小諸・御代田旅行記(ブログ) 一覧に戻る
 2010年の諏訪の御柱祭を見に行って以来、1年間に2~4回位信州を訪れています。以前は松本駅を拠点に中央本線沿線の散策、一昨年あたり前から長野駅を中心に北国街道の所々を訪れる回数が増えました。しばらく、この街道を追いかけることになりそうです。そして、今回は小諸です。

懐古園と小諸の街を少々

37いいね!

2017/05/14 - 2017/06/14

122位(同エリア1060件中)

旅行記グループ 2017年5月 長野

0

32

ひよどり

ひよどりさん

 2010年の諏訪の御柱祭を見に行って以来、1年間に2~4回位信州を訪れています。以前は松本駅を拠点に中央本線沿線の散策、一昨年あたり前から長野駅を中心に北国街道の所々を訪れる回数が増えました。しばらく、この街道を追いかけることになりそうです。そして、今回は小諸です。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
グルメ
5.0
交通
3.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
JRローカル
  •  駅前の「停車場ガーデン」です。市民NPOによって管理されている小諸市の公園です。300種の季節の草花が市民の手によって育てられているそうです。

     駅前の「停車場ガーデン」です。市民NPOによって管理されている小諸市の公園です。300種の季節の草花が市民の手によって育てられているそうです。

  •  駅前が公園。気持ちのいい空間です。

     駅前が公園。気持ちのいい空間です。

  •  明治時代の鉄道施設。公園内にあります。この保存建物の脇の地下通路を抜けると「懐古園」の正門、小諸城の三の門に出ます。

     明治時代の鉄道施設。公園内にあります。この保存建物の脇の地下通路を抜けると「懐古園」の正門、小諸城の三の門に出ます。

  •  三の門を潜り、左側から見上げての撮影です。撮影場所はWCのそば、門を鑑賞するには風情がない所です。この角度からの写真が紹介されることも少ないようです。この額と扉の家紋(牧野家?)を見ずに通り過ぎてしまうのはもったいないような気がします。額面、「明治十五年二月」は読み取れましたが、以下、「小諸城主牧野?」…解説が欲しかったです。

     三の門を潜り、左側から見上げての撮影です。撮影場所はWCのそば、門を鑑賞するには風情がない所です。この角度からの写真が紹介されることも少ないようです。この額と扉の家紋(牧野家?)を見ずに通り過ぎてしまうのはもったいないような気がします。額面、「明治十五年二月」は読み取れましたが、以下、「小諸城主牧野?」…解説が欲しかったです。

  •  復元された二の丸の石垣。旧石垣の積み石は、明治4年に北国街道整備に使われ消失、昭和59年に、当時の石より大きな石を用いて復元したそうです。30数年の歴史しかありませんが、自然石が放つ存在感には圧倒されます。<br /> 石垣に沿って坂を登り、二の丸御殿跡に向かいます。

     復元された二の丸の石垣。旧石垣の積み石は、明治4年に北国街道整備に使われ消失、昭和59年に、当時の石より大きな石を用いて復元したそうです。30数年の歴史しかありませんが、自然石が放つ存在感には圧倒されます。
     石垣に沿って坂を登り、二の丸御殿跡に向かいます。

  •  二の丸御殿跡への石段。

     二の丸御殿跡への石段。

  •  二の丸石段を登ると、上田合戦時の徳川軍の本陣跡です。真田親子に足止めされた徳川秀忠が逗留した場所です。躑躅と新緑の木々、眼下の小諸の町を眺めた後、南の丸に向かいました。

     二の丸石段を登ると、上田合戦時の徳川軍の本陣跡です。真田親子に足止めされた徳川秀忠が逗留した場所です。躑躅と新緑の木々、眼下の小諸の町を眺めた後、南の丸に向かいました。

  •  南の丸「鶯石」。領主が通ると鳴いたという話が伝わっているそうです。<br /> 写真左奥突き当たりが二の丸。二の丸から続くこの道を進むと黒門橋・本丸跡・天守台に至ります。<br />

