2016/05/29 - 2016/05/29
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frau.himmelさん
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フランクフルトって言うと、ちょっとドイツを知っている人はどっちの?って聞きます。
フランクフルトってフランクフルトに決まっているでしょう!高層ビルが建ちならぶヨーロッパの経済の中心、あのフランクフルトですよね。
ところがドイツにはもう一つのフランクフルトがあるのです。
大都市フランクフルトは、フランクフルト・アム・マイン(マイン河畔のフランクフルト)、
もう一つのポーランドとの国境にあるほうはフランクフルト・オーダー(オーダー河畔のフランクフルト)。
私の旅のテーマ、密かな楽しみでもある『徒歩で国境を越えよう』は、ポーランド側のスウビツェからドイツ側のフランクフルト(オーダー)を越えます。
明日は帰国日、ジャーマンレイルパスも1日分残っているので、少し遠出をして元を取りたい(笑)と思っていました。
フランクフルト(オーダー)から世界遺産のバートムスカウもよさそう、ポーランドの国境ゲルリッツを再訪(2007年に訪れている)してもいいなとか、いくつか計画していました。
しかし、3週間にも及ぶ長旅に、この老体は悲鳴を上げていました。
◆◇
旅行記の投稿に今回は1か月以上も間が空いてしまいました。
今回のスランプは長かった~。
-
3週間のヨーロッパの旅はこの老体にかなりの負荷をかけたようです。
朝起きるのも辛いし、足の調子も思わしくない。
ぐずぐずして朝食会場に行き、ゆっくり身支度して中央駅に行ったら、目の前でフランクフルト(オーダー)行きのREが出発してしまいました。 -
次は10時51分。
お昼近くからの行動になりますね。
ここで私の気持ちが固まります。
せっかくジャーマンレイルパスがあるのだけど、体調も万全ではないし、遠出は諦めてフランクフルト(オーダー)で国境を越えるだけにしよう。
◆
中央駅のガラスの天井は、1枚1枚パーツごとに開閉ができるようになっています。そして換気をする・・。
エコの国ドイツならではの構造です。 -
そう心が決まったらゆっくりします。
ホームの端っこに行ってベルリンの中心方向を眺めます。
私にはもうすっかりお馴染みになった風景です。
シュプレー川、首相府、連邦議会議事堂、ポツダム広場の高層ビル、ソニーセンターも見えます。 -
駅構内でグズグズ時間をつぶして、再び12番ホームにやってきました。
10時51分のフランクフルト(オーダー)行きのREが間もなくやってきます。 -
ここで面白い発見をしました。
向かい側の13番ホームはフランクフルト(マイン)行きが到着するのです。 -
レールを隔てて、どちらもフランクフルトに行く人々。
あちらフランクフルト(マイン)は冷戦時代は西側でしたし、こちら側フランクフルト(オーダー)は東側でした。
さしずめ、中間にあるレールはベルリンの壁かシュプレー川か、なんてバカなことを考えています。 -
51分の列車に乗って、オーダーに向かいます。
出発して間もなくシュプレー川と、遊覧船の後ろに見えてきたベルガモン博物館、ベルリン大聖堂・・・。
そういえば、まだ今回はベルリンの名所などあんまり観光していませんでした。
せめて車窓から観光いたしましょう。 -
テレビ塔。
-
アレキサンダー広場、いつも賑やか。
世界時計も右端に見えます。 -
東ベルリン名残りの巨大な集合住宅。
-
建物の上から飛び出している二つの青い塔はフランクフルター・トーア(フランクフルト門)です。
あの間をDDR時代は巨大な旧スターリン大通りが通っていて、政治パレードや軍事パレードが行われたのでした。 -
工事中のこの駅は先日訪れたオストクロイツ駅付近。
駅の回りは再開発の真っ最中、あちこちと工事現場だらけです。
工事現場の後ろには歴史的な建物が。 -
オストクロイツを出発してすぐに、この傾いた建物を見つけました。
いつか、ある旅行サイトで話題になった建物です。
どこにあるのか気になっていました。 -
傾いた家は1棟だけではありません。
これも芸術なの・・・?
