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■衝撃の歴史がまとわりつく島に上陸<br /><br /> アルハンゲリスクで一夜を過ごし、早朝に起床。空港までのミニバンは航空会社が無料で手配することになっていたが、前日の状況から見てスムーズにいくと思えず、早めに準備してホテルのロビーで車を待つことにした。時間となり、それらしいミニバンが到着しているのを見つけたが、ミーティングボードはもちろん、ドライバーは客を探す風でもなく、私たちの車かどうかまったく判断がつかない。結局、こちらから声をかけてドライバーに確認、乗り込んで空港に向かう。20分弱で再び空港ビルの前に降り立ち、他の参加者と合流。チェックイン後、すでに慣れ親しんだ待合室でしばしの時間を過ごすが、またもや搭乗時刻が過ぎても案内は流れず。当然、乗客のイライラ度はピークに・・・、声を荒げて責任者を探す幕は1度や2度では済まなかった。<br /><br /> およそ3時間待たされ、ようやくAN-24の機内へ。今回は「エンジン冷やし」の演出がなかったので一安心。

ソロヴェツキー諸島 人を変えてしまう島(3)

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2016/07/16 - 2016/07/22

137位(同エリア342件中)

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JIC旅行センター

JIC旅行センターさん

■衝撃の歴史がまとわりつく島に上陸

 アルハンゲリスクで一夜を過ごし、早朝に起床。空港までのミニバンは航空会社が無料で手配することになっていたが、前日の状況から見てスムーズにいくと思えず、早めに準備してホテルのロビーで車を待つことにした。時間となり、それらしいミニバンが到着しているのを見つけたが、ミーティングボードはもちろん、ドライバーは客を探す風でもなく、私たちの車かどうかまったく判断がつかない。結局、こちらから声をかけてドライバーに確認、乗り込んで空港に向かう。20分弱で再び空港ビルの前に降り立ち、他の参加者と合流。チェックイン後、すでに慣れ親しんだ待合室でしばしの時間を過ごすが、またもや搭乗時刻が過ぎても案内は流れず。当然、乗客のイライラ度はピークに・・・、声を荒げて責任者を探す幕は1度や2度では済まなかった。

 およそ3時間待たされ、ようやくAN-24の機内へ。今回は「エンジン冷やし」の演出がなかったので一安心。

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  • ■ようやくソロベツキー島に到着<br /><br /> 飛行機はスムーズに飛びたち、45分後にはソロベツキー島のガタガタ滑走路に着陸した。タラップを降りて、厚い雲に覆われた念願の島を見渡す。空港は滑走路1本のみで、簡易なフェンスに囲まれているだけだ。私たちは飛行機から降りると、そのままゾロゾロ歩いて出口へ向かった。出口では、寝台列車と船を乗り継ぎ予定通り先乗りしていたスタッフやその家族が出迎えてくれて、互いに固い握手を交わす。<br /><br /> モスクワでは気温32度と日本とさほど変わらなかったが、アルハンゲリスクでは25度、そしてソロベツキー島では15度と下がってくれて、灼熱の東京から来た私たちにとってはこの涼しさが当初は快適に思われた。

    ■ようやくソロベツキー島に到着

     飛行機はスムーズに飛びたち、45分後にはソロベツキー島のガタガタ滑走路に着陸した。タラップを降りて、厚い雲に覆われた念願の島を見渡す。空港は滑走路1本のみで、簡易なフェンスに囲まれているだけだ。私たちは飛行機から降りると、そのままゾロゾロ歩いて出口へ向かった。出口では、寝台列車と船を乗り継ぎ予定通り先乗りしていたスタッフやその家族が出迎えてくれて、互いに固い握手を交わす。

     モスクワでは気温32度と日本とさほど変わらなかったが、アルハンゲリスクでは25度、そしてソロベツキー島では15度と下がってくれて、灼熱の東京から来た私たちにとってはこの涼しさが当初は快適に思われた。

  •  飛行機から下ろした荷物がトラックで運ばれてきて、全員揃ったところで年代物のマイクロバスに乗り込み、ホテルへ移動。ソロベツキー島では近代的なホテルが2軒しかなく、その中の「SOLOVKI HOTEL」に私たちは泊ることになっていた。空港から15分もかからないうちに到着して、チェックイン。<br /><br />ホテルはレストランを兼ねた管理棟とログハウス風の6つの独立した棟から形成されていて、私たちは5号棟で宿泊することになった。棟の入口の応接間の床には頭付きの熊の毛皮が敷かれていた。入口を入ると、いきなり歯むき出しの熊の顔が目に止まるので、誰しも一瞬びっくりして少し後ずさりする。

