名古屋文化の道から須成祭と知多半島の旅(一日目)~大空襲に見舞われた名古屋にあって、わずかに残された大正ロマンが薫る文化の道。ノリタケも含めて、華やかさを自然体で楽しむ名古屋人の先進的な気質も感じます~
2017/08/05 - 2017/08/05
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たびたびさん
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名古屋は空襲にもあっているし、古いものが残っていないというイメージが強かったのですが、前回の旅で名古屋市市政資料館を知り、それでも少しは見どころが残っていることに気が付きました。さらに、今回、白壁 主税 橦木町並み保存地区を回るとこれがなかなかいい。
江戸時代は、中級武士の武家屋敷が立ち並ぶ地域だったところに、その後、貿易等で財を成した名古屋の財界人がここに邸宅を構えるようになる。豊田佐助邸、井元為三郎の旧邸宅橦木館など、それら邸宅がいくつも残っていて、当時の雰囲気が色濃く感じられる。明治期に流行した和洋併設のスタイルに、大正期に入ってからは洋館に和のスタイルが持ち込まれたり。なるほどねといった進化の跡もあったりして、それも興味深く拝見しました。
そして、あえて比較すれば、住みやすさを追求して進化した豊田佐助邸や橦木館に対して、迎賓館としての役割を前面に出した二葉館。しかし、奇抜なようでも、なにか自然体でそれと向き合った芸能人みたいな暮らしぶりも想像されて、面白い。ノリタケの派手派手デザインと直接の関係はないと思いますが、生活スタイルやそこで暮らす人間自体も変化しなければ、箱モノだけでは変われない。そのあたりの何かがちょっと共通しているのかなという思いを持ちました。グルメ志向でも何かと変わっていると言われる名古屋ですが、表面的な形だけではない進化のための何かを育んでいるのかもしれません。
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名古屋駅に到着して、今回の朝飯は柳橋市場です。
まぐろや 柳橋は、柳橋市場の中でも、ダントツくらいな人気店。この日も、若い女性のグループや家族連れなど、ちょっとした行列が出来ていて、なるほどねという感じです。 -
土曜日はサービス丼があったのですが、初めての私ですから、そこは基本のマグロ丼。程よい酸味の酢飯とか、マグロのきちんとしたうまさとか悪くはないのですが、築地とかのレベルからすると値段も含めて別に普通かなと思います。
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ここから、名古屋文化の道に向かいます。
七尾天神社は、白壁地区の端っこ。名前の通り、菅原道真を祀る神社で、七尾の亀がここに道真の木像を運んできたという言い伝えがあるのだそうです。 -
境内は住宅地の中にある空地みたいな感じ。塀もないもないし、土くれが出ているだけ。荒れてまではいませんが、お手入れはイマイチのような気がします。
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これは白壁地区のメインストリートでしょうか。まっすぐに伸びた通りです。
さて、ここから名物建築をあちこち訪ねますよ~ -
この旧豊田家の門 塀は、白壁地区の大きな見どころの一つなんですが、看板も何もない。ただ、構えが立派だし、場所からしてもこれしかないだろうという感じでこれだと認識した次第。
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それでも、よく見ると石造りの土台は何かが突っ込んできても壊れることはないでしょうし、板塀、黒い漆喰壁は品の良さも感じられる。何気ない塀ですが、なかなか考えた設計だなと思います。
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櫻井家住宅は、旧豊田家の門のはす向かい。景観重要建造物と書いた小さなプレートがありました。
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建てられたのは明治38年ですが、今の感覚で見ても、寄棟屋根と白壁はモダンな印象。なので、余計に一般住宅と変わらないように見えるので、見つけるのはちょっと苦労しました。
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そのまま主税町の通りに移って。
主税町長屋門は、長屋の部分が限られるので、どうかすると倉庫みたいな建物。それに、一つポツンとあるし、インパクトは弱いです。 -
名古屋城下の中級武士の武家屋敷にあった門で、当時の場所にそのまま残るのは唯一なんだとか。名古屋は空襲を受けているので、やはりこうした建物は貴重です。
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妙道寺は、主税町の市街中心に建つ日蓮正宗の寺。尾張藩士禄500石高梨五左衛門邸跡と書いた石柱がありましたが、するとこの寺の敷地は武家屋敷だったのかも。
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寺は、山門を入ると鉄筋コンクリート造りの立派な本堂。
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境内は清潔感もあるし、ちょっと覗いてみるのも問題なしです。
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ちなみに、これが主税町の通り。白壁地区の通りと並行して走るのですが、二つの通りを結ぶ道がなぜか意外に少ない。近くなのに、なかなかそこに行けないという不思議な関係です。
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名古屋とキリスト教って、イメージとしてあまり結びつきませんが、カトリック主税町教会は明治20年から始まるよう。聖堂の建物は明治37年、隣りの鐘楼は明治23年に建てられました。
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中に入るとステンドグラスとかもない、白いペンキ塗りの素朴な内装。どこか田舎の学校みたいな感じもしなくはないですね。
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ここまでは、ちょっと中途半端なスポットが続きましたが、これはメジャー。旧豊田佐助邸です。瀟洒な建物ですが、豊田佐助というのは豊田佐吉の弟です。
