2017/07/26 - 2017/07/29
335位(同エリア4949件中)
Chocoさん
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- 旅行記33冊
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- 56,051アクセス
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「思えば遠くへ来たもんだ。故郷離れて〇年目・・・。」海援隊の歌がありますが、思えば自分も古里離れ社会人20年目・・・。この歌がしみじみと感じる歳となってしまいました(落涙)。永年勤続ということで旅行券を会社から頂くことができました。いろいろ我慢してきた甲斐がありましたね(笑)。実際は会社が我慢してくれたのでしょうけど(苦笑)。
頂いた旅行券、ちょっと贅沢にするか、遠方にするか考え何処です。家族会議の結果、近場の安い旅行内容に決定。頂いた旅行券は飛行機のクラスを上げることに使いましょう。と、いうことで近場の世界遺産「マカオ」に決めました。
今回は航空券とホテルの手配のみをお願いしました。観光や食事のオプションもありますが、行き当たりばったりで行ってみましょう。ガイド本でも1日で世界遺産周れるようなこと書いてますし・・・。
「現地係員がご案内する マイセレクト マカオ4 LOOK JTB」
旅行日程
〇 7/26 成田発16:00 マカオ着20:05 NX0861便 ホテルリスボア泊
● 7/27 終日自由行動 ホテルリスボア泊
〇 7/28 終日自由行動 ホテルリスボア泊
〇 7/29 マカオ発9:00 成田着15:00 NX0862便
写真は「聖ドミニコ教会」祭壇
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- タクシー
- 航空会社
- マカオ航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- JTB
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7月27日 8:50 「ホテルリスボア」
今回のベース基地、ホテルリスボア。比較的古いホテルですが、自分で歩く世界遺産観光には最適な場所だと思います。当然大陸系の方々が多いことは100も承知ですが、立地条件を最優先しました。詳しい滞在環境は「その3」でご報告しますが、客室・廊下は意外に静かで、朝食も飛蝗に出会いませんでした。大陸の皆さんはカジノへ行っているのでしょうか(笑)。マカオ観光の拠点としては便利でしょう by Chocoさんホテル リスボア ホテル
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8:55 「大西洋銀行総行大楼」
ホテルリスボアから殷皇子大馬路を西に進むと、コロニアル様式の建物の上に近代的なビルが乗っかった感じの銀行です。ここはマカオの紙幣を発行している銀行の一つです。 -
9:00 世界遺産(01)「民政総署」
1日でマカオ世界遺産30ヶ所を巡る予定の第1番目。
「大西洋銀行」を通り過ぎ、ホテルリスボアから歩いて約10分。この時間帯では通勤の方々と思われる人が多く、明らかに観光客と見受けられる人は少ないです。少し落ち着いた見学ができるでしょう。市政署 (市政署大樓) 建造物
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民政総署の中庭です。丸い石が二つ見えますが、これは「教皇境界線の記念碑」。時代がそうさせたのですが、勝手に地球を分割とはいい迷惑ですね。ただ、大航海時代におけるポルトガル・スペインの全盛期を物語る遺物です。
市政署 (市政署大樓) 建造物
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9:00 世界遺産(02)「セナド広場」
民政総署の向かい側の広場が「セナド広場」です。現地時間の9時少し過ぎ。見てください、この無人の広場。早起きは三文の得と言いますが、十分にお得と思います。落ち着いて見学するなら早朝です。ただ、ツーリストカウンターは開いていましたが、その他の店舗の開店状況は確認しておりません(苦笑)。セナド広場 広場・公園
