1971/03/24 - 1971/04/07
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ノスタルジアさん
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今まで40ヶ国と日本全国を旅して来たが、その中でも昭和46年の春休みの四国の旅は忘れられない思い出となっている。
昭和46年3月24日(水)
金沢からヒッチハイクをして京都に着き、前年の沖縄旅行で知り合ったSさんの京都工芸繊維大学の寮に泊めて貰い夕食も寮の近くの食堂でごちそうになり大変お世話になった。Sさんはバイトに忙しくてその合間に食堂で夕食を食べ、寮の隣のベッドに帰って来たのは12時近くで、朝、7時に起きた時には既にバイトに出かけていなかった。枕元に「俺はバイトに行くがゆっくりして行ってくれ。あまり相手出来ずゴメン。」と書かれたメモが置いてあった。
こんな感じで旅が始まった。
1970年(昭和45年) 本土復帰2年前の沖縄を旅して
http://4travel.jp/travelogue/11237030
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
昭和46年3月25日(木)から2泊した小豆島みはらし台ユースホステルの宿泊スタンプ
京都工芸繊維大学の寮を出て岡山県玉野市の宇野港から小豆島に向かったが、ヒッチハイクがスムーズに行かず、ユースホステルに着いたのは8時頃だった。予約もしておらず規則の夕食時間も過ぎていたが、ヘルパーの計らいで夕食にありつけてほっとした。
残念な事にこのユースホステルは現在閉館している。 -
昭和46年3月26日(金)小豆島 寒霞渓からの眺め
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昭和46年3月26日(金)小豆島 寒霞渓で
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昭和46年3月26日(金)小豆島 寒霞渓で
遊覧観光用の馬がいて、オヤジに「遊覧なしの馬に乗ってる写真を撮って欲しい。」と云うと、金額は忘れたが遊覧無しの写真撮影の料金をちゃっかり取られた。 -
昭和46年3月26日(金)小豆島 寒霞渓で
お金を払ったので踵で馬の腹を蹴ったが馬は全然動かない、それを見ていたオヤジが「皆そうするんだよね。」笑っていた。なかなか躾された馬だった。
カウボーイのイメージで撮ったが、ブーツでは無く草履では、この時履いていた草履、後述するが足摺岬を向かう途中で鼻緒が切れてしまって・・・。 -
昭和46年3月26日(金)小豆島 銚子渓 愛の泉で
ローマのトレビの泉を模して、昭和44年3月15日除幕式が行われた。文化勲章の圓鍔勝三のブロンズ像とノーベル賞の湯川秀樹の碑文ということで訪れる人も多かったが今は、誰も訪れなくなっているとか。 -
昭和46年3月26日(金)小豆島 二十四の瞳記念碑 平和の群像の前で
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昭和46年3月27日(土)小豆島 みはらし台ユースホステルの前で
女子大生2人とヘルパー3人と -
昭和46年3月27日(土)小豆島 ユースホステルの前で
女子大生は3人連れ(上の画像の赤い服でこの写真を撮っている)で宮城県からとか。 -
昭和46年3月27日(土)高松栗林ユースホステルの宿泊スタンプ
残念な事にこのユースホステルも現在閉館している。
定番の栗林公園、屋島も行ったが、中学の修学旅行で既に訪れていたせいか、印象的な記憶は無い。 -
昭和46年3月28日(日)室戸岬東寺ユースホステルの宿泊スタンプ
四国八十八箇所霊場の第二十四番札所最御崎寺の一部がユースホステルとして開放されていたが、ここも残念な事に今は閉館となっている。
