーストフード店や軽食堂などがありました。ここで偶然発見したのが闇両替のおじちゃん!店内が薬局になっているような店頭で絵葉書や小物を売っていた。僕が店頭の前を通りかかると、「両替しないか?」と声をかけてきました。僕は1ドルいくら?と尋ねると、1ドル=4000ソムと返事してきた。僕は20ドルだけどOK ?と言うと、おじちゃんはOKしてくれた。 -
[2015/5/2]
今日はサマルカンド行きの切符を買ったら一気に札束が半分になっていたし、明日サマルカンド駅に着いたらタシケント行きの切符を買わなければならないから、どっかで両替しなければな~と思っていた。駅の窓口の近くや、市内の散策中に西側で見る両替所っていうのは全然みかけないです。僕は20ドル紙幣を渡すと、「何てこった~!」5000ソム紙幣16枚を渡してきた。最初は騙されているんじゃないかと思い、ミニ・マーケットでアイスクリームを試しに買ってみました。問題なし!調べてみると2013年7月1日から流通し始めていた。 -
[2015/5/2]
こちらがタキ・サラフォンです。タキとは交差点を丸屋根で覆ったバザールで、関所の役割もあったそうです。
16世紀当初のタキは専門店的要素が強く、珍しく高価な宝石、いろいろな材質や模様の帽子、外貨や金の売買のため人々が各地から集まってきたそうです。 -
[2015/5/2]
このタキ・サラフォンは両替屋が並んでいたところ。
ソビエト時代には、いつ行っても「~があったところ。」で説明が終わり、タキでバザールを一度も見たことがなかったです。でも今では昔の商人達が活動していた伝統的な場所で商売している様をみると、昔のような雰囲気と活気が戻っているのかなと思えます。やっぱり彼らはシルクロードの民の子孫ですね。残念ながら、今はではどのタキに行ってもお土産屋さんばかりですけど。 -
[2015/5/2]
丸屋根を下から見ているところ。外光を取り入れるため、窓がたくさんあるのがわかります。 -
[2015/5/2] (写真はイメージです)
タキ・サラフォンから北へ行くと、前方にマゴキ・アッタリ・モスクが見えます。1936年にロシアの考古学者シシュキンによって砂から掘り出され、マゴキは「穴の中」という意味で、モスクは周囲から低いところにあり。アッタリは「薬草」のことで、6世紀まで仏教寺院があり、その後アラブに支配されるまで、この辺りはバザールで、薬草が売られていました。アラブの支配後にムスリエの商人のために、ここにモスクが建てられたそうです。このモスクは再建されてますが、ここの創建は9世紀にさかのぼるそうです。現在は絨緞博物館です。 -
[2015/5/2] (写真はイメージです)
マゴキ・アッタリ・モスクの脇を通って行くと、前方には4つ星のアジア・ブハラ ホテルが見ます。ホテルの前の通りを左手へ行くと -
[2015/5/2]
タキ・テルパクフルシャンが見えます。昔は帽子市場があったところです。観光的には、ここが一番お土産屋が集中するタキかも。 -
[2015/5/2]
入口を入っていくと、丸屋根の下の辺りは広いホールになっています。 -
[2015/5/2]
その周りには工房になっている部屋があり、部屋の前に売り物が並んでいる感じです。こちらでも「両替しないか?」って声をかけられましたよ。 -
[2015/5/2]
ここは北側の回廊に沿って店が並んでいました。 -
[2015/5/2]
刺繍された衣類やカーペットなども売られていました。 -
[2015/5/2]
タキを出た後も、通りの両側には店が並んでいました。 -
[2015/5/2] (写真はイメージです)
昔のタキ・テルパクフルシャンは、このような皮製の帽子が所狭しと並んでいたんでしょうね。 -
[2015/5/2]
さらに通りを歩いていくと -
[2015/5/2]
前方にタキ・ザルガロンが見えてきます。昔は宝石商市場があったところです。 -
[2015/5/2]
まずタキ・ザルガロンに入らず、右手側へ行くと、中央アジア最古の新学校のウルグベク・メドレセです。1418年に建てられ、各所に残る植物や星・幾何学模様の装飾が特徴的です。ウルグベクゆかりの建築は、ブハラ市内ではここだけです。メドレセの扉にはウルグベクの格言「知識欲こそ、ムスリエになくてはならぬもの」が彫られています。 -
[2015/5/2] (写真はイメージです)
ウルグベク・メドレセの反対側にはアブドゥールアジス・ハン・メドレセがあります。ウルグベク・メドレセが建てられてから200年以上も後に建てられた神学校です。装飾にはインドやオスマントルコの影響が見られ、イスラム建築の変化が垣間見られます。 -
[2015/5/2]
またタキ・ザルガロンに戻り、中へ入っていくと、少し薄暗いし、それにお店も少なく活気がない感じだったです。 -
[2015/5/2] (写真はイメージです)
タキ・ザルガロンから西へ抜けていくと、ミル・アラブ・メドレセの北側の壁沿いには露店が出ていました。何だかタキ・ザルガロンより活気があるみたい。 -
[2015/5/2]
カラーン・ミナレットのある広場にやってきました。 -
[2015/5/2]
カラーン・ミナレットとつながっているのがカラーン・モスクです。 -
[2015/5/2]
現在のモスクは1514年、シャイバニ朝時代に建てられた大きなモスクです。サマルカンドのビビハヌイム・モスクに匹敵し、広さは約1ヘクタールで、1万人の信者が礼拝できたそうです。ソビエト時代には倉庫となっていましたが、独立後に再び礼拝所として再開されたそうです。 -
[2015/5/2]
カラーン・ミナレットは写真を撮るのが難しく、東側の民家がある辺りから撮るのがベストです。カラーン・ミナレットはブハラのシンボルで、露店でも陶器で作られたミナレットが売られています。カラーンとはタジク語で「大きい」という意味です。1127年にカラ・ハン朝のアルスラン・ハンによって建てられた約46mの塔です。塔の基底部の直径は9m、土台部分が地下に10mもぐっています。このミナレットは町中が崩壊した大地震にも耐え、チンギス・ハーンにも敬意を払わせたことから、数多くの伝説が残っています。 -
[2015/5/2]
巨大なアーチの両側にふたつの青いドームを持っているのがミル・アラブ・メドレセです。1536年にウバイドゥッラー・ハンが3000人以上のペルシャ人奴隷を売った資金で建てたメドレセで、青と白のモザイクタイルからなる植物模様と文字模様を組み合わせた装飾は、典型的な末期ティムール様式とのこと。
1階はおもに講義を行う部屋や図書館・食堂などの小部屋、2階が寄宿舎になっています。ソ連時代には、ブハラにあったほとんどの宗教関係の施設は閉鎖されましたが、ミル・アラブ・マドラサだけは開校することを認められたそうです。 -
[2015/5/2] (写真はイメージです)
カラーン・モスクからフッジャ・ヌラバッド通りを西へ歩いていくと、通りの両側は、このようなアーケードのある商店街になります。 -
[2015/5/2] (写真はイメージです)
こちらは通りの途中にある絨毯バザールの入口です。
入って右手側へ行くと、タキ・ザルガロンで見ることのなかった貴金属の売店がありました。 -
[2015/5/2]
フッジャ・ヌラバッド通りを抜けると、前方にアルク城が見えてきます。昨年、パキスタンのペシャワールで見た「バラ・ヒサール・フォート」に似ているな~と思いました。城塞沿いに歩いて行き、右手へ曲がって行くとると -
[2015/5/2]
レギスタン広場とアルク城の入口が見えてきます。
広場にある木陰にラクダがいました。中東で見かけるラクダと違って、こちらのラクダは中央アジア原産のフタコブラクダ(二瘤駱駝)です。 -
[2015/5/2]
アルク城の反対側には、ブハラ・ハン専用のモスクであるバラハウズ・モスクがあります。1712年に建てられたモスクで、祝いの日にハンはアルク城をでて、絨毯の上を歩いてここまで来たといわれています。前面に彫刻されたクルミの柱が20本並んだテラス状の空間があり、軒(のき)の正面や天井は赤、緑などカラフルに塗り上げられています。ブハラではほかには見られないアイヴァンと呼ばれる建築様式とのこと。モスクの前にはハウズと呼ばれる池や、祈りを呼びかける20世紀に造られた低いミナレットがあります。 -
[2015/5/2]
今日、最後の観光スポットアルク城へ。坂を上がるとすぐ左手側切符売り場がありました。 -
[2015/5/2]
下の紫色の切符は入場券で6000スムでした。
上のオレンジ色の切符はカメラ券で3000スムでした。
実際、入場券だけで入っている人が多く、カメラ券は買っても無駄かも。 -
[2015/5/2]
坂を上がっていくと、すぐ左手に監獄があり、中には囚人としての人形が置かれたいました。 -
[2015/5/2]
監獄、お土産屋など見てから、すぐ前方にジャミー・モスクがあります。こちらもバラハウス・モスクのように彫刻された柱が特徴的でした。 -
[2015/5/2]
さらにゆるやかな坂を行くと、左手に謁見の間がありました。 -
[2015/5/2]
通路を挟んで右手側には音楽隊駐在所があります。写真は城の入口の上部にある建物を裏手側から見ています。 -
[2015/5/2]