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9:20 世界遺産(03)「仁慈堂」
マカオの「仁慈堂」は1569年に創建された、アジア最古の慈善団体です。欧州医学を基本とした貧民救済や、孤児院などを運営していました。現在の建物は18世紀に建てられ、19世紀に改修されています。2階は博物館になっていて、テラスから見るセナド広場の絶好の撮影ポイントだそうですが、この時間はまだ開館前です。
それでは「媽閣廟」方面に移動します。「民政総署」前は流しのタクシーを多量に見つけられますが、交通量が多いのでタイミングに注意してください。信号機との相性が悪く、10分位空のタクシーを見送りました(汗)。仁慈堂大樓 現代・近代建築
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9:45 世界遺産(04)「媽閣廟」
タクシーはマカオ半島西側の「河邊新街」を南下し、運賃はMOP25。
マカオにおける最初のポルトガル人上陸地点はこの辺りとの説がありますが、定かではありません。ただ、当時のマカオ半島のこの辺りは波も静かで、船舶の停泊には適していたようです。また、「阿媽」は航海の神様ですから、あながち本当かもしれませんね。
門のすぐ前に祭壇があるのですが、小山を登る感じで奥に進めます。あちらこちらに祠があり、信心深い方々がお祈りをしていました。ちなみに奉納する渦巻き型の線香ですが、1ヵ月燃える物だとMOP400、1年物はMOP4,000です。媽閣廟 寺院・教会
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10:00 世界遺産(05)「バラ広場」
「媽閣廟」の前にある広場。一面に波模様のポルトガル式石畳の美しい広場です。結構な広さあります。そろそろ、小旗を持った大陸人が多くなってきました。ツアーパックの場合、かなりの確率で「媽閣廟」はコースに入っていますからね。
それでは次の目的地「港務局」に向かいます。「河邊新街」手前の小道「媽閣斜巷」を北上していきます(我々はちょっと遠回りしましたが・・・)。バラ広場 (媽閣廟前地) 広場・公園
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10:15 世界遺産(06)「港務局大楼」
「媽閣斜巷」は一方通行なので車は前(北)方向からのみ来ますが、狭い上にバスも通り、交通量も以外に多いので注意が必要です。また、結構な上り坂です。
比較的手入れの悪い(苦笑)住宅街に目立つ鮮やかな建物が、「港務局大楼」です。1874年にインドから派遣された将兵の駐屯地として造られた「モロー人兵舎」。インドイスラム風の建築様式のためか、回廊は風が抜けやすい構造のようです。我々の場合、玄関部のみですが内部見学を許されました。入口側に向けて大砲が飾ってありました。
次は「リラウ広場」方面を目指します。あれっ、中に入れてもらえました by Chocoさん港務局大樓 現代・近代建築
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10:35 世界遺産(07)「リラウ広場」
「港務局」の前の「媽閣街」をさらに北上。一部で道が劇的に細くなるので注意。多数のお年寄りがくつろいでいる広場が目に入りました。まさかここ?看板を確認。「亞婆井前地」のプレートがあるではないですか。あら~、石畳は綺麗なのですが、なぜか感動が薄い・・・(苦笑)。
ここに飲料に適した水が湧いていたため、この辺りにポルトガル人が初期に住み始めた地区だそうです。写真では見えませんが、噴水があります。空き地にしか見えない・・・(苦笑) by Chocoさんリラウ広場 (亞婆井前地) 広場・公園
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10:40 世界遺産(08)「鄭家屋敷」
「リラウ広場」の目の前が「鄭家屋敷」です。こじんまりとした建物かなと思っていましたが、入ってみると奥にかなり広い建物です。かなりの規模で相当財力があったことがしのばれます。併設されているお土産屋さんに「ばらまき土産」に最適な小物があります。他のお店で見かけなかったものなので、興味があったらどうぞ。
雨宿りと休憩を兼ねて30分位見学していましたが晴れてきたので、世界遺産ではありませんが次の目的地「ペンニャ教会」へ向かいます。鄭家屋敷 (鄭家大屋) 建造物
