2017/04/03 - 2017/04/06
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いしいやすなりさん
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「帰国」はちゃんとして、短い日本滞在も終わりました。そして、再びショパンの足跡を探しに、最後の長旅に出ました。東京から3日間かけてパリにたどり着き、ショパンの歩いた道をたどってみました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 航空会社
- スイスインターナショナルエアラインズ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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ここは成田空港。私はアメリカのバーモント州に帰るのですが、やっぱり往路と似たような経路です。ということで、日本からはスイス航空でチューリッヒに向かいました。
往路ではショパンの生誕地を訪ねましたが、こうして自分の故郷に帰って来るというのは、深い意味があるのかな、などと、自分の国を離れるときにはいつも感慨深い思いにはまります。 -
ひょんなことから、復路はビジネスクラスになりました。生まれた初めて乗る国際線のビジネス。いくつになっても、初めての新しい体験っていいものですね。興奮が高まります。
座席につき、ウェルカムドリンクのシャンパンを離陸前にいただいて、気分も落ち着いたところで、飛行機は大空に向かって飛び立っていきました。 -
離陸して、しばらく窓から日本の姿を眺めていましたが、だんだんと遠くなり、霞に隠れて何も見えなくなってしまったころ、機内サービスが始まり、ハッと我に返ったようにテーブルを引っ張り出して前に向きなおしました。
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前菜のプレートは、プロシュートハム、ドライトマト、マッシュルームのソテーなど。それにグリーンサラダとパン。ワインはスイス産のピノノワールをいただいてみました。おいしかったです。
カチャカチャと音をさせながらの食事は、格別ですね。やはり、「音」も食事には大事なんですよね。味やにおいや見栄えだけではありません。ゴーと鳴るエンジン音も、機内食ならではの効果音です。 -
メインはビーフテンダーローインと、ローストした根菜類でした。この一皿、ちょっと盛り付けが甘く、何かが足りない感じです。(食べかけの写真ではありません。左のお皿からパンがなくなっているだけです。)でも、ドロドロとしたソースにまみれたようなステーキに比べると、これはあっさりした感じで、品が良かったです。これもヨーロッパ的な感覚なのでしょうか。
ワインは、ボルドーワインに替えてみました。これもおいしかったです。 -
メインの後はチーズプレート。スイスチーズ、カマンベール、ブルーチーズなどが乗っています。滅多に飲みませんが、勧められるに任せてポートワインも一緒にいただきました。食事にこうやって独立したチーズプレートをいただくというのも、普段は値段が高くなってしまうし、食べきれないので滅多にしませんが、一皿ずつの量が少ない機内食では、それもできてしまいます。ポートワインもおいしかったです。機内でいただくせいでしょうか。
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スイーツはレモンケーキということだったので、ドリンクは紅茶にしてくださいと言うと、箱を開けて見せて、色々ありますけど、ということだったので、アールグレーにしました。これも、ドロドロのクリームにまみれたようなケーキではなく、あっさりしている感じでお腹にもたれずによかったですね。悪く言えばパサパサ感もややありましたけど。
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到着前に出た軽食は、野菜のラザニアでしたが、これは量が少なく、ややがっかりでした。最初の食事はかなり至れり尽くせりな感じでしたが、その後がちょっと失速したようにおろそかだったのが、やや残念でしたが、生まれて初めてのビジネスクラスの体験は大変楽しかったです。
まもなく飛行機ば無事にチューリッヒに着陸しました。 -
乗り換え。今度は小さい飛行機でまたワルシャワに向かいます。この飛行機は夕方5時発、所要2時間。着いたら夜ですね。
