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京都西山三山の楊谷寺の眼の観音様柳谷観音の御分身が前日あじさいを見に立ち寄った愛知県江南市の音楽寺にあり、17日の御朱印まつりは終わってましたが、本尊柳谷観音は18日もご開帳日ということで参拝することにしました<br />近年は西山三山をまわるハイキングコースが人気のようです<br />しかしながら柳の木はどこにあるのかわかりませんでした<br /><br />帰りに近くの石清水八幡宮も参拝しました、6月なので夏越の大祓の茅の輪くぐりなど行われていました<br />平成28年2月9日本社十棟、附棟札三枚が国宝認定されています<br />”平成27年10月16日の文化審議会において、古代に成立した荘厳な社殿形式を保持しつつ、近世的な装飾を兼備した完成度の高い神社建築として、高い価値を有していることが、評価され国宝へと認定されました。<br />現在の社殿は徳川三代将軍家光の造替によるもので、日本三大八幡宮の一社であり、伊勢神宮に次ぐ国家第二の宗廟。現存する八幡造の本殿の中で最古かつ最大規模です。”(石清水八幡宮HPより)<br /><br />石清水八幡宮は尾張徳川家ともご縁のある八幡宮です<br />尾張徳川家初代義直の母お亀は石清水八幡宮の社家の出身です<br />”家康が側室を多く召し集めだしたのは、天正の前期(三十歳過ぎてから)と、文禄・慶長(五十歳を超えてから)の頃の二期に分かれる。「中の三人衆」とは家康が50歳から60歳にかけて寵愛を受けた側室三人衆をいう。お亀の方も「中の三人衆」の一人である。家康が伏見城に居住していた文禄3年(1594)53歳の時、給仕に出た女性があった。その身体の豊かさと美しい容姿に加えて、聡明さに家康は気に入り側室として仕えさせるようにした。その女性が当時21歳であった、お亀である。 <br />お亀は京都石清水八幡宮の社人清水宗清の娘である。社人といっても山伏か、修験者にあたり身分の低いものであった。<br />家康54歳に、八男の仙千代を出生するが、慶長5年(1600)3月、仙千代は6歳にして早世してしまう。この菩提のために建立された寺院が名古屋市東区の高岳院である。<br />同年11月、家康59歳のとき、その生まれ変わりのように九男義直が生まれた。幼名を千千代。その後に五郎太丸と名乗る。五郎太丸という幼名は家康自らつけたもので、城壁を築く際に大石巨岩を積み重ねるが、その間に「くさび」として五郎石を用いなければならない。その意味で、この子は天下の「くさび」となってくれるだろうという切なる家康の願いでつけたといわれ、いかに可愛がっていたかがわかる。<br />後に義直と改名し尾張初代藩主となるのであるが、その後、尾張家では代々の世子に五郎太丸と名付けるようになった。<br />(宝亀山相応寺(名古屋市千種区)HPより)<br /><br /><br />柳谷観音 立願山楊谷寺 P無料<br />新西国霊場 第十七番礼所<br />洛西観音霊場 第十番礼所<br />京都府長岡京市浄土谷堂ノ谷2<br />第17回長岡京 柳谷観音あじさいまつり・あじさいウイーク6/10~7/2 <br />あじさいウィーク<br />◆開催期間 6/10(土)~7/2(日)<br />◆拝観料 200円<br />※あじさい等の維持管理のため、ご協力お願い致します。<br />上書院特別公開 円山応挙の『楊貴妃写貌図』も<br />通常月に1度17日しか公開していない上書院を、期間中特別公開いたします。拝観料:500円<br />寺宝庫特別拝観<br />6/17~7/2まで寺内の寺宝庫で『楊谷寺の復興と観音信仰』をテーマに、寺宝庫特別拝観を開催します。 また、長岡京市教育委員会が企画し、元和の観音講結成と量空是海による復興について、研究成果を発表します。 <br />6月の柳谷観音寺宝展<br />月替わりで秘宝を特別公開していく企画「柳谷観音寺宝展」。 6月はシカゴ美術館や宮内庁にも収蔵されている明治の人気女流日本画家の野口小蘋の『紫陽花』。 南画派の伝統を守り、高尚で気品の表れた作風をご堪能ください。<br />6/25 あじさいまつり P有料<br />◆開催日時 6/25(日) 10:00~15:30<br />◆拝観料 200円<br />※あじさい等の維持管理のため、ご協力お願い致します。<br />◆主催 長岡京市観光協会 柳谷観音楊谷寺<br /><br />【石清水八幡宮】 P駐車料金普通車終日(午前8時30分~16時)500円 <br />山上P無料<br />京都府八幡市八幡高坊30<br /> 6月30日(金)15時 夏越大祓(水無月大祓)

京都西山三山楊谷寺あじさい・石清水八幡宮2017

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2017/06/18 - 2017/06/18

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名古屋のmisako

名古屋のmisakoさん

京都西山三山の楊谷寺の眼の観音様柳谷観音の御分身が前日あじさいを見に立ち寄った愛知県江南市の音楽寺にあり、17日の御朱印まつりは終わってましたが、本尊柳谷観音は18日もご開帳日ということで参拝することにしました
近年は西山三山をまわるハイキングコースが人気のようです
しかしながら柳の木はどこにあるのかわかりませんでした

帰りに近くの石清水八幡宮も参拝しました、6月なので夏越の大祓の茅の輪くぐりなど行われていました
平成28年2月9日本社十棟、附棟札三枚が国宝認定されています
”平成27年10月16日の文化審議会において、古代に成立した荘厳な社殿形式を保持しつつ、近世的な装飾を兼備した完成度の高い神社建築として、高い価値を有していることが、評価され国宝へと認定されました。
現在の社殿は徳川三代将軍家光の造替によるもので、日本三大八幡宮の一社であり、伊勢神宮に次ぐ国家第二の宗廟。現存する八幡造の本殿の中で最古かつ最大規模です。”(石清水八幡宮HPより)

石清水八幡宮は尾張徳川家ともご縁のある八幡宮です
尾張徳川家初代義直の母お亀は石清水八幡宮の社家の出身です
”家康が側室を多く召し集めだしたのは、天正の前期(三十歳過ぎてから)と、文禄・慶長(五十歳を超えてから)の頃の二期に分かれる。「中の三人衆」とは家康が50歳から60歳にかけて寵愛を受けた側室三人衆をいう。お亀の方も「中の三人衆」の一人である。家康が伏見城に居住していた文禄3年(1594)53歳の時、給仕に出た女性があった。その身体の豊かさと美しい容姿に加えて、聡明さに家康は気に入り側室として仕えさせるようにした。その女性が当時21歳であった、お亀である。
お亀は京都石清水八幡宮の社人清水宗清の娘である。社人といっても山伏か、修験者にあたり身分の低いものであった。
家康54歳に、八男の仙千代を出生するが、慶長5年(1600)3月、仙千代は6歳にして早世してしまう。この菩提のために建立された寺院が名古屋市東区の高岳院である。
同年11月、家康59歳のとき、その生まれ変わりのように九男義直が生まれた。幼名を千千代。その後に五郎太丸と名乗る。五郎太丸という幼名は家康自らつけたもので、城壁を築く際に大石巨岩を積み重ねるが、その間に「くさび」として五郎石を用いなければならない。その意味で、この子は天下の「くさび」となってくれるだろうという切なる家康の願いでつけたといわれ、いかに可愛がっていたかがわかる。
後に義直と改名し尾張初代藩主となるのであるが、その後、尾張家では代々の世子に五郎太丸と名付けるようになった。
(宝亀山相応寺(名古屋市千種区)HPより)