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イチオシ
門を入ると正面には、白いタイルの洋館。
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それに続いて、隣接して総二階の日本建築が建っています。
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この洋館と日本建築を二つ建てるスタイルは明治期に流行したものなんですが、
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この建物が建ったのは大正12年。
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少し応用があって、洋館の中は
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一見普通なんですが、
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イチオシ
二階に上がると日本間になっていて、和のスタイル。外観と違ったものになっているのが面白いところ。
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そして、洋館から日本建築の方に移ると
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豪壮とか華美とかという雰囲気とは無縁の、
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住まいとしての気持ち良さが感じられる。その自然体のスタイルが素晴らしいと思います。
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二階の
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日本間はもう少し豪華だった感じがありますが、いい感じで古びてきて、むしろ落ち着いた印象になっています。
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二階に上がる階段からさらにもう一段上がるスタイルも時々見かけますが、折り上げ天井みたいに格式をつけることを狙ったものでしょう。
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ところで、東京の岩崎邸でも迎賓館の役割を持つ洋館と生活空間の日本建築が並んで立つという明治のスタイル。それがここでは大正期まで引き継がれていますが、洋館の方は生活しやすいように和のスタイルが取り入れられているのは、時代の流れを感じます。
しかし、現代はどうかといえば、洋風のところが発達して、生活空間としての快適さを実現していますから、戦前と戦後の住宅の進歩ははっきりと違う。つまり、戦前のあるべき姿は和魂洋才。それを溶かし込んだのはアメリカの占領政策もあったでしょうが、そのいいところを受け入れた戦後の日本人もけっこう偉大なのかもしれません。 -
旧豊田佐助邸の隣りに旧春田鉄次郎邸というのもありまして。
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佐助邸の方が鍵を開けて、中を案内してくれました。
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佐助邸と同じく、こちらも日本建築と洋館が組み合わさったもの。見学はその日本建築の方になります。ここは、陶磁器貿易商として成功した春田鉄次郎が武田五一に依頼し、大正13年に建てたもの。
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武田五一の方は当時売れっ子の建築家だったようで、
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東海・関西地区には多くの遺作が残っていると紹介されていました。
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ただ、拝見した和室部分はけっこう質素。大正というより昭和初期のつつましやかな一般家庭の匂いがするものでした。レストランになっている洋館の方が気になります。
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続いては、二葉館へ。
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こちらは、オレンジ色の屋根とまるで石垣のような外壁を組み合せた、ちょっと度肝を抜くデザインの洋館。大正9年に建てられたそうで、大正ロマンの香りと言いたいところですが、それだけではない強烈な個性を持った建物です。
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玄関を入って、
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すぐにあるのがこのステンドグラスのホール。
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イチオシ
ここは、日本初の女優といわれる川上貞奴と電力王、福沢桃介が暮らした邸宅で、
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福沢桃介の事業にかかる関係者の迎賓館としてもここを使ったようです。
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貞奴は、オッペケペーの川上音二郎の妻ですが、音二郎が死んだ後に福沢桃介に庇護を受けたよう。
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しかし、なれ初めはもっと昔で、音二郎と出会う前。
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その辺りのお話も興味が引かれるところです。
これは音二郎とともに欧米を回った時のカバン。 -
愛用の机もありました。
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ホールに戻って、
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イチオシ
ここから二階に上がります。
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名古屋ゆかりの文学者の展示室。
