2017/08/11 - 2017/08/11
4413位(同エリア7460件中)
むしころさん
山形の北のほう、新庄からスタートして
途中で気になったところに立ち寄って、、再び南下
予定外の「トトロの木」が印象的に残った。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
-
蔵王温泉から1時間40分くらいで新庄に着いた。時刻は10:20
城跡は公園になっていて、併設して資料館がありました。
駐車場も無料で広々。
資料館は300円、
新庄城について詳しいことを知りたかったのですが思ったほど展示されていなかったのが残念。雪国ならではの農具とかが沢山展示されていました。
この付近の鎌倉室町時代の勢力図とか、城跡の分布図がとても興味深かったです。
20分くらいで見終わって、城跡へ行きました -
新庄城は寛永2年(1625)に新庄藩初代藩主の 戸沢政盛 が築きました。
当初は本丸の中央に三層の天守閣があったらしい。新庄城址 名所・史跡
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御玄関跡
新庄藩政庁の正面玄関があった場所 -
本丸の北東の隅あたりには小納戸櫓跡がありました。
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西側が裏御門跡
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絵図で見たら、多分ここはかつてお堀だったと思う。
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南側のお堀
絵図だと本丸の周りをぐるっとお堀があったので今立っている場所は埋め立てたのだと思う。 -
土塁
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南側の隅っこにあった神社
新荘天満宮 だって。
新庄藩主戸沢家の氏神様で、旧領秋田の角館時代から崇敬されてきたそうです。
戸沢氏は関ヶ原の戦い後、常陸国の松岡に減転封させられて、
江戸時代に徳川への接近を積極的にすすめることで挽回し、元和8年(1622)に藩祖の政盛公が常陸国から加増天封され、
そのときに神社も一緒に移動されました。
そして寛永5年(1628)にこの場所に遷座。
萱葺きのきれいな神社。江戸時代前期の建築様式をよく表わしている神社建築の一つらしい。
二代目藩主の正誠(まさのぶ)公時代、寛文8年(1668)に社殿を再建して、延宝8年(1680)に茅屋根の葺き替えなどを行っていることが棟札の記載によってわかっているらしい -
神社のそば、本丸の南東にあるのが武器櫓跡
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土塁とお堀
のどかだな~のんびりできそうだ -
新荘護国神社
お詣りしていかねば -
それから表御門の跡を通って、最初に来た道にもどる。
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城跡の東側、大手道を歩き、大手御門の跡へ
ふるさと歴史センターの近くにあります。 -
大体見たから、これにて終了。
歴史センターでみた勢力図と城跡マップで
このあたり、最上郡は、
清水、鮭延、小国、の三氏が有力で
そのうち鮭延氏が本拠にしていたのが北の真室城となっていました
だからちょっと行って探してみようと思う。 -
新庄から30分くらい走行したら
正源寺がありました
鮭延氏の菩提寺です。鮭延氏はのちに最上氏に従いました。
このちかくに真室城(鮭延城)もあるらしい。。 -
お寺の本堂との間に線路があった!
山門は江戸時代末の作といわれています。
もともとは朝日村大網の湯殿山大日坊の総門だったものを昭和36年にこちらに移したそうです。 -
城跡が全然分からなかったので駅に来てみた。
マップ発見!
そういえば、ここに来るまでの間に「小杉の大杉」への案内看板があって、『矛盾した名前だな、どういう杉なんだよ・・・』って思ってた。
このマップにものってて、別名が「トトロの木」だって?!余計にわけわからん!
帰りに寄っていこ。 -
もう一つのマップには鮭延城跡ってのってるけど、、、、
これじゃ場所分からなくないか??