最後はハンの居室があった建物にきます。お客さんが多く行くのは、この2階にある「Ancient & Medival History of Bukhara oasis」(中世歴史博物館)です。 -
[2015/5/2]
館内には中世から今に伝わる伝統的な手作業による工芸品の展示があります。 -
[2015/5/2]
3階には「The History of Bukhara Emirares」(ブハラ汗国の歴史)があります。 -
[2015/5/2]
特にコインのコレクションは見ものかも。 -
[2015/5/2]
これで観光は終了~。ホテルへ戻ろうとする時、新婚のカップルが記念写真を撮っていました。「お幸せにね~!!」 -
[2015/5/2]
写真はアルク城側から旧市街を見ているところです。 -
[2015/5/2] (写真はイメージです)
カラーン・モスクのドームを見ながらフッジャ・ヌラバッド通りを歩いていくと -
[2015/5/2] (写真はイメージです)
モスクの北側の通りには、たくさんの露店が出ていました。
写真は陶器でできた人形やカラーン・ミナレットです。 -
[2015/5/2] (写真はイメージです)
たくさんの陶器の皿が売られていました。 -
[2015/5/2]
観光を終えてホテルで仮眠をしていると、いや~爆睡爆睡です。20時過ぎに目が覚め、19時にナディール・ディヴァンベギ・メドレセで行われるコンサートを見に行こうと思っていましたが残念でした。しかたがないので夜の散策へ。だいたいラビハウズからタキ・サラフォンを経てタキ・テルパクフルシャンまで旅行者が多くいました。 -
[2015/5/2]
タキ・サラフォンを出てラビハウズへ向かっていくと -
[2015/5/2]
すぐ右手には、昼間に見た食堂の看板があったので、ここで夕食を取ることに。 -
[2015/5/2]
これが食堂の入口。「K」の文字は奥の壁に書かれています。
中に入ると、食堂のおばちゃん達が食事をしていた。食事ができることを確認し、「何があるの?」と尋ねると、おばちゃんの一人が僕をキチンに連れて行った。フライパンにある物を指して、「これならあるよ。」と言ってきた。「じゃ~それを一つ!」と言って店の席に着いた。 -
[2015/5/2]
温めて出されたのがチキン・ポロフでした。こちらではピラフと言わず、ポロフと言います。ご飯の味付けも日本人に合うと思います。チキンピラフは10000ソム、コーラは4000ソムでした。 -
[2015/5/3]
朝6時に起床。まず荷物の整理をする。それから1階へ下り、フロントに近い部屋へ入ると -
[2015/5/3]
朝食の食堂だった。中にもテーブルはあるが、中庭にあるテーブルで朝食をとることができます。 -
[2015/5/3]
忘れずに旅券を受け取り7:30前にチェックアウト。そう言へば、昨日は旅券を持たずに観光していたんだな~と思い出しました。ホテルを出て右手へ。地球の歩き方に乗っている68番のバス乗り場は1分ほどです。 -
[2015/5/3]
こんな感じのチャイハナの前です。入口の左右で駐車している車は白タクです。10分程してもバスは来ず。今日は日曜日だし、もしバスが8時までに来なかったら白タクを使おうと考えていたら -
[2015/5/3]
7:46頃にやって来た。ミニバスではなくマルシュルートカだった。それも番号が違う。268番だった。僕は「駅へ行くの?」と尋ねると、「そうだ!」とドライバーが答えた。 -
[2015/5/3]
マルシュルートカを横から見ると、こんな感じの案内板が貼ってあったです。駅の写真と、旧市街の写真が付いているからわかりやすいですね。マルシュルートカは7:47に出発。すぐにドライバーにお金をせがまれる。僕はいくら渡したと思います?渡したのは1500ソムです。前日にバス停でドライバーから教えてもらいました。しかし駅まで15kmあるのに安い!僕より後に乗車し、先に降りていく人達はだいたい500ソム払っていましたね。 -
[2015/5/3]
8:12にブハラ駅に到着。ドライバーは僕を駅前で降ろすと、Uターンをして、 -
[2015/5/3]
すぐ道路の右手側にあるバスターミナルへ入って行った。
な~んだ、ここにバスターミナルがあったんだ。昨日のタクシーの運ちゃんは、しきりに切符売り場へ追立てるからおかし~なと思ったんだよな。 -
[2015/5/3]
まず駅前のチェックポイントで簡単な切符と旅券の検査。 -
[2015/5/3]
それから駅の入口へ。まず入口でセキュリティー・チェックがありました。荷物をⅩ線に通し、人は金属探知機のゲートを通過します。検査が済み中へ入っていくと、構内は暗くて廃墟みたいでした。電球・電線・電話線・配電盤や机・椅子などを全て持ち出し、残るのは壁のみって感じでした。これから改装工事をするか、新しい駅舎ができるのかな~と思いましたね。 -
[2015/5/3]
ホールを抜けて、出口から列車乗り場へ向かおうとしたら、出口で係員のチケットチェックがあった。係員は僕のチケットを見ると、「駄目じゃないか、あそこでスタンプ押してもらえ」と言った。 -
[2015/5/3]
後ろを振り返ると、入口でセキュリティーチェックを受けた人がホールの中央に集まっていた。 -
[2015/5/3]
そこにはチケット検査の係員の机があり、みんなそこで切符を提出し、切符の裏にスタンプを押してもらっていた。僕も切符を提出し、スタンプを押してもらうことに。 -
[2015/5/3]
急いで出口に戻り、係員にスタンプを確認してもらう。 -
[2015/5/3]
駅には地下道がなく、線路を横切る感じでした。 -
[2015/5/3]
乗車の前に係員による切符の検査があります。
乗車口の横の窓に車両番号の紙が貼ってありました。。
もし切符が読めなかったら、乗車口にいる係員に切符を見せたら車両番号と座席番号を教えてもらうことができます。 -
[2015/5/3]
時間があったので先頭の牽引車の写真をゲット。
列車はシャルク号 (Sharq)です。列車名は「東方」を意味し、タシケントからサマルカンドを経てブハラまでを結んでいます。 -
[2015/5/3]
こちらはビジネスクラスの座席です。
列車は08:41にブハラを出発。出発後すぐ車掌が来て切符の検査。そして2枚目の写し(検印のスタンプ付)を回収していきました。ここで、切符が2枚綴りになっていることが初めてわかりました。
最初は空席が若干ありましたが、途中のナヴォイ駅(9:48着/9:53発)で満席になりました。 -
[2015/5/3]
ブハラとサマルカンドを結ぶ鉄道と平行してザラフシャン川が流れているためか、薄っすらと草が茂る平原がひたすら続いていました。
車内は薄っすらエアコンが効いているみたいでしたが、十分でなかったです。
列車の切符で思ったことは、ウズベキスタンではまだまだ営業本数が少ないので、遅くとも前日には購入したほうが良いかも。日本の感覚で、出発当日の1時間前に切符売り場に行っても、まず切符購入はできないと思います。エコノミークラスの切符はもっと早く売切れになるみたいで、今回購入できたのはビジネスクラスの切符だけでした。もしかしたら外国人旅行者にはビジネスクラスのみしか売ってないかも? -
[2015/5/3]
11:30過ぎ、列車の南側に山々が見てきました。
そしてビルや家が線路沿いに並ぶようになり、サマルカンドも大きな町になったんだな~と思いを馳せていると、11:46にサマルカンド駅に到着。 -
[2015/5/3]
どっちに行ったらいいのかわからないので地元の人に付いていくと -
[2015/5/3]
-
[2015/5/3]
階段を下りて -
[2015/5/3]
地下道を通って駅舎側へ。階段を上がると -
[2015/5/3]
駅舎の地下1階の出入口があった。セキュリティーの係員がいたので、「切符を買いに中へ入りたい!」と言うと、一度外に出るように言われた。 -
[2015/5/3]
仕方がないので、また階段を上がり -
[2015/5/3]
駅舎前の1番ホームへ出て、さらに歩いていくことに。 -
[2015/5/3]
その時、1番ホームにはアフラシャブ号 (Afrosiyob)が停車していたので写真をゲット。2011年10月8日に営業運行を開始した、タシケント/サマルカンド間を所要2時間半で結ぶ高速列車です。列車名は、13世紀にチンギス・ハーンのモンゴル帝国に破壊されたサマルカンドの旧市街地アフラシヤブの名に由来しています。牽引車はスペイン製のタルゴ250が使われているとのこと。 -
[2015/5/3]
1番ホームの端に来ると、右手側に -
[2015/5/3]
フェンスに挟まれた出口があります。ここには警備員がいて、一度出たら逆流はできません。 -
[2015/5/3]
出口を出て右手側を見ると、駅舎とチェックポイントが見えます。 -
[2015/5/3]
チェックポイントで「切符が買いたいので駅舎に入りたい!」と言うと、「切符はあっちだ!」と右手へ指差した。 -
[2015/5/3]
駅のフェンス沿いに歩いていくと、また警備員のチェックポイントがあり、「切符を買いに来ました。」と言って通してもらった。 -
[2015/5/3]
こちらが切符売り場の入口です。 -
[2015/5/3]