室戸岬では東西に対峙している第二十六番札所の金剛頂寺を西寺(にしでら)と呼ぶのに対し、最御崎寺は東寺(ひがしでら)と呼ばれる。
夕方、高松市から高知市を経由して安芸市の国道55号線で室戸岬東寺ユースホステルを目指して順調にヒッチハイクしていてここでもスムーズに車が停まってくれて車に乗りこんだら30代過ぎの夫婦らしきカップル(当時の言葉でいえばアベック)だった。カップルだったら邪魔しては悪いと思って手を挙げないのだが、夕陽が逆光となって車内の様子がよく分からなかったので、それを言うと奥さんらしき人が「気にしないでいいのよ、夕陽を浴びたあなたの顔を見ると学生だし、悪い人には見えなかったから、あの人乗せてあげたら、と私が家の人に言ったのよ。これから室戸スカイラインをドライブするけど一緒に行かない、帰りにユースホステルまで送るから。」これを聞いて天にも昇る思いになって、ご主人にお礼を言うとにっこりして頷いてくれた。
室戸スカイラインの頂上からの夜景は絶景でご主人から案内すると言われたが幾らなんでもそれは断って邪魔しないよう距離を取って離れて過ごした。
夜景を楽しんだ後、スカイラインの途中に最御崎寺の小さな立て看板があってそこで降ろして貰った。林の中を歩いて行くと寺があったが広くてしかも真っ暗でどこが入り口なのか分からない、うろうろしていると明かりの点いた部屋があって窓ガラス越しに覗くとそこは厨房で多くの坊さんたちが夕食を作っていた。窓ガラスを軽くノックすると何事か、という顔をした若い坊さんが開けてくれたので「入り口はどこですか?」「見ての通り、ここじゃないよ、ぐるーっと回らないと、真っ暗だし、しょうがないけど勝手口のドアを開けるから」、受け付けまで案内しながら裏手から入って来た宿泊客はお前が初めてと言われ、車で乗せて貰って来た、と話すと「それは楽したな。」と言われたが、その意味が後で分かった。
受け付けを済ませて食堂で夕食を食べていると、学生らしき男から声を掛けられた。「夕方、君が国道55号線を歩いているのをバスの中から見たよ。でもどうして俺より早く着いたんだ?」「???」そう云えば路線バスが追い越して行ったのを思い出した。その直後、ご夫婦の車に乗せて貰ったのである。彼の話しを訊くと、海抜0mのバス停から標高165mの寺までの登り道の石段がきつくて30分余り掛かったとの事で、それで自分の方が早く着いたのだった。翌朝、室戸岬に下りる時、坂のきつさが分かって昨夜の坊さんが言っていた「それは楽したな。」の意味がようやく分かったのである。 -
昭和46年3月29日(月)室戸岬で
室戸岬は岬といっても誰もがイメージする断崖絶壁ではなく寄せる波が被るような低い岩場なのでる。
29日はどこに泊まったのか記録、記憶も無い。30日(火)は高知市内で日中、桂浜で大半を過ごし高知城の夜桜見物をして近くにあると訊いていた高知大学の寮を探したがなかなか見つからないのである。住宅地なのか店も交番もなくうろうろしていたら明るい建物があってそこで訊く事にして玄関先に立つと「高知県警 独身寮」の看板が目に飛び込んで来た。昭和46年になると大学紛争は鎮静化していたが、それでも警察は大学の学生自治会の動向に眼を光らせていたので、ここで訊けば過激派学生活動家のあらぬ疑いをかけられるかも知れないと思って止めようか、それとも警察の寮に道を尋ねるのだからかえって活動家だと疑われないのでは、それに絶対場所を知っている筈だし、と迷っていたが、思い切って訊く事して玄関の戸を横に引いたら、勢いよく戸が開き中から出て来たスポーツ刈りの警官と鉢合わせになった。どうやら同時に戸を引いたらしくこっちも相手も一瞬びっくりした。「何か御用ですか?」「高知大学の学生寮の場所を教えてください。」警官は頭の先からつま先まで見たので緊張して「学生寮は何しに行くのか、学生証を見せろ。」の尋問を覚悟したが、何も問われず寮の前の道路に出て、学生寮の道順を詳しく教えてくれた。
学生寮に着き、玄関で何度か大声で「こんばんは!」と叫んで出て来た寮生に「ここはタダで泊めてくれると訊いて来たので」というと、手慣れた感じで3畳敷きの部屋に案内してくれて壁に貼られた注意書きを読んでおくようにと行って出て行った。宿泊名簿らしき物は無く、名前も何も訊かれなかった。
