2017/09/24 - 2017/09/28
199位(同エリア827件中)
ママブー♪さん
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このところ、ありがたいことに毎月ツアーナースの仕事でどこかに出かけています。旅ではないけれど、私にとってはこれも旅と捉える暢気な性格。 だけど今回は暢気なだけではいられませんでした。
この歳まで生きてきて知らなかった悲しい戦後の歴史を知ることとなり、自分がまさか極東ロシアに行けるなんて思わなかったので、そこで知った抑留者という言葉の意味を深くかんがえ、心から離れず旅のスタートから成田で皆と別れるその時まで仕事を忘れて泣きっぱなしで涙で曇ったロシア極東の旅でした。
帰ってからも時々旅のことを思い出すと目頭が熱くなります。
今回、慰霊巡拝のための団員のサポートとして政府の役人とともに出かけました。 身内を抑留中に亡くされた遺族の方々の悲しい思い、この事で出会ったロシア人の想い、・・そして戦争の残酷さ
私の初ロシアの旅はあまりにも切なく辛い、悲惨な日本人の歴史でした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- グルメ
- 5.0
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出発は成田空港第二ターミナルから。
特別待合室に集合し、結団式の後皆で出国です。 -
初めてS7航空利用です。
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緑色・・・芋虫みたい・・・と友人からの出国前のコメあり。
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噂の固いパサパサのパン。
これはロシアのパンがそんな感じの素材のがレストランで出ていたのでそういうものなんだと思う。
耳は食べずに真ん中だけ食べました。これ・・・まぁ悪くないです。 -
ロシアにはビザが必要なのですが、今回は外務省が特別身分証を発行してくれたので、パスポートで入国はせず、身分証で入国。
一般客とは別に空港の税関職員が待っていましたと誘導してくれて言われたところに並んで入国です。ウラジオストック国際空港 (VVO) 空港
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空港で待っていてくれたロシア人ガイドさんと合流して今夜のホテルに。
とにかく初ロシア、ウラジオストックはとても薄暗く、日本ではLEDが主流になりつつある街の街灯や信号機・・・本当に昭和の田舎の風景を感じさせるような街並み -
今夜のホテルはプリモリエホテルです。
外観はなかなかおしゃれなモダンヨーロピアンな感じです。プリモライ ホテル ホテル
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入ってすぐ左奥にロビーがあり、そこを抜けると外からも別ドアで入れるレストランピッザMという店が併設してありそこに中からいけます。
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ロシア通貨ルーブルへの両替でしたが、成田では結局やめてカードの使えるところだけで過ごそうと思っていたのですが、空港でキャッシングや両替をする時間などはなく、すぐに移動。 当初有料トイレの利用など少額が必要と聞いていたのですが、実際ウラジオストックは他の慰霊碑の場所や野戦病院跡などとは違い、整備されている綺麗な場所が多く、有料トイレに行くことなどもなかったので結局は現地通貨は不要でした。
ですが、厚労省の人や通訳の方にATMでのトラブル被害が多いという最近のトラブルを指摘され、キャッシングはちょっとATMを使うこと自体、万が一何かあると皆に迷惑がかかるというようなことを言われ、両替を悩んだのですが、全員分用意していると現地ガイドが持参してきた1万円分の両替を団員全員しました。
仕事で行って1万円使ってきたら仕事にならないなぁ・・・と思ったのですが、再両替はもっと馬鹿らしいし、結局自由時間があったので使い切れないほどでもなかったことと、割り切ってロシアの思い出を買おうと決めたのでその日のレートより当然手数料が入るので悪かったのですが、4800ルーブルを手にしました。
だけど実際街のATMは確かに汚いのが多かったのですが、ホテルのATMは飲み込まれることはなさそうな綺麗なものでした。。。ふぅ -
今夜のディナーは初日の夜だから?ってくらい素晴らしいものでした。まずいものがないというより、どれも美味しくて美味しくて!!