首をかしげます。 -
ベルリン市郊外の、東ベルリン時代そのままではないかと思える古い駅舎。
-
列車はベルリンを飛び出し、速度を上げて東ドイツの森の中を走っていきます。
森の中ではテントをはってキャンプをしている賑やかな集団や、ワラビや赤いポピーの花も見える。
私の撮影技術ではきれいに写すことはできません。 -
列車は東ドイツの風景の中を走る。
美しい集落、風力発電機、ドイツ独特の規則的に並ぶ並木道。
私の好きな風景。
この風景を見たくて毎年ドイツを訪れているのかも知れない。 -
フランクフルト(オーダー)駅に到着。
やっぱり駅の規模も混雑ぶりもフランクフルト(マイン)とは大違い。 -
まずトイレを見つけて用を足し、これからの国境越えに備えます。
トイレの横にはコインロッカー。
情報収集です。大小結構数がありますね。 -
駅構内の入り口には市の紋章であるカラフルな雄鶏が立っています。
さあて、私はこれからどういう方法で国境越えをしよう。 -
地図を見て歩いていけば国境にたどり着けるのは解るけど、今の私はできるだけ足に負荷をかけたくない。
事前の調査でバスが走っていることは判っております。
バスはどこから?
何番から乗ればいいの?
通りかかった上品な中年ご夫婦に、プリントアウトしたグーグルの地図を見せて尋ねました。 -
このご夫婦、東洋人のオバちゃんが国境に行きたいと言ったことに興味を覚えたらしく、親切にこのバス停の前まで連れてきてくれました。
Zum Grenzubergang(国境通過)とあります。
そして983番には、私が唯一調べてきたポーランド語の「スウビツェ」の文字が。 -
親切な中年のご夫婦は時刻表も調べてくれました。
そして、間もなくバスが来るわね、と言ってまた駅舎の方に戻っていきました。
今11時41分です。45分のがありますね、ラッキー!
それにしても1時間に1本しかないとは、帰りはどうしよう。 -
待っている私の前に別な行先のバスが先にやってきました。
扉が開いて券売機が見えました。
そうだ!
今日はバスのチケットを買わなければならないのだった。
いつもターゲスカルテ(1日乗り放題)で、バスも列車も何でもござれのチケットを使っているので、いちいちチケットを買う心配なんかしたことがないのです。
ところが今日はジャーマンレイルパスを使っています。
それには市内交通には乗れないのです。
でもいいわ、バスの運転手から直接買えばいいのよね。 -
私の乗る983番のバスがやってきました。
初めての街のバスはどうやって乗っていいかわからない。
入り口のボタンを押して扉を開けるのね。 -
次はバスのチケットを買う番です。
運転手から買えばいいよね、と簡単に考えていたら運転手氏、後ろの券売機で買ってくださいって。 -
ええ~っ!いくらのチケットを買えばいいの?
私は何という停留所で降りたらいいかもわからない。
でもそんなに長い時間乗っているわけではないのだから、一番安いチケットでいいでしょう。
勝手にそう信じ込んで1.6ユーロのチケットを買います。
それより券売機のこのボタンの数の多いこと、どこを押したらいいのかドキドキしながら券売機と格闘です。
そんな私の心の葛藤なんかどこ吹く風と、バスの中はのんびりムード。 -
私がオロオロしているうちに、周りの景色を見ることもなく、国境の橋に差し掛かりました。
これがポーランドと国境を接するオーダー川(オーデル川)。
この橋のどこかに国境線があるはずなのです。
私はまずバスで一っ跳びに国境を渡り・・・。 -
橋を渡った最初の停留所で降りました。
そこから歩いて、徒歩で国境越えをしようという魂胆なのです。
これが乗ってきたバスです。
停留所は「Collegium Polonicum」。 -
ここはポーランドのスウビツェ Słubiceという街。
建物がカラフルでなんかドイツと違う「異国」を感じます。
オーダー川沿いに遊歩道が整備されていて、気持ちのよい散歩コースになっています。 -
ドイツ側を眺めます。
こちら側はポーランドで、あちらはドイツ・・・、
なんか不思議な感覚です。
対岸から眺めるフランクフルト(オーダー)の街並み、素朴で美しい。 -