柳谷観音 立願山楊谷寺 P無料
新西国霊場 第十七番礼所
洛西観音霊場 第十番礼所
京都府長岡京市浄土谷堂ノ谷2
第17回長岡京 柳谷観音あじさいまつり・あじさいウイーク6/10~7/2 
あじさいウィーク
◆開催期間 6/10(土)~7/2(日)
◆拝観料 200円
※あじさい等の維持管理のため、ご協力お願い致します。
上書院特別公開 円山応挙の『楊貴妃写貌図』も
通常月に1度17日しか公開していない上書院を、期間中特別公開いたします。拝観料:500円
寺宝庫特別拝観
6/17~7/2まで寺内の寺宝庫で『楊谷寺の復興と観音信仰』をテーマに、寺宝庫特別拝観を開催します。 また、長岡京市教育委員会が企画し、元和の観音講結成と量空是海による復興について、研究成果を発表します。
6月の柳谷観音寺宝展
月替わりで秘宝を特別公開していく企画「柳谷観音寺宝展」。 6月はシカゴ美術館や宮内庁にも収蔵されている明治の人気女流日本画家の野口小蘋の『紫陽花』。 南画派の伝統を守り、高尚で気品の表れた作風をご堪能ください。
6/25 あじさいまつり P有料
◆開催日時 6/25(日) 10:00~15:30
◆拝観料 200円
※あじさい等の維持管理のため、ご協力お願い致します。
◆主催 長岡京市観光協会 柳谷観音楊谷寺

【石清水八幡宮】 P駐車料金普通車終日(午前8時30分~16時)500円 
山上P無料
京都府八幡市八幡高坊30
 6月30日(金)15時 夏越大祓(水無月大祓)

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
グルメ
4.0
交通
4.0
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車
  • 京都縦貫道長岡京ICを下りて柳谷道を通って柳谷観音に着きました

    京都縦貫道長岡京ICを下りて柳谷道を通って柳谷観音に着きました

  • 限定パンケーキは100枚限りなので長蛇の列です

    限定パンケーキは100枚限りなので長蛇の列です

  • 夢のお告げ<br />柳谷観音は806年(大同元年)平安時代、清水寺を開山された第一世延鎮僧都により開創されました。 延鎮僧都は 『西山にて生身の観音様に出会うことができる』 という夢のお告げにより、清水寺からこの西山に入り、柳(楊)生い茂る渓谷の岩上に生身の観音様を見つけられました。 その観音様が、古来より眼病に霊験あらたかな十一面千手千眼観世音菩薩だったということです。<br />十一面千手千眼観世音菩薩は十一の顔と千の手。更にその千の手のひとつひとつに眼を持つとされています。 あらゆる方向のあらゆる人を見失うことなく救済できる力を持った、とても徳の高い観音様です。 延鎮僧都は喜び、その場所に堂宇を建て観音様をお祀りし、『楊谷寺』としました。 楊谷寺は『柳谷観音』として親しまれ、眼病平癒の祈願所として天皇家公家の方々を初め、人々の厚い信仰により支えられてきました。 その信仰と伝統は1200年経った今も変わらずここに息づいています。<br />また、柳谷観音・楊谷寺は「京都・西山三山(楊谷寺、善峯寺、光明寺)」のひとつに数えられております。<br />(楊谷寺HPより)

    夢のお告げ
    柳谷観音は806年(大同元年)平安時代、清水寺を開山された第一世延鎮僧都により開創されました。 延鎮僧都は 『西山にて生身の観音様に出会うことができる』 という夢のお告げにより、清水寺からこの西山に入り、柳(楊)生い茂る渓谷の岩上に生身の観音様を見つけられました。 その観音様が、古来より眼病に霊験あらたかな十一面千手千眼観世音菩薩だったということです。
    十一面千手千眼観世音菩薩は十一の顔と千の手。更にその千の手のひとつひとつに眼を持つとされています。 あらゆる方向のあらゆる人を見失うことなく救済できる力を持った、とても徳の高い観音様です。 延鎮僧都は喜び、その場所に堂宇を建て観音様をお祀りし、『楊谷寺』としました。 楊谷寺は『柳谷観音』として親しまれ、眼病平癒の祈願所として天皇家公家の方々を初め、人々の厚い信仰により支えられてきました。 その信仰と伝統は1200年経った今も変わらずここに息づいています。
    また、柳谷観音・楊谷寺は「京都・西山三山(楊谷寺、善峯寺、光明寺)」のひとつに数えられております。
    (楊谷寺HPより)

  • 本堂内

    本堂内

  • 眼病諸病平癒の十一面千手千眼観世音菩薩<br />ご利益<br /><br /><br />建物は江戸前期の建立で、大きさは七間四面です。<br />ここは土足のままで中に入ることができ、観音様の目の前まで行って拝むことができる、他のお寺にはないめずらしい形態になっています。<br />ご本尊は古来より眼病に霊あらたかな十一面千手千眼観世音菩薩です。<br />この観音様は平成10年に大修理を終え胎内から文書が発見されました。そこには寄進者の名前等が書かれており、当時の長岡京市一帯の文化や風土を示す貴重な資料となり京都府の重要文化財に指定されました。<br />普段は幕が下りているためお姿を拝むことはできませんが御縁日の毎月17日、18日には開帳されます。<br />観音様の両脇立には、右隣に勝敵毘沙門天王、左隣に将軍地蔵大菩薩が祀られており、清水寺の十一面観音の脇侍と同様になっています。ここも普段は扉が閉められております。<br />両脇段には向かって右側に弘法大師様が祀られており、その前では江戸時代から伝わる勤行式とご詠歌をあげる場所があります。左側には阿弥陀如来が祀られており歴代上人の位牌が安置されております。<br />1200年の歴史の中で多くの信者さんがご利益をいただき、病気を治癒されているため観音様は「生き仏」といわれています。ここでは、南無観世音菩薩と心をこめてお祈りしてください。<br />尚、当山は新西国霊場の第17番札所に指定されています。<br />(楊谷寺HPより)

    眼病諸病平癒の十一面千手千眼観世音菩薩
    ご利益


    建物は江戸前期の建立で、大きさは七間四面です。
    ここは土足のままで中に入ることができ、観音様の目の前まで行って拝むことができる、他のお寺にはないめずらしい形態になっています。
    ご本尊は古来より眼病に霊あらたかな十一面千手千眼観世音菩薩です。
    この観音様は平成10年に大修理を終え胎内から文書が発見されました。そこには寄進者の名前等が書かれており、当時の長岡京市一帯の文化や風土を示す貴重な資料となり京都府の重要文化財に指定されました。
    普段は幕が下りているためお姿を拝むことはできませんが御縁日の毎月17日、18日には開帳されます。
    観音様の両脇立には、右隣に勝敵毘沙門天王、左隣に将軍地蔵大菩薩が祀られており、清水寺の十一面観音の脇侍と同様になっています。ここも普段は扉が閉められております。
    両脇段には向かって右側に弘法大師様が祀られており、その前では江戸時代から伝わる勤行式とご詠歌をあげる場所があります。左側には阿弥陀如来が祀られており歴代上人の位牌が安置されております。
    1200年の歴史の中で多くの信者さんがご利益をいただき、病気を治癒されているため観音様は「生き仏」といわれています。ここでは、南無観世音菩薩と心をこめてお祈りしてください。
    尚、当山は新西国霊場の第17番札所に指定されています。
    (楊谷寺HPより)

  • 浄土苑は名勝庭園、十三仏を配置した庭園です<br />上書院・書院・浄土苑は京都府指定の文化財

    浄土苑は名勝庭園、十三仏を配置した庭園です
    上書院・書院・浄土苑は京都府指定の文化財

  • 浄土苑は本堂と書院の間に築かれた庭で、江戸時代中期に作庭された京都府指定の文化財です。<br />山の急斜面を巧みに利用した造りで、書院に座って眺める鑑賞式の庭園になります。<br />ところどころに置かれた大きな石は菩薩様に見立てられており、十三仏(阿弥陀如来、勢至菩薩、観音菩薩、不動明王など)や目菩薩、受菩薩などが安置されています。<br />立地を利用した三層に分かれた景色は類まれなる眺望とされ、重森美玲氏の『古都百庭』にも 選ばれました。<br />第一層目は書院からの眺めです。第二層目は階段を上り反対側からご覧いただく部分となります。第三層目は上書院からの眺めとなり、三層全ての眺めをお楽しみいただけるのは上書院限定公開の時のみとなります。<br />書院の二階から眺める浄土苑の新緑や紅葉が絶景です。(限定公開)<br />また、書院では写経や写仏を行っています。<br />美人膳や千眼茶の試飲も書院でお庭を眺めながらお召し上がりいただけます。<br />(楊谷寺HPより)