窓口が3つあった。今日はシャルク号 (Sharq)でブハラからサマルカンドに着たので、明日は高速鉄道のアフラシャブ号 (Afrosiyob)に乗っていこうとしたら、明日の17:00発のアフラシャブ号 は満席とのこと。ん~残念。明後日だとタシケントからの国際便に乗り遅れてしまうし・・・・ -
[2015/5/3]
仕方がないので、予約が取れる明日のシャルク号 (Sharq)で サマルカンドを出発することに。出発は12:03です。
ブハラ同様に旅券を提出し、支払いは5万5千ソムでした。
やっぱりエコノミーは取れず、ビジネスクラスです。 -
[2015/5/3]
さ~切符もゲットしたし、バス乗り場へ直行。
先ほどの駅舎のチェックポイントの前を通り、反対側へ歩いていくとバス乗り場へ続く遊歩道があります。 -
[2015/5/3]
遊歩道が終わる頃に後ろを振り返ると -
[2015/5/3]
サマルカンド駅が見えます。タシケントの第3ターミナルといい、ウズベキスタンの空港や駅は同じようなデザインで造られているから、ブハラの駅も同じ感じになるかも。 -
[2015/5/3]
バス乗り場には時刻表などありませんから、バスが着たら乗るって感じです。 -
[2015/5/3]
地球の歩き方だと1番と3番のバスが市内に行きやすそうです。1番のバスが来たので、これで行くことに。12:40頃。
12:57頃に左手にディナモ・スタジアムが見えます。それからウルグベク通りを走っていたバスは国立銀行のビルの所で右折して、そのままティムール広場へ。 -
[2015/5/3]
ティムール広場の手前に来ると、このようなレギスタン・プラザ・ホテルが車窓右手側に見えます。 -
[2015/5/3]
ティムール広場は完全なロータリーになっていないので、バスは右折してプリバール通りへ。 -
[2015/5/3]
レギスタン・プラザ・ホテル前のバス停を経由したら、 -
[2015/5/3]
バスは次の交差点で左折してプリバール通りをUターンするような感じでティムール広場へ向かいます。 (写真は、すぐの交差点。) -
[2015/5/3]
すると、またバス停に止まります。
(ちょうどレギスタン・プラザ・ホテル前のバス停の反対側)
ここでバスを降りました。13:06頃。
バス代は700ソムですが、バスを降りてきた車掌役の男の子に1000ソム渡すと200ソムのお釣が返ってきました。やっぱり 100ソム以下の紙幣や、コインが全然出回っていないので、こうなります。ここまで1番も3番のバスも同じ行程で、その後1番はレギスタン通りからタフベット通りへ、3番はレギスタン通りからパンジャケント通りへ。 -
[2015/5/3]
そのままティムール広場の方へ歩いていくと、広場のような場所に出ます。右手側を見るとマリカ・プライム・ホテルの側面が見えます。 -
[2015/5/3]
こちらがホテルの正面です。入口を入ると、すぐフロントがあります。シングルの空きがあるか尋ねると、「今日は満室だけど、30分ほどでチェックアウトする予定の人がいるけど、待ちますか?」と聞いて来たので、とりあえず待つことに。最終的にチェックアウトしないことがわかり、ホテルは別のホテルを紹介してきたがお断りした。あ~あ、空きが出れば1泊60ドルで泊まれたのにな~と思いながら -
[2015/5/3]
隣のホテルへ。ムム、地球の歩き方に載ってないホテルがあるじゃないですか。気になる。
http://www.booking.com/hotel/uz/sultan-boutique.ja.html
http://www.ihr24.com/ho1057972/sultan-hotel-boutique/ja/ -
[2015/5/3]
入口を入り、奥にフロントがありました。シングルの空きがあるか尋ねると、空きがあるとのこと。ドルで幾らか尋ねると、ソムの値段をドル換算して「72ドルだから70ドルでOK」と言われる。僕は「マリカ・プライムは60ドルだったから、ここも60ドルにしてくれる?」と5分ほど粘ったが駄目でした。結局、旅券と70ドルを渡してチェックインすることに。 -
[2015/5/3]
エレベーターがないので階段で上がります。 -
[2015/5/3]
ドアは重々しく安っぽくない感じです。 -
[2015/5/3]
ドアを開けると、すぐ右手側に通路があり -
[2015/5/3]
すぐトイレ・洗面所があります。驚いたのはバス付でした。 -
[2015/5/3]
部屋にはエアコンがありました。スイッチがなかったらフロントに取りに行ってください。 -
[2015/5/3]
ミネラルウォーター1本がサービスで置いてありました。
フロントによるとスルタン・ホテルは建てられて1年程経つそうです。 -
[2015/5/3]
観光の準備をして午後3時前にやっとホテルを出発。
まずホテルを出て右手側へ歩いていくと、すぐグリ・アミール廟が見えてきます。 -
[2015/5/3]
グリ・アミールとは、タジク語で『支配者の墓』という意味で、ティムールをはじめとして息子のシャー・ルフ、孫のウルグ・ベクら、ティムールの一族が眠っている霊廟です。
元はティムールがトルコ遠征中に死亡した孫のムハンマド・スルタンを葬るために1404年に建設したものですが、ティムール自身も翌年に死亡して、この廟に葬られることになりました。 -
[2015/5/3]
グリ・アミールを正面にして階段を下りていくと、すぐ左手に切符売り場があります。 -
[2015/5/3]
こちらが入場券です。12000ソムしました。カメラのことは敢えて言わずカメラ券は購入せず。 -
[2015/5/3]
前方の門で切符検査があったりなかったりです。 -
[2015/5/3]
門を抜けると廟があります。中央の門からは入れず -
[2015/5/3]
左手側の門から廟内へ。 -
[2015/5/3]
入って左へ行くと細い通路があります。壁にはチムールの肖像画がありました。通路は南北に走っていて、途中に廟のホールに入る入口があります。(東側から入る感じです。) -
[2015/5/3]
廟に入ると、手前がムハンマド・スルタンの墓石で、中央にあるのが黒緑色の軟玉で造られたティムールの墓石です。 -
[2015/5/3]
廟の南側を見ているところです。 -
[2015/5/3]
こちらは天井です。廟内部は1996年に修復が終了し、建設当時の美しさを取り戻しているそうです。内部を覆う文様には金3kgが使用されたそうです。天井や壁は植物やアラビア文字をモチーフとした模様で埋め尽くされていました。 -
[2015/5/3]
北側へ回りこめないので、南側から写真をゲット。
ティムールの左右に5石、ティムールの反対側(北側)に2石、手前(南側)に1石あり、墓石は全部で8つ置かれていてます。
北側にはティムールの教師ミルサイードベリケとひ孫の一人、真中は左手側(西側)から息子のシャールフ、ひ孫の一人、息子のミランシャー、ティムール、孫のムハンマド・スルタン、手前(南側)は孫のウルグベクです。 -
[2015/5/3]
最後に西側へ回りこんで反対側の写真をゲット。
墓石は墓の位置を印したもので、亡骸はこの地下3mのところにある墓室に同じ順序で葬られています。1941年6月、ソ連の学術組織によってティムールらの墓が開けられ、ティムールの足が不自由だったこと、ウルグベクが断首されて死んだことが証明されたそうです。学術組織いわく、「ティムールの骨だけに、骨が折れました!」と申しておりました。 ナンチャッテ!! -
[2015/5/3] (写真はイメージです)
グリ・アミールを背にして歩いていくと、すぐ右手側には住宅街の入口があります。入口を入り、右手側へ行くと本屋兼、郵便局がありました。絵葉書や切手も買えます。 -
[2015/5/3] (写真はイメージです)
グリ・アミールの北側にルハバッド廟があります。14世紀後半(1380年)の古い廟で、煉瓦がむき出しになったシンプルな建物です。ルハッバドとは“霊の住処”という意味で、神秘主義者シェイヒ・プルハヌッディン・サガルジを祀ったものとされています。また予言者ムハンマドの遺髪を納めた箱が一緒に葬られたという言い伝えがあり、信仰を集めています。 -
[2015/5/3] (写真はイメージです)
ルハバッド廟の反対側には噴水のある遊歩道があります。 -
[2015/5/3] (写真はイメージです)
レギスタン通りに沿って遊歩道を歩いていき -
[2015/5/3] (写真はイメージです)
交差点を渡ると、また大きな噴水があります。日中の暑いときには子供たちが周りを走り回っています。そりゃ~大騒ぎさ! -
[2015/5/3] (写真はイメージです)
噴水から、さらにレギスタン通り(南側)を歩いていくと、
活気のある通りで、商店・美容院・レストランなどが並んでいました。レストランで特別に目立ったのは「ラビ・ゴール」でした。店頭でシシカバブを焼いていたり、大きな木造建築のレストランでした。ま~外国人相手のレストランって感じでした。ここを過ぎて北側を見ると -
[2015/5/3]
レギスタン広場があります。レギスタンとは「砂地」という意味です。チンギス・ハーン来襲以後、アフラシャブの丘から移動したサマルカンドの商業の中心地だったそうです。主要道路の交差点でもあり、広場は公共の広場として機能を果たし、謁見式や閲兵、罪人の処刑なども行われていました。
写真はレギスタン広場の前に造られた見晴台から撮っています。この後、広場の中央へ歩いて行こうとすると、警備員の笛がなりました。よく見ると広場の手前に細いビニール製のロープが張られていました。 -
[2015/5/3]
警備員の誘導に従って歩いていくと広場右手側のシェルドレ・メドレセの角に着ます。ここには切符売り場があり、ここから各メドレセをコの字のように歩いて1周する感じです。僕は外側からの見学で十分なので中へ入りませんでした。シェルドレ・メドレセは17年の歳月をかけて1636年に完成した新学校。シェルドレとは「ライオンが描かれた」という意味で、入口アーチに小鹿を追うライオンが人面を帯びた日輪を背に描かれています。これは支配者が権力を誇示しようとして、イスラムの教義に反するデザインを描いたとのこと。 -
[2015/5/3] (写真はイメージです)
こちらは広場中央に見えるティラカリ・メドレセです。
1660年に建てられた神学校で、左側にある青いドームが特徴的です。青いドームの下に礼拝所があり、その荘厳さから「ティラカリ(金箔された)」という名が採られていました。当時すでにビビハニム・モスクが廃墟になっていたため、サマルカンドの主要礼拝所として使われていました。ソ連時代に修復された時に3kgの金が使われ、礼拝所内はまばゆく輝く美しさとのこと。 -
[2015/5/3] (写真はイメージです)
こちらがウルグベク・メドレセです。1420年に建てられ、広場では最も古い建物です。ウルグベクは、自身が天文学者であったように、学芸を振興し、自ら教壇にも立ったといわれています。当時、ここには100名以上の学生が寄宿し、イスラム神学をはじめ数学や哲学を学んでいたそうです。ウルグベクはティラカリ・メドレセの場所に大きなキャラバンサライを建て、その収益で教師の給料や学生の奨学金をまかなったとのこと。現在の外観を得たのはシャイバニ朝に入り、さらに二つのメドレセが建てられて以来のことです。 -
[2015/5/3]
シェルドレ・メドレセの壁に沿って歩いて行くと、 -
[2015/5/3]
タシケント通りに出ます、ここを北上していくと、前方に黄色の建物が見えます。 -
[2015/5/3] (写真はイメージです)
建物にはスーパーマーケットがあったり、アイスクリーム屋さんがあったりしました。小さなコーンのアイスクリームは1000ソムでした。 -
[2015/5/3]
さらに通りを北上して行くと、お洒落なお店が並ぶ地区になっていました。伝統工芸品を高級品に仕上げたものを販売している感じです。案内所もありました。 -
[2015/5/3] (写真はイメージです)
バザールの手前でビビハニム・モスクを発見。サッカー場が入ってしまうほど大きい、中央アジア最大のモスクです。1399年にインド外征から帰ったティムールが壮大なモスク建設を決意。国中から200人の職人や500人以上の労働者を集め、そして重たい材料物を運ぶため95頭のゾウも作業に従事していました。ティムールも毎日出向く熱の入れようだったそうです。1404年に異例の速さで完成。しかし落成後間もなくレンガが礼拝中の信者の上に落ちる。落下は続き、礼拝者もいなくなり、以後崩壊が徐々に進んで廃墟になることに。 -
[2015/5/3]
こちらはビビハニム・モスクの反対側にあるビビハニム廟です。モスクに気を取られていると存在を忘れそうです。
ビビハニム・モスクと同じ時期に建てられているとのこと。 -
[2015/5/3]
こちらがショブ・バザールの入口です。
こちらでは食材などの見学の他に、両替所を捜しにやってきました。ホテルなどで尋ねると、「バザールへ行けばいいよ!」と言われます。タシケントのホテルでも言われました。 -
[2015/5/3]
中は広々としていて新鮮な食材が多くあります。 -
[2015/5/3]
こちらは香辛料をあつかう場所です。 -
[2015/5/3]
こちらはナン売り場です。ナンは分厚くて、もちもちとした食感が特徴です。表面には、いろいろなデザインが描かれているものが多く、とってもアートな感じがします。
さて質問です。これは何(ナン)でしょうか? -
[2015/5/3]
こちらがショブ・バザールの北側の入口です。
すぐ近くにシャーヒズィンダ通りに面したバス停があります。 -
[2015/5/3]
入口の右手側には個人商店の集まる通りがありました。
一通りバザールを回りましたが、特に両替所のオフィスや窓口みたいなのはありませんでした。 -
[2015/5/3]
またバザールの南側の入口に戻ったところ。ここで気になることが一つあったので尋ねることに。
写真を見ると、門の右手側に外国人旅行者相手のお土産屋さんがあります。ここで「バザールで両替できる所はあるの?」と尋ねると、「お店でできるよ。」と返事してくるじゃないですか。1ドル、4000ソムでOKかを確認して30ドルお願いする。ここでも5000ソム紙幣を24枚渡された。そ~か、バザールで両替するということは、こういうことなんだと思いました。もちろんタシケントでも。 -
[2015/5/3]
タシケント通りを歩いて行くと、前方にハズラティ・ヒズル・モスクが見えてきます。ただしショブ・バザールとハズラティ・ヒズル・モスクの間にはシャーヒズィンダ通りが走っていますので、通りを横切る必要があります。 -
[2015/5/3]
ハズラティ・ヒズル・モスクは、アフラシャブの丘を横切るタシケント通りの入口に建つモスク。以前はこの場所にゾロアスター教寺院がありましたが、アラブの侵略後、8世紀初めに最初のモスク建てられました。その後、モンゴル軍によって破壊されるも、 19世紀にブハラのハンによって再建されました。
モスクから少し歩いて行くと、すぐ左手に門があり、たくさんの人が入っていくのでアフラシャブの丘と思っていたら共同墓地でした。 -
[2015/5/3]
ハズラティ・ヒズル・モスクの前を通り、ゆっくり坂を下っていくと、10分ほどで前方に観光バスが見えてくる。 -
[2015/5/3]
バスの反対側には、このような案内板があります。
よく見ると、アフラシャブは左手へと案内が示していました。 -
[2015/5/3]
門は開いているので自由に出入りできます。 -
[2015/5/3]
階段を上がっていくとアフラシャブ博物館があります。7世紀の君主の宮殿から発見されたフレスコの壁画で有名です。
入場料は12000ソムです。入場しなくても、入口入った左手の売店で本や絵葉書が買えます。切手も買えます。 -
[2015/5/3]
博物館を正面にして左手へ歩いて行くと、門があります。門を抜けて少し坂を上がっていくと -
[2015/5/3]
昔の住居跡のような場所があります。 -
[2015/5/3]
また博物館の裏手側へ回ると、反対側に要塞跡のような丘を見ることができます。 -
[2015/5/3]
最後にシャーヒズィンダ廟へ。またアフラシャブから歩いて
ハズラティ・ヒズル・モスクへ。ここからシャーヒズィンダ通りに沿って歩いて行くとシャーヒズィンダ廟群です。
ここはサマルカンド有数の聖地です。ティムールゆかりの人々の霊廟がほぼ一直線に建ち並ぶ「死者の通り」で、今も巡礼に訪れる人々が絶えないです。 -
[2015/5/3]
ウルグベクが建てた門を過ぎると、すぐ切符売り場です。すぐ先の階段を上がっていきますが、階段を数えながら上がり、その数が行きも帰りも同じなら天国へいけるそうです。 -
[2015/5/3]
横から見ると、こんな感じです。一つのモスクではなく、11の廟で構成されています。装飾の多様さ、美しさで、中央アジアでも指折りの名所といわれています。シャーヒズィンダとは「いける王」という意味で、7世紀のアラブの侵略時に生まれた伝説がもとになっています。これで本日の観光は終了~。ブハラと違って、午後3時前に始めたのでも~大変でした。歩く距離はブハラの2倍近くあったかも。 -
[2015/5/3]
レギスタン広場向かいに「Registan Supermarket」というスーパーマーケットが新しくできてました。大きな2階建てのスーパーで食料品、衣料品、日常雑貨、お土産も揃っています。
09:00から18:00まで営業しておりますし、値段もお手ごろなので、観光客にとっても便利なスーパーです。 -
[2015/5/3]
レギスタン・スーパーマーケットから東へ歩いて行くと、新しい建物の商店街がありました。こちらにも小さなスーパーがあったり、ファースト・フードの店もあります。ホテルの周りには何もないので、この辺りで買い物や食事を済ませるといいかも。 -
[2015/5/4]
朝6:30に起床。荷物を整理し、7:00に階段を下り、地下1階にある食堂へ。 -
[2015/5/4]
簡単なブッフェスタイルの朝食が取れました。
朝食後、朝の散策へ。昨日はアフラシャブ博物館で絵葉書を買い、グリ・アミール廟の近くの郵便局で切手を購入したので、サマルカンド郵便局へ行って投函し、時間があればコニギルメロス・紙すき工房へ。 -
[2015/5/4]
まずホテルを出て、ティムール広場で写真をゲット。
そしてティムール広場を背にして進み、国立銀行で左折、ウルグベク通りを歩いて行き、最初の角を左へ。 -
[2015/5/4]
何となく寂しげな通りへ入っていくし、大丈夫かな~と思っていたら郵便局発見!地球の歩き方によると、営業時間は08:00~19:00となっていた。08:00なので中へ入っていくと、まだ局内では朝の掃除をしていた。待つこと25分。 -
[2015/5/4]
昨日はアフラシャブ博物館で切手代は1800ソム、グリ・アミール廟の近くの郵便局で切手代は1200ソムと言われた。心配なので、サマルカンド郵便局へ行って確認することにしました。やっと窓口に係員が着たので、絵葉書の切手代1200ソムを確認して投函することに。知人の連絡によると、6月初旬に到着したとのこと。ん~あんまり郵便事情がよくないかも。 -
[2015/5/4]
郵便局からすぐティムール広場へ。レギスタン・プラザ・ホテルの前に1番バスが来たので、すぐに飛び乗るコことに。
地球の歩き方によると、駅を出発した1番バスはコニギル・メールニッツァへ行くと記載されていた。
8:37に出発。これでよしと思っていたら、バスは最初の交差点を左折しない。”ん”おかしい!とおもい、次のバス停で下車する。わかったことは・・・・ -
[2015/5/4]
レギスタン・プラザ・ホテル前のバス停には、駅から市内へ向かうバスも、市内から駅へ向かうバスも停車することだった。
目的地はウズベク語をロシア語で表記されているから注意。
急いで歩いて、レギスタン・プラザ・ホテル前バス停の反対側にあるバス停へ。今度は大丈夫。08:53に1番バスに乗車。
バスはティムール広場からレギスタン通りへ。次の交差点で左折しタフベット通りへ。 -
[2015/5/4] (写真はショブ・バザールの北側のバス停)
09:04にショブ・バザールの北側のバス停を経由し、シャーヒズィンダ通りを東へ。シャーヒズィンダ廟群の前を通過し、二つめ角を右折していった。本では10分と書いてあったけど、もう10分は過ぎているし、大丈夫かな~と思っていると、またバスは左折してどんどん郊外へ。バスの車掌の男の子に「コニギル・メールニッツァはまだ?」と尋ねると、「まだだよ。」返事した。 -
[2015/5/4]
車掌の男の子がおしゃべりをしていると、バスは初めて小川にかかる橋を渡った。9:28頃。もしかしてと思い、右手側を見ると、林の向こうに小屋が見えた。「あっ!水車がある。」
すぐバスを下車する。車掌の男の子に1000ソム渡すと、200ソムがお釣りで返ってきた。 -
[2015/5/4]
小屋の方へ歩いていくと、観光バスが来ていた。旅行者の後について行くと -
[2015/5/4]
コニギルメロス・紙すき工房だった。 -
[2015/5/4]
工房を近くで見ると、正面はこんな感じでした。
だいたい3つに分かれています。 -
[2015/5/4]
工房の左側の場所では、女性達が釜で原木蒸しをした桑の木の原木剥ぎ<はぎ>をしていました。この後、原料そぞり→煮熟(しゃじゅく)→塵取り(ちりとり) までの工程を行うみたいです。 -
[2015/5/4]
真中は工房のサロンと、サマルカンド・ペーパーの販売所です。 -
[2015/5/4]
工房の右手側には叩解(こうかい)が行われています。 -
[2015/5/4]
繊維を切りほぐしたり押しつぶしたりして柔軟性を与え、繊維どうしを絡みやすくさせています。 -
[2015/5/4]
こちらは抄造(しょうぞう)です。
紙の原料を漉(す)いて紙を製造すること。
簀の子(すのこ)は、紙漉きに使う道具です。 -
[2015/5/4]
こちらは水分を取り、乾燥しているところ。
紙の製作工程は、こちらを参照
http://www.sekishu.jp/meros.uz/annai/03genryou.htm
http://www.pool.co.jp/nisidawasi/seiseku.htm -
[2015/5/4]
こちらが完成品です。最後は若干表面を加工するかも。
紙は日本で言へば、厚地の習字紙ってかんじです。 -
[2015/5/4]
最後に入場料を払おうと思ったんですが、誰に払えばいいかわからず。多分、売店の人から切符を買うべきだったかもしれないけど、お客さんの応対で忙しそうで、そのまま見学して帰りました。バスは工房の前を15分ごとにきます。同じ1番のみ。
09:57に出発。バスはティムール広場手前のレギスタン通り沿いのバス停に10:23に到着。(アフラシャブ・パレス・ホテルの近く)すぐバスを下車してホテルへ。ホテルでシャワーを浴びて、それからチェックアウト。10:55頃。バス代は800ソムでした。 -
[2015/5/4]
朝の経験から、またティムール広場手前のレギスタン通り沿いのバス停へ。しかし今思えば冷や冷やもんでした。だってサマルカンド出発は12:03ですからね。遅れたらどうしようと思いながらバス停へ。バス亭はこんな感じです。後ろに見える建物は、アフラシャブ・パレス・ホテルだと思います。 -
[2015/5/4]
日中はバスの本数が多いので、10分程でバスが数台やってきます。1番のバスが来たので、すぐ乗車しました。 -
[2015/5/4]
1番のバスの看板は、こんな感じでした。11:06に出発。 -
[2015/5/4]
やばいやばい11:41にバスターミナルに到着。 -
[2015/5/4]
800ソムを払い、道路を渡って、遊歩道を通って駅へ。 -
[2015/5/4]
また駅のチェックポイントへやってきました。ここで旅券と切符を提示すると、すぐ通過できました。 -
[2015/5/4]
先にチェックポイントを通過したグループの後について、駅の入口へ。 -
[2015/5/4]
どうも混雑しているな~と思っていたら -
[2015/5/4]
入口でセキュリティーチェックがありました。
荷物は前方にあるⅩ線検査へ。人は左手側にある金属探知機のゲートを通過します。 -
[2015/5/4]
金属探知機のゲートの脇には、机に座っている係員がいて、その人に切符を提示すると、切符の裏側にスタンプを押してくれます。 -
[2015/5/4]
ホールの左手は、奥行きのある空間があり、たくさんの椅子が並んでいました。 -
[2015/5/4]
右手側へ歩いていくと、茶色の手すりが終わるところに水色の制服を着ている人がいますが、そこには地下一階へ下りる階段があります。階段を下りていくと、昨日入れてもらえなかった地下一階の出入口になります。 -
[2015/5/4]
地下道を通って、昨日ブハラから到着時に着いた2番線ホームへ。ホームには昨日と同じ列車のシャルク号 (Sharq)がブハラから到着していました。 -
[2015/5/4]
昨日は12号車で、今日は11号車でした。 -
[2015/5/4]
昨日とは若干座席のカバーが違いました。こちらもビジネスクラスです。 -
[2015/5/4]
列車は12:09に出発。すぐに車掌の切符の検査始まり、スタンプが押された切符の写しを回収していきました。最初の10分程は線路沿いに住宅やビルが建ち並んでいましたが、すぐに平原の景色になりました。 -
[2015/5/4]
11:40頃に車内でサンドイッチのサービスがありました。
また車掌がミネラルウォーターの車内販売にきていました。
その後にアイスクリームまで売りに来ていました。 -
[2015/5/4]
13:00過ぎになると、だんだん周りの風景が変わってきました。車窓から山がよく見えるようになってきました。 -
[2015/5/4]
15:33にタシケント駅に到着。多分2番線ホームに到着したと思います。 -
[2015/5/4]
駅に到着した乗客みんなが、列車の進行方向とは逆のほうへ歩いていくので付いていくと -
[2015/5/4]
ホームの外れにやってくると -
[2015/5/4]
線路を横切り1番線側へ。 -
[2015/5/4]
そして、ここから駅を出ることに。ここで待ち構えていたのが、例のタクシーの運ちゃん達でした。「どこへ行くの?」じゃなくて、「両替しないか?」ばっかり聞いてきました。訊くと、1ドル=400ソムって言ってくるじゃないですか。
ウソだろう~!と思いながら、ゆるやかな坂を下りていくと -
[2015/5/4]
前方にはタクシー、さらに奥にはバス停がありました。 -
[2015/5/4]
右肩越しに後ろを見ると、切符売り場がありました。
入口を入ると警備員が座っている机がありますが、特に呼び止められる事なしに中へ。 -
[2015/5/4]
窓口は、こんな感じでした。翌日の朝8:00発サマルカンド行きのアフラシャブ号 (Afrosiyob)の切符代を尋ねたら、69000ソムと言われました。 -
[2015/5/4]
切符売り場を出て、駅前の大通りと平行に延びている歩道を行くと -
[2015/5/4]
タシケント駅が見えてきました。 -
[2015/5/4]
駅を正面にすると、右手側に切符のチェックポイントがありました。 -
[2015/5/4] (写真はイメージです)
駅前の敷地は意外と狭く、すぐ大通りがあるので、駅全体の写真を撮るのは難しいです。どの旅行者も駅斜めから撮っているのがわかります。 -
[2015/5/4]
