2017/08/09 - 2017/08/10
117位(同エリア217件中)
むしころさん
前回の旅行記の続き。
今回は白石城などを見ました。
たまたまお祭りをしていて、地元のイベントを垣間見られてよかったです。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
-
夜ご飯は通りがかりに梁川のヨークベニマルで買っておいた品々。
おつとめ品のももがめちゃくちゃ美味しかった!!! -
駅の前から商店街にかけて歩行者天国になっていてお祭りをしてた。
おお!!武者だ!!! -
夜のお城に来て見ました
ライトアップされてかっこいい!!!!白石城 (益岡公園) 名所・史跡
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違うところからも撮った
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駅
お祭りのため人が沢山
お祭りの終盤で花火が上がった
地元のお祭りを思い出した -
ホテルの窓からもお城が見えた
うれしい
小さいけど・・・
ちなみにホテルはパシフィックホテル白石さんです。
駅のロータリーから入るので最初迷って街中を車でぐるぐるしていた。 -
8月10日 8:47 JR白石駅。
天気は曇り。
ホテルと駅とで入手した観光マップによると、見所が結構あったので、今日はほぼ白石だな。白石駅 (宮城県) 駅
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まずは延命寺
山門が白石城の厩口門なのです。 -
すごい信号機があった。
こんなの初めて見た -
外堀の跡だ
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観光マップ
今ちょうどお堀に沿って歩いております。 -
静かですてきな街であった。
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神明社方面からお城に攻め入るぞ。
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かつて神明社の鳥居の近くに厩口門(先ほど延命寺で見た門)があったらしい
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白石城のミュージアムに入ってみた(無料。立体ハイビジョンを見る人は有料で300円です)
お城の模型とか、色んな時代に描かれたお城の縄張り図を見ることができました
あと片倉氏累代の説明とか、伊達家のお食事の模型とかあってとても興味深かったです -
この模型で見ると下のほうが今のJRの駅がある場所にあたる はず。
白石城は別名「益(枡)城」というそうです
後三年の役(1083~1087)で活躍した刈田左兵衛尉経元が築城したのが始まりと言われています。
天正19年(1591)に豊臣秀吉が伊達氏支配下のこの地域を没収し蒲生氏郷に与えました。そして蒲生家家臣の蒲生源左衛門郷成が城主となってお城を改修。
のち慶長3年(1598)上杉領となって家臣の甘糟備後守がお城を再構築
慶長5年(1600)関ヶ原の合戦直前に伊達政宗が白石城を攻略して伊達領となり、石川大和守昭光が一時城主となり、後に片倉小十郎が城主になって大改修、明治維新まで片倉家の居城となったのでした。 -
大手二の門を通って
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本丸
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本丸御殿の詳しい解説もあった。とっても親切だ。
「御配膳所料理人」「不断台所」「上御台所」「御成御配膳所」って料理と食事へのこだわりを非常に感じる・・・
あと「御漬物御仕込所」「御肴部屋」というのまである。
すごいな。 -
鐘堂と鐘
非常のときに鐘を鳴らしました。それから毎年7月の城廻りの土手とお堀の掃除のときにも鳴らしたそうです。朝8時に7回ついて、9時に5つ、10時に3つで終了。
城下の侍と足軽と扶持をもらっている人が総出で行ったそうです。
鐘は最初のものが文正元年(1466)の鋳造で、長年使用してひびが入ってしまい、寛文元年(1661)に片倉景長(3代目)が仙台の鋳物師早山弥五助に命じて再鋳したとのこと。ここにあるのは本物ではなくて、現存しているものは傳来寺(桑折町)境内にあるそうです。 -
本丸井戸。
本丸には井戸が全部で3つあったようだ -
天守に入った(300円・JAFだと割引で250円)
復元天守です。
中にいたスタッフのおじさんによると国産の木材で建てたらしい。すばらしい!
木の香りが心地よかったです。
希望者はこれを着て写真が撮れるぞ。 -
天守からの眺め
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曲輪
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これは本丸のようす
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東側、駅がある方面
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天守でお土産に小十郎の提灯買って満足して出て来た。
これは本丸の辰巳櫓跡 -
大手門をでて下りてきたところに大きな井戸屋形があります。
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二の丸方面からお城を出る
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そして辿り着くのがお城の西側の裏御門跡です
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南下して清林寺へ
お城から徒歩で30分くらいだったかな。
真田信繁公ゆかりのお寺だそうです
開基が信繁の遺臣、三井奉膳。浄土真宗に帰依し、善久という法名で寛永11年(1634)に善久坊を創建し、萬治2年(1659)に改称して法源山清林寺になったそうです。
片倉重長が大坂の役の後真田信繁のの遺臣や遺児を引き受けてくださったおかげです、ありがたや。
寺紋も六文銭です。屋根の上のほうを見ると六文銭があった清林寺 寺・神社・教会
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つぎは傑山寺
片倉家菩提寺です。傑山寺 寺・神社・教会
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本堂
と、その前にどーんと景綱公の銅像が。 -
早速初代のお墓へ
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一本杉が墓標。それだけ・・・
素敵すぎる。 -
常林寺
ここには白石城の二の丸東北隅にあった「時の太鼓」が保管されているらしい。常林寺 寺・神社・教会
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駅方向へ戻って当信寺
山門が白石城の東口門(二の丸大手二の門)です。当信寺 寺・神社・教会
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本堂
ご本尊は阿弥陀如来さまです
浄土宗のお寺 -
本堂の裏に阿梅(信繁の娘・左側のお墓)のお墓と片倉四郎兵衛守信(信繁の次男・右側のお墓)のお墓があります
大坂の陣で重長公(二代目)が信繁と戦って、武功を見込まれて託されたという説と、
大阪城が落城した後、乱捕り(生け捕り)して連れ帰ったなかに紛れていたという説があります。当信寺 寺・神社・教会
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阿梅は重長公の後妻になりました。
大八は片倉四郎兵衛守信と名乗って家臣ということにしていました。
徳川幕府から目をつけられないように気をつけていたようです。
のちに真田の姓にしたのですがまた幕府から問い詰められたりしたので片倉に戻し、幕末になりようやく子孫が真田に戻すことができました。
長野の松代の真田も伊達の真田がいたおかげで絶えずに済んだので、生き延びてくれて、そして片倉家にいて、本当によかったと思う。 -
さらに駅方向へ歩いて妙見寺
ここは日蓮宗のお寺です -
本堂
これで徒歩で街中の観光は終了!
ホテルに車を取りに行って
出発だ~!
今の時刻は12:20くらい -
片倉小十郎歴代御廟へやってきた。
駐車場も広め。 -
合掌
蚊がいっぱいいた!!! -
真ん中が初代景綱公
初代の左が二代目重長公
初代の右が三代目景長公
三代目が白石城を眺めるこの地に墓所をつくりました。 -
遠くに白石城が見えた
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片倉小十郎景綱公の勲功がなんとかで、昭和3年11月10日に天皇陛下が即位して・・・正三位を贈らせらる・・・とか書いてあった。途中よく読めなかった。
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御廟のそばに景綱公が亡くなったとき後を追った家中武士6名の殉死者のお墓と、
明治維新後に北海道開拓の際に建てた片倉家惣中碑
北海道開拓大変だったろうなあ・・・
御廟を出て次は西へ、山形へ向かいます
~~つづく~~
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