2015/02/24 - 2015/02/24
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junemayさん
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うんだもこら いけなもんや
あたいどんが 茶碗なんだ
日に日に三度も洗(あ)るもんせば きれいなもんごわんさ
茶碗についた虫(む)じゃろかい
目籠(めご)など蹴あるく 虫(む)じゃろかい
ほんにげんねこっじゃ ワッハッハ
以前勤めていた会社には多くの鹿児島人がいて、これは、今でも付き合いのあるそのうちの一人から習った「茶碗蒸しの歌」の歌詞です。客人が食堂に入り、茶碗蒸しを注文したところ、店の主人が茶碗蒸しを知らず、「茶碗に虫がついていましたか? 茶碗は日に三度も洗っていて綺麗なはずなのに、籠につく虫が入ったのかな。まことに恥ずかしい限りで。」と謝ったという歌詞だったと記憶しています。耳で聞く限りにおいては、全く意味が分からないのですが、単純な節回しなので、あっという間に覚えて、わらべ歌のように始終口ずさんでいました。変われば変わるね日本語! というのが正直な気持ちでした。
今回旅の目的地を鹿児島にしたのは、日本の端っこに展開された独自の文化を肌で感じたかったから と言うと大げさですが、単純に、鹿児島にしかないものを沢山見つけたいと考えたからでした。さあ、「茶碗蒸しの歌」をいくつ見つけられたでしょうか??
2/19鹿児島 桜島
2/20西大山 指宿
2/21鹿児島
2/22鹿児島
2/23鹿児島 知覧
★2/24串木野 鹿児島
いよいよ最終日。この日の予定は最後まで決まりませんでした。九州新幹線に乗って出水まで行き、肥薩おれんじ鉄道に乗るというプラン、霧島神宮を訪れるプラン等が有力でしたが、直前で一番手ごろな串木野でつけ揚げとマグロラーメンを試すプランが浮上し、残った時間で鹿児島市内の南洲墓地を訪れ、帰り間際にシロクマ体験をすることに決定。B級グルメばっか!?
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JALグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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毎日同じような石碑を写していますが、せごどん誕生の地石碑はまだ写していなかったような記憶。兄弟なので当然のことですが、その脇に弟西郷従道の誕生の地の石碑もありましたよ。
生花が供えられています。プラスティックのバケツであるところがちと寂しい。 -
鹿児島滞在中、毎日のように渡った甲突川に架かる木造の橋南洲橋も渡り締めです。最初の2日間を除き、お天気はイマイチで、曇りがちの日々が続きました。今日の桜島もモワ~ンとしています。鹿児島到着の日に最高のナイスボディを見せてくれたんですねえ。
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鹿児島中央駅から川内行きに乗り込みます。先頭部分が漆黒ですよ。鹿児島(というよりJR九州)って黒い車体が多いなあ。「指宿の玉手箱」は白黒だったし、隣のホームに見える「はやとの風」、肥薩線吉松駅と鹿児島中央駅とを結ぶ特急ですが、こちらも黒。金のエンブレムが良く映えます。
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乗り込んだ普通列車 交流近郊形電車817系の車内です。ガラス張りボックスは運転台かしら? フォームが美しいですね。
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ゆったりとしたクロスシート。背もたれはなんと革張りでした! 特権階級である特急列車ではなく、庶民の足であるワンマンカーにお金をかけているって良いですねえ。
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鹿児島中央9:29発の列車は10:06串木野駅に到着! 一面ガラスブロックのモダンな駅舎は2008年から使われています。
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串木野駅前には、鹿児島本線生みの親である長谷場純孝氏の胸像と後ろに見える蒸気機関車の動輪が並んで設置されていました。愛称をハチロクというこの蒸気機関車68660号君は、大正から昭和にかけて50年間鹿児島本線を走り続けたツワモノだったそうですよ。
長谷場純孝は、1854年(安政元年)串木野麓の郷士の家に生まれ、鹿児島県議員を経て衆議院議員、衆議院議長、文部大臣などを歴任した郷土の英雄です。鹿児島本線敷設の立役者で、鉄道の国有化法案を提出した人としても知られています。 -
お定まりのマンホール見っけ! 串木野市は 2005年に市来町と合併していちき串木野市となりましたが、これは旧串木野市時代のマンホールです。
中央に市章。周りに市の春の花であるパンジーと秋の花サルビアが交互に並んでいました。 -
駅前のおとなしめの商店街を横目に海の方向に進みます。ピンク色の壁のヘアサロンは結構目立っていました。
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民家の庭先に咲いていた、この強烈な色をした多肉植物は「不死鳥」。なんでも葉の先端に子が沢山できて、いくらでも増えるので不死鳥という名前がついたのだそうです。
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オレンジに近い赤い花も沢山咲いていました。最低気温が零下にならない暖かい地方では戸外で冬越しも可能とか。
