2017/09/16 - 2017/09/19
189位(同エリア1493件中)
エビルさん
今回、サンライズのチケットが取れたので島根と岡山に行ってきました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 新幹線 JR特急 JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
さあ最終日の4日目です。
今回は倉敷美観地区からスタートです。
写真に見えている洋風の建物は大正6年に建てられた倉敷館です。
ここは昔は役場だったのですが現在は観光案内所になっていて
無料の観光ガイドもここからスタートでした。
まずここ倉敷は江戸時代幕府直轄の港の中継地でした。
この川沿いの建物の中で江戸時代に建てられた屋敷は2階部分が1階部分より天井が低く作られています。
それは2階から荷物を見られないような構造になっています。
他にもこの川は水の流れがありません。
現在はせき止められているというのもありますが、江戸時代でも流れが急ではなく荷物の運搬がしやすいのが理由だそうです。
右側にある橋は中橋という名前です。
この橋1枚の石でできているんです。
最後にこの美観地区が残っていたのは
地区内にある大原美術館にエルグレコの傑作「受胎告知」があったためとされていますが、実際の所は第二次世界大戦時、日本が降伏を伸ばしていたら空襲の被害にあっていたそうです。
この町が残ったのは運が良かったんですね。 -
次にこちらは昔証券会社でこの黒板にその流れで為替の
予想が書かれて入れています。
この文字学生の時に見ていた先生の誰よりも綺麗でした。
この文字だったら苦労しなかったのに。
黒板に書くの難しいのに素晴らしいです。
この写真の右側に木の板があるの分りますかね?
よく見ると釘が刺さっているんですけどトンカチで打ち付けてはいないので
雨で溶けて木の板に黒い色で溶けているそうです。 -
こちらは新渓園です。
倉敷の紡績で財を成した初代社長大原孝四郎の別荘です。
すごい風情のあるお庭ですね。 -
こちらは敬倹堂というお部屋で56畳もあるんです。
ここは別荘ではあるんですが、この大きい部屋を自分たちで使うのはもったいない
ということで一般に開放されました。
今では結婚式や茶道のイベントに使われたりしています。 -
こちらは石畳に石臼が使われています。
石臼を埋めた時に周りから反発があったそうですが
大原氏は一度使ったものをまた新しい形で使うから悪くないと答えたそうです。 -
こちらは大原美術館の分館です。
この芝は海を表していて石は島だそうです。 -
この写真の真ん中にあるのはロダンの歩く人です。
-
こちらにはヘンリームーア「横たわる母と子」があります。
-
こちらは新渓園の玄関口はこちらになるそうです。
さっきは庭から入ったので。 -
こちらは大原美術館の本館の壁です。
こちらはかつて縦長の窓がついていたんですが
絵画が盗難されたため窓を塞いでしまったんだそうです。 -
こちらはモネの睡蓮のもとになった睡蓮の葉っぱなんです。
こちらは児島虎次郎という人物が直接現地に行って株を分けていただいたんです。 -
こちらの銅像はどちらもロダンの作品で手前からカレーの市民と洗礼者ヨハネです。
その証拠に -
ロダンのサインがあります。
-
こちらのサインは綴りが違いました。
作品の時期によって違うんですかね。 -
こちらの瓦は太原家の家紋が表されています。
江戸時代は家紋を瓦に出すことは禁じられたため
こちらは明治のころのものになります。 -
倉敷には白鳥がいまして、奥が親鳥になります。
子供は残念ながら何羽か死んでしまったそうです。 -
こちらは今橋という橋になります。
昭和天皇が倉敷を訪れることになりこの橋を建設したそうです。
その証拠として -
こちらのドラゴンですが指が5本あるんですが
それは中国では王族を表す指の数が5本だからだそうです。 -
こちらには天皇のあかしとして菊の紋が描かれています。
-
こちらは太原家の旧住宅地です。
今修復中で外観のみの見学となります。 -
こちらのつくりは外から見えづらく中から見やすいように設計されています。
金沢の茶屋街に似ていますね。 -
こちらは右と左で瓦の絵が違います。
左側が江戸時代に造られたもので右側が明治に造られたものです。
その証拠に左側の瓦が家紋ではありません。 -
此方は有隣荘です。
この建物二つ特徴があります。
下にある石にそって木材が作られています。
こちらは高松城の石垣に使われていたものを使用していたからです。
続いて瓦は普通の色ではなく釉薬を使っているため見る角度によって緑色に見えるんです。
これは中国の影響があるからなんだそうです。
この色から別名「緑御殿」 -
こちらの路地はひやさいと言って
日の光が弱い様子から等諸説あります。 -
こちらはなまこ壁と言われる壁です。
こちらは瓦と瓦に漆喰を混ぜてなまこの様になっていることから
この名前がついています。
こちらは防水防火対策として作られました。 -
因みにこちらは先ほどの写真より古い壁になります。
-
こちらは常夜燈です。
-
こちらは船の荷捌き所だったところです。
-
此方の木に船の縄をひっかけていたため少し凹んでいます。
分りますかね? -
こちらの路地に石畳が並列に並んでいます。
今はコンクリートで平面になっていますが、
当時この地は土だったので車輪が通りやすいように
石畳を敷いたそうです。 -
こちらは紡績会社跡地です。