    浄土苑は本堂と書院の間に築かれた庭で、江戸時代中期に作庭された京都府指定の文化財です。
    山の急斜面を巧みに利用した造りで、書院に座って眺める鑑賞式の庭園になります。
    ところどころに置かれた大きな石は菩薩様に見立てられており、十三仏(阿弥陀如来、勢至菩薩、観音菩薩、不動明王など)や目菩薩、受菩薩などが安置されています。
    立地を利用した三層に分かれた景色は類まれなる眺望とされ、重森美玲氏の『古都百庭』にも 選ばれました。
    第一層目は書院からの眺めです。第二層目は階段を上り反対側からご覧いただく部分となります。第三層目は上書院からの眺めとなり、三層全ての眺めをお楽しみいただけるのは上書院限定公開の時のみとなります。
    書院の二階から眺める浄土苑の新緑や紅葉が絶景です。(限定公開)
    また、書院では写経や写仏を行っています。
    美人膳や千眼茶の試飲も書院でお庭を眺めながらお召し上がりいただけます。
    (楊谷寺HPより)

  • 6月の寺宝展野口小蘋のあじさい

    6月の寺宝展野口小蘋のあじさい

  • 上書院(かみしょいん)からの浄土苑

    上書院(かみしょいん)からの浄土苑

  • 上書院/名勝庭園 <br />限定公開の貴賓室<br /><br />限定公開の貴賓室<br />みどころ<br /><br /><br />西山のヒノキを使用した総ヒノキ造りで、明治時代後期に建立されました。<br />特別な方のみをお通しする茶室として使用されていましたが、現在は毎月17日午前中のみ一般公開しています。<br />上書院から眺める名勝庭園は、書院から眺める第一層部分とは趣が異なり、数々の文化財を背景に眼前に紅葉が広がる景色の素晴らしさはまさに絶景です。<br />新緑の青葉や真っ赤に色づいた紅葉の美しさをご堪能ください。<br />また、書院と同じく上書院も映画やドラマのロケ地して使用されています<br />(楊谷寺HPより)

    上書院/名勝庭園
    限定公開の貴賓室

    限定公開の貴賓室
    みどころ


    西山のヒノキを使用した総ヒノキ造りで、明治時代後期に建立されました。
    特別な方のみをお通しする茶室として使用されていましたが、現在は毎月17日午前中のみ一般公開しています。
    上書院から眺める名勝庭園は、書院から眺める第一層部分とは趣が異なり、数々の文化財を背景に眼前に紅葉が広がる景色の素晴らしさはまさに絶景です。
    新緑の青葉や真っ赤に色づいた紅葉の美しさをご堪能ください。
    また、書院と同じく上書院も映画やドラマのロケ地して使用されています
    (楊谷寺HPより)

  • こちらの上書院庭園前廊下では役所広司出演映画ロケもおこなわれたそうです

    こちらの上書院庭園前廊下では役所広司出演映画ロケもおこなわれたそうです

  • 上書院2階には円山応挙作の楊貴妃の写貌図の掛け軸がありました

    上書院2階には円山応挙作の楊貴妃の写貌図の掛け軸がありました

  • 心琴窟

    心琴窟

  • ひしゃくで水を汲み、石にかけ、竹筒を耳に当てると澄んだ音がより良く聞こえます

    ひしゃくで水を汲み、石にかけ、竹筒を耳に当てると澄んだ音がより良く聞こえます

  • 正一位子眼力稲荷社、愛染堂・あいりきさん<br />奥之院 眼力稲荷<br />奥之院の守り神<br /><br />奥之院鎮守 縁結び<br />ご利益<br /><br /><br />下の眼力稲荷が本堂の守り神とすれば、この眼力稲荷は、奥の院本堂の守り神です。<br />下の「がんりきさん」同様観音様を信仰する皆様の守り神でもあります。<br /><br /><br />愛染堂 あいりきさん<br />夫婦円満<br /><br />縁結びの明王 夫婦円満<br />ご利益<br /><br /><br />愛染明王が祀られており、男女和合・夫婦円満等にご利益があります。<br />愛染明王はその手に弓矢を持ち、キューピットのように人々の心にを結び付けてくれると言われています。<br />愛情と情欲をつかさどっていますので、縁結びや夫婦円満などにご利益があります。<br />愛染堂の前には石版を背負わされている天邪鬼がいて、「あいりきさん」と呼ばれています。 <br />ハートのベンチも置いておりますのでご休憩にどうぞ。<br />《ご利益》 男女・夫婦間の様々な問題(特に性愛など)の解決 <br />《お参りの仕方》 頭をなでつつ願いを告げる。 <br /><br />(楊谷寺HPより)

    正一位子眼力稲荷社、愛染堂・あいりきさん
    奥之院 眼力稲荷
    奥之院の守り神

    奥之院鎮守 縁結び
    ご利益


    下の眼力稲荷が本堂の守り神とすれば、この眼力稲荷は、奥の院本堂の守り神です。
    下の「がんりきさん」同様観音様を信仰する皆様の守り神でもあります。


    愛染堂 あいりきさん
    夫婦円満

    縁結びの明王 夫婦円満
    ご利益


    愛染明王が祀られており、男女和合・夫婦円満等にご利益があります。
    愛染明王はその手に弓矢を持ち、キューピットのように人々の心にを結び付けてくれると言われています。
    愛情と情欲をつかさどっていますので、縁結びや夫婦円満などにご利益があります。
    愛染堂の前には石版を背負わされている天邪鬼がいて、「あいりきさん」と呼ばれています。
    ハートのベンチも置いておりますのでご休憩にどうぞ。
    《ご利益》 男女・夫婦間の様々な問題(特に性愛など)の解決
    《お参りの仕方》 頭をなでつつ願いを告げる。

    (楊谷寺HPより)

  • 奥之院

    奥之院

  • 奥之院本尊<br />子授け・安産・恋愛成就<洛西観音霊場第10番札所><br />ご利益<br /><br /><br />江戸時代、113代東山天皇の皇妃新崇賢門院(四条の局)様がたびたび皇子を出産されましたが、それぞれ不幸にも幼くしてお亡くなりになりましたので、当山ご本尊に”無事出産できた暁には観音様をお祀りする”と誓いを立て、祈願されました。<br />そして、お生まれになられたのが、後の114代の中御門天皇です。<br />ところが天皇9歳のときに”観音様をお祀りする”という誓い半ばにご両親が崩御され、その追善菩提のために中御門天皇が想いを込めてお造りされたのが奥之院の観音様です。<br />お堂は大正元年に建立、大正4年に一度焼失し昭和5年に再建されたものです。<br />向かって左側には観音様の眷属二十八武衆が祀られており、観音様を擁護するとともに観音様を信仰する皆様方を守護してくださる二十八体の護法善神です。その善神がまた、それぞれ500の眷属を従えておられます。<br />向かって右には歴代天皇の位牌を安置しています。<br />尚、奥之院は洛西観音霊場第10番札所に指定されています。 <br />(楊谷寺HPより)

    奥之院本尊
    子授け・安産・恋愛成就<洛西観音霊場第10番札所>
    ご利益


    江戸時代、113代東山天皇の皇妃新崇賢門院(四条の局)様がたびたび皇子を出産されましたが、それぞれ不幸にも幼くしてお亡くなりになりましたので、当山ご本尊に”無事出産できた暁には観音様をお祀りする”と誓いを立て、祈願されました。
    そして、お生まれになられたのが、後の114代の中御門天皇です。
    ところが天皇9歳のときに”観音様をお祀りする”という誓い半ばにご両親が崩御され、その追善菩提のために中御門天皇が想いを込めてお造りされたのが奥之院の観音様です。
    お堂は大正元年に建立、大正4年に一度焼失し昭和5年に再建されたものです。
    向かって左側には観音様の眷属二十八武衆が祀られており、観音様を擁護するとともに観音様を信仰する皆様方を守護してくださる二十八体の護法善神です。その善神がまた、それぞれ500の眷属を従えておられます。
    向かって右には歴代天皇の位牌を安置しています。
    尚、奥之院は洛西観音霊場第10番札所に指定されています。
    (楊谷寺HPより)