     飛行機から下ろした荷物がトラックで運ばれてきて、全員揃ったところで年代物のマイクロバスに乗り込み、ホテルへ移動。ソロベツキー島では近代的なホテルが2軒しかなく、その中の「SOLOVKI HOTEL」に私たちは泊ることになっていた。空港から15分もかからないうちに到着して、チェックイン。

    ホテルはレストランを兼ねた管理棟とログハウス風の6つの独立した棟から形成されていて、私たちは5号棟で宿泊することになった。棟の入口の応接間の床には頭付きの熊の毛皮が敷かれていた。入口を入ると、いきなり歯むき出しの熊の顔が目に止まるので、誰しも一瞬びっくりして少し後ずさりする。

  •  客室は2つの部屋からなっていて、奥は寝室、手前にはソファベッドが置かれたダイニングがあった。私とアンドレイさんは寝室に陣取り、社長はダイニングスペースで寝泊まりする事になった。<br /><br /> 私たちが部屋で時間をつぶしている間に、リュドミーラ社長はロスした時間を取り戻そうと奔走し、昨日予定されていた観光プログラムの一部が急遽実施されることになった。

     客室は2つの部屋からなっていて、奥は寝室、手前にはソファベッドが置かれたダイニングがあった。私とアンドレイさんは寝室に陣取り、社長はダイニングスペースで寝泊まりする事になった。

     私たちが部屋で時間をつぶしている間に、リュドミーラ社長はロスした時間を取り戻そうと奔走し、昨日予定されていた観光プログラムの一部が急遽実施されることになった。

  • ■ソ連製の四駆で島内観光へGO!<br /><br /> ホテルの入り口に横付けされたソ連製(ロシア製ではない、もっと前のソ連時代に製造)の錆びついた四駆ジープと黄色い四駆ミニバンに分乗して島内観光を開始。ソロベツキー島内の道は道路と呼べるようなものでなく、限りなくオフロードに近いデコボコの道だった。にもかかわらず、ドライバー兼ガイドのユーリーさんはミニバンを結構なスピードで走らせる。車内で普通に座っていることは至難の技、誰もが取っ手や座席のへりにつかまり、必死に体勢を保たなければならなかった。

    ■ソ連製の四駆で島内観光へGO!

     ホテルの入り口に横付けされたソ連製(ロシア製ではない、もっと前のソ連時代に製造)の錆びついた四駆ジープと黄色い四駆ミニバンに分乗して島内観光を開始。ソロベツキー島内の道は道路と呼べるようなものでなく、限りなくオフロードに近いデコボコの道だった。にもかかわらず、ドライバー兼ガイドのユーリーさんはミニバンを結構なスピードで走らせる。車内で普通に座っていることは至難の技、誰もが取っ手や座席のへりにつかまり、必死に体勢を保たなければならなかった。

  • ■「フィリップの庭」<br /><br /> 最初のポイントは「フィリポフスキー・サドキ」、直訳すると「フィリップの庭」と呼ばれる場所だった。この「庭」とは、16世紀の著名な人物、フョードル・コリチェフ(後のモスクワ大司教フィリップ)が発案したと言われる人工貯蔵池。当時の修行僧は天気のいい日に海に出て魚を釣り、それを食糧にしていたようだ。<br /><br />しかし悪天が続くと釣りに行けなくなってしまう。そこで発案されたのがこの貯蔵池。浅い入江の一部に石積みの堰を築いて海から分断し、そこへ獲れたタラやニシンを放す。天気の悪い日はこの池から魚をすくい上げて、次に海釣りができるまで食い繋ぐという仕組みだったようだ。時代の移り変わりと共に冷蔵技術が進化し、「フィリップの庭」を使う機会は少なくなっていった。そしてソ連時代には完全に放置され、草が濛々と茂る今の姿となった。

    ■「フィリップの庭」

     最初のポイントは「フィリポフスキー・サドキ」、直訳すると「フィリップの庭」と呼ばれる場所だった。この「庭」とは、16世紀の著名な人物、フョードル・コリチェフ(後のモスクワ大司教フィリップ)が発案したと言われる人工貯蔵池。当時の修行僧は天気のいい日に海に出て魚を釣り、それを食糧にしていたようだ。