この看板は歴史の移り変わりを表していますね。 -
こちらは倉紡の社訓に2と3の数字が表されています。
これは一番になっても謙虚であれという意味だそうです。 -
この地は江戸時代代官様の住居でした。
その跡地が描かれています。 -
ここは昔川が流れていてその痕跡が残っています。
-
こちらの工場跡地ですが、建築様式をイギリスから輸入したため
熱がこもりやすく蒸し暑かったので植物をは生やして日光を遮ったんだそうです。 -
このドアは滑車が上についています。
-
こちらの通路は職人たちの町並みです。
なので通路が少し狭いんです。
商人の通路は広いので財力の差が表されています。 -
こちらは倉敷で一番古い井上家の屋敷です。
現在修復工事中のため見ることは出来ませんでした。 -
こちらの壁は火事で燃えたのではなく防虫の為あえて燃やしたんだそうです。
-
こちらは銀行になるのですがこのステンドグラスは
お金を貝殻で表しています。 -
こちらは阿智神社です。
倉敷の鶴形鵜山に鎮座しています。
山頂登るまでは少し骨が折れましたけどね。
倉敷は以上になります。
次は後楽園に向かいます。 -
岡山駅に到着しました。
-
この路面電車で後楽園駅に向かいます。
-
後楽園に着きました。
-
この後楽園は偕楽園、兼六園に連なる日本三名園の一つに数えられています。
こちらは江戸時代岡山藩主の池田綱政によって造営されました。
奥には旭川を挟んで岡山城があります。 -
こちらの石橋はかなり古そうですね。
-
こちらはタンチョウです。
オスが1羽でメスが5羽いました。
これを見ていたおばさんが「なんか大奥みたい、優秀なオスは1羽で十分よね!」
なんて言っていました。
オスとして思わず苦笑いでした...。 -
こちらは延養亭です。
こちらから歴代藩主がこの建物から庭を眺めていました。
こちらの建物は戦火で焼かれてしまい昭和35年に再建されました。 -
こちらが藩主がながめていた景色になります。
-
こちらからは池とお城が見えます。
-
こちらは五十三次腰掛茶屋から見た景色になります。
この建物は江戸時代から明治に建てられたもので
東海道五十三次を描いた扁額がかけられていたことからこの名前が
ついたそうです。
ここからの眺めはこれはこれでありですね。 -
こちらの茶畑は、築庭当時からあり土手山と調和がとれています。
こちらの茶葉は藩主が普段飲むように育てられ、毎年五月には茶摘み祭りを行っています。 -
こちらは千入の森(ちしおのもり)です。
こちらの楓の森は築庭当時からあり千入とは幾度も染まる
という意味だそうです。 -
こちらは梅林の森です。
100本の色々な種類の梅が植えられているそうです。 -
こちらは花交の池(かこうのいけ)です。
当時はヤマザクラや花木を中心とした景色だったそうです。 -
こちらは茶祖堂です。
この建物は幕末の家老の下屋敷にあった利休堂を移築したもので
茶を日本に伝えた栄西禅師も一緒に祀られていることから茶祖堂と
呼ばれているそうです。 -
こちらは花交の滝です。
-
こちらは流店です。
-
この建物には水が流れている珍しい建物で
藩主の庭周りの休憩所として使われました。 -
名前はなかったのですが以前は滝が流れていたんだと思います。
-
こちらは八橋です。
伊勢物語の東下りにちなんで作られたそうです。 -
こちらは唯心山から見た景色です。
-
全景がこちらです。
-
どこを撮っても絵になります。
因みにここは池田継政が造った6メートルの築山です。 -
こちらは廉池軒です。
こちらは池田綱政が一番好んで利用した建物です。 -
ここからの景色もいいですね。
-
こちらは御舟入跡です。
藩主が岡山城から船で入るときに船着き場として
使われていました。 -
こちらからは唯心山が見えます。
-
こちらは南門です。
-
こちらは月見橋です。
この橋を渡って岡山城に向かいます。 -
岡山城近づいてきました。
-
岡山城まであと少しです。
-
こちらの門は廊下門です。
本殿と中の段書書院を結び城主が通った通路でした。 -
この階段普通は敵を向かい入れるため登りにくくしているんですが
中に学校があった為子供が登りやすいように階段が造られています。 -
こちらは藩主の家紋が描かれています。
-
こちらは月見櫓です。
二代目藩主の池田忠雄が岡山城の増改築に際して、本丸搦め手に備えて建てた江戸時代初期の隅櫓です。
月見にも適していて残された二棟の作品です。 -
こちらは学校跡地です。
-
こちらは天守閣の礎石です。
岡山城が戦火にあり残された石がこちらに残されています。 -
こちらが岡山城です。
宇喜多秀家が岡山城の象徴に建築した三層六階建ての望楼形天守閣で、城郭建築物に天守閣が出現して発展し始めた時期の構造的特徴を伝えていました。
空襲で焼かれて昭和41年に再建されました。 -
こちらは天守閣からの眺めです。
-
しゃちほこが見えます。
-
こちらは笠松です。
-
この石垣は小納戸櫓下の石垣です。
1620年代に建てられました。 -
岡山駅に戻りました。
-
ポストには桃太郎がいました。
今度岡山に来るときは桃太郎のゆかりの地に行きたいですね。 -
駅のホームに500系が止まっていました。
今迄見たことなかったのでラッキーでした! -
以上で今回の旅行が終わります。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
倉敷(岡山) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
87