     南の丸「鶯石」。領主が通ると鳴いたという話が伝わっているそうです。
     写真左奥突き当たりが二の丸。二の丸から続くこの道を進むと黒門橋・本丸跡・天守台に至ります。

  •  南の丸の石段と石垣。

     南の丸の石段と石垣。

  •  南の丸の石垣。<br /> 不定形、不規則な石の組み合わせが自重と裏込め土で400年以上、その姿を保っています。

     南の丸の石垣。
     不定形、不規則な石の組み合わせが自重と裏込め土で400年以上、その姿を保っています。

  •  南の丸、北側の景色。写真コの字状の部分が登ってきた石段、道を挟んだ対面が北の丸跡です。

     南の丸、北側の景色。写真コの字状の部分が登ってきた石段、道を挟んだ対面が北の丸跡です。

  •  南の丸、南側の景色。<br /> いきなり断崖です。石段登って数メートル先が谷、「?」。<br /> 実は「穴城」も「田切地形」と言った言葉も知らず懐古園に来ました。勝手に市民の憩う芝生の城址公園のイメージを描いていたので、深い谷の出現に衝撃を受けました。

     南の丸、南側の景色。
     いきなり断崖です。石段登って数メートル先が谷、「?」。
     実は「穴城」も「田切地形」と言った言葉も知らず懐古園に来ました。勝手に市民の憩う芝生の城址公園のイメージを描いていたので、深い谷の出現に衝撃を受けました。

  •  黒門橋から見た峡谷。<br /> 南の丸の南側の紅葉谷は東西方向に伸び、この谷はは南北方向に走ります。更に、天守台の北側藤村記念館の北側には東西方向の北谷が刻まれております。天守は西側を千曲川、北東南を深い谷で劃された島状の地に築城されたことがわかります。<br /> 激しい豪雨などの水流が、浅間山連峰の噴火に伴って堆積した火山灰を浸食し、切り立った崖に囲まれた小さな台地を幾つも形成しました。その地形を田切地形と呼ぶそうです。

     黒門橋から見た峡谷。
     南の丸の南側の紅葉谷は東西方向に伸び、この谷はは南北方向に走ります。更に、天守台の北側藤村記念館の北側には東西方向の北谷が刻まれております。天守は西側を千曲川、北東南を深い谷で劃された島状の地に築城されたことがわかります。
     激しい豪雨などの水流が、浅間山連峰の噴火に伴って堆積した火山灰を浸食し、切り立った崖に囲まれた小さな台地を幾つも形成しました。その地形を田切地形と呼ぶそうです。

  •  いよいよ天守台に向かいます。

     いよいよ天守台に向かいます。

  •  北東側から見た天守台。

     北東側から見た天守台。

  •  天守台西面。

     天守台西面。

  •  天守台とそれに続く石垣。

     天守台とそれに続く石垣。

  •  天守台・本丸跡への石段。<br /> 本丸跡には懐古神社や鏡石、勝海舟の碑などがあります。

     天守台・本丸跡への石段。
     本丸跡には懐古神社や鏡石、勝海舟の碑などがあります。

  •  天守台から、浅間山を望む。

     天守台から、浅間山を望む。

  •  富士見台展望台から。<br /> 城跡を後にして千曲川の風景を見に行きました。<br /> 懐古園には展望台が2カ所あります。どちらも天守・本丸のある島状台地の突端部に設けられております。こちらは紅葉谷と千曲川に、もうひとつの「水の手展望台」は、北谷と千曲川の交わる突端部にあります。

     富士見台展望台から。
     城跡を後にして千曲川の風景を見に行きました。
     懐古園には展望台が2カ所あります。どちらも天守・本丸のある島状台地の突端部に設けられております。こちらは紅葉谷と千曲川に、もうひとつの「水の手展望台」は、北谷と千曲川の交わる突端部にあります。

  •  北谷に架かる酔月橋。

     北谷に架かる酔月橋。

  •  北谷。

     北谷。

  •  北谷対岸から、水の手展望台を望む。

     北谷対岸から、水の手展望台を望む。

  •  水の手展望台からの千曲川。<br /> 島崎藤村の詩碑があります。実際、古城のほとりに立つと、早春に訪れ、詩と同じ風景を確かめたい気持ちになりました。

     水の手展望台からの千曲川。
     島崎藤村の詩碑があります。実際、古城のほとりに立つと、早春に訪れ、詩と同じ風景を確かめたい気持ちになりました。

  •  懐古園を離れる前に、もう一度、三の門を撮影。徳川秀忠が座ったという憩石のある花見櫓跡の方向から。

     懐古園を離れる前に、もう一度、三の門を撮影。徳川秀忠が座ったという憩石のある花見櫓跡の方向から。

  •  藤村プロムナードと藤村使用の井戸。<br /> <br /> しなの鉄道を跨ぐ東西自由通路を渡り、小諸駅前に出ました。さあこれから楽しみにしていた城下町に北国街道漫遊と行きたい所ですが、思いの他、懐古園に時間を費やし、計画変更です。もともと、ぶらぶらくまなく歩くだけなので、計画変更とは大袈裟な言い回しですが… 次回への下見となりました。<br /> 駅前から相生町の通りを直進、「藤村のプロムナード」で左折。ただこの交差点の右手には大好きなスーパーマーケットツルヤがあるので、ちょっと寄ってから、藤村使用の井戸を訪れました。

     藤村プロムナードと藤村使用の井戸。
     
     しなの鉄道を跨ぐ東西自由通路を渡り、小諸駅前に出ました。さあこれから楽しみにしていた城下町に北国街道漫遊と行きたい所ですが、思いの他、懐古園に時間を費やし、計画変更です。もともと、ぶらぶらくまなく歩くだけなので、計画変更とは大袈裟な言い回しですが… 次回への下見となりました。
     駅前から相生町の通りを直進、「藤村のプロムナード」で左折。ただこの交差点の右手には大好きなスーパーマーケットツルヤがあるので、ちょっと寄ってから、藤村使用の井戸を訪れました。

  •  藤村使用の井戸。

     藤村使用の井戸。

  •  北国街道沿いの街並み  1

     北国街道沿いの街並み 1

  •  北国街道沿いの街並み  2

     北国街道沿いの街並み 2

  •   光岳寺。この山門は、かつて小諸城の足柄門でした。ここに立つと、小諸城が低地にあり、穴城と呼ばれるのがよくわかります。<br /><br /> 今回はここまで。「藤村のプロムナード」と北国街道の交差点から右にだらだら坂を登り、光岳寺に至りました。この先街道は右に曲がり、小路が面白そうな与良町を通ります。そこは次回へのお楽しみにしましょう。<br /><br /> 坂を下り、大手門を見て帰ります。<br /> <br /><br />

      光岳寺。この山門は、かつて小諸城の足柄門でした。ここに立つと、小諸城が低地にあり、穴城と呼ばれるのがよくわかります。

     今回はここまで。「藤村のプロムナード」と北国街道の交差点から右にだらだら坂を登り、光岳寺に至りました。この先街道は右に曲がり、小路が面白そうな与良町を通ります。そこは次回へのお楽しみにしましょう。

     坂を下り、大手門を見て帰ります。
     

  •  小諸城大手門。戦国末期に築かれた城門。<br /> 鉄道で懐古園と分断され、孤立感が漂っていますが、かつてここからが城内かと思うと、どのように三の門とつながり、小諸城の全貌がどうだったのか気にる所です。

     小諸城大手門。戦国末期に築かれた城門。
     鉄道で懐古園と分断され、孤立感が漂っていますが、かつてここからが城内かと思うと、どのように三の門とつながり、小諸城の全貌がどうだったのか気にる所です。

  •  次回は開館日に来ましょう。

     次回は開館日に来ましょう。

37いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP