2017/07/03 - 2017/07/03
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ハイペリオンさん
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この日、東京は今年一番の暑さになりそうだという。
こんな日に埼玉県の奥の奥、秩父市の中津川近くに
あるニッチツ鉱業の廃墟化した社宅群跡を見に出か
けた。
西武秩父から秩父鉄道で三峰山口まで行き、2時間
に1本の中津川行バスに揺られ、出合(であい)と
いうところで降りて、1時間余り山道を歩いてたど
り着いた。
片道5時間以上の道のりだった。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 私鉄 徒歩
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-
自宅を出て、西武線を乗り継いで西武秩父駅
に到着。
西武秩父行きはガラガラだと思っていたらそ
こそこ人がいた。
東飯能駅を過ぎると民家は見なくなり、山ば
かりになった。
駅の周囲に集落がある程度で、駅の周りには
何もなく、原野が広がっているところもあった。 -
時間は8時過ぎ。自宅から約1時間半。
埼玉でもここまで来るとやっぱり遠いな
という印象。
しかし、ここから目指す小倉沢はこの倍
以上の時間がかかるのだ。
明治時代に「秩父事件」という借金苦か
ら地元民が反乱を起こした事件があった。
現在、一部にパリコミューンの日本版と
か、自由民権運動の奔りなどと美化され
る向きもあるが、実際は借金苦によって
起こされた打ちこわしに近い事件だった。
この事件を報じる新聞は秩父という場所
がよくわかっておらず、チベットの山岳
民のようなよくわからない人たちが住む
ようなイメージだったという。
確かに、何度かバイクで一般道を通って
秩父へ行ったことがあるが、正丸峠を越
えるまでは本当に遠いという印象が強か
った。
明治の満足な交通機関がない時代、険し
い峠道を越えていく行程を思うと、異界
を訪れるような気になるのも無理はない
のかもしれない。 -
西武秩父の駅舎まわりは、ひと昔前に比べて
スーパー温泉風の温泉施設なんかができてい
て、ずいぶん立派になっていた。
しかし、腹が減ったので朝めしでもと思った
が、何もない。
すき家があったが、こんなとこですき家もなあ。 -
遠くに見える山は山肌が削り取られ、はげ上がっ
ていた。
鉱物資源の採掘途中だろうが、なんとも無残な光
景だ。 -
うろうろしていると、秩父鉄道の御花畑駅そばに
寺があったので、入ってみることに。 -
とりあえず禊ぎをしてと。
-
旗下山慈眼寺は、奈良時代に東大寺の大仏建立の
責任者、行基が建てたとされている。
行基は近畿の人だから、こんなところまで彼個人
が来たとは思えない。
彼は宗教団体を組織していたから、その中の弟子
みたいなのが来て建てたのではないか。
ぼくの実家近くには行基の指揮によって作られた
日本で一、二を争う大きさの巨大なため池がある。
中の仏像はいずれも見事だった。
ちなみに、眼病が良くなるというご利益があるら
しい。
老眼が進む今日この頃、せめてその進行を遅らせ
ておくれ。
5円しか賽銭をあげていないけど、そこらへんよ
ろしく。 -
寺は保育園も運営していて、横の建物からは子ども
たちのはしゃぐ声が聞こえてきた。
子どもを乗せたワンボックスカーが何台も横付けさ
れ、車から子供が降りてきた。
境内ではいわゆるママ友という女たちがくっちゃべ
っている。
よくそんなにだらだらとしゃべってられるよなあ。
寺を出て、御花畑駅の改札のところに立ち食いそば
があったので、きつねそばを一杯。
ただの立ち食いなのだが、なぜかうまい。こういう
風に作れないか、狭山そば。 -
駅周辺には特に見るべきところもないので、秩父鉄