  • モリアオガエル生息地

    モリアオガエル生息地

  • トノサマガエルかな

    トノサマガエルかな

  • 平成天皇誕生記念の建立のようです

    平成天皇誕生記念の建立のようです

  • 納骨堂<br /><br />信者さんのお骨をお納めしています<br />ご利益<br /><br /><br />当山にゆかりの深い方や、当山を信仰されていた信者さんの遺骨が納められています。<br />納骨ご希望の方は、お問い合わせ下さい。<br />(楊谷寺HPより)

    納骨堂

    信者さんのお骨をお納めしています
    ご利益


    当山にゆかりの深い方や、当山を信仰されていた信者さんの遺骨が納められています。
    納骨ご希望の方は、お問い合わせ下さい。
    (楊谷寺HPより)

  • モリアオガエル生息地

    モリアオガエル生息地

  • 正一位眼力稲荷大明神<br />最善の道を示してくれる、当山鎮守の神様<br /><br />先を示す&quot;先見の明&quot; 学問成就<br />ご利益<br /><br /><br />山の鎮守(守り神)眼力稲荷大明神は京都伏見稲荷大社より勧請されました。 <br />古来より、学問に霊験あらたかなりと伝えられ、特に先見の明(心眼・しんがん・こころの眼)を授けてくださるといわれております。<br />眼力とは、激動の世に生きる、素直な心を持ったすべての人々に最善の方向を指し示す力であります。<br />人生の選択をせまられたとき、仕事上などでどちらの方向に進めばよいか迷ったとき、受験のとき。<br />眼力稲荷に心からお祈りすれば必ず良き方向が指し示されましょう。<br />お堂の左脇におみくじがあります。願いを込めてひいてみてください。<br />【通常の参拝の仕方(一例)】<br />一、 合掌し一礼する。<br />二、 拍手を二回。<br />三、 合掌し一礼する。<br />【特別なお願いの場合の参拝の仕方(一例)】<br />一、 通常の参拝をする。<br />二、 眼力稲荷の周りを右回り(時計回り)に百度まわる。(前にある棒等を利用して数えてください)<br />三、 受付にて絵馬に願い事・住所・氏名・年齢を書き、お堂の周り掛けてください。<br />(楊谷寺HPより)

    正一位眼力稲荷大明神
    最善の道を示してくれる、当山鎮守の神様

    先を示す"先見の明" 学問成就
    ご利益


    山の鎮守(守り神)眼力稲荷大明神は京都伏見稲荷大社より勧請されました。
    古来より、学問に霊験あらたかなりと伝えられ、特に先見の明(心眼・しんがん・こころの眼)を授けてくださるといわれております。
    眼力とは、激動の世に生きる、素直な心を持ったすべての人々に最善の方向を指し示す力であります。
    人生の選択をせまられたとき、仕事上などでどちらの方向に進めばよいか迷ったとき、受験のとき。
    眼力稲荷に心からお祈りすれば必ず良き方向が指し示されましょう。
    お堂の左脇におみくじがあります。願いを込めてひいてみてください。
    【通常の参拝の仕方(一例)】
    一、 合掌し一礼する。
    二、 拍手を二回。
    三、 合掌し一礼する。
    【特別なお願いの場合の参拝の仕方(一例)】
    一、 通常の参拝をする。
    二、 眼力稲荷の周りを右回り(時計回り)に百度まわる。(前にある棒等を利用して数えてください)
    三、 受付にて絵馬に願い事・住所・氏名・年齢を書き、お堂の周り掛けてください。
    (楊谷寺HPより)

  • おみくじは6凶・・・

    おみくじは6凶・・・

  • 淀殿弁天堂<br />美顔・美人(びじん)・芸技達者<br /><br />美顔 美心(びじん) 芸技達者<br />ご利益<br /><br /><br />弁財天は、古代インド(天竺)ではサラスバティート言い、日本の七福神の中で唯一の女神様です。<br />弁財天は水を司る神として芸能や財福のご利益と共に知られていますが、当山の弁財天は珍しい形態で弁財天の前立ちとして淀殿がおられます。<br />これは、淀殿が当山の観音様を信仰され、寄進などされていたというお話を知った信者さんが淀殿の人形を寄付してくださいました。こちらのお人形は、有職御人形師十二世伊東久重氏によるものです。 <br />そして、本来は弁天さんを拝むのですが、ここでは、淀殿の冥福も祈る形になっています。<br />お堂の傍には淀殿が毎日この水で顔を洗っていたという伝聞の残る湧き水があります。<br />更に、淀殿のように白く美しくなりましょうという願いを込めて、美心手拭いと美心絵馬もございます。<br />淀殿がこのお水で顔を洗われ、手を合わせておられた姿を思いながらご参拝ください。 <br />【真言】 オンソラソバテイエイソワカ <br />【淀殿弁財天のご利益】  若さを保ち美顔、美麗成就、心の強さを得持。<br />※美人(心)絵馬・美人(心)てぬぐいは、受付にあります。<br />(楊谷寺HPより)

    淀殿弁天堂
    美顔・美人(びじん)・芸技達者

    美顔 美心(びじん) 芸技達者
    ご利益


    弁財天は、古代インド(天竺)ではサラスバティート言い、日本の七福神の中で唯一の女神様です。
    弁財天は水を司る神として芸能や財福のご利益と共に知られていますが、当山の弁財天は珍しい形態で弁財天の前立ちとして淀殿がおられます。
    これは、淀殿が当山の観音様を信仰され、寄進などされていたというお話を知った信者さんが淀殿の人形を寄付してくださいました。こちらのお人形は、有職御人形師十二世伊東久重氏によるものです。
    そして、本来は弁天さんを拝むのですが、ここでは、淀殿の冥福も祈る形になっています。
    お堂の傍には淀殿が毎日この水で顔を洗っていたという伝聞の残る湧き水があります。
    更に、淀殿のように白く美しくなりましょうという願いを込めて、美心手拭いと美心絵馬もございます。
    淀殿がこのお水で顔を洗われ、手を合わせておられた姿を思いながらご参拝ください。
    【真言】 オンソラソバテイエイソワカ
    【淀殿弁財天のご利益】  若さを保ち美顔、美麗成就、心の強さを得持。
    ※美人(心)絵馬・美人(心)てぬぐいは、受付にあります。
    (楊谷寺HPより)

  • 護摩堂・経蔵<br />経典・什物などの保管<br /><br />経典・什物などの保管<br />みどころ<br /><br /><br />経蔵はいろいろな経や本、また、古くなったお札やお守りを収めておくところです。<br />護摩堂では、毎月17日に護摩が焚かれ、2月と8月の際には、奈良の大峰山から山伏が来山します。<br />(楊谷寺HPより)

    護摩堂・経蔵
    経典・什物などの保管

    経典・什物などの保管
    みどころ


    経蔵はいろいろな経や本、また、古くなったお札やお守りを収めておくところです。
    護摩堂では、毎月17日に護摩が焚かれ、2月と8月の際には、奈良の大峰山から山伏が来山します。
    (楊谷寺HPより)

  • 地蔵堂・親子地蔵<br />親子の絆・子供の幸せ<br /><br />親子の絆・子供の幸せ<br />ご利益<br /><br /><br />地蔵堂には親子地蔵が祀られており、親子の絆を大切に、特に子供たちをお守りくださります。<br />(楊谷寺HPより)

    地蔵堂・親子地蔵
    親子の絆・子供の幸せ

    親子の絆・子供の幸せ
    ご利益


    地蔵堂には親子地蔵が祀られており、親子の絆を大切に、特に子供たちをお守りくださります。
    (楊谷寺HPより)