フランクフルト(マイン)は高層ビルが林立している都会的な風景で有名ですが、こちらは高層ビルはこの1棟のみ。
1970年代に建てられた25階建ての素朴な箱ビル、ビルの上には「DER ODER TURM:オーダー塔」と名前が見えます。
ここが市の中心で、市のランドマークなのです。
その左側に見える塔は聖マリエン教会、右に見える塔は市庁舎の塔? -
遊歩道にはところどころにベンチが置かれ、ほっとします。
ベンチに座ってリュックの中から、果物、朝食で食べなかったゆで卵、日本から持ってきたおせんべいなどを出して昼食にします。
大きな木の下、のんびりしますね。 -
ホタテ貝のマーク、聖ヤコブの巡礼の道です。
このスウビツェは、大戦前はドイツの領土だったのですが、戦後、ポツダム会談により、オーデル・ナイセ線でドイツとポーランドの暫定国境が敷かれました。
私はよくヨーロッパでは、大木が残っているか否かで戦災に遭ったかどうかを判断します。
ここにこんな大樹が残っているということは、戦争の被害は少なかったのかなと思いましたが、そうではありませんでした。
第二次大戦末期には、ベルリンに進撃するソ連赤軍に対抗するドイツ国防軍の要塞となり、フランクフルト(オーダー)は戦場となりました。 -
ドイツとポーランドとの国境線である(オーデル・ナイセ線)の地図が展示してありました。国境線はオーデル川(オーダー川)とその支流であるナイセ川に沿って分けられています。
体調がよかったら行きたいと思っていた「バートムスカウ」、「ゲルリッツ」もこの線上にあります。 -
では、徒歩で国境越えの出発!
あの橋の真ん中付近に国境線があるのでしょうね。 -
今はシェンゲン協定で、自由気ままに往来できるとは言っても、そこは国境のこと、警官の姿が見えます。
-
両替所。
ポーランドの通貨はズウォティ。
私は今回は買い物もレストランにも行く予定はないので、両替しません。 -
スウビツェの町。
人口16,000人くらいの小さな町です。
大戦まではドイツ領でしたので、いまだ残るドイツ風の古い建物の中には、レストランやタバコやさん薬局などいろんなお店で賑わっています。
ドイツ側から物価が安いポーランドに買い出しに来る人も多いのです。 -
さあ、それでは国境の印を探しながら渡りましょう。
ポーランドは2007年12月にシェンゲン協定に加盟しました。
ほんの10年ほど前までこのシュタッド橋の中間には国境検問所があり、パスポートがなければ通行できなかったのです。 -
今は人も車もスイスイと通っています。
-
川の半ばくらい、左側の中州、右側の中州。
右側の中州に何か立っていますが、国境の印ではなさそう。 -
橋の中央は通り過ぎました。
下を見て歩くも何も目印はありません。
今までの徒歩での国境越えの経験から、D(ドイツ)とかF(フランス)、S(スイス)などの文字が見えたのですが。 -
遂に橋を渡り切ってしまいました。
ここには当然ドイツ側のポール。 -
橋の反対側にあるのは、フランクフルト(オーダー)とスウビツェの文字。
そして街の名前の下には、「Ohne Grenzen」(国境がない)の文字。
そういう形式的な国境の線を取り払ったのでしょうか。 -
国境を徒歩で越えるぞーと勢い込んでいた私はガッカリ。
せめて橋の繋ぎ目、この鋼板のプレートを国境とみなして徒歩で国境越えをしたことにします。 -
さあ、次はどこへ行きましょう。
足の具合があまり良くないので、あちこち歩き回るのは無理だなーと悟り始めています。
シュタット橋の袂から見えたこの教会なら、疲れたら休むところもあるでしょう。 -
大きな木の先にレンガ色の教会が見えます。
それにしても大きな木。
戦災に遭わなかった木なのかと思いきや、フランクフルトオーダーは、第二次大戦末期は、進撃してくるソ連赤軍を迎え撃つドイツ国防省の要塞となり、この地は戦場となったのです。 -
それにもめげず生き残ったこの木には「フクロウのマーク」が付いています。
Naturdenkmal、ブランデンブルク州の自然記念物として保護の対象になっている樹木です。 -
立派な教会です。
1226年ごろ、市の最初の教会として建てられた聖ニクラウス教会。
現在はFriedenskirche(フリーデンス教会)です。
