2017/06/23 - 2017/06/23
7位(同エリア81件中)
かっちんさん
天北線(てんぽくせん)は、道北内陸部にある音威子府(おといねっぷ)駅から宗谷本線と分かれ、北東方向に向かって浜頓別(はまとんべつ)を経由し、オホーツク海沿いに稚内まで走る鉄道でした。
旭川と稚内を結ぶ鉄道は当初このルート(当時は宗谷線)でしたが、現在の幌内経由稚内までの路線が新設されため、天北線(音威子府~南稚内)が次第に赤字路線となり平成元年(1989)に廃止されました。
廃止後、代替バスが天北線沿いとほぼ同じルートを走るようになりました。
今日は音威子府で名物の黒い蕎麦を食べ、天北線(宗谷バス)に乗り、車窓から鉄道廃線跡を探しながらベニヤ原生花園まで「路線バスの旅」を楽しみます。
途中の中頓別・浜頓別バスターミナルには鉄道記念館があり、トイレ休憩中の10分間に見学します。
なお、旅行記は中頓別町のHP、札幌鉄道局編の「駅名の起源」などを参考にしました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス JR特急 JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
宗谷本線 塩狩駅から出発
塩狩峠を登ってきた普通列車に、隣の和寒(わっさむ)駅まで乗ります。 -
特急「宗谷」
和寒駅から稚内行の特急で、音威子府(おといねっぷ)駅へ向かいます。 -
三日月湖の智恵文沼(ちえぶんぬま、車窓)
天塩川(てしおがわ)の流路を短絡したため、蛇行して流れていた川が残されて三日月湖になりました。
天塩川には三日月湖がいくつかあります。 -
音威子府駅に到着
北海道で1番小さい音威子府村です。 -
特急「宗谷」のお見送り(音威子府)
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線路端を彩るルピナス(音威子府)
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古い跨線橋(音威子府)
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イチオシ
名物の駅そば(音威子府)
駅待合室の中で、年配のご夫婦が店を出しています。 -
天ぷらそば(音威子府)
音威子府そばは、地元の畠山製麺で作られています。北海道産の玄そばを仕入れ、秘伝のそば粉の配合率で打ち、甘皮まで入れるので黒くなります。
そばの風味が豊かで、コシが強く美味しい蕎麦です。 -
音威子府を表すポスター(音威子府)
「頑張れ宗谷本線」のポスターは、2016年春に募集した宗谷本線にまつわる数百点の写真を使用して作成したものです。 -
イチオシ
なつかしの音威子府(写真)
夜行急行「利尻」が走っていた昭和40年代後半、未明の3時過ぎに音威子府で荷物の積み下ろしのため20分ほど停車していました。
その間にホームに出て、黒いそばを食べた記憶があります。
当時は、先代のおばあちゃんが店を出していたとお聞きしました。 -
天北線資料館(音威子府)
待合室の建屋にあるので見学します。 -
天北線の路線図(資料館)
天北線は音威子府から宗谷本線と分かれ、北東方向に向かって中頓別(なかとんべつ)、浜頓別(はまとんべつ)を経由し南稚内まで、オホーツク海沿いに走る148.9kmの路線でした。
大正3年(1914)に宗谷線の音威子府から小頓別まで延伸開業し、大正11年(1921)稚内まで全線開業しました。
その後、音威子府から幌延まわりで稚内までの天塩線(現宗谷本線)が開通。
天北線は赤字対象路線となり、平成元年(1989)に廃止されました。
「頓別」がつく駅名が多く、小頓別、上頓別、中頓別、下頓別、浜頓別など、仲良く揃っています。
「頓別」はアイヌ語の「トウ・ウン・ベツ」(沼から出る川)に由来します。 -
天北号がお出迎え(資料館)
車両の絵は、特急キハ181系国鉄色のようです。
実際には天北線の優等列車は急行「天北」が走り、キハ56から14系客車、キハ400へと車両が変わりました。 -
上音威子府駅を再現(資料館)
上音威子府は音威子府の次の駅です。
右奥の赤い通票閉塞機(信号保安設備)は小頓別駅のものです。 -
急行「天北」(資料館)
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タブレット、記念品など(資料館)
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C55 1の写真(資料館)
宗谷本線にはSLの「C55 1」が、旭川~稚内間を走っていました。 -
音威子府駅前のSL花壇
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天北線バス時刻表
平成元年(1989)天北線の鉄道廃止後、代替バスが天北線(宗谷バス)として運行されています。
稚内まで4時間23分かかる長距離路線バスです。
かっちんは11:30発に乗り、浜頓別の少し先のベニヤ原生花園(1,880円)まで乗ります。 -
バス窓口
宗谷バスはバスカードを導入していないのですが、割引になる回数券があることを教えてもらいました。
これから行くルートの運賃をいくつか尋ねると、係員がバス停とバス停の運賃がわかる巨大な三角表(運賃表)を取り出し、定規をあてて調べ始めました。
後日、宗谷バスのホームページで運賃を調べてみると、同じような三角表が表示されます。
回数券は、100円券×11枚を6セット、6000円分を購入。
係員にとってはこれが大変な作業になりました。
写真は回数券の原券に100円の印を押しているところ。11枚×6セット=66回と思いきや、裏にも押すので計132回。 -
これが宗谷バス回数券
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天北線バスに乗ります
乗客は地元の1人にかっちん夫婦を入れて計3人。
これから路線バスの旅が始まります。
車窓の景色を順次紹介していきます。 -
牧草ロール(音威子府)
バスは音威子府を出発し、旧天北線沿いの美深・頓別国道(275号)を走ります。
酪農地帯が続きます。 -
上音威子府駅跡
進行方向右側の景色です。
綺麗な駅名板に整備されていたので、場所がわかりました。 -
旧天北線の橋梁(上音威子府)
上音威子府バス停を過ぎ、国道の三日月橋から一瞬見えます。 -
小頓別バス停
中頓別町小頓別に入りました。
ここは小頓別駅があったところです。
昭和45年(1970)まで、ここから歌登(うたのぼり)町営軌道もありました。
「小頓別駅」は付近一帯を頓別村と称していたのですが、植民の際に付近の地名と区別をするため「小」を冠しました。 -
小頓別バス停近くのレリーフ
昔の暮らしは林業が盛んだったことがわかります。 -
イチオシ
旧丹波屋旅館(小頓別)
旧丹波屋旅館は、和・洋館が合体した珍しい建築物で、和館は大正3~4年頃に建築され、洋館は昭和2年頃に建築された旅館です。
国の登録有形文化財に指定されています。
旧小頓別駅前にあり、当時林業が盛んだった頃、木材の買い付けに来る客が利用したといわれています。 -
菊池牧場(岩手地区)
中頓別町岩手という地名です。
入植者は岩手から来られたのでしょうか。 -
広大な牧草地(岩手地区)
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エゾカンゾウ(上頓別)
「上頓別」は頓別川の上流にあるため「上」の字を冠しています。 -
イチオシ
牧草ロールがころがってきそう(上頓別)
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北緯45度の中頓別町
明治30年代のゴールドラッシュに伴い、中頓別には一攫千金を夢見た大勢の人々が全国各地から集まりました。
今でもペーチャン川砂金掘り体験場では、ゴールドパンという砂金粒を採る器具を使い、子供から大人まで楽しめます。 -
敏音知(ピンネシリ)駅跡
近くに「道の駅ピンネシリ」と「ピンネシリ温泉」があります。 -
くつろぐ乳牛(松音知)
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イチオシ
旧松音知(マツネシリ)駅
駅を保存・維持をしているようで、綺麗に残っています。 -
天北線メモリアルパーク
中頓別駅舎はありませんが、中頓別バスターミナルがあります。
ここで10分ほどトイレ休憩があるので、急いでメモリアルパークを見学します。
「中頓別駅」は頓別川の中流にあるため「中」の字を冠しています。 -
キハ22ディーゼルカー(中頓別)
昭和40・50年代に北海道を旅行すると、普通列車は必ずキハ22でした。
懐かしい車両です。 -
キハ22の運転席(中頓別)
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鉄道用具(中頓別)
国鉄(JNR)のヘルメット、改札口の行先案内板、乗車券日付器などがあります。 -
イチオシ
きっぷ(中頓別)
上段が車内補充券、下段が駅発行券です。
特に下の左2つの乗車券は、札幌駅の乗車券印刷発行機で発行されたものです。
実は現役時代にこの券面の着駅区間、経由、運賃などのデータを作る仕事を駅務機器メーカーとしてやっていたので、懐かしさがこみ上げてきます。 -
中頓別の案内
中頓別鍾乳洞、ペーチャン川砂金掘体験場などがあります。 -
SL9600形(中頓別)
バスは再び出発し、中頓別寿公園を通過。
ここに天北線で活躍していた9600形SLが保存されています。 -
下頓別バス停
ここから浜頓別町に入ります。
下頓別駅舎はありません。