  • 阿弥陀堂<br />先祖供養/淀殿のお厨子<br /><br />先祖供養<br />ご利益<br /><br /><br />江戸時代の建立で、昔は念仏堂とも呼ばれていました。<br />ここのお厨子は、淀殿の寄進と伝えられ、厨子の扉には豊臣家の紋が入っています。<br />本来このお厨子はご本尊のものでしたが、徳川の世になり、幕府をはばかった当時の住職が阿弥陀堂に移したと伝えられています。<br />ご本尊は阿弥陀如来で、向かって右に中国の高僧善導大師像が、左には日本の念仏思想を広めた法然上人像が安置されています。毎年8月18日の盆大施餓鬼の法要もここで行います。<br />このお堂は法事やサークル活動にも利用されており、イベントなどに阿弥陀堂を貸し出すこともできます<br />(楊谷寺HPより)

    阿弥陀堂
    先祖供養/淀殿のお厨子

    先祖供養
    ご利益


    江戸時代の建立で、昔は念仏堂とも呼ばれていました。
    ここのお厨子は、淀殿の寄進と伝えられ、厨子の扉には豊臣家の紋が入っています。
    本来このお厨子はご本尊のものでしたが、徳川の世になり、幕府をはばかった当時の住職が阿弥陀堂に移したと伝えられています。
    ご本尊は阿弥陀如来で、向かって右に中国の高僧善導大師像が、左には日本の念仏思想を広めた法然上人像が安置されています。毎年8月18日の盆大施餓鬼の法要もここで行います。
    このお堂は法事やサークル活動にも利用されており、イベントなどに阿弥陀堂を貸し出すこともできます
    (楊谷寺HPより)

  • 寺宝庫<br />寺宝を収蔵<br /><br />寺宝を収蔵<br />みどころ<br /><br /><br />当山に伝わる歴代天皇の数々の寺宝が納められています。<br />また本尊から出てきた胎内文書も納められております。<br />あじさいまつりの際には、寺宝庫内の展示スペースにおいて寺宝の展示を行っております。<br />(楊谷寺HPより)

    寺宝庫
    寺宝を収蔵

    寺宝を収蔵
    みどころ


    当山に伝わる歴代天皇の数々の寺宝が納められています。
    また本尊から出てきた胎内文書も納められております。
    あじさいまつりの際には、寺宝庫内の展示スペースにおいて寺宝の展示を行っております。
    (楊谷寺HPより)

  • 無料休憩所<br />おひよけさま<br />災害除け<br /><br />災害除け<br />ご利益<br /><br /><br />当山奥之院で火事があった際、堂宇は全焼しましたが、不思議にも難をのがれたと伝えられています。<br />以来、地火や災害から人々をお守りする仏・菩薩様としてお祀りしています。<br />四国八十八ヶ所霊場ご本尊の模刻仏。 <br />多くの仏様がいらっしゃるので、自分の心に語りかけてくる仏様を見つけ、願いを込めて拝んでください。 <br />(楊谷寺HPより)<br />

    無料休憩所
    おひよけさま
    災害除け

    災害除け
    ご利益


    当山奥之院で火事があった際、堂宇は全焼しましたが、不思議にも難をのがれたと伝えられています。
    以来、地火や災害から人々をお守りする仏・菩薩様としてお祀りしています。
    四国八十八ヶ所霊場ご本尊の模刻仏。
    多くの仏様がいらっしゃるので、自分の心に語りかけてくる仏様を見つけ、願いを込めて拝んでください。
    (楊谷寺HPより)

  • 弘法大師の独鈷水(おこうずい)

    弘法大師の独鈷水(おこうずい)

  • 17日限定朱印があります

    17日限定朱印があります

  • 独鈷水<br />眼病平癒の霊水<br /><br />弘法大師の眼病平癒の霊水<br />ご利益<br /><br /><br />延鎮僧都が下山された後、811年弘法大師(空海)が度々当山に参拝されていました。ある時、堂の傍らにある巌窟の溜まり水で眼のつぶれた小猿を抱き、一心不乱に眼を洗っている親猿の姿を見かけられ、空海は小猿のために17日間のご祈祷を行いました。すると満願の日に小猿の目がパッチリと開き、喜んで山へと帰っていったそうです。空海は、この不思議な湧き水を眼病に悩む人々のために霊験あらたかなる霊水にしようと決意され、さらに17日間の祈祷を施し、独鈷で持って深く掘り広げ、眼病平癒の霊水に成就されたと伝えられています。 この霊水が今も湧き出す独鈷水(おこうずい)です。また、江戸時代に第112代霊元天皇が眼病を治癒されたことをきっかけに明治に世に至るまで天皇家に独鈷水を献上していたと伝えられています。 普段は、ご自由に各自で汲んでいただけます。少しづつ溜めている水であり、また眼病平癒の霊水として信仰を集めておりますから、決して粗末に扱わないで下さい。このお水を一度観音様にお供えしてから持ち帰るのがここの慣わしです。観音様にお祈りしながら目を洗ってください。<br />お持ち帰り用の容器の販売も受付でしております。<br />3合半(630cc)サイズ 500円<br />(楊谷寺HPより)

    独鈷水
    眼病平癒の霊水

    弘法大師の眼病平癒の霊水
    ご利益


    延鎮僧都が下山された後、811年弘法大師(空海)が度々当山に参拝されていました。ある時、堂の傍らにある巌窟の溜まり水で眼のつぶれた小猿を抱き、一心不乱に眼を洗っている親猿の姿を見かけられ、空海は小猿のために17日間のご祈祷を行いました。すると満願の日に小猿の目がパッチリと開き、喜んで山へと帰っていったそうです。空海は、この不思議な湧き水を眼病に悩む人々のために霊験あらたかなる霊水にしようと決意され、さらに17日間の祈祷を施し、独鈷で持って深く掘り広げ、眼病平癒の霊水に成就されたと伝えられています。 この霊水が今も湧き出す独鈷水(おこうずい)です。また、江戸時代に第112代霊元天皇が眼病を治癒されたことをきっかけに明治に世に至るまで天皇家に独鈷水を献上していたと伝えられています。 普段は、ご自由に各自で汲んでいただけます。少しづつ溜めている水であり、また眼病平癒の霊水として信仰を集めておりますから、決して粗末に扱わないで下さい。このお水を一度観音様にお供えしてから持ち帰るのがここの慣わしです。観音様にお祈りしながら目を洗ってください。
    お持ち帰り用の容器の販売も受付でしております。
    3合半(630cc)サイズ 500円
    (楊谷寺HPより)

  • 少し冷たく飲みやすい癖のない水です<br />成分表示が無いので内容は不明

    少し冷たく飲みやすい癖のない水です
    成分表示が無いので内容は不明

  • 駐車場奥には霊園があります

    駐車場奥には霊園があります

  • 石清水八幡宮山上駐車場へは、揚谷寺から車で30分ほどです

    石清水八幡宮山上駐車場へは、揚谷寺から車で30分ほどです

  • 石翠亭で遅めの昼食<br />カレーうどんごはん付き1000円

    石翠亭で遅めの昼食
    カレーうどんごはん付き1000円

  • 鶏そぼろ弁当うどん付き1100円

    鶏そぼろ弁当うどん付き1100円

  • 三の鳥居参道

    三の鳥居参道

  • クロアゲハ

    クロアゲハ

  • 茅の輪があります<br />夏越の大祓い

    茅の輪があります
    夏越の大祓い

  • 南総門<br />山上、社殿前にそびえる壮大な南総門から社殿を見ると、社殿が少し西側を向いていることが分かります。これは、御神前にて参拝したのち帰る際に、八幡大神様に対して真正面に背を向けないよう中心を外しているといわれています。<br />(石清水八幡宮HPより)

    南総門
    山上、社殿前にそびえる壮大な南総門から社殿を見ると、社殿が少し西側を向いていることが分かります。これは、御神前にて参拝したのち帰る際に、八幡大神様に対して真正面に背を向けないよう中心を外しているといわれています。
    (石清水八幡宮HPより)

  • カヤの木<br />南総門前東側に立つカヤ(榧)は樹齢700年以上、根周り7m、樹高約20m、樹冠30m の巨樹であり、京都府下のカヤのなかでも有数の巨木といわれています。春に開花し、果実は秋に成熟します。 <br />その昔、カヤの実はカヤ油として灯油などに使われ、大山崎油座でも有名なとおり当宮と油の関係から御神木として今なおその名残を示しているのかもしれません。<br />現在このカヤの実は当宮の重儀である石清水祭の神饌として使われおり、また茶道・裏千家の初釜式において「蓬莱山飾り」という新春のお飾りにも用いられています<br />(石清水八幡宮HPより)

