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近江 城攻め夏の陣<br />7月13日:安土城<br />7月14日:彦根城・佐和山城<br /><br />表紙画像は佐和山城本丸跡からの眺望<br /><br />佐和山城は鎌倉初期に近江源氏佐々木氏が佐和山麓に館を構えたことに始まる。その後、佐々木家は湖北の京極氏と湖南の六角氏に分かれ、佐和山城は両勢力の境目として、攻防が繰り返された。戦国時代に入ると、浅井氏が京極氏に取って代わり、六角氏と対立。その後、信長上洛の動きに合わせ、状況が変貌。湖北も湖南も勢力下に入れた信長は佐和山城に丹羽長秀を配した。秀吉時代には石田三成がこの城に入り、城を整備するとともに、城下町が栄えたものの、関ヶ原の合戦後、小早川秀秋らが佐和山城を包囲し、三成は逃走。やがて、落城し、天守は焼かれ、女性や子供は身投げ。家康は論考報償として佐和山城を井伊直政に与えたが、直政の死後、家老の木俣守勝は家康に諮って彦根山への移築を決定。こうして、佐和山城は過去の遺物になってしまった。

近江 城攻め夏の陣(3)佐和山城

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2017/07/14 - 2017/07/14

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xiaomai

xiaomaiさん

近江 城攻め夏の陣
7月13日:安土城
7月14日:彦根城・佐和山城

表紙画像は佐和山城本丸跡からの眺望

佐和山城は鎌倉初期に近江源氏佐々木氏が佐和山麓に館を構えたことに始まる。その後、佐々木家は湖北の京極氏と湖南の六角氏に分かれ、佐和山城は両勢力の境目として、攻防が繰り返された。戦国時代に入ると、浅井氏が京極氏に取って代わり、六角氏と対立。その後、信長上洛の動きに合わせ、状況が変貌。湖北も湖南も勢力下に入れた信長は佐和山城に丹羽長秀を配した。秀吉時代には石田三成がこの城に入り、城を整備するとともに、城下町が栄えたものの、関ヶ原の合戦後、小早川秀秋らが佐和山城を包囲し、三成は逃走。やがて、落城し、天守は焼かれ、女性や子供は身投げ。家康は論考報償として佐和山城を井伊直政に与えたが、直政の死後、家老の木俣守勝は家康に諮って彦根山への移築を決定。こうして、佐和山城は過去の遺物になってしまった。

同行者
一人旅
交通手段
徒歩
  • 彦根城見学の後、一度ホテルへ戻った。そして、14時に佐和山城攻略に出発。市役所の脇の道を直線上に進む。<br /><br />

    彦根城見学の後、一度ホテルへ戻った。そして、14時に佐和山城攻略に出発。市役所の脇の道を直線上に進む。

  • 途中、右手にこのような特色ある建物があった。

    途中、右手にこのような特色ある建物があった。

  • 真宗大谷派の浄運寺だった。

    真宗大谷派の浄運寺だった。

  • さらに前進すると、この看板があり、右折。

    さらに前進すると、この看板があり、右折。

  • 踏切を横断する。

    踏切を横断する。

  • 佐和山城へのハイキングコースはすぐ。

    佐和山城へのハイキングコースはすぐ。

  • 清涼寺は井伊家の菩提寺。

    清涼寺は井伊家の菩提寺。

  • 龍潭寺の右脇にこのような道があり、それを進む。

    龍潭寺の右脇にこのような道があり、それを進む。

  • 左手に石田三成像。

    左手に石田三成像。

  • しばらく進むと、龍潭寺の山門が現れる。

    しばらく進むと、龍潭寺の山門が現れる。

  • 山門にある案内図。<br />

    山門にある案内図。

  • 境内墓地を通過し、登山道を行くと、急な坂道になる。<br />行った日は野猿には出くわさなかった。

    境内墓地を通過し、登山道を行くと、急な坂道になる。
    行った日は野猿には出くわさなかった。

  • 雨が降り出し、傘をさしての前進。外国人男性2人組と擦れ違った。

    雨が降り出し、傘をさしての前進。外国人男性2人組と擦れ違った。

  • 道は決してよくなく、悪天候だと滑る可能性あり。

    道は決してよくなく、悪天候だと滑る可能性あり。

  • やがてこの標識。<br />鳥居本からのかもう坂、長寿院からの登山道との合流点。

    やがてこの標識。
    鳥居本からのかもう坂、長寿院からの登山道との合流点。

  • 塩硝櫓跡の入口<br />西の丸があったところで、ここには謎の土坑があるが、用途は不明。周辺に瓦片が散乱している。

    塩硝櫓跡の入口
    西の丸があったところで、ここには謎の土坑があるが、用途は不明。周辺に瓦片が散乱している。

  • ほどなくして、本丸に到着。佐和山の山頂、標高232.9m。山頂は平坦であるものの、天守台や升形などの遺構は確認できない。天守台は4.5mの高さがあり、その上に5層の天守がそびえていた。三成の死後、大規模な城破壊があったのだろう。

    ほどなくして、本丸に到着。佐和山の山頂、標高232.9m。山頂は平坦であるものの、天守台や升形などの遺構は確認できない。天守台は4.5mの高さがあり、その上に5層の天守がそびえていた。三成の死後、大規模な城破壊があったのだろう。

  • 彦根城方面の景観<br />鬱蒼とした森のようなところが彦根城。

    彦根城方面の景観
    鬱蒼とした森のようなところが彦根城。

  • 彦根城とは反対側の景観

    彦根城とは反対側の景観

  • 山門の案内によれば、「山頂まで20~30分」だったけど、14時25分に登り始めて、15時には山門に戻って来た。あっけなく落としてしまった感じがあるけど、建造物がまったく残っていないから、イメージがしづらく、落城の困難さを実感できなかったというのが正しいだろう。<br />

    山門の案内によれば、「山頂まで20~30分」だったけど、14時25分に登り始めて、15時には山門に戻って来た。あっけなく落としてしまった感じがあるけど、建造物がまったく残っていないから、イメージがしづらく、落城の困難さを実感できなかったというのが正しいだろう。

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