「下頓別駅」は頓別川の下流にあるため「下」の字を冠しています。 -
キタキツネがお散歩(下頓別)
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浜頓別バスターミナル
ここで10分ほどトイレ休憩があり、鉄道記念館が設けられているので見学します。
「浜頓別駅」は頓別川がオホーツク海にそそぐ付近にあるため「浜」の字を冠しています。 -
珍しい「わたしの旅スタンプ台」(浜頓別)
わたしの旅スタンプは、昭和55年(1980)に国鉄が国鉄認定駅に設置したものです。
スタンプはありませんが、スタンプ台がゆうパックの記入台に活用されています。 -
通票閉塞機(浜頓別)
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きっぷ(浜頓別)
ここにも、乗車券印刷発行機の自由席特急券、乗車券が展示されています。 -
タブレット、工具、行先サボ、帽子(浜頓別)
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斜内山道を行くディーゼルカーの写真(浜頓別)
白黒の縞模様の灯台の下をディーゼルカーが走っています。
興浜北線は昭和60年(1985)に廃止されたので、それ以前の写真です。 -
ベニヤ原生花園バス停(浜頓別)
再びバスに乗り、ベニヤ原生花園で降ります。
音威子府から1時間43分乗車し、天北線「路線バスの旅」を楽しみました。
これから、1kmほど離れた海岸近くの「ベニヤ原生花園」へ向かいます。
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この旅行記へのコメント (4)
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- Tagucyanさん 2017/07/16 20:55:08
- 天北線
- かっちん様
いつも当方の旅行記に投票ありがとうございます。
天北線は昭和の終わり頃、北海道に初めて1人で行ったときに乗ったことがあります。
その日は早朝深川からこれも後に廃線となった深名線に乗り、そのあと音威子府から天北線で稚内に行くという行程でした。
私が乗ったときは、たしか2両編成でそんなに混雑していたわけではないですが、廃止になってしまうほどガラガラという感じではなかったです。でも2年後になくなってしまいました。
その頃はまだ北海道にもローカル線がたくさん残っていて、このときの北海道行きでも上記の他にも標津線、湧網線、名寄線など、今はない路線に乗っています。今思えばもっと乗っておけばよかったと思っています。
廃止になったあとは、音威子府、浜頓別、飛行場前仮乗降場跡など、何かのついでに断片的に立ち寄ったことはありますが、1度じっくりと巡ってみたいなあと思っていました。ということで、じっくりと見させていただきました。
続編も楽しみにしております。
---
Tagucyan
- かっちんさん からの返信 2017/07/16 23:40:32
- RE: 天北線
- Tagucyanさん
こんばんは。
北海道の懐かしい廃線の旅を興味深く読んでいただき嬉しいです。
国鉄最後の時期に北海道のローカル線を訪れたのですね。
一度でも乗っていると、廃止後に訪れた時に感慨深くなります。
今回の旅は、廃線の旅だけでなく、花旅、宗谷フットパスなどを盛り込んでいます。
旅行記続編を楽しみにしていてください。
かっちん
-
- 横浜臨海公園さん 2017/07/15 12:16:34
- 急行天北号
- かっちんさま、こんにちは。
旅行記を拝見させていただきました。
浜頓別も鉄道とは無縁の町になてしまい、寂れ方が尋常で無い様子ですね。
小生、昭和50年(1975年)冬に札幌から稚内まで乗車した天北号は11両編成で、始発駅たる札幌でグリーン車は満席、普通車はデッキまで立客でいっぱいでした。
天北線は腕木式信号機でしたが、全国でも珍しく、通過列車が存在するにも拘らず、通過信号機が未設置だった事から、タブレットを持った助役が、緑旗を展示しながらタブレット交換をしていたのが印象に残っております。
横浜臨海公園
- かっちんさん からの返信 2017/07/15 18:57:26
- RE: 急行天北号
- 横浜臨海公園さん
こんにちは。
昭和50年(1975年)は冬でも、天北号が満員でしたか。
私は昭和40年代後半の夏に天北号に乗ったことがあり、増結の車両でも満員で運転助手席で過ごした記憶があります。
増結のためホームから外れており、ドアが開くと地面が見えていて、降りる人は飛び降りるのかなと思いました。
そうそう、タブレットを忙しく交換していましたね。
あの時代が懐かしく思います。
かっちん
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