中に入ってみたいと思いましたが・・・ -
入口に回りましたが、開いていません。
案内板には国境の町らしく3か国語で説明がありました。
ドイツ語、ポーランド語、英語。 -
ここで面白い案内板を見つけました。
ヤコブス・ヴェグ(聖ヤコブの巡礼の道)。
先ほどスウヴィツェ側でもホタテ貝のプレートを見かけました。
あ~~、これがヤコブスヴェグ(巡礼の道)なのね。
あるきっかけで巡礼の道のことを調べていましたので、興味を抱きました。 -
正式には、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路で、キリスト教の聖地であるスペイン、ガリシア州のサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の路です。
おもにフランス各地からピレネー山脈を経由しスペイン北部を通る道を指すのらしいですが、ドイツにも南ドイツの方にあるのは調べていました。 -
Jakobsweg oestliche und westlich der Oder(オーダー側の東と西の聖ヤコブ巡礼の路)。
何にでも興味を持つって面白いですね。
まさに老化防止。
知らなかったら、この展示もただ通り過ぎていただけでしょう。 -
教会に隣接しているコンサートホール。
ヨハン・セバスティアン・バッハの息子、偉大な音楽家であるカール・フィリップ・エマニュエル・バッハは、1734年にフランクフルト・アン・デア・オーダーのヴィアドリーナ大学(Alma Mater Viadrina)で学びました。 -
フリーデンス教会をもう一度目に焼き付けて・・・。
-
オーダー・プロムナード、遊歩道。
東西再統一後の建築物でしょうか、壁の星座の模様がとっても素敵です。 -
フリーデンス教会の二つの塔が頭を覗かせています。
こちらはショッピングセンターみたいです。
今日は日曜日で人通りは少ない。 -
通りの名前も「カール・マルクス通」と「ローザ・ルクセンブルク通」。
社会主義国だった旧東ドイツの名残りですね。
プロイセン時代は、ライプチヒに次ぐ重要な交易都市であり、1842年にはベルリンとの鉄道も敷かれ経済的にも隆盛を誇ったフランクフルト(オーダー)でしたが、ドイツ再統一後は経済も停滞し、人口も減少しました。 -
集合住宅も東ドイツらしい造りです。
建物の側面いっぱいに描かれた壁の絵は、オーダー川とオーダー塔、聖マリエン教会などこの街の名所の地図です。 -
バス停らしきものを見つけました。
あそこから駅に出るバスがあるのなら、もう駅に行ってベルリンに早く帰ろう。
足の調子もイマイチなので、どうも気力が出ません。 -
おしゃべりに興じてバス待ちをしていた二人のご婦人に、「ここから駅に行くバスはありますか?」って聞いたら、あと8分で駅行のバスが来るわよと。
この言葉を聞いて、街歩きを継続するのはやめました。
齢のせいか気力がなくなりましたね。
前は、せっかく来たのだからあそこまでは絶対行かなければ・・・と、足を引き摺りながら頑張ったのですが、あの頃の元気はなくなりました。 -
行きと同じように、車内の券売機で1.6ユーロのチケットを買って・・・、
本当にこれで足りたのかどうかわかりません。もしかして不正乗車だったりして・・・(笑)。
駅に着きました。
フランクフルト・アン・デア・オーダーの街中はほとんど観光していません。 -
旧郵便局や聖マリエン教会、それに地元が生んだドイツを代表する偉大な劇作家、ハインリヒ・フォン・クライストの博物館や像も、それからゴシック様式の市庁舎にも行かなかった。
(写真はフリーデンス教会に展示されていた街の案内板より) -
まさに、徒歩で国境を越えるためだけに訪れたフランクフルト(オーダー)でした。
そんな国境の駅で日本がありました。
きれいな和紙で扇子や傘、船などが折られています。
どうしてこんなところに日本の物が? -
駅に着いて考えた。
せっかくジャーマンレイルパスを持っているのだから、別の経路を通り、車窓からドイツを楽しみながらベルリンに戻ろう。
歩き回るだけが旅ではないのだから。
そこで、フランクフルト(オーダー)からコットブスで乗り換えてベルリンに戻るコースを取ることにしました。