道の電車に乗って、三峰口まで行くことにした。
車両は「これ、ちゃんと掃除してんの?」といいた
くなるような、ほこりをかぶったような小汚いもの
だった。
乗客はほとんど観光客、それも登山の格好をした
人ばかりで、通勤客らしい人はいなかった。
三峰口まで集落がぽつんぽつんとあるだけだから、
乗る人もいないのだろう。 -
終点で降りたのは数人。普通の服装をしているのは
ぼくだけで、ほかの人たちは登山の格好をしていた。 -
三峰口駅の正面に西武のバス乗り場があり、
ここから中津川行きに乗って出合(であい)
というところまで行く。
そこから集落跡のある小倉沢までは徒歩だ。 -
バス停にある地図を見ると出合から小倉沢ま
でのほうが、終点の中津川まで行くより距離
はありそうだ。 -
9時20分のバスに乗ったのはぼくを含めて4
人だけ。
登山スタイルのおばちゃん2人と若者ひとり。
この3人は、三峰山の登山口で降りて行った。
その後は運転手とぼくのふたりっきりである。
周囲はこのような深い森林が続き、その中を
縫って国道140号線が山梨まで続いている。
集落はほとんどなかった。
このバスは、滝沢ダムのところから始まる県
道210号線を走り、出合で中津川に行く。
この路線はバス停でなくても手を挙げれば止
まってくれることになっている。
登山客や彩の国ふれあいの森でハイキングや
キャンプをする人たちのために運行している
バスのようだ。
中津川から中津川林道を走れば、三国峠を越
えて長野県となる。
滝沢ダムは巨大なダムで、初めて見るとその
威容に圧倒されてしまう。
ダム湖は6~7割の貯水率で、地肌がかなり
露出していた。
数日後の報道で、やはり滝沢ダムの貯水率が
例年の6割程度しかなく、取水制限が採られ
ると報じていた。 -
バスに乗って1時間余り、この長い持桶トンネ
ルを通利抜けたところに出合がある。 -
大黒橋を渡ればすぐそこ。
-
出合に到着。
集落も何もない川べりの三差路だった。 -
バスは三国峠方面へ、ぼくは県道210号線を
ひとりで歩く。
中津川林道を走って三国峠を越えれば長野
県の川上村にたどり着く。
川上村には、川上牧丘林道という日本一高
いところを走る林道がある。
中津川林道は、ぼくがオフロードバイクに
乗っていた30年ほど前は埼玉側は舗装され
ていたが、長野県側は未舗装だった。
当時は夜に家を出て、中津川林道の入口で
野宿をし、夜明けにこのあたりの林道を走
り回ったものだ。
土日の林道は、バイクや4WDがけっこう
走っていて、危ないことが多かった。
しかし、早朝はほとんど誰にも会うことな
く、好き勝手に走れた。 -
現在10時20分。
さてここから小倉沢まで歩くわけだが、どれく
らいかかるのか、全く見当がつかない。
三峰山口行きのバスが来るのが14時過ぎなので、
それまでに帰ってこなければならないが、さす
がに往復4時間ということはないだろう。 -
見下ろすと、勢いよく川が流れていた。
「清流」という呼び名がぴったりの、遠くか
らでも川底まで見えるきれいな水だった。
男が一人で砂金採りをしていた。今も採れる
のだろうか。 -
山肌をくりぬいたトンネルをくぐると県道が始
まる。
壁や路面がしっとりと濡れていて少し涼しい。 -
1車線の山道で、ずっと登りが続く。正直、けっ
こうきつい。
ここを何時間歩くのだろう。ただ、標高600メー
トル余りの山の中なので、めちゃくちゃ暑いこと
もないのが助かる。
このせまい道を、数分に一度くらいの割合で、大
型車が行き交っていた。
カーブになると内輪差でガードレールをこすりそ
うなほどだ。運転手はかなり注意深い運転でゆっ
くゆっくりカーブを曲がっていた。
この先はニッチツの現場しかないから、その関係
の車なのだろう。 -
崩落を防止する壁面や石垣には苔がびっしりと張り
付いていた。
山全体から染み出した水がこのような壁を伝い、沢
に流れ込み、やがて神流川という川になり、そして