ピザMというレストランだからイタリアンかと思ったら、ちゃんとロシア料理でした。
サラダ(トマトとオリーブのサラダ)
スープ(パンプキンスープ)
メイン(キエフカツ)
デザート(チョコレートコーティングケーキ)
とにかく最初にトマト山盛りのサラダに驚いたんだけど絶妙な塩加減でめっちゃおいしパンプキンスープも濃厚、一緒についていたほんのりガーリックバターのパンも美味しくてスープに崩して入れると絶品
そしてキエフカツ!! 美味しかった~ チキンを薄くしてあるものを幾重かに巻いて真ん中にバターを入れて揚げてあるチキンカツなんです。
切った時に芳香なバターの香りとともにサクサクのカツ また食べたいです。
そしていつもデザートは海外ではほとんど甘くて食べれないのですが、甘さが上品で中にはシャーベット状になったようなヨーグルトのようなさっぱりしたほんのり酸味のものが入っていて口直しに最高でした。
ロシアで驚いたのはとにかく紅茶が美味しいということ。 どのレストランでも紅茶が美味しかったです。
お湯だけ入れてあとは自分でティーパックを入れる感じです。 -
お部屋は細長い廊下を通って奥の方でした。
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三階のお部屋。
夜、ホテルの外観を写真を撮ろうとエレベーターを待って居て開いたらロシア人らしき人が乗って居て下に行く?と聞くと 「上だよ!5階に行くけど部屋にくる?」と冗談なのかなんかブラックジョーク言われた?? 苦笑いしておやすみ~と手を振ってドアが閉じましたが何だか恰幅の良いヨーロピアン?なんか好色そうな嫌な感じだったな。。。
このホテルの口コミに女の人を呼ぶとかそういうのが書いてあったけれど、ある男性団員の部屋に女性呼ぶか?と電話があったそうで・・・ そんなことあるの?って本当の話だったみたいで・・・ちょっとそんなホテル?それとも街がそんな? -
部屋はいたって普通のビジネスホテル・・・
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とにかく何でも位置が高い!
バスタオルが届かなくて本当に大変でした。 孫の手を持って居たのでそれで引っ掛けて取ったけど他の方々はどうしたかな?と思って居たら、位置がバスタブの上にあったので棚までバスタブによじ登って取ったと言って居ました。 怪我されなくてよかった~
だいたい鏡なんて顔すら入らない位置なんです。
チビって損 -
ありがたかったのはシャワーヘッドが下に外されて置いてあったから届いたのでよかったです。
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アメニティがあったことに驚いた!
だいたいいつも自分のを持って行く人なのでまず使わないのですが、とっても使う気にはならないクオリティ・・・
手を洗うのに石鹸を剥いたけど泡が立ちません。。。笑 -
そうそう、機内でも面白かったんですがロシアの文字、キリル文字が気になって。
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ホテルに置いてあったランボーの本もキリル文字で。。。
簡単なロシア語講座を移動のバスの車内でガイドさんと通訳さんが指導してくれて、みなさん上手にこんにちは、ありがとうございます。 いくらですか? 等簡単なロシア語を喋れるようになって居ました。 -
朝食は普通のトーストとコーヒー、紅茶、ジュースでした。
お好みでスクランブルエッグやちょっとしたものはありました。 -
朝のホテル風景です。
このホテルは一泊だけで移動です。
荷物をまた積んで移動なのですが、ちゃんと荷物を移動してくれるスタッフをツアーで雇っているようでその人たちが夜のチェックインの時も運んでくれて居て、バスに積むのにもやってくれて居ました。
バスは韓国のヒュンダイのバスで乗用車は日本の車がたくさんありました。 -
今日のスケジュールでは午前中に予定して居た領事館への表敬訪問前に少し時間があったのでトカレフスキー灯台に連れて行ってくれました。
歩いていけるのですが小さな灯台で遠目に見るのが可愛かったです。トカレフスキー灯台 海岸・海
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レストランバスもありましたよ!
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何と! 暑くは無い陽気だったのに海水浴している人がいました。
ひょえぇ・・・ みなさん 水を触りに行ったら案外冷たかったと言っていましたがあまりきれいな水ではなかったのでそれの方が驚いたんですよね。 -
そしてウラジオストク領事館に行きました。
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領事館では領事とお会いして、戦没慰霊者の巡拝について色々とお話ししてくださり、ウラジオストックとアルチョム市の合同慰霊祭も数日後とり行うことになっていて色々とみなさんの思いを語って聞いてくださっていました。
ウラジオストックも2012年のエイペック以降インフラ整備も進んできれいになったということでした。
そういえば無料トイレも充実してきており、無料公衆トイレとしてメインストリート交差点に設置されたりしていると言っていました。 -
1912年から46年までは日本総領事館も追い出され、ロシア人のみしか住めない土地になっていましたが、その後政府間交渉のすえ、平成3年に初墓参に行けることになり、その後慰霊巡拝と遺骨収集が開始されるようになったのですが、今はまた遺骨収集ができなくなり、またある一部にしか巡拝にも行けなくなっている状況です。
厚生労働省のHPにも慰霊巡拝のことは記載されているので興味のある方は調べてみられるといいと思います。 -
この日は海洋墓地にお参りに行き、お線香と花を手向けてきました。
整備済み埋葬地として日本人のお墓があるのですが、ここでは日本人の遺骨は確認できていないと言っていました。 発見された時は棺のようなきちんとした状態で埋葬されていたが、浸水していて保存状態が悪かったということでした。 モンゴロイドの確認がされたということですが、75名の遺体を収容していると言っていました。 -
本日のランチのレストラン『グートフ』です
グートフ その他の料理
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ここは自家焙煎ビールの有名なお店らしいです。
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店内も可愛らしいお店ですが、自家焙煎ビールを飲みたかったのですが仕事ですから残念!
でも美味しいロシア料理を堪能できました。 -
今日もサラダから始まりスープ、メイン、デザート、紅茶になります。
スープはロシア料理といえば・・のボルシチです。 美味しいスープでsour creamを入れるとピンク色になって綺麗なスープです。
そしてメインはペリメニィと言ってこれもロシアでよく食べられている茹で餃子のようなものです。 中にお肉が入っていて、皮がもっちり厚めなのでボリュームがありました。
デザートのケーキはミルクレープのようなケーキです。 これはちょっと甘くてギブでした。 -
午後からはウラジオストック駅に行きました。シベリア鉄道終着駅ですね。
ウラジオストック駅 駅
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駅の構内は素敵な造りになっていました。
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ホームに行くとシベリア鉄道の路線が書かれている壁画?がありました。
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当時の列車が展示してありました。
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シベリア鉄道の旅・・・なんて今は観光で行ってみたいなんていう人もいるかもしれませんが、悲しく暗い過去の道です。
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鉄道駅のすぐ後ろには客船ターミナルもあり、最近ではダイヤモンドプリンセス等、豪華客船を見ることが多々あるとガイドさんが言っていました。
客船ターミナル 船系
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ウラジオストック中央広場前には漁業大学などもあります。ホテルかと思いましたが違うそうです。
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革命戦士広場(ウラジオストック中央広場) パルチザン勝利の記念碑です。
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広場の先の金閣湾の方にお土産物屋さんがあります。
入り口が三階になっていてそのまま下がって行くと一階の外はコナペリナヤ・ナペレジナヤ通りに出ます。 -
この店でマトリョーシカを買いましたが、とにかくいいお値段です。
土産物屋としてはいろんなものがあるのですが、値段がねぇ・・。
一階はチョコレートなどの食べ物の土産も売っていましたが、スーパーで買わなきゃ損っていうくらいいい値段でした。 -
でも欲しかったマトリョーシカ。。。5個組みのものしか買えませんでしたが、1500ルーブルだったのでまぁいいということでウラジオストックの観光名所の写真がプリントしてあるものにしました。
自分への土産だからデザインとか中の人形の数とか言い出したらきりがないし、欲しいと思うものは4000ルーブルもしたので買わなくて正解です。 -
軍艦岸壁通りを歩いて観光・・・ ロシアの旅で二度ほど炎がずっと出ているところがありました。
永遠の炎ということで戦没者の鎮魂のために作られたという場所でした。
石油産油国でもあるロシアなのでできることなんでしょう。 -
提督スクエアがあります。
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ニコライ二世凱旋門を観に行きました。
ニコライ2世凱旋門 建造物
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ルースキー島へ渡れるように今はつり橋がかかっています。
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鷹の巣展望台は下から上がるととっても大変なのですが、バスで裏道から上がってきたので楽チンでした。
金閣湾が一望できて気持ちの良い場所でした。 -
キリルとメフォディの像があります。 キリル文字を作った人ですね。
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ロシア正教会の近くにある大学の寮の一角に与謝野晶子の石碑があります。
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日本人くらいしか来ない観光地ですが、ひっそりと設置されていましたが、パリに留学中の与謝野鉄幹のところに向かう晶子の想いを綴った詩でした。
当時は船でウラジオストックに渡り、そこから列車で移動してパリに向かったということです。 -
ロシア正教会です。
中に入ってみました。 -
中に入るには頭に被り物が必要なんです。持っていない人は入り口にある箱に置いてあるので借りられるのですが・・・ うっぷ・・・持参しましょう。
そして中のドアの横に献金箱を持った人が座っています。中で拝観したら気持ち献金するといいと思います。 -
街の地下道にあるお店。
どの街のKIOSK系の店は窓が小さく防犯なんでしょうか? 小窓でやりとりしている人を何度か見かけました。
店のデザインは派手に目立つんですがね、やはり治安が悪いのでしょうかね? -
今夜のディナーはボルトフランコです。
時間にして19時頃なんです。結構夜が遅くて21時頃にならないと暗くならないです。やはりヨーロッパ!!ポルトフランコ 地元の料理
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地下にあります
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サラダ、マッシュルームのスープ(香りがとっても良くてお気に入り!)