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11:20 「ペンニャ教会」
「リラウ広場」左側にある小路「亞婆井街」を進みます。途中、スイッチバックの階段を抜け、「竹室正街」・「西望洋斜巷」と坂道を登っていくと、丘の頂上に教会があります。ガイドブックの地図では起伏がよくわかりません。立体感を掴まずに歩いて、大汗をかく羽目になりました(笑)。でも、その大汗が報われる風景を目にすることができました。ペンニャ教会 寺院・教会
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マリア像とグランドリスボア
マカオ半島南側で一番高い丘ではないのでしょうか。南のタイパ地区や西の中国大陸など結構遠くまで見渡せます。写真は東側の風景。気温は暑かったですが、小高いせいか適度な風が吹き、さわやかな時間でした。
それでは「竹室正街」まで下り、東方面(南湾湖)に向かいます。ペンニャ教会 寺院・教会
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11:40 「ポルトガル領事官邸」
「竹室正街」を東に進んでいくと、ポルトガル国旗が掲揚している建物が見えます。ここも世界遺産ではありませんが、コロニアル様式の建物でその昔は「ベラヴィスタ・ホテル」だったそうです。「ベラヴィスタ」とは「絶景」という意味だそうです。かつてはここから見える風景は、それこそ絶景だったのでしょうね。
西湾湖方面に向かうため、領事官邸脇の急な坂道を下っていきます。ポルトガル総領事官邸 現代・近代建築
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11:45 「聖ボンバルト要塞跡」
坂を下り切り、「西湾街」との交差点にある石垣が「聖ボンバルト要塞跡」。これも世界遺産ではありませんし、上写真の「ポルトガル領事官邸」敷地の一部となるため、立ち入ることもできません。この要塞は1622年に建築されました。当時はポルトガルの植民地を奪い発展した新興国オランダの侵攻を警戒し、南東海岸部に防衛体制を整えたそうです。
それでは「西湾街」を北方面に進みます。 -
11:55 「マカオ特別行政区政府総部」
「西湾街」はコロニアル様式の建物がパラパラ存在します。その中で鮮やかな赤で目を引くのがこの建物は「マカオ特別行政区政府総部」。これも残念ながら。世界遺産ではありません。もともとは1849年にセルカル子爵邸として建てられたそうです。その後、1928年に買収されマカオ総督官邸となり、マカオが中国に返還されると現在の政府総部となっています。別名「セルカル宮殿」。
大きく寄り道しましたが、本来の世界遺産観光に戻りましょう。庁舎の北側の坂を上ります。マカオ特別行政区政府總部 現代・近代建築
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12:05 世界遺産(09)「聖ローレンス教会」
1560年ごろイエズス会によって建築されたマカオ最古の教会の一つ。町中にあるにもかかわらず、比較的静かな場所です。まぁ、教会というものはそういうものでしょうけど(苦笑)。炎天下3時間歩き続けると、何をしているのか何だかよくわからなくなります。少しここで休むことにしました。大きな樹々が木陰を作り、ベンチも用意してある境内でした。聖ローレンス教会 寺院・教会
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12:20 世界遺産(10)「聖ヨセフ修道院及び聖堂」
やっとマカオ世界遺産10か所目。この辺りは世界遺産群となっています。「聖ローレンス教会」を出て、「三巴仔横街」を塀沿いに進むと、入口があります。
ここには、日本布教で有名なフランシスコ・ザビエルの右腕の骨があるそうです。以前この骨はコロネア島の「聖フランシスコ・ザビエル教会」にあったものがこの教会に移されたそうです。また、イエズス会の資料館も併設されています。境内入って右側です。なかなか興味深かったです。聖ヨセフ修道院および聖堂 寺院・教会
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「聖ヨセフ修道院及び聖堂」内部
我々の数少ない教会見学の中で、一番素敵な教会内部だと思いました。白い壁に渦巻き状の柱、高い天井。ただただ感嘆の溜息しか出ませんでした。これで満足したのか疲れていたのか、ザビエルのことをすっかり失念していました(苦笑)。どこに骨があったのでしょうね、残念。