荒川へと流れ込み大きな河川を作り上げている。
幼いころは川というと、山のどこかで水がボコボコ
と湧き、それが流れて川になるのだろうと想像して
いたが、このような光景を見ると、山全体が川作っ
ているのだとを実感としてわかる。 -
川の一部は錆色になっていた。
鉄分が多く含まれているのだろうか。 -
1時間余り歩くと、入り口が補強されたトンネル
に着いた。 -
表示を見ると「雁掛トンネル」ある。
このトンネルをくぐると小倉沢はすぐ近くだ。 -
トンネルは数百メートルはありそうな長さで、
しかも灯りはない。
男のぼくでも入るにはちょっと躊躇してしまう
長さと暗さだ。 -
大型ダンプがギリギリ通れるかどうかの幅しか
ないトンネルで、大型車に追いつかれたらどう
しようと思うが、とにかく前へ進むことにした。
トンネル内は真っ暗で、出口の灯りだけが頼りだ。
しかし、その出口が一向に近づいてきてくれない。
相当長いトンネルだ。
案の定後ろから大型車がやってきた。壁にヤモ
リのようにへばりついて2台の大型車をやり過
ごした。
ちょっとした恐怖感を抱くが、内部は涼しく、
天然の空調が効いているようで気持ちよかった。 -
トンネルを出て右に雑な掘り方のトンネルが。
手前には「立入禁止」となっており、「ニッチ
ツ」の文字が。
どうやらこの辺からニッチツ関係の施設がある
ようだ。
向こうに伸びているホースは何だろう。
今も作業をしているのだろうか。 -
やっと小倉沢に着いた。
時間にして1時間ちょっと。1時間半くらいはか
かるのではないかと覚悟していたが、意外に速く
着いた。 -
さらに進むとボロボロの建物の郵便局があった。
周囲には集落はないから、ニッチツの関係者し
か利用者はいないだろう。 -
こちらはニッチツの現場事務所。
昔の学校のような建物である。
人がいるのかいないのかさえよくわからない。
おそらく事務員数人を残して、みんな作業に出て
いるのだろう。 -
すでに照らすのをやめて何十年も過ぎたような
街灯がぽつんとあった。 -
さらに進んでいくと大好物の廃屋が増えてくる。
-
こちらも事務所風の建物だ。
窓ガラスはところどころ割れ、扉にはバッテン型に
板で閉鎖されていた。 -
ニッチツは現在も稼働中の鉱山だが、規模はかなり
小さい。施設はこれだけだった。
ニッチツ鉱業は、戦前は化学肥料を生産していたか
なり大きなコンツェルンだったようだが、GHQの
財閥解体により、縮小された。 -
秩父は17世紀ごろから鉱山開発が行われており、往時
は金銀銅などの高価な鉱物が採掘されていた。
しかし、すでにこれらは採り尽くされ、現在は石灰が
中心だという。
ところどころに真っ白な石灰が積み上げられていた。 -
住居へ続く石段は枯れ葉に覆い尽くされ倒木が行く
手をふさぎ、既に人が通らなくなって相当の年月が
経っていることがわかる。 -
住居はまるで城郭を思わせるような立派な石垣の
上に建ち、昔はそれなりに栄えていたことを思わ
せる。 -
立ち去るときに処分するのがめんどうで放置され
た粗大ごみ。 -
こっちはプロパンのボンベだ。
-
さらに進むと慰霊碑があった。
鉱山の作業には墜落や爆発などの事故がつきもの
なので、死亡事故は日常的に起きていたのだろう。 -
「平成二十七年」という最近設置された卒塔婆
もある。 -
ここは社宅跡のようだ。長屋造りのようになっ
ていて、出入り口はこのように閉鎖されている。 -
山の中の孤立した集落だから、買い物するにも
不便だったのか、物売りが勝手にやってきて、
社宅の中にまで入ってきたことをうかがわせる。 -
石垣はセメントで補強されていて、頑丈な
造りになっている。 -
薪は風呂を焚くためのものものだろうか。
さっきプロパンのボンベが捨てられていたか
ら、日常生活はほとんどガスを使っていたの
だろうが、一部の人たちは薪を使って風呂を
沸かしていたのかもしれない。 -
電気雷管・・・?