写真を撮っている間、どうしても地下鉄の入口がわからないので、近くにいた警備員に尋ねると、「駅の正面の手前にある。」といわれた。もう一度切符のチェックポイントまで戻り、フェンス沿いに歩いていくと -
[2015/5/4]
駅中央の前に地下鉄への入口があった。 -
[2015/5/4]
まず階段を下りて行き、次に右手側へ階段を下りていくと -
[2015/5/4]
広い駐車場のような場所がありました。結構暗いので嫌な感じがします。ず~っと前方の突き当たりまで歩いていくと -
[2015/5/4]
左手に明るい地下道が見えてきます。 -
[2015/5/4]
地下道の中央には地下鉄の切符売り場の窓口があります。 -
[2015/5/4]
こちらが地下鉄のコインです。プラスチック製で、1枚1000ソムしました。 -
[2015/5/4]
窓口を挟んで右手側が地下鉄への入口です。(左手は出口です。) 改札の手前で、今回の旅行で初めて旅券のチェックを受けましたのでご報告します。ブハラ・サマルカンドでは旅券をホテルに預けっぱなしでも問題はなかったんですが、タシケントの地下鉄でチェックを受けました。 ま~リュックサックを背負っていた関係もありますが、入口を入ると、改札の脇に警備員が二人、警防式の金属探知機を持って低いテーブルの前に立っていました。すぐに呼び止められ、旅券の提示を求められました。旅券のビザと滞在登録を確認していました。 -
[2015/5/4]
特に荷物のチェック無かったです。改札ではコインを入れて通過します。特に回転レバーみたいなのは無かったです。
ただ改札の脇にはブースがあり、監視員のおばちゃんがいました。階段を下りていくと乗り場のホールです。ここにも監視員が一人いました。いつも4~5人で監視している感じでした。 -
[2015/5/4]
階段を下りた左手側のホームに「チョルスー」方面の列車が来ます。 -
[2015/5/4]
列車内部は、こんな感じです。 -
[2015/5/4]
今回は市内にある中級ホテルに泊まろうと思い、一つ目の「アイベック/ミング・オリク」で下車。地下鉄を出る時、改札のような場所を通過します。特になし。 -
[2015/5/4]
アイベック/ミング・オリク駅の地上へ出ると、交差点のどこに自分がいるかわかりづらいです。目立つのは「SAMSUNG」と「DAEWOO」の看板を屋上につけたビルが二つあります。二つのビルにはさまれた通りが、「シャフリサーブス」通りです。二つのビルを背にしてシャフリサーブス通りを行くと、右手側に -
[2015/5/4]
「グランド・ミール」ホテルが見えてきます。ホテルの前はロータリーのようになっています。ここから通りは「ショッタ・ルスタヴェリ」通りになります。 -
[2015/5/4]
「ショッタ・ルスタヴェリ」通りの左手側はファーストフードの店が並んでいるので食事に便利かと思いました。 -
[2015/5/4]
「ショッタ・ルスタヴェリ」通りの二つ目の角を左手へ行くと、そこはイヴレヴァ通りです。住宅街へ入る道なので大きくはないです。こちらが「ラデュスJSS」ホテルです。
こちらでチェックインをしようとしたら問題が発生。支払いはソムで要求されました。ドル換算で48ドルでしたが、支払いはクレジットカードかソムでした。近くに両替所もなくあきらめることに。明日は日本へ帰る日だから多く両替はしたくなかったです。
(注意:2017年9月からドル払いができたホテルでもスムで支払いをする必要になりました。http://www.otoa.com/news_detail.php?code=32836) -
[2015/5/4]
また歩いてアイベック/ミング・オリク駅へ。
地下道の案内が難しいので、ご報告します。
上から2段目がシャフリサーブス通りと書いてあります。
下段は赤い線が真中に引かれていて、左手の2番目にグランド・ミール・ホテルと書いてあります。ホテルも有名なホテルじゃないと記載されないし、地下道には地図も掲示されていません。 -
[2015/5/4]
こちらがパフタコール駅です。地球の歩き方だと、若者劇場の南側にあります。駅では係員に「ショドゥリク・パレス?」を連呼して尋ねていったら、ここに出てきました。
この出入口を出ると、左手にアバイ大通りがみえます。 -
[2015/5/4]
パフタコール駅の出入口を出て、右手側の遊歩道を歩いていくと -
[2015/5/4]
ショドゥリク・パレス・ホテルが前方に見えてきます。
このころには右手側にはフェンスがあり、フェンスの反対側にはパフタコール・スタジアムが見えます。 -
[2015/5/4]
ショドゥリク・パレス・ホテルの南側から写真をゲット。
ウズベキスタンは経済が安定し、サッカーも強くなっていますから、これからもワールドカップの予選で日本のサポーターもお世話になるホテルになりそうです。ホテルに入り、フロントでドル払いができるか尋ねると、クレジット・カードか、ソム払いじゃないと駄目とのことでした。ドル換算で80ドル分のソムが必要でした。ホテルには両替所がないとのことでした。 -
[2015/5/4]
写真はパフタコール・スタジアムです。
1956年に建設され、現在は主にサッカーの試合に用いられており、ウズベク・リーグに属するFCパフタコール・タシュケントのホームスタジアムでもあります。また、サッカーウズベキスタン代表のホームゲームもこのスタジアムで開催されます。
50000人が収容できるそうです。スタジアムの北側に見えるのがショドゥリク・パレス・ホテルです。 -
[2015/5/4]
結局、また地下鉄でパフタコール駅からティムール広場にあるウズベキスタン・ホテルへ。フロントでドル払いでチェックインしたい旨を伝えると、フロントでは旅券を預かり、メールや他社を通して予約が入っていないか確認していた。僕はタリフ表にある一番安い100ドルのシングルをお願いすると、部屋の鍵を渡され、フロントに「準備ができたら電話するので、それまで部屋で待ってください!」と言われる。僕は部屋へ上がる際にホールにいるボーイに両替したいと言うと、ボーイは「いくら?」と言うので、僕は「10ドル。」と言うと -
[2015/5/4]
、「それじゃ~1ドル3500ソムで両替するけど」と返事してきた。僕は「それでOK!」と言い、鍵の部屋番号を見せて部屋へ上がった。しばらくしてボーイが部屋にやってきた。閉め切った部屋でボーイはお腹から分厚いソムの札束を出してきた。ボーイは数えて1000ソム紙幣を35枚渡してきたので、僕は10ドル紙幣を渡した。ボーイは「もう一度金額を確認してくれ!」と言った。僕は確認すると、ボーイは「もっと金額の高い両替をするなら1ドル4000ソムにするからね!」と言って部屋を出て行った。
(注意:このホテルは外国人の利用が多いから、ボーイ達が両替の斡旋をしてきます。これからチェックインの前や後にボーイから両替してもらい、フロントへホテル代の支払いへ行くのはありかも。) -
[2015/5/4]
部屋に入って2時間近くすると、フロントから電話がかかってきた。フロントに行くと、滞在登録が済んだとの事で旅券と滞在証明書を渡してきた。すぐに僕は部屋代の支払いをしたいと言って100ドル紙幣を渡すと、すぐに領収書を発券してくれた。これで一安心と思いながら部屋に戻ったけど、もしソム払いだったら幾らだったろうと考えてしまった。もし正規レートの100ドル分の支払いだったら、闇レートの63ドル分のソムで支払いができたかもな~。と思ってしまった。 -
[2015/5/4]
夕食はロビーにある「CAFE BAR」で食料を調達。前回同様 パンやミネラルウォーターを買って部屋へ持ち帰ることに。 -
[2015/5/5]
朝7:00にロビーの「BALL ROOM」へ。前回は朝早かったので温かい料理がなかったけど、今日はありました。
入口を入ると、すぐカウンターがあり、ボーイが部屋番号をチェックしていました。 -
[2015/5/5]
朝食後、タシケントの散策へ。出かける前にフロントでチェックアウトを遅らせたいとお願いすると、最高午後2時までOKと言ったので、チェックアウトを午後2時にすることをフロントに伝えて散策へ出発。 -
[2015/5/5]
08:00にホテルを出発して左手へ歩いていくと、すぐ国際会議場です。 -
[2015/5/5]
国際会議場の前を通過し、さらに歩いていくと時計台です。同じような時計台が二つあります。 -
[2015/5/5]
時計台を過ぎると、次に黄色の建物の市役所が見えます。
市役所を背にすると、ティムール広場の反対側には青いドームのティムール博物館が小さく見えます。
また市役所を左手に見ながら通りを歩いていくと -
[2015/5/5]
08:20頃にウズベキスタン歴史博物館にやってきました。
ウズベキスタンンの通史を学ぶには最適の場所です。3階には石器時代からウズベク3ハン国にいたるまでの歴史が展示されています。最大の見ものは、テルメズ近郊のファヨーズ・テペ遺跡から出土したクシャン朝(1~3世紀)時代の仏像です。1級のガンダーラ仏と言われています。 -
[2015/5/5]
08:25頃にナヴォイ劇場に到着。1947年に完成した1500人収容の劇場です。内装もすばらしく、6つの休憩ロビーは、タシケント、サマルカンド、ブハラ、ホレズム、フェルガナ、テルメズの各地域のスタイルでレリーフが施されています。