来た道を戻り、「官印局街」・「龍嵩正街」と進み、「ドン・ペドロ5世劇場」方面に向かいます。聖ヨセフ修道院および聖堂 寺院・教会
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12:50 世界遺産(11)「ドン・ペドロ5世劇場」
「龍嵩正街」を進んでいくと、樹々に覆われた青緑のコロニアル様式の建物が「ドン・ペドロ5世劇場」。1857年にマカオ在住のポルトガル人の娯楽施設として建築された、中国初の様式劇場。それほど多くの観客を収容できる規模とは思いませんが、貴賓席があったりオーケストラピットがあったりと、初めて見る欧州型の劇場でした。ドン ペドロ5世劇場 現代・近代建築
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13:05 世界遺産(12)「聖オーガスチン教会」
劇場の向かいにあるこの教会は1560年頃にマカオ半島南部、現在の「聖ボンバルト要塞跡」周辺に建築されたそうです。現在の位置に移転したのは1891年。
マカオはポルトガルの植民地であり、修道士会として布教を牽引したのはイエズス会です。ところが、ポルトガルがスペインとの連合王国となった時代、オーガスチン会やドミニコ会などイエズス会の競争相手になっていた修道士会が続々と進出して来ました。その結果、日本への布教をめぐる対立が修道士会同士で起こり、この教会も弾圧を受けた時代もあったそうです。ちなみに当日は門が閉まり、内部を見ることができませんでした。聖オーガスチン教会 寺院・教会
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13:10 世界遺産(13)「聖オーガスチン広場」
「聖オーガスチン教会」の隣です。小さい広場ですが、周辺はコロニアル様式の建物に囲まれています。まだ行ったことがありませんが、ポルトガルの町並みはこのようなものなのでしょうか。聖オーガスチン広場(崗頂前地) 広場・公園
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13:15 世界遺産(14)「ロバート・ホートン図書館」
「聖オーガスチン広場」の向かいです。1894年に建築されたポルトガル人によって建物を1918年にロバート・ホートンが購入。アヘン商人で名高いジャーディン・マセソン商会で頭角を現した彼は後に独立。第二次世界大戦前には香港を代表する大実業家となりました。そのホートンが日本軍香港占領時代に住んでいたのがここです。世界遺産でありながら、現役の図書館で多数の人々が本の閲覧を行っていました。
これで、「民政総署」より南の世界遺産は全部観光したはずです。さすがに13時を過ぎてお腹が減ってきました。「セナド広場」付近に戻ればいろいろあるでしょう。ロバート ホー トン図書館 博物館・美術館・ギャラリー
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13:40 「黄枝記粥麺店」
「岡頂前地」・「東方斜巷」と進むと、「民政総署」の脇に出ます。各種検討の結果「黄枝記粥麺店」に入ることに決めました。ガイド本の通り、結構混んでいます。お店入口右側にいる店員さんに人数を伝え、番号カードを貰います。電光掲示板に自分の数字が出たら中に入れます。自分の番号まで20番先客がいました。結局40分待って10分で食べました。混んでいると相席になるようです。食べたメニューは「その3」でご報告します。黄枝記粥麺店 (セナド広場支店) 中華
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14:30 世界遺産(15)「三街會館(関帝廟)」
「セナド広場」から有名なお土産屋さん(笑)の脇の道「公局新市南街」を進むとあるはずですが、三国志ファンとしては非常に残念な建物。だって、周りが大変汚い。生活感がありすぎる。露店があったりトラック止まっていたりと、気が付かないで行ってしまいそうでした。内部はある程度管理されているようですが、もう少し何とかしてほしいと思いました。三街会館 (關帝廟) 寺院・教会
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14:45 世界遺産(16)「聖ドミニコ広場」