駅でお昼食代わりのパンとジュースを買って乗り込みます。 -
列車内はガラガラ。
旅も残すところもう1日。かなり疲れもたまっているようです。
体調が良くない時は、のんびり普通列車の旅も悪くないわね。 -
フランクフルト(オーダー)からコットブスまで、普通列車はポーランドの国境線の少し内側を南下します。
列車はひなびた田舎町を走っていきます。 -
ほどなくして列車が停車した駅はアイゼンヒュッテンシュタット。
あ、ここに大きな製鉄所があるって夫が言っていた。
一度行ってみたいって言ってたわね。
懐かしい駅名を見つけて嬉しくなったり・・・。 -
大きな工場があるにしては駅周辺にはこんな壊れかけた駅舎があったり、まあ東ドイツだからまだ復旧していないところもあるのね。
でも、工場の町らしく集合住宅が建ちならんでいます。 -
列車はオーダー川の支流を渡り・・・。
-
ドイツとポーランドの国境に沿って走ります。
-
列車の中から、東ドイツらしい駅舎や、きれいな住宅街、人々の日常の生活を覗き見しながら走ります。
ゆ~~ったりできるこの空間、私こんな時間が大好きです。 -
途中から駅名が二言語で併記されているのに気が付きました。
ドイツ語とポーランド語かしら?
この付近には少数民族のソルブ人も住んでいるらしいから、ソルブ語かもしれません。
そういえばソルブ人の町パウツェンにも行ったなー。何年前だったかしら。 -
列車がPeitz Ostを過ぎたころより巨大な発電所が姿を現しました。
これが火力発電所か原子力発電所か素人の私にはわかりません。
ドイツはメルケル首相の元、原子力発電所を2022年末までに全廃することを決めました。
福島の原発事故がそのきっかけと言いますから、あの大事故は全世界に大きな警告を促したことになりますね。 -
ドイツの風物詩(ですね?)、線路沿いの落書き・・・。
-
ベルリンの壁!?
こんなところに壁があったかしら?
一人でぼーっと流れる車窓の風景を追いながら、いろいろ考えます。 -
列車はコットブスに到着。
あらここにも二言語併記の駅標識が・・・。
なんてゆっくり写真なんか撮っていられないのです。
車掌さんに、ベルリン行きはどこから出るの?って聞いたら、○番線からあと5分で出るから急いで!って。
階段を登って降りて・・・、あそこに見える列車に急ぎます。 -
後続の列車の車掌が私が着くのを待っていてくれて、乗り込んだらすぐ発車しました。
ところがベルリン行きは満員。席は空いていません。
4人掛けの席を、若い夫婦が1歳くらいの子供を抱いて占有していますが、立っている人の姿を見ても全然斟酌する様子なし。
仕方がなく、荷物席を一つ倒してそこに座りました。
当然車窓の景色なんて見えません。
前を見たらそこにはその夫婦が持ち込んだベビーバギーと子供用自動車も。
なんとあの夫婦、大人二人の運賃で7席占有しているのです(怒)。 -
途中からこんなに混んできたのです。
私の前にも二人の中年夫婦が立っています。
あのベビーバギーと自動車をもう少しどうにかしたら、この二人も座れるのに・・・。
ドイツにもこんなにマナーの悪い人、人のことを考えない人がいるのですね。 -
若い夫婦の横に若い女性が立ちました。
さすがに悪いと思ったのか、子供を抱いて夫側の席に移り、二人の女性がその前に座りました。
ところが、次の駅で彼らの後ろの席が並びで空いたのです。
チャンスとばかりに私が座ろうとしたら、子供を抱いたその女性がさっと座ってしまいました。
夫の方は空いた隣の席に自分の荷物を置いてしまったので、結局また二人分のチケットで同じく7席占有することに・・。 -
立っている男性の顔も不愉快そうに見えます。
大好きなドイツの風景を見ることができない私もとても不愉快。
やることないから、そんな車内の様子をつぶさに観察しては、ノートに怨みを綴っていました(笑)。 -
結局1時間半近くもそんな不愉快な車内に閉じ込められ、ようやくベルリンに到着しました。
真っ直ぐベルリンに向かっていたら、1時間ほどで到着したものを、その3倍近くの時間を使って、車窓の景色は望めず、ストレスを抱えて・・・。
私もバカですね。ジャーマンレイルパスで元を取ろうと欲を出したのが裏目に出ました(笑)。