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この便もビジネスだったので、機内食が出ましたが、夕食の時間帯だったのに、これは冷たい前菜プレート。ビーフタルタルとローストした野菜です。チーズと、デザートに小さいティラミス、固いパンがついていましたけど、2時間のフライトにしては物足りませんね。(東京ーソウルがちょうど2時間ですけど、そのビジネスクラスを考えると、これはちょっと…✖という感じです。)
飛行機に乗りながら、夕暮れを迎え、ワルシャワに到着するころには、すっかり暗くなっていました。 -
ワルシャワ空港駅からセントラル駅まで、電車に乗って20分くらいです。
ワルシャワは「フレデリック・ショパン空港」という名前ですが、帰国の寄り道として、この空港に降り立ってみたいという漠然としたアイデアが浮かんだのは、何年も前のことでした。それが今年、計画がかなり膨らんだ形で実現しました。
小さい空港だし、もう夜だったこともあり、人はまばらになっていました。この電車もガラガラです。 -
大きいスーツケースは駅のロッカーに入れ、肩掛けカバンだけでホテルまで歩いて行きました。
この夜は、ワルシャワ駅から南に10分ほど歩いたところにあるホテルに宿を取りました。バルコニーから見た夜景です。向こうのほうに、文化・科学センターのビルがライトアップされて見えます。
1週間前に来たときは、初めてのワルシャワに夜行列車で朝到着して、不安と期待に胸を膨らませていましたが、今度は親近感さえ感じる場所になっていました。 -
次の日、ワルシャワ駅から列車に乗り込みました。さようなら、ワルシャワ・・・・。
もっと近代的な列車もたくさん走っていますが、この列車は6人掛けの個室コンパートメントが並ぶ、古い形式の列車でした。最近ヨーロッパでは超近代的な高速列車が主流になっていて、’こんな昔を思い出すような情緒のある列車は少なくなりましたね。列車は空いてはいましたが、このコンパートメントには、最初見知らぬ人どうし4人が一緒に座りました。 -
通路はこんな感じです。
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列車はチェコを通ってウィーンに向かいます。
チェコのペロフという駅に到着したところです。向こうを走る古くさい普通列車の車両をよく見ると、日本で何十年も前に走っていた「ボックス席」の列車でした。あんなのが今でも走ってるのか・・・。 -
ウィーンに近づくにつれ、しだいに夕暮れになって行きました。ポーランドもチェコも、高い山などはなく、ずっと平で、車窓風景はあまり変わり映えはしませんが、ごく平和な雰囲気です。
最初4人だった列車のコンパートメントも、最後は同じ一人旅の女性と2人だけになりました。両隣のコンパートメントは空っぽで、車内はいたって静かで平和な雰囲気でした。 -
列車は20分ほど遅れてウィーンに到着しました。乗り換え時間が短くなってしまったので、駅のファーストフードを慌ててほおばりました。
というのも、前の列車は、計画したときに調べた限りでは、食堂車がついているとのことだったのですが、チケットを購入したら、フードサービスはなしとなっていました。あれ?
その表示は正しかったのです。乗ってみたら、食堂車などもちろんなく、車内販売のお兄さんが、簡単な飲み物とスナック類を売っている程度でした。ので、この日は昼食も夕食も、完全に逃してしまったことになります。
列車が20分も遅れたため、ウィーンの駅で食事をすることもままならず、慌ててチャイニーズのファーストフードを買って座りましたが、半分しか食べられませんでした。 -
今度は、ウィーンからデュッセルドルフ行きの夜行列車に乗りました。前回の夜行列車はポーランドの車両でしたが、今度はオーストリアの車両です。この列車は、ハンブルグ行きがメインで、それにデュッセルドルフ行きが連結されている形で、途中で切り離されます。
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発車は8時半なので、まだベッドは降ろされていない状態でした。車掌さんんが説明に来て、朝食の注文を取り、ベッドを下ろしたいときはいつでも申し付けてくださいと言われました。説明しながら、流しやシャワーがちゃんと機能してるかどうかも確認していたし、親切な感じでした。
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ものすごく狭いですけど、トイレもシャワーもあって、ちゃんとお湯も出ます。これで明日の朝は寝坊さえしなければ大丈夫ですね(笑)。
アメニティも、タオルやスリッパ、シャンプー類なども一応そろっていました。
あと、ペットボトルの水と、スパークリングワインが置いてありました。 -
車掌さんを呼んでベッドをセットしてもらいました。アッと言う間の離れ業的作業・・・。
おやすみなさ~い。 -