実はこの劇場は、第二次世界大戦後タシケントに抑留されていた旧日本兵などの抑留者に、強制労働で造らせた建物のひとつです。 -
[2015/5/5]
ナヴォイ劇場からウズベキスタン通りを西へ行くと -
[2015/5/5]
途中、アンホール運河に架かる橋を渡ります。(08:37頃) ちょうどパフタコール・スタジアムの南側になります。 -
[2015/5/5]
08:45頃にウズベキスタン通りとアバイ大通りの交差点を右手へ行くと、「NATIONAL OLYMPIC COMMITTE OF UZBEKISTAN」(ウズベキスタン・オリンピック委員会)のビルが見えてきました。08:52頃 -
[2015/5/5]
アバイ大通りとナヴォイ大通りの交差点に来ると、右手側には
ナヴォイ文学博物館があります。ウズベク文学の父としてゆかりのあるリシェール・ナヴォイの名を冠した博物館です。ナヴォイはアフガニスタンのヘラートに生まれた15世紀の詩人、政治家で、ティムール帝国時代に活躍しました。館内は、中央アジアの文学に関する展示と、細密画の展示がメインになっています。 09:00頃に交差点を左手へ行くと -
[2015/5/5]
09:15頃にアカデミードラマ劇場にやってきます。 -
[2015/5/5]
アカデミー・ドラマ劇場の前を過ぎるとサーカスの建物が見えてきます。09:17頃。 -
[2015/5/5]
前方に廃墟のようなチョルスー・ホテルが見えてくると -
[2015/5/5]
右手にはクカルダシュ・メドレセがあります。当時タシケントを支配していたシャイバニ朝の大臣クカルダシュによって、16世紀に建てられました。タシケントの代表的な新学校で、ソ連時代には倉庫などとして使われていましたが、独立後に修復され、再び新学校として活動しています。帝政ロシアに併合される以前、この周辺は「レギスタン」と呼ばれるタシケントの中心地でした。その旧市街も1966年4月26日の直下型地震に直撃され、住宅地において約78000戸に及ぶ日干しレンガ造りの家屋が崩壊し30万人以上が家屋を失ったそうです。 -
[2015/5/5]
クカルダシュ・メドレセの左手側を歩いていくと -
[2015/5/5]
奥にある屋内バザールに行く手前からバザールが始まっている感じです。09:25頃。 -
[2015/5/5]
バザールに入ると、すぐナンの売店が目に入ります。さらに行くと日用品の雑貨・衣料品などを売っています。 -
[2015/5/5]
途中でチャイハナやサンドイッチ屋さんがありました。買い物に疲れたら、ここで一息つくのもいいかも。 -
[2015/5/5] (写真はイメージです)
屋内バザールへ向かう途中の左手に地下鉄の入口があります。
地下鉄の駅はバザールの中央にあるみたいです。 -
[2015/5/5]
左手に地下鉄の入口を見ながら歩いていくと、前方にフェンスが開いた場所があります。ここを入っていくと、 -
[2015/5/5]
左手に衣料・雑貨洋服やDVDなどを売っている売店がありました。今回は、そこで両替しないかと何度も誘われました。おいしそうなシシカバブなども売っていましたよ。
(注意:ここで確信したのは、この辺りのお店で両替できそうです。) -
[2015/5/5]
フェンスを抜け、右手側へ行って全体写真をゲット。手前に噴水がありますが、タシケント市内ではザクロの実をデザインした噴水をたくさん見ました。実がぎっしりと詰まったザクロは、豊穣のシンボルとして、ウズベキスタンのタイルや刺繍によく描かれます。 -
[2015/5/5]
またフェンスの出入口付近に戻り、階段を上がっていくと -
[2015/5/5]
帽子の日差しのように見える場所は、アーケードになったバザールでした。左手は新鮮な野菜などを売っていました。 -
[2015/5/5]
右手側は新鮮な果物を売っています。パキスタンでもビックリしましたが、こちらでもイチゴを売っていますね。
試しにバナナ3本買ってみると、5000ソムしました。高い!
ん~基本的に輸入物のフルーツが多いかも。 -
[2015/5/5]
こちらのバザールの反対側に -
[2015/5/5]
屋内バザールの建物があります。 -
[2015/5/5]
こちらが入口です。 -
[2015/5/5]
入口を入ると、すぐ右手側ではチーズ屋さんです。ホテルの朝食時に出される物にチーズの種類は多かったですが、ウズベキスタンの食卓に酪農製品は欠かせないと思いました。 -
[2015/5/5]
入口を入り、左手側には肉屋さんが並んでいます。 -
[2015/5/5]
奥のほうへ行くと、「あれっ!スパゲッティじゃないの?」と思えるほどのパスタのような麺。これはラグマンと呼ばれ、中央アジアから中国・ウイグル自冶区で広く食べられている手延べ麺です。生麺を売っている感じですね。 -
[2015/5/5]
こちらにキムチがありました。ソビエト時代は、どの町にも朝鮮族のおばちゃん達がいて、バザールでキムチを売っていました。当時でも高齢な方々ばっかりだから、も~見かけることはないかも。 -
[2015/5/5]
屋内バザールの中央には噴水がありました。 -
[2015/5/5]
入口の脇には階段があり、2階へ上がれます。2階では特に乾物品を扱っていました。ひまわりの種・杏・イチジク
・干しブドウや胡桃(クルミ)などです。 -
[2015/5/5]
2階はバルコニー伝いに1周できます。
左側の肉製品を扱うエリア。 -
[2015/5/5]
2階はバルコニー伝いに1周できます。
右側のチーズ・麺やキムチなどを扱うエリア。 -
[2015/5/5]
屋内バザールを出て、アーケードのバザールを見たところ。() -
[2015/5/5]
バザールの観光を終え、早めの昼食を取ることに。
最初のバザール側へ戻ると、テラスのある軽食堂が目に付く。
ん~このドネルカバブもおいしそう! -
[2015/5/5]
こちらのポロフもおいしそうだしな~! -
[2015/5/5]
おばちゃんにポロフ1皿とコーラ1本を頼んで席につと、こんな感じでやってきた。陶器製の湯のみでコーラを飲まされるのがウズベキスタンらしいと思いました。
ポラフ1皿・・・7000ソム
コーラ1本・・・1250ソム -
[2015/5/5] (写真はイメージです)
クカルダシュ・メドレセの前に戻ると、「チョルスー行き」のバスが終点として乗客を降ろしていました。
通りを挟んで反対側にはバス停があります。地球の歩き方では11番・76番(空港へ)のバス停の辺りです。そこは路線バスやマルシュルートカがたくさん経由していきます。 -
[2015/5/5]
バス停で見かけたバス。
こちらは新しいメルセデス製のバスです。弱いけど、エアコンが効いているのが良いかも。 -
[2015/5/5]
バス停で見かけたバス。
こちらはマルシュルートカです。
ワゴンタイプの乗り合いバスです。 -
[2015/5/5]
バス停で見かけたバス。
こちらはISUZU製の中型バスです。 -
[2015/5/5]
バス停からバスに乗らず、ナヴォイ大通りを東へ歩いていくと、お洒落で高級店が並ぶ通りに来ました。
地球の歩き方だと電気街となっているところです。 -
[2015/5/5]
こちらはショドゥリク・パレス・ホテルの北側にある映画館です。歩道の脇にポスターが貼られていますが、主にロシア製の映画が多いみたいです。 -
[2015/5/5] (写真はイメージです)
トヨタのショールームの前を通ると、「WYNDHAM」(ウィンダム)ホテルでした。以前は「デデマン・シルクロード」ホテルと呼ばれていました。
ホテルはナヴォイ大通りとティムール通りの交差点にあります。 -
[2015/5/5]
ティムール通りを南下していくと、右側にティムール博物館があります。ティムール一族を中心に、ウズベキスタンの歴史上の偉人の資料を集めた博物館です。小学生の課外実習でしょうか、たくさんの小学生が出てきて記念写真を撮っていました。 -
[2015/5/5]
博物館の近くにはバス亭があり、空港まで行く67番のバスも、ここから乗れることがわかりました。
これでタシケントの散策は終了~。 -
[2015/5/5]
ティムール通りを渡り、ホテルへ向かうと、地下鉄の入口が見えます。地球の歩き方では「ユーヌス・ラジャビィ」駅の入口です。こちらから入るとユーヌサバット線に早く入れます。でも地下道はホテル側へも通じているので、通行する分には全然問題ないです。 -
[2015/5/5] (写真はイメージです)
「ユーヌス・ラジャビィ」駅の入口付近で見えるホテルが、こんな感じです。
この後の問題が発生~。12:30過ぎにホテルの部屋に戻ると、「部屋が開かない~!どうして?」、すぐにフロイントへ行くと、「チェックアウトは12時だよ。」って言われた。僕は14:00にチェックアウトすることをフロントに言ったからね!と言って鍵を作り直してもらいました。部屋に入ると、案の定!荷物は置いてあるのに部屋は掃除してあった。
も~と思いながらシャワーだけは使わせてもらった。 -
[2015/5/5]
ベットは使わないようにして、シャワー後に着替えて14:00前にフロントで鍵を返してチェックアウト終了~!