再び「セナド広場」戻り、「議事亭前地」を北上。直ぐに「聖ドミニコ広場」に到着。撮影ポイントの一つなので、皆さんカシャカシャ。聖ドミニコ広場 広場・公園
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14:45 世界遺産(17)「聖ドミニコ教会」
黄色い壁に漆喰模様が大変美しいファサードの「聖ドミニコ教会」。ドミニコ修道士会の教会ですが、1834年に弾圧に合い閉鎖されてしまいました。残った建物は兵舎として転用されていました。教会は長らく閉鎖されていましたが。1996年に修復され、公開されるようになりました。聖ドミニコ教会 寺院・教会
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14:50 「板樟堂街」
綺麗な石畳ではありますが、世界遺産ではありません。この通りは19世紀欧米の商人が多数住む地区となり、それらの人を相手とする中国人も住み始めたため、華洋折衷の建物が多いそうです。 -
14:55 世界遺産(18)「カテドラル広場」
「板樟堂街」を進むと視覚的には大堂が目に入りますが、まずはここに立ち寄りました。ご飯食べたというのに、疲れたからです(笑)。この広場も人が少ないですね。そういえば、マカオの世界遺産でセナド広場以外「○○広場」自体を観光している人はあまりいないなぁと思いました。集合場所や周りの建物を見るためのスペースとしての利用がほとんどではないでしょうか。広場と広場にいる人を観察する物好きな夫婦です(笑)。マカオ聖母降誕大聖堂 (カテドラル)/大堂広場 寺院・教会
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14:55 世界遺産(19)「カテドラル」
広場に面してマカオのカトリック司教座が置かれている大堂。格の高い教会とのことですが、個人的には「聖ドミニコ教会」のファサードや「聖ヨセフ修道院及び聖堂」の祭壇に比べると若干華やかさは劣ると思います。ただ、ステンドグラスを多用した構造は他にはなかったと思います。マカオ聖母降誕大聖堂 (カテドラル)/大堂広場 寺院・教会
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15:25 世界遺産(20)「蘆家屋敷」
「板樟堂街」から「大堂巷」に進むとあります。今回の訪問時、各所で工事が行われておしました。ちょうどこの「蘆家屋敷」の隣で工事作業があり、現場がブルーシートで覆われていました。そのため、ここがシートの陰になり、見つけるのに苦労しました。シートの裏には何かあると思ってください(笑)。ちなみにこの通りは、アイスクリームやジュースのスタンドが多数あります。我々も水分と元気を補給しました。ここでマカオ世界遺産20か所目、完全制覇まであと10か所(汗)。盧家屋敷 建造物
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15:40 「大三巴街」
「蘆家屋敷」から来た道を戻り、「聖ポール天主堂跡」方面に向かいましょう。大お土産屋さん街(笑)「大三巴街」。いろんな匂いがします。試食サンプルをたくさん配っています。お腹いっぱいになりそうです。道幅がそれほど広くないので、他の人にぶつからないように注意しましょう(笑)。スーツケース引きずった方が多数おられますが、大丈夫でしょうかねぇ・・・。 -
15:55 世界遺産(21)「イエズス会記念公園」
「聖ポール天主堂跡」手前の広場になりますが、人・人・人・人・・・。写真で見ると隙間が空いているように見えますが、実際の目で見ると嫌になるほどの人の壁。しかし、この壁を突破しなければ、天主堂跡にはたどり着けません。イエズス会記念広場 広場・公園
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16:15 「イエズス会記念公園」
この広場にたどり着いたとき、冷たい湿った風が吹いてきました。嫌な感じと思いながら、「聖ポール天主堂跡」と納骨堂の見学から戻るとこのありさま。
左奥にある緑の花壇のようなものは「友誼の碑」。この碑越しの天主堂跡の写真は結構人気があるようで、順番待ちをしている人が多いです。守らない大陸系の方々も多いですけど(笑)。イエズス会記念広場 広場・公園
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15:55 世界遺産(22)「聖ポール天主堂跡」