城跡には駐車場もないみたいで、探しているうちに道を間違って畑のあぜ道に落ちるとか民家に侵入するとかしたらいやだから城跡はやめて、トトロに行くことにした
『きっとあの山だ!』って思いながら通り過ぎていったのであった。 -
まむろがわから30分くらいで到着。
駐車場までの道がすれ違えないくらいの細い道だった、短い距離だけどすごくどきどきする。 -
あれか・・・
-
曲川の大杉っていうのが本来の呼び名のようだ。
これ、一本の木だったのか!!!すごいな。
推定樹齢は1000年といわれていて、根回りは6.3m、樹高が約20m、枝張り17m。
日本海側に生息するウラスギに属しているそうだ。(太平洋側に生息するのはオモテスギらしい。環境に適応して変化したみたい)
木のそばに祠もありました。神木として信仰されていたらしい。 -
たしかにトトロだな
それより、このみごとな大きさと、一本の木がこんなに膨れていることに感動を覚える
しばらく眺めていました。 -
南下して天童へ向かう。
途中で道の駅尾花沢に寄ってみた
スイカが売りみたいで、スイカソフトまであった。気になるので買ってみた
JAF会員は50円引きで270円だ。 -
スイカソフトクリーム、入り口のスイカの置物とともに。。
クリーミーななかにほわっとスイカの香りが現れる、、おいしい。 -
さらに南下したら居合神社ってのがあって気になったので寄ってみた
-
右側、ロシア語だよな。
ロシア人もよく来るのか?! -
大同2年(807)に熊野権現がこの地区の東方に祀られたのですが、それが永承年中から正安2年(1046~1300)にこの場所に遷座されたそうです
天文年間に居合道の祖、林崎甚助源重信公がここの熊野明神に祈願参籠して修行に励んで、熊野明神さまから「神妙秘術の純粋抜刀」の奥義を神授され(?!)京都で父のあだ討ちをして本懐を遂げたそうな。
それにより後世になって重信公を神格化して「居合明神」として熊野明神さまの境内の一角に祀ったそうだ。
そして明治の神仏判然(分離)令で一村一社制推進のため、二つの神社を統合して
今は「熊野・居合両神社」となっているそうです日本一社林崎居合神社 寺・神社・教会
-
居合神社から10分くらい走行して、時刻は14:50
途中に楯岡城跡があるみたいだったから探していたら、お寺があったのでお参り。
祥雲禅寺さんです
最上満国公の墓所もあります -
雰囲気がよいお寺でした。
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初代楯岡城主の最上満国公のお墓
彼は山形最上氏の3代目、満直公の四男です
(ちなみに最上義光公は11代目です)
応永13年(1406)5月に楯岡にきて、祥雲寺を創設するなどしました。
支配は7代に渡って続いたそうです。 -
この墓標は昭和に作ったようだ。
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お寺のそばに城跡のある山があるようだ。
あっちに神社みたいなものが見えるから行ってみよう。 -
大きな池のほとりにあった
白山神社 -
神社のそばに、おっ!地図があった。
お城の跡もここからいけるみたいだ。 -
で、進んでみた。
草ぼーぼー -
毎日小雨が降っているせいで草に水滴がついているため、脚がすぐびしょびしょになってきた・・・・
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これによると七曲コースを300m進んで途中でコースからはずれて150m進むと着くらしい
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で進む。
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草ぼーぼーだよ(涙)
しかも300mはもう進んだはずなのに分岐が無くてそのまま七曲コースを進んできているみたいだから引き換えした。 -
池の南側は車道がちゃんとある濡れない道だった・・・
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ちなみにこの池は
湯沢溜池 といって、江戸時代以前から灌漑用水池として利用されていたらしい。
平成7年から17年まで10年間に及ぶ大規模な改修工事によって現在の溜池が出来あがったそうです。
説明看板によると、真ん中のほうに 浮島 があって、これは沼の築堤工事で岸辺が切れたものが浮き上がって草木の根でそのまま保たれているものだとのこと。風で動いて「湯沢沼の動く浮島」として親しまれているそうです。しかも今は水面に浮き沈みまでできるようになったらしい。
城跡に行くのは山の東側の稲荷神社からいくコースなら分かりやすいかなと思って稲荷神社に向かってみたのですが時計をみたらもうすぐ16時になりそうだったのであきらめて、本日の宿泊地、天童に向かうことにしました。
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