この列車は北ドイツのWismarまで行く列車でした。それに日曜日だし、混雑した理由も納得できました。
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この旅行記へのコメント (10)
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- salsaladyさん 2017/08/19 01:27:16
- 大した物ですね! フランクフルト(マイン〜オーダーへ?)。。。
- ☆初めて訪れるのでしょうか?ドイツにはかなり関心があり、今秋には”フランクフルト”へ到着に予定ですが。。。テロが無いようにと祈りつつ〜
☆自由スケジュールでいらしてるようですがドイツ語が堪能ですか?(私は英語しか〜)
☆オーストリーでは一日自由時間があるので、思い切って音楽会の予約をしようかと思いつつ、行けばなんとかなるか?と開き直っております。
☆mistralさんが良くコメント書いてられるので、普通の時間(昼間)に又お邪魔しますね。
- frau.himmelさん からの返信 2017/08/19 22:32:21
- RE: 大した物ですね! フランクフルト(マイン〜オーダーへ?)。。。
- salsaladyさん、こんばんは。
お久しぶりです。
相変わらず楽しいご旅行記を書いていらっしゃいますね。
幕張編を見せていただきましたが、引き込まれてしまいました。
さて、秋にはフランクフルトに到着?
フランクフルト(マイン)空港に到着してオーストリアの方にいらっしゃるのですね。
ホント!テロは怖いですね。最近もスペインの方で続発していますし、かと言って収まるまで待っていたら旅行なんてできないし、困ったものです。
オーストリアでは音楽会へ?素敵ですね〜〜。
私たちもシニア3人組で楽友協会でモーツアルトコンサートを見に行きました。
あのニューイヤーコンサートのように、「美しき青きドナウ」や、最後はみんなでラデツキー行進曲で手拍子。観光客向けのコンサートでしたけど、楽しめました。
salsaladyさんはステージでお歌いになるほうですね。
パパゲーノとパパゲーナの二重唱なんてお似合いではないですか?
私も秋の旅行を計画しています。
お互いに楽しい旅になりますように。
himmel
-
- jijidarumaさん 2017/07/21 12:38:12
- スウビツェ Słubiceとアイゼンヒュッテンシュタット
- himmelさん
こんにちは。暑いですね。目下、猛烈な雨が降っています。
少し涼しくなりそうです。
6月中旬から一月の間、体調を崩して、何もせぬ毎日でした。
漸くドイツの秋を再開しました。健康自慢でしたが、徹夜をしての原稿書きが、
悪かったようで、73歳の体力を一気に弱めたようです(大いに反省!)
フランクフルト(オーダー)とポーランドのスウビツェ Słubiceの国境マタギ、相変わらず
拘っていますね。そろそろ体力(ひざ痛)と相談ですね。
この地名から、先般書いた「ベルリンの壁の崩壊とともに蘇った日本人医師の献身」
http://4travel.jp/travelogue/11219271
の地図を思い出しました。地図にはスウビツェ Słubiceがありました。
さて、falanさんと言う方が、アイゼンヒュッテンシュタットのことを
書き残しておられます。ご参考までに。
旧東ドイツ アイゼンヒュッテンシュタットの思い出http://4travel.jp/travelogue/10815942
東ベルリン、アイゼンヒュッテンシュタット オスタルギーの旅
http://4travel.jp/travelogue/10812477?lid=next_travelogue_from_travelogue
ともあれ、暑い夏に突入ですね。
お体お大事にお過ごしください!
jijidaruma
- frau.himmelさん からの返信 2017/07/29 11:05:18
- RE: スウビツェ Słubiceとアイゼンヒュッテンシュタット
- 書中お見舞い申し上げます。
毎日暑いですね。
体調を崩されていらっしゃったそうで、その後お体のほうはいかがですか?