マカオを象徴する史跡の一つですね。もともとは「聖アントニオ教会」の付属礼拝堂として1582年に建てられました。カトリック修道士を養成する教育機関として「聖パウロ学院教会」と呼ばれてたようです。ここで学んだ修道士が日本や中国で布教活動を行いました。1601年に火災で焼失。30年以上かけ1640頃にイエズス会の手で再建されました。ところが、1853年に正面のファサードだけ残し大火で再度焼失。この異様な光景が我々に強い印象を与えるのでしょう。聖ポール天主堂跡 (大三巴牌坊) 史跡・遺跡
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1640年ごろの再建にはキリシタン迫害で日本を逃れた人々の協力もあったとされています。聖ポール天主堂の正式名称は「聖母教会」。だからファサードの彫刻に聖母があるのでしょうか。各種彫刻は宗教的な意味があるそうですが、この説明は長くなるので、他の方にお任せしましょう(笑)。
聖ポール天主堂跡 (大三巴牌坊) 史跡・遺跡
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ファサードの裏側。もしこの建物が現存していたならば、かなりの規模だったのではないでしょうか。正面の階段にいる人数と比較すると、見学者はかなり少ないです。ファサード後方の地下には納骨堂があり、聖職者や日本人信者の遺骨が納められています。空調が効いているのと遺骨があるので非常にひんやりとした施設です(苦笑)。納骨堂から出ると土砂降りでした。観光客が減ったので次の目的地「ナーチャ廟」に強行突入。
聖ポール天主堂跡 (大三巴牌坊) 史跡・遺跡
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16:20 世界遺産(23)「ナーチャ廟」
「聖ポール天主堂跡」のすぐ裏にあります。天主堂前の階段を一度降り、階段脇のお土産屋さん小路「大三巴右街」を登ると丘の上にあります。あらぁ、小さいですね。この辺りは中国人が多数住んできた証でしょう。「ナーチャ」は仏教・道教の武神です。西遊記や封神演義に出演しています。。
「旧城壁」内に小さなナーチャ廟博物館がありますが、係員の感じが非常に悪かったので、見学せず直ぐに出ました。ナーチャ廟 寺院・教会
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16:20 世界遺産(23)「旧城壁」
「ナーチャ廟」に隣接しています。土壁が世界遺産かぁ。いやいや、1569年にポルトガル人が住み始めてから、何度も城壁が築かれました。しかしながら、中国明朝政府の干渉が入り、すべて破壊されてしまいました。ところが1622年のオランダとの戦争は城壁築城の正当化の理由になりました。この時期、明朝は満州族の侵攻で混乱しており、これを機会としポルトガル人居住区を囲む城壁を完成させました。この清朝成立までの混乱期を利用し、マカオは強固な城塞都市に変貌しました。城壁が撤去されたのは19世紀中期になってから。人口増加により市街地が拡大したためです。旧城壁 (舊城牆遺址) 史跡・遺跡
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16:30 「マカオ博物館」
いったん「聖ポール天主堂跡」まで戻り、マカオ博物館に向かいます。ここから見える「聖ポール天主堂跡」は本当に壁1枚ですね。これだけ残っているのが本当に不思議です。
「モンテの砦」にはマカオ博物館のエスカレーターを利用しました。2回ほど乗り継いで到着。 -
16:50 世界遺産(25)「モンテの砦」
1617年にオランダ侵攻の脅威に対して築城。1622年、満を持してオランダはマカオ攻略に着手。オランダ軍は「ギア灯台」北側(現在の海邊馬路辺り)から上陸を開始。水源地である「二龍喉公園(フローラ庭園):その2でご報告」を占領したのち南下。そこから中央部にあたるこの「モンテの砦」まで一気に押し寄せたのでした。マカオ軍人だけではなく修道士や奴隷まで動員し、激しく抵抗したのですが、次第に押されるマカオ軍・・・。つづく。モンテの砦 (大炮台) 史跡・遺跡