列車はフランクフルトを過ぎて、ライン川沿いを走ります。ここら辺で、だんだんと空に明るみが出てきました。夜行列車で迎える夜明けというのは、また格別なものです。
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日が昇ります。列車はドンドンとライン川沿いを走ります。素晴らしい眺めですね。寝坊せずに、早く目が覚めたのがよかったです。
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到着1時間前くらいに、朝食が運ばれてきました。まずベッドを跳ね上げて座席モードになおし、それからテーブルをもってきて、窓の下に固定して足を引き下ろして設置し、それから朝食のトレーを置いて、どうごごゆっくり、と言って出て行きました。
朝食はチケットに含まれていますが、メニューから6項目まで無料で注文できます。それ以上ほしい場合は各項目追加料金になります。
が、6項目と言っても、僕が選んだのは、’コーヒー、パン(2個)、バター、ジャム、オレンジジュース、グラノーラ入りヨーグルトの6項目です。まあ、それで十分ですけど、バターとかジャムも1つに数えるというのは・・・。ほかに、チーズとかハムとかもありました。温かい玉子料理などは無理みたいです。
到着してから、朝食は食べなおしですね(笑)。 -
列車は定刻通り、8時40分頃デュッセルドルフに到着しました。
次の列車まで時間があったので、荷物をロッカーに入れ、地下鉄に乗ってライン川の方まで出て行ってみました。
観光名所であることがわかりますね。まだ時間が早く、店も開いていないし、人通りもほとんどありませんでした、 -
この朝は寒くて天気も悪く、遠くまで見通せませんでしたけど、それでもライン川を間近に見ることができたのは嬉しかったです。
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町のベーカリーカフェに入って、朝食の食べなおしをしました。メニューや、周りの人達の食べてるものから見ると、ドイツでは朝食にはパンを大量に消費するんですね。1人前の朝食セットには、バスケットにパンが何種類も盛られてくるんです。
僕は、もちろんそんなに食べきれないので、フルーツを載せたぐらーのーら入りヨーグルトと、全粒粉を使ったパン1つ、バターと蜂蜜、というヘルシーメニューと、コーヒーを注文しました。列車で食べたものを似てはいますけど、でもドイツパンっておいしいですね。 -
さて、気分が変わったところで、また列車に乗り込みました。デュッセルドルフからほんの30分足らずでケルンに出て、そこからフランスの列車、「Thalys」に乗ってパリに向かいます。長かった列車の旅も、いよいよこれが最後です。
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ケルンからパリまでは約500キロ。それを3時間ちょっとで結びます。
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この列車も、奮発してファーストクラスにしたのですが、その唯一の理由はこれです。ファーストクラスでは、食事が出るのです。ワインも提供されます。デッキ部分に飛行機のギャレーのうような場所があって、そこからカートを引いて食事や飲み物を配って歩いてきます。
ケルンを発車して間もなく、お目当ての食事サービスが来ました。
チキンかベジタリアン、と言われて、チキンを選びましたが、なんと冷たいまま!うーん、こんなメインっディッシュ、オーブンで10分もあれば温められると思うんですがねえ・・・。でもチキンはでっかく、付け合わせのマッシュポテトもかなりの量で、ボリュームだけは十分あります。それにカマンベールとブルーチーズを足して2で割ったようなチーズが2切れ、パン、デザートにラズベリーのムースのようなものがついていました。もちろんボルドーワインと共にいただきます。 -
ブリュッセルかパリまでの区間では、さらにおやつのサービスがありました。3種類あるスイーツの中から、チョコレートのタルトを選び、飲み物はコーヒーをいただきました。アルコール類ももちろん用意されています。
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パリに無事に着いて、ホテルにチェックインしました。
パリば物価が高くて、ホテルも例外ではないので、1泊€100そこそこの安いホテルを見つけましたけど、こんな情緒あふれる古い建物で、客室こそ質素でしたが、十分です。
さあ、これからショパンの足跡を探しに、パリの街を歩いてみたいと思います。 -
ホテルからモンマルトル通りをぶらぶらと歩いて、大通りに出たところで探し当てたのは、このビルのはざまに挟まれたどうということのない小さな空家になっている建物。