ストロガノフ(ビーフではなくポークでしたがGood)
シューケーキ、紅茶でした。
本日も大満足
ここで米を食べられて幸せ~ -
店内もおしゃれなんです
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日本人が他にもきていました。オススメのお店だと思います。
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夕食後バスでひた走り隣の市のアルチョム市に移動です。
そして今夜のホテルはホテルアルチョムです。 -
レセプション、小さいです。
ホテルも小さくて3階まで毎日上り下り・・・エレベーターがなくて泣きそうです。
皆さん高齢なのに頑張って上り下りされていました。
手前の2名は荷物を運ぶバイトの学生です。
バスで一緒に移動して来ました。 こういう人夫みたいな仕事がまだあるんですね。
ちなみにホテルで英語が話せる人は1人だけで、フロントに電話をしてもまず通じなくて困ります。
久しぶりに言葉が通じない苦労を感じ、ストレスでした。
ここ最近トラベル英会話で困ることはないので仕事でもなんだかんだと必要に迫られて医療用語や医療英会話を勉強していますが、海外旅行をし始めた頃、英語が喋れないのによく行ったなぁと思い出し、こんなに不便だったんだと改めて痛感。
喋れると世界が広がりますから海外旅行が好きな人はお勉強されたほうが絶対にいいですよと言いたいです。 -
部屋は広く、ツインを1人で利用。
だけど最終日だけどうしても部屋の確保ができずにツアーガイドさんと同室に。
でも感じのいい方でしたし、いろんな話をして楽しい一晩だったのでよかったです。 -
朝食は5つの中から選びます。
1目玉焼き
2スクランブルエッグ
3クレープ(カッテージチーズ)
4クレープ(ハム&チーズ)
5オートミール
部屋番号の札が置いてある場所に腰掛けて待つと前日の夜までに決めたメニューが置かれるのですが私は通して目玉焼き・・・だけど毎日生っぽいサニーサイド・・・・・怖いんだけどお腹はくだらなかったのでOKのようです。笑
リクエストはオーバーイージーだったんだけど・・・そんなもん通りません。
毎朝調理のおばちゃんがてんてこ舞で大変! その方は調理が終わると今度は部屋のお掃除もするんです。 そりゃ大変! 手際がいいとはとても言えないし、英語も通じないからロシア語の通訳さんが一緒に指示して・・
紅茶かコーヒーくらいは言えるので皆で コーフェ チャイ とロシア語で手を上げてお手伝い。 -
アルチョム市にあるアルチョムホテルです。
情報があまりないのですが、前は違う名前のホテルだったみたいです。 -
この日は野戦病院跡と収容所跡二箇所にアルチョム市の職員の方の同行で墓参に行きました。
野戦病院跡はこの林の奥にあったそうですが、すでに時が経ち手前は人の土地になってしまって奥に行くことができなくなったそうなので手前で献花です。
本来はここの野戦病院で亡くなったわけではない場所ですが、諸々の理由から遺族が行ける場所が限られてここで代わりにお参りするしかないのです。
みなさん涙を流してこの土地の石やどんぐりの傘を持ち帰っていました。 -
その後行った場所は文化宮殿という場所です。
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アルチョム市の計らいで特別に開けてくださったそうです。
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中にはトルストイ、ゴーリキ、マヤコスキー、チェーホフ、プーシキン、チャイコフスキー、ドストエフスキー等 ロシアの有名な詩人や作家、作曲家などの肖像画が飾られています。
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素晴らしい芸術作品で技術の高さが評判になっているという場所で、抑留者が造ったものだと聞かされました。