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オランダ侵攻軍に次第に押されるマカオ防衛軍。その時、起死回生の一発が放たれました。この要塞からの砲撃がオランダ軍の弾薬庫に直撃。形勢は逆転し、オランダは逃げ帰りました。その結果、残存部隊は台湾攻略を図るのですが・・・。砲台は東西南に向いており、海上からの侵攻に備えていたことがわかります。
マカオ博物館に開館時間は17:30。エレベーターが止まると厄介なので、そろそろ降ります。大炮台廻廊 現代・近代建築
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17:10 「恋愛巷」
「聖アントニオ教会」に向かうため、再び「聖ポール天主堂跡」・「ナーチャ廟」を通り、「恋愛巷」を下り「花王堂街」を北上します。今思えば先に「モンテの砦」を観光し、その後「聖ポール天主堂跡」や「ナーチャ廟」を見学すればよかったと思います。
この「恋愛巷」、観光客が少なく「聖ポール天主堂跡」をノスタルジックに撮影できます。ただ、自分の写真をみてびっくり。雰囲気が全然撮れていません。これは悪い見本です(苦笑)。戀愛巷 散歩・街歩き
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17:10 「何族崇義連誼会」
「恋愛巷」が「花王堂街」に合流して右側にある建物。マカオ経済を牛耳ったロバート・ホートンやカジノ王スタンレー・ホー等の「何一族」の宗廟。現在は学校が所有する施設の一部となっているそうです。門が閉まっていたので全体を見ることはできませんでした。それでは「花王堂街」さらに北上しまします。 -
17:15 「長楼斜巷」
マカオはアヘン戦争前後から中国人労働者「クーリー(苦力)」を海外に送り込む拠点としての機能があったと、ある本で読みました。「長楼斜巷」はその「クーリー」が海外へ行く直前に住んでいたのがこの地区。狭くて住環境が悪い「長楼」は火災が起きると、あっという間に燃え広がり多数の人々が焼け死んだと読みました。「クーリー」の辛さは各種資料で見聞きしていると思います。何か遺構があるかと思い覗いてみました。当時の建屋はもはやないでしょうが、先入観からか決して明るい感じはしませんでした。一族の春を謳歌した「何一族」の宗廟の近郊とは、偶然でしょうか。 -
17:15 世界遺産(26)「聖アントニオ教会」
「花王堂街」を北上し続けると、右に大きくカーブします。そこに立っているのが「聖アントニオ教会」。石造りのためか、非常に頑丈そうに見えます。境内に1638年と記された十字架がありますが、これは教会が改修された年号。この教会はイエズス会のマカオ最大の拠点。丘の上にあるため、マカオ防御の重要な施設として「防衛隊長」との渾名もあったとか。ポルトガル人の結婚式の際、花を飾っていたことから中国人に「花王堂」と呼ばれるようになったそうです。
世界遺産を求めてさらに「白鴿巣前地」を進みます。聖アントニオ教会 寺院・教会
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17:20 世界遺産(27)「プロテスタント墓地」
この辺り。3つの世界遺産が隣接して存在しています。カトリックが多数を占めるマカオで珍しいプロテスタントの施設。墓地の手前にある小さな教会は「モリソン教会」。カトリックが支配していたマカオでプロテスタントの埋葬は嫌がられたそうです。それは中国人も同じでした。そのため、東インド会社が土地を購入し、マカオ政庁に墓地を認めさせたそうです。1821年のことです。プロテスタント墓地 寺院・教会
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17:25 世界遺産(28)「カーサ庭園」
土地の持ち主はポルトガル人の富豪ですが、17世紀にマカオに事務所を構えたイギリス・東インド会社が1779年から1834年の間、借りたのが奥の建物。実際には大火で焼失しているため、当時の建物とは異なるようです。富豪の死後ポルトガル政府が購入し、政府の事務所として使っていたそうです。
「プロテスタント墓地」と「カーサ庭園」はイギリスが絡んできますが、1804年、フランスのナポレオンが皇帝になり欧州を支配し、ポルトガルも占領されイギリスに王室は疎開していました。そのため、フランスの占領を防ぐためとして、マカオなどのポルトガル植民地に兵を派遣したのでした。そのため、この時代はイギリスの影響が大きいのです。カーサ庭園 (東方基金會) 現代・近代建築
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17:30 世界遺産(29)「カモンエス広場」