ご旅行記ではいつもお元気なお姿を拝見していますので、おや珍しい!と思いました。
もうお互いに齢ですから、あんまり無理はいけませんね。
私もここのところ暑さでへばっています。旅行記も一向に先に進みませんし、皆様の旅行記を訪問させていただくのもめっきり減りまして、不義理をしています。
スウビツェ、貴旅行記傑作「ベルリンの壁の崩壊とともに蘇った日本人医師の献身」の中の地図にありましたね。あの近くで日本人の医師が献身的な医療活動をしていらっしゃったことは驚きです。
またアイゼンヒュッテンシュタットのことも、falanさんの旅行記を拝見して、お名前を聞いて、「ああ〜あのDDRの方」と覚えております。
9月の半ばからドイツ他周辺諸国訪問を計画しております。
アイゼンヒュッテンシュタットには「DDRの日常の生活」博物館があるそうなので、今回時間があったら訪れてみたいと思っています。
今回は、夫と二人の26日間に及ぶ長旅なので、体力と足の調子と、(小さな声で)いかに二人で仲良く穏やかに旅をするかの闘いです(笑)。
返信が遅くなって申し訳ありませんでした。送ったと思い込んでおりました。
himmel
-
- mistralさん 2017/07/10 23:44:49
- のどかな旅。
- himmelさん
こんばんは。
ベルリンからフランクフルト・オーダーへの
1日の旅、
himmelさんとご一緒しているかのように
のんびりした気分で楽しませていただきました。
国境を徒歩で超える!素晴らしく楽しそうな、
密かなテーマだったんですね〜
そういえば、どこか?でも歩いておられた記憶が。
ホタテの標識、数年前サンティアゴ・デ・コンポステーラ
までの最後の部分を歩いた折
さんざん目にしましたが、ドイツにも道があったこと
初めて知りました。
おっしゃるように興味を持っていると
目にとまることがありますね。
旅の終わり、車中の傍若無人な若夫婦にはガッカリ。
どこにも新人類の出現が!
himmelさんがひたすら日記に記されていたご様子、
ついつい想像しておりました。
長期にわたった旅もいよいよ大詰めですね。
mistral
- frau.himmelさん からの返信 2017/07/11 22:08:26
- RE: のどかな旅。
- mistralさん、今回もコメントありがとうございます。
私の旅行記は、ほんとにのんびり旅行記で、旅の途中、車中でつけた日記や、写真を見ながら思い出した事を書き連ねる備忘録、思い出張みたいなものです。
撮った写真を見ると、懐かしい場面の一枚一枚が思い出され、写真をボツにするのがしのびなく、結局ダラダラとした旅行記になってしまうのです。
捨てられない女の典型ですね(笑)。
mistralさんは、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼の道を歩かれたのですか!素晴らしい!。
ドイツで聖ヤコブ教会をいくつか見まして、そこにはホタテ貝や聖ヤコブの像があり、それでヤコブ巡礼の道を知ったのですが、いろいろ調べると、ドイツにも結構あるそうですね。
それだけヨーロッパは熱心なキリスト教徒が多いのですね。
私も元気だったらその中の少しでも歩きたいところなのですが、今となってはもう遅い。
> himmelさんがひたすら日記に記されていたご様子、
> ついつい想像しておりました。
いやなオバさんですね。座れない恨みつらみを日記に書いているなんて(笑)。
mistralさんのベルリン旅行記、続きを楽しみにしています。
himmel
-
- ペコリーノさん 2017/07/10 22:08:19
- 旅は元気に帰るまでが「旅」です。
- frau.himmelさん、こんにちは
旅は元気に家に帰るまでが旅です。途中で疲れたら休んで良いんです。自分の体が一番大事ですから。
…と、私も自分に言い聞かせております。
これってね、年のせいだけじゃ無いんですよ。若くても自分のペースや体調の変化に気がつかなくて、体を壊してしまうこともあるんですよ。
だいぶ前ですが、ロンドンからの飛行機に、体調が悪くなった女性がいて、「何時から体調が悪いんですか?」ってCAさんが聞いたら、その女性の隣にいた男性が「3泊5日の新婚旅行だったのですが最初からずっとこんな感じでした。」と言っていたのを聞いて、一人旅の私は、本当にお気の毒だなぁと思いました。本当は新婚旅行で羨ましいと思うはずなのにね。
ですから一人旅で、迷惑がかかる人もいないので、自分の体調や気分に合わせて無理しないようにしようと思ったものです。
行っとけば良かったなーと思う事はありますけど、「縁があったらそのうちに行けるから」と、後悔しないようにしています。
のんびり行きましょうよ!お互いに!