なぜダイナマイトを爆発させるものが一般家
庭に・・・? -
こういうのがあるということは、飯炊きも
薪でやっていたのかもしれない。
もっともガスでもできるが。 -
中を覗くと、ごちゃごちゃになっていた。
カセットテープレコーダーが放置され、いくつ
かの日用品もそのままになっていた。
まるで夜逃げでもしたみたいだ。 -
誰かか入ってきて使えそうなものを持って
帰ったりしたのだろうか。
明らかに人が入って荒れ果てて行ったよう
な感じだ。 -
草に覆われた石段の上には一軒家が
あった。 -
内部は御覧の通り。
障子は破れ、マットレスが放置されていた。 -
大阪人らしく(?)、土足で人様の家の中に
ズカズカと踏み込むと、カレンダーが掛けら
れたままになっていた。
山口芳夫という政治家は知らない。ネットで
調べたが、出てこなかった。市会議員だろうか。
日付は1986年1月。ここの家の主は、年が明
けるとすぐにこの地を去ったようだ。 -
集落の外れには学校跡があった。
運動場があったあたりからロープが張られて
いて中には入れなかった。
樹木でおおわれて、何となく大きな建物があ
ったことだけはわかる。 -
この先は林道金山志賀坂線となる。
この林道を行くと埼玉と群馬の県境である
志賀坂峠を通る国道299号線に通じる。 -
ところどころにこうして苔がびっしりとこ
びりついている。
山から滲み出す水分を養分にしているのだ
ろう。 -
ここは石垣だけは残されているが、建物はすでに
解体されていた。 -
ここもやはり社宅跡のようだ。
-
学校跡まで見たので、そろそろ引き返そうかと
思っていたころ、現場事務所のスピーカーから
大音量で「アマリリス」が流れ始めた。
昼休みのようだ。
どうな人たちが働いているのか見たい気もした
が、そろそろ戻るとしよう。
ここの労働者たちはどこから来ているのだろうか。
周囲には集落はほとんどないし、秩父市内から
通勤するとなると、1時間半はかかる。バスは
2~3時間に1本だから、通勤には不向き。
社宅は見た通り廃屋になっているし、けっこう
謎が大きい。
しかし、おそらく石灰を掘り尽くすまではこの
施設は続いて行くのだろう。 -
帰り道は下りになるので、行きよりははるかに
楽だった。 -
坂道をすべるように出合まで戻って
来ると・・・、 -
小倉沢を出発して1時間も経っていない。
-
三峰口行きのバスは14時10分まで来ない。
やることがないから、川まで下りて顔を洗
い、あたりをぶらぶらした。
中津川まで歩いてみようかとも思ったが、
2時間以上歩いて、足はかなり痛く、これ
以上歩く気にはならなかった。
定刻に来たバスは、行きと同じ人が運転し
ていた。
どうやら、1台か2台のバスを使って運行
しているようだ。
2~3時間に1本のバスだから、それで十
分なのだろう。
たぶん西武としても黒字にすることは考え
ておらず、地域サービスのつもりでやって
いるのではないだろうか。 -
三峰山口からの電車も数人の客が乗ってい
るだけだったが、御花畑駅に着くころには
学生たちでそこそこ埋まっていた。
御花畑の駅員は、「えっ、なんで」と言い
たくなるくらい可愛い女の子で、こんな田
舎の駅に置いておくのがもったいないくら
いだ。
自宅に着いたのは5時半。埼玉なのに12時
間近くかかった。
地元は秩父の山奥に比べてはるかに蒸し暑
く、べっとりとした湿気に閉口した。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- やるやんさん 2017/07/11 07:17:48
- 新連載ですか??
- ハイペイオン様
「Welcome To Dark Side Of Japan 」シリーズはどうしたんですか?
まさか売れっ子ルポライター並に「ダブル連載」ですか?
これから台湾入りしようって時に{何故?秩父}
モノクロ写真は非常に情緒が引き立って秩父にぴったりですが
最後の晩酌ネタもない
心境に変化ですか?
- ハイペリオンさん からの返信 2017/07/11 17:06:29
- RE: 新連載ですか??
> 「Welcome To Dark Side Of Japan 」シリーズはどうしたんですか?
> まさか売れっ子ルポライター並に「ダブル連載」ですか?
はい、国内は「日本ダークサイドへようこそ」と「奇界遺産」の
2本立てでいきます。大丈夫、当分ネタはあります。今年いっぱい。
> これから台湾入りしようって時に{何故?秩父}
いやまあ、日帰りで行けますし、梅雨の晴れ間に
当たったので・・・。けど、えらい遠いところでした。
> モノクロ写真は非常に情緒が引き立って秩父にぴったりですが
> 最後の晩酌ネタもない
廃屋を取るので、モノクロの方が陰影が出るしいいと思いまして。
まあ、成功と言えるんじゃないでしょうか。
> 心境に変化ですか?
地元で飲みましたが、アホな給仕のネエちゃんに
かなりイラッとしたので、秩父鉄道の可愛い駅員
さんで終わりにしました。
んなわけで、金曜の夜、よろしく。
間に合えば(起きれれば)天津に行きますが、
遅れそうなら、直接店へ行きます。では。
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