    しかし悪天が続くと釣りに行けなくなってしまう。そこで発案されたのがこの貯蔵池。浅い入江の一部に石積みの堰を築いて海から分断し、そこへ獲れたタラやニシンを放す。天気の悪い日はこの池から魚をすくい上げて、次に海釣りができるまで食い繋ぐという仕組みだったようだ。時代の移り変わりと共に冷蔵技術が進化し、「フィリップの庭」を使う機会は少なくなっていった。そしてソ連時代には完全に放置され、草が濛々と茂る今の姿となった。

  • ■「セキルナヤ山」<br /><br /> 次の目的地は「セキルナヤ山」だった。<br /><br />伝説によるとこの山(といっても高さ100メートルくらいの丘だが)の近くの入り江にソロベツキー島の開拓者、聖サバティと聖ゲルマンが上陸したとのこと。歴史研究家は山の名前の由来として「伐採の場」(古代ロシア語ではセキーラは斧という意味)という説を有力視している。二人の開拓者はこの山の木々を伐採し、最初の教会や自分たちの小屋を建てたのではないかというのだ。<br /><br />しかしロシア正教会の説は異なっており、キリスト教には珍しく暴力的である。<br /><br />教会の説によれば、二人の開拓者が上陸に成功し生活を営み始めたことを羨ましく思った近隣の島の漁師が家族を連れて島に住み移り、開拓者の小屋の近くに住処を構えた。ここは聖なる場所だという忠告を聞き容れず、しばらくそのまま暮らしていたが、ある日、開拓者の一人は女性の悲痛な叫びを聞きつけた。森の中を探したところ、泣き崩れている漁師の妻を発見した。<br /><br />彼女の話によると、長身で金髪の2人の青年が突然現れて女性をとらえた後、彼女を細い木の枝で思いっきりひっぱたき(木の枝でひっぱたくは古代ロシア語で「セキーリチ」)、聖なる場所から即刻立ち去るよう厳しく命じて、消えてしまった。<br /><br />開拓者は金髪の青年を天使に違いないと女性に伝えたところ、漁師はたちまち島を離れ、二度と現れることはなかったという。今となっては傷害罪か脅迫罪に相当する事件だが、ロシア正教会はそれを巨大な石の記念碑に刻みこみ、山の入り口に飾った。<br /><br />ガイドの話によると日本と同じく、昔のロシアでは多くの聖地(修道院など)が女人禁制だったという。<br /><br />(つづく)

    ■「セキルナヤ山」

     次の目的地は「セキルナヤ山」だった。

    伝説によるとこの山(といっても高さ100メートルくらいの丘だが)の近くの入り江にソロベツキー島の開拓者、聖サバティと聖ゲルマンが上陸したとのこと。歴史研究家は山の名前の由来として「伐採の場」(古代ロシア語ではセキーラは斧という意味)という説を有力視している。二人の開拓者はこの山の木々を伐採し、最初の教会や自分たちの小屋を建てたのではないかというのだ。

    しかしロシア正教会の説は異なっており、キリスト教には珍しく暴力的である。

    教会の説によれば、二人の開拓者が上陸に成功し生活を営み始めたことを羨ましく思った近隣の島の漁師が家族を連れて島に住み移り、開拓者の小屋の近くに住処を構えた。ここは聖なる場所だという忠告を聞き容れず、しばらくそのまま暮らしていたが、ある日、開拓者の一人は女性の悲痛な叫びを聞きつけた。森の中を探したところ、泣き崩れている漁師の妻を発見した。

    彼女の話によると、長身で金髪の2人の青年が突然現れて女性をとらえた後、彼女を細い木の枝で思いっきりひっぱたき(木の枝でひっぱたくは古代ロシア語で「セキーリチ」)、聖なる場所から即刻立ち去るよう厳しく命じて、消えてしまった。

    開拓者は金髪の青年を天使に違いないと女性に伝えたところ、漁師はたちまち島を離れ、二度と現れることはなかったという。今となっては傷害罪か脅迫罪に相当する事件だが、ロシア正教会はそれを巨大な石の記念碑に刻みこみ、山の入り口に飾った。

    ガイドの話によると日本と同じく、昔のロシアでは多くの聖地(修道院など)が女人禁制だったという。

    (つづく)

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