    カヤの木
    南総門前東側に立つカヤ(榧)は樹齢700年以上、根周り7m、樹高約20m、樹冠30m の巨樹であり、京都府下のカヤのなかでも有数の巨木といわれています。春に開花し、果実は秋に成熟します。
    その昔、カヤの実はカヤ油として灯油などに使われ、大山崎油座でも有名なとおり当宮と油の関係から御神木として今なおその名残を示しているのかもしれません。
    現在このカヤの実は当宮の重儀である石清水祭の神饌として使われおり、また茶道・裏千家の初釜式において「蓬莱山飾り」という新春のお飾りにも用いられています
    (石清水八幡宮HPより)

  • 御祭神<br /><br />中御前<br />-<br />応神天皇(おうじんてんのう)(第15代) 〔誉田別尊(ほんだわけのみこと〕<br /><br />西御前<br />-<br />比?起大神(ひめおおかみ) 〔多紀理毘賣命(たぎりびめのみこと)・市寸島姫命(いちきしまひめのみこと)・多岐津比賣命(たぎつひめのみこと)〕<br /><br /><br />東御前<br />-<br />神功皇后(じんぐうこうごう) 〔息長帯比賣命(おきながたらしひめのみこと<br /><br />〝やわたのはちまんさん〟の名で親しまれる石清水八幡宮<br /><br />〝やわたのはちまんさん〟と親しまれる当宮が御鎮座する八幡市・男山は、木津川・宇治川・桂川の三川が合流し淀川となる地点を挟んで天王山と対峙する位置にあり、京・難波間の交通の要地であります。また、南北朝時代の大小様々な戦い、羽柴秀吉と明智光秀の天王山の合戦などで知られる政治上の重要な拠点でもありました。<br />男山は都からみて裏鬼門(南西の方角)に位置し、鬼門(北東の方角)に位置する比叡山延暦寺とともに都の守護、国家鎮護の社として篤い崇敬を受けてきました。<br />この経済上、政治上、そして信仰上の要の地に御鎮座され、日本を平和と繁栄に導く神として多くの人々に崇敬され、八幡大神様を祀る神社は全国津々浦々に数万社あるともいわれています。<br />当宮の御祭神は御本殿中央に応神天皇様、西に比?起大神様、東に神功皇后様をお祀りしています。この御本殿に鎮まる三座の神々を総称して八幡三所大神(八幡大神)様と申し上げます<br />(石清水八幡宮HPより)<br />

    御祭神

    中御前

    応神天皇(おうじんてんのう)(第15代) 〔誉田別尊(ほんだわけのみこと〕

    西御前

    比?起大神(ひめおおかみ) 〔多紀理毘賣命(たぎりびめのみこと)・市寸島姫命(いちきしまひめのみこと)・多岐津比賣命(たぎつひめのみこと)〕


    東御前

    神功皇后(じんぐうこうごう) 〔息長帯比賣命(おきながたらしひめのみこと

    〝やわたのはちまんさん〟の名で親しまれる石清水八幡宮

    〝やわたのはちまんさん〟と親しまれる当宮が御鎮座する八幡市・男山は、木津川・宇治川・桂川の三川が合流し淀川となる地点を挟んで天王山と対峙する位置にあり、京・難波間の交通の要地であります。また、南北朝時代の大小様々な戦い、羽柴秀吉と明智光秀の天王山の合戦などで知られる政治上の重要な拠点でもありました。
    男山は都からみて裏鬼門(南西の方角)に位置し、鬼門(北東の方角)に位置する比叡山延暦寺とともに都の守護、国家鎮護の社として篤い崇敬を受けてきました。
    この経済上、政治上、そして信仰上の要の地に御鎮座され、日本を平和と繁栄に導く神として多くの人々に崇敬され、八幡大神様を祀る神社は全国津々浦々に数万社あるともいわれています。
    当宮の御祭神は御本殿中央に応神天皇様、西に比?起大神様、東に神功皇后様をお祀りしています。この御本殿に鎮まる三座の神々を総称して八幡三所大神(八幡大神)様と申し上げます
    (石清水八幡宮HPより)

  • 神楽殿

    神楽殿

  • 平安時代始め、清和天皇の貞観元(859)年、南都大安寺の僧・行教和尚は豊前国(現・大分県)宇佐八幡宮にこもり日夜熱祷を捧げ、八幡大神様の「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との御託宣を蒙り、同年男山の峯に御神霊を御奉安申し上げたのが当宮の起源です。そして朝廷は翌貞観2(860)年、同所に八幡造(はちまんづくり)の社殿(六宇の宝殿[ろくうのほうでん])を造営し、4月3日に御遷座されました。<br />天慶2(939)年に起こった平将門・藤原純友の乱の折には、朝廷よりご請願があり八幡大神様の御神威をもって速やかに平定されて以来、国家鎮護の社として皇室の御崇敬は益々厚いものとなり、 天皇の行幸や上皇の御幸は、円融天皇(第64代)の行幸以来、実に240余度にも及び、伊勢の神宮に次ぐ第二の宗廟とも称されました。<br />明治の初めには官幣大社に列せられ、「男山八幡宮」と改称されましたが、「石清水」の社号は創建以来の由緒深い社号であるため、大正7年には再び「石清水八幡宮」と改称され現在に至ります。<br />(石清水八幡宮HPより)

    平安時代始め、清和天皇の貞観元(859)年、南都大安寺の僧・行教和尚は豊前国(現・大分県)宇佐八幡宮にこもり日夜熱祷を捧げ、八幡大神様の「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との御託宣を蒙り、同年男山の峯に御神霊を御奉安申し上げたのが当宮の起源です。そして朝廷は翌貞観2(860)年、同所に八幡造(はちまんづくり)の社殿(六宇の宝殿[ろくうのほうでん])を造営し、4月3日に御遷座されました。
    天慶2(939)年に起こった平将門・藤原純友の乱の折には、朝廷よりご請願があり八幡大神様の御神威をもって速やかに平定されて以来、国家鎮護の社として皇室の御崇敬は益々厚いものとなり、 天皇の行幸や上皇の御幸は、円融天皇(第64代)の行幸以来、実に240余度にも及び、伊勢の神宮に次ぐ第二の宗廟とも称されました。
    明治の初めには官幣大社に列せられ、「男山八幡宮」と改称されましたが、「石清水」の社号は創建以来の由緒深い社号であるため、大正7年には再び「石清水八幡宮」と改称され現在に至ります。
    (石清水八幡宮HPより)

  • 八幡造り御本殿<br />国家鎮護の社として都の裏鬼門に位置する男山山上に御鎮座されてより1150年以上の間、時の為政者を始め、幾多の人々の祈りが捧げられ、篤い崇敬を受けてきた当宮の根本である本殿は貞観元(859)年、木工寮権允・橘良基は清和天皇の勅命により六宇の宝殿を建立し、順次「八幡造り(はちまんづくり)」の社殿を完成させるに至りました。<br />以来、造営14度・修理17度におよび、現在の社殿は寛永11(1634)年、徳川三代将軍家光公の修造によるものです。<br />前後二棟(内殿・外殿)からなる八幡造りの社殿建築様式は稀少であり、桧皮葺屋根の軒が接するところに織田信長公寄進の「黄金の樋」が架けられています。<br />御本殿から幣殿・舞殿・楼門と続き、その周囲を約180mに及ぶ廻廊が囲む社殿の建造物全てが丹漆塗で、御本殿を囲む瑞籬(みずがき)の欄間彫刻をはじめ随所に当時の名工の極彩色彫刻が施された極めて壮麗な社殿であり、平成28年2月9日に本社10棟と附(つけたり)棟札3枚が国宝に指定されました。<br />(石清水八幡宮HPより)