城山三郎や -
「ごんぎつね」の新美南吉など。
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城山三郎は、濱口雄幸と井上準之助の「男子の本懐」が代表作だと思いますが、企業人を描いた経済小説の分野ではパイオニア。私も社会人になった当時は、一種の憧れを抱いた作家のひとりです。
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続いての橦木館も文化のみちを代表する施設の一つ。
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イチオシ
大正末期から昭和初期にかけ、陶磁器商として活躍した井元為三郎の旧邸宅です。門を入ると正面にはクリーム色の洋館。
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さほどの規模ではないと思いましたが、その奥には木造の日本建築が続いていて、
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それらを合わせるとやはり並の邸宅ではないでしょう。
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玄関から、
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洋館の方を
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ひととおりチェックして、
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みますが、
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一階のここは、喫茶スペースですね。
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さて、この日は、奥の日本建築の方では
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妖怪の企画展が行われていて、
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洒落た邸内と妖怪の組み合わせがなかなか面白い。
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せっかくいいものが
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残されたわけですから、
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その建物をどうやって活かすかも後の世代の課題。
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このチャレンジングな試みは
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とても心地よく感じました。
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善福院は、白壁地区から少し離れた場所。尾張三十三観音の第三十番札所というのですが、あまりメジャーではないかも。
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住宅地の中にある空地みたいな境内で、むしろ荒れ寺といった方がいいような。ただ、藤だなとか植物系がそこそこあって、和やかな雰囲気はあります。
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そして、ここらで昼飯です。
ところで、名古屋のきしめんで一番おいしいのは新幹線ホームの立ち食い「住よし」というのがよく言われるところですが、当然それだけではない。このひらのやも老舗のきしめん屋さん。 -
イチオシ
ちょっと高級感も漂う店内で、サクッと夏バージョンのきしめんをいただきました。つるんとした舌触りがいい感じ。上品に仕上がっています。
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再び、散策開始で。
これは、三菱東京UFJ銀行貨幣資料館。 -
大判や小判など、貨幣のいろいろを展示していて、それがメインではあるのですが、合わせて浮世絵のコレクションのコーナーがあって、私はそれがとても素晴らしいと思いました。モチーフは名古屋周辺の名所の数々。郷土色豊かな風物には、ちょっとうっとり。名古屋への探求心がまた高まったように思います。
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徳源禅寺も、まだ文化の道のエリアでしょう。
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妙心寺派の寺で、始まりは、織田信長の次男信雄が、熱田に作った清涼山宝泉寺。
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境内に涅槃像を安置する大きなお堂があって、
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それが一番の見どころ。正面に立つと中がよく見えます。
逆に、本堂の方は大きいですが、近代的な建物で味はありません。 -
イチオシ
続いての建中寺は、大きな楼門がいかめしい。
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こちらは、第2代尾張藩主徳川光友が父である初代藩主徳川義直の菩提を弔うために建立し代々の尾張藩主の廟が置かれていたという大寺です。
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本堂に上がって、
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欄間を拝見しましたが、
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欄間は写真撮影可。
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楽しく撮らせてもらいました。
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カトリック布池教会は、通りからでも、50mの高さを持つ2本の尖塔が特徴の白い聖堂はよく目立ちます。