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串木野と言えば昔から遠洋マグロ漁業で栄えた町。船で冷凍したマグロを直売しているお店があるというので訪ねたのですが、想像していた海産物問屋のような建物とは全く異なる雰囲気の「水産会社」でした。この時間から冷凍マグロ下げて歩くわけにもいかないし、結局眺めただけで出てきてしまいました。
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他にも漁協が出店するお店があったのですが、個人用の土産物店という雰囲気がまるで感じられなかったので退散。これは勝手が違いましたよ。観光客が来るような場所ではなかったみたい。完全に下調べ不足ですね。
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漁協の近くにあった恵比寿神社。境内には串木野の漁業発展に貢献したとされる漁協関係者の石碑がありました。
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マグロの水揚げ港らしい景色と言えば、こちらの急速冷凍工場。でもマグロは船内で冷凍されて水揚げされるんでしょう。こちらの工場では何を冷凍するのかしら?
通りがかりの人に尋ねたら、漁協直営のマグロ、地魚専門店は串木野駅の北側にあるんですって。そういうお店は、普通海の傍にあるものでしょうって文句言っても始まらない・・・ -
仕方がないので、この港を跨ぐ大きな橋を渡って、串木野名物の勘場かまぼこ店の見学に行くことにしました。
さつま揚げの中でも少し甘めの串木野のさつま揚げは、「つけ揚げ」と呼ばれています。豆腐と地酒が入ることも特徴かな。 -
眼下に見下ろす串木野の町。今にも降りだしそうな空模様ですねえ。
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長~い橋を渡って、ようやくたどり着いた勘場かまぼこ店。お店の人に許可を得て、見学者用通路からかまぼこづくりをじっくり見学。
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工場内は機械が動いていない、または遠すぎるという、言い訳ですがろくな写真が撮れなかったので、代わりにこのポスターで雰囲気だけでも伝えようかしら。
つけ揚げは、アジ、サバ、鯛、エソ等の魚をすり身にし、前述の豆腐と酒を加えて二度揚げされた後、階段状の「脱油機」で油抜きをし、「放熱機」に運ばれ、「冷却器」で冷やされます。 -
こちらは、紅白の板かまぼこの最終工程のよう。
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竹輪の袋詰め作業中。
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突然近くの扉が開いて、従業員の方が持ってきてくださった熱々のつけ揚げがめちゃくちゃ美味でしたよ。
今までどちらかというと、甘いかまぼこは苦手だったのですが、ここで試食してすっかりつけ揚げのファンに。はるばる串木野まで来た甲斐がありました。 -
かまぼこ工場の隣には、赤兎馬(せきとば)、鼈(すっぽん)等の芋焼酎で有名な濱田酒造もあり、こちらも見学できたのですが、昼間っから芋焼酎飲んだら東京に帰れなくなりそうなので遠慮しました。
さあ、これからどこに行こうか? -
いちき串木野と言えば、鹿児島中央駅前にある「若き薩摩の群像」の主人公たち、薩摩藩が送った19人の英国留学生たちが出港した港 羽島があることでも知られていますが、串木野から車で15分。しかし車以外に移動手段がないんですよねえ。
現在羽島港には、薩摩藩英国留学記念館なる博物館が建てられているそうですが、公共交通機関が少なくて、残念ながらここもパスせざるをえませんでした。
行けばなんとかなると思って来てしまったのですが、なんとかならない! -
徒歩以外の交通手段を持たない私がやってきたのは、串木野港を挟むような形で海に突き出している長崎鼻公園。
ちょっちょっとぉ! 鹿児島に長崎鼻って多すぎませんか? これで3つ目ですよ!! -
冬のせいか、寂しげに見えるプールがありました。半分海の中にいるようなプールで、夏ここで泳いだら気持ちが良いでしょうね。その先の松林とアーチが開いた岩礁も風情がありますね。
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海抜7mの下に書かれた、川内原発より15.7kmというのはインパクトあります。
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徐福伝説はご存知ですか? 私は和歌山県新宮市でも徐福像を見たことがありますが、全国津々浦々、北は青森から南は鹿児島まで徐福に纏わる伝承があると聞いています。
徐福は、秦の始皇帝の命を受け、不老不死の霊薬を探しに3000人の童男童女、技術者らと共に大船団で東に向けて船出。広い平野と湿地を得て、王となり戻らなかったという記述が司馬遷の記した「史記」に出てきます。
中国から東に向けて船出すれば、到着するところはずばり日本ですよね。串木野には、徐福がここに上陸し、市内にある冠嶽(かんむりだけ 標高516m)に登り、自分の冠を奉納したという伝説が残されています。
どうやらこの辺りに上陸した模様ですぞ。 -
奇妙なものが見えてきましたよ。天春丸と書かれたコンクリート製の船のようですが、どなたが一体何のためにこしらえたのでしょう???
昭和30年代に串木野で活躍した木造の39t型マグロ(延縄)漁船の中に天春丸というのがありましたが、もしかしてその記念碑??? -
長崎鼻公園の次に向かったのは、照島です。照島神社の赤い鳥居が出迎えてくれました。ここは串木野のパワースポットだそうです。
残念ながら「照島 海の駅」は本日お休みで、目的の一つだった「マグロラーメン」にはありつけませんでした。 -
赤い手摺の太鼓橋を渡って照島へ。
昔、山中どんという漁師が朝から一匹も捕れず困っていたところ、不思議な形の小舟を目にした途端、とれるわとれるわ大漁となった。いつの間にか姿が見えなくなった小舟は、翌日も夕方に現れ、その翌朝照島の横に流れ着いていた。照島の他の漁師も同様のできごとを次々と経験したため、一同集まって相談し、その小舟を島の守り神として祀ることになった。 -
これが照島神社の誕生に纏わる伝説だそうです。
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神社の鳥居は、船着き場に立っていて、そこから急な階段が上へと続いていました。
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階段に向かって左側にあったのは、薩摩焼開祖着船上陸記念碑なるもの。1598年(慶長3年)12月、島津義弘、忠恒親子は文禄、慶長の役の後、朝鮮の陶工70余名を連れて凱旋しましたが、そのうち鹿児島に行くことを拒んだ43名が照島へ上陸し、ここで焼いたのが薩摩焼の始まりとされています。
鹿児島に行くのを拒んだって、一体どういう意味でしょう? これ以上の詳しい解説が得られなかったのです、幾分消化不良気味です。 -
それでは、この急な階段をのぼってみることにしましょうか・・・距離はたいしたことありません。
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途中に会ったのは、狛犬ならぬ「唐ねこどん」です。まあ、あまり変わり映えしませんが、猫に見えなくはない。朝鮮からの陶工達の寄進だと言われているそうですよ。
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こう言う顔の狛犬もいますけれどねえ・・・
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照島神社拝殿です。日本書紀には、照島で蛭子神(恵比寿様)が魚釣りを楽しんだというくだりがあるそうですよ。ご祭神は恵比寿様の他、大国主命(大黒様)、大山積命(山の神)等でした。
社殿は意外に小さく粗末で、夢とロマン、伝説の宝庫という雰囲気からほど遠い存在でした。 -
気を取り直して、照島探検とまいりましょう。難しい漢字の驪龍巌(りりょうがん)はこちらという矢印を頼りに進んでいきます。
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「遊動木」なにこれ? まさか勝手に動く木のこと? と興味津々で追いかけたら、遊動円木の略でただの大型の遊具でした。がっくし・・・
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照島から見た串木野の美しい海岸線です。徐福が上陸したとされるのもこの辺り。長い航海の果てに、この景色を見たら何が何でも上陸したくなりますね。
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驪龍巌(りりょうがん)到着です。雄淵と雌淵の2つが並んでいます。
1790年(寛政2年)にこの地を訪れた薩摩藩主島津家26代斉宣は、「まさにこれは、玉を抱いてうずくまる龍の姿である」と言い、驪龍巌と命名。雄淵の上にある巨巌にその文字を彫刻させたそうですが、え~! どこにあるか分かりません!! -
もしかしたら、雌淵だけ写して、肝心の雄淵を撮り損ねたかしら? なんともお粗末!! しかしながら海水が緑色に輝いて美しかったのはこちらの淵でしたよ。上の写真を見ても、うずくまる龍の頭に見えなくはない・・・
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照島の反対側からは、先ほど訪れた長崎鼻公園を見渡すことが出来ます。
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東西250m、南北100mの狭い照島を一周して、赤い太鼓橋の所に戻って来ました。誰に会うこともなく、パワースポット照島を独占して参りましたよ。
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良い味出している民家の写真を撮りつつ、そろそろ鹿児島に戻ろうかなとバス停を探します。
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「酔之尾」と書いて「えのお」と読むバス停発見。1時間に1本くらい鹿児島行きのバスが走っていました。ほっと一安心。
でもまだ肝心のマグロラーメンを食べていないので時刻だけ調べて国道3号線沿いにラーメン店を探しに参りやしょう。 -
苦労して地元の人を見つけ出して、なんとかラーメン店の場所を聞き出しました。鹿児島ラーメンみその食堂。ラーメン屋だけれど、カウンターの上にはずらりと並んだ地元産の焼酎。夜はから揚げや餃子をつまみに居酒屋になるのかしら???
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待ってましたよ。マグロラーメン。マグロと野菜をじっくり煮込んだベースに、かつおと昆布からとった出汁を合わせ、秘伝のタレを加えたスープはあっさり味。麺はこのスープに相性抜群な縮れ麺。
やってきた時はこんな感じでしたが、すぐにマグロの色が変わります。 -
マグロを生で食べたい人は、写真なんぞ撮っている暇はないですからね。マグロの油が浮いていますが、途中で右に見えているわさびをスープに混ぜると、あら不思議。まろやか! ちびちび飲んでいたら、とうとう飲み干してしまいましたよ。
串木野は地味だけれど美味しい町でした。 -
帰りは串木野の一つ先のJR駅神村学園前からバスで鹿児島市内に戻りました。途中の車窓から1枚。柑橘類が豊富な専門店の店先です。大小さまざま、色も様々な柑橘類がずらりと並んでいる姿は壮観でした。
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ボケてますが、同じく車窓から、鹿児島に帰る途中の日置市で見た看板。
こけけ湯之元??? 軽トラ朝??? 意味不明で、大変悩みました・・・
実は、こけけ とは鹿児島弁で「こっちへいらっしゃい」という意味で、湯之元というのは温泉施設の名前ですって。軽トラ朝の下には「市」が隠れていたみたい。朝市の宣伝看板だったんですね。現在は日置市となっている旧東市来町は、至る所に、「こけけ」という文字が溢れていましたよ。ここにはこけけ王国があって、かつては町長が王国の王様、町役場が宮殿を兼ねていたのだとか。合併でどうなったのかしら?
かごんまは茶碗蒸し いや、茶碗虫が一杯ですねえ。 -
鹿児島市内に戻って、最後の訪問地となる南洲墓地に向かいます。ご存知せごどんを始めとする西南戦争での西郷軍方の戦死者が眠る場所です。
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ここからは階段。墓地は桜島を臨む丘の上にありました。西南戦争終結から2年後の1879年(明治12年)、市内5か所に仮埋葬されていたせごどんらの遺体はここに移され、その後、西南戦争の戦場となった九州のあちこちに散らばっていた西郷軍兵士の遺体も集められて、計2023名が葬られる一大墓地となりました。
官軍側の墓地が祇園之洲公園、そして西郷軍側が南洲墓地。 -
その後せごどんを崇敬して墓に詣でる人が次第に増え、1880年(明治13年)、墓地の隣には参拝所が設けられました。この参拝所が南洲神社という名称に代わったのが1922年(大正11年)のこと。
興味深いのは南洲神社が鹿児島市の他に沖永良部島和泊町(せごどんはこの島に流されたことがある)宮崎県都城市、そして山形県酒田市に分社があることです。
酒田市のそれは1976年(昭和51年)に創建されたもので、戊辰戦争で新政府軍にひどく抵抗した庄内藩に対する処分が西郷隆盛らによって寛大に行われたことに感銘を受けた前庄内藩主 酒井忠篤らによって脈々と受け継がれたものだと言えます。庄内藩は、西南戦争の際も、旧庄内藩士を兵士として西郷軍に参加させています。 -
余りに沢山の墓石が並んでいて、少々どぎまぎしましたが、まずはやはりせごどんの墓から詣でることにしましょう。
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いつも新しい花が供えられていて、絶えることがないそうです。
岩崎谷のおくつきは
煙の香にて絶間なく
上野の山の銅像は
百千の人に仰かるる
墓碑前の石碑の銘にはこう書かれていました。岩崎谷とは、せごどん終焉の地です。せごどんの戒名は南洲寺殿威徳隆盛大居士だそうです。 -
上野の銅像の原型かしら? せごどんが少々細すぎる気がしますねえ。
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こちらは南洲神社内にあった座像です。背後には「敬天愛人」と描かれた額が飾られていました。
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西南戦争終結120余年を記念して、2001年(平成13年)に建てられた慰霊塔ですって。慰霊塔の周りには、南州翁や戦跡より集められた「縁ゆかりの石」が置かれ、翁の足跡や苦難の跡を偲ぶよすがとしているそうです。
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こちらの電燈は、旧集成館が制作した数少ない遺構の一つで、1913年(大正2年)に建設されたものです。国の登録有形文化財に指定されています。
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ほらっ! 六角形の柱脚部分に、製作年月、そして集成館製作の文字が刻まれていますよ。
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ずらっと並ぶ墓の間を巡ります。
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個人名の墓もあれば、こちらのように9人連名の墓もあります。士族という文字が物悲しい・・・
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様々な石が使われているのが見て取れます。
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竹を象ったような形の「献燈」が2本見えますが、今まで見たことのないものでした。よその地で、ヒサカキのような葉を竹筒に入れてお供えしているのを見たことがありますが、ここは石のオンパレードです。
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連合大隊長別府晋助景長の墓。城山から岩崎谷口に向かう途中で銃弾を受けたせごどんが、自ら命じてその介錯を務めさせた人物です。
ここにも竹筒のようなものがペアで並んでいました。これもかごんまでしか見られないものかしら?
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竹筒に凝りだしたら、こればっか!! 面白いでしょう?
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こちらは、せごどん没後100年を記念して建設された南洲顕彰館です。
市民からの募金で造られましたが、現在は鹿児島市教育委員会が主管しています。いわばせごどん専用の博物館ですね。主な展示品は、せごどんの生涯を10のジオラマに仕上げたもの、遺品、書簡、西南戦争関連の資料などで、過言間の人々のせごどんへの深い思いが伝わってきます。「祖国の英雄」として、今もなおこんなに親しまれている人物を私は他に知りません。 -
墓地より更に階段を上ると、海が見えてきます。沖に浮かんでいるのは、鹿児島到着初日にも写した沖小島(おこがしま)です。
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そしてせごどんも見たかったであろう桜島の雄姿に臨むことが出来ました。相変わらずどんよりと曇っていて、眺めとしてはイマイチですねえ。
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更に階段が上へと伸びているので、行ってみましたが、
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どなたかの戒名が書かれた石碑が一つぽつんと建っていただけなので、引き返します。
ここで不思議な鹿児島市在住の若い女性と会いましたよ。仕事帰りにふらっと寄ったそうで、定期的にせごどんの墓には詣でるのだそうです。かごんまでは珍しい事ではないようで、老いも若きも墓詣でをするのが日常的な習慣だと言ってらしたのが印象的でした。 -
墓で会った見知らぬ女性のご厚意で市の中心部まで車で送って頂き、あっという間に天文館に戻ってきました。最終フライトまではまだまだ十分時間があります。
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というわけで、お待ちかねのしろくまカフェタイムです。さんざん悩みましたが、大きなサイズは食べきれないとみて、スタンダードな「白熊」のベビーサイズを注文。これでもでかい!!
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食べるのが勿体ない!! と言いながら食べだしたら止まりません。
これなら、レギュラーサイズでも十分行けたかも。 -
かまくらの中でシロクマ君達が冬眠中の「冬ごもり」にも惹かれました。ところで、シロクマが冬眠するって、聞いたことありませんよね。冬は彼らが最も得意とする季節のはずですものね。
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かごんま最後の味シロクマを堪能して外に出ると、結構よい時間になっていました、
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ほらっ! 鹿児島中央駅隣の観覧車も見納め。5日間毎日楽しい茶碗虫の発見が続いたかごんまの旅もこれにて終了。
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おまけ。
最終便なので、夕食は機内持ち込みのバッテラ&焼サバ寿司と相成りました。充実した日々にお茶で乾杯!! 最後までお読みいただきありがとうございました。
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