旅行記も、のんびりで良いと思いますよ。思い出は逃げませんからね!
ペコリーノ
- frau.himmelさん からの返信 2017/07/11 21:47:00
- RE: 旅は元気に帰るまでが「旅」です。
- ペコリーノさん、こんばんは。
ホントにそうですね。旅は元気に帰るまでが「旅」。
数年前、ミュンヘンで不注意で足を痛めて旅の途中で帰国しなければならなかった時も、ペコリーノさんに同じことを言われたのではなかったかしら。
遠い外国にいて、何かあったら自分だけの問題でなく、「旅」どころではないですものね。
おっしゃること、肝に銘じます。
ペコリーノさんは一人旅が多いから、特にそういうことには気を付けていらっしゃるのでしょうね。
まあ、疲れたらベンチに座って休めばいいやとか、午前中はホテルでゴロゴロして午後から出かけようとか、臨機応変に体調によって変更ができるのも、個人旅行のいいところですものね。
そうです!お互いにのんびり行きましょう。
himmel
-
- norisaさん 2017/07/10 14:43:27
- そうなんですかーー
- frau.himmelさん
お久しぶりです。
スランプですかーー。
確かに立て続けはキツイですよね(笑)
さて、フランクフルトは二つあったんですか。
初めてのフランクフルトは30年以上前。
もちろんアン・マインのほうですが、初めての海外旅行だったこともあって強烈な印象が残っています。
オーダーの方はずっと穏やかな小都市のようですね。
そうか!ポーランドはお隣ですね。
侵略しやすかったハズです(苦笑)
国境はないようなものとはいえ、国によって風景も、それから何となく感じる経済力も違いますね。
ドイツはEU内の勝ち組だそうで他の加盟国のヒガミもあるとのこと。
ポーランド人はどう思っているのでしょうーー。
さて、最後のシートを独占している家族のお話。
忖度ははやり言葉ですが、斟酌は大事ですね。
日本人にもマナーの悪い連中がいますが、ここドイツではもっと悪質そうです。
1.6ユーロ払って歩くのを止めた日本の元ギャルに席を譲るべきです!!
ま、世界共通でダメな人はいるものですねーーー。
norisa
- frau.himmelさん からの返信 2017/07/10 21:06:25
- RE: そうなんですかーー
- norisaさん、お久しぶりです。
コメントどうもありがとうございました。
そう、スランプなのです、今も・・・。
それで皆様のところも訪問できず、不義理しまして申し訳ありませんでした。
私がスランプで苦しんでいる間、norisaご夫妻は仲良く、結婚記念ご旅行にいらっしゃっているし・・・。
そうそう遅ればせながらおめでとうございます。
フランクフルト(オーダー)ってマインに比べると、本当に田舎で・・・
>侵略しやすかったハズです(苦笑)
norisaさんのお言葉には含蓄がありますね。
第二次大戦はドイツのポーランド侵攻に始まったんですものね。
今回私はポーランド側からドイツに攻め入りました。
座席を独占していた家族の話、
車窓の風景が見えなくてやることがない東洋のオバちゃんに、恨みの目で観察されて、日記にまで恨みつらみを書かれて、そして挙句の果て、こんなところに発表されるなんて、あの家族の方がよっぽど被害者でしたね(笑)
ありがとうございました。
himmel
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