しかし、その屋根の部分にはこんな碑が刻まれています。 -
ここは、ショパンが21歳のときに、ウィーンから馬車で旅をしてきて、パリに初めて到着した時に、1831年から1832年まで住んだアパートなのです。
屋根に刻まれた碑は、「フレデリック・ショパンが1831年から32年まで住んだ家」と書かれています。
ショパンは、憧れのパリに到着して、こんな大通りに住んだんですね。さぞかし希望に燃えていたことでしょう。パリはきっとポーランドの田舎と違って、ファッショナブルで人通りも多く、あちこちにおしゃれなカフェなどがならんでいたことでしょう。 -
その次に、探し当てたのはこの場所です。今ではホテルになっているようですが、この建物も記念碑こそありませんが、ショパンが暮らした場所です。
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この場所も、若いショパンが幼馴染のヤン・マツジンスキーと一緒に少しの間住んだ場所です。今ではそんなことを知る人は少ないのかもしれませんね。1階が店舗で上がアパートのような、ごく普通の建物です。だけど、パリの街は、どの建物も歴史的価値のある古い建物に見えてしまって、町全体が屋外博物館のようですねえ。さすが・・・。
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ここは、マヨルカ島から戻ってきた後にショパンとジョルジュサンドが一緒に暮らした場所です。この小さいベトナム料理屋の隣の柵の奥にあるアパートらしいのですが、あいにくと工事中で立ち入り禁止になってしまっていました。ちょっと残念・・・。
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パリの大通りには、観光バスや団体ツアーの人たちなどがひっきりなしに通りますね。
ここはパリのオペラ座。ショパンもオペラが大好きだったということなので、きっとしばしばこういうところに通ったのでしょう。 -
オペラ座から少し行ったところにあるこの建物は、パリの国立音楽院です。あいにく、交通量が多くて、建物全体を写真に収めるのは至難の業なので、あきらめました。
この音楽院の建物を背にして、反対側に向かうと、正面に何やら塔が立っているのが見えます。 -
この塔です。それを目指して歩いて行くと、ある広場に出ます。
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この旅行記の表紙の写真にある広場がそれです。
その広場の一角に、アーチ形に並ぶ店の窓の一つの上に、何やら四角い碑が貼ってあるのが目に留まります。 -
よく見ると、そこには「1810年2月22日(定説では3月10日ですが)にポーランドのゼラゾーワ・ヴォラで生まれたフレデリック・フランソワ・ショパンが、1849年10月17日にこの家で死去した」いう内容が刻まれています。
ここで臨終したのか・・・。としばらくその場に立ち尽くしてしまいました。
長い間愛人だったジョルジュ・サンドは、ついにその場に現れませんでしたが、ショパンはごく親しい人たちに囲まれて、この異国の地で外国人として死を迎えたのですね。日本を離れて外国に在住している自分としては、なんとなくそのあたりのショパンの孤独とか憂愁とかが、ちょっとだけ身に感じてわかるような気もします。 -
そこからほんの少し歩いたところに、聖マドレーヌ寺院があります。何十年も建設に費やしたのち、1845年、ちょうどショパンンが亡くなる4年前に完成した大寺院です。
ここでショパンのお葬式が行われました。遺言に従って、ショパン自信のプレリュードと、モーツアルトのレクイエムが演奏されたということです。 -
中はこんな感じです。
ゾクゾクっとするような雰囲気がありますね。
立った39歳という若さで亡くなってしまったショパン。もっと生きていたら、きっともっと素晴らしい音楽をたくさん作ったのだろうと思いますけど、芸術家の生涯って、不可解ですねえ・・・。
これで、ショパンの足跡を探す長い旅も終わりを迎えました。最後に、今回の旅を前に自分でショパンの音楽を少し弾いてみましたので、恥ずかしながらそれを載せてみたいと思います。
ご興味があれば、ご覧ください。
雨だれのプレリュード
https://www.youtube.com/watch?v=jrzUyt7Cn3Y
最後の夜想曲
https://www.youtube.com/watch?v=Wuw6axXCCbM
別れのエチュード
https://www.youtube.com/watch?v=6fTzdDwAVog
またいつか旅をするときまで。
さようなら。
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