注意書きには
・寮生からの食事、特に酒の誘いには絶対に断ってはいけない。
・出る時の挨拶は不要、布団は畳んで来た時の状態にする事。
他にも二、三買いてあったが覚えているのはこれだけである。
食事の誘いには少し期待したが、寮生は春休みで帰省中なのか、案内してくれた学生もこれから夜行で帰省すると言っていたので、誰もいないのか人の気配は無く静かで誘いはなかった。
それにしても木造の建物は古く、部屋の灯りは裸電球で暗く、畳は擦り切れ、2組あった布団のシーツは無くとにかくかび臭かったが、今となっては良き思い出である。 -
昭和46年3月31日(水)足摺岬灯台で
朝、高知大学の学生寮で起きると外は雨。今日は足摺岬へ行く予定、雨の日のヒッチハイクは最悪、当然だが、ドライバーは雨に濡れたヒッチハイカーを乗せたがらない、そこでヒッチハイクをし易い高知市郊外の国道56号線までとさでんで行った。足摺岬に向かって歩きながらヒッチハイクを始めたが雨が激しくなって来て差した傘が邪魔でお互いの顔もよく見えず、その上足元の草履もびしょ濡れになって、これでは無理かな、と思い始めた頃に何と左足の草履の鼻緒が切れてしまったのである。そのまま歩こうとしたが無理だった。仕方無く草履を脱いでヒッチハイクする左手に持って、右手には傘を差しながら4,5m歩いたが、左足は裸足で実にカッコ悪くて、恥ずかしくて、車も停まってくれなく立ち止まってしまった。
その時、突然マドンナ(歌手ではなく寅さんの)が現れて、寅さんが旅先で見る様な夢が始まった。 -
平成15年10月24日(金)高知から足摺岬に向かう途中に見た夢のいきさつを高知新聞に投稿
今まで世界、日本各地を旅して来て、特に思う事は出合った人たちの親切なしでは出来なかった、そして一つ、一つの旅が終る度に良き思い出が増えて、また新しい人との出会いを求めて旅に出掛ける、そんな気持ちにさせた一番の旅が今回の四国である。ヒッチハイクしていて「君はフーテンの寅さんみたいだね。」これが自分にとって一番嬉しい言葉である。 -
昭和46年3月31日(水)足摺岬 金剛福寺ユースホステル 宿泊スタンプ
金剛福寺の施設の一部をユースホステルとして開放されていたが、ここも残念な事に今は閉館となっている。
夢から覚めると切れた鼻緒も直って再び歩き始めた。傘も差さなくてもいいくらいの小雨になった頃に車が停まってくれた。乗用車タイプのバンでドアには会社名
がある営業車で宿毛市の得意先に行くとの事で中村市までお願いした。乗るとタオルを渡され濡れている足を拭いたらいいよ、と言われた。途中、道路沿いに履物屋があったので立ち寄って貰って、鼻緒のないつっかけを買った。中村市には昼頃に着き、お昼時という事で海の見えるドライブインで昼食までご馳走になった後、足摺岬方面の分岐点で降りた。仕事中なのにこんなにまでしてくれるなんてとても信じられない思いで、浮かんで来る言葉はただ、ただ、感謝、感謝しかなかった。 -
昭和46年4月1日(木)竜串、見残し海岸で
足摺岬から竜串、見残し海岸までユースホステルで知り合った東京から来た男子大学生3人連れの車に乗せて貰った。乗ってから運転免許を持っているのは一人だけで免許を取ったのは3月20日で練習がてら四国旅行していると驚くような話しを聞いたのである。どおりで運転がぎこちないと思った。道路が狭くすれ違いはやっとでしかも左側が海でいつ転落するか気が気ではなかった。こんな事があった対向車とすれ違いが出来なくて、道路の形状上、こちらがハンドルを切りながら崖ぎりぎりまでバックした時、後部座席の窓際の二人は車から降りず窓を開けて「オーライ、オーライ、ストップ。」だけだったので自分は後部座席の真ん中でどれだけ余裕があるのか、全然分からないので、崖下転落の恐怖で凍りついていた -
昭和46年4月1日(木)竜串、見残し海岸で
昨日とは打って変わっての良い天気で春らしい陽光実に気持ち良かった。