今日の便は21:20にタシケント出発だから時間を潰さないと思い、たくさんあるロビーのソファーで仮眠することに。
大体3時間はロビーで粘ったです。 -
[2015/5/5]
こちらが今回の滞在証明書の4枚。これは1泊に1枚だけど、もし列車内で車中泊したらどうなるのかな~と思いました。 -
[2015/5/5]
エレベーターの脇の両替所に最両替のレートがあったので、残ったソムを再両替しようとしたらできませんでした。両替証明書が必要と言われたので、空港でもらった証明書を見せたら、「右上に1の数字があればできるけど、これは2だから再両替できない。」と言われました。 -
[2015/5/5]
17時過ぎにホテルを出発。時間があるからタクシーを使わず、路線バスで空港へ行くことに。
ホテルを出て、階段を下り、右手に地下鉄の入口があります。
地球の歩き方によると、ここは「アミール・ティミール・ヒヨボニ駅」なんだ。でも地下道だけ利用し、反対側へ。 -
[2015/5/5]
またティミール博物館近くのバス停へ。
この時、空港第3ターミナル行きの37番バスが来た。僕は「第2ターミナルへも寄る?」と尋ねると、「行かない。」と言われた。仕方がないので67番バスを待つことに。バス停の案内には、67番のバスは05:25~23:00まで運行していると書いてあった。 17:07に67番が来て出発。 -
[2015/5/5]
こちらがバスの切符です。1000ソムしました。車内にはサッカー選手がベンチで待機している時に着るようなビブスを着た車掌がいて、お金を集めに来ます。切符一枚は1000ソムでした。バスはティムール広場を南下して行き、途中グランド・ミール・ホテルの前を通過してショッタ・ルスタヴェリ通りを南下、17:25頃にBOBUR 通りとの交差点を左折すると、そのまま鉄道に架かる高架式の橋に向かいます。 -
[2015/5/5]
17:30頃に橋を過ぎ、すぐ右折していくと第3ターミナルへ向かいますが、バスは直進していきました。17:31にバス停に到着。
地図は、こちらを参照してください。
http://www.tripadvisor.jp/Restaurant_Review-g293968-d7084291-Reviews-Coffee_House_Chaykof-Tashkent_Tashkent_Province.html#MAPVIEW -
[2015/5/5]
バスを降りて見ると、思わず唖然としました。3日前に到着した時は暗くてわからなかったけど、駐車場の反対側に新しくバス停ができていたんですね。地球の歩き方には載っていないからビックリ。こちらのバス停にも運行時間は05:25~23:00と出ているから、今回のように夜の19:00過ぎにタシケントに到着しても、余裕を持って路線バスで市内へ向かえるはず。 -
[2015/5/5]
駐車場の周りを反時計回りに回り込んでいくと、チェックポイントがありますが、それは自動車用で、歩行者はその脇を進んでいけます。 -
[2015/5/5]
写真は空港を正面にして右手側から見ているところ。自動車の反対側には、空港内に入るチェックポイントがありますが、一般の旅行者は別のチェックポイントを通ります。 -
[2015/5/5]
駐車場と出迎え者のいるアーケードの間にはタクシー乗り場があります。公認のタクシーの屋根には黄色の行灯(あんどん)が付いていますが、乗る順番が特になく、個々のタクシーの運ちゃんと交渉になります。駐車場には白タクの運ちゃんもいて、話に割り込んでくるから大変です。 -
[2015/5/5]
こちらは出迎えの人達がいるアーケード。空港のセキュリテーの関係で、このような場所ができたと思います。たくさんの椅子と自動販売機などがありました。 -
[2015/5/5]
フェンス沿いから到着客を待つ人々。 -
[2015/5/5]
僕も3日前の夜に、こんな感じで建物を出てきたんでしょうね。 -
[2015/5/5]
さ~これから出発です。空港を正面にして左手側へ来ると、 -
[2015/5/5]
一般の乗客用のチェックポイントがあります。
ここで旅券とチケットを提示します。 -
[2015/5/5]
チェックポイントを通過すると、前方に2階へ上がるように指示する案内が見えます。 -
[2015/5/5]
案内の下辺りに来ると、右手側にエスカレーターがあり、2階へ上がって行くと -
[2015/5/5]
出発ホールへの入口が見えます。ここを入っていくと、 -
[2015/5/5]
すぐセキュリティーチェックがありました。
手荷物はX線検査に通し、人は金属探知機のゲートを抜けます。 -
[2015/5/5]
セキュリティーチェックを受けると、すぐ前方の奥には税関があり、手前の丸テーブルでは乗客が税関申告書を書いていました。丸テーブルにはロシア語の税関申告書が備えてあります。
ソビエト時代のモスクワ空港では、先に税関を通過してから飛行機のチェックインをしていたので、今回もそうかな~と思っていると、 -
[2015/5/5]
何とチェックインカウンターがあるじゃないですか。
税関申告書を書いている人達の右手側に!!!!!
チェックインする人より、税関申告書を書いてから税関に並んでいる人の方が多いから目立たないんですよね。
チェックインでは、ソウルで乗換えがあっても、タシケント/ソウル間の搭乗券しか発券されませんでした。ウズベキスタンのシステム上の問題があり、ソウル/成田間の搭乗券はソウルで手続きするように言われました。 -
[2015/5/5] (写真は2階のカフェテリアのバーカウンターです。)
ホールの右手側へ歩いていくと、2階へ上がる階段があります。2階では簡単なカフェテリアがありました。
階段を上がらずに、さらに奥へ行くと両替所がありました。
でも閉まっていたので再両替はできず。結局、ウズベキスタンでは際両替はは難しいです。また他の国に持っていっても両替は付加でしたt
-
[2015/5/5]
さ~これから税関です。まず丸テーブルで税関申告書を1枚記入。ロシア語の申告書しかないけど、到着時に戻ってきた英語版の申告書があるので、それと照らし合わせると、何を記入したらいいかわかります。注意してほしいのは、入国時より出国時の所持金が少なくてはならないということ。また残ったソムを記入しませんでした。(もしかしたら持ち出し不可のお金かも?) -
[2015/5/5]
それにしても税関まで長かった~。なかなか前に進まないのでやきもきしました。順番が来ると、前回同様にデスク脇のX線の入口に手荷物を置いてから -
[2015/5/5]
税関員の前に行き、2枚の税関申告書を提出。特に残った現金を提示させられることもなかったです。ただ税関のカウンターには旅券を読み取る機械があり、その場で本人照会ができるシステムがありました。2枚の税関申告書を回収すると、税関員はX線検査台にあった手荷物をチェック。無事に手荷物を受け取り、税関手続きが終了。すぐ反対側にある出国審査場へ。 -
[2015/5/5]
出国審査では、旅券・搭乗券とホテルに4泊した際の滞在証明書を旅券に挟んで提出。
無事に出国審査が終了すると、右手側のドアのブザーが鳴り、ドアのロックの解除の音がします。ドアを開けて反対側へ出ます。 -
[2015/5/5]
反対側へ出ると、また人の列がありました。 -
[2015/5/5]
カウンターでは搭乗券の検査があり、問題ないとスタンプが押されて返ってきました。 -
[2015/5/5]
それからすぐ、セキュリティー検査があります。
手荷物はX線検査、人は金属探知機のゲートを通過します。 -
[2015/5/5]
セキュリティーチェックが済むと、前方にはこのような案内があります。 -
[2015/5/5]
さらに奥へ行くと、出発待合ホールです。 -
[2015/5/5]
税関手続きで時間がかかりすぎたため、ホール内で残ったソムを使うチャンスがなかったです。そのため、どのお店でソムを使ったらいいか調べることができませんでした。もう搭乗案内が出ていました。あ~チェックイン後に、余裕こいてコーヒーを飲みに行ったのが失敗だったかも。 -
[2015/5/5]
飛行機の搭乗口への入口はホールの奥にありました。 -
[2015/5/5]
僕の搭乗券によると、搭乗口はB2なので、案内に従って行くと,
さらに廊下が続き、 -
[2015/5/5]
廊下の突き当りを左へ行くと、こんな感じです。
突き当たりの右手側には航空会社の職員がいました。搭乗券を出し、半券をもらってそのまま行くと、すぐ飛行機に直結しているブリッジでした。やっとウズベキスタンを出発です。
大韓航空942便は21:43にタシケントを出発しました。
ウズベキスタンでの予算は350ドルでしたが、タシケントからの出発時に残っていた外貨は5ドルと、52500ソムでした。 -
[2015/5/6]
07:35に仁川国際空港に到着。
(ウズベキスタンと韓国・日本は4時間の時差があります。) -
[2015/5/6]
ターミナル内へ入り、乗り継ぎカウンターを目指し歩いて行くと -
[2015/5/6]
入国審査場の近くに乗り継ぎカウンターがありました。乗り継ぎカウンターを正面にすると、後ろに広いホールと入国審査場って感じです。
今度も検疫のゲートを見ることなしに、ここまでこれました。 -
[2015/5/6]
乗り継ぎカウンターでソウル/成田間の搭乗券をゲットしてから、カウンターの脇の通路へ行き、セキュリティーチェックを受けてから3階の出発ホールへ。
大韓航空701便は09:22に仁川空港を無事に出発しました。これでアントニオのウズベキスタンの旅は終了です。
しかし、この後に検疫上の問題が発覚し、ソウルでは「MERSコロナウイルス」による感染症の発生と拡大がおこるなんて。やっぱり仁川空港は検疫のシステムを厳格にすべきだと思いましたね。(甘い~!!)
http://www.sankei.com/world/news/150528/wor1505280064-n1.html
http://www.huffingtonpost.jp/2015/06/04/mers-korea_n_7508058.html
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