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高坂氏館(たかさかしやかた、埼玉県東松山市高坂高済寺)は秩父氏の庶流で在地の豪族である秩父重綱(ちちぶ・しげつな)の子高坂五郎が高坂氏の始祖と言われ、同様に父重綱から分かれた江戸氏の出身とかあるいは武蔵七党の児玉党の一族ともいわれていますが定かではありません。<br /><br />応安元年(1368)、高坂氏は同族の河越氏と共に所領に対する不満が原因で鎌倉府に対し反乱(平一揆の乱)を起こしますが、二代鎌倉公方足利氏満の命を受けた管領上杉氏により鎮圧され、その結果中核の河越氏は乱後も本領でその命脈を維持できたのに対し高坂氏には厳しい処分が行われ所領のすべてが没収され平姓高坂氏は没落します。<br /><br />加賀爪氏は扇谷上杉氏の祖である顕定の義弟朝顕の曾孫政定(まささだ)が駿河守護今川範政(いまがわ・のりまさ、1364~1433)の猶子として迎えられた時上杉姓から加賀爪(かがづめ)に改姓します。そして政定の後裔六代目政豊の代に今川氏が滅亡、その後政豊は徳川家旗本として家康に仕えることになります。<br /><br />天正18年(1590)が家康の関東移封後は政豊の子である加賀爪政尚が当地に3千石を与えられ、政尚の子忠澄(ただすみ)並びに忠澄の子直澄(なおずみ)はいずれも幕府要職を歴任し、更に1万石の加増を以て遠江国掛塚藩(現静岡県袋井市)を立藩するに至ります。<br /><br />しかしながら直澄の養子直清(なおきよ)の代では所領地の農民が起こした領地の境界争いの責任を咎められ、天和元年(1681)その所領が没収され加賀爪氏は改易となりますが弟の一人が旗本として幕末まで知行を続けています。<br /><br />本堂の西側に積まれた土塁に加賀爪氏累代の墓がありますが、その階段を上がった地に「加賀爪氏累代の墓」と題した説明板が設置され下記(一部略)のように記載されています。<br /><br /><br /><br />「加賀爪氏累代の墓<br /><br />加賀爪氏は、徳川家に仕えて禄高一万石を領し、この地に陣屋をおいた領主です。しかし、天和元年(1681)に加賀爪氏は、その家禄を断絶されました。<br /><br />加賀爪政尚は、徳川家康に仕え、長久手の戦、小田原征伐に戦功があり、比企と相模国高座(神奈川県高座郡)に三千石を領しました。加賀爪忠澄は、関ケ原の戦、大坂の役に戦功があり五千五百石を領し、江戸町奉行に登用されました。加賀爪直澄は、旗本中の乱暴者として通ったようですが、書院番隊長、寺社奉行等を勤めました。また、茶道にも通じていたらしく、鶴陽舎一明、別に、名月庵鑑とも号していたと伝えられています。<br /><br />加賀爪氏は、直澄の代に成瀬氏との間で領地問題をおこし、天和元年(1681)に領地を没収されています。<br /><br />    ( 略 )<br /><br />昭和52年3月      東松山市教育委員会」<br /><br />

武蔵高坂 平一揆の乱で鎌倉府に反発し管領上杉氏に制圧された高坂氏館で江戸時代には旗本から大名に昇格した上杉氏末裔の『加賀爪氏陣屋』訪問

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2017/05/07 - 2017/05/07

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滝山氏照

滝山氏照さん

高坂氏館(たかさかしやかた、埼玉県東松山市高坂高済寺)は秩父氏の庶流で在地の豪族である秩父重綱(ちちぶ・しげつな)の子高坂五郎が高坂氏の始祖と言われ、同様に父重綱から分かれた江戸氏の出身とかあるいは武蔵七党の児玉党の一族ともいわれていますが定かではありません。

応安元年(1368)、高坂氏は同族の河越氏と共に所領に対する不満が原因で鎌倉府に対し反乱(平一揆の乱)を起こしますが、二代鎌倉公方足利氏満の命を受けた管領上杉氏により鎮圧され、その結果中核の河越氏は乱後も本領でその命脈を維持できたのに対し高坂氏には厳しい処分が行われ所領のすべてが没収され平姓高坂氏は没落します。

加賀爪氏は扇谷上杉氏の祖である顕定の義弟朝顕の曾孫政定(まささだ)が駿河守護今川範政(いまがわ・のりまさ、1364~1433)の猶子として迎えられた時上杉姓から加賀爪(かがづめ)に改姓します。そして政定の後裔六代目政豊の代に今川氏が滅亡、その後政豊は徳川家旗本として家康に仕えることになります。

天正18年(1590)が家康の関東移封後は政豊の子である加賀爪政尚が当地に3千石を与えられ、政尚の子忠澄(ただすみ)並びに忠澄の子直澄(なおずみ)はいずれも幕府要職を歴任し、更に1万石の加増を以て遠江国掛塚藩(現静岡県袋井市)を立藩するに至ります。

しかしながら直澄の養子直清(なおきよ)の代では所領地の農民が起こした領地の境界争いの責任を咎められ、天和元年(1681)その所領が没収され加賀爪氏は改易となりますが弟の一人が旗本として幕末まで知行を続けています。

本堂の西側に積まれた土塁に加賀爪氏累代の墓がありますが、その階段を上がった地に「加賀爪氏累代の墓」と題した説明板が設置され下記(一部略)のように記載されています。



「加賀爪氏累代の墓

加賀爪氏は、徳川家に仕えて禄高一万石を領し、この地に陣屋をおいた領主です。しかし、天和元年(1681)に加賀爪氏は、その家禄を断絶されました。

加賀爪政尚は、徳川家康に仕え、長久手の戦、小田原征伐に戦功があり、比企と相模国高座(神奈川県高座郡)に三千石を領しました。加賀爪忠澄は、関ケ原の戦、大坂の役に戦功があり五千五百石を領し、江戸町奉行に登用されました。加賀爪直澄は、旗本中の乱暴者として通ったようですが、書院番隊長、寺社奉行等を勤めました。また、茶道にも通じていたらしく、鶴陽舎一明、別に、名月庵鑑とも号していたと伝えられています。

加賀爪氏は、直澄の代に成瀬氏との間で領地問題をおこし、天和元年(1681)に領地を没収されています。

    ( 略 )

昭和52年3月      東松山市教育委員会」

交通手段
私鉄 徒歩
  • 七清水せせらぎ緑道<br /><br />国道407号を別れて「七清水せせらぎ緑道」に沿って歩き、高坂氏館があった高済寺に向かいます。

    七清水せせらぎ緑道

    国道407号を別れて「七清水せせらぎ緑道」に沿って歩き、高坂氏館があった高済寺に向かいます。

  • 七清水せせらぎ緑道

    七清水せせらぎ緑道

  • 「高坂の七清水」説明板

    「高坂の七清水」説明板

  • 高坂の七清水

    高坂の七清水

  • 高済寺全景

    高済寺全景

  • 高済寺山門

    高済寺山門

  • 「加賀爪氏累代墓」柱標

    「加賀爪氏累代墓」柱標

  • 高済寺境内風景

    高済寺境内風景

  • 高済寺本堂

    高済寺本堂

  • 高済寺境内風景<br /><br />本堂から山門方向を捉えます。

    高済寺境内風景

    本堂から山門方向を捉えます。

  • 土塁<br /><br />境内の西側には土塁が南北に走っています。

    土塁

    境内の西側には土塁が南北に走っています。

  • 土塁<br /><br />本堂西側には土塁が走り、その奥には供養塔群が見られます。

    土塁

    本堂西側には土塁が走り、その奥には供養塔群が見られます。

  • 加賀爪氏墓所登り口

    加賀爪氏墓所登り口

  • 加賀爪氏累代墓柱標<br /><br />土塁への登リ口傍らには「加賀爪氏累代墓」と刻された柱標が立っています。

    加賀爪氏累代墓柱標

    土塁への登リ口傍らには「加賀爪氏累代墓」と刻された柱標が立っています。

  • 加賀爪氏累代墓説明板と柱標

    加賀爪氏累代墓説明板と柱標

  • 柱標(近景)<br /><br />「史蹟加賀爪氏累代之墓所」と刻された柱標が見えます。

    柱標(近景)

    「史蹟加賀爪氏累代之墓所」と刻された柱標が見えます。

  • 加賀爪氏累代の墓説明板

    加賀爪氏累代の墓説明板

  • 加賀爪氏供養塔群(全景)<br /><br />土塁奥に配された加賀爪氏累代の供養塔が見られます。

    イチオシ

    加賀爪氏供養塔群(全景)

    土塁奥に配された加賀爪氏累代の供養塔が見られます。

  • 加賀爪氏累代供養塔(近景)<br /><br />立派な宝篋印塔が並んでいます。個々の確認はできませんが、説明板では政尚夫妻の宝篋印塔、政尚の子忠澄夫妻の宝篋印塔、忠澄の子直澄、直澄の養子直清その他合せて6基の碑が残されています。

    加賀爪氏累代供養塔(近景)

    立派な宝篋印塔が並んでいます。個々の確認はできませんが、説明板では政尚夫妻の宝篋印塔、政尚の子忠澄夫妻の宝篋印塔、忠澄の子直澄、直澄の養子直清その他合せて6基の碑が残されています。

  • 加賀爪氏累代供養塔(近景)

    加賀爪氏累代供養塔(近景)

  • 土塁<br /><br />供養塔の後部から土塁が低くなっています。

    土塁

    供養塔の後部から土塁が低くなっています。

  • 加賀爪氏累代墓所

    加賀爪氏累代墓所

  • 土塁<br /><br />墓所から南方向に土塁が走っている姿を確認できます。<br /><br />

    土塁

    墓所から南方向に土塁が走っている姿を確認できます。

  • 土塁<br /><br />

    土塁

  • 空堀<br /><br />土塁の右側は年月を経て崩れているものの深い空堀が並行しています。

    空堀

    土塁の右側は年月を経て崩れているものの深い空堀が並行しています。

  • 土塁と空堀

    土塁と空堀

  • 削られた土塁<br /><br />南北に走る土塁は南端では道路建設のためか削られてなくなっています。<br /><br />

    削られた土塁

    南北に走る土塁は南端では道路建設のためか削られてなくなっています。

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