海岸で十分楽しんだ後、宇和島に向かった。ヒッチハイク日和りで行く先々で桜が満開で春うららだった。
話しが面白い中年の男性に乗せて貰った。ヒッチハイカーを見れば必ず乗せる、若い人との会話が楽しいとの事。今日はどこに泊まるのかと訊かれ、予約して無いけどうわじまユースホステルと答えた。途中で車は給油の為ガソリンスタンドに立ち寄り、おじさんは店にに入って行き、しばらくしてガラスドアを開けてピンク電話の受話器を持ちながら「おーい、君の名前は?」何の事か分からないまま名前を言うと何かを話していた。車に戻りエンジンを掛けながら「今、ユースホステルを予約したよ、場所は高台にあって我が家はその下でユースまで送るよ。」「えっ、そんな。」どこまでも親切なおじさんだった。 -
昭和46年4月1日(木)宇和島市 うわじまユースホステル宿泊スタンプ
現在、森の宿うわじまユースホステルがあるが、同じユースホステルなのかメールで問い合わせ中。 -
昭和46年4月2日(金)松山城 満開の桜祭りで
これ以降のネガの保存状態が悪過ぎた。
松山では他に道後温泉に入ってぼっちゃんの部屋で寝転んで当時に思いを馳せながらしばしくつろぎたいところだったが、案内してくれた女性がその場にいたままで立ち去らずゆっくりする事が出来なかった。今から思えば部屋の使用料が要ったのかもしれない。 -
昭和46年4月2日(金)松山神泉園ユースホステル
現在の神泉園ユースホステルは、以前、開業していた松山市道後今市から移転した。 -
昭和46年4月3日(土)石鎚山スカイラインで 石鎚山 標高は1,982m。
面河渓まで乗せてくれたドライバーさんが天気も良いからといって石鎚山スカイラインまで案内してくれた。行く先至るところで親切な人に出合ったのである。 -
昭和46年4月3日(土)面河渓で
-
昭和46年4月3日(土)面河渓 関門ユースホステル 宿泊スタンプ
現在、建物は解体さて駐車場となっている。 -
昭和46年4月5日(月)鳴門公園展望台で
大潮の際には渦の直径は最大で30mに達するといわれ、渦の大きさは世界でも最大規模といわれる鳴門の渦潮を期待して大潮の時刻に合わせて海面を見つめていたが発生せずがっかりした。
この後、フィルム、お金も使い切り淡路島を経て帰ったが写真がないせいか全然記憶がない。
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この旅行記へのコメント (1)
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- olive kenjiさん 2020/10/23 17:20:48
- 貴重な小豆島旅行記
- ノスタルジアさん シベリア鉄道に乗らずに、こっちへやって来ました。
もう懐かしい、懐かし過ぎる旅行記です。また面白すぎる。
実は私は小豆島在住の者です。だからこの旅行が貴重なのです。
あの小豆島見晴らし台YHは、最高のロケーションにあったかと思います。今はその跡形も無いです。あの当時では最高傑作YHだったと今でも信じています。
馬に乗った姿はまるでローハイドですが、致命傷はやはりブーツ無しですね。
驚くのは、よくも草履で旅していたもんだと。鼻緒が切れて、買ったのが鼻緒がないつっかえだとは、笑っちゃいました。ノスタルジアさん好き。
その当時、高知大学では無料で泊まれたんですか。それも警察の寮でお話するくだりは笑っちゃいました。ノスタルジアさん面白過ぎる。
ヒッチハイクで乗っけてもらった車が、、10日前に取った免許書で練習がてらの車だったとは。それはさぞかし恐怖の道中であったに違いありません。笑いに笑いました。
でも、四国では良き人に会って良かったですね。四国はいい人が多いですね。
はい、私も四国人です。ありがとうございます。
さて次は、どこへ訪問しようかな。可愛い彼女の写真を見たのでそちらへ寄ってみます。
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