2017/06/14 - 2017/06/14
294位(同エリア382件中)
むしころさん
以前から行きたいと思っていたのですが電車でも自動車でも遠くてなかなか実行に移さずにいたのですが
連休が取れたので、ふと行ってみようという気になったのでした。
前日に成田に泊まって大好きな新勝寺の朝のお勤めに行って
翌日に大多喜へ。
大多喜方面に行く道はわりと交通が流れていて小山を越えたり両側田んぼや畑だったりして、味気ない街中を走るよりずっとよかったです。
お土産に地元の和菓子と忠勝さんのストラップを買って帰ってきました。
大河ドラマの実現を求める署名運動もしてました。実現したらいいな。役者は誰がいいかな??
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6月13日 15:40に成田に着いた。
コンフォートホテルに荷物を預けて
新勝寺にお参りへ
すると、、雨がポツポツ降ってきた!!
あああ傘ホテルに忘れた!!!それでも断行。
お寺に着いて庭園を歩いていると木が雨をさえぎってくれました。成田山新勝寺 寺・神社・教会
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小雨の中の庭園もいいもんだ。
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4時に近くて平和大塔はもう閉まっていたので庭園だけ見て帰った。
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翌日。車で大多喜へ。途中でいつの間にか南に行ってるはずなのに北に向かっててちょっと時間のロスが・・・
今の時刻は11:39です。9時くらいに出発したから、2時間40分くらいかかった。
観光案内所でマップもらって、墓所までは歩いていくといいと教えてもらえました。大多喜町観光本陣 名所・史跡
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で、歩いて墓所へ。
途中でなぞの石像が・・・ -
良玄寺
ここにお墓があるらしい、 -
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忠勝様だ・・・
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憩いの広場。トイレあり
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広場を過ぎるとお墓があります。
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右から忠勝さまの奥方、忠勝さま、息子の忠朝さま。
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つぎは大多喜城へ!
やや登る。
徒歩20分くらいで本丸まで行けるらしい。 -
大多喜水道
最後の大多喜城主、松平正質(まさただ)の頃に水道の工事が具体化されて、明治2年(1869)11月に工事開始、翌年の5月に完成。
この水道のおかげで城下の200戸が水を確保、灌漑用水としても20ヘクタールほどの農地を潤したそうです。
ちなみにここの近くにお城見学のお客様用の大きな駐車場があります -
どれどれ覗いてみるか。。。
向こう側がみえるぞ。 -
千葉県立中央博物館。大多喜城分館。
休館日は月曜日です。(祝日の場合は開館して翌日が休み。よくあるパターン)あと年末年始もお休み。
開館時間は9:00から16:30(入館は16:00まで)
ここからしばらく歩いて登っていくと博物館に着きます。 -
大多喜城の案内。
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空堀の説明がある。
でもどれが空堀なのかよく分からなかった・・・ -
二の丸公園広場
ここは本丸の西側なのですが、東側にある高校がある場所がかつての二の丸だったはずなので、何で二の丸公園なのか疑問。。。 -
ちょっとした憩いの場になってました。
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二の丸広場の横の小高いところに登ると鐘があります
でも鐘はつけないようになっていた。。 -
で、本丸
現在博物館になっているお城は昭和50年に復元したものです。
博物館内は撮影禁止。
中で学んだこと↓↓↓
大多喜城は、いつ誰が最初に築城したのかはよく分かっていないそうです。
16世紀の前半くらいに真里谷城(まりやじょう)を拠点にしていた武田信清が在城していたのではないかといわれています。(この近くにある東長寺や舟子八幡神社に伝承があるらしい)
そのあと安房の里見氏の重臣だった正木時茂が、天文13年(1544)刈屋川合戦で武田氏を破り、入城。天文14年。ここは里見の東上総地域侵攻の最前線だったらしく、重要なお城だったらしい。
また正木氏は北条対策として里見氏を代表して上杉謙信などと交渉もしているそうだ。そして、正木氏が4代つづき、、
天正18年(1590)、本多忠勝さま入城
その後本多氏が3代続いて、
元和3年(1617)から元禄16年(1703)までの間
阿部→青山→阿部→阿部→稲垣って続いて
元禄16年に松平氏がきて明治4年まで続きました。
あと刀剣と鎧が展示されていました。展示品はそれほど多くないけど勉強になりました。 -
本丸は一部土塁で固められておりました。
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うまく伝わらないけど、これ土塁。
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復元天守の瓦に本多と松平の家紋が用いられております
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分かりにくいのですが、上に本多家の家紋で、下に松平家の家紋があります。
千葉県立中央博物館大多喜城分館 美術館・博物館
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本丸の東側は塀があった。
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そしてここから下の二の丸(今、高校になっている)にいけます。
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ここには大きな大きな井戸があります。
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背伸びして撮ったけど、切れた。。。
上の本丸から撮ったほうが良かった。 -
薬医門
これは天保13年に火災があってそのあとに建築された二の丸御殿の門。
明治4年の廃藩で小高半左衛門に払い下げられたのですが、大正15年に曾孫の小高達也さんが大多喜中学校の校門として寄贈。昭和40年代に高校の新校舎を建設するということで一旦解体保存され、昭和48年に中村茂氏の復元設計によって建造されたそうだ。上総大多喜城薬医門 名所・史跡
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縄張り図によると二の丸からさらに東が三の丸なのでとりあえず東に向かって歩いてみた。
神社があった。 -
八幡神社だって。
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で、八幡神社を東にでたら大手門跡がでてきた!!
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跡が全く分かりません。
でもここにあったらしい。 -
大手門からでたら駅と線路があった。
線路を越えるためにちょっと離れたところにある踏切まで行かなければならなかったのでした。 -
交差点にあったまちの観光マップ
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これが城下町通りだ!!
静かだな、平和だな。 -
で、観光案内所に戻ってきた。今の時刻は13:33です。
マンホールだ。最近マンホール撮るの流行っているらしいな。
結構凝ってる、色もくっきり。大多喜町観光本陣 名所・史跡
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で街を出て北上。
のどかな風景が続く。
こういう田んぼがいっぱいあって本多さま大多喜10万石が実現したのかな。 -
しばらく北上して八街市のあたりまで来た。
このあたりに根古屋城跡があるらしいので探してみました。
お山と田んぼがいっぱいで案内標識も無いからナビに根古屋っていう地名がでてる付近をうろうろしてみました。
すると法宣寺というお寺があり、
このお寺の説明のところに根古屋城主のことが書いてあるから、この近くで間違いないと思う!! -
折角だからお寺をお参りしていこう
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中からお経が聞こえてきた、後、話し声
法事でもやってるのかな?? -
で法宣寺の南東側にある小山がそうだった!
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今は神社
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土塁だ
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穴が開いてる
井戸の跡だったりして?? -
さらに進むとこんなだった。
城跡に民家とか建っているので全体像がよく分からなかったです。 -
根釈迦だって
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なるほど~
こういう根釈迦もあるんだなあ。
あとはひたすら運転して帰ったのでした。おしまい。
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