    八幡造り御本殿
    国家鎮護の社として都の裏鬼門に位置する男山山上に御鎮座されてより1150年以上の間、時の為政者を始め、幾多の人々の祈りが捧げられ、篤い崇敬を受けてきた当宮の根本である本殿は貞観元(859)年、木工寮権允・橘良基は清和天皇の勅命により六宇の宝殿を建立し、順次「八幡造り(はちまんづくり)」の社殿を完成させるに至りました。
    以来、造営14度・修理17度におよび、現在の社殿は寛永11(1634)年、徳川三代将軍家光公の修造によるものです。
    前後二棟(内殿・外殿)からなる八幡造りの社殿建築様式は稀少であり、桧皮葺屋根の軒が接するところに織田信長公寄進の「黄金の樋」が架けられています。
    御本殿から幣殿・舞殿・楼門と続き、その周囲を約180mに及ぶ廻廊が囲む社殿の建造物全てが丹漆塗で、御本殿を囲む瑞籬(みずがき)の欄間彫刻をはじめ随所に当時の名工の極彩色彫刻が施された極めて壮麗な社殿であり、平成28年2月9日に本社10棟と附(つけたり)棟札3枚が国宝に指定されました。
    (石清水八幡宮HPより)

  • お札お守り授与所

    お札お守り授与所

  • 御神木「楠」<br /><br />築地塀<br />通称「信長塀」とも呼ばれ、織田信長公が好んで採用した様式といわれています。瓦と土を幾重にも重ねることにより、当時の築塀における課題であった鉄砲の銃撃や耐火性、耐久力に優れていたとされています<br />(石清水八幡宮HPより)

    御神木「楠」

    築地塀
    通称「信長塀」とも呼ばれ、織田信長公が好んで採用した様式といわれています。瓦と土を幾重にも重ねることにより、当時の築塀における課題であった鉄砲の銃撃や耐火性、耐久力に優れていたとされています
    (石清水八幡宮HPより)

  • 廣田社・生田社・長田社

    廣田社・生田社・長田社

  • 校倉<br />築地内北西隅に位置する校倉(宝蔵)は、建築年代が明確ではありませんが、文書や絵図などには江戸時代中期から存在し、類例の少ない校倉建築として、平成21年3月に石清水社・石清水井とともに京都府より文化財の指定をうけました<br />(石清水八幡宮HPより)

    校倉
    築地内北西隅に位置する校倉(宝蔵)は、建築年代が明確ではありませんが、文書や絵図などには江戸時代中期から存在し、類例の少ない校倉建築として、平成21年3月に石清水社・石清水井とともに京都府より文化財の指定をうけました
    (石清水八幡宮HPより)

  • 住吉社重要文化財・一童社

    住吉社重要文化財・一童社

  • 北総門重要文化財

    北総門重要文化財

  • 貴船社・龍田社

    貴船社・龍田社

  • 若宮社重要文化財

    若宮社重要文化財

  • 若宮殿社重要文化財

    若宮殿社重要文化財

  • 氣比社・水若宮社重要文化財

    氣比社・水若宮社重要文化財

  • おがたまの木<br /><br />鬼門封じ<br />牛の角を持ち、虎の皮を身にまとった鬼が来るといわれる丑寅の方角「鬼門」(東北)を封じるために、社殿の石垣を切り取った造りになっています。<br />(石清水八幡宮HPより)

    おがたまの木

    鬼門封じ
    牛の角を持ち、虎の皮を身にまとった鬼が来るといわれる丑寅の方角「鬼門」(東北)を封じるために、社殿の石垣を切り取った造りになっています。
    (石清水八幡宮HPより)

  • 石清水社・石清水井<br />男山中腹に位置する石清水社は、霊泉「石清水」を核とした摂社で、当宮の名の由来となった本宮御鎮座以前の起源に遡り、御鎮座以前は傍に石清水寺が建立されており、本宮創建と同時に石清水寺は「護国寺」となったとされています。<br />石造りの神明鳥居の石柱刻銘には、寛永13(1636)年、当時の京都所司代・板倉重宗の寄進により建てられたとあり、境内に完全な形で残る鳥居としては最古のものです。また、その銘文は松花堂昭乗の書であるということも判明しています。<br />石清水は、厳冬にも凍らず大旱にも涸れない霊泉として、男山五水の中でも特に尊ばれ、往古より皇室および将軍家の祈祷にあたっては、この霊水を山上の本宮に献供するのを例としていました。その際、神前に供された石清水を「御香水」といいます。現在でも、当宮にて斎行される年間100余の祭典には、当日早朝に汲み上げられた「石清水」が必ず御神前に献供されています。<br />(石清水八幡宮HPより)

    石清水社・石清水井
    男山中腹に位置する石清水社は、霊泉「石清水」を核とした摂社で、当宮の名の由来となった本宮御鎮座以前の起源に遡り、御鎮座以前は傍に石清水寺が建立されており、本宮創建と同時に石清水寺は「護国寺」となったとされています。
    石造りの神明鳥居の石柱刻銘には、寛永13(1636)年、当時の京都所司代・板倉重宗の寄進により建てられたとあり、境内に完全な形で残る鳥居としては最古のものです。また、その銘文は松花堂昭乗の書であるということも判明しています。
    石清水は、厳冬にも凍らず大旱にも涸れない霊泉として、男山五水の中でも特に尊ばれ、往古より皇室および将軍家の祈祷にあたっては、この霊水を山上の本宮に献供するのを例としていました。その際、神前に供された石清水を「御香水」といいます。現在でも、当宮にて斎行される年間100余の祭典には、当日早朝に汲み上げられた「石清水」が必ず御神前に献供されています。
    (石清水八幡宮HPより)

  • 松花堂跡<br />表参道から影清塚の分岐点を右に上がり、石清水社へと向かう途中に江戸時代初期、松花堂昭乗(1584~1639)が営んだ「松花堂」という方丈の建っていた跡地があります。 <br />瀧本坊の住職であった松花堂昭乗は寛永11(1634)年以前に弟子に坊を譲り、泉坊に移って隠棲し寛永14(1637)年には泉坊の一角に方丈の草庵を結び「松花堂」と称したことから松花堂昭乗と呼ばれるようになりました。 <br />松花堂と泉坊の客殿は、明治初年のいわゆる「神仏分離」後もしばらく男山に残っていましたが、明治7(1874)年頃に京都府知事より「山内の坊舎は早々に撤却せよ」との厳命が下ったため、当時の住職が山麓の大谷治麿氏に売却し、幸運にも破却されずに残りました。<br />その後、幾度かの移築を経て、現在の松花堂庭園は昭和52(1977)年に八幡市の所有となり管理運営されています。<br />男山山内の「松花堂およびその跡」は昭和32年に国の史跡指定をうけましたが、平成24年1月には、その地を含む当宮境内全域が国の史跡に指定されています。<br />(石清水八幡宮HPより)

    松花堂跡
    表参道から影清塚の分岐点を右に上がり、石清水社へと向かう途中に江戸時代初期、松花堂昭乗(1584~1639)が営んだ「松花堂」という方丈の建っていた跡地があります。
    瀧本坊の住職であった松花堂昭乗は寛永11(1634)年以前に弟子に坊を譲り、泉坊に移って隠棲し寛永14(1637)年には泉坊の一角に方丈の草庵を結び「松花堂」と称したことから松花堂昭乗と呼ばれるようになりました。
    松花堂と泉坊の客殿は、明治初年のいわゆる「神仏分離」後もしばらく男山に残っていましたが、明治7(1874)年頃に京都府知事より「山内の坊舎は早々に撤却せよ」との厳命が下ったため、当時の住職が山麓の大谷治麿氏に売却し、幸運にも破却されずに残りました。
    その後、幾度かの移築を経て、現在の松花堂庭園は昭和52(1977)年に八幡市の所有となり管理運営されています。
    男山山内の「松花堂およびその跡」は昭和32年に国の史跡指定をうけましたが、平成24年1月には、その地を含む当宮境内全域が国の史跡に指定されています。
    (石清水八幡宮HPより)

  • 今では、お弁当の代名詞といえるほど知られている「松花堂弁当」。<br />その名前の由来は、石清水八幡宮にあった瀧本坊の住職を務めた昭乗が好んだ四つ切り箱が器の基になっています。<br />昭乗が、農家の種入れとして使われていた、箱の内側を十字に仕切った器をヒントに、茶会で使用する煙草盆や絵の具箱として使用したようです。江戸時代に遠州流の茶人が瀧本坊で行った茶会の茶会記に、「瀧本の墨絵」のある春慶塗の器が「瀧本好」のたばこ盆として記されています。<br />大正時代以降、昭乗の菩提寺である泰勝寺(京都府八幡市)では、同様の器がお斎(注1)の器として使われています。<br />昭和の初め、日本料理「」の創始者が松花堂の地を訪れ、昭乗の好んだ「四つ切り箱」を見そめ、器の寸法をやや縮め、縁を高くして、料理が、おいしそうに、美しく盛りつけできるように工夫を重ね、蓋をかぶせて、茶会の点心等にだされました。<br />器が十字に仕切られていることが大切で、煮物、焼き物、お造り、ご飯などの食材同士の味や香りが混ざらないため、それぞれのお料理がおいしくいただけるとともに美しく盛り付けすることができます。まさに機能と美しさを併せ持つ器です。<br />こうして作られた弁当は、四つ切り箱を好んだ昭乗に敬意をはらって「松花堂弁当」と名付けられ、同様のスタイルの弁当が「松花堂弁当」の名称で世に広まっていきました。400年も前に昭乗のアイデアによって利用された器が、現在も全国で利用されていることに、昭乗の、多才な才能が、後世の人々も引きつける発想力と美意識を備えていたことが「松花堂弁当」にも窺えます。<br />(松花堂庭園美術館HPより)

    今では、お弁当の代名詞といえるほど知られている「松花堂弁当」。
    その名前の由来は、石清水八幡宮にあった瀧本坊の住職を務めた昭乗が好んだ四つ切り箱が器の基になっています。
    昭乗が、農家の種入れとして使われていた、箱の内側を十字に仕切った器をヒントに、茶会で使用する煙草盆や絵の具箱として使用したようです。江戸時代に遠州流の茶人が瀧本坊で行った茶会の茶会記に、「瀧本の墨絵」のある春慶塗の器が「瀧本好」のたばこ盆として記されています。
    大正時代以降、昭乗の菩提寺である泰勝寺(京都府八幡市)では、同様の器がお斎(注1)の器として使われています。
    昭和の初め、日本料理「」の創始者が松花堂の地を訪れ、昭乗の好んだ「四つ切り箱」を見そめ、器の寸法をやや縮め、縁を高くして、料理が、おいしそうに、美しく盛りつけできるように工夫を重ね、蓋をかぶせて、茶会の点心等にだされました。
    器が十字に仕切られていることが大切で、煮物、焼き物、お造り、ご飯などの食材同士の味や香りが混ざらないため、それぞれのお料理がおいしくいただけるとともに美しく盛り付けすることができます。まさに機能と美しさを併せ持つ器です。
    こうして作られた弁当は、四つ切り箱を好んだ昭乗に敬意をはらって「松花堂弁当」と名付けられ、同様のスタイルの弁当が「松花堂弁当」の名称で世に広まっていきました。400年も前に昭乗のアイデアによって利用された器が、現在も全国で利用されていることに、昭乗の、多才な才能が、後世の人々も引きつける発想力と美意識を備えていたことが「松花堂弁当」にも窺えます。
    (松花堂庭園美術館HPより)

  • 影清塚<br />表参道と石清水社の方面へと向かう道の分岐点に位置し、祓谷という谷筋の流れが向きを変える曲水の所に当たり、その谷を隔てた向かい側には、かつて祓谷社というお社があり、現在は山上の祓所で行われている6月30日の夏越大祓と12月31日の年越大祓もここで行われていました。<br />かつて当宮へ参詣する人々は、この清水に己の影(姿)を写して心身を祓い清め、長く長く幾度も曲がる参道を上がるうちに心を整え、山上の本宮への参拝に臨んでいました。<br />(石清水八幡宮HPより)

    影清塚
    表参道と石清水社の方面へと向かう道の分岐点に位置し、祓谷という谷筋の流れが向きを変える曲水の所に当たり、その谷を隔てた向かい側には、かつて祓谷社というお社があり、現在は山上の祓所で行われている6月30日の夏越大祓と12月31日の年越大祓もここで行われていました。
    かつて当宮へ参詣する人々は、この清水に己の影(姿)を写して心身を祓い清め、長く長く幾度も曲がる参道を上がるうちに心を整え、山上の本宮への参拝に臨んでいました。
    (石清水八幡宮HPより)

  • 三の鳥居

    三の鳥居

  • 一ッ石<br />三ノ鳥居から本殿へと続く、馬場先と呼ばれる石敷の参道の三ノ鳥居付近中央にその箇所のみ自然石が露出している部分があります。この石は通称「一ッ石」「勝負石」「お百度石」などと呼ばれ、「一ッ石」「勝負石」は「五ッ石」(かつて、南総門下にあった)に対する呼称で、この石が走馬・競馬の出発点になっていたこと(終点が「五ッ石」)に由来するといわれています。「お百度石」はこの石が百度参り・千度参りの起点になっていたこと(蒙古襲来の折には人々が一ッ石と本殿を往復し「道俗千度参」を奉修した)に由来するといわれています。<br />江戸時代には、本殿参拝を終えた参詣者が一ッ石の前で再び本殿に向かい拝礼するという習わしがあったということも伝えられています。<br />(石清水八幡宮HPより)

    一ッ石
    三ノ鳥居から本殿へと続く、馬場先と呼ばれる石敷の参道の三ノ鳥居付近中央にその箇所のみ自然石が露出している部分があります。この石は通称「一ッ石」「勝負石」「お百度石」などと呼ばれ、「一ッ石」「勝負石」は「五ッ石」(かつて、南総門下にあった)に対する呼称で、この石が走馬・競馬の出発点になっていたこと(終点が「五ッ石」)に由来するといわれています。「お百度石」はこの石が百度参り・千度参りの起点になっていたこと(蒙古襲来の折には人々が一ッ石と本殿を往復し「道俗千度参」を奉修した)に由来するといわれています。
    江戸時代には、本殿参拝を終えた参詣者が一ッ石の前で再び本殿に向かい拝礼するという習わしがあったということも伝えられています。
    (石清水八幡宮HPより)

  • 青少年文化体育研修センター

    青少年文化体育研修センター

  • エジソン記念碑<br />八幡の竹を使っての白熱電球の長時間点灯、実用化に成功した世界の発明王エジソンとのゆかりにより、昭和9年当宮境内の隣に「エジソン記念碑」が建立されました。そして昭和33(1958)年には現在の位置に移転され、昭和59(1984)年にはデザインを一新し建て替えられました。<br />当宮ではその遺徳を偲び、毎年エジソンの誕生日と命日に、日米両国の国歌奉奏と国旗掲揚を行うエジソン生誕祭・碑前祭を斎行しています。<br />また記念碑の前には、当宮とエジソンと電気のゆかりに因み、電気自動車等専用充電スタンドを設置しています。<br />(石清水八幡宮HPより)

    エジソン記念碑
    八幡の竹を使っての白熱電球の長時間点灯、実用化に成功した世界の発明王エジソンとのゆかりにより、昭和9年当宮境内の隣に「エジソン記念碑」が建立されました。そして昭和33(1958)年には現在の位置に移転され、昭和59(1984)年にはデザインを一新し建て替えられました。
    当宮ではその遺徳を偲び、毎年エジソンの誕生日と命日に、日米両国の国歌奉奏と国旗掲揚を行うエジソン生誕祭・碑前祭を斎行しています。
    また記念碑の前には、当宮とエジソンと電気のゆかりに因み、電気自動車等専用充電スタンドを設置しています。
    (石清水八幡宮HPより)

  • 石清水八幡宮の交通安全ステッカー800円、山上山下のまち、八幡200円

    石清水八幡宮の交通安全ステッカー800円、山上山下のまち、八幡200円

  • 楊谷寺の竹しおり300円、慈眼飴400円

    楊谷寺の竹しおり300円、慈眼飴400円

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