夕方、多数の現地の方がくつろいでおられます。でもよく見ると、老人と子供ばかり・・・。夕飯ができるまで孫の面倒を見なさいと言われているのでしょうか(笑)。
世界遺産巡り、残りはあと1つ。しかしながら、夕方の5:30。急遽夫婦会議を行いました。今からタクシー飛ばして「ギア要塞」に向かうか・・・。結果明日にします(笑)。「カモンエス広場」の前はバス停になっています。「セナド広場」または「ホテルリスボア」まで戻れないかな?バスのルートがよくわかりません。結局疲れた足を引きずりながら、歩くことにしました(泣)。ルイス カモンエス公園 広場・公園
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17:45 インスタントラーメン屋さん
もと来た道「花王堂街」をひたすら戻ることにしましたが、ちょっと違う道を行ってみようと、「長楼斜巷」を降りてみました。「果欄街」を通り、「関前正街」を進んでいると、インスタントラーメン屋さん発見。店内の壁一面にラーメンの袋や蓋が貼ってありました。韓国や台湾ぽいものもありますが、大部分は日本のもののようです。入ろうかと思いましたが、早く帰りたい気持ちが強く出たので、残念ですが諦めました。次回があるなら覗いてみたいです。 -
17:50 「セナド広場」
何とかここまで戻ってきました。「カモンエス広場」から寄り道せずスタスタ歩いて約20分・・・。うぅ~ん。確かに効率良く周れば多数の観光スポットを巡れますね。
9時前後にココを出発したときには、人がほとんどいませんでしたが、この時間は大盛況のようです。今日29箇所のカカオ世界遺産を巡りましたが、観光客で溢れていたのは「媽閣廟」と「セナド広場」から「聖ポール天主堂跡」周辺だけのような気が・・・。この辺りを早い時間帯に行けば、残りの世界遺産は落ち着いて静かに観光できそうですね。マカオ政府観光局インフォメーションカウンター(セナド広場) 散歩・街歩き
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18:10 「金船餅屋」
せっかくマカオに来たのだからエッグタルトを食べたい。でも18時過ぎているし・・・。有名店は閉店している時間ですが、この「金船餅屋」は閉店までにまだ時間があるようです。ホテルに戻る方向なので行ってみましょう。地図を見ながら歩いていると、現地のやさしいお姉さんが一緒に探してくれました。でも見つからない。「蘆家屋敷」を探したときと同じ状況。工事現場の影になっていました。この時間、残りあとわずかでした。食べれてよかった(笑)。金船餅屋 カフェ
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20:20 「新口岸葡國餐」
いったんホテルに戻り、何処で夕食食べようかとガイドブックとにらめっこ。たくさん歩いたから、あんまり歩きたくないなぁ。ということで、ホテル近郊の新口岸地区でマカオ・ポルトガル料理の店を選択。到着時ほぼ満席で、繁盛店だと実感しました。店員さんも親切でテキパキ動き、非常に感じの良いお店でした。初めてのポルトガル料理でしたが、1皿の量が多く2人だと3皿程度でお腹いっぱい。数人でシェアすることで、品数を増やした方がより楽しめると思います。お腹に余裕があれば、もう1皿頼みかったくらい美味しかったです。新口岸葡国餐 地元の料理
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22:00 「ウィンマカオの噴水ショー」
食事の後、噴水ショーを見ながら、マカオ世界遺産30ヶ所制覇ができなかった理由を考えました。同じような予定を考えている奇特な方、一瞥ください(笑)。
①高低差の考慮が必要。意外にマカオはアップダウンが多く、教会の大部分は丘の上に有ります。現在のように高層建築がない当時は非常に目立ったでしょう。でも今回はその立地が我々を苦しめました(笑)。
②暑さ対策の不十分。この時期は非常に暑いため、疲労度が直ぐに溜まります。水分や糖分をこまめに補充すべきでした。ローカルスイーツの店がたくさんあったのに・・・。
明日はこれらを踏まえて、「ギア要塞」その他の攻略を行います。表演湖 (パフォーマンス レイク) 劇場・ホール・ショー
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