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抑留者の意味をいまいち理解していなかった自分は、バカな質問をしてもいいですか?と、戦争でなぜこんな建造物を日本人が造ったんですか?と聞きました。
すると終戦後に日本兵が帰還できるはずと思い乗った列車はロシアに好きに使ってくださいと日本軍の上官が発した言葉からシベリア鉄道で連れてこられた場所が極東の地シベリアで、ここで強制労働を強いられソ連復興のために自分の意思とは関係なく働かされて、そして亡くなった方々のための戦没慰霊巡拝なんだよと聞かされ、気づいたら涙が溢れてきてここを素晴らしいなんて気持ちで見てはいけないと彼らの血と涙で造られた悲しい場所なのだと知ると、もういてもたってもいられずに息が詰まりそうになりました。 -
恥ずかしいことに自分が無知だった為に、ロシアに慰霊巡拝に来るという意味が今ひとつわかっておらず、戦争で亡くなった人・・・という括りしか自分ではわかっていなかったのですが、 終戦後の話ということが衝撃的でした。
しかも、日本人が日本人を言うなれば売ったわけで国のために戦わざるおえなかった人たちを日本の地を踏むことなく終戦後に死なせたのかと思うと悔しい気持ちや、怒りや、悲しみがとにかく押し寄せて涙が止まらなくなりました。
遺族の方々が涙しているのを慰めるべきなのに、自分が皆に背中をさすられ、仕事にならなくなって肩を抱かれバスに戻りました。
ある方は兄を亡くされ、栄養失調三度だったって言われました。想像もつかない栄養失調の程度、ある方は寒さから病気を悪化され腸チフスで亡くなったのよ・・・と。お父様を亡くされた方は父の顔を覚えていないくらいの小さい頃の話だったと話され、涙されていました。
私が泣いてしまったので、皆さんが色々な話をしてくださり、私はもう仕事になりませんでした。 -
バスの中でも皆しんみりしていましたが、ある方が一緒に泣いてくれてありがとうと言ってくださり、私の何が何だかわからない心の中の悲しさを受け止めてくださったことがとにかくありがたく、この日の夜は看護記録を書きながらも涙が止まらなくて眠れない夜になりました。
今こうして旅行記を書いていても涙が出てしまいます。
なんかそんな簡単なものではないのでしょうが涙が止まらないのです。
自分の涙がちゃちに思えて情けなくなります。簡単に泣いてはいけないのにと。
この地で亡くなった人たちの悔しさと涙は計り知れないものだと思います。
戦争を忘れてはいけないと改めて思いました。 あの時代に生まれてこなかったことをどんなに幸せなことなのかとも思いました。 そんな想いの中、自らも高齢になりつつある中、家族を思い、ロシアの地にこられた方達がいて、そしてその方達と同じ世代の私の家族が私たちに命を繋いでくださったこと。
みんなひどい時代だったと話していました。
でもこのことがあってから、それぞれの思いを吐露し、急激に皆の心が一つになったように感じました。 -
そのあとアルチョム市役所にも訪れました。
副市長さんと面会し、慰霊碑の維持管理のお礼を伝えるとともに、副市長さんからも今後も日本との交わした約束を変わらず続けていく努力をしてくださると皆さんに話してくださいました。 -
そんなことがあってしんみりした午前中でしたが、この日のランチはとってもポップなお店でした。19/20というお店です。
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夜はお酒も飲めるBarのようなライブハウスのような作りのお店でした。
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恒例の参加者が多いので目を丸くする人もいて、随分ハイカラな場所ねぇ・・・と笑っていました。
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ミニボトルを穴を開けて調味料入れにしているのも面白かったです。いいアイデアかも!?
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今日のランチはとにかくめっちゃ美味しいお食事でした。
今回の旅で一番だと思います。
どの店も美味しかったのですが、食べきれないわ・・・と残す人が多かったのにこの店は皆完食なんです。 残したくなかったの・・・という意見。
本当に美味しいお食事でした。 そしてこの店のシェフが挨拶に来たのもすごくポイントが高くて、皆で素晴らしい食事だったと褒め称えました。もちろん通訳さんが伝えてくれたのですが。 その雰囲気はわかったと思います。 皆でスパシーバとお礼を言って店を出ました。 -
午後はある慰霊碑にお参りに行きます。
花を注文していたのでガイドが出かけてくる間、私たちはバスの車内で待機でした。
なんだか胡散臭い客引きと元締めらしき男が身なりの一見して違う女性たちからお金を受け取っていました。
側ではたくさんの野良犬がものを欲しそうに人々のそばをうろついていました。 -
ひっそりと、だけどしっかりと整備された日本人慰霊碑に献花とお線香をあげ、黙祷をささげました。
そして皆、涙した後元気にお土産を買いに行こうとデパートに行きました。 -
30分くらいしか時間がなかったのでスーパーマーケットだけで終わっちゃいましたが、アリョンカのチョコレートも数種、ウラジオストックのチョコレートで鳥のミルクという名前のチョコ。これは中身が天草でできているとか? 柔らかいのですが、マシュマロではないのでうーんなんだ?って思っていたらガイドがそう言ってました。
そしてHEPAKAと書かれているカムチャッカ産のサーモンの水煮の缶詰 これはとても安価でもっと欲しかったけれど重いので4缶が限界。 帰りの荷物が0.5kgオーバーで中身を出して調整したという・・・トホホ。
プライベートな旅行ならそんなちょっとくらい・・・と思ってそのままチェックインしたんだけどなにせ団体行動な上にお役所の方がいますから・・・出さないと、ということで。チョコを手荷物に。 -
そしてガイドさんがいつも飲んでいるというウォッカを勧めてもらい二種類を土産に。
チョコがいい値段するのにウォッカは1000円以下で買えてしまうという。
あんまり安いのでグラス付きの約1600円のものを購入
まだ味は見ていないのですが楽しみです。 -
そして今夜の夕飯はベニスホテルレストランで
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今夜のお食事はサラダ、ヌードルスープ、魚のソテー(ハリバッド)デザート、紅茶
お魚はハリバッドだったので美味しかったけれどもう昼のご飯が残ってて食べきれません。 -
後1日で帰国です。
この日はウラジオストックとアルチョム市の合同慰霊祭を執り行う日でした。
この場所は2月に安倍総理が訪れた場所ということで新たに整備がされて、なおかつ友好の碑が建っていました。 -
カエデの木を植えたということでした。帰国の日、空港に送りに来てくれた副市長さんがカエデは桜の花に似ているからということで植えたと言っていました。
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式典を執り行うために、皆で設置しました。
お供え物なども遺族が色々と考えて持参したり、戦没者の写真を祭壇において手を合わせました。 -
皆で献花をして、お線香をあげました。 式典も滞りなく終わり、皆晴れやかな気持ちというか、ここへ来た目的を果たしたという達成感に似たような気持ちでいられたようで、とてもすがすがしい表情でした。
そして最後に遺族の1人が般若心境をあげてくださり手を合わせてこの場を去りました。
ロシア人のガイドさん、役所の方々、皆がどんな気持ちでいるのかはわかりませんが顔を真っ赤にして手を合わせてくださる姿はそれだけで充分と、同じ戦争を知らない私たちとしてはできることをしたのだと思いました。 -
ホテルに戻って着替えてからランチと買い物に出かけました。
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ブラッドモーターインというホテルレストランでランチをいただきます。
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カナダチックな造りのお店でした。
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店内は広々としていました。
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今日は忌中払い?って感じで白いテーブルクロスの上に鮮やかなサラダがスターターとして乗っていて皆で向かい合わせに座り和やかなランチタイムになりました。
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グリークアイランドサラダ、ヌードルスープ、ハウスメイドの肉団子(チキンハンバーグみたいな?)マッシュポテト添え、デザート&紅茶
美味しゅうございました。 -
セダンカシティという大きなショッピングモールにも行きました。
皆さん前日のお土産の購入で大体お金を使いきっていたのでそこまで色々と見る必要はなかったようです。
残ったお金で買えるものを買っていました。 -
フォーキナー通りだって言ったかなぁ?
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ヨーロピアンな風景に癒されました。
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ほとんどの人が疲れたからバスの車内で待機するというので、私たちと数人の方で散策しました。
ゆるい坂道になっており、それを心配していたようですがそこまで急ではなかったので戻ってくるのも楽でした。 -
皆、このロシア行きを仕事で来た人や遺族として参加した人色々ですが間違いなく悲しい歴史を知りながらも今を大事に生きている皆だと思いました。
いろんなことを考えながらスポーツ湾を眺めて帰りました。 -
最後の夜のレストランはポルトカフェというシーフードのレストランです。
だけど今夜のメニューが一番残念で美味しくなかったのですが、だってシーフードじゃないんだもの・・・残念すぎるぅ -
お店の雰囲気は良かったのですがね・・・牡蠣とか食べたかったなぁ。。。
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サラダ、ウハーという魚のスープ、ロシアでよく食べられているというゼンマイの炒め物。。。うーんどれも微妙・・・だけどまぁ最後に皆で笑って食事ができたので良かったなと。
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帰国日は朝食をすませるとホテルを出て空港に向かいます。
帰りも特別身分証と口上書で出国です。
副市長さんがお見送りに駆けつけてくれました。彼は韓国人の移民らしいですが親日家で日本語も堪能・・・素晴らしい人物でした。
人種、国籍を超えて皆が仲良く暮らせる時代はどこまで待っても来ないのでしょうか? -
帰りの機内ではまたサンドイッチだったのですが、今度はチーズの方を選びました。
するとどうでしょう?食べられる・・・程度の美味しさだったサンドイッチがチーズが美味しいのか?なんとも言えないロシアの味を思い出しました。
成田空港では団員一同皆、抱き合い、握手をして目に涙を浮かべて別れを惜しみながら各自帰路につきました。
先日遺族の1人の方からお礼状が会社を通して届きました。ありがたいです。自分の財産だと思って大切にしています。
今年最大の素晴らしい出会いと思い出をもらい私はまた今月仕事で南半球に行きます。旅行認定看護師の資格を取ってから、トラベルナース、ツアーナースとして自分の健康を維持しつつ楽しく安全な旅ができるようにお手伝いして行きたいと思っています。
一気に書き上げたので長くなってすみません。
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この旅行記へのコメント (6)
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- 元カニ族さん 2019/05/14 15:38:57
- 得難き経験!
- 得難き経験、良い経験をされましたね。
父を、シベリア抑留中に亡くされた方々の悲しみを、戦後世代(?)の若きママブーさまと分かち合えて、本当に良かったたと思います。
これからも、お励み下さい。
元カニ族
- ママブー♪さん からの返信 2019/05/19 18:12:34
- RE: 得難き経験!
- 元カニ族さん こんにちは
昨日中学1年生のフレンドリーシップから帰ってきました。
ロシアの仕事はとても有難く勉強になりました。また、ご指名があれば参加させていただきたいものですが、こればかりは待つしかありません。笑
ですがこのところ日々の生活が忙しすぎてPCすら開かない毎日になっており、少々疲れております。なのでゆっくりする時間を作ってみようと考えておる次第です。
旅行記仕上がりませんが、時々のぞいてくださいませ。
-
- mei1110さん 2018/09/27 06:28:12
- お国柄なのか、軍港のせいなのか
- こんばんは。
興味があるけどまだ未踏の街・ウラジヴォストックの旅行記、興味深く読ませていただきました。
こうした公式の催しも平成になってからやっとできるようになったんですね。
私はウズベキスタン、ミャンマー、パラオで日本人墓地や慰霊碑などを見学したことがあります。
それぞれ雰囲気はかなり違いますが、なんだかウラジヴォストックが一番状態が良くないような…
遺骨収集が早い段階で出来たか否か、またはそこの国の気質なのか。
(パラオでは今でも遺骨収集継続中ですが)
ソ連領だったウズベキスタンですが他の方もコメントされているようにナヴォイ劇場のこともあって
「ソ連と日本は戦争してたけど、俺らウズベク人だし」という感覚で接してくれたという話も聞きました。
一人でふらっと訪れた私に対して現地の警察官が「おじいさんがここにいるの?」「来れてよかったね」とフレンドリーに話しかけてくれたことを覚えています。
実際には関係者は誰一人いないのですが、何となく嬉しかった出来事です。
ウラジヴォストックは軍港という性質ゆえ余計に厳しかったのかもしれませんが、
その場所へ行くことすらできない・何人なのかもわからないケースもあるなんて聞くと切なくなりますね。
だからこそ日本人が訪れることには大きな意味があるんでしょう。
と同時に、平和な時代に生まれたんだから平和にビーチリゾートを楽しむのはいいことだと思います!
それとこれとは別ですから!!
というか、ハワイだってグアムだってパラオだって沖縄だってそういう歴史だらけです。
でもそこだけを見ていたら明るい未来へは進めませんから。
忘れないでいること、機会があったら訪れること、それでいいのではないでしょうか。
P.S
S7、私も初めて見た時虫っぽいと思いました。だから嫌ってことは全然ないのですが(笑)
長々と失礼いたしました。
mei1110
- ママブー♪さん からの返信 2018/09/27 15:03:39
- Re: お国柄なのか、軍港のせいなのか
- 感想コメントの書き込みありがとうございました。
ロシアの遺骨収集はプーチン政権になってから禁止され、再開できておらずいまだに帰国できずに眠っている方がいるのです。
他の戦地で遺骨収集が行われているのも存じております。
去年、今年と慰霊の旅に同行させていただき、色々と考えました。
その上で確かに今の時代に生きていることを感謝して綺麗な景色や海を眺めて旅できる事を大事に出かけていきたいですね。
ありがとうございました。
-
- 哈桑湖さん 2018/09/16 15:22:53
- ウラジオストクの文化宮殿
- ママブー♪さま。
ウラジオストクの文化宮殿も日本兵捕虜が建設労働に従事させられたんですね。
カザフスタンのバルハシ市の文化宮殿もそうです。
あとウズベキスタンのナヴォイ劇場も日本人捕虜が建てたものです。タシケントで1966年に大地震があって、町は壊滅しましたが、この建物は無傷で日本人に対して尊敬の目を向けています。
トルクメニスタンのトルクメンバシ(旧名クラスノヴォーツク)の文化宮殿も日本兵捕虜が作ったものです。日本兵捕虜が作った通りの建物群が町で一番綺麗な所です。
ロシア本国とちがい、中央アジアでは、捕虜として強制労働に駆り出されていても、住民との交流があり、日本人の勤勉さは礼儀正しさは地元民からも高く評価されました。それゆえ、カザフスタン、ウズベキスタン、キルギス、トルクメニスタンではとても親日です。
ホテルではフロントで最初は、ニイハオとぶっきらぼうな扱いを受けますが、「ヤーイズヤポーニイ」と答えると、ニコっと笑って態度を変えてきます。
シベリア抑留ですが関東軍の幹部は部下たちを置きざりにしたんです。
本土決戦に備えると嘘をついて、敵前逃亡したんです。
残された日本の兵隊さんたちの業績をよく地元民からよく聞きます。この方に対する感謝や尊敬の念を覚えずにはいられません。
あとウラジオストクの変貌に驚きました。
暗い町というイメージでしたが。
すごく明るい町ですね。
今回は綺麗なウラジオストクのお写真ありがとうございました。
- ママブー♪さん からの返信 2018/09/16 17:17:35
- Re: ウラジオストクの文化宮殿
- 訪問ありがとうございます。
海外旅行が好きで出かけますが、その土地の暗い歴史などを知ると呑気にビーチリゾートしていたらいけないんだな・・とふと思ったり、自分の祖国なのに歴史を学ぼうとせずこの歳になってようやく考えなければいけないことなどが増えてきて、旅をする目的も少しずつ変わったり、純粋に楽しんだり・・・いろいろです。
でも貴重な経験をさせて頂いた事がきっかけで日本の歴史をもう一度知っておかねばならないと思ったことは自分への財産だと思って当時のことを考えながら大事に異国の地を歩いています。
幾つまで海外旅行ができるのかわかりませんが、挑戦したいなと思うのでまだまだ時間はあると信じてこれからも経験値を積んでいこうと思っています。
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