2016/07/16 - 2016/07/22
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JIC旅行センターさん
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■悲しきアンゼル島
朝6時。朝食ボックスを受け取った私たちは2台のミニバンに乗り込み、少し慣れてきたでこぼこ道を急ぐ。今日はソロベツキー諸島のなかの一つ、アンゼル島へ船で渡ることになっている。降りやまぬ雨の中、実に小じんまりとした船着き場に到着。ドライバーに「青い船」と言われたので、それらしき1隻を見つけ乗船しようとするが、船長は「何も聞いておらん。知らん」の一点張りで埒が開かない。
どうしたらいいのか分からないまましばらく待っていると、別の2台のミニバンが到着。降りてきたグループの中に本日のガイドがいた。彼は素早く誤解を解いてくれて、私たちはようやく中に入ることができた。船内は大変せまく、船底の両側に板を並べたようなベンチがあるだけの非常にシンプルな造り。参加者はどんどんそこへ座っていったが、全員座れるスペースはなく、最後に入ってきた数人はずっと立っているしかない。船底の先端に、用途不明な小部屋があり、たまりかねた何人かが入りこんで、寝そべるようにして座った。
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■片道2時間の船旅は大揺れ
小型船はアンゼル島を目指し始めた。外海に出るまでは揺れが少なく割と快適だったが、本格的な海に出た途端、船が大いに揺れ始めた。参加者の顔はみるみるうちに青ざめていき、船酔いにの嘔吐をこらえきれず、足早に上のデッキへ急ぐ人が続出。大揺れの拷問はおよそ2時間も続いた。誰の顔からも笑顔が消え、船内は静まり返っている。「まるでシリアの難民だ」というブラックジョークも飛ぶが、冗談好きなロシア人もこの時に限って反応が弱い。誰もが一刻も早くここを脱出したくてたまらなかった。
天気は一向によくなる気配がなかった。船は悪天候で予定の港に着岸できず、別の浜辺に向かった。浅瀬のため、私たちは小型船から一旦別のボートに乗り換えてから、島を目指す。
ようやく辿り着いたアンゼル島は薄暗くて静かだった。トイレを済ませたメンバーはガイドの誘導のもと、今回の船旅の目的であるゴルゴファ・ラスピャーツキー教会に向かって歩き出した。往復10キロのトレッキング・コースで、ほぼ平坦な森の中の道をただただ歩く。やや単調なトレッキングを楽しくさせてくれたのは道端を覆っていたブルーベリー畑たち。黒い実を取っては口に放り込む。甘酸っぱいこの味は雨模様に染まっていた気持ちを少しだけ明るくしてくれる。 -
■ゴルゴファ山の木造教会
ゴルゴファ山の麓には小さな木造教会が立っている。長年、ピョートル大帝の精神的な主導者の役割を担っていた聖イオフという人物は政治的な争いに巻き込まれた後、無実の罪を問われ、ここアンゼル島に流刑を命じられた。夢のお告げに従って山をゴルゴファと名付け、教会を建て、厳かに暮らしていた聖イオフのもとには沢山の信者が集まり、アンゼル島もいつの間にか名の知られる聖地のひとつとなった。
ソロベツキー特殊収容所時代には、ここは「病院」として使われていたそうだ。チフスなどの伝染病にかかってしまった人、体力の回復が見込めない人などはこちらの「病院」に送られていたが、その目的は治療ではなく、さっさと死んでもらうためであった。
夏の間に囚人たちが自らの手で大きな穴(100~200か所)を堀る。そして亡くなっていく人を順番にそこへ放り込んでいく。それでも穴の数が足りなかった時期もあったようで、真冬でもカチカチの土を割って、ゴルゴファ山の斜面に穴掘りが行われていた。伝染病の細菌を掘り起こす危険性があるため、いまでも調査が行われておらず、ゴルゴファ山の麓にはどれだけの遺体が埋葬されているのか、見当がつかないらしい。 -
■不思議な白樺の木
山頂に構える修道院のすぐ手前に不思議な白樺の木が待ちかまえていた。ガイドによると、300を超えるソロベツキー仕様の十字架は収容所時代にほとんど破壊され、30本のみ奇跡的に残ったそうだ。このゴルゴファ山にも沢山の十字架があったが、すべてが取り壊された。
しかし、十字架がなくなったとたん、一本の白樺の木が十字架の形を自然に取りはじめたらしい。人々はその白樺の木を十字架代わりにして密かに祈りをささげたという。本当かどうか定かではないが、間違いなく印象的な木で、私たちはその木の下で記念写真を撮った。
ゴルゴファ山の修道院は最近修理されたようで、ピカピカの内装を輝かせていた。ここはかなり特殊な教会で、昼の集会はない代わりに、夜通しのお勤めがあるそうだ。23時に始まり、朝方の4時に終わるという。
最後に立ち寄ったエリアザルの宿坊は正直、印象の薄い場所だった。大昔の時代、修行僧はここに入り、一人暮らしをしながらお祈りに励んでいたようだ。ガイドは沢山の神話を披露したが、どれも宗教性の高いものばかりで、私の心にあまり響かなかった。
次の(下の)写真は、再建されたソロベツキー仕様の十字架。以前はこのような形をした十字架が、アンゼル島内のあちこちに建てられていたが、ソ連時代にほとんどが破壊された。ソ連崩壊後に、調査が行われ、再建が始まったが、復元にはかなりの時間を要するという。 -
* * *
再び2時間にわたるひどい船旅の後、私たちはソロフキのホテルに戻り、少し休息した。しばらくして目を開けると、窓越しに青空が見えた。ソロヴェツキー旅行の最初で最後の青空。これを見逃す手はない。カメラを持って飛び出し、夕陽に染まり始めた海岸やソロヴェツキー修道院の写真をひたすら撮り続けた。
それまで重たい灰色のベールに包まれていた島は魔法がとけたように明るくて柔らかい表情を見せてくれた。黄金色の夕陽に染まる雲が長くたなびいている。この島はこんなにも美しく輝けるのかと、感動した。
(つづく)
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