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建築はゴシック様式。内部の空間、ステンドグラスもこんなふうに確認させてもらいました。
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うってかわって。
ヤマザキマザック美術館は、ヤマザキマザックの創業者が集めたロココ美術のコレクション。マリーアントワネットの時代の王宮を飾った美術品は甘美な印象はあるのですが、反面、退廃的というか、現実逃避的というか。そうしたマイナスのイメージが付きまとうので、素直に楽しむことができない嫌いもなくはない。展示室は悠々広いし、展示された絵画・調度品などのレベルもそこそこ高いように思いましたが、どうして、こんなジャンルに目を向けたのか。そこのところはちょっと不明。私としては、違和感の残る美術館かなと思います。 -
その隣にあるマザック 工作機械ギャラリーは、ヤマザキマザックの歴史やその商品を紹介するもの。立派なビルの一階の一等地に受付のお姉さんがいて、お迎えをしています。
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レーシングカーとかも当社の技術によって作られているので、このようにゴージャスな感じになるのですが、やっぱり地道な技術の積み重ねということが本質。ただ、その辺りを理解するのは難しかったような気はします。
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今夜は須成祭の予定もあるので、この辺りで名古屋駅の方にいったん戻っておきます。
これは、KITTEの一階にあるラ・メゾン・ジュヴォー。ケーキを選んで奥のイートインでいただくというスタイルです。 -
休憩も兼ねて立ち寄りました。
いただいたのは、サバラン。意外に素直な甘さで仕上げたシンプル系の味わい。サクッと食べて、後を引かない感じのサバランです。 -
イチオシ
ここから、ノリタケの森へ。
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広い敷地の中には、建物がいくつか点在していて、予想以上にスケールの大きな施設ですね。
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広い敷地は芝生の広場や小川も流れるちょっとした公園のような雰囲気もあります。
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ショップのほかに、
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ボーンチャイナと呼ばれる最高級磁器の生産を本格的に行ったノリタケの歴史やその技術・商品全般を紹介する、こちらはクラフトセンター。
ノリタケの森の中の中心施設です。 -
順路に従って進み、まずはボーンチャイナの実際の製造過程を見学します。有田などの磁器と同じく、二度焼きをするのですが、一度目と二度目の収縮率がかなりあるので、それを緻密に計算しながら、形を作ったり絵を描いたりするとの説明もありました。
そして、上階は、創業当時からの作品を展示する美術館。 -
一見するとケバい配色・デザインですが、
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ここまで堂々と徹底するとやっぱりそれは文化のレベル。
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これも名古屋の派手好きの土壌があってのものなのでしょうか。もちろんユーザーのニーズが基本なので、欧米の好みを意識したのは間違いないのですが、少なくとも有田ではこんなのは作っていませんよね。名古屋の気質との関係性。その辺りは想像するしかありません。。
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イチオシ
同じく輸出時期なら大倉陶苑というのも有名ですが、そこもこちらとは関係があるようですね。やっぱり、日本を引っ張ってきたのは間違いないところです。
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いずれにしても、実際の製造工程を見学したり、きらびやかな創業当時の作品なども多数展示されて、これは磁器のテーマパークと考えたらいいでしょう。こういう磁器は目線がだんだん合ってきてからが楽しいので、焦らず時間を取って鑑賞することをお勧めします。
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このエリアにはもう一つ、名古屋を代表する施設がありまして、それがトヨタ産業技術記念館。
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こちらは、世界のトヨタのすべてを紹介するといった、ちょっとすさまじい企業博物館なんですが、
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館内は織機を中心とするエリアと自動車を中心とするエリアの二つ。
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織機の方も順路に沿って多種多様な機械の展示が続く。丁寧に見ていたら日が暮れてしまいますよ~
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イチオシ
とにかくどちらも広大で、おびただしい数の機械類が展示・説明されていて、かなりしんどいです。
フォードの自動車を分解して、同じものを作ろうとして失敗を繰り返す創業当時の苦労談を漫画で紹介するコーナーがありましたが、結局、これが一番頭に入ったかなと思います。 -
今では世界の自動車産業界をけん引している日本ですが、草創期の並々ならぬ苦労の連続とそれでも欧米のお手本があったからこその創業。何もないところからのモータリゼーションを立ち上げた欧米の技術革新はそれの何百倍もすごいことだったはず。
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そんなことも逆に気が付かされて、子供の時みたいなワクワク感が蘇りました。
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さて、もうこれで時間いっぱい。ここから蟹